第2話 出会うべくして出会った恋人
兄さんにちゃんと話を聞いてもらうため、私は奇跡の力――『万物を食べ物に変えるスキル』を使った。
そして竹のような植物、ラギを変換した結果、出来上がったのは――
――まさかの、『桃屋の穂先メンマやわらぎお徳用』だった。
「リシア……なんだい、それ?」
訝しげな表情で聞いてくる兄さんの言葉に、心臓がドクンッと高鳴る。
えっ……これ、説明していいのかな。
ヤバくない? いろんな意味で。
私がためらっていると、ふわりと柔らかな光が背後から差し込み、頭の中に女神様の声が響いてきた。
『それ、わたしが日本で買ったやつだから大丈夫』
「えっ……買ったんですか!?」
『そう。なんか必要な気がしたから、買っておいた』
女神様が当たり前のことをしたかのように、淡々と言う。
なんか必要な気がしたからって……そんなことある? 準備、良すぎない?
というか女神様、日本で買い物できるの……?
『じゃあ、がんばってね』
「あ、はい……ありがとうございます。いただきます」
私が柔らかな光に向かってお辞儀をすると、女神様は手を振りながら消えていった……ような気がする。実際は声だけで見えてないから、イメージだけど。
「リシア、誰と話してるの……?」
「女神様です。私の疑問に答えてくださいました。兄さん、今の光は見えませんでした?」
「光……?」
兄さんが訝しげな表情のまま、首を傾げる。
どうやら女神様が降臨した光は私にしか見えないようだ。
「見えなかったのならいいです。それより、こちらの食品です」
「食品? それ、食べ物なの?」
「もちろん食べ物です。『桃屋の穂先メンマやわらぎ』はですね、竹の子の柔らかい先端部分だけを使った、旨辛で香ばしいメンマです。乳酸発酵の風味にごま油と辣油が効いていて、ごはんやラーメンにぴったりな、辛すぎず食べやすく、そのままでも料理に使っても美味しい万能おかずなんです。個人的には『桃屋のやわらぎ』って呼んでますね。桃屋にはやわらぎじゃないメンマもあるので……ああ、話してたら食べたくなってきました。食べてもいいですか?」
「ごめん、ほとんど何を言ってるのか意味がわからないんだけど……」
「食べればわかります。ほら、行きましょう」
私は『桃屋の穂先メンマやわらぎお徳用』の瓶を万が一にも落とさないよう修道服の内ポケットに入れて手で押さえながら、くるりと背を向けて家の中へ戻った。兄さんは困惑しつつも、しぶしぶついてくる。
「兄さん、お米ってありますか?」
「あるけど……今からドリアでも作るの?」
違う、そうじゃない。
私はキッチンの棚を指差されて、中から布袋に入ったお米を取り出す。それは普段から見慣れている、細長い薄茶色のお米だった。前世でいう長粒種の玄米みたいな感じ。
この村ではお米を炊いて、そのまま食べるということはしない。兄さんの言う通りドリアにすると美味しいお米だけど、今私が欲しいのはこれじゃない。
私は、桃屋のやわらぎを――あの迸る旨味と、ごま油の香りが立ち上る奇跡の穂先メンマを――白いごはんと一緒に食べたいのだ。いや、逆だったかもしれない。白いごはんを、やわらぎと一緒に食べたいのかもしれない。
どっちでもいい。重要なのはそこじゃない。
とにかく今は、白くてふわふわの炊き立てごはんが欲しい。
私は箱からざざっとお米をすくい上げ、両手のひらにこんもりと乗せる。
そして天を仰ぎ、心の中で強く念じながら叫んだ。
「お願い……女神様。私に、今すぐ食べられる……最高に美味しい白ごはんをください!」
すると次の瞬間、お米がふわりと黄金色の光に包まれた。
兄さんが「うわっ」と声を上げて一歩引く。
光が収まったとき、私の手にはもう、生のお米はなかった。
代わりにそこに現れたのは――
「出た……『サトウのごはん 魚沼産こしひかり 200g』……!」
――少しだけ開いたプラスチックフィルムの隙間から、ホカホカと湯気の立つ、まっ白なごはんのパックだった。
私の鼻先に、ほのかに甘い炊き立ての香りが届く。
やった……もう電子レンジでチンしてある状態だ!
