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異世界帰りのアルバイター  作者: 糸島荘
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1-53


 ただのパンチに名前をつけて繰り出した一撃は、発射された銃弾を吹き飛ばすほどの風を起こす。後ろにいるアハトには風が向かないよう大きく開いた翼でガードしながら。


 進みたいのは上なので、虚空に対して角度が浅めのアッパーを放つ態勢をとる。格闘センスなんてものは生まれた時から皆無なので不安しかなかったが、生まれた風は上に立っていた軍団の一部に穴を開ける事に成功する。


「ちょっと失礼」


 寝ているアハトの背中に素早く手を回す。奇しくもお姫様抱っこというアハトに知られれば小言を10個は言われそうな抱え方になってしまう。


 それを承知でこの抱え方をしたのは効率というよりも、羽が生えているので背負えない、かと言って小脇に抱えながら全力疾走するのは不安が残る。残った抱える選択肢がお姫様抱っこだったというだけである。


 抱える過程で決して「女の子って柔らかいんだな」なんてやましい気持ちにはなっていない。決して。


 そうしてアハトを抱えて走り出し、行く当てもなく階段を登る。見たところ、集団1人1人の実力は双子のように異常に高いようには感じられない。しかし、何処か機械染みた動きをしているのは気のせいだろうか。


「っと着地成功。からの猛ダッシュ!」


 10点の着地を見せてから体を捻り、そのまま止まる事なく階段を駆け上がっていく。どうやら来ていた集団は邂逅した2グループだけだったようで、足音は遠くなっていく一方だった。


 7、8階分登ったところで登るのを辞める。上に上がろうとも変わらない景色にうんざりしながらも、窓や出口がある事を願って歩き出す。


 そしていつまでも腕の中でぐっすりと眠る眠り姫に声をかける。


「アハト、そろそろ起きてくれ。立って走ってくれないと、身体能力でごり押すしかないんだよ」


「……別にそれでも良いんじゃないですか。先輩?」


「やっぱり気がついてたか」


 出来るだけ丁寧に運んだつもりではあったが、揺れるわ、触られるわという状況で寝ていられるのなら相当図太い。アハトは普通の人間ではないので起きているとは思っていたが、ここまで目を開ける事はなかったので寝ていると図太さが発揮されるのではないかと少し疑っていたが、そんな事はなかったらしい。


「ゆっくり寝れたものじゃないですよ。女の子を運ぶのならもっと丁寧に扱って下さい」


「銃弾が飛び交う中で丁寧に扱えるか!」


「そんなのだから先輩はモテないんですよ。それよりいつまで抱えているつもりですか」


 ペシペシとこちらの腕を叩き、早く下ろせと行動でも示してくる。命を張って助けてやった者への態度ではないのだが、彼女相手にその事を突っ込むと面倒くさい事になるので口をバッテンにして黙っておく。


「もう歩けるのか?」


「まだ怠いですが、なんとか体は動かせます」


「なんとかって、まだ本調子じゃないなら抱えられといてくれ。守りながら戦うのは面倒だ」


「弱っちい先輩に守られるなんて事はないでしょうが。そうですね、ここは大人しく従っておきます」


 いつもいつも生意気な事しか言わない後輩だ。見た目は可愛いだけに損していると心の底から思う。


 アハトが目覚めたのなら聞いておく必要がある。


「アハトさんや、この場所についてご存知か」


「なんですか急に。というより知らずに途方もなく走っていたんですか?流石は先輩」


「う……うるせぇ!見た事も聞いた事もない場所なんだから仕方がないだろ」


 対策課の仕事では情報をあまり与えられない。トカゲの尻尾切りのように、扱いづらい異能力者をすぐ切れるように、内通者だったとしても被害を深刻化させないために、などと隊長は言っていたが最低限の情報で動かされる現場はたまったものじゃない。


 そんな人情のない方針だからこそ裏切り者が現れるのではないかとも思うが、結局はどちらが先かという話であり、既に諦めた話だ。しかし、その諦めた過去が今、壁として邪魔をしている訳だ。アハトは上から信頼されているのか、この場所について知っているようで、溜息を吐いてから呆れたように話し始める。


「先輩はホテルの地図を覚えていますか」


「多少は。……ってここ、あのホテルなのか?」


「おそらくはそうです。地下が駐車場だったのは覚えていますか」


 記憶の片隅に仕舞われたホテルの地図を思い出す。めんどくさいと思いながら見ていたのでぼんやりとした記憶にはなるが、確かに地下には2階層分の地下駐車場があった。巨大なホテルの割に規模の小さい駐車場だと思った記憶がある。


「あぁ、覚えてるよ。駐車場がどうしたんだ」


「小さいと思いましたよね。あれはこの場所があるから拡張できなかったからです。本当にあるのかは半信半疑でしたけどね」


「それが実際にあったと。でもここがその地下かはわからないよな」


 可能性としては高いと思う。がしかし、アハトがおそらくと言ったのはここの情報が掴めていなかったという事になる。つまりは結局ここが何処かはわからない、という事になる訳で。そしてそれはアハトが頷いた事で確信へと変わってしまう。


「ですが、それ以外考えられません。なので先輩は早く階段を登れるだけ登ってください」


「お前も確かな情報がないじゃん!ああもう、お前と会話してると馬鹿になっていく気がする!」


「先輩は元から頭が良くないでしょう」


「うるさいよ!ああもう、起こしたのは俺だがもう一回寝ていてくれ、お願いだから」


 一気にうるさくなった後輩を抱えながら元来た道へと戻ろうと振り返ったところで気づいてしまった。話しながらも気にせず歩いて進んでいたので気づかなかった。


「あれ、俺どっちから来たっけ」


 見慣れぬ場所を地図なしで歩き回るとどうなるか。それは方向感覚が優れている大人でも起こる事。つまり、迷子である。

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