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「まだ、こんなものじゃないでしょう?」
朋美は蠱惑的な笑みを浮かべる。
両手で掴まれた手を反射的に振り払おうとするも、驚くほどにガッチリと握られている。
「クソっ!離せ!」
羽を上手く使って少し滑空し、手を捕まえる朋美に向かって蹴りをいれる。もちろん、そんな雑な攻撃が当たるはずもなく、朋美は掴んでいた手を離して体を捻るように後ろへ飛ぶ事で避ける。
華麗に着地した朋美と目が合う。しかし、それも一瞬の事。すぐに距離を詰めて、次は下から掬い上げるように左手を突き出す。手のひらには少量の魔力が込められており、触れれば小さな爆発が起こる。
小さな赤い光りを纏った左手は朋美の腹目掛けて近づく。それを朋美は避けるのではなく、手首を掴む事であっさりと止める。止められる。それも今度は両手で止めた訳ではなく、片手でしっかりと握って止めている。
そして空いていた手を裏拳の要領で決められる。その衝撃は手をぶつけられて起きた衝撃だとは到底思えなかった。手首を掴まれていたので衝撃を逃す事もできなかったのが大きい。
口の中に血の味が広がる。痛み自体は薄いのだが、頭に貰った衝撃で頭がふらつく。
「ほらほら、もう一発」
朋美の手が横から迫るが、これはしゃがむ事で回避する。掴まれた手は引っ張ったので、ついでに掴まれていた手首も解放される。
そのまま足のバネを使い、大きく2歩3歩と距離を離す。
「やっぱり思った通りだわ。初めて見た時からあなたにはビビッときていたのよ。あなたのその目、今は赤く染まっているけれど、私と同じ目をしてる」
「……は?」
「殺人衝動を備えた目。それでいて平穏を望む矛盾した信念。そうやって複雑に絡み合って揺れる目が私と一緒」
「もしそうだったとして、お前は一体どうしたいんだ。俺もこんな人外チックな見た目をしてるが、俺も中身はただの人間だ。ムカつけば殺したくなるが、人を殺すのには躊躇する」
それが現代人の性であると勝手に解釈している。容易く他人に向かって「殺す」や「死ね」など心の中に、或いは口に出してしまうのが人である。そして言葉にしたのは良いものの、実際に行動へ移してしまうのが良く言えば行動力のある人間、悪くいうならば異常者だ。
そして自分は前者であり、相当な事がなければ殺したくはならない。そう勝手に思っていたのだが、明らかに後者側の人間である朋美が同じだと言っている。会って数時間の人に何がわかるのかと言う話ではある。
「俺はお前みたいに好んで人を殺さない。人を殺めるのに笑顔を浮かべない」
「そんなに必死で否定している方が自覚あるように聞こえるわね。本当は気づいているんでしょ、心の底では楽しんでる。主人公のように無双できることを。人を殺すことを」
彼女の言葉からは奇妙な力を感じて、これ以上は話したくない。決して真実ではないはずなのに、それがまるで真実であるかのように語られる。当人であるはずなのに、彼女の話すことがまるで本当であるかのように。
吸血鬼として最大限の力を発揮しているはずなのだが無性に怖くなり、彼女の言葉に対して応えることはせず、口を閉ざす。
それを朋美は肯定と受け取ったようで、返事がないことなど気にせず続きを話し始める。
「そもそも、貴方の言うムカつけば殺すなんて話は極論だよ。そう考える人だって勿論いるでしょうね。けど、ムカつかなくたって人を殺したい人だっているし、慈善の気持ちで殺す人もいる訳だよ?」
朋美は手を広げ、大袈裟に語り始める。
「そうやって沢山の考え方がある中で、貴方と私は一緒だと思いましたよ?」
「……なんでだ。なんでそう思う」
「言ったでしょう?貴方の目が私と一緒。それに貴方は人を殺す時に笑顔を浮かべないと言ったけれど、戦ってる時の貴方は笑顔だったわよ」
嘘だ。そう思い、徐に自分の顔を触りまくる。当然、今の状況で笑顔が貼り付いている訳もない。触る限り顔は真顔、というより緊張で少し強張っているまである。
笑顔は浮かんでいない。
そこで少しホッとしてしまったのが間違いだった。彼女の言葉による攻撃は依然続く。この時のクロには自身の時間制限など頭から抜けていた。抜けさせられたと言った方が正しいだろうが。
「そもそも、そんなに否定する必要はないじゃない。私と貴方が同類というだけ。自分を知れて良かったんじゃないかしら」
「…………」
「だんまりね。ま、それは良いわ。私が言いたいのはその先の事だもの。貴方、私のモノになる気はない?」
また疑問符が出そうになったところを喉元で止める。朋美の意図が掴めない。自分で言うのもなんだが、存在としては珍しい上に、吸血鬼化していればその戦闘能力はこちらの世界の異能力者の中では有数だと自負している。
なので勧誘する事自体はあり得る話だと思うが、この状況で勧誘されて「はい、なります」となると思っているのだろうか。
「その顔、疑ってますね?それは当然の事なのですが、……一応貴方も組織の人間として、顔には気をつけた方が良いわよ」
「うっさいな!そもそも、俺みたいな情操教育を受けていないただの一般人が、難易度の高い重要任務を受けさせるのがおかしいんだ!」
「へー、そうなんだ?貴方も苦労しているのね。貴方のお話、ぜひ聞かせて下さいな?」
その時は何故か、時間が限られているのはわかっていたはずなのだが口は驚く程に軽く、なんでも朋美に話したい気分になっていた。




