2-51(閑話)『それからふたりの恋情は(下)』
神紀5000年、夏至前60日。
この日の濱竹議会の後、磐田大智は小松喜々音の家を訪れた。
「……」
玄関を開けた喜々音は、大智を見て黙り込んだ。
「ん? どうかしたの?」
大智が喜々音に訊くと、喜々音は「そっちこそ」と返した。
「え、いや。何もないよ? 僕は喜々音に会いに来たんだ」
大智がそう言ったら、喜々音はどこか逡巡したように黙り込んだ。
なかなか家に上げようとしない喜々音に、次第に大智も不安になってくる。
「何かあったの?」
そう訊かれた喜々音は、大智を少し睨んだ。そして言った。
「あなたには、もう彼女さんがいますよね?」
「う、うん。まぁ、いるけど……」
なんで知っているのだろうかと大智は疑問に思うが、そういえば自分との縁談が上がったにも関わらず、いきなり萌加が縁談の話を打ち切ったのにも喜々音が関わっているのではないかと思い至り、どこまで喜々音が知っているのか知りたくなって、
「ねぇ、一回ゆっくり話し合わないかい?」
と提案するも、
「ここでもゆっくりお話できますが?」
と喜々音に一蹴されてしまう。断固として家に上げたくない意志を汲み取った大智は、
「家に上げたくない理由があるの?」
と尋ねると、
「では今日、どうしてあなたはここに来たんですか?」
と喜々音に問い返されるのだった。問われた大智は、
「これからの僕らの関係性を決めたいと思って来た」
と喜々音に言った。
「それなら話は簡単でしょう、」
喜々音はそう切り出すと、
「私とあなたの間には何もなかった。私たちは互いの兄が殺されたことで不仲になったけど、複数の戦争や混乱を共に越えて、再び信頼できる友になった。たったそれだけ」
そう言った。しかし大智は納得できない。
「“それだけ”って……。僕らにとっては掛け替えのない日々だったじゃないか! 互いに気を病んでたとき、僕は喜々音が居たから乗り越えられた。喜々音もそうでしょ? 僕が居たから乗り越えられたんじゃないの? 僕らは確かに都合の良い関係だったけど、それでもその都合の良さがこの上なく幸せだったじゃないか!」
まさに必死と言わんばかりの大智に、喜々音は、目の前にいる男がまるで自分の身体だけを目当てにして関係を保ち続けようとしているように見えてゾッとした。
「都合の良さなんて私には関係ない! あなたに彼女ができたのなら、そんなの当然身を引かなきゃいけないのよっ! だから今まで通りなんて甘えたことは言っていられないの、逆になんで今まで通りで居られると思うの? 私があなたの身体に依存しているとでも思ったの? 私はそんなに都合よくないよ! 軽くないよ!」
「じゃあそれならどうして……!」
軽くないのなら、今までどうして自分と身体を重ねていたのか、大智には理解できなかった。だからそれを知ろうと思って尋ねようとするも、
「あなたは、」
喜々音がそれに被せるようにそう声を荒げてきたので、訊くことができなかった。
大智が黙ってから喜々音が話を始めるまで、少し間があった。といっても、ほんの数秒程度である。しかしその間の前後で、喜々音の声は随分と異なっていた。
静かに、消えそうな声で、喜々音は大智に訊いた。
「……あなたは今、私の身体が欲しいの?」
「それは……」
大智が言い淀む素振りを見せる。すると喜々音が「正直に言って」と言ってくる。だから大智は、決心したように頷いて、
「正直、欲しい。僕は喜々音とするのが好きだ」
その言葉に、喜々音の中には怒りが込み上げていた。全身の毛が逆立つような感覚が身体を襲っていたが、それを押し殺して質問をした。
「可愛らしい彼女がいるんでしょ? それなのに、どうして?」
「求められないよ、そんな急には。無理だって。僕にはそんな度胸も勇気もない。それに彼女は“カミノコ”だし、サハ戦争の時のこともあるし、尚更躊躇うよ」
「だからそれまで、私で欲を満たそうってこと?」
