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離婚してくださいませ。旦那様。

離婚してくださいませ。旦那様。

作者: あかね



「離婚してくださいませ。旦那様」


 その日、にっこにこの笑顔で、私は宣言した。

 呆然としている夫(仮)を見てとても胸がすっとする。

 このアイリスになって一週間だけど、我慢にも限界がある。



 アイリスは、二年ほど前に嫁いできた、らしい。らしいなのは、記憶がないから。記憶喪失でもなく、よくありがちな死体に新しい魂つっこまれて生き返った。

 なんでもアイリスが死んだのは事故で、ばれると上の人に超絶に怒られる、らしい。私に頼み込んできた天使様が言ってた。

 アイリスの死因は薬の過剰摂取。助かるはずが数分のミスで死亡されてしまったと。


 医師の処方が間違えていたのではなく、飲み薬を用意した侍女が誤った。このくらい平気よねと倍量用意して飲ませたっていうんだから事故じゃなくて、故意に近い。

 天使の所業もかなり故意的な事故だ。


「もう見てらんないのよ。アイリスちゃんかわいそう。超絶不幸、いっそ死んだほうが楽な気もしてきて判断ミスしちゃった」


 とは天使様のありがたいお話だ。

 もうね、意図的に入れ替えやがったなと肩を揺さぶってやった。私が不幸になるのはいいのかと聞けば、いやぁ、たくましいでしょと半笑いしやがった。


 そんな態度に即刻拒否したのだけど、その後の人生好きにしていいからと拝まれてこの体に入ってる。寿命もちょっとばかり伸ばしてくれるそうだし。チートも用意してもらった。

 ちなみに元々のアイリスの魂はと言えば、私の体に入ったそうだ。


 私のほうは私のほうでちゃんとフォロー人員があるそうなので、そっちはそっちで上手くやってほしい。うん、まあ、私も問題はあったのだが大丈夫だろうか。親の結婚しないのからの孫が見たい攻撃とか、兄嫁からのマウントだの、後輩からの彼氏寝取られだの。

 それの総決算のような日に痛飲して、道路ですっこけて魂が抜けふらついていたらしい。それを捕獲からの入れ替えだったようだ。最初は事故でなんて取り繕っていたから怪しいと問い詰めたら……。

 気づかいされる私の死因!


 ……ま、まあ、それはいいんだ。誰かに聞かれることもないけど、聞かれたらトラックが突っ込んできたとかいうんだ。 


 なお、魂の扱いについての規約で抜け出たら同じ体に戻してはいけないことになっているらしい。元の体に戻せないというのはそういう理由。

 で、もしかして、私もうっかり死ではないかと確認したら、あはははと笑って、チートってなにがいいって向こうの同僚から聞いてるよと。

 賄賂か、口止めなのか。ありがたくいただきますけれどもね?


 というわけで、同じ体じゃなくて別の体ならいいじゃんと押し通した私の世界の天使とこの世界の天使の詭弁により生き返ったのである。


 一回分の人生得したと思えばいいのだろうか。

 でも、この新生私アイリスの境遇は良い感じではなかった。

 『チート予言書れんあいしょうせつ』が指針として役立つといいけど。


 さて、この世界は私の世界で知られていたゲームでも小説でもアニメでもない。類似的発展はしているけれど、少し違うそんな世界だ。

 時代的には石炭による蒸気機関から石油への変換の途中あたり、産業革命に類似したものはすでに起こっている。労働力として、女性も工場で働くことが最新流行となっているらしい。

 上流の女性にとっては未だに働くことは恥ずかしいこと。それでも慈善活動は活発で世論などを武器に政治の世界へ乗り込む直前。

 前時代よりは窮屈ではなく、私が生きていた時代よりはとても自由がないそういう時代。


 多少の自由はあるけど、この世界での女性はまだ結婚で人生が左右される。自力で稼ぐ手段はそれほど認められず、ごく一部の例外を除き家の相続ができるわけでもない。ただ、一部資産は特定の年齢で本人に使えるようにとか年金という形で与えられることもある。でもそれだけで生活するのは難しい。


