2-07『正義を気取る者』
冬至後31日。
この日の目覚ましは、いつもよりもうるさかった。
花菜の悲鳴から始まり、何事かありけむと思って庭に出ると、血塗れの美有さんがいるのだから視覚でも目を覚まさざるを得なかった。
美有さんは巫女館の壁にもたれかかるように座って眠っているようだった。
「「…………」」
…………いや、違う。
僕と花菜は顔を見合わせた。
眠いっているんじゃない。これは、生きていないのだ。
何度も死を目にしてきて、とても悲しいことに何とも思わなくなっている自分がいた。
花菜は泣いていたけれど、僕は「あぁ、またか」なんて感情が前面に出てきて驚くほど涙が出なかった。
遺体は萌加様と僕が本殿に運び、安置した。
数時間して明様と湊さん、竜洋が到着し、美有さんの隣に腰を下ろした。
湊さんは涙を流しながら、それでも冷静に「どうして、こうなったのですか?」と僕らに訊いてきた。
しかし、僕らは首を振るしかなかった。
「少しいいかしら?」
突然、明様が僕らに言った。視線が明様に集まる。すると明様は、美有さんが座っていた巫女館の隅まで歩いていくと、そこから青い御霊を掴んで帰ってきた。
「その子……!」
それを見て萌加様が声を上げた。
明様は頷いて、それを身体に取り込もうとしたが、明様の動きに反して御霊は美有さんの中に入っていった。
そして美有さんの目が開いた。
その瞳は青く、美有さんなのに美有さんじゃないみたいだった。
「あー、いたたた。ありがとう、アカリちゃん」
「メグ、あんた何してんのよ」
「んー? いやぁ、ちょっと色々とあってこの子に入らなきゃいけなくなったんだ」
美有さんとは思えないほどペラペラと話す彼女は、きっと美有さんではない。
「あの、どなたですか?」
僕が訊くと、
「誰だっていいでしょう?」
そう返してきた。
「よくないです。僕は日渡国の臣、磐田大智と言います。あなたの名前はなんですか?」
そう言い返したら、
「あー、稗原のね。相変わらず面倒な奴だねぇ」
そんな言葉が返ってきた。ヒエバラ? なんだそりゃ。知らない単語だ。
「こら、メグ。いい加減にしなさい。ここは兎山じゃないのよ?」
明様が一喝すると、そのメグと呼ばれた彼女は「ごめんごめん。なんか久々に自分を取り戻した感じがあってさぁ」などと笑った。
「……そう、相性が良かったのね」
明様は呆れたようにそう言ってから僕らを向いて、
「これは鎌田巡。兎山四禮のひとりで、鎌田家の先祖よ」
「どもー」
そう紹介してくださった。
兎山四禮……
伝書に書いてあった気がする、かつて兎山国で明様を支えた4つの御霊のことだったか。
「それで、メグ。なぜあなたは美有の身体に移っているの?」
そう明様が訊くと、
「その様子じゃ知らないみたいだね」
巡様はそう言って、事の顛末を話し始めた。
ーーーーー
ーーー
ー
「日渡の兎山派独立を阻止して参りました」
「ご苦労」
井谷国、井川神社にて、臣の閑蔵が井谷俣治に報告をし、9個の首桶を差し出した。
「む……? こんなに多く刈ったのか?」
俣治が尋ねると、
「御厨家2名、鎌田家7名、合計9にございます」
閑蔵はそう答えた。それを聞いて、俣治は硬直した。
「お前、いま鎌田家と言ったか?」
「えぇ。兎山派といえば有名でしょう、四禮にも一の禮に鎌田巡がおりますし」
ケロリと言う閑蔵に、俣治の顔がみるみる青ざめていく。額を押さえて、溢れ出る冷や汗が手に染みていくのを感じると、彼は閑蔵の肩を掴んで、
「歯ぁ食いしばれ」
そう言ってから頬を殴った。
「……は?」
閑蔵は自身の失態が何か分からず困惑していたが、そこに血相を変えた俣治が肩を掴んで揺らしながら行ってくる。
「鎌田家は、先の臣殺しの一件以来、日渡派として数えられているんだっ!」
そして俣治は、置かれた首桶の数を数える。
御厨家、翔、こずえの2名。
鎌田家、淳太郎、和紗、秀治郎、涼菜、いちか、美有、弘、大光の8名。
しかし桶は、9つしかない。
「……誰のがないんだ?」
俣治は桶を開いて確認していく。幼児の首がないことを祈りながら。
しかし、6つ目の桶を開けた時、そこには明らかに小さな首が鎮座していた。
俣治は頭を抱えた。
まずい、と、そう考えた。
「閑蔵! この首々は臣家よりも丁重に葬れ! さもなくば貴様を罪に問い、晒す!」
