第7話『友との時間』
年が明けて間もなく新学期が始まった。しかし、3学期が始まって1週間もしないうちに、悠喜が別クラスの男子生徒と殴り合いの喧嘩をして停学謹慎処分になってしまう事件が起きた。その日、日直だった雅也は夕方一人で教室に残り、学級日誌を事細かに記入していた。そこへ、悠喜と同じ中学でもあった寧々が血相を変えて教室に入ってきた。
「木内、大変ッ……。志田が……」
学級日誌を書いていたボールペンにキャップをすることも忘れて、雅也は寧々に案内されて生徒指導室へと向かった。
雅也と寧々が生徒指導室の前までやってくると、ちょうど悠喜が中から出てきたところだった。
「志田、どういうことなんだよ。謹慎って……」
走ってきた雅也は息を切らして尋ねたが、悠喜は平然とした顔で、
「大したことないよ」
「大したことなくて謹慎になんてなるわけがないでしょ」
「ちょっとした痴話喧嘩だよ。ただ、ちょっとやりすぎて相手殴っちゃってさ」
寧々は心配そうな顔で、
「相手は大丈夫なの?」
「別に病院送りにするほど殴ったわけじゃないから。ただ、一発か二発殴っただけ」
「こういう時って、喧嘩両成敗で向こうも謹慎になるの?」
と、雅也は相手の様子を気に掛けるように質問すると、悠喜は鼻で笑った。
「元々向こうが吹っ掛けてきたからな。あいつも処分されるのは当然だろ」
「売られた喧嘩を買っちゃったわけだ」
呆れ顔で寧々が小さく呟いた。
「まあ、しばらく休むんでよろしく。謹慎課題さえちゃんとやれば、後はどんな風に過ごしても良いんだって。木内も一回謹慎経験してみたらどうだ。気が楽になるぞ。じゃあな」
呑気そうに去っていく悠喜の後ろ姿を、雅也と寧々は見送った。
「志田もブレないねぇ。中学から全然変わってない」
「何か周りで問題が起きるたびに、俺一人だけが大袈裟に心配してバカみたい」
ふと雅也は険しい顔になって腕を組んだが、寧々は慰めるように、
「そんなことないよ。みんな平然としてるように見えるけど、心から心配してくれる木内の存在をありがたいと思ってるんじゃない」
「どうだかね」
「今だって、私が木内に報告したら、すぐに飛んできたじゃない。志田にとっては、そういう木内の行動が嬉しいんじゃないかな」
賢哉や駿の無断アルバイトの時もだったが、雅也は周囲の人間が謹慎処分になったことに対して呆れることはあるものの、人間として嫌いになることはできなかった。それは、賢哉も駿も悠喜も、入学当初にできた友達という特別な存在であったからである。
1年2組の教室に戻るまでの道中で、寧々はそんな雅也の心境を察しているかのように、
「まあ、入学当初から関わってきてもうすぐ1年になるんだもん。情が入るのも無理はないか」
「うん……」
「そんな木内に、こんなこと言うのは酷だと思うんだけど……」
何か言いたげな寧々を、雅也は怪訝そうに見つめた。
「きのしゅん、あんまり関わらないほうが良いかもよ」
「え……?」
「最近、かどけんと木内しか、きのしゅんと喋ってないことに気づいた?」
雅也は黙り込んでしまった。寧々の指摘の通り、2学期末から学校に来るようになった駿だが、休みがちになったり、ここしばらくは自分や賢哉としか口を聞いていないことは、内心雅也も気づいていたのだ。
「私も、きのしゅんのSNSの投稿見た。正直、ああいうかまってちゃんは、関わるとかえって面倒なことになると思うよ」
「……」
「これが現実なの。クラスの子たちは、ブログで自分の思いを発信してもっと自分を見てほしいっていうきのしゅんの存在に呆れてるの。木内の性格は、私だってよく分かってるつもり。だからこそ、あんたの性格は、時に仇になるんじゃないかって思ってる。私の忠告は、頭の片隅に置いといてくれれば良いからね」
教室に戻ってくると、寧々は荷物をまとめてすぐに帰っていった。キャップをし忘れたボールペンに気が付くと、雅也は筆箱から別のボールペンを取り出して学級日誌を書き始めたが、駿のことが頭から離れず、『生徒所感』の欄への記入に長い時間をかけてしまっていた。
