2-09『取り残された国』
神紀5000年、冬至後70日。
南四主導のもと、神類の能力を駆使して靜連邦の高水準文明化工事が着々と進む中、靜は濱竹に対し濱竹独自技術の開発により一層力を入れるよう求める通達を出した。
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「どういうことですか!?」
「だから、そのままの意味だ」
濱竹議会が終わり、僕は安久斗様の後ろを追いかけながら声を荒げていた。すれ違う神務局員たちが怯えた様子で道を避けていくが、僕も安久斗様も歩みを緩めることなく廊下を進む。
「靜には新技術が入ってきているのでしょう!? 関東からの、あの、サハ戦争で目にしたような新技術が! なのにどうして……西部にそれを導入しないって! 西部は濱竹の開発した独自の技術で高水準文明に追いつけとは、いくらなんでも無理難題ではありませんか! それをなぜ受け入れてしまったんですか? 濱竹だって、日渡だって、もっと言えば西部諸国だって、関東の技術が必要なのは明白ですよね!?」
「だから何度言えば分かるのだ、お前は。靜は関東の技術による発展がしくじった場合を見据えて、西部諸国だけは濱竹の独自技術で発展せよと言っているんだ。連邦全体で関東の支援を受け入れてしまっては、もし向こうの技術が使い物にならなかった場合に靜連邦は目も当てられない状況になるだろう?」
「ですが……!」
「それともなんだ、お前は我が国の技術が信用できないと言うのか? 我が国の技術よりも関東の技術の方が優れていて、西部諸国の発展に相応しいと考えているのか?」
「そ、そんなわけ……! ただ不平等だと訴えているのですっ! 連邦全体で大きな格差があってはならないでしょうと、そう申しておるのですっ!」
「はぁ、相変わらず聞き分けが悪いな。お前、臣になってだいぶ変わったよな」
気付けば安久斗様の執務室の前にいて、彼はもう扉に手をかけていた。呆れたような表情で僕を見てそう仰る安久斗様に、僕は何も言い返せなかった。
「ま、そういうわけだ。不満があるなら靜に言ってみたらどうだ? 俺は奴からの提案は受理した。だからと言ってお前ら日渡が俺からの支援を断れば影響のない話だ。日渡は独立国だからな、無理に俺の方針に従う必要はなかろう。文句があるなら、これ以上は靜に言ってくれ。どれだけ言おうとも、濱竹の決断は覆らんぞ」
安久斗様はそう言うと僕に笑いかけ、部屋へと消えていった。
……靜、か。
直接言って、なんとかなる相手なのだろうか……
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濱竹議会から帰ってきた大智さんは非常に機嫌が悪く見えました。
花菜ちゃんに心当たりを尋ねてみると、
「それがさ、安久斗様のもとに靜の三大神から来た要求に納得できていないみたいなの。まぁ私もその不満は多少分からなくもないんだけど……」
と仰います。
「どんな要求なんですか?」
そう問いましたところ、
「濱竹は独自技術の開発をより一層進めて、西部諸国にその技術を投入し、文明水準を関東統一連邦並みに押し上げてくれって内容」
「つまり、中部東部や猪頭諸国に入って来ている関東の技術を、靜は西部に投入しない方針だと言うのか?」
花菜ちゃんの答えに、私の隣に座っていた竜洋が確認しましたところ、花菜ちゃんは「そうなの」とひとつ頷きました。
「で、それを安久斗様が了承し、濱竹議会で公表されたの。濱竹は安久斗様の決断であれば絶対的に従う義務があるから当然反対意見はゼロで議会を通過。でもそれで漏れなく日渡も関東の技術を得られないことが確定して、大智が安久斗様に考え直しを要求したところ、靜に直接言ってくれと言われたらしくて不貞腐れてるのよ」
花菜ちゃんから状況の大筋を聞いて、私と竜洋は頭を悩ませました。
たしかに西部諸国が関東統一連邦の技術支援を受けられないとなると、ただでさえ貧しいこの国と中部、東部、猪頭諸国との格差がより広がることになって不利益です。
濱竹の技術は信頼できますが、関東統一連邦の技術に追いつくまでは相当な時間を必要とするのは分かりきっています。
関東統一連邦の技術が信頼できないという靜の言い分も分かりますが、でしたら靜が率先して開発を行い、靜連邦独自の技術を生み出すのが筋に思えます。
「何か面白いことになっている感じ?」
話し合う私たちに降りかかった声がありました。
振り返ると美有さんの身体がありました。ですが、彼女は美有さんではありません。
「お騒がせしています、巡様。起き上がっても大丈夫なのですか?」
彼女は兎山四禮の一の禮、鎌田巡様です。花菜ちゃんがそう尋ねると、巡様は可笑しそうに笑って、
「ずっと寝ているのもしんどいもの、少しは起き上がるわよ。それに、せっかく安定した身体が手に入ったのに遊ばないのは損でしょ?」
そう仰います。そういうものなのでしょうか。
「で、何の話をしていたの? 教えてよ」
巡様は私たちにそう言いました。私たちは顔を見合わせて、誰がこの状況を説明するか視線でやり取りをしました。
結果、竜洋が話すことになりました。
「現在、この連邦に関東統一連邦から世界最新鋭の技術が入ってきています。ですが、その技術は西部に……」
「うーんと、話してもらっているところごめんなさいなんだけど、ちょっと待ってね」
竜洋の話を遮って、巡様がこめかみを押さえます。それからしばらくその状態で固まった後、可愛らしく首を傾げて微笑みまして、
「私、連邦ってのがよく分かってないのよね〜。あと、統一連邦も分かんない。そもそも靜から向こうなんて国あるの? って感じ〜」
そう仰います。これには花菜ちゃんが唖然とし、竜洋も失笑しそうなのを抑えて目を伏しました。
「分かりました、巡様。では、端的に事を話します」
この状況では空気が悪くなりそうでしたので、私は発言をすることにしました。
考えなど、まとめなくてもいいのです。現状を分かりやすく伝えることが重要です。問題の認識に齟齬があろうとも、なぜ私たちが頭を悩ませているのかが伝わればいいのです。
でしたら簡単です。相手が兎山四禮なら尚のことです。
「私たち日渡国は、靜に入ってきている世界最新鋭の技術の投入を見送られました。理由は割愛しますが、靜曰く、濱竹の技術で勝手に発展しろとのことです。ですがそれでは、濱竹よりも優れた技術がすぐそこにあるのに不平等です。到底納得できません。……と、そういうお話です」
私がそう言うと、巡様が顔を顰めて、
「濱竹の技術だぁあ? 厭な話だねぇ」
と仰るのです。
「そうです。私たちは靜から見放されたのです。嫌な話ですよね?」
私がそう訊くと、
「そうだね、気分が悪いわね」
と返ってきます。濱竹に対する憎悪感情が強い旧兎山国のお偉いさんだからこその対応です。私たちと違う問題認識かもしれませんが、凡そ靜の要求に対する不満は共有できたはずです。濱竹の技術ではすぐに発展できない、ないしは発展したくないから、関東からの(靜からの)技術を投入してくれ、と、そういう問題の認識になるはずです。
今の状況を聞いた巡様は、少し考えまして、私たちに言います。
「だったら靜に直接言うべきだね。どうして私たちが濱竹の劣位な技術しかもらえないのか、靜からの支援がほしいのだと、そう伝えるべきね」
巡様がそのように仰いますと、花菜ちゃんは少し心配そうな表情を浮かべました。靜に直接抗議をすることは、この国にとって非常に危険な判断になり得ると、そう思っているのでしょう。
私もそう思います。
ですが、その巡様の言葉に反応を示した者がいました。
「よしっ、決めた!」
私たちから少し離れた場所で不貞腐れていた大智さんです。
彼は勢いよく立ち上がると、私たちのところまで寄ってきて、
「僕は靜に行く。関東からの技術を貰えないか交渉して来る!」
