第15話 女神様の情報革命
紫色のニャク玉を元に『マンナンライフ 蒟蒻畑 ぶどう味』の召喚に成功してから、三週間後の早朝。
私は宿の自室で、またしても食材を前に頭を抱えていた。
「どうして……どうして召喚できないの?」
机の上には、道中で購入した様々な食材が並んでいる。
しかし、どれにスキルを使ってもこの世界の食品に変化するだけで、新たな神食品は一向に召喚されない。
新たな神食品だけじゃない。
私はすでに召喚した実績がある『桃屋の穂先メンマやわらぎお徳用』や、『サトウのごはん 魚沼産こしひかり 200g』、『なとり THEおつまみ 厚切ビーフジャーキー お徳用BIGパック』さえも出せなくなっていた。
ニャク玉はあれから買えてないから試していないけど、たぶん結果は同じだろう。
なぜ。どうして。いくら悩んでも答えは出ない。
最初の頃は、『まだ女神様が忙しいのかな』程度に考えていた。けれど、以前は確実に召喚できていたものまで出せないとなると、そんな呑気なことは言っていられない。
私の中で、ひとつの仮説が浮かんでは消えを繰り返している。
まさか……まさかだけど。女神様……怒ってらっしゃる?
心当たりは、ある。
千種類の神食品リクエストだ。
「はぁ……」
深いため息をつきながら、私は天井を見上げた。
そして今日も女神様に祈っていた。
女神様……千種類も神食品をリクエストしてごめんなさい。
もしお忙しかったら、先週お伝えした九百種類だけでも大丈夫です。
だからどうか、お手すきの際に神食品のご購入を、お願いします……。
祈りを捧げていると、部屋のドアがノックもなしに開いて、弓矢を背負ったイレーナさんが入ってきた。
日課である早朝の弓矢練習から戻ったのだろう。軽装の練習着には薄っすらと汗が滲んでいる。
「あれ? 起きてたんだ。……またスキルを試してたの?」
イレーナさんは机の上に散らばった食材と、変化後の食品を見ながら言った。
ここ最近は私が何度も似たような光景を展開しているので、ひと目で状況がわかったのだろう。
「はい。それと、女神様に祈りを捧げていました」
「そうなんだ。……まあ、気楽にね」
イレーナさんは背中から弓を下ろしながら、そっと自分のベッドに腰を下ろして弓矢の手入れを始めた。過剰に言葉を重ねたりはしない、彼女の気遣いが心に染みる。
『黄金の風』パーティーの三人は、私が神食品を一向に召喚できなくても決して責めたりはしなかった。むしろこのように、優しく接してくれる。
それが余計に、私の心を重くした。
私は……みんなを笑顔にできる力を持っていたはずなのに。
「さて、そろそろアタシは男連中を起こしてくるよ。そしたら朝食にしよう」
「はい。お願いします」
弓矢の手入れを終えた後、身体を拭いて服を着替えたイレーナさんは、ガレンさんとエイリオくんを起こしにいった。彼らは夜に鍛錬する派なので、朝はギリギリまで寝ているのだ。
私も朝食で食べる食品と、しまっておく食材を分けなければ。
しかし手を動かしながらも、私の頭は別のことを考えていた。
「女神様……」
治癒聖術の力をもらったとき以降、ずっと女神様のお声を聞けていない。
これは……もしかして直接、御名を称えたほうが良いのだろうか。
女神様は、正式には聖女神アルマというのだが、この世界では彼女の御名を口にすることは禁忌とされている。どれぐらい禁忌とされているかというと、幼い子供に聖書の内容を教えるとき以外、口にしてはいけないという法律さえあるぐらいだ。
そのため聖職者はもちろん、女神様のことを信じていない人さえ、その禁忌を犯すことは基本的にない。周囲に頭がどうかしている人扱いされるからだ。
しかし、実際に女神様と話してみたところ、彼女は割と話がわかる人……もとい、神であることが判明している。
だから御名を称えたぐらいじゃ怒らないというか、むしろ『御名を口にしてはならない』という禁忌自体、人間側が勝手に決めたことなんじゃないか説が私の中で浮上している。
女神様に直接聞いてはいないから、単なる私の想像でしかないけど。
……直接、御名を称えてみようかな?
