第8話『新たな担任』
賢哉のことが気になっていた雅也は、体育館での入学式及び始業式の会場設営とホームルームが終わった後、生徒指導室へと向かっていた。その途中、外から12時のサイレンが鳴り響いた。生徒指導室の前にやってくると、ちょうど中から生徒指導主任の有賀が出てきたところだった。
「あの、有賀先生。門野君は……」
「ああ、あいつならもう帰ったよ」
とだけ言うと、素っ気なく去っていった。
「帰った……?」
唖然としつつも、雅也は再び2年2組の教室に戻ると、鞄からスマホを取り出して、賢哉に電話を掛けた。
「何だ?」
と、賢哉は何事もないように出て、電話の口からはボートレースの走行音が聞こえてきた。
「何だよじゃないでしょうが。あれ、まさか競艇場行ってる?」
「ああ」
「まあ良いや。それで、頭髪のことどうなった?」
「整えてこいって言われた。これ終わったら、床屋行ってくるつもり」
「整えるって、どうするの?」
「左右の短さに合わせるしかないだろうな」
賢哉は翌朝、坊主頭になって登校してきた。中学時代から野球部として活動していただけに、賢哉の坊主姿に大きな違和感がなかった。
「せっかくモヒカンにしたのにな」
残念そうに呟く賢哉に、雅也は呆れ顔で、
「春休みはそもそも2週間近くしかないんだよ。やるんなら、せめて夏休みにしなさいよ」
「でもあれだよな。今坊主にすると、髪が伸びるまで結構時間かかるだろうな」
賢哉の右隣の席に座る悠喜が、まじまじと賢哉の頭部を見つめた。
「あんまり覗くなよ」
「まあ、かどけんはスケベだからすぐ伸びるでしょ」
軽く流すように雅也が言うと、賢哉はムスッとして、
「お前も言うようになったな」
「だてに1年一緒にやってないよ、クラスメイト」
そんな他愛もない会話をしているとチャイムが鳴り、教室の前の扉から、見慣れない中年男性教師が入ってきた。瘦せ型で顔は面長だが、出目金のように目が大きいのが印象的であった。その男性教師は、黒板に大きく自分の名前を書いた。
「今年度、2年2組の担任を受け持ちます、西沢隆雄です。専門教科は家庭科です。この春に赴任してきたばかりで分からないこともあると思いますが、よろしくお願いします」
クラスの持ち上がりと同時に担任も尾形がそのまま受け持つと思っていただけに、教室内には少なからず驚きや戸惑いの表情を見せた生徒が何人もおり、雅也も同様であった。
昨年度2組の担任をしていた尾形安代が、駿の移動先である2年4組の担任になったという話は、入学式及び始業式が終了した後に廊下で会った駿から聞かされた。また英語の教科担任でもあった佐藤篤は、今年も学年主任を継続することになった。
式典が終わると生徒たちはそれぞれの教室に戻り、ホームルームが行われた。学年通信や時間割表など、新学期は配布物も多かった。最後に西沢が配布したのは、修学旅行についての案内だった。
「おい、これ見てみろよ。修学旅行だって」
前席に座る賢哉から渡されたのは、『2年生修学旅行について』と書かれた一枚のプリントだった。
「そっか。2年生だと、修学旅行があるんだもんね」
雅也が物珍しそうにプリントを眺めると、ちょうど西沢が話し始めたところだった。
「今配ったのは、修学旅行についてのプリントです。記載の通り、修学旅行は2泊3日で北海道に行きます。スケジュールや持ち物など細かい連絡については、詳細が決まり次第、学年集会を開いて連絡します。まず、この案内を保護者の方に渡してください」
担任が変わったことで戸惑っていた生徒たちも、修学旅行の話題になるとすっかり不安も消えていた。この頃から修学旅行への準備で各々は動いていき、雅也は一磨や良樹、そして一磨と同じ和太鼓部で活動する高階康行と共に北海道の名物や観光スポットを調べ始めていた。康行は地元私鉄の駅長を務める父の影響もあり、俗に言う電車オタクだったため、普段は物静かで大人しいタイプだったが、地理や観光についての予備知識はクラス随一であった。