「ちょっと待ってよ! そんな無茶苦茶なことができるとでも思っているの? 相手は祖神国家なんだよ? 濱竹とは訳が違うじゃない!」
「でもこのまま西部だけが文明から取り残されるのは嫌だね。僕は何としてでも日渡に、いや、西部に、世界最新鋭の技術を投入してもらうよう訴えるね」
大智さんはそう言って荷物をまとめ始めました。
こうなってしまうと、彼には何の言葉も通じません。花菜ちゃんは呆れ返って、もう好きにしなさいと言わんばかりの目を向けていました。
私は竜洋と目を合わせて、彼の行動に対してどう対応するか打ち合わせます。竜洋はどうやら、彼に任せてみて靜の反応次第で次を考えれば良いのではないかと思っているようです。私としては、なるべく国に危険が及ぶような行為をしてもらいたくはないのですが、それは彼の対応次第なので、竜洋をお供として連れ下げていくことにしてもらおうと思います。
「大智、俺も行く」
私の意思を汲み取ってくれたのでしょう、竜洋が大智さんにそう声をかけます。無駄なことを語らない竜洋は、それだけ言うと支度をするために立ち上がりました。
「ありがとう、助かるよ」
そんな竜洋の背中に大智さんはそう声を投げました。竜洋は振り返らないで、歩きながら小さく頷きました。
そうして大智さんはその日のうちに、竜洋を従えて靜へと旅立っていきました。
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竜洋と共に靜へ出立したのが冬至後70日の夕暮れで、そこから日没まで歩き続け、隣国の袋石国のとある食堂で夕食を食べていたところ、とある者から声をかけられた。
「お食事中失礼します。少しよろしいですか?」
「はい」
返事をして振り返ると、そこに立っていたのは袋石国の巫女、浅羽小羽さんだった。
僕と竜洋は揃ってギョッとした。
小羽さんは今年25歳で、僕より7つ(竜洋からしたら2つ)歳上であるが、容姿としてはそれほど年齢がいっているようには見えず、竜洋よりも若く見える。
袋石の巫女装束である、白地に赤茶色の帯を纏い、にこやかにそこにいらした。
「やはり大智くんでしたか。それっぽい後ろ姿だと思って話しかけたんですが、人違いじゃなくてよかったです」
小羽さんはそう言うと、僕が腰掛けている長椅子に一人分のスペースを空けて座った。
ひとつの机を、僕と竜洋、小羽さんが囲んでいる状況だ。
「どちらに行かれますか?」
「靜です」
小羽さんに訊かれて僕はそう返した。彼女は僕の答えに頷いてから質問を続けた。
「今夜の宿泊場所は決まっていますか?」
「決めてませんね。何せ思いつきで飛び出してきたので、計画性もなにもあったものじゃありません」
その答えに、小羽さんは「では」と前置きをして、
「よろしければ袋井神社においでくださいませんか? 少し、情報共有をしたく思いまして」
と仰った。
僕は竜洋を見やり、意見を求めた。彼は真面目な顔でひとつ頷いてきた。即ちそれは、小羽さんの誘いに応じて袋井神社まで行こうということである。
「分かりました。では、お邪魔になります」
僕がそう答えると、竜洋も小羽さんに深く頭を下げた。そんな僕らを見て、小羽さんはにこりと微笑まれた。
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浅羽小羽は、日渡国の臣:磐田大智と、日渡国渡海自治領の小臣:東河口竜洋を連れて袋石国袋井神社まで戻った。
袋井神社は、靜連邦を横断する街道(通称:靜街道、濱竹街道などと言われる)から北に逸れて、周知国へと向かう周石街道のほとりに座す。
かつてその地は可睡といわれ、大寺院の御土地であったが、人類文明が滅び神類が闊歩するようになってから、その寺院は国の長の住まう場所へと改修され、今こうして袋石夜鳥神の居城として機能する。
「戻りました」
闇が訪れた頃、袋井神社に小羽の声が響く。本殿は既に灯りの灯らぬ場所と化していたが、襖が開き、中から臣:袋井哉斗が姿を見せた。
「小羽だけかと思ったら。なんだか珍しい顔ぶれだね」
哉斗は齢42、姉貴分であった先代の巫女(小羽の母)を追うように18歳で役に就くも、早くに彼女が病死しその娘の小羽に巫女の任が移ることになった。先代の巫女の最期の言葉で小羽を頼まれ、彼は今も尚、小羽の面倒をよく看ているのだ。
大智にとって、哉斗は隣国の臣であり先輩である。見習うことも多くあるが、立場は皇神種国家の袋石よりも始神種国家の日渡の方が高く、また大智は超大国濱竹の神治への関与が認められているということもあり、24歳の差があろうとも連邦内においては大智の方が発言力があり、多少の気まずさを持っている。
「こんばんは、お邪魔いたします」
それでも大智は努めて笑顔を作り哉斗に挨拶をする。
「いえいえ、ゆっくりお寛ぎください」
もちろん哉斗もそれに応える。哉斗は大智に対して取り立てて思うことはなく、寧ろ図らずも臣になり苦しい立場に立たされているのを可哀想に思っている。
しかし、隣国であれ袋石と日渡は国家規模で盛んな交流があるわけではなく、この国はかつて濱傘連盟を渡海と共に早期脱退し、しばらく反濱竹の立場を取っていたという点に関しては日渡と真逆であり、強いて言うなら国家距離としては渡海の方が近く、渡海事変の際は若干の日渡嫌悪が国内に蔓延ったほどである。
もちろんその声を統制し、大きな乱れに繋げなかったのは袋石神治首脳部の判断であり、大っぴらに日渡と事を構えるつもりもなく、また不仲になろうとしているわけでもない。実際不仲というわけではないし、日渡萌加と袋石夜鳥の神同士は友人であるため、国家間の闘争はまず心配要らないところである。
その証と言えるかは些か不明であるが、去年の初めまで袋石国の浅瀬地区を日渡国が借し、かつてその地の神として君臨した浅瀬太郎助を領祖として渡海自治領を成立させていたのである。太郎助の没後すぐ浅瀬は袋石に返還され今に至るが、領土問題となりそうなものの、その禍根は神々の親睦の深さ故に一切とて生じていない。
大智と竜洋は、臣館の客間に案内された。案内したのは館の主である哉斗だが、そこに小羽も付いてくる。
「しばらくお待ちください」
哉斗は大智と竜洋にそう言うと客間を後にした。それから5分足らずで、彼は神:袋石夜鳥を連れて戻ってきた。
「夜も更けて眠たかろう時間になって悪く思ってるわよ」
夜鳥は大智と竜洋にそう告げた。大智は頭を下げながら「滅相もないです」と言う。竜洋も隣で黙って頭を深く下げている。
夜鳥はそんな二者に顔を上げて楽にするように言うと、「袋石は、残念なことに世界情勢に疎いのよね」と前置きして話し出した。
「先の大戦の時も小規模ながら派兵したものの、幌筵島要塞戦で壊滅したと聞いたわ。おかげで異世界の情報を持ち帰れず、少し出遅れたのよ」
「濱竹や靜を頼れなかったんですか?」
夜鳥の言葉に大智が返す。それに目を見開くその他の上神種たち。他国の神が発言している最中に物怖じもせず会話を始めるのだから、常識知らずにも程があるというものだ。
「おい」
竜洋が真面目な顔で大智の肩を叩いてから夜鳥に頭を下げ謝意を示す。大智は何に怒られたのか一瞬分からないような表情になってから、思い出したように焦り、竜洋に続いて頭を下げた。
それを見て、夜鳥は愉快そうに笑った。
「はぁあ、なんか萌加や安久斗があなたを取り立てる理由がなんとなく見えた気がしたわ」
「いえ、とんだご無礼を。いかんせん僕はこういう硬い慣わしが苦手で……」
「おい、これ以上喋るな。無礼が増す一方だぞ」
大智の言葉を竜洋が遮る。それを見て尚更夜鳥は笑うと、
「いいんじゃないかな、そういう臣がいても。ただ、相手を選ばないと国家間の軋轢に繋がりかねないから、軽はずみな事をするにしても慎重にね」
「慎重に軽はずみなことをするって、なかなか難しい要求ですね……」
「こら、慎め」
