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僕の夢の中に嫁いできた君は僕の宝物だから。

作者: 白柳

 秋雷(あきら)は平凡ではない。

 平凡以下の存在である。

 これまでの人生で面白かった事はなく、これからの人生も面白い訳がなかった。

 秋雷は社会の底辺を這いつくばって生きている、そんな人間なのだ。


 運動神経が悪くコミュニケーション能力が無ければ、小中高という学生生活は地獄のようだ。

 親友の岩男(いわお)は秋雷と同じように運動神経が悪く、コミュニケーションも得意ではなかったが、勉強が出来た。

 勉強が出来れば、そこそこのポジションが得られるのだ。

 秋雷は頭も悪い。


 秋雷も岩男も容姿には自信が無かったが、名門大学に進学した岩男には彼女が出来たと風の噂で聞いた。

 秋雷は大学受験にも失敗し、専門学校へ行ったが、暫くしてそこも辞めた。

 秋雷の人生に希望はないし、夢もなかった。


 子供の頃に「こんな大人になりたくない」と思った大人の姿は、とても遠い存在だった。

 普通の大人になることが難しい。


 しかし、最近、秋雷(あきら)には変化があった。

 秋雷の夢の中に嫁いできた女の子がいるのだ。

 誰も信じてくれないかもしれないが、その子は秋雷の夢の中に存在している。


「君を好きになったのは別に偶然ではないし、運命でもないぞ」


 その子は言った。


「どうして僕の夢の中にやって来たの?」

「君が好きだから」

「ぼ、僕を」

「私たちは人の夢の中にだけ存在する生命なの」

「夢だ、これは夢なんだ」

「そうだよ、君の夢だよ」

「僕のことが、好きなの?」

「そう、好き」

「どうして?」

「好きになることに理由が必要なのかな?」

「理由を聞かないと、信じられないよ」

「そう?」

「そうだよ」

「私たちはね、色々な人の夢の中を行ったり来たり、そう、時には主役になり、脇役にもなる」

「僕の夢の中で、君は主役だったはず」

「そうよ!」

「とても、輝いていた」

「そうなの!」

「なぜ、僕を選んだの?」

「分からない、あなたのことが好きになったの」

「でも、僕は君のことを何も知らない」

「知る必要がある?」

「僕と君の関係はどうなるのかな?」

「私はあなたの奥さんになったのよ」

「えっ、奥さんに?」

「そう、結婚式をしましょう。純白のドレスを着るわ」

「唐突だな」

「愛はね、常に唐突なの」

「夢が覚めて、僕の日常には君はいない」

「そうね」

「夢の中でだけ、君に逢えるの?」

「私たちは夢の中にしか存在できないの」

「君の名前は?」

「ジュリエッタ」


 初日の夢はいつもの夢よりもリアリティが高く、起きた後もよく覚えていた。

 秋雷(あきら)はいつもと変わらない日常を送る。

 朝起きて、パンを一枚食べる。

 職場は工場だ。

 一日中の立ち仕事は慣れても結構つらい。

 夕方に家路につく頃には、身も心も結構つらい。

 結構つらいことに結構慣れてしまった自分がいる。


 もし今晩、秋雷の夢の中にジュリエッタが出てきたとしたら、秋雷の人生は少し前向きになるかもしれない。

 秋雷自身、それを望んでいるのだ。


「おかえりなさい」


 ジュリエッタはほほ笑んだ。

 昨日よりも鮮明に顔を判別できる。

 栗色の長い髪の毛を後ろに束ね、目は碧い。

 吸い込まれるような綺麗な瞳と、滑らかな白い肌、薄いピンクのドレスを(まと)う。


「そんなにジッと見ないで」

「君があまりにも綺麗だから」

「名前で呼んで欲しい」

「ジュリエッタ」

「あきら、愛しているわ」

「僕もだ」


 甘美な夜を過ごした。

 夢ならば覚めないでくれ、と何度思ったことか。

 そして夢は覚めるのだ。


 秋雷(あきら)は現実社会での恋愛経験がない。

 しかし、夢の中で、秋雷は一人前の大人の振る舞いができた。

 ジュリエッタを優しくエスコートし、彼女に悦びを与えることができた。

 秋雷は夜を待った。

 秋雷にとっての日常は、昼間ではなく夜になった。


「昼間の生活なんて、どうでもいい。とにかく早く夜になって欲しい」


 秋雷は薄暗い寮の階段を足早に昇り、部屋の灯りをつけることなく、ベッドに潜り込む。


「おかえりなさい、あなた」


 ジュリエッタの笑顔で迎えられる。

 なんて幸せな日常なんだろう。


「ご飯はまだ?」

「うん、君の手料理を食べたくてね」

「いま作っているところよ。今日はビーフシチューにするの」

「楽しみだ」

「とても良いブイヨンが手に入ったのよ、お肉もとても良いわ」

「君が作る料理は間違いないよ」

「あら、お世辞かしら」


 ジュリエッタの作るビーフシチューは絶品だった。

 古いワインを合わせて、二人で食卓を囲む。

 食後は寝室でジュリエッタと一つになる。

 凄く幸せな時間だった。


「ねえ、あきら」

「なに?」

「結婚式だけど、来週の日曜日はどうかな?」

「特に予定はないし、大丈夫だよ」

「その前に私の両親に会ってもらえる?」

「もちろん」

「よかったぁ」


 翌日、ベッドに入り眠りにつくと、ジュリエッタが待っていた。


「さあ、これに乗って」


 大きな車だ。


「ファンタムよ」