「小樽運河に、白い恋人パーク……いろいろありそうだね」
ある日の授業後、教室に残った雅也は良樹や一磨と共に、取り囲んだ康行のスマホの画面を眺めていた。昨年1年間情報の授業を受けていた影響もあり、雅也は視力が低下して細かい文字が見えなくなっており、以前はたまにしかかけていなかった大きな赤縁メガネを、新年度からは常にかけるようにしている。それでも小さい文字が見えないため、雅也は前のめりになって康行のスマホの画面に映る北海道の観光スポットをまとめたサイトの文章を黙読していた。
「そういえば、来週班決めだって西沢先生言ってたけど、どうしようね」
伺いを立てるように康行が雅也たちに聞いてくると、
「そりゃ、この4人で一緒なのは確定だろ」
良樹はそう言ったが、一磨はふと冷静になり、
「でも木内は、門野君たちと調整したほうが良いんじゃない?」
「あ、そっか……」
すると雅也は微笑んで、
「大丈夫。かどけんと相談して、宿泊部屋でかどけんや志田たちと一緒になって、それ以外のところでかっちゃんや良樹や康行と一緒になれば良いだろうって」
「そっか。そういうやり方もあるんだよな」
一磨は納得するように頷いていた。
新学期になってからも、英語の授業は佐藤が担当し、新しい単元が始まるたびにチェックされる予習ノートも健在で、雅也の英語のノートは相変わらず、武を中心にクラス中に回覧板の如く回されるほどの人気だった。また、体育や理科、数学が苦手な雅也にとっては、中学時代から成績の良い家庭科の授業が2年生で行われることは嬉しく、興味津々であった。西沢の行う授業に耳を傾けながら、雅也はのめりこむように授業に陶酔していた。
そんなある日、西沢の授業を聞いていた雅也は、廊下側の席に座る寧々が机に何かを書いている姿を目にした。授業が終わり西沢が出ていくと、雅也は寧々のもとへ向かった。
「なあ、濱口。さっき、何か書いてなかった?」
「ああ、これのこと」
寧々が机を指さすと、そこには『正』という文字がいくつも並んでおり、何かを数えていたのかと雅也は予想した。
「何か、数えてたの?」
「西沢の咳払いの数」
「え?」
すると寧々の前に座る、ボブカットが特徴の滝由紀恵が振り向いて、
「だって、西沢の咳払い、気になるでしょ」
「暇なことしてるんだね」
雅也は呆れ顔で寧々と由紀恵を見た。
「ちなみに今日はね、23回咳払いしてた」
寧々は『正』を数えると、生徒手帳を取り出して、
「一昨日の授業はね、19回。先週木曜日の授業が21回で、その前も15回から20回の間をさまよってたから、今回が最高記録だね」
「まさか、ずっと記録してんの?」
生徒手帳に記したメモを読んで嬉しそうに話す寧々を見て、雅也は驚いたように尋ねた。
「何か面白いことを見つけないとさ、やってけないじゃん」
雲がかかったように寧々が呟くと、由紀恵もやれやれと溜息をついて、
「安代ちゃん、戻ってきてくれないかなぁ」
寧々や由紀恵の話によると、女子たちの中で、かつての担任である尾形に戻ってきてほしいという話を時折し合っていると言うのだ。ただでさえクラスに女子が6人しかいない環境で、新しい担任が尾形ではなく、まだ学校の環境にも慣れていない赴任したばかりの、しかも男性教師ということが不安材料となっていたのだ。
「安代ちゃんの代わりにはなれないかもしれないけど、俺で良ければいつでも相談に乗るから」
真面目な表情で言った雅也に対して、寧々は苦笑し、
「やっぱり、あんたは2組のママだね」
「ママ?」
「男子とも女子とも分け隔てなく対応できる力があるのは、このクラスでママだけなんじゃない? 私もそれは思うよ」
寧々に賛同するように由紀恵も頷いた。
北海道の修学旅行で浮かれている最中、小さな悩みや問題もあるという現実を、雅也は寧々や由紀恵の話を聞いて思い知らされることとなったのだった。