この会話にて、一同思ったことがある。
今から大智が靜に行くのは、少々難儀なものではないかと。
もちろんそんなことを、大智本人は全く感じていないのだけれども。
話は真剣な話題に戻り、夜鳥が大智の質問に答えた。
「袋石は知ってるかもしれんけど濱竹と良好な関係とは言い難いの。靜ともお宅と違って深い繋がりがある訳じゃないし、どちらも統率国相応の態度で対峙するのよ。となると、一介の連邦加盟国家が統率国相手に情報を渡せと迫ることもできず、細々と弱っちい諜報活動を続けて連邦情勢を学んでいるのよ。それを代々、巫女に任せているの」
夜鳥の紹介を受けて小羽がひとつ礼をする。夜鳥はそのまま小羽に視線を送り、続きの話を頼んだ。
「ですが、諜報の成果も芳しくありません。浅羽家が雇っている諜報に特化した家系の下神種を遣わして連邦各国を覗いておりますが、靜や濱竹、沼を筆頭に細部を知ることが困難な国も多々あります。それらの国が一番情報を有していそうなので、詳しく知りたいところなんですが……」
「靜なら宇治枝、濱竹なら日渡を覗けばある程度は見えるんだけど、沼だけは謎なんよね。私も蛇松とは気が合わないし、本当に謎だらけの国って印象になっちゃうの」
小羽の言葉を継いで夜鳥がそう言う。すると大智が「え、日渡も対象なんですか!?」などと声を上げた。
「そりゃ、そうよ。濱竹議会の出席が認められているわけだし、濱竹から情報が得られないなら日渡から得ればいいだけだし」
夜鳥は笑いながらそう言った。大智はどう対応したものかと頭を悩ませたが、竜洋が何かを察して頭を抱える大智の肩を叩き発言許可を求めた。
竜洋にとって大智は上司であるため、この場で竜洋が夜鳥以下袋石勢力に発言するためには大智の許可が必要なのだ。
大智がそれを認めると、竜洋が夜鳥に向けて言う。
「恐縮ですが、日渡国渡海自治領小臣として発言させていただきます。貴国は確かに諜報活動をしているのでしょうけど、日渡に対してはそれが十分でないのでは?」
「「「…………」」」
その発言に、夜鳥、哉斗、小羽の全員が言葉を返せなかった。夜鳥はニタリと笑っているが、小羽は俯き、哉斗は都合が悪そうに視線を逸らしている。
一方で大智は「は?」と素っ頓狂な声を上げている。
「ちょ、どういう意味だよ」
最初に竜洋に言葉を返したのは大智だった。本来、袋石勢力が返すべき反応である。
「どうもこうも、そのままの意味だ」
竜洋はそう言うと、大智の方を向いて、
「十分に諜報ができていたのなら、今ここに俺たちを呼ぶ必要はない。それに、濱竹からの情報を日渡経由で知って、既に情報がここにあるはずだろう。だが、ない。俺たちを呼び寄せてまで情報を知ろうとしているんだ。そんな状況で、十分に諜報できているとは到底思えん」
「じゃあ諜報をしていること自体が嘘で、僕らを困惑させるためだとしたら……」
「それはない。というか、極めて薄い。考えてみろ、俺たちは今日思い立って日渡を発った。それで袋石まで歩いてきて、ばったり小羽殿と出会った。豈に偶然ならんや、と思うのが筋だ」
「……諜報はされている。ただ、重要な部分は持ち合わせない。そういう感じってことか」
「ああ」
そこまで会話すると、夜鳥が徐に手を叩いて、
「見事だ。その推察、いいじゃないか。よく闇が見えているじゃないの」
そう褒めた。竜洋は黙って頭を下げた。
「ネタバラシをすると、結局は諜報という諜報はできていない。しているにはしているけど、得られることは少ない。街を歩いたり、神社に立ち寄れるところは立ち寄ったりする程度。諜報よりも、様子を見るってのが正しいの。本当は詳しい情報を得たいのだけど、ほら、濱竹や靜だと殺されちゃうし、沼だと逆に情報を吐かされちゃうし。で、実は一番厄介なのは貴国なのよ」
「え、日渡ですか?」
大智が尋ねると、夜鳥が頷いた。
「日渡はな、気付いてないかもしれんけど、重要な話を一切してくれないのよ。くだらない情報ばっかり出てくる。で、そのくせまともに会議してる時は明がいるから容易に近づけないし。ほら、明は用心深いから過剰防衛もいいところなのよ。会議の時は神社全域を術で覆って、情報が外に漏れないようにしちゃうのよ。お陰で何人も諜報屋が死んだ。神社に踏み込んだだけで御霊にさせられちゃうのよね。ってことで、諜報できないわけよ」
参った、参った、と夜鳥は頭を掻いた。一方で大智は自国の防衛機能が明によって賄われていることを知り、心の内で感謝するのだった。
「というわけで、情報が欲しい。こっちの手の内をちょろっと話したんだから、そっちの持つ情報で精算しなさいな。でないと、この国から出させない。軟禁するわ」
「うわぁ悪質だこの神」
「おいっ!」
冗談混じりで大智が軽口を利くのを竜洋が叱責する。大智が本気で言っているようには見えなかったため夜鳥は笑って流しているが、哉斗と小羽は一風変わった臣を少し怪訝そうに見ていた。
「で、情報と言われましても、どういうものをご所望ですか?」
大智は一転し真面目になると、夜鳥にそう聞いた。
「一番欲しいのは、靜や猪頭に関東統一連邦の船がたくさん停泊していた理由と、それに伴ってなのか急激に靜より東が発展していることについてだね。諜報しようにも内部事情すぎて失敗したの。あとは濱竹議会の動きとか、そういうのも知りたい。濱竹が統率国権限を一時的に手放したのも気になる」
「なるほど……」
大智は少し考えてから、
「実は、靜の件につきましてはこちらも気になっていて、それの件で今から靜まで行くんです。というのも、靜から濱竹の通告があったんです。大連邦協商を利用して関東統一連邦から技術支援を受け、連邦中部東部、猪頭半島に世界最新鋭の技術を投入すると」
「西部はどうなってるの?」
「それが僕らが靜へ向かう理由です。西部は支援対象から外されていまして、濱竹の独自技術で発展するように安久斗様の元へ指示が出されました」
「どうして?」
「関東統一連邦の技術が万が一使い物にならなかった場合、西部だけでも生き残れるようにというのがその理由だそうです」
「つまり、靜や猪頭にいる関東統一連邦の船はその支援のための船で、そこら一帯の急激な発展はその技術の導入によるものだということかな?」
「おそらくは。僕も詳しくは存じ上げませんので、これ以上の情報は申し訳ありませんが現時点ではお渡しできません」
「いいや、十分だよ。あとは濱竹議会の動きや安久斗が統率国権限を手放した理由が知りたいけど」
「そのことなら、一言で言うなら『内政への尽力』ということですかね。妖精自治領を巡って昇竜妖精会や井谷国との対立が顕在化し始めて、事態の収集を図ってしばらく統率国の業務を靜に一任することとしたと安久斗様は仰せでした。現在濱竹議会ではそれらの問題の他に、独自技術の開発のために軍拡を進めることについて話し合っていますが、無理やり軍拡を進めると井谷国や妖精会との間に軋轢を産んでしまうため、かなり慎重に協議を重ねております」
「協議ね。それ、もう少し詳しく聞けないかな?」
「お引き取り願います。未決定の事柄を述べてそれが流出すれば連邦が一気に乱れるかもしれませんし、我が国と濱竹の関係が悪化しかねません。それは貴国にとっても利益のないことに繋がり、全く言う価値がありません」
「あらまあ、随分と口が軽いから喋ってくれるかと思っていたけど、意外としっかりしているのね」
夜鳥は大智にそう言って、
「情報ありがとう、色々聞けてよかったわ」
それだけ言うと部屋を去った。それに続いて哉斗と小羽も出て行った。
残された大智と竜洋は、就寝の準備を始めることにした。
しかし、その数十分後に再び夜鳥が部屋にやって来た。彼女は来るや否や、
「たった今、あさひからお茶の誘いがあったのだけど、あなたたちも来る?」
などと言い出す。
「あさひ……って、崖川国の始神、あさひ様ですか!?」