 それはつまりは、悪い結婚が、悪い人生に直結する。

 アイリスのように。


 アイリスは子爵家の二女。昔は貴族であれば優雅に暮らせたようだが、今はそうではない。ある程度、事業を采配し利益をあげねば表面上の生活すら危うい。これは、税収についての改革があったから。


 先代の女王様が、私は国と結婚したと宣言して未婚主義。それに伴って国の民はすべて私の子供なんだから、すべて私に帰属すると暴論をかましたそうだ。

 それ以前は貴族はそれぞれの領地を持ち、領民は基本的にはその貴族のものという認識だったそうな。まあ、最低限の対処をしない場合には領地を取り上げられるし、当主すげ替えくらい軽くするからそっちもそれなりにきびしかったようだけど。

 そんなわけで領地での収入はそのまま貴族家の収入だった。それが、女王が私の子供だもの私が管理するわと言いだしたというわけで。


 血みどろの抗争の末に貴族は敗北。今までの慣例を覆し、土地は国のものを貸していて領民は国民となった。貴族は管理している領地の税金を決まった額を集め、国に納めることが義務で怠った場合、罰せられる。

 もちろん、これにも抗って反乱はあった。しかし、国外からがっつり最新兵器を手にしていた先代女王様に試し打ちとばかりに一方的にやられたらしい。

 その結果、改革と施行後の反乱で粛清されて貴族家も半分になったというから恐ろしい。


 なお、この女王様。未婚主義でも逆ハーレムは嫌じゃなかったらしく、男を侍らせていた記録が残っている。ついでに男女二人ずつ子をもうけているので、結婚にまつわる色々を排除したいだけだったのだと推測できる。

 夫なんて持ったら王配と言いながらも指図されそうだし。


 現在はその長男が国王をしているが、女王陛下が偉大過ぎて影が薄い。話題になるのは、女癖の悪さというあたり有能な女王陛下も子育てには苦戦したらしいと察することができた。親が強すぎるとコンプレックス山盛りだわねと理解できなくもないが……。


 女王陛下は君主としてはすごいなと思うけれど、その結果が我が家に降りかかってくるとそうも言ってられない。前時代に戻りたい。優雅に生活したかった。

 そうアイリスが思ったかどうかはわからない。私だったら女王様がひどいと嘆いている。


 よくありがちに事業失敗からの借金。それ以前からも多少借金はあったものの本格的に首が回らなくなり、最初に姉が嫁に出された。

 アイリスより二つ上の姉は、遠方の男爵家の後妻になった。なんでも金持ちだそうだ。最初に私に縁談が来れば慌てて結婚させることもなかったのにと両親が悔しがっていた。

 ちなみに姉のほうが美人だった……。なお、姉は新しくできた娘が可愛いのとテンション高めの手紙がきたのであちらは問題ない、と思いたい。


 その次の生活費が枯渇してからの金策で嫁に出されたアイリス。相手はなんと侯爵様。ただし、恋人ならいいけど、夫にはしたくないと言われるような遊び人。真っ当な貴族家からはやんわりと断られ続けついに格下でもいいかと妥協したのだと思う。そうとでも思わないとつり合いが取れない縁談だった。


 ちなみに今時の良い嫁ぎ先はイケてる商会の頭取だそうだ。お金持ってるし、貴族だからと丁重に扱ってくるし、事業へのアドバイスもくれたりする。娘婿としては最高である。

 そういうわけで貴族の貴公子が人気という時代は過ぎ去りつつあった。

 まあ、事業も成功して、顔もよくて、貴族であるというならば別だがそっちはどちらかと言えば一般庶民のお嬢さんがあこがれる感じだ。

 同じ貴族家だと色々めんどくさいことが増えてイヤということになる。気楽な方を覚えてしまえばそっちがいいものだ。私もそっちが良かったと思うんだ。いっそ商人のお嬢さんになりたかった……。