それを聞いた閑蔵は青ざめて、言葉もないままに膝から崩れた。
そんな閑蔵には目もくれず、俣治は急いで南の空へと飛び立つのだった。
ーーーーー
ーーー
ー
惨状を目にした。
まるで一晩のうちに戦争が去ったような光景を見た。
御厨家には、無数の墓石が突き刺さって家の形を留めていなかった。
しかし、それ以上に石に押し潰されたような数名の下神種の死体や首のない男女の遺体、また現場に落ちている小砲や薬莢を見て、在りし日の戦場を思い出した。
明様は血塗れの骸が抱えていた小砲を拾い上げて、神妙な表情をした。
「……九八式ね」
ポツリと呟かれた言葉に、竜洋が反応する。
「井谷の弾撃装置ですか?」
それに対して明様は頷かれた。
「なに、その九八式って」
萌加様がそう訊かれると、
「井谷国独自の小砲です。数十メートル離れた場所からでも妖精を狙い撃てるほど高性能な装置なんです」
湊さんがそう萌加様にお答えする。僕らも知らなかったから助かったが、
「つまり、襲撃者は井谷製の兵器を持っていたってことか」
巡様の話で見慣れない上神種が指揮を執っていたことは分かっていたが、どこかは特定できていない。
「井谷は他国に兵器を売らない。それを考えれば、高確率で井谷による襲撃ね」
明様がそう仰りながら術を展開する。周囲の遺体が白い光の粒になって空気中に舞っていく。
首のない遺体が姿を変えた光の粒に、明様が包まれていく。
「……そう、分かったわ。あなたたちの想いは受け取った。でも、ごめんなさいね、応えられないわ。それでも兎山を想ってくれて嬉しかったわよ。安らかに眠りなさいな」
明様には、何が聞こえたのだろうか。
非常に悲しそうではあったものの、優しい笑みを浮かべてそう言った。
すると光は散り散りになって消えていった。
「……鎌田へ行くわよ」
明様は静かに言うと、ボロボロの御厨家を去った。
鎌田家への道のりは大した距離ではない。同じ井栗村の中にあり、ものの数分で着く。
その間、会話は何もない。先頭を歩く明様は、どこか落ち着かない様子で手を握ったり開いたりしている。
そして、鎌田家に着いた。
鎌田家は大所帯で、普段なら何かしら話し声が聞こえるものであるが、今日ばかりは違った。
不気味なくらい静かな家の扉を開けると、すぐ足元に遺体が2体転がっていた。
いずれも首はないが、それらは僕らと同じ年代の少年の体と……
「うそだろ……」
「うそ……」
「おい……」
「…………」
見慣れた体格の女性の亡骸だった。
僕らはその亡骸を見つめて、言葉を失った。
今更どうしようもない遣る瀬無さに腹が立って、辛くなった。
「わぁぁぁぁあああっ!!!」
花菜が泣き叫んだ。無惨に痛めつけられたその亡骸を揺すって、抱きついて。
しかし、その亡骸は何も言わない。
そんな花菜の背中を湊さんが摩る。彼女も泣いていたが、冷静だった。
竜洋は視線を部屋の中に向けた。そこで初めて、明様が部屋の中で膝をついて俯いているのを知った。
竜洋は明様に寄っていく。僕も続く。女子たちは倒れ込んだいちかさんの隣から動かず、その後ろで悲しそうな表情を浮かべている萌加様も動かなかった。
明様が見つめる先には、首を失った幼児の遺体があった。
「……大智、分岐点よ」
僕らが後ろに立ったとき、明様が急にそう言われた。
「…………」
僕は何も言わなかった。どう答えるのが正解か分からなかったからだ。
しかし、目の前の遺体は間違いなく僕の弟の残し子、つまり甥っ子のものだ。
ここで明様は斜め下から僕を見た。
「覚悟を決めなさい」
「……覚悟、ですか?」
そう返した。何のことかは、察していた。
「あなたはずっと、彼を後任にしようとしていたでしょう?」
「……えぇ、そうですね」
言われずとも、そうである。僕は繋ぎの臣のつもりでここまで散々やってきた。粛清と言って国民を殺めたりしたし、議会を横暴に牛耳ったりもした。
でも、どれも僕がずっと臣を続ける気がなかったから振る舞ってきた行動だ。いずれ彼に、甥の大光にその座を明け渡すために無能な振る舞いをしてきた。
先代の臣はダメだった、今度の臣は優秀だ、大光がそう思われるようにするために、僕はずっと……
でも、それも難しくなった。
大志の血を継ぐ、真の善政者の後継ぎが死んだ。
そんなことが、あってもいいのか?