大智が一瞬思い返し、そして思い当たったら驚いてそう夜鳥に返したら、夜鳥は「そうよ」と肯定した。
「そんな、恐れ多いですよ! 神様方と一緒にお茶など、上神種の身分ではとても……!」
大智がそう必死に断ると、
「何言ってんの、お茶をするのは当然私とあさひだけよ。あなたたちは崖川国の掛川神社まで一緒について来るだけ。靜を目指しているんでしょう? 崖川まで送っていくから、来る?」
大智の常識の無さか遠慮の無さか、はたまたその両方かに呆れながら、夜鳥は大智と竜洋に訊いた。
「ええと……。送ってくださるのであればこの上なく有り難きお話でありますが、そんなにお手数をお掛けするのは恐れ多く……」
大智がそう夜鳥に言うが、そんな彼の肩を竜洋が叩き、大智の顔を真顔で見つめた。大智はその視線の意を理解したか、ひとつ息を吐いて、
「分かりました。お手数ですが、お願い致します。掛川神社までお送りいただけるのであれば、僕らとしても非常に助かりますので、共に参らせてください」
夜鳥はその言葉を聞いて、
「うん、よろしくて」
返事を受け取ってから「あと、あなたも臣なら覚えておきなさい」と前置きして、大智にひとつ忠告を入れる。
「下手に神からの提案を否定するのは失礼に当たる。臣が神の顔を潰すことなど許されざる好意だと肝に銘じなさい。それが他国の神であっても同じこと。いや、同じではないわね。他国の神の場合は国家間の関係に影響を及ぼす可能性すらあるわ。まぁ今回は当然許すし、私はさほど気にしないけれど、神の厚意などそうそうあるものではないのだから、素直に受け取ることが礼儀であると知っておくことね」
「忠告、痛み入ります。以後肝に銘じておきます」
大智はそう返して深く頭を下げた。
夜鳥は頷いてから顔を上げるように促すと、大智と竜洋を自分の背中に乗せて、能力で大きな翼を生成して夜空へと飛び立った。
袋石夜鳥。その能力は『地属性』の『鳥』の『梟』とされているが、そんな要素と要素源があるのかは未だ不明であり、一説には『地属性』の『空』の派生ではないかとも噂される。
夜鳥も兎山明と同様、自らその権能を極め、名称はないものの独自の“術”を習得したのである。
夜でも昼間のようにはっきりと周囲を認識でき、大空を我が庭のように自由に飛び回れるその特徴は、かつて協定大国時代に濱竹安久斗の東岸進出を妨げるのに十二分に発揮されたのだった。
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夜鳥様の背中から夜の袋石と崖川一帯を見下ろす。萌加様に連れられて空を飛ぶことはあっても、普段は専ら昼間であるため夜景は新鮮だった。
とはいえ、何も見えないのだが。
所々に町の灯が点々とし、国家の中心部が何処だとか、街道が何処だとか、そういうのは分かるのだが、逆にそれくらいしか分からない。
しかし、夜鳥様の飛行速度には驚いた。あまりに速い。袋石の袋井神社から崖川の掛川神社まで10分足らずで飛んでしまわれた。歩いたら3時間は下らない距離なのに。
当然、山も川も関係なく直線的に移動していることもあるのだろうが、それにしても速すぎる。
夜に火も使わずに正確に飛ぶことにも驚かざるを得ないだろう。
神なのだから、そのくらい朝飯前なのかもしれないが。
そうして崖川国の掛川神社まで運んでいただき、神の崖川あさひ様に挨拶をしてから、僕と竜洋は翌朝まで自由に使って良いと言われた客間へと通された。
自由に使えと言っても、あと数時間もすれば夜が明けるわけだし、寝ること以外に何もできないのだけど。
あさひ様から「間借り賃はいつか萌加に請求するわ」と言われ、僕らは実質無償で部屋を使わせていただいている。
神々のご厚意に恵まれて崖川国で夜を明かし、冬至後71日早朝、靜に向けて歩き始めた。
この調子なら、今日の夕暮れには靜に着けるだろう。予定より1日早い到着が見込めそうである。
崖川国から堀之内国を抜け、昼前には銀谷国に至った。ここから大井谷川を越えて島谷国に入りたいのだが、今日は街道の大井谷川橋を銀谷国の皇神、兼望様がお通りになられるそうで、思いがけず足止めを喰らうことになった。
橋の近くの大井谷川の堤防から橋を眺めていると、兼望様一行が過ぎて行くのが見えた。
黄金に輝く輿を幾人もの下神種が担ぎ上げ、ゆっくりと、民々に見せつけるように橋を越えて行かれた。
輿を担ぐ下神種は男に限らず女子供も混ざり、そして何故か、皆等しく裸体であった。
「どういう状況だろう?」
僕が隣にいる竜洋に尋ねると、
「兼望様のご趣味とのことだ。あのお方のことを、かつて勇様が“成金主義の変態野郎”と称されていた。その理由を今目の当たりにして、ただの悪口にあらせられなかったのだと理解した」
と返ってきた。なるほど、あれが……
言ってはいけないだろうが、下神種にとっては恥辱極まれりな役だろう。
この国の臣と巫女は、果たして何を思っているのかとても気になった。
僕なら間違いなく、神様を諌めるけどなぁ……
兼望様一行が通り過ぎてからしばらく経ち、大井谷川橋の一般通行が許可された。
急ぎの用事がある者から優先的に案内され、僕らも一国の神治関係者という理由から優先通行に選ばれた。
その影響で早々に橋を渡ることができ、対岸の島谷国に入国した。
島谷国を通っていると、ちょうど正面から見知った姿の方が現れた。
枝編みの特徴的な帽子に、黒い革長靴。宇治枝国の神、恭之助様である。
臣も巫女も連れず、帯刀もせず、一般通行者に混ざってたったひとりで歩かれていた。しかも自国ではなく、隣国で。
その神らしからぬ姿に、僕は目を疑いながらも姿勢を正して礼をして、恭之助様とすれ違おうとした。
すると恭之助様がこちらに気付き、笑いながら手を振ってお近寄りになられた。
「お、磐田の大智くんじゃないか。それと兎山……おっと失礼、君は渡海の竜洋くんだね。どうしたんだい、島谷にいるなんて珍しいじゃないか」
「恭之助様、覚えてくださり恐悦至極にございます」
「そりゃ忘れないよ。君はとんでもない無礼者……じゃなかった、破天荒な子として、死空苦難の頃から覚えているよ。印象的だったからね。あ、本気にしちゃダメだよ? 挨拶みたいな冗談として受け取ってほしいなぁ。ちょっと失礼な表現だったと自覚しているから、怒んないでね」
僕のことを揶揄うかのように恭之助様はおちゃらけたように仰った。
「そ、そうですか。……それで、恭之助様はなぜ島谷に?」
僕がそう訊くと、竜洋が無言で肩を叩いてきた。どうやら無作法だったようだ。
しかしそんなことを気にされる様子もなく、恭之助様は「そうだねぇ」と前置きをして、
「『志汰の茶会』てやつだね。嘉和水ちゃんに呼ばれたから顔だけでも出しておこうと思って。まぁ参加するつもりはないんだけどね。今日は夜にちょっとデートの予定があってね」
と仰る。
「『志汰の茶会』ですか? それってかつての協定国家の名残みたいなやつですか?」
「お、良い着眼点だね。でも少し違う。そうだなぁ、君たちに分かるように例えるなら、そっちの『東岸諸国会議』をお茶会に変えたみたいな宴って認識でどうだろう。元を辿ると、こっちも対濱傘連盟のためのお堅いやつだったからね」
僕の質問に恭之助様は返されて微笑まれた。
なるほど、元はそういうやつか。
「それで、君たちは何をしに来たんだい? どこを目指しているのかな? 靜かな、沼かな、あぁ井谷かもしれないね、君たち日渡なんだもんね」
「あ、っと、靜です。少し三大神殿下にご相談がありまして」
僕の返答に恭之助様は「そうかい」と返され、
「だったら少し、そこのお茶屋さんで葛切りでも食べるといいさ。絶品だよ、この宇治枝恭之助が保証するよ。さ、悪いことは言わないから食べていなさい。そうしたらきっと、幸運が君たちを待っているさ」
「は、はぁ……」
恭之助様に肩を組まれ、僕らは隣にある甘味処に強制入店となった。そして彼が店主のお婆さんに、