 さて、跡取りの弟はと言えば、事業が好調な時期に生まれたせいか楽天的な憎めないクズで姉二人の処遇には少しも興味なかった。

 姉さんが結婚するの、おめでとう。良かったこれから小言言われないと喜ぶところどうなのと。


 あと一人残った妹が大変心配である。天真爛漫、悪く言えば山猿。末っ子と甘やかしているからこうなってるのにと姉二人で遠い目をしたのも二年も前。今、十四歳のはずだけど大丈夫? あの子、騎士になるのと木刀ぶん回してたんだけど、平気? 慣例的に存在する女騎士は木刀ぶん回したりしないよ? 誰か間違いを指摘し続けてほしいのだが。


 ……。

 それはともかく。

 今は自分アイリスのことだ。


 子爵家の二女が侯爵家に嫁入り、しかも借金を肩代わりするかわりにともなれば、嫁ぎ先での肩身は狭い。旦那様が溺愛もしくはそれなりに対処しなければ、冷遇待ったなし。

 その待ったなしな状況で二年経過しての事故。もはや殺人未遂でいいのでは?


 表面的には私が意識不明で寝込み、それが侯爵様も知ることとなり、医師が処罰された。

 お医者さん悪くない、とは言い難い事情もあるので黙ってそれを受け入れている。新しいお医者様はイケメンだった。わー、ハニートラップと白目をむきそうである。


 あの程度で大騒ぎするなんて、というのが侯爵家の使用人の総意で、私の肩身はより狭くなっている。

 これ以上、どう大人しくしていろというのだというレベルだ。


 ここからのスタートである。


 回想終了しても正面に座った侯爵様をみればまだフリーズしている。時計を見れば三十分ほどたっていた。カチコチに固まりすぎて了承ですねと放置して出ていくべきかもしれない。