でも、実は本当に御名を呼ばれるのが嫌で、激怒されたらどうしよう。
……ダメだ。一度そう考えたら、とてもじゃないけど御名を口になんてできない。
昔ならいざ知らず、今は本当に女神様がいると知っているし、何より極たまに会話できる聖女という立場だし、ガチ切れされたら超怖いし。
「あぁ……女神様、心の弱い私をお許しください……」
そう口にした瞬間、窓から柔らかな光が差し込み、女神様の声が聞こえてきた。
『リシア……毎日、謝らなくていいから。別にわたし、怒ってない』
「女神様!?」
私は椅子から立ち上がり、窓のほうへと向き直った。
そこには誰もおらず、ただ穏やかな光が差し込んでいるだけ。
それでも確かに聞こえた。間違いない、女神様の声だ。
「あの……女神様。本当に、怒ってはいないのですか?」
『怒ってない。でも……困ってはいる』
ほんのり眠たげな声音。
女神様の声は相変わらず優しく、確かに怒っている様子はない。
「困っている……それって、もしかして……」
『食品のリクエストが多すぎる』
あぁ……やっぱり。
千種類はさすがに欲張りすぎだったみたいだ。
「すみません……あの、百種類ぐらい減らして、九百にしますので……」
『それでも無理。多すぎる。疲れちゃうから、そんなにいっぱい買いに行けない。わたし、車の運転できないし』
「え……?」
思考が止まる。
……今の話、聞き間違いじゃないよね?
え、徒歩? 女神様が?
「女神様、もしかして歩きで買い物に行ってらっしゃるのですか……?」
『そう。日本で神の力を使うとすごく疲れるから基本、歩き。リシア、一度召喚したものは山ほど召喚しようとするし……毎回、すっごく疲れるから、そんなにいっぱい食品買いに行けない』
「………………」
言葉が出なかった。
いや、いろいろと突っ込みたいことは山ほどあるけど、まずは一番大事なことを聞かなければ。
「女神様、あの、日本にはネットスーパーというものがありまして……」
『ねっとすーぱー? なにそれ、美味しいの?』
ですよね。わかってました。
なるほど……これは説明が必要そうだ。
そもそも、女神様って日本に住所とかあるんだろうか。
「あの……女神様って、日本に住んでらっしゃいます?」
『住んでないけど、拠点はある。1Kのアパート借りたから』
「1Kのアパート!?」
こちらの世界では唯一無二の神様で、信仰がほとんど失われた今でさえ法律にも多大な影響を及ぼしている、絶対神的な女神様が!?
……やばい、敬虔な信者じゃない私ですら、なんか涙が出てきた。
せめてもうちょっと良いところに住んでほしい。1DKとか。
『普段は住んでないんだから、そんな大きい部屋必要ない。それに信仰もそこまで失われてない。あと、リシアはもっとわたしを敬うべき。いろいろやってあげてるのに、不敬』
「あっ……ごめんなさい」
そういえば女神様は心を読めるんだった。迂闊。
変なことは考えないようにしなきゃ……無、無、無……。
……でも、二千年も寝過ごしてた人(神)に敬えって言われてもなぁ。
いろいろやってあげてるって言っても、今思えば世界の滅亡を盾に取られて、言ってもない本心を元に誘導尋問されて、半ば強制的に食の聖女になったような気もするし。見方を変えれば邪神だよ、邪神。
『………………………………』
「あぁっ! ご、ごめんなさい!」
考えちゃいけないって思ったら、ついブラックリシアが出てきてしまった。
普段はそんなこと全然考えてないのに。それもこれも女神様が悪い。
『今から滅びの聖女になる人、見つけようかな……』
「ごめんなさいぃ……反省してます……」
『……冗談。その程度でわたしは怒らない。それにそういう、今までの聖女にないところを見込んで声をかけたから、責めたりもしない。ただ、ひとつだけ言わせて』
「は、はい……なんでしょう?」
さすがに、邪神だよ邪神は言い過ぎだっただろうか。
『わたしは、元から千年寝るって決めてたから……寝過ごしたのは千年。二千年も寝過ごしては、いない……』
「…………………………あ、はい」
『……………………………………………さすがに、傷つく』
「行間にない内心さえも読まないでくれます!?」
そこまでされたら私はどうにもできない。
というか、早くインターネットとかネットスーパーの説明をしたい。
イレーナさんがエイリオくんとガレンさんを連れてくる前に……って、あれ?
そういえばイレーナさん、遅すぎない?
『大丈夫。さっきからそのドアの前で、三人とも聞き耳立ててるから』
「えっ……」
あの三人は私が女神様と会話できることを知っている。
知ってはいるんだけど……でもそれって傍から見ると、というか聞いてると、宙に向かって独り言を言ってるヤバイやつなんだよね。
……あんまり聞かれたくないなぁ。
『それで、いんたーねっと……あと、ねっとすーぱー? って何? 教えて』
「あー……はい、わかりました」
仕方がない。『黄金の風』パーティーのみんなには少し待ってもらうことになるけど、女神様にインターネットとネットスーパーについて伝えるほうが最優先だ。
これで女神様がネットスーパーを使うようになれば、神食品の召喚状況が格段に改善するかもしれないのだから。
「えーと……ではまず、インターネットからなんですけど」
かくして私は、女神様に現代日本でインターネットを使えるようにする方法を、一から説明することになった。