そう質問すると、「言い方が悪いけど……」などともごもご言いながらも、大智は否定をしなかった。
それを見て、喜々音は大智を思い切り蹴り飛ばした。
大智は玄関前の石畳に転がり、困惑した表情で喜々音を見上げた。喜々音からは、明らかな怒りが読み取れた。
それと同時に、彼女は目にいっぱいの涙を溜めて、悲しみに溺れているようにも見えた。
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「物思いに耽た顔をしているな」
神紀5000年、夏至後40日。
この日は満月で、甲板に出てきた砂太郎は白々と輝く月明かりの中、遠くの海を眺めている喜々音を見つける。
「……将軍様でしたか」
喜々音は砂太郎を見て、無表情のまま返した。
砂太郎が喜々音の隣、2人分くらい空けた位置にやって来て、海面を眺めるように柵に肘を置いた。
そして瓶に詰めた酒を喜々音に見せて「飲むか?」と訊くが、喜々音に「結構です」と断られると、豪快に笑ってから瓶に口を付けて浴びるように煽った。
「っぱぁ。んで、どうした? いつもの馬鹿真面目で面白みのない参謀総長のツラってもんが消えてんぞ?」
酒瓶の底で喜々音の左肩を突きながら、砂太郎はそう問いかけた。
「特に何も。いつも通り、面白いことも何もありませんよ」
面倒臭いと言わんばかりに喜々音は答えるが、砂太郎はゲラゲラと笑ってから喜々音に少し歩み寄って、その肩を力強く二、三度叩く。
バシッ、バシッ、という重い音が、華奢な肩から鳴り響いた。
「じゃ、特に何もないくせに、馬鹿真面目で面白みのないお前が、月夜に甲板で独りぼっち考え事ってか? こんな奇妙で面白え話があっかよ」
ヒリヒリと痛む肩を押さえながら、喜々音は心底嫌々しく砂太郎を見つめた。
見つめた先の砂太郎は、何やらニヤニヤと笑っている。月明かりに照らされた大男のニヤケ顔など気味の良いものではなく、喜々音はひとつ深いため息を吐いて、
「将軍様は、小林様と仲がよろしかったのですよね」
と切り出した。それを聞いて砂太郎が意地悪そうに笑うと、
「お? かささぎがどうした。当然仲は良かったぞ、あいつはエロスが好きだったからな」
などと言った。喜々音はそれに対して蔑んだような目をして、
「は? きもっ」
と言い捨てた。
「おいおい、そんなに引くなよ。ちょっとしたジョークじゃないか。この程度のオヤジ臭さに反吐出してちゃ、今後生きてくの難しいぜ? 処女のうちから慣れとけ、どうせお前男に慣れてねぇだろ?」
砂太郎は喜々音にそう言った。喜々音は「この酔っ払いめ」と悪態をついたが、それすらも砂太郎は笑い飛ばした。
「で、かささぎがどうしたってんだ?」
砂太郎は喜々音に尋ねた。
「……」
喜々音はただ砂太郎を見つめると、そのまま月の光を反射する水面に視線を向けて、
「夜になると、考えてしまうことがあるんです。私、あの方の最期に立ち会えなかったので。あの処刑も、夜だったのでしょう?」
と砂太郎に言った。それを聞いた砂太郎は、先ほどまでの軽いノリを捨ててふと神妙な顔つきになると、
「なぁ、小松喜々音。お前はひとつ、大きな得をしたと理解しているか?」
と尋ねた。
「得、ですか?」
喜々音は砂太郎に訊いた。彼は酒瓶を揺らしながら、残った濁り酒を月に透かしながら見つめた。
「あぁ。得だ、得。お前は得をしたんだよ」
砂太郎の言葉を、喜々音は理解できなかった。
「どういうことですか?」
その返しに砂太郎は笑う。いつもの豪快な笑い方とは少し違った、少し小馬鹿にしたような鼻笑いだった。
「お前ともあろう天才が、この意味を理解できないか」
それを聞いて喜々音は小さく舌打ちをしたが、砂太郎が「聞こえているぞ。お前の悪い癖でもあるな、その小さな反抗心」と睨む。
「だったら嫌味な言い方などせず、教えてくださいよ」
喜々音は怒りながらそう言った。すると砂太郎は、酒瓶の口を喜々音の頬に突きつけながら、