 簡単に済んだと喜んでいいかな。


「では、ごきげんよう」


 離婚届は既に書いて、提出するのみとなっている。一応、仮にも夫である侯爵に同意くらいは取っておこうと思ったが、話すらできないなら無意味だ。

 私が立ち上がってようやく侯爵は動き始めた。


「ま、待て。なぜ離婚しなければならない」


「お望みの通りではないですか?」


「誰がそんなことを言った。君は、実家の支援と引き換えに嫁いできたのだ。どこにも行くこともできまい」


「支援されたお金を返還いたしますので、離婚でよろしいですね」


 なにかにつけ、この話題が出るのが飽き飽きしている。使用人すら、この言い方をする。借金で売られてきて、なにか得ようなんておこがましい。

 二日目でブチ切れそうになった。

 ちなみに一日目は誰とも遭遇しなかったので、何も言われなかっただけ。


「どこからそんな金を用意したんだ。我が家から出したものでまかなうのは認めない」


「私は、私が売り物になるのを知っていましたので、それで金策をいたしましたわ」


「君は俺の妻だ。つまりはすべて俺のものだからそれは間違いだな」


「人身売買ということでよろしいですか? 先代女王陛下がきっちりと国法で決められましたよね。

 妻も娘も、ものではない。家長が勝手に扱っていいものではない」


 女性の人権がようやく認められましたーっ! というのが先代の偉業。

 子供の性別で優劣をつけるのはよろしくない、私は平等な母親であるべきだとごり押し。この意識改革は今後の課題という感じで、よく男性はこういう反応するらしい。


「体を売ったのか、ふしだらな」


「十年ほどの時間を売りました。労働力です。下半身でしか考えられないんですか」


「下品な物言いをどこで覚えてきた。

 どこの男の手引きだ。そいつを罰してやるから連れてこい」


 はぁ。ため息をついて私は珈琲を一口含む。泥水か。

 落ち着きたいはずが、全く苛立たせてくれる。

 どうせ出ていく家だ。やるだけやっていこう。


「入れなおして。

 飲み物じゃない」


 執事が聞かないふりをしていたので、そのまま床に捨てた。あーあ、絨毯がもったいないわぁ。


「なくなったの。すぐに用意もできないの?」


 しれっと言うくらいにはこの家に慣れたのだなと感慨深い。たった数日なのに。

 このくらいしないと誰も動かない。あるいはこのくらいでも、全く、すべて無視してきやがるのだ。この執事。

 案の定、ぴくりともしない。こいつ絶対、主に惚れてるに違いない。そうでなければこの嫉妬はわからない。


 それを見ていた当の侯爵様はぽかんと口を開けているのが面白い。


「アイリス?」


「あら? どうしてそんな顔しますの? 私の言うことはこの通り、聞かない執事のことをご存じなかったんですの?」


「そんなわけないだろう。きちんと面倒を見るよう言いつけてある」


 当の執事へ視線を向ければ、彼も至極真っ当な顔でこう言ってのけた。それも申し訳なさそうな顔で。


「金で買われた身の上であることをきちんとわきまえるように申し伝えていますが、一向に理解していただけません。申し訳ございませんが、もう少しお時間をちょうだいします」


 侯爵は絶句していた。

 いやはや。この間抜け面。

 イケメンでもこういう顔になるんだ。


 また固まってしまったので、この不快極まりない一週間の話を少し。


 天使に拝み倒されて、アイリスになって一日目、誰も来なかった。

 意識不明で寝込んでいる人の周りに誰もいないっ!? 衝撃だった。なんだそれ。


「あら、死んでない」


 などと翌日しれっと侍女がやってきてのたまった。

 ふぁっとあくびをして面倒そうにソファに腰かけ、雑誌をぱらぱらとめくりだした。完全に嘗めてる。


 聞きしに勝る事態。

 ああ、アイリスちゃんかわいそう。今は私だけど。


 さて、侍女である。

 この侍女というのが曲者だ。行儀見習いとしてやってきている貴族のご令嬢で、親に出来るなら侯爵を落としてこいと焚きつけられてきたようだ。

 ガッツがあふれている。そこにぽっと出のたいしてうまみもない子爵家の令嬢が嫁いできたのだから面白くはないだろう。


 それに家格は同じくらいでも家の規模は違う。借金で首が回らなくなったアイリスの実家は最底辺。できた商人のほうが優雅な生活をしているのでは、というほど。

 両親と弟は、優雅な生活を借金まみれでもしていたけど。

 姉とアイリスは使用人状態。嫁に行ってよかったね、お姉ちゃんと心底思う。

 アイリスはそのままどっかの商人のところに嫁に行ったほうがまだましだったんじゃないだろうか。


 溜息しか出てこない。

 お詫びか口止めでもらったチートで、切り抜けることができるのだろうか。


 チートその1。

 彼女アイリスの物語と描かれた本は、今までの経緯とこのままいけばこうなるという予想が書かれている。原作知識なきゃ死ぬとごねた結果の産物だ。ないなら作っちゃおうぜ原作という暴論が吐かれたとかなんとか。

 なお、本文は天使視点の三人称時々、暴言だった。特に侯爵関連では暴言が過ぎる気がしたが当然のような気がもする。

 この現状の主原因は侯爵である。


 アイリスを相当軽んじても問題ないと思われている。そして、それを放置しているなら公認と調子に乗るような人材しかいない。

 人を見る目も人徳もなさそうと一日目、いや、二日目で思う。


 チートその2。

 壁抜け。要望は好きな場所に移動する能力。座標指定管理ができないと却下された。代わりに一瞬体を精霊界に滑り込ませてのすり抜け能力を手に入れた。

 息を止めている間のみという制約があるが、他の場面でも使える。


 チートその3。

 言語能力。これは要望してない。天使様曰く、言語が多すぎてよくわかんなかったから全部入れたと言われた。読み書き両方いける。ただし、文化的背景のある慣用句などは直訳されるので意味が分からないものになりがち。トカゲと雪国でダンスとか意味がわからない……。