雅也のクラスである1年2組は、全日制普通科の中でもITの授業を中心に行う『情報コース』で、基本的にはクラスはそのまま進級することになっていた。駿から普通科の中の『文系コース』に2年生からクラス編入することを雅也が聞かされたのは、学年末考査が終了して間もない2月中旬のことであった。
「そう……クラス変わっちゃうのか」
駿の話では2学期末の段階でクラス編入を決めており、担任である尾形にも相談済みで、このまま何も告げないつもりだったらしいが、せめて雅也にだけは伝えておくように賢哉に諭されていたというのだ。
「けど1年生が2組で良かったって思ってるよ。そうじゃなきゃ、うっちーとも出会えなかったんだから」
2人きりの教室は、寂しく冷たい空気が流れているようであった。
「こういう時、何て声かければ良いんだろうね……」
「うっちーがそんなこと気にすることないよ。クラスが変わっても、別に会えなくなるわけじゃないし」
駿は微笑んでいたが、それは無理をした作り笑いであることが、雅也には分かっていた。
「明日も、学校来れる?」
3日ぶりに登校してきた駿に、雅也はふと尋ねた。
「さあ、どうかな」
苦笑して駿はごまかした。その後駿の登校は、おおよそ平日の間で1~2日程度にとどまっていた。欠席するたびに、雅也は駿の空席を眺めることもよくあり、賢哉や1ヶ月というスピードで謹慎から復帰した悠喜と何気ないいつものクラスでの時間を過ごしながら、駿のことが頭の片隅から離れなかった。
謹慎や欠席などで出席日数の不安はあったものの、賢哉も駿も悠喜も何とか進級することができ、何とか一同揃って1年生を終えることができた。
賢哉から写真が送られてきた通知に雅也が気づいたのは、ちょうど自宅で春休みの宿題をしている時だった。この1年で、メッセージよりも電話のほうが多いことを知り尽くしていただけに、雅也は訝しそうにスマホを手にして、トーク画面を開いた。
「何だ、これは……!」
絶句するように、雅也は濁声になった。
賢哉が送ってきたのは、美容院で仕上げてもらったモヒカン刈りの写真だった。頭部の左右が短く刈られ、中央部はまるで鶏冠のようにきれいな一直線だった。
『どうしたの?』
雅也が慌ててメッセージを送ると、一言、
『モヒカン』
とだけ返信が来た。そんなこと見れば分かると思ったが、雑誌やテレビでしか見たことがなかっただけに、身近な人間がモヒカン刈りをしたことに驚きを隠せなかった。
『まさか、その髪型で学校来るなんて言わないよね?』
『ワックスで固めてこの状態だから、何もつけない状態で行くよ』
賢哉からそう返信があったが、雅也は妙な不安がよぎっていた。
入学式と始業式の前日は出校日であり、2年生になった雅也は第二棟の2階にある『2年2組』の教室へ入った。新たな教室に駿の姿はなかったが、他に幾人かの生徒の入れ替えがあり、新年度は男子30人と女子6人の顔ぶれでスタートした。
新年度最初は五十音順の座席となっていたので、ちょうど1年前と同様、雅也は賢哉の後ろの席となった。賢哉の後ろ姿を見るなり、雅也は思わず吹き出してしまった。
「何がおかしいんだよ」
賢哉が勢いよく振り向いてきた。
「だって、明らかに真ん中と両サイドの毛髪量が違うんだもん」
雅也は必死に笑いをこらえて言った。ワックスを付けた状態でモヒカンになっていたが、いざワックスを取ると賢哉の髪型は、不自然に真ん中だけ膨らんでいるような状態だった。
「これぐらいなら大丈夫だって」
賢哉は呑気そうに答えたが、チャイムが鳴って尾形は入ってくるなり、賢哉の目の前までやってきて、
「門野君、今すぐ生徒指導室に行きなさい」
「はいはい」
賢哉が渋々立ち上がって教室を去っていくと、雅也は悠喜と苦笑と呆れ顔になって顔を見合わせた。
「だから言わんこっちゃない……」
2年生の1年も、とんでもない出来事が起こりそうな気がすると、雅也は察していた。