「お前の中のかささぎはどんな奴だ?」
そう問うた。
「……立派で、気配りができて、とても優しいお兄さんです。正しく、背中を追うべき優秀な者だと思っています」
「ああ、そうだろう」
砂太郎は喜々音の言葉にそう返してから、瓶に口をつけて酒を一気に煽った。
そしてひとつ大きく息を吐くと、
「いいか、小松喜々音。お前が追った背中の奴は、それは大層立派な死に方をした。俺は奴の死に様を、今後一生忘れやしない」
「だったら……!」
何が得なのか、どこが得なのか、喜々音にとって何も分からなかった。自分の純情さを揶揄ったのかと怒鳴りたくなったその途端、声を荒げたのは砂太郎の方だった。
「などと決して言えやしないんだっ! いいか、かささぎの死に方なんぞ知らないに越したことはないんだっ! 奴の死に様など立派でもなんでもない。俺にとっちゃ、あれはショックだった。生きる気力を失い、言葉を失い、体の部位も欠損し、それでも愛する妖精を追い求め、哀れな姿を晒したまんま炎の中に消えていったんだ。その姿など、見ないべきだったんだ。お前は得をしたんだ。あのかささぎを見ずに済んだのなら、それに越したことなどないのだ!」
「でもそれは見たから言えることですっ! 見なかった私からすれば、見ることができたあなたたちの方が得をしているのです!」
喜々音も負けじと怒鳴った。
「ならばこう言おうぞ、小松喜々音。あいつが俺たちに最期あんな姿を見せたいと言うと思うか? 奴はそれを恥じるだろうさ、奴はそれを嫌がるだろうさ。誰にだって見せたくないだろう。奴はきっと、お前にその醜態を見られなかったのが救いとなっているだろうよ」
「……っ!」
喜々音は砂太郎の声に言葉を失った。そんな喜々音に砂太郎が言った。
「お前にゃ好きな男がいるとは思えんが、いたとして聞け」
「……決めつけなど、よろしくないですよ」
「ならばいるのか、好いた奴が」
「…………」
喜々音は言い淀んだ。そのどこか儚げで寂しそうな目を見た砂太郎は、
「さてはお前、フラれたか」
と揶揄うように言った。それを聞いて喜々音が「ち、ちがっ……!」と慌てたように声を上げたのを見て、砂太郎が笑いながら酒瓶を喜々音の口に突っ込んだ。
そのまま有無を言わさず酒を飲ませた。
抵抗する喜々音のことなど気にする様子も見せず、砂太郎は幾分かに渡って酒瓶から直接浴びせるように、強引に飲ませ続けた。
そして、喜々音の顔が真っ赤に染まって、もう抵抗すらもまともにしてこなくなった辺りで、満を持して尋ねた。
「フラれたんだろ。な?」
砂太郎の質問に、虚な表情になった喜々音が「……まぁ、少し違うけど」と言葉を濁した。
「どう違う?」
問いかけると、
「取り合いになった。違う子と。で、譲った」
「お前が身を引くなんて珍しい。絶対に引かなそうなのにな」
あらましを聞いた砂太郎はそう驚く。しかし喜々音は「うーん」と唸って、
「でも、私、彼と肉体関係まで持ってた。有利だと思ってた。私、もうあのまま一緒になれると思ってた。嫌じゃなかったの、都合の良いだけの関係だって分かってたけど、ぜんぜん、嫌じゃなかったの」
砂太郎にそう溢した。砂太郎は赤裸々に語られた喜々音の心情や像の見えない彼との関係性に驚きながらも、
「なのに、お前は譲ったのか?」
譲らなければ良かったではないか、と暗に言った。
喜々音はそれに「だって」から言葉を始めようとして、言い淀んだ。
「どうした?」
砂太郎が訊くと、
「……高望みだったんですよ、結局。私は、彼との釣り合いが取れないって思った。自分じゃ、彼の隣で生きていけない。だから私は、もう、彼を受け入れられないの」
喜々音はそう言って、海を眺めた。その頬を涙が伝っていく。
「釣り合いか。お前が譲った相手なら、その男と釣り合いが取れるのか?」
砂太郎が訊くと、曖昧に「私よりは」と返って来た。
「めんどくせぇな」