「ファンタム?」

「ロールスロイスのファンタム」

「高級な車だ」

「私の実家の車なの」

「君の実家は、聞いてなかったけど」

「私の実家は、一応、王家なの」

「王家?」

「ええ、でも安心して。長女だけど、兄がいるわ。家督は兄が継ぐことになるの」

「でも、す、凄いね、王家って」

「あなたも王族の一員になるのよ」

「実感がないよ」

「あなたがいて、私がいる、これが全てよ」

「ジュリエッタ、ずっと君と一緒にいたい」

「だめよ、あきら。私は夢の世界の住人。あなたが毎晩きちんと眠らないと、私はあなたと同じ世界を共有できない」

「起きている時が一番つらい」

「私に逢えないから?」

「もちろん」


 お城の中庭にファンタムが到着すると、黒い服を着た数人が待ち構えており、すぐにドアが開く。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「こちら、私のフィアンセの秋雷(あきら)さん」

「秋雷様、ようこそ、お越し下さいました」

「ど、ども」


 宮廷のような城内へ案内され、ジュリエッタの両親に挨拶をする。

 娘を宜しく頼むとか、そんな感じで、数十メートル向こうに座る父親の姿も母親の姿も、秋雷にはよく見えなかった。

 それでも喜んでいるジュリエッタの笑顔が眩しかったのだ。


「ぼ、僕、大丈夫だったかな?」

「えっ?もちろん、大丈夫に決まってるじゃない」

「会話らしい会話なんて出来なかったし」

「当り前よ、父は国王だわ、こんなもんよ」

「そうなのか」

「そんなことよりも、あなたの今後が心配よ」

「ど、どういうこと?」

「この間、言っていたでしょう?起きている時が一番つらいって」

「うん、言ったね、本当につらい」

「あなたと私は夢の中でしか夫婦になれないの」

「うん」

「だから、あなたはちゃんと毎晩早く寝て、私に逢いにこないといけないの」

「わかっているよ、そんなことは、僕は毎晩……」

「待って、聞いて。私は外の世界のあなたに干渉することはできないの。あなたは外の世界では自由だわ。自由に女の人と過ごせるし、結婚することもできる。私はいつも不安でいっぱいなの」

「そんなこと心配しなくても」

「心配なの!」

「そ、そんな」

「ごめんね、あきら。あなたのことが好きだから」

「僕も、君のことが好きだ、ジュリエッタ」

「あきら」


 ジュリエッタとの濃厚な夜は一瞬で過ぎてゆく。

 秋雷(あきら)は起きている間、つまらない日常と格闘するのだ。

 以前の何倍も何百倍も、つまらない日常と。

 ずっと寝ていることが出来れば、ジュリエッタと過ごすことができるのに。

 秋雷はいつの間にか、夢の世界に魅入っていた。

 現実と夢の狭間は、途轍もないほどの深い谷底になっており、それを毎回乗り越えることは苦難だった。


「嗚呼、ジュリエッタ、君は僕の宝物だ。夢の中だけでなく、現実世界でも君が欲しい」

「それは無理なの、あきら。あなたと私は、この夢の中でしか」

「ジュリエッタ」

「あきら」


 毎晩の繰り返しだ。

 だが、確実に夢の中にいる時間が増えていく。

 秋雷は仕事を辞め、短時間の肉体労働で生活費を稼ぎ、夕方前には眠りにつく。

 工場勤務のときには昼食で一回は食事を摂っていたが、それも無くなった。

 食事は夢の中で、三食、ジュリエッタの手料理を食べる。

 それで不思議とお腹は満たされていた。


「もう限界だ、ジュリエッタ」

「どうしたの?あきら?」

「ここに居れば何でも手に入る。君の父親が仕送りもしてくれる。十分過ぎる程の額だ。それに、君とこうして過ごせる時間がたくさんある。僕は幸せだ」

「私も、幸せよ」

「ここにずっといたい」

「だめよ、あきら」

「なんで?」

「あなたの肉体は現実社会にあるの。その肉体が生きていない限り、私と夢の世界で逢うことは出来ないわ」

「現実社会の僕はもう、生きていけないよ」

「それはだめ、だめよ、あきら。死んでしまってはだめなの」

「でも、君に逢わない時間が辛すぎる」

「それでも、あなたは生きるのよ」

「嗚呼、ジュリエッタ」



 三年が過ぎた。

 秋雷(あきら)の身体は、三年間まともな食事を摂らなったとは思えないほど、しっかりと肉付きもよく、身体自体は少しも衰えてはいなかった。

 彼は命を落とす直前まで肉体労働を続けていたという。

 最期に彼を診た医者は、彼が健康な身体のまま、幸せな表情のまま逝ったことから、まさか栄養失調による多臓器不全が死因だとは思えなかったという。

 寝れば逢える、ジュリエッタに逢える。

 秋雷はそう思いながら、目を閉じたのだった。



「お父様、またダメでした」

「そうか、ジュリエッタ、残念だ」

「私が悪いのかしら」

「いや、お前が悪い訳ではない。お前の魅力が、きっと彼らを破滅させてしまうのだろう」

「私はただ、夢の中でだけ幸せになれれば良いのに」

「きっと彼らも初めはそう思ったはずだ。だが、徐々に、夢の世界に魅了されてしまった」

「お父様、また夢を徘徊しますわ」

「次はきっと、強く立派な意思を持った者と出逢うだろう」

「はい、お父様」

「行っておいで、ジュリエッタ」



【完】

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