第34話 温かいスープと、ふわふわの白いパン
『は? いま聖女……って言った?』
分厚い氷越しに、セルジュくんの声が微かに聞こえてくる。
ギリギリ聞こえてはいたんだ。まあ信じてもらうのが間に合わなくて凍らされちゃったけど。
『命乞いで聖女を自称するとか、それこそ殺されてもおかしくないのに……やっぱ頭のおかしいシスターだったな』
相変わらず失礼全開のセルジュくん。
うーん……これ、思い切り動いて氷を割ったら、信じてもらえるかな?
『なぁ、本物の聖女だったら、オレの氷をぶち破って出てこいよ』
武闘派じゃないけど一応は本物の聖女だから、できる気がするよ?
あ、いや、でも待てよ……仮に信じてもらえたとしても、それはそれで面倒なことになるかも。だったらこのまま死んだフリをするのが一番良いかな。もともと帝国側の人間には、まだ聖女ってバレないようにする方針だったしね。
多少冷たくは感じるけど凍えるほどじゃないし、息をしなくても全然苦しくなる気配がないし。今まで女神様の加護がどこまでカバーしてくれるのかよくわかってなかったけど、これほど万能ならここはやり過ごすのがベストな気がする。
『ま、本物の聖女なはずないか。でもこのシスター、確かに妙な気配はしてたんだよな。戦える人間って感じじゃなかったけど……一応、割っておくか』
セルジュくんが空中で美しい氷の剣を作り出し、右手に握った。
冷気をまとった透明な刃が、月光を受けて青白く輝いている。
そしてその氷の剣をセルジュくんが振りかぶったとき、私の頭に嫌な予感がよぎった。
え……ちょっと、これってもしかして氷ごと私も割れないと、生きてるってバレちゃう? それとも氷が割れても死んだフリ、通じるかな。
どうしよう……でも脈を確かめられたらアウトだよね。マズくない?
そんなことを考えていると、セルジュくんは何を思ったか右手に握った氷の剣をゆっくりと下ろし、左手で私の頬――辺りにある氷を触り始めた。
『でも、勿体ないよな。こんな綺麗なのに……』
え……?
セルジュくん、そんな……まさか、私のことを……?
『……いや、本当に綺麗だわ。ここらへんの鋭角とか、マジ奇跡的だもんな。透明度も高いし』
……あれ? なんか流れが変わってきたぞ?
『うん……久々に良い氷が作れたな。やっぱ記念に残しとくか。一年ぐらいは持つだろうし』
セルジュくんはそう言うと、こちらに背を向けて森の中を引き返していった。
……中身の私とか関係なく、氷の出来で見逃されちゃったよ。
これ私、怒っていいかな? いくらなんでも、さすがにひどくない?
聖女ってバレなくてよかったけどさ……なんか釈然としない。
しばらく経って、セルジュくんの足音が完全に遠ざかり、森に静寂が戻ったのを確認すると、私は少しずつ身体に力を入れ始めた。まずは指先から、そして腕、足へと順番に。
すると全身を覆う氷が小気味よい音を立てて割れ始めた。最初は細かなひび割れから始まり、それがどんどん広がっていく。やがて大きな氷の欠片がボロボロと地面に崩れ落ちていった。
「さて、行きますか……」
私は凝り固まった身体をほぐすように背伸びした。
なんか知らない間にライナルト師団長の策謀とやらに巻き込まれたものの、なんとか難を逃れたおかげで、これまでとやることは変わらない。
王都の教会本部に向かって、聖女認定を受ける。まずはそこからだ。
「えっと……たしか、こっちだったはず……」
周囲を見渡しつつ、オルディス殿下が進んでいた方向を思い出して、慎重に歩むべき道を確認する。
ここから王都までは半日ぐらいらしいけど……一人で辿り着けるかな?
正直、すごく不安だ……でも、来た道を戻るわけにはいかない以上、先に進むしかない。
私は意を決して、王都へ向かうべく足を踏み出した。
〇
三日後の昼過ぎ。私は、ようやく――本当にようやく、ヴェルディア王国の王都、ルクレスタに辿り着いた。
日数だけ見れば、たったの三日。
でも、その三日間はずっと森の中を歩き続けていたし、途中でいろいろありすぎて……体感では一週間くらいあった気がする。
王都の門が見えた瞬間、思わずその場に座り込みそうになった。
でも、まだ気を抜いてはいけない。私はふらつく足をどうにか前に出し、門のほうへと向かっていった。
街道脇の森からよろよろと姿を現した私を見て、王都を守る衛兵さんたちはビックリしたようで「大丈夫か!?」と声を上げながら、すぐに駆け寄ってきてくれた。
それもそのはずだ。私の見た目はもう、完全に遭難者だった。
この三日間で何度、魔物に襲われたことか。
道なき森を突っ切ったせいで、修道服はあちこち破れ、泥だらけで、髪もぼさぼさだった。
しかもオルディス殿下からもらった魔物除けのペンダントは、あの氷漬け事件のせいで壊れてしまったようで、まったく音が鳴らなかったし。
……いや、使えてたとしても効果があったかどうかは怪しいけど。
結局、最後はグリード・ウルフに追い詰められながら、ペンダントを投げつけて逃げたので、今となっては確かめようもない。
それはそれとして、そんなボロボロな格好だったから、衛兵さんにはものすごく親切にしてもらえた。
「ひとまず中へ!」と手を引かれ、私が遠慮する間もなく、すぐに王都の教会本部まで馬車を手配してくれたくらいだ。
いえ、歩けますって言ったのに、「いやいや無理でしょう!」って断固拒否された。
まあ確かに、鏡で見たら自分でもちょっと引くかもしれない見た目ではあったかも。女神様の加護で、肉体的には何も問題はなかったんだけどね。
ともあれ、私は王都ルクレスタの城門をくぐり、美しい尖塔がそびえる教会本部へと馬車で向かうことになった。
ここから、やっと私の聖女としての物語が始まる……はず。
きっと、たぶん。というかお願い、そろそろ始めさせて……。
そんな願いが通じたのか、王都の教会本部に着いたあとは信じられないくらい丁寧に、優しく迎え入れてもらえた。
教会本部の若いシスターさんが私の姿を見るなり青ざめ、何も聞かずにそのままお風呂へと案内してくれたのだ。しかもボロボロだった修道服は新品に交換してくれて、湯上がりには温かいスープと、ふわふわの白いパンまでご馳走してもらえた。
この三日間、温かいスープなんてまったく口にできなかった。スキルで作り出せたのは、なぜかカチカチに硬いリースト村の長い白パンばかり。
だから目の前にある湯気の立つスープとふわふわの白いパンを見ていると、あまりの感動で涙が止まらなくなった。
そんな私の様子を見た若いシスターさんは、何を想像したのか一緒にもらい泣きをしていた。
なんか、ごめん……温かいスープで嬉し泣きするほどこの三日間がつらかったのは確かだけど、あなたが思っているほど悲惨な目には遭っていない気がする。たぶん。




