6. 焼き立てのタルト
「山下さんて、どちらにお住まいなんですか?」
何を話そうか迷っていたら、センセイが話しかけてくれた。
「あ…明日、引っ越しなんですよ」
「えー、暑いのに大変ですね」
「何日も休みが取れる機会って無くて、この機会を逃したら引っ越せないなって」
「確かに。山下さんだと、仕事柄オフィスに近いところですか?」
「いまのところは近くなんだけど、もう10年も住んでるし、かなり仕事も慣れてきたから、もう少し離れてもいいかなって。今度のところは近くに大きい公園があって、それが決め手かな」
公園いいですねーと、センセイはアイスコーヒーに視線を落とした。
しまった! 自分から誘ったくせに…。
「すみません、なんか。誘っておきながら、ろくな話もせずに…」
「あ、全然」
「……」
「もしかして、何か楽しい話しなきゃいけないとか思ってます?」
「思ってるっていうか、俺マネージャーだし、話題を提供する立場っていうか…」
クスッと、センセイが笑った。
「いまプライベートなんだし、そんなの気にしなくていいんじゃないですか? 私、会話があってもなくても、全然気にならないですよ」
それより…と、店内のショーケースを指さした。
「ほら、あの焼き立てのタルトを食べるか食べないか、いますっごい悩んでるんですよね〜」
アハハハハ。真剣な顔に思わず声が出た。
「なんで? 好きなら食べたらいいんじゃないの?」
「笑わないでくださいよ! 来週、出版社のパーティーがあって、少しタイトな形の服を用意してもらったんです。だから、太ったらマズいなって」
「なるほどねー。そういうの理解できる。用意してもらったら合わせなきゃいけないしね」
センセイは無言で頷く。
「そしたら、俺も一緒に食べるから、食べ終わったらひと駅歩く? だいぶ日が陰ったから、歩けそうだけど」
「いやいやいや、忙しいマネージャーさんに付き合ってもらうわけには…」
「俺ね、さっきの仕事が最後で、もう夏休みに入ったんだ」
それなら…と、センセイは俺の提案を受け入れたらしく、2個買ってきますね!と、ショーケースに向かって席を立った。
そんなセンセイの後ろ姿を見ていて、俺は、なんだか不思議な気持ちになった。