「葛切り3つ! あ、1つは後でいいから。うん。支払いはこれでどう? 足りるかな? あ、多過ぎる? あそう。でもいいよ、持ち歩くの重いもん。あげる。その代わりにとびきり上質なのよろしくね〜! じゃ、また」
などと一方的に仰って出て行かれた。
残された僕らは呆然と立ち尽くしたが、
「お客様、これ……」
とお婆さんの弱々しい声に覚まされて振り返ると、老いた腕で重そうに抱えた腕一本ほどの大きさの金塊を見せられて、竜洋が慌てたようにお婆さんから金塊を受け取って老体を支えた。
お婆さんは「ありがとうねぇ、お兄ちゃん」と竜洋に謝辞を述べるも、その後僕らを見て困ったように笑うと、
「これじゃ価値が分からなくて支払いにならないわ。他の物と替えて頂戴」
と言われた。
上質な葛切り3つ。支払いは、日渡の血税3袋。小切手を、皺だらけの手に握らせた。
葛切りを食べながら待つこと20分くらい。
「待たせたねぇ」
僕らの席にやってきたのは恭之助様だった。
それと共にお婆さんから葛切りが出されて、恭之助様は「そうそう、これだよこれ!」と嬉しそうにしながらそれを食べた。
確かに、恭之助様のお墨付きというだけあって絶品である。ひんやりと甘く、少し暖かくなってきた今の時期にはとても口が嬉しかった。
「それで、君たちは靜に行くんだね?」
恭之助様に訊かれて僕らは頷いた。
「じゃあ宇治枝国の神として、君たちを靜の三大神に取り次いで進ぜよう。ということで、食べ終わったら靜まで連れていくよ」
「ほ、ほんとですか!? ありがとうございますっ!」
願ってもみないことだった。僕らは今回、神々の善意に助けられながら靜まで進んでいるのだと、強く実感した。
そうして僕らは甘味処を出ると、恭之助様に抱き抱えられて青い空へと飛び立った。
島谷国から宇治枝国上空を飛び抜け、ほんの20分足らずで靜国の静岡神社までやってきた。
神社の境内に降りるや否や、恭之助様は靜国の神務局員に神務卿へ取り継がせて、僕らを三大神の元へと案内させた。
通された部屋は応接室ではなかった。
驚くべきことに、靜するが様の執務室であった。
僕は息を呑んだ。竜洋を横目で見やると、彼も相当緊張しているようで、強張った表情に汗を浮かべていた。
「さ、入ろう。三大神の執務室に入れるなんて滅多にない機会だからね。君たち、今日は運がいいねぇ」
そんな僕らに、相変わらずおちゃらけた感じで恭之助様が仰る。そして彼が目の前の洒落た大きな木製の扉を押して、慣れたように入っていく。
「やぁやぁ、するがくん。どうだい、今日の塩梅は」
ーーーーー
ーーー
ー
「やぁやぁ、するがくん。どうだい、今日の塩梅は」
扉が開き、靜するがの前に宇治枝恭之助が姿を現した。するがは目の前に置かれた書類たちに視線を落としたまま、
「それなりかな。良くもなければ、悪くもない。現在やっている事業も、上がってくる報告も、全てにおいてそれなりだよ」
などと言って、全く恭之助を見ようとしなかった。
「にしても忙しそうじゃあないか。応接室に移動する時間も惜しいって感じかな?」
「……そうだね」
恭之助の質問に、面倒臭そうな声でするがは返す。それと同時に机の上の書類を手に取って視線をそちらに落としたため、面倒臭いのは恭之助ではなく、書類の内容だったのかもしれない。その真意は不明であるため、恭之助は話を続ける。
「あらぁ驚いた。他国の上神種を執務室に招いてまで仕事がしたいとは。そりゃするがくん、君、僕らに時間割くのも惜しいんじゃないの?」
「例えそうだとしても、統率国としての仕事はしなきゃならない。安久斗が統率国を降りて内政に注力している今、この連邦の維持管理は僕らに任されているのだから尚のことね」
するがはここで初めて恭之助を見て、
「だけど、君と話すことは今回の仕事ではない。神務卿から聞いたことによれば、確か日渡の臣と小臣からの相談だったと思ったけど」
と、鋭い眼差しで言った。それに対して恭之助は「目がマジなんだよなぁ」と呟くと、
「分かった、俺も後で個人的に相談があるんだ。日渡の件が済んだら少し時間を取ってくれると嬉しいね」
とするがに告げて、執務室を後にした。
去り際に、恭之助は磐田大智の肩を叩いて、健闘するように応援を送った。
「で、日渡の臣くん。たしか名前を、大智と言ったかな」
恭之助が去ってすぐ、するがは手に持っていた書類を机に戻して大智に視線を送った。
「覚えていていただき光栄です」
大智は珍しく緊張に呑まれながら、畏まった声で言った。
「そりゃあ、覚えているよ。大事な萌加のとこの臣だし。それに、色々と不幸が続きながらも、よく国政を前に進めようと勤しんでくれていると思って感心していたんだ」
するがは笑顔で大智に言った。そして大智と竜洋に、部屋の隅にあるソファに腰掛けるよう促した。
大智と竜洋がソファに腰掛けると、するがは彼らから見て机を挟んで向かい側に腰を下ろした。
「緊張するかい?」
「えぇ、まぁ……」
するがの質問に大智がそう返すと、するがは「まぁ身構えずに楽にしなよ」と笑って、
「それで、早速だけど用件は何かな?」
大智と竜洋にそう訊いた。その質問に、大智が簡潔に答えた。
「西部にも、関東統一連邦の技術を入れていただきたく存じます」
するとするがは「うむ」とひとつ唸ると、
「訳を聞こうか」
そう大智に返した。訊かれた大智はするがに答える。
「関東統一連邦からの技術というのは、すなわち大連邦協商に加盟している恩恵です。靜連邦は大連邦協商に加盟してサハ戦争に同行することを条件に、関東から技術支援を受けるということになったはずです」
「待って。それはどこで得た情報だい?」
その途中、するがは統率国以外が知り得ない情報を大智が持っていることに驚いて思わず彼の言葉を遮った。大智は正直に言う。
「濱竹議会です」
それを聞き、するがは日渡が濱竹議会への干渉を認められていることを思い出した。
「……納得したよ。それで、どうぞ続けて」
するがは、統率国のみが知っておくべき情報を日渡が持っていることに少しばかり頭を悩ませながら、大智に続きを言うように促した。
大智は頷いて、主張の続きを述べた。
「先のサハ戦争には西部諸国も参加している訳でありまして、損害を払った国もあります。その状況で、見返りとなる関東からの技術が導入されないのであれば、僕らとしては納得ができないのです」
「なるほど。でも、靜連邦には技術が導入される訳だし、連邦単位で見れば精算されているんだ。また、議会に参加しているのなら知っていると思うけど、靜は濱竹に独自技術の開発を指示して、それを西部諸国に早急に導入するように言ってある。だから西部には濱竹製の、靜連邦独自の技術による発展が約束されているわけだけど、問題があるかな?」
「あります」
するがの返事に間髪入れずに大智が言う。それを聞いて、少しするがの眉間に皺が寄った。それを竜洋が見て、左肘で大智の右腕を小突いた。
「あ、ごめんなさい」
大智が頭を下げると、
「まぁいいよ。で、何が不満なの?」
と少し不機嫌な声色でするがから質問が来る。
「僕は、連邦諸国は靜様の指揮の下に平等であるべきだと考えています。ですから、連邦に世界最先端の関東の技術が入り発展するのなら、それは全加盟国に対して等しく恩恵がもたらされるべきではないかと存じます。濱竹は現在、内政に尽力しています。次に軍拡が挙げられ、民々の暮らしの発展や文明水準の向上はその次と、現状優先順位は低くなっています。濱竹が独自技術の開発を本格化できるのは、少なくともあと半年後となる見込みです。その間に、中部、東部、猪頭諸国は関東の技術で発展し、濱竹で技術が確立されてから導入されるまでの見積もり約3年間、西部だけが世界最先端の文明水準から取り残されることになります。これは不平等ではないでしょうか?」
大智が主張すると、