 あとは使わないほうがいいような4と5は割愛。


 さて、どうしようかと手元の本をぱらりとめくる。

 なになに。今日は侯爵が現れて、医者を首にしたと話をして去っていく可能性80%。ふむ。

 明日は花を贈られる。数は2D6の花瓶ほど。

 その翌日には、新しい医師が紹介されると。貴族のご令嬢に人気と呼びつける。悪評が増量。火遊びの誘いがある可能性60%。


 ……ろくなことないな……。

 このまま何もしなければ、どこかのクズな男に引っかかってドはまりしてから駆け落ち失敗で捨てられる未来である。

 なお、侯爵は新しい奥さんを手に入れてハッピーエンドらしい。


 アイリスは、踏み台なのか。


 よし、離婚しよう。本人に会ってないけど、離婚しよう。ことあるごとに金で買ったことをちらつかせる男はろくでもない。

 借金を代わりに払ったのだから。

 免罪符のようにいわれたそれを叩き返す。


 金の当てはあるにはあるんだけど、ちょっとなぁと思ってたけど、ここよりはましだろう。


 ぱらりと最終に近いページをめくる。

 落ちぶれたアイリスは一人の女衒に拾われる。そこでささやかで穏やかな幸せな日々を送ることになっていた。これが二年後までの見える範囲内の未来予想。


 中間をカットして、娼館入りする。売れるものは体だけなのだから、さっさと精神的自由のためにしてしまおう。

 最初は、関係見直しとか色んな事業をと思ったんだけど、そんなのやってられるかっ!


 断捨離すべき。


 そう思いながらじーっと侍女を見ていれば、蔑んだような視線が返ってくる。


「離婚しようと思うの。手伝ってくれるわよね? 侯爵様に、話をつけてあげてもいいわよ」


「あら。ようやくですの。本当に鈍いぐずですのね」


 ……。

 あとで、みてろよ。


「出かけてくるわ」


 パジャマというのは、問題があるのでもちろん着替えてからのことである。クローゼットの中身はすかすかで、向こうの私のほうが衣装持ちだぞと思ったくらい。あと地味だった。地味なワンピースに身を包むとほんと貴族のご令嬢感がない。


 さて、すり抜け技術を使い侯爵家を出た。領地の家なら出かけるのも馬車必須だろうけど、王都内であるのでこぢんまりとしている。普通の貴族なら一戸建てがせいぜい、弱小になるとアパートメントの部屋に当主が単身赴任だそうだ。

 社交時期だけ家族を呼んでホテル住まいになるそうな。


 街中の地図は思い浮かべるだけで出てきた。これは本の情報とリンクしているらしい。アイリスが知っていたことは知っている。未来知る予定のこともある程度は融通された。

 娼館の位置を確認して、さっさと移動した。


 壁は無意味なので、そのあたりショートカットしたのだが、そのせいで王都に怪談が一つ出来たらしいと知るのはのちのことである。


「おやおや。身売りかね?」


 目的地についたのはいいけど途方に暮れていた私に声をかけたのは、女性だった。女性にしては背の高い、声が低いなと思って気がつく。

 この人、美人な男の人だ。

 それも目的の人物。

 確かに文章記述では、麗しきとか書いてあったが話半分に読んでいた。なにせ、主観入りまくりの天使提供の文章なので。


「どうした?」


 ぼうと見上げられることに慣れているのか、彼は一瞬、つまんないという表情をした。それを押し隠して甘く微笑むあたりは手慣れている。


「身売りです。早急に売り払って、お金が要ります」


「ふむ。話を聞こう」


 あっさりと彼は頷いて、店の中に入った。

 私は夫に買われて嫁いだが、婚家の扱いがひどいため家をでたい、そのために借りた金を返したいと話をした。

 飾ったところでやり手の店主に勝てるわけもない。どの家かは名誉のために言わないことにしたが、よくありふれた話だと思ったのだろう。追及されなかった。


 簡単に額の交渉から、年季の話となり歩合か年額かとやりあい謎の達成感を覚えたのは予想外だった。


「ちっ。買い叩き損ねた」


 とは彼の言い分である。私は死活問題なので、頑張っただけ。

 短期的にはこの娼館の労働力として雇う。長期的雇用は今後の働き次第で、再検討となった。それで、あの金額を融資してくれるというのが信じがたいが、彼にとっては私の体よりは知識のほうが魅力的に見えたらしい。

 好きで体を売りたいわけでもないので、そっちでもいいかと思う。返済が長くなりそうだけど。


 そんな話をして帰宅したのだが、壁抜けであちこちで悲鳴をあげられた。微妙に薄暗くなってきている時間帯が悪かったようだ。怖くないよと手を振ったら余計、腰を抜かしている人もいて微妙な気持ちになる。


