9. 元カノ
「和也?」
後ろから声がして振り返ると、いまの事務所に入る前に付き合っていた元彼女だった。
「江梨子! 久しぶりだね」
「何年ぶりだろ。私の結婚式以来だから、もう5年くらいかな」
「仕事?」
「ううん、ちょっと気晴らしに買い物」
「そっか」
「…和也、なんか変わったね。カッコよくなった」
「はぁ?」
「黒、すごく似合うね」
なんだ、今日はやけに褒められるな…。俺は社長が言った通りの服を着ただけだから、やっぱり社長のセンスは抜群なんだな…。
「ね、和也、一杯付き合ってよ。ね?」
「いいけど、本当に一杯だけだぞ」
「はいはい」
近くのバーに入り、それぞれ注文してグラスを合わせた。
江梨子がまくしたてるダンナのグチは適当に聞き流し、俺はさっきの出来事を思い出していた。
付き合ってもいないのに、なんだか失恋でもした気分だ…。
でも…あの時まで自分の気持ちに気付かなかったんだよな…。いや、違うな。本当は分かっていたのに、認めないようにしてただけかもしれない。
なんでだ…?
「ねぇ、和也。誰かいい人いないの?」
「残念ながら。いまはそういうタイミングじゃないらしいよ」
「そうなんだ、こんなイイ男野放しにしとくなんて、もったいないね」
「なんだ江梨子、もう酔ってんのか?」
「酔ってないよ。本気でそう思っただけ」
「おまえ、そんなこと言うヤツだったか? 絶対負けたくないとか言って、俺のこと一度も褒めたりしたことないだろ?」
江梨子とは同期だったし、ライバルでもあったから、仕事では分かり合える反面、プライベートでは言い争いが絶えなかった気がする。
毎回、どっちが譲歩するか…って。
「そう。そうだった。いつもケンカしてたよね、私たち」
「だから別れたんだろ?」
カラン…。
グラスの中の氷を揺らし、そこに視線を落としながら江梨子が言った。
「いまさらだけど、謝る。本当にごめん。何度も嫌な思いさせて」
「江梨子、どうしたんだよ? 何かあったのか? 変だぞ」
江梨子はグラスの残りを一気に飲み干し、今度は真っ直ぐに俺を見て言った。
「ねぇ和也、このままどこか行かない?」