「でも安久斗は靜の提案を呑んだけど。必ず世界最先端の文明水準と同等の、もしくはそれ以上の技術を確立して西部に導入すると言っていたけど。君は安久斗の言葉が、濱竹の技術が信用できないと言うのかな?」
するががそう訊く。
「そうではありません。必ず濱竹は安久斗様の指揮で独自技術を確立するでしょう。それは確信していますし、心の底から頼りにしております。ですが、それはあと数年後の話です。今からその数年後までの期間は、西部とその他の地域では格差が生じます。そこに不満があるのです。ですからどうか、西部にも関東統一連邦の技術を導入してください」
大智がそう言うと、するがはため息を吐いて、
「うん、ダメ」
と返すと、ソファに深く腰掛けて凝りをほぐすように首を回してから言った。
「理由はひとつだよ。知ってると思うけど、関東統一連邦の技術には信頼性がないんだ。少し前まで敵対していた奴らからの技術を何も疑わずに全加盟国にばら撒くなんて不用心すぎるし、愚策だね。だったら、連邦の一部分だけを敢えて独自技術で発展させておいて、もし関東からの技術が使い物にならなかったとしても、一部分だけ生き残れるようにしておくのが連邦の未来を思ったら得策だ。だからダメ。西部は濱竹だけの技術で発展をしなさい。采配は安久斗に任せてあるから、それに従って」
するがはそう言うとソファから立ち上がって、作業机に戻ると、
「悪いけど、仕事が山ほどあるので今日はこれまで。今度何かあったら安久斗に言って。こっちからも対応してもらえるように話はしておくから」
と言って、大智と竜洋を部屋から追い出した。
扉が閉まり、去り行く二者の背中が見えなくなってから、するがは机の上の書類を少し除けると、露わになった天板にペンで文字を記した。
“危険分子だ。奴らを見張れ”
すると、その下に薄ら文字が浮かび上がる。
“言われなくても”
その文字に、頬が緩みそうになるのを我慢しながら、するがはわざとらしく舌打ちをしながら呟く。
「言わなきゃやらないくせに」
そんなときに、再び扉がノックされた。するがが誰か問うと、返ってきた声は宇治枝恭之助のものだった。
するがは彼に入るように言う。
「やぁやぁ、少年たちからの相談はどうしたんだい?」
恭之助の質問に、
「計画通りに滞りなく。もちろん、統率国としての務めを果たしたまでさ」
と返して背もたれに体重をかけて伸びをすると、
「本当、手のかかる坊やたちだ」
そう呟いた。
恭之助はそれを見て笑い、
「それで、俺からも相談なんだけど」
と、自分の用事をするがに切り出すのだった。
ーーーーー
ーーー
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靜国に来たのは、兎山派殺害事件の際に開かれた臨時の最高議会以来だったので、日数にしておよそ40日ぶりとなるだろう。
その街の様子は、以前来た時とは比べ物にならないほどに発展していた。
街の至る所で2本の金属の棒の上を荷車が乗って動き回り、たくさんの資材を一度に運んでいた。
また、サハ戦争以来久しく見ていなかった関東統一連邦製の巨大戦車が何台も走り回っていた。
レンガ製や石造りの巨大な建物も増えていて、その発展具合は測り知れない。
よくもこの短時間で風景がここまで一変するものだ。これが大連邦協商の恩恵というわけか。
……この発展の機会を逃したくはない。
その一心を胸に抱いて帰路についたのだった。
日渡に戻ってきたのは冬至後73日のことだった。
帰るや否や、僕は竜洋と共に、萌加様と明様、花菜、湊さんを集めてとある計画を話した。
「端的に言うと、靜様は西部に関東統一連邦の技術を入れるつもりはないそうです。理由は安久斗様が仰った通りで、関東の技術が使い物にならなかった場合に西部だけでも生き残れるようにするためだそうです。ですが現時点で、靜の発展具合は著しいです。靜が南四連邦の支援を受け入れたのは冬至後42日。そこから僅か30日で、市街地には仙台港やサハで見たような建造物が建とうとしています。また、見たこともないような荷車や金属棒なども確認できました。関東統一連邦からの技術が今導入できないとなると、それはこの国にとって、西部諸国にとって取り返しがつかないくらいの痛手となりましょう。ですので僕は、靜や濱竹の制約に縛られない、この国の独断において南四連邦への見聞隊を送ろうと考えます。そうしてこの国が独自に集めた情報を元に、関東からの技術を導入すべきだと存じます」
その意見に対し、花菜は頭を抱えて第一声「却下よ、統率国に歯向かってどうするの」と懸念を挙げた。
湊さんは驚いたように目をまん丸に見開くが、特に何かを言うわけでもなく竜洋へと視線を送る。しかし竜洋も竜洋で黙って僕を見つけているだけだったため、湊さんは彼から視線を外すと明様と萌加様の方を仰いだ。
萌加様は「うーん」と唸ると、
「独断は厳しいかもしれないけど、今更靜も濱竹も支援してくれるとは思えないしなぁ。やるならそうなるね、やるなら。でもなぁ……」
と渋っているご様子。
その隣で明様が顎に手を当てて何か考え込んでいらっしゃるが、しばらくして僕らを覧ずると、
「靜と濱竹に対抗するなら、井谷に接近するのが一番よ。あんなことがあった直後だから少し頼りたくない気持ちもあるけれど、背に腹は変えられないわ。俣治は独自に甲信連邦との繋がりを持っているし、そこから見聞隊を関東の領土へ入れることもできると思うわ。ただ、これをやると統率国との関係性が必ず悪化するわよ。そこまでしてでもやろうと思えるかしら?」
と僕らに仰った。“あんなこと”とは、この前の兎山派襲撃のことだろう。形式的に和解はしたものの、明様の中ではまだ少し踏ん切りがつかない部分もあるのだろう。
明様の言葉を聞いて、湊さんが僕に視線を移した。花菜は首を横に振って辞めろと言っている。竜洋は未だ無言で僕を見ている。
発展する機会を逃したくはない。この国が豊かになるためには、今ここで、なんとしても関東統一連邦の技術を導入する必要がある。
濱竹の技術が確立されて、本格的に導入されるまでの3年のうちに、間違いなく中部、東部、猪頭諸国との隔たりは埋められなくなる。
そうなってからでは手遅れなのだ。
「やって生じる統率国との軋轢は、今後の僕らの立ち回りで修繕可能だと存じます。ですが、統率国との関係を気にして動かずに生じる国力の格差は、後々の立ち回りではどうにもできないものではないでしょうか。ですから、やる意味はあります。というか、やらない方がこの国にとって不利益です」
そう僕が言うと、明様が「だそうよ」と萌加様に仰る。萌加様は「そうだねぇ」と相槌を打たれると、
「じゃあ、見聞隊を派遣しよう。これには井谷国の協力も欠かせないから、手紙を出そう。文面は大智、あなたが考えてね」
「ありがとうございます」
萌加様の言葉に僕が返事をする。続けて僕は花菜に指示を出す。
「花菜、神務卿に見聞隊結成の指示を出して。この国で今必要となっている技術は竜洋にまとめておいてもらってあるから、それを基に専門家を集めて見聞隊を作るように」
「あーもう、ほんっとにやるって言ったら聞かないんだから。集めりゃいいのね、集めりゃ」
花菜はブツブツ言いながらも竜洋から紙を受け取ると、席を立って早速行動を開始した。
「あ、待ちなさい花菜」
そんな花菜の背中に明様の声が届く。花菜はその場に立ち止まって振り返った。
明様は、花菜だけではなく僕らにも視線を向けながら口を開く。
「ここだけの話だけど、どこかの国の諜報員がこの神社の周囲にいるわ。今は私の術で近づけないようにしているけど、それも無限じゃない。今後の立ち回りには十分注意しなさいな。この計画の情報漏洩は危険よ。見聞隊が関東の領土に入るまで、秘密裏に進めなさい」
「承知しました」
代表して花菜が明様に返事をする。僕ら上神種は花菜の言葉に合わせて黙って頭を下げた。
