第24話 飲むだけでわかる優しさ
「あれは何ですか?」
「あれ? ……ああ、あれは村の人間が新たに作った発明品でな。紙コップという」
「紙コップ」
それっぽいとは思ったけど、まんま紙コップだったらしい。
「一昔前、王都で紙の大量生産が可能になった影響で、この村でも近年は随分と安く紙を買えるようになってな。それで村の商人が大量の紙で何かできないかと職人と試行錯誤して、茶葉や薬草を売る際に使い捨てできる容器をいくつか作ったんだ。その過程で出来たのがあの紙コップだな。内側には肉豆の油を塗って、水が沁みないようにしてある。ただ長時間は持たないし、熱湯を入れたら肉豆の油がすぐ溶けるから、限られた使い方しかできないが……」
「……アルノー村長、あの紙コップはこの村以外にも売っているんですか?」
「いや、まだ売っていないらしい。関係各所の反応がよかったら売るらしいが……そういえば例の病気関係でバタバタしていて、すっかり返事を忘れていたな」
「それはもったいないです! この村以外でも絶対にすぐ売ったほうがいいですよ!」
きっとこの世界で初めての紙コップだ。そんなの間違いなく需要があるに決まってる。
私は興奮しながら説明を始めた。
「考えてみてください。お祭りや市場で飲み物を売るとき、普通は客がマイカップを持参するか、お店の食器を使って店内で飲むかのどちらかですよね? でも紙コップがあれば、お客さんは手ぶらで来ても飲み物を買って持ち歩けるし、お店側も食器を洗う手間が省けます。特に屋台や露店では大活躍するはずです」
身振り手振りを加え、熱弁する。
「それに冒険者や旅人にとっても便利です。軽くて、重いマイカップを持ち歩かなくても、どこでも気軽に飲み物を楽しめる。使い終わったら焚き火のときに燃やせば荷物だって減らせる。需要は絶対にありますよ!」
「なるほど……あれを持ってきた商人も似たようなことは言っていたが、そこまで具体的には言っていなかったな。改めてそう言われてみれば、確かに需要がありそうだ。肉豆の油を使った紙コップの加工法はうちの村独自らしいし、他の使い捨て紙容器も含めて、もしかしたら特産品にできるかもしれないな……」
「絶対できますよ! 試しに使ってみても良いですか?」
「ああ、構わない。使ってみてくれ」
アルノー村長が食器棚を開けて、紙コップを一つ手渡してくれた。手に取ると、内側には肉豆の油がうっすら塗られていて、水を弾きそうな加工が施されているのがわかる。
そしてコップの外側は、優しい黄緑がかった色合いに塗られていて――そこでピーン! ときた。
これは、もしかして……と思いながら、私は急いで食器棚から追加で紙コップを取り出し台所に五個並べると、そこに牛乳を注いでいった。
「そ、そんなに飲むのか……?」
アルノー村長が心配そうに声をかけてくる。確かに冷たい牛乳を五杯も飲むなんて、普通に考えれば飲みすぎだ。今さっきの自分にセルフツッコミするみたいで恥ずかしいけど、乳糖不耐症とか関係なくお腹を壊してもおかしくない。でも私の狙いは別のところにあった。
牛乳が入った紙コップ五個を一か所にまとめ、私は深呼吸をしてからスキルを発動させる。
すると次の瞬間、黄金色の光に包まれた紙コップ群が消え、代わりに現れたのは――『雪印メグミルク アカディ おなかにやさしく 900ml』だった。
「なっ……!?」
アルノー村長が目を丸くして驚いている。無理もない。さっきまで紙コップに入っていた牛乳たちが一つになって、突然見たことのない容器に変わったのだから。
私はパックを持ち上げ、その表面を彼に見せる。
「これは『雪印メグミルク アカディ おなかにやさしく 900ml』という、神々の国で作られた乳飲料です。普通の牛乳と違って、お腹がゴロゴロする原因になる乳糖という成分が分解されているので、お腹を壊しやすい人でも安心して飲めるんです。つまり、アルノー村長も安心して飲める牛乳なんですよ」
そう言いながら私は自分が今さっき使ったコップにアカディを注いで、一口飲んでみる。
「――優しい」
口に入れた瞬間、じんわりと広がった甘さが、心の奥まで染み渡る。
まるで、そっと背中を撫でてもらってるみたいな。
口に含んだ途端、ふわっと柔らかくて、牛乳のまろやかさがちゃんとあるのに、お腹にはすっと入っていく。
さすが、私が前世日本にいた当時から四十五年以上もの歴史を積み重ねていた『アカディ』だ。飲むだけでわかる。これは、お腹に優しい……と。
実際、私が前世で『アカディ』を一日で七割ぐらいがぶ飲みしたときもお腹ゴロゴロしなかったからね。しかも大人になってから。
……あれ、なんか私前世で……がぶ飲みばっかりしてる?
まあいいや。
私は牛乳でお腹ゴロゴロに悩まされていたわけじゃないけど、『アカディ』は純粋に味が美味しくて印象に残っていたので、女神様へお願いする神食品リストに入れていたのだ。
私はもう一度コップに『アカディ』を注ぎ、そこに『森永製菓 おいしい大豆プロテイン コーヒー味 900g』をすりきり三杯入れて、スプーンでかき混ぜる。
それが終わって一口飲んでみると――もはや言わずもがなだけど、美味しい。
「よし!!」
思わずガッツポーズをしてしまった。
そんな私を見たアルノー村長が怯えた顔で、ビクッと震えている。
ふふ……いちいち挙動不審で申し訳ない。
ただね、あなたもきっとわかるはずだよ、この感動がね……。
私は心の中でニチャァとした笑顔を浮かべつつ、表面上は慎ましやかに微笑みながら、新しいコップを用意して今さっきと同じように『アカディ』を入れて『おいしい大豆プロテイン コーヒー味』を混ぜ、それをアルノー村長の前に差し出す。
アルノー村長はそれを見ると、牛乳自体にトラウマがあるのか、顔をしかめて後ずさった。
「うっ……やはり、飲まなくてはダメだろうか……?」
「無理にとは言いませんが……ただ、本当に美味しいですし、お腹ゴロゴロもしない可能性が高いので、少しだけでも試してほしいです」
絶対に大丈夫、とは言えない。食品は好き嫌いもあるし、体質は人それぞれだ。特定の食べ物がどうしても受けつけない場合だってあるだろう。
でも、牛乳を飲めない理由が『お腹ゴロゴロ』だけだったら……『アカディ』なら、大丈夫な可能性が高い。
――大丈夫、私を信じてください。
私は両手を胸の前で祈るように組み、アルノー村長の目をまっすぐ見つめて、心の中でそう呟いた。曇りなき眼で、誠実さを込めて。
あれ……今の私なんか、聖女っぽい雰囲気、醸し出してない?
普段まったくそんな感じじゃない自覚があるから、余計にそう思う。
アルノー村長は私の真剣な眼差しを受けて、しばらく逡巡していたが、やがて意を決したように頷いた。