砂太郎はそう呟いてから喜々音に言った。
「ま、どんな形であれ失恋に変わりないことは分かった」
そして船が掻き分けた白波を見ると、
「お前、船に乗る前に奴と話したか?」
そう訊いた。喜々音は首を左右に振った。
「ならばその男が、お前じゃない奴と付き合いだしてから何か話したか?」
その質問に、喜々音は記憶を辿るように遠い星々を見上げると、およそ70日前のあの口論を思い出しながら、「うん」と頷いた。
「何を話したんだ?」
砂太郎の質問に、喜々音は少し躊躇いを見せてから、
「私と違う子と付き合い始めた彼だったけど、その子の身体を早々に求めるわけにはいかなくて、しばらくは私で欲を満たそうと考えていたみたいだったから、蹴り飛ばして叱って、それで……」
喜々音はそこまで言ってから、声も出せないくらいに咽び始めて、小さく、途切れ途切れの言葉を紡いだ。
「もう、二度と、関わらないでって……もう、一緒には居られないから……付き合ったんなら、彼女さんのこと大事にして、私じゃなくて、その子と、しっかり幸せになってって……」
それを聞いた砂太郎は「やはりめんどくさい奴だ」と呟くと、
「おい、泣いてないで一旦こっち見やがれ」
そう喜々音に声をかけた。喜々音は涙に濡れた顔を砂太郎に見せた。
「本当なら、この手の話はかささぎにしたかっただろう。悪いな、こんな泥酔オヤジで」
砂太郎はそう謝りを入れてから、
「だがな、お前。お前が好いた男が違う女と一緒になったからといって、お前と男が過ごした時間を否定しちゃダメだ。お前と男が過ごした時間は、お前とそいつだけの時間だ。対してこれから男と新たな女が紡ぐ時間も、奴らだけの時間だ。そこにお前は関係ない。奴の時間がお前の時間なわけじゃないだろ。お前が譲った女の時間がお前の時間なわけじゃないだろ。お前はお前の時間を生きているんだ。その男と過ごした時間はお前の時間なんだ、だからお前はそれを否定しちゃならんのだ」
「でも、彼には既に彼女がいて……」
「彼女持ちだからどうしたってんだ? あぁ? お前はそいつを拒みたいのか? そいつと一緒にいたくないのか?」
「……」
「少しでもいたいと思うのなら貪欲になれ。お前、天才だとか言われて参謀やってるくせに、そんなところで良い子ちゃんしてたら勿体無いぞ。恋愛なんてもん、馬鹿真面目に生きてたら振り落とされるぞ。常に虎視眈々と狙い続けろ。本命になれずとも、いつまでも都合の良い関係であり続ける方法を探し続けりゃ良いだろうが!」
砂太郎の言葉に、喜々音は黙り込んだ。
喜々音の脳内では、既に今後の立ち回り方が構築され始めていた。
「……そうですよ、私は今、実は案外立ち回りやすい位置にいるのではないですか……?」
ぶつぶつと呟く喜々音。砂太郎はそういう喜々音が少し苦手ではあったが、嫌いではなかった。
「そうだ、お前は過去を否定するな。絶対に、過去を否定するな」
そう言って、砂太郎は満足げに喜々音の肩を大きく叩いた。
「いたっ」
喜々音が反射的に声を上げたのを聞いて砂太郎は豪快に笑うと、
「お前が過去を否定すれば、お前がかささぎと過ごした時間も否定されるぞ。お前はそれを望むか?」
そう尋ねた。喜々音は静かに首を振った。
「望むわけないじゃないですか」
その返答に砂太郎はニンマリと笑うと、
「ならば、お前は過去と共に歩いていけ。きっと過去は、お前を強くする」
そう言いながら、甲板を去っていったのだった。
喜々音は、いつの間にか最初に自分が悩んでいたことが解決していることに気がついた。
今まで苦手だった砂太郎のことを、このとき喜々音は、少しだけれども尊敬したのだった。
井谷戦争
第3章
214『冷遇されし沼』
215『猪頭半島を巡って』
216『連邦の破壊者』
217『茨の道を征け』
218『日渡国指定開発特別区域“濱竹”』
251『それからふたりの恋情は(下)』
これにて完結。
次回から第4章。
乞うご期待!