こうして、日渡国による独自の関東見聞隊の派遣計画が動き出した。
ーーーーー
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ー
もちろん、そんな日渡国の動きを許さない国がある。
靜連邦唯一の祖神国家にして統率国がひとつ、靜国である。
靜するがの元に日渡国の不審な動きの一報が舞い込んできたのは冬至後84日のことだった。
計画浮上から、僅か11日後のことである。
情報の漏洩は、兎山明と日渡萌加、磐田大智、豊田花菜が井谷国に向かったということに起因し、その後に井谷国への諜報活動を強化した結果、密談終了後に井谷俣治と山奈志乃が密会をしたことが発覚。当然、この動きをするがが不審に思わないはずもなく、そこから関東統一連邦の盟主、東輝洋介に靜するがから連絡を入れて、状況を説明。するがの考えを理解した洋介から山奈志乃に連絡が行き、井谷俣治と共に静岡神社に呼び出し密会情報を聞き出すこととなったのだった。
それにて、日渡国の見聞隊派遣計画は公に引っ張り出されるに至った。
靜するがは、日渡萌加と磐田大智を静岡神社に招集した。
「そう勝手なことをされては困るわけだ、こちらにはこちらの計画がある」
するがの主張に対し、萌加は「ごめんなさい」と頭を下げるばかりであったが、大智は不服そうな顔をして、
「計画、計画と言いますが、西部を置き去りにして何が発展計画ですか? どうも僕には分かりません。靜様にとっては、連邦全体が共に成長することがこの連邦の理想の姿ではないのですか? いち地域だけが発展から取り残され、いち地域のみが得をする。それを助長させることが靜様の目指す連邦発展計画なのですか? そうだとしたら僕は納得できませんね。靜様から支持されずとも、僕は関東統一連邦に独自で見聞隊を派遣して、日渡は日渡のみで発展を勝ち取ってみせますよ。それは必ずしも靜様にとって不利益にはなりません。誰にも不利益にはなりません。なのになぜ、派遣が認められないのか僕には分かりません。当然に考えれば、勝手なことをしたことには詫びなければならないかもしれませんが、今回ばかりは僕ら日渡国が靜様に頭を下げる正当な理由が思い当たりません」
と強気に主張をし、萌加を困らせた。
もちろんするがはその大智の発言に酷く憤慨したが、一国の臣を堂々と殴つことや、まして殺すことなどは許されたものではないと思い至り、最大限に怒りを押し殺して、机や椅子を蹴り歩いて怒号を浴びせるのみに留めるのだった。
対して大智は、その靜するがの怒りように気を損ね、するがへの信用が著しく低下し、国に帰るや否や濱竹へ行くと言い身ひとつで飛び出したのだった。
花菜は自業自得だと言い、静岡神社に詫びの菓子折りを持って行く準備を始めたが、湊は飛び出した大智が気になって彼の後を追った。このとき、竜洋は渡海自治領の業務で不在であった。
大智と湊がやってきたのは浜松神社で、濱竹安久斗の執務室をノックした。
安久斗は急な訪問にも関わらず、快く大智と湊を部屋に上げた。
安久斗に迎えられた大智は当然この一件の愚痴を言うわけだが、安久斗の立場としても靜と同様なわけであり、話を聞くだけ聞いたものの、大智に対しては「多少は行動を慎め」と言わざるを得なかった。
大智は安久斗に「なんとかして靜様に話を通してください」や「山奈様や東輝様にもお話を通せませんか」と繰り返し懇願したものの、安久斗は力になろうとしなかった。
安久斗は大智の頼みを断るとき、なぜ統率国の業務を靜に一任したのか、その理由を大智に語った。
「俺が統率国の業務を降りたのは、俺が皇神種だったからだ。靜は年初め、この先協商関係を巧みに利用して連邦の発展に勤しみたいと俺に言った。そのために、当然俺にも協力を願い出た。だが俺は降りた。断ったことになるやもしれないが、皇神種の俺が連邦の頂点に立っていると取引に支障が出る相手だったから降りたというのが一番の理由だ。それと同時に、俺には内政の処理が多々あった。軍拡も技術開発も行わねばならず、統率国の業務を靜に一任することが各方面にとって最善の決断となったのだ。その考えは今も変わっていない。俺と靜が目指している連邦発展計画に狂いはない。終着点は一致している。大智の不安は理解した。すまないな、不安にさせて。だが、必ず我が国が独自に開発した技術でお前らを発展させてみせるから、それまで濱竹を各方面で支えてくれないか?」
大智は、その言葉に曖昧に頷くだけだった。
ーーーーー
ーーー
ー
「あの、大智さん」
浜松神社を出てすぐに、湊さんが僕に話しかけてきた。
「なに?」
僕が返すと、彼女は言い辛そうに口を開いた。
「もう、この計画、やめませんか? 安久斗様も靜様も、思い描かれている計画があるわけですよね。それを私たちが邪魔してしまっては、それこそ連邦として、最終的に大きな不利益を生じさせることになるのではないかと思うんです」
「…………」
その言葉は、僕の心を氷の矢のように冷たく刺した。そんな中、湊さんは言葉を続ける。
「私思うんです。大智さんが目指している国の発展って、とても重要なことだって。ですが、それって目先の利益なのかもとも思うんです。連邦全体で見た時に、靜様や安久斗様が思い描かれている計画に利があって、私たちは冷遇されているように見えて実は今からの辛抱こそが今後の発展計画に欠かせないものなんじゃないか、とか思うんです」
「どういうこと? 辛抱したって、技術はいつまでも導入されないかもしれないんだよ? 濱竹はまだ技術の開発すらできていない。そんな形すら無いものが導入されるのを待てって言われても腹立たしいだけだ。先行投資も甚だしいね。濱竹が技術開発に失敗したら西部にはいつまで経っても技術は投入されず、連邦内格差は広がるばかり。国民は辛抱の果てにいなくなるかもしれない。だったら技術は今入れるべきだし、逆に改革で国が立て直ったばかりの今しかない。未来になんて期待している暇はない。大志も、兄さんも、いちかさんも、大光も、みんなみんな前置きもなく突然殺された。僕もいつ死ぬか分からない。この国は立て直ったけど、まだ安定はしていない。安定させるためにも、周囲の国が発展していく中でこの国が取り残されていく様子を民に見せるわけにはいかない。たしかにこの計画は目先の利益かもしれないけどね、靜や濱竹が思い描いている計画が成功するかどうかなんて分からないんだから、目先の利益を取りにいかなきゃ確実な利益は得られないんだよ」
僕は湊さんにそう言った。するとどうだろう、僕の心から突然怒りが湧き出した。沸々と湧き続ける彼女に対する怒りに、僕は怖くなった。
今までこんなに、湊さんのことを嫌な奴だと思ったことはなかった。
「僕の計画、邪魔するってんなら渡海自治領に戻ってそっちの神務に尽力してよ。しばらく、日渡の神治に関わらなくていいから。僕は僕が最善だと思う選択を、日渡国の神治に入れる。嫌なら、一緒にやらないで」
その言葉に、湊さんは大きな瞳に涙を溜めて、
「……そんなつもりで言ったんじゃないです。私はただ、これ以上危険な橋を渡ってほしくないだけなんです」
と震えた声で言った。
「じゃあ靜と濱竹に従えと? 指を咥えて不確定な技術の投入を待ち続けろと言うの? 僕に言わせればその方が危険だね。いま靜に入ってきている技術は恐ろしいくらいに進んでいるものだ。あれを濱竹が独自で作り出せるかと言われれば僕は首を傾げるよ。いくら濱竹でも3年では無理だ、無謀だ。そうやって思うから、僕は……」
「濱竹で再現ができない技術を、私たちが独自に再現できるわけないじゃないですかっ! あなたの計画の方が無謀ですっ! バカなこと言わないで! 夢物語に、私たちを巻き込まないで!!!」
…………。
言葉を失った。
彼女は、大粒の涙を撒き散らしながら走って視界から消えていった。
…………。
バカは、どっちだ?