 それから、きっちり手はずを整えて、さらに現金を手に入れて今、夫を元夫にするべく叩きつけるつもりできたのだ。

 侯爵を捕まえるまでの数日のことは不快な気持ちにしかならないので思い出さない。


「おまえは俺に買われたのだから、従えといつもおっしゃっておりましたので、私は私を買い戻します。これで対等ですね」


 呆然としている侯爵をほっといて元の話題に戻すことにした。話が全く進まない。

 何をそんなに驚くのかというのも不思議な気もするが、私が満足していたとでも思っていたのだろうか。


 机の上に用意した金を置く。

 我が弱小貴族家の生活費二年分。これを働いてまかなうと十年分となるのだから怖いもんだ。贅沢しすぎなのではと震える。


「たかが子爵家の令嬢が、なにを言っているのです。

 病気で頭でもおかしくなったのでしょう。部屋へ戻してまいります」


 無理やり私を捕まえようとする執事を避けて、立ち上がる。


「それでもいいですよ。貴方に傷にならない離婚理由になりますからね。じゃあ、そういうことで」


 外面は大事。貴族からプライド取ったら何も残らないと前世代の人は言ったとか言わないとか。無駄に権力が残っているので、逆恨みされるのもイヤだ。

 私は私の平穏な生活が必要。

 そこから先のことは、また別の時に考える。まずは、逃亡。


「グラウン」


「はい。旦那様」


「おまえは首だ。どこへなりともいけ」


「はい? なぜです?」


 きょとんとした表情の執事と私。

 なに言いだしてんのこの人、と不本意ながら同じ気持ちになったと思う。


 冷ややかな視線どころか人殺せるのではという視線を執事に向けている。


「アイリスは、俺の妻だ。わかっているのか」


「存じ上げています。必要であったから一時的に用意されたものときちんと他の使用人にも説明いたしました」


 戸惑いながらもご指示に従いましたという雰囲気を崩さない執事。侯爵のほうが青ざめているので、体調が悪いのではと気遣うほどだ。


 私は、なんかわかったと遠い目をする。

 心底すれ違ってる。侯爵と周囲の人の考えが違っているのにかみ合ってる風で、逆な方に振り切れていた。


「正式な侯爵夫人として扱うよう指示した」


「はい?」


 執事が首をかしげて、なぜと言いたげだ。


「一時的でもない。なぜそんな誤解をしたんだ」


「旦那様は金銭契約であり、そこに情はない。相応の対処で良いとおっしゃられていました。

 金で買われた子爵家の令嬢に勘違いせぬように、身の程をわきまえての対処でよろしいですよね?」


「侯爵家の人間として相応の対処だ。アイリスには最初から情もあるわけもなかろう。金で買ったようなものだからな」


 ……。

 沈黙が重かった。


 あー、帰っていい? 帰っていいよね?


 執事が青ざめるどろこか真っ白な顔色になる。指示を全部逆にやって、離婚すると言われる原因を作ったのだから仕方ない。


「申し訳ない。手違いがあったようだ。

 君に無礼なふるまいをしたものをすべて排除しよう。それから、好きなことをして過ごせばいい」


 何事もなかったように侯爵閣下はおっしゃいました。

 淡々と。


「では、離婚でよろしいですね。

 書類はすでに整えてあります。ご両親も喜んで、承認印を押していただきました」


 では、こちらも淡々と。

 書類は整っている。婚姻も離縁も家同士の契約のため当主の印が必要だ。元当主の義父は、侯爵不在時の決定権を預かっている。ちょうど、数日いなかった、ということにされて離婚届に印を押してもらった。ついでにアイリスの実家分も。あちらは義母の圧力と脅迫を受けて震えあがりながら押したらしい。ざまぁみろ。


「なぜ、両親が出てくる」


「ご不在で、ずっと会えませんでしたので代わりに。これまでも何度も用があると重要な話だと連絡いたしましたが、一度もお会いいただけませんでした。顔をあわせても言葉は交わす必要もございませんでしょう」


