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第17話 女神様の思し召し

「誰かいませんか……誰か! 治癒聖術を使える司祭様……!」


 中年女性の声が、だんだん涙声になっていく。その様子を見て、近くにいた中年男性が慌てたように女性の肩を掴んだ。


「ポーラさん、やめなって……ここを通る商隊に、そんな司祭様がいるわけないよ。いたとしても……」


 男性の言葉に、ポーラさんと呼ばれた女性は激しく首を振った。


「そんなの、わからないでしょう!? 少しでも可能性があるなら、私は……!」


 そう言って、ポーラさんは男性の手を振り解く。その表情には、一縷の望みにすがるような必死さが浮かんでいた。


 見るからに何か深刻な事情がありそうだ。

 治癒聖術が使える身としては、放っておけない。


 一歩前に出ようとしたとき、私の考えていることを察したのか、ガレンさんが目の前に立ちはだかった。


「待て。商隊はもう出発準備を進めている。すぐに動き出すぞ」


「もうですか?」


 すぐに出発するとは聞いていたけど、予想以上に早い。私が振り返ると、確かに商隊は馬車の準備を整え始めていた。

 話を聞くと商隊はこの村との取引が初めてではないらしく、予定していた商品を卸すのにも、そう時間はかからないらしい。


「誰か……誰か! 助けてください!」


 ポーラさんの必死な叫び声が周囲に響き渡る。

 あの声を聞いて見過ごす、という選択肢はない。

 私は意を決してガレンさんに向き直った。


「ガレンさん、私はここで……」


「わかった」


 ガレンさんは私の言葉を遮るように言ってから、小さくため息をついた。

 そしてわずかに口角を上げ、商隊を親指で差しながら言う。


「出発を遅らせられないか、商隊長と話してくる。だが説得材料がないからな。できるなら急いでくれ」


「ガレンさん……!」


 ガレンさんの後ろではイレーナさんが微笑みながら頷き、エイリオくんが笑顔で親指を立てサムズアップしている。


「皆さん……ありがとうございます! 行ってきます!」


 私はすぐにポーラさんの元へと駆け寄った。

 こちらを見た彼女は一瞬目を輝かせるも、私の周囲に誰もいないことを確認すると、すぐ落胆したかのように表情を曇らせた。


 この世界では聖女様の影響か、女司祭は珍しくない。というより、むしろ男性より多いらしい。そして治癒聖術を使える修道女は、よほど若くなければすぐ司祭になる。つまり私の年齢で修道服を着ている時点で、治癒聖術は使えないと言っているようなものなのだ。大人になってから治癒聖術を覚えた直後、などという数少ない例外でもない限り。

 ただ、私はその数少ない例外だった。


「あの、私……治癒聖術が使えます!」


 その言葉を聞いた瞬間、ポーラさんの顔がぱぁっと明るくなった。


「本当ですか!?」


 彼女は私の両手を握り、涙を浮かべながら喜びを露わにする。

 しかし、隣にいた中年男性が慌てたように割って入った。


「いや、ポーラさん待て! アンタのところは治療費を払う金なんてもうないだろ!」


 その言葉に、ポーラさんの肩がびくりと震える。彼女の顔からさっと血の気が引いていくのがわかった。


 教会というものは基本的に領主や信者の寄付で運営されているが、それとは別に治癒聖術は法で『有償』と定められている。

 これは王国や帝国など国をまたいでも変わらず、治療費を払わなかった者も、受け取らなかった者も、等しく処罰される厳しい決まりだ。

 でも、それには抜け道もある。


「治療費はお気持ちで、足りない分は……食料などでいただく、というのはどうでしょう?」


 そう。形式上、ほんのわずかな額でも通貨が支払われれば、残りの代金は物品でも問題ないのだ。治療を受ける側から要望することは固く禁じられており、治療をする側もよほどのことがなければ提案してはならない規則だが、今回は私が『よほどのこと』だと判断したので問題ない。

 ポーラさんは私の提案に驚いた後、深々と頭を下げて感謝の言葉を口にした。


「あ……ありがとうございます! ありがとうございます!」


 一方、隣にいた中年男性はうろたえている。


「で、でも……そんなの、いち修道女が独断で決めてしまっていいのか? 上の人間が黙ってないんじゃ……」


「実は私、王都の教会本部へ向かっているのですが、現在は無所属に近いんです。それに地元で私の上司をしている司祭様は、実の兄でして。私には甘い……いえ、寛大なので許してくれます。なので問題ありません」


 そう言って私が微笑むと、男性は安心したような表情で頷く。


「そう、か……それなら、部外者が文句を言う筋合いはないな……」


「本当に、本当にありがとうございます……! すぐご案内します!」


 ポーラさんは改めて深く頭を下げた後、駆け足で自宅へと案内してくれる。私もその後を追い、村の中を進んでいく。道は石畳で舗装されていた。行商人がよく通るので、規模の割には栄えている村だという話は本当らしい。


 家々の間を縫うように進んでいくうち、少しだけ広い通りに出た。そこに建っていたのは、他の民家よりも多少立派な家だ。とはいえ、豪奢というほどではない。白く塗られた石壁は丁寧に仕上げられ、屋根に並ぶ黒灰色の薄い石板も質は良さそうだが、装飾らしい装飾は見当たらず、門扉もごく質素な鉄格子だ。