すぐ食べられるとか、控えめに言って最高すぎる……!
女神様、ありがとうございます!
私は熱々の『サトウのごはん 魚沼産こしひかり 200g』を兄さんの机に置いた後、キッチンの引き出しをガラリと開けた。中にはナイフやスプーン、そして銀色のフォークが数本並んでいる。
そうだ、この世界には箸がない。いや、正確には使う文化がない。だから今の私はフォークで白ごはんを食べるしかないという、前世の私ならちょっとだけ眉をひそめそうな状況にいる。でも、そんなことは些細な問題だ。
問題なのは、今この瞬間、このサトウのごはんを、桃屋のやわらぎと一緒に食べられるかどうか――それだけだ。
私はフォークを一本手に取り、リビングに戻って兄の机へと向かった。
「……この白いの、もしかしてお米?」
兄さんが目を丸くして、少し開いたプラスチックフィルムから覗く、白いごはんを見つめている。この村でお米といえば玄米みたいな精米されていないものが普通なので、当然といえば当然かもしれない。その驚きと戸惑いが混じった表情には、純粋な関心が浮かんでいる。
でも今の私には、兄さんの反応に構っている余裕はない。私は椅子に座り、机の上にあるサトウのごはんの薄いプラスチックフィルムを摘まみ上げる。
ぺりっ――という軽い音とともに、ホカホカの白い湯気がふわりと立ち上がった。
「ああ……」
炊き立ての、ほんのり甘いお米の香りが鼻をくすぐる。粒立ちのしっかりした、けれど艶やかでふっくらとした白米たちが、今まさに目の前で『私を食べて』と誘ってくる。
だが、ここで焦ってはいけない。
私は修道服の内ポケットに手を差し入れた。出てきたのは、例の瓶――『桃屋の穂先メンマやわらぎお徳用』。重厚感のあるガラス瓶の手触りが、これから始まる至福の時間を予感させる。
蓋をくるりと回して開けると、ふわぁっと広がる、ごま油と辣油の香ばしい香り。
この時点で、勝利は約束されたも同然だった。
私はフォークで、やわらぎを一度すくい、ごはんの上にそっと乗せた。続けて二度、三度、せっせと乗せていく。ごま油と辣油の赤みを纏ったやわらぎが、真っ白なごはんの上で存在感を放つ。香りのコントラストも完璧。視覚と嗅覚の両面で、ごはんの白さとやわらぎの艶やかさが高め合っている。
「……よし」
私は、一口分だけメンマとごはんをすくい、フォークでそっと口に運んだ。
――甘い。
ごはんの甘みが、思った以上にしっかりと立っている。もちっとした弾力の中に、米粒ひとつひとつの輪郭があり、それが口の中でふわりとほどける。そこに、やわらぎの優しくほどける食感と、ごま油の香ばしさ、ほんのりピリ辛な味が重なる。
優しくて、香ばしくて、ちょっとだけ背徳的な旨味。
これはもう――ごはん泥棒という表現では追いつかない。
「うんっま……!」
言葉が自然に漏れた。兄さんが笑いながら呆れている気配がするけど、もうどうでもいい。
私は黙々と、ごはんとやわらぎを交互にすくっては食べた。咀嚼のたびに、旨味の層が折り重なっていく。ごはんが口の中でやわらぎの味を優しく包み込み、まるでこの二つは出会うべくして出会った恋人のようだ。
――そう、これはまさしく奇跡のマリアージュ。
女神様に祈った結果がこれなら、元々ない信仰心も芽生えようというものだ。
女神様……アンタ、最高だよ。
っていうか、サトウのごはんと桃屋のやわらぎが純粋に美味しすぎる。
自然と頬が緩む。
本当に……美味しい。
気づけば目の奥が熱くなっていて、机の上にポタリ、と涙が落ちた。




