第29話 駅弁とか食べたい
私は今までに乗ったことのない、作りのしっかりとした馬車に揺られながら、王都へと向かっていた。
ただ揺られながらとはいえ、商隊で乗っていた馬車の荷台とは比べものにならないほど快適で、車輪の上下も、地面の凹凸もほとんど伝わってこない。
まるで絨毯の上を滑るように滑らか……とまでは言わないけど、気分はそんな感じだ。
窓の外には街道を走る風景が流れていく。
緑豊かな森や、黄金色に輝く麦畑、点在する小さな村々。
どれもが絵画のように美しく、見飽きることがない。
こんな立派な馬車でのんびり旅をしながら、前世の駅弁とか食べられたら、それはもう最高だっただろうな。煮物と焼き魚と炊き込みご飯と……うーん、お茶も欲しい。
……さて。現実逃避はこのへんにしておこう。
私はそっと視線を正面に向ける。
対面に座って風景を眺めているその青年は、黒髪黒目の端整な顔立ちをしていて、一目でただ者ではないとわかる美形だった。年の頃は私と同じくらいか、少し上ぐらいだろうか。整った顔立ちに気品が漂い、まさに皇族という言葉がぴったりな雰囲気を纏っている。
彼の名はオルディス・ヴァルター・フォン・グランツァルク。
神聖グランツァルク帝国の第一皇子であり、次期皇帝となる皇太子……らしい。
そして私の左隣にはなぜか、濃紺色の髪と同色の瞳を持つ少年が、すごく複雑な金属で出来た知恵の輪、みたいなものに熱中していた。
カチャ、カチャ、と金属がこすれる音が、静かな馬車内にやたら響く。
この少年については、正直まったく知らない。
自己紹介はされてないし、そもそもぬるっと当然のように馬車に乗ってきたし、オルディス殿下も何も言わない。
……え、誰?
オルディス殿下が何も言わないってことは、通りすがりの不審者でないことは確かだけど……仮に側近だとしても年齢がおかしい。見た感じ、結構幼い気がするし。十一、いや十二歳ぐらいだろうか。服は軽装の冒険者みたいで、皇族とか貴族っぽくないので身内って感じもしない。本当に謎すぎる。
知恵の輪に熱中していた少年はしばらくすると、大きくため息をつきながら馬車の天井を見上げた。
「つまんねー……」
口をついて出たその一言が、落ち着いた車内に不釣り合いなほど浮いていた。皇太子の前で不敬では……と思ったけど、オルディス殿下はまったく反応せず、相変わらず窓の外を見ている。その姿は凛としていて、ちょっとした一枚絵になりそうなほどだ。
が、その直後。
「おい殿下、仕事しろよ仕事」
あまりにも唐突な発言に、私は思わずギョッとした。
えっ、『殿下』はともかく、今『仕事しろよ仕事』って言った?
この少年、そんな軽いノリで皇太子に話しかけていい立場なの?
窓の外を見たままのオルディス殿下は、ほんのわずかに眉を動かしただけで、落ち着いた声音のまま答える。
「……仕事とは、なんだ」
「師団長が言ってたあれだよ。この女を帝国軍に勧誘するってやつ。殿下の仕事だろ?」
その瞬間、私の記憶にライナルト師団長の言葉が蘇った。
クービエ村を発つ前に彼が言っていた『ささやかな願い』――それは、王都に向かう私と途中まで同行し、その間は勧誘を継続させてほしい、というものだった。私が帝国軍への勧誘を断ったとき心底残念そうにしていたから、まだ押せばチャンスがあると思われたのかもしれない。
もちろん聖女としての使命がある私は丁重に断ったけど、どっちにしろ帰り道は途中まで同じだから、という理由で同行を強く拒否できなかった。ライナルト師団長にはいろいろと無駄足を踏ませた負い目があったのも大きい。それに同行すれば紙コップを王都に販売しにいく商人さんの馬車も、ついでに護衛してくれるって言うし。
ただ……まさか私を勧誘する人間が帝国の皇太子とは、夢にも思わなかったけど。
貴重な人材だと見込まれているとはいえ、一介の治癒聖術使いに帝国の皇太子が直接勧誘するなんて……そんなことある? いくら移動のついでとはいえ、何か陰謀的なものを勘繰ってしまう。勧誘行動にどんな陰謀があるんだよって言われても、ちょっと思いつかないんだけど。
しかもライナルト師団長本人は、まだやることがあると言ってクービエ村に残り、同行していない。言い出しっぺでしかも師団長なのに、皇太子に勧誘を丸投げして自分は残るとか……自由だなぁ、と思う。それを許す皇太子の懐が広い、とも言えるのかもしれないけれど。
そうつらつらと考えている中、少年の問い掛けにオルディス殿下は優雅に足を組み直しながら答える。
「俺と同じ馬車に乗らせている時点で、目的は果たしている」
あくまで平然と、オルディス殿下は言い切る。
私は思わず彼の横顔を見つめた。無表情とも、不機嫌とも取れるその顔には、感情の色がほとんど浮かんでおらず、真意を読み取ることができない。
「なんでそう言い切れるんだ?」
少年が淡々と問い返す。
オルディス殿下はようやく窓から視線を外し、私のほうを一瞥した。
その黒い瞳は何を考えているのかまるで掴めず、どこか底が知れなかった。
「俺が勧誘するという名目で同行している以上、この女に帝国軍への入隊を断る余地はない。それぐらいのことはこの女にもわかるだろう」
その言葉を聞いた瞬間、私は愕然とした。確かに彼の言う通りだ。
神聖グランツァルク帝国の皇太子が直々に勧誘してくるなんて、普通であれば断れるはずがない。彼の誤算は、私が『普通』ではないということだけだ。
ただ王都につくまで大人しくしていればミッション完了かと思ったら、まさか皇太子様の中ではすでに勧誘完了という認識だったとは……これは面倒なことになった。いや、断るんだけどね、使命があるから。
「あの……申し訳ありませんが、私、帝国軍に入る気はまったくありません」
私は思い切って口を開いた。
もうこうなったら、ハッキリと意思を伝えるしかない。
「ん……? なぜだ?」
オルディス殿下は心底不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。まるで予想外の答えを聞いたとでもいうように、眉をわずかに寄せている。
なぜって言われても……正直に理由を答えるわけにはいかないし、どうしよう。




