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何度も言うが、吸血鬼の身体能力は人より優れている。それは感覚器官と同じで、視覚や聴覚も人より断然に優れている。その真価は夜に発揮されるものだが、今は夜ではないらしい。感覚としては夕方と言ったところか。
具体的な時間が分かったところで、夜まで相手が待ってくれる訳もないのでそこは良い。真価がはっきりされずとも、人より優れている事には違いない。例え、偽物の吸血鬼だったとしても。
その優れている目で朋美を一寸たりとも離さず見ていたにも関わらず、朋美の姿はそこから忽然と姿を消したのだ。しかも、不意に浮かべた笑顔以外はどこも体を動かしてはいなかった。
「どこだ、どこへ行った?」
視界だけに頼るのではなく、目を瞑る事で他の五感全てを動員して探すが、近くにいるのはアハトのみでそれ以外は見つからない。
「いやいやいや、全然気配がないんですけど。人なら呼吸の1つや2つしてるだろ!」
「先輩、自信はどこへいったんですか」
「うるさい……ってなんで俺の後ろに立ってんだ!」
あろう事かアハトは背中に張り付かない程度の距離で立っていた。近くにいる事は確認していたが、完全に意識から外していたので流石に驚いてしまう。
「経験からです。私が負けた時の話、してなかったですよね」
「そうだな。今、1番聞きたい情報ではある」
「簡潔に言うと、今みたいに姿を消した後、全く別の場所から現れていました。透明化や認識阻害の類とは違いそうです」
透明化ではない事はわかっていたが、認識阻害の異能力かどうかはクロではわからない。何せ、既に認識を歪められていると、他人に解除してもらわないと気付きはしないのだから。
認識を阻害する力は異世界でも対策をしていなければ、格上にさえ効いてしまうその力は有数の強力な能力だった。植物型の魔物による幻惑の花粉にはどれだけ苦しめられたことか。もう思い出したくもない。
そうやって過去を回想していたのも束の間、真正面から動きがある。
「ふーん、イチャつくだけはあって良いコンビなのね。ま、そこのお嬢ちゃんがしっかりしているからかしら」
朋美の声は聞こえる。だが、肝心な本人の姿がどこにも見当たらない。大きな気配もないので何処かに相変わらず隠れているようだ。
「煽るだけ煽って、お前は隠れんぼか?確かに可憐なお嬢様は戦うなんて野蛮な事はできないよな」
「そう、私は可憐な美少女!君達みたいな野蛮な戦い方はしないの。なんて言うんだったかな?花のように舞って……だっけ」
「蝶のように舞い、蜂のように刺す、だ。って消えてるだけだろ」
「先輩、戯言に付き合わないで集中して下さい。背中から刺されでもしたら許しませんよ」
背後から感じる必要のない殺気を放たれる。その冷ややかな言葉が殺気を高め、チクチクと背中を刺されている気分になるので口を噤む事にする。朋美にも聞こえていたのかそれ以降、彼女の方から話しかけてくる事はなくなった。
そうして生まれた呼吸の音だけが聞こえる張り詰めた空間の中で、堪え性のないクロは頭の中でまた物事を考えてしまう。
アハトの事をよく見ていないが戦わせて良いのか。これだけ時間が生まれたのなら朋美の異能力について詳しく聞くべきではないのか。広げた翼がアハトの邪魔になっていないか。そもそも朋美はもう1度、戦うために姿を現すのか。
様々な事が同時に頭の中へ浮かぶ。これはクロの悪癖だ。何もできない人間だと言うのに、考えだけは頭を巡るので他人よりも行動が余計に遅くなる。考えを張り巡らせ、複数の事を同時に行えるというのは素晴らしい事ではあるが、それは出来た人間だけに許された行為。凡人は凡人なりに1つずつこなしていくのが正しい。
故に外付けされた力を持った凡人が複数同時に行おうとした結果、生まれるのは"遅れ"だ。
目の前の空間が割れ、そこから日本刀が突き出される。背後にはアハトがいるので避ければ一緒に貫かれる可能性がある。それだけは後ろを、勝手にだが信頼されているのでやらせる訳にはいかない。
覚悟なんて決めてる暇もなく、日本刀相手に右手を反射的に突き出す。突き出された右手と日本刀はぶつかると、右手に刺さる、事はなく右腕を沿っていくように後ろへと飛んでいった。
そう、日本刀は誰の手にも握られていなかったのである。握られていなかったので、右腕とぶつかっても刺さる事はなく切創がつくだけにおさまったのだ。それでも傷は傷。血が流れ、痛みも発生していた。
「ぐっ!」
痛みというのは思考を鈍らせる。そうやって判断が後手へ後手へ回された結果、次の朋美による攻撃に対しても反応が遅れてしまった。
「ほら、反応が遅れてるよ!」
声がした方を見上げると次は拳銃が空に浮いていた。しかも、銃口はアハトの方へ向いているのが明確にわかる角度。実質的に傷がつかないクロよりも、異能力以外なら容易く傷つけられるアハトへ攻撃を向けるのは当然の事。そして彼女は1度、アハトを負かしているので物理的攻撃に弱い事にも気づいているはずだ。
「くっ!アハト、伏せろ!」
瞬間、3発の銃声が階段に鳴り響いた。




