第22話 神の名を冠するにふさわしい飲み物
足りない栄養素を含む食料の安定供給――それらを商人さんやパン屋さんの協力を得ながら進めていくには、アルノー村長が中心となって動かなければならない。それに村全体の食生活を見直すための指導だって、見知らぬシスターである私よりも彼が担ったほうが、間違いなく説得力があるはずだ。
だからこの神食品の素晴らしさを彼に実感してもらい、心の底から女神様の奇跡、そして私のことを信用してもらわないと困る。半信半疑だったり、あまり気乗りしないでやってる仕事って人に伝わるからね。
「……それで、どうするんだ?」
「そうですね……まず、牛乳はありますか?」
台所に着いた後は、アルノー村長に言って冷蔵庫から牛乳を出してもらう。
この世界の冷蔵庫は冷凍魔石が一番上の段に置かれ、中段が冷蔵庫、下段が野菜室みたいな感じで、前世の古いタイプの冷蔵庫みたいになっているのだが、さすがは栄えている村の村長宅だけあって、兄さんの家にあったものより性能が良い。白いポットのような陶器に入った牛乳が、ちゃんと冷えている。
「この牛乳を、コップに注ぎます」
私は陶器のコップに牛乳を入れると、『森永製菓 おいしい大豆プロテイン コーヒー味 900g』の袋を台所にあったハサミで開封した。先にプロテインの粉末を入れると、溶けにくいからね。順番が大事なのだ。
「そしてコップに『森永製菓 おいしい大豆プロテイン コーヒー味 900g』を内蔵されているスプーンで、すりきり三杯入れます」
袋の中からスプーンを取り出し、適当に計量しながらコップに粉末を入れていく。水でも飲めるけど、私は牛乳で飲むのが好き。美味しいから。
「入れたら、内蔵されたスプーンは次にまた使うので袋の中に入れて、違うスプーンでかき混ぜます」
本当はプロテインシェイカーを使うのが一番良いんだけど、ない場合はコップに入れて混ぜるのでも大丈夫。まあシェイカー買ったほうが楽だけどね。
アルノー村長は私の一連の動作を、まるで錬金術師の実験でも見るかのような眼差しで真剣に見つめていた。
「はい、できました。こちらは……」
コップを持ちながら『森永製菓 おいしい大豆プロテイン コーヒー味』について説明しようとしたところで、前世の記憶が蘇った。毎朝、目覚めるのが楽しみになるほど美味しかった、『森永製菓 おいしい大豆プロテイン コーヒー味』の味わい……その記憶が。
ごくり、と喉が鳴る。
コップの中で美しいカフェオレ色に変わったプロテイン牛乳を見つめていると、もう我慢ができなくなってしまった。説明なんて後回しでいい。まずは、この懐かしくも素晴らしい味を確かめたい。
「……説明の前に、まずはいただきますね」
私は慌てたようにそう言うと、コップに口をつけた。
――次の瞬間。世界が、音を立てて変わった。
優しく舌に触れたのは、まろやかなコクと深みをまとった液体。甘すぎず、それでいて豆臭さも皆無。コーヒーの香ばしさと、大豆由来の優しさが絶妙なバランスで溶け合い、滑らかに喉を滑り落ちていく。
舌が歓喜し、身体が祝福し、魂が震えた。
まるで天から差し込む一筋の光。
いにしえの賢者が残した秘薬。絶望の中に差し込む希望の味。
それは、たかがソイプロテイン。されど、ソイプロテイン。
神の名を冠するにふさわしい飲み物である。
私はコップを置き、うっとりと目を閉じ、心の底から、言葉を紡ぐ。
「これです……これですよ……! この味わい、まさに神の所業! 信仰の対象に値するレベル! 口に入れた瞬間から幸福物質がドバドバと分泌され、理性が持っていかれそうになりました! コーヒーの風味は上品かつ芳醇、豆感ゼロのスッキリとした後味、でもしっかりとした満足感……! これは栄養補助食品の皮を被った、完全なるスイーツです! 嗜好品! 逸品! 神☆食☆品! 飲んだだけで人生を肯定された気分です! ああ、女神様……またこの神食品に巡り合わせてくれるなんて……まさに、神! 愛してます!!」
全身全霊で賛美の言葉を叩きつける私に、アルノー村長は引きつった顔で一歩、後ずさった。
「ふぅ……すみません。私としたことが、少し興奮してしまったようです」
深呼吸をしながら、私は髪を整えた。
久々の神食品、しかも前世で毎朝飲むほどのお気に入りだったということもあり、テンションが爆上がりしてしまった。アルノー村長にはちょっと引かれたかも。
でも仕方ない。魂に嘘はつけないのだ。
「少し……?」
アルノー村長の声は震えていた。彼の顔は青ざめ、まるで狂人を見るような目で私を見つめている。
……確かにさっきのテンションは、ほんのちょっぴり常軌を逸していたかもしれない。
だがこの感動を表現するには、あれでも足りないくらいだ。
私は咳払いをして、できる限り冷静を装った。
聖女としての威厳を取り戻さなければならない。
「それはそれとして、説明させていただきます。こちらは『森永製菓 おいしい大豆プロテイン コーヒー味 900g』といって、大豆……この村で言う肉豆のようなものから作られた、植物性タンパク質を主成分とした栄養補助食品です」
「植物せい、たんぱくしつ……とは?」
アルノー村長は眉をひそめながら聞き返した。当然の反応だろう。
この世界では、そもそも三大栄養素の概念からして一般的ではない。
「簡単に言ってしまうと、まずタンパク質は身体を作る材料などに必要な栄養素です。そして植物性タンパク質はお豆や野菜、穀類など、文字通り植物から取れるタンパク質ですね。ちなみに肉や魚、卵や牛乳などからは動物性タンパク質が取れます」
私はその後もアルノー村長に三大栄養素や、それにビタミンとミネラルを加えた五大栄養素の説明をしていった。
更にミレアちゃん、ラルフくん、エリーゼさんの三人が病気になった原因はビタミンB₁の欠乏であり、その栄養素が足りなくなった原因は今までなかった白パンを村人が食べるようになったから、という話も改めてしていく。
訪問して最初に説明はしたんだけど、かなり駆け足で話しちゃったからね。今度は時間をかけて、丁寧に順序立てて説明していった。村長も真剣な表情で聞いてくれている。
「いや、しかし……だとしたら、なぜ人によって症状に差があるんだ? そもそも、大多数の村人は病気にすらなっていないぞ」
「人によって栄養素が足りなくなる期間には個体差があります。それに白パン以外の普段食べているものによっても差が出ますし、この村で昔から食べられている肉豆にはビタミンB₁が豊富だと思われるので……」
アルノー村長が疑問に思った部分に対し、ひとつずつ丁寧に答えて説明していく。彼の表情を見る限り、訪問時とは違って私の言うことを素直に受け入れ、段々と理解し始めているようだ。