正直、僕には何も分からない。
確かなことは、いま僕の心には、福田湊に対する明らかな怒りと、同時に彼女を苦しめていた僕自身に対する怒りが入り乱れているということである。
…………。
分かってるよ。見聞隊を送ったところで、僕らにその技術を再現する術がないことくらい。
分かってる、分かってる。
……分かってる。
…………分かってるよ。
「で、湊さんと喧嘩して、わたしに泣きついてきたの? カッコ悪」
「でも、あれは湊が悪い。どうして技術が導入されないことに甘んじていられるのか、僕には理解できない」
「はいはい、分かりましたよ。そうですね」
湊を泣かせて別れざるを得られなかった僕は、当然おめおめと日渡に帰ることは憚られ、小松邸にやってきた。
喜々音は僕の愚痴を受け止めてくれたが、同時に僕を煽ってきた。
「というか、湊さんのこと呼び捨てにするようにしたんだね。いつから?」
「え、そうか? なんも気にしてなかったけど、呼び捨てにしてた?」
「うん、今日はずっと呼び捨てだよ。自覚なかったんだ」
「ない。というか、それよりも彼女に腹が立って仕方がなかったから、気にしてもなかった」
どうやら僕は湊さんのことを呼び捨てにしていたらしい。
全く自覚がなかった。
まぁいいや、いつまでも“湊さん”と他人行儀で呼ぶのもおかしいだろうし、あんまり気にすることでもなかろう。
「で、今日は泊まっていくの?」
「そうする」
「はいはい。ご飯はないから欲しかったら勝手に作って。私はもう食べた」
「うーん、そうだな。今は喜々音がいれば十分。もう少し慰めて」
「18にまでなって一人立ちできない男とかわたし嫌なんですけど」
「はぁ? 一人立ちしてますが? 一応臣なんですが? しっかりした大人ですが?」
「慰めろとせがんでくる奴のどこがしっかりした大人よ、まったく」
そう言いつつも、膝枕をしてくれる喜々音。なんやかんやで優しいのが彼女のいいところである。
正直に言えば、今日は喜々音のところへ直行しようと思っていた。でも湊がついてきたから仕方なく安久斗様のところへ行って愚痴を言うに至ったが、あれは失策だった。あれをしたことで、僕はさらに腹を立てることになってしまった。
結局、嫌なことがあったら黙ってここに来るのが一番いい。
僕はきっと、このあと今日の怒りとかも全て忘れてしまうのだろう。
彼女さえいれば、僕は……
翌日、晴れた気持ちで小松邸を後にした。
日竹大橋で昇竜川を越えようとした時、国境の関守に呼び止められた。
「大智様!」
「ん?」
「よかった、生きていらしたのですね」
「……は?」
関守は僕を見るや安堵の声を上げるため、イマイチ状況が飲み込めなかったが、橋の対岸から見慣れた女子が走ってきたことで僕は顔を顰めた。
「あ、大智! あなたどこ行ってたの!? 湊ちゃんだけ返して失踪して。みんな心配してるわよ!?」
「いや、まぁ、色々と……」
とは言ったが、花菜の顔には未だ憂いがあった。
「おい花菜、」
そんな花菜の後ろから竜洋が声を掛ける。声を掛けられた花菜は振り返って竜洋を見て、訊いた。
「湊ちゃんは?」
「いない。大藤、加茂、大池、長野、新貝、豊浜、鮫島、小島、どこも情報ゼロだ。不自然なほどに」
……は?
竜洋の言っていたのは旧統治区の名称か。富民の苗字でもあるが、個人名ではないだろうから地名と推察できる。
しかし、なんだ?
「ま、待って、どういうこと? 湊は帰っていないの?」
僕が訊くと、花菜と竜洋が頷いた。
「昨夜入国したことは確認されているけど、そこから忽然と消えちゃって。あれもこれも、全部大智が一緒に帰ってこないから……!」
花菜がそう言って僕を叱った。それを横目に竜洋が不安そうに言う。
「現在、国を挙げて捜索が行われているものの、明様の御霊にすら反応はなし。夜だったこともあって情報も全くない。ご無事であればいいが……」
その言葉の後ろから美有さ……巡様が現れて、僕らに仰った。
「湊はカミノコなのよね? それが密かに知れ渡っていて、実は狙われていた可能性も大いにあるわ。無事で済めばまだしも、廃人になってしまったり、下手したら散々弄ばれた後で殺されてしまったりするかもしれないわ」
「とにかく、事は急ている。大智が無事であったことは何よりだが、再会を喜んではいられないことは理解してくれ」
「分かった、急ごう」
竜洋の言葉に僕は頷いた。
昨日はあんなに憎かった湊が、いきなり不安になった。
“どうにでもなってしまえ”などとは、僕の心は一度も思わなかった。
僕らは必死に日渡国内を走り回って、湊を探し続けた。
事態が動いたのは正午を過ぎてすぐの頃だった。明様の御霊から「デンタツ」と招集をかけられ、僕らは福田神社に集まった。
そこには一枚の紙と、黒い円盤が置かれていた。
明様がそれらを憎らしそうに睨んで「やられた」と仰った。萌加様もそこにいらして、黙って俯いて歯を食いしばっていた。
僕らは机を囲んで紙に目を落とした。
そこには、以下のように記されていた。
ーーーーーーーーーー
宛日渡国諸々共
福田湊の命は預かった。要求は全て同封の音盤に残している。上半暦までに音盤から我々の要求を聞けたのならば取引しよう。だが夏至前90日以降になれば取引しない。福田湊の命も保証しない。救いたいならば上半暦までに音盤を聞け。
靜商通協労者々
ーーーーーーーーーー
「靜通商協労者々……」
なんだよ、それ。
湊の命が、誰かの手に握られている……?
つまりこれって……
「湊が、誘拐された……?」
静まり返った境内に、竜洋が悔しそうに床を叩く音が響き渡った。