 扉を開けて中に入ると、木の床がわずかに軋む音がした。それから居間を通って、ポーラさんは寝室の扉を開ける。


「……この子です」


 ポーラさんは寝る我が子を起こさないよう、小声で言った。

 部屋の中には白いシーツの敷かれた簡素なベッド。その上に、茶髪の少女が寝巻で静かに横たわっていた。ポーラさんにどこか似た顔立ちだ。やや切れ長の目元と、きゅっと引き締まった口元が特に似ている。


 歳は十五、六くらいだろうか。まだあどけなさが残る顔だが、頬はこけ、唇には色がない。額には濡れた布が乗せられていたが、その下からうっすらと汗がにじんでいる。


 毛布の隙間から覗く手足は驚くほど細いが、逆に指先はわずかにむくんでいて、爪には血の気がない。足首や膝も腫れていて、ところどころ赤黒く変色している。


「これは……」


 何が原因でこうなってしまっているのかはわからない。けれども、かなり症状が進んでしまっていることは素人目に見ても明らかだった。


「すぐに治療を始めます」


 私は跪き、両手を少女に向けて治癒聖術を発動させた。柔らかな光が彼女の身体を包み込む。すると、むくんでいた指や足首、膝などが徐々に正常な大きさへと戻り、顔色も血色を取り戻していく。

 治癒聖術の光はほんの十数秒で収束し、部屋の中に再び静寂が戻った。


「……はっ……あ……」


 小さく息を吸い込むような音がして、少女の指先が動いた。


「ミレア……! ミレア、聞こえる!?」


 ポーラさんが少女の手を取り、震える声で呼びかける。少女──ミレアちゃんはうっすらと目を開け、母親の顔をぼんやりと見上げた。


「……お母……さん……?」


 それだけの言葉で、ポーラさんは堪えきれなくなったように涙をこぼし、その場に崩れ落ちた。


「よかった……ありがとう、ありがとうございます……! アナタがいなければ、どうなっていたか……!」


「いえ……これも女神様の思し召しですから」


 最初は勘違いから女神様に懇願した治癒聖術の力だけど、無理を言ってでも授かっておいて本当によかった。

 私はそっと立ち上がり、少し距離を取ってから、落ち着いたポーラさんに声をかけた。


「ポーラさん。……彼女の症状は、いつ頃から?」


「それは……」


 ポーラさんの話によると、ミレアちゃんは二か月前ぐらいから体調が悪くなり始め、先月には大枚をはたいて隣街の司祭様に治癒聖術で治してもらったものの、すぐにまた症状が再発してしまったらしい。


 他にも似たような症状が出ている人間が村に二人ほどいて、軽度な症状であればもっと数多くの人間がなっていることから、新しい伝染病や、または何かしらの中毒ではないかと村で調査はしているものの、まだ何もわかっていないらしい。


「そう、ですか……」


 思ったよりも大きい話に、目を伏せて考える。

 とりあえず、似たような症状が出ているあと二人をすぐ治療しに行くのは確定として……そのあとは原因を突き止めなければいけない。


「あの、シスター……私は……私はいったい、どうしたら……」


「ひとまず彼女には、栄養があって消化に良いものを食べさせてあげてください。一度に食べると胃がビックリすると思うので、ちょっとずつ。あとは……少し、調べさせてください」


 何かが引っかかる。

 もしかしたら、これはただの病気ではないのかもしれない。

 しかし、それを見極めるにはまだ情報が足りない。


 私はポーラさんに改めて自己紹介をした後、まだ待ってくれていた商隊と『黄金の風』パーティーのところへ戻り、三人に事情を伝えた。


「……というわけなので、ごめんなさい。私はこの村にしばらく残ります。だから皆さんは先に王都へ向かってください」


「そうか……」


 ガレンさんはそう言いながら腕を組み、納得したように頷いた。


「わかった。先に行かせてもらおう。短い間だったが、世話になったな」


 続いてイレーナさんが、肩をすくめて微笑む。


「ま、どっちにしろあと少しで解散だったしね。でもリシアちゃんと一緒に旅できて楽しかったよ。美味しいものもいろいろ食べさせてもらったし。将来は自慢しちゃうかも。何しろ今代の聖女様だからね」


 最後に、エイリオくんも元気よく親指を立ててくれた。


「機会があったらまた神食品、食べさせてほしいっす! オレたちも将来、リシアさんの伝記に載っても恥ずかしくないよう頑張るんで!」


「皆さん……」


 三人の言葉に感傷的な気持ちになっていると、御者の人から出発を促す声が飛んできた。

 私は慌てて商隊のお世話になった商人さんや冒険者さん、そして隊長さんにお礼を伝える。それから改めて、『黄金の風』の三人にも感謝の言葉を伝えた。


 門のそばまで見送り、商隊の馬車がゆっくりと遠ざかっていくのを見つめながら、私はひとつ深く息をつく。


 正直、私がこの村の問題を解決できるかどうかは、わからない。

 でも迷っていても始まらないし、歩き出してみなければ何も見えてこないから、今はまず前進あるのみだ。


 私は決意を新たにして、再び村の中へと足を向けた。

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