第27話 シスター・リシアは聖女じゃない
帝国軍が、聖女を捕まえに来た……?
「は、話が違うじゃないですか!?」
私はアルノー村長に詰め寄った。
もし仮に帝国軍が来るにしても、少なくとも二週間はかかるという話だったはず。
「なぜだ……? 通報を受けてから動いたにしては、計算が合わん。まるで、最初から近くに軍が展開していたかのような……」
アルノー村長がブツブツと呟いている。
いや、そんな悠長にしている場合じゃなくない!?
「あの私、逃げますので……!」
「いえ……お待ちください。ここで逃げるのは悪手です」
アルノー村長は私の肩を掴んで引き留めた。その表情は先ほどまでの朗らかさとは打って変わって、真剣そのものだ。
村の人たちもざわめき始め、心配そうに私たちのほうを見つめている。中には小さな子どもを抱きしめて震えている母親の姿もあった。
「逃げたら自分が怪しいと言っているようなもの。それに帝国の軍馬は速い。この村にある馬では、とてもじゃないが逃げ切れないでしょう」
「でも……だったら、どうすれば……!」
「落ち着いてください、リシア様……いや、シスター・リシア」
アルノー村長は私の両肩にそれぞれ手を置き、向かい合って安心させるように微笑んだ。
彼は堂々たる物腰でこちらを落ち着かせながらも、声をひそめ諭すように語った。
「キミは治癒聖術が得意な、一介の修道女だ。それ以上でも、それ以下でもない。ましてや二千年ぶりに現れた、女神様の加護を受けし聖女なわけがない……違うか?」
アルノー村長の言葉にハッとする。
そうだ。私は確かに聖女だけど、それはアルノー村長にしか言っていない。
私が表向きにやったことは治癒聖術を使うことぐらいだ。『森永製菓 おいしい大豆プロテイン コーヒー味 900g』だって、アルノー村長が王国の遠い街から仕入れたことになっている。
つまりアルノー村長が私を聖女だと言わなければ、何も問題はないのだ。
何しろ、私は聖女と信じてもらうことのほうが難しい、『食の聖女』なのだから。
それから少しして、帝国軍はゆっくりと村の中央広場へと入ってきた。
黒い金属の鎧が陽の光を反射し、パカパカと響く蹄の音が、ざわついていた空気を一層引き締めていく。
村人たちが道をあける中、隊列の先頭にいた隊長らしき壮年の男性が馬を下りる。それから兜を脱いで灰色の短髪をあらわにすると、鋭い視線で周囲を見渡した。
「この村に、聖女と呼ばれている修道女はいるか!?」
重々しい声が広場に響き渡り、空気が一瞬にして凍りついた。
私は思わず身を強ばらせてしまう。周囲では、同じように息を呑む村人の様子が目に入った。
しかしそんな中、前に出て隊長と向き合う人物がいた。
「はい。お答えいたします」
前に出たのは、アルノー村長だった。堂々たる足取りで隊長の前に進み出ると、私にちらりと目をやってから、にこやかに語り始める。
「聖女と呼ばれている者でしたら、確かにおります。こちらのシスター・リシアです。彼女は最近、治癒聖術に目覚められたらしいのですが、地元ではすでに治癒聖術使いが足りていたため、王都の教会本部を目指している途中でした」
そこでアルノー村長は一息ついて、溜めを作ってから話を続ける。
「そんな折、こちらの村で住民たちを癒やしていただいたのです。その治癒聖術の力に加え、誰に対しても分け隔てなく接する立ち振る舞いから、一部では『聖女様』と呼ばれ、村人から親しまれております。もちろん、比喩ではありますが……」
アルノー村長の話を聞くと、隊長は興味深そうに私を見つめた。
「ふむ……噂によれば、一日に何人もの病人を治療できるほどの治癒聖術使いだと聞いたが、それはまことか?」
「まことでございます」
下手に隠しても後でバレるからだろうか、アルノー村長は私の代わりに嘘偽りなく事実を述べる。
「村人に話を聞いたところ、彼女は一日に三十人近くの村人に治療を施してくださることもあったそうです。もちろん、軽症者が中心ではありますが」
「ほう……それはすごいな。いくら軽症者が相手でも、それだけの人数を治療するのは確かな力量がなければできん。しかし、見たところシスターは魔力が……いや、なるほど、体内に押し留めて抑えているのか。見事な魔力操作だ。素晴らしい……まるで凪のような静けさよ。我が軍にも、これだけの魔力操作ができる人間はそういない。これが天賦の才というものか」
隊長は感心したような声を上げた。その表情には敵意や警戒心ではなく、むしろ尊敬の念が浮かんでいる。しかも私に魔力がないのを体内に押し留めているとか、良い感じに勘違いしてくれてるし。
あれ……? 何かおかしいな。聖女を捕まえに来たという話だったのに、この隊長の態度は全然そんな雰囲気じゃない。むしろ、私に対して好意的に見える。
私と同じことを思ったのか、アルノー村長が眉をひそめて衛兵に近寄り、小声でコソコソと何やら聞いている。
すると村の衛兵が突然、大きな声で謝り始めた。
「も、申し訳ございません! 私の勘違いでした!」
「声が大きいぞ。……過ぎたことはもういい。次から情報は正確に伝えるように」
改めて謝る若い衛兵にアルノー村長は大きなため息をつきながら、こちらへと戻って来た。
「何事だ?」
隊長が不思議そうに尋ねる。
「いえ……うちの村の者が、少し勘違いをしていたようでして」
アルノー村長が衛兵から聞いた内容――つまりは、『帝国軍が聖女を捕まえにやって来た』という話を遠回しにやんわり説明すると、隊長はワッハッハと豪快に笑い声を上げた。
「帝国軍が聖女と噂されたというだけで人を捕まえていたら、帝国は今頃世界中の女神教信徒から猛反発を受けているわ。帝国領内には聖フェルシア教国もあるのだぞ? 自ら聖女を騙りでもしない限り、そんな理由で捕まえるわけがなかろう。我らも暇ではないからな」
「仰る通りで……」
アルノー村長が苦笑いを浮かべながら同意する。
私も思わず安堵の息を漏らす。さっきまでは冷静に考えられなかったけど、よくよく考えたら確かに隊長の言う通りだ。噂話ぐらいで捕まるはずがない。