 一方的な言葉くらいはあったが。それも、使用人へのわがままはやめるようにとか、大人しくしていればいいとか。まれに楽しそうで気楽だなとか言われたようだ。

 そうじゃなきゃ、夜に来る、とか。


 アイリスちゃんえらい。

 私なら即日離婚申請だ。あんな家族ごと捨ててしまえ。実際のところ、ここを出たら生活も出来なくなるから決断しがたいだろう。私がそうしようとするのは働いて暮らすことくらいはできると思える経験があるから。

 箱入りだったら無理だ。


「話はしただろう。それに、連絡ももらったことはない」


 じーっと執事を見た。ぶんぶんと首を横に振っているところを見るとそこまですらたどり着かなかったらしい。

 チート預言書も詳細までは書いてないからなぁ。誰がやったのかというとどうせ侍女の誰かなんだろうけど。


「はい、以外の返答をした覚えはありません。それが貴方の会話ですか。

 価値観も違いますし、共同生活は最初から無理だったのでしょう」


「それでも暮らすのが貴族だろう。わがままを言わず、戻りたまえ」


「では。失礼します」


「うむ」


 満足そうだ。問題は片付いたなんて思っているだろう。何一つ解決してないんだけど。頭が悪いというより相当の混乱が見て取れる。とりあえず、アイリスが出ていかない、離婚するって言わなくなったと満足しちゃったか。


 当人にも宣告したし、書類はすでに用意されている。

 義理は果たしたのだから、家を出る一択。用意した金貨は、ここに置いておこう。


 こうして、この場は双方ご機嫌に別れることができた。


「お待ちください。今までの非礼をお詫びいたします。まず、なにからご用意いたしましょうか」


 ご機嫌だったのに執事が追いすがってきた。


「いらない。貴方言ったわよね? この家のものを一つも持ち出すなと。生活費すら取り立てると書類も用意して。それ全部払ったわ。この家に、一つも、借りはないの」


 出来もしないと高をくくったんだろう。

 この家を一歩も出ていないように見えたし、出たところで金策なんてできないだろうから。大人しく、言われるままに過ごせと言うつもりで。


「奥方様のお部屋へご案内します。こちらです」


「だそうよ。侍女その三。よかったわね。執事に認められて」


 扉の前で待ち受けていた侍女を押し付けた。待ち受けていたのは離婚すると決定した情報を流してもらうためだ。撤回できないほどの拡散をよろしくね!


 本人もガッツある令嬢なので、侯爵を頑張って落としてほしい。体の関係はあると自慢していたのだからこう逃げられないようにしてやるとよい。

 同じような発言を他の女性からも聞いているので、泥沼楽しみ。それに。


「では主人のご令嬢によろしく」


 彼女たちもその主である令嬢がいたりするんだ。その令嬢の指示を受けて潜入していたりもする。主を差し置いて妻を目指すか、忠誠を重んじるかはわからない。

 現妻を排除し、熾烈な後妻争いに挑むガッツがあるご令嬢たちばかりなので、誰が来てもこの家も荒れるだろう。


 引き止めたい執事とそれをやめさせたい侍女でもみ合っているうちにすたこら逃げることにした。

 さっさと家を出たら、表門で待っている馬車があった。


「……うーん」


「逃げられてはかなわないからね」


 そう言って店主に馬車に連れ込まれる。しかしまあ、イケメンである。最初は美女かと思ったがあれはあの場所用の化粧をしていたせいらしい。


「離婚届の提出後、きちんといきますよ」


「まあ、捕まらないと思うけど護衛。俺のお小遣いにしても痛い出費だったからちゃんと回収しないとな」


「……お小遣い」


 子供っぽい言葉がこれほど不穏なこともないだろう。それ聞いてない。

 小さいとはいえ、貴族家二年分の出費相当とそれに加え義両親への賄賂と教会や役所への手回しにもそれなりに使った。らしい。手回し分は依頼したので、さらに借金がかさんでいる。鬼か、悪魔かと思ったが、頼る相手が他に存在しなかったから仕方ない。

 その出費が店の営業資金からならわかる。

 あれが、お小遣い。


「安い買い物だったと思わせてくれるよな」


 するりと頬を撫でられた手にぞわっとする。別の質の悪い男につかまったような気がしないでもない。というかなぜ隣に座ってるのだ。二頭立ての箱馬車はそれなりに広いはずだ。


「それで、それなりに説明はしてくれるんだろう?」


「へぅっ」


 顔を覗き込まれて変な声出た。

 地獄のような沈黙に顔が赤くなる。ぷくくと笑われている声にほっとする日がくるとは。離れてくれてよかった。この心臓に悪い顔め。


「……こほん。侯爵家として招かざる嫁であった、これだけですよ。侯爵本人だけが乗り気で、でもその乗り気が全く誰にも伝わってなかった。もちろん、私にも」


 店主が変な顔をした。口がぱかんと開きそうなのを無理に閉じたみたいなへの字口に眉をキュッとよせている。


「乗り気、だったのか。誰にどう聞いてもあれは謎過ぎるという話だった」


「誰に聞いたんです? もしや社交界につてでも?」


 店主になんだかまじまじと見られてんだけどなぜだ。


「家業が家業だからそれなりにはある」


「そうですか。

 そんなわけで、乗り気が全く伝わらずに。義母には嫌われ、義父にはセクハラされ、使用人には無視され、執事にいびられる。そして夫は空気。これで二年。

 いまさら実は愛してるなんて言われてもはぁ? ってやつですよ」


「よりを戻したりはしない」


「したいと思います?」


「顔と金はある」


「自力で稼がないといざって時に身動き取れませんよ」


 ふむと考え込む店主。

 そうこうしているうちに役所につきました。サクッと提出、受理、証明書の発行までが速やかでした。

 あれ? 何時間も待つらしいと聞いたのだけど。


 ちらりと見上げた店主がどや顔をしていた。手回しの良いことで。


「では、我が居城へおいでいただきましょう。姫君」


 芝居がかったしぐさでエスコートされた。さっきまでされていなかったと言えば、既婚者だったからと言われたのだが。

 そこから馬車で、小一時間。町を抜けてどこに行くかと聞いても城と言われる謎。


「ほんとに城だ」


 ついた先にあったのは小さいお城だった。

 本気で、城に連れていかれた。なにを言っているのかわからないかもしれないが、現物を見ても挙動不審を隠しきれない私がいる。


 居城というのは例えだと思っていた。外国のワイナリーも経営していそうな古いお城といったところ。幽霊もセットだよと言われてもおかしくないくらい重厚で歴史がありそうだ。


「最初に気がついたのかと思えばまるっきり全然、気がつかないんだから、箱入りの田舎娘も困ったものだよ」


 いたずらが成功したようなご機嫌の顔の店主は、種明かしのように正式に名乗ってくれた。

 ……八番目の王子様でした。


 は? 意味わからんと呟いてもおかしくないでしょう。なお、この城は母親の持ち物で、これから私はそのお母様にこき使われるんだそうだ。

 全くこれっぽっちも理解できないのは、私が頭が悪いからだろうか。


 新展開が新展開過ぎてついてけない。

 そういえば、昨日チート預言書読んでないっ! そこか、それなのか。眠いって寝ちゃダメなタイミングだったのか。


 その後、なんて悪の首領という女傑に気に入られ、貧民窟の主の片腕というお役目をいただくのはもう少し、先の話。


 そして、予言書がその王子と結婚しちゃいなよとそそのかしてくるのはその夜のことだった。



書き終わらないなぜだと思っていたら一万字超えてました。没分合わせると二万くらい。

侯爵様は三日後くらいに離婚受理書をもらって真っ白に燃え尽きているはず。その後、熾烈な後妻戦争に巻き込まれ、稀代の女たらしと後世にかかれることに。

アイリス(体)は姉御と呼ばれ影の首領と……。

(魂)アイリスちゃん現代編開中「入れ替え令嬢は社畜になりたい!」もよろしければどうぞ。

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