これで、この国にはもう、悪政者「磐田大智」の血筋しか残らないことが確定してしまった。
いや、僕にその気がないから、それすらも残らないかもしれない。
「……覚悟、しなさいよ」
明様は赤い瞳で僕を見ていた。
できるだろうか?
血に塗れた、異臭の漂う部屋の中で、蜂の巣のように穴だらけの死体に囲まれて、僕は……
「明様」
突然、竜洋が僕と明様の視線の間に割って入ってきた。
「……なによ?」
明様の声が低くなった。竜洋の表情は見えないが、明様の声から察するに何か不満を浮かべていたのだろう。
竜洋は明様に言う。
「失礼を承知で申し上げますが、今この状況で、大智の覚悟を問うのは違いますよ。それよりも先に、やらなければならないことがあると存じます」
「…………」
明様は黙った。
そこに萌加様がやって来る。小さな身体で首のないいちかさんと少年を担いで。
「御厨家、鎌田家、ともに全滅。この状況、国としては放置できない。竜洋の言う通り、大智の覚悟よりももっと大事なことがある」
萌加様の声には怒気があった。そして明様の前にいちかさんの亡骸を投げた。
明様の視線が死体に向く。
「…………」
明様は黙ったまま、首のない死体にゆっくりと触れた。
「明、あなたはこの家に入ってすぐ、いちかに目を向けずに進んだ。いちかから意図的に目を逸らした。そのくらい、みんな分かっているよ」
萌加様の言葉に、僕はハッとした。気付いていなかったけれど、言われてみればそうだ。
明様は、いちかさんの亡骸に見向きもしなかった。
「大智に覚悟を問うよりも先に、明が現実を受け入れなよ。そうじゃなきゃ、明の言葉は力を持たないよ」
萌加様はそう言って、今度は僕を見る。
「でも、明の言ったことも大事なこと。大智はこの先、自分の名誉回復をしなくちゃいけない。それと同時に、臣を続けていく覚悟もしなくちゃいけない」
「はい」
僕は頷いた。
たしかに、明様の言葉よりも萌加様の言葉の方がすんなり頭に入って来た。
「私は靜に行くよ」
萌加様はそう言って鎌田家を去ろうとした。
「お供します!」
僕は咄嗟にそう言った。萌加様が驚いたように振り返ったが、
「うん、行こう」
力強く頷かれて、僕の手を握った。
その時だった。萌加様がピタリと動きを止められて、磐田神社の方角を見つめた。
「……やっぱやめた。神社に戻る」
「えっ?」
僕の疑問を他所に、萌加様は飛び立った。そのまま僕も空へと連れ去られる。
「うわぁぁぁあああ!?」
ただ叫ぶしかない僕の足に、さらに蔦が巻き付いてきた。
見ると目を腫らした花菜が下にいた。
彼女も共に神社に戻るようだ。
「いいねぇ、これでこそ臣と巫女だよ」
どこか嬉しそうに萌加様が呟かれた。しかし、すぐに表情を固くして、
「ふたりとも、いい? 感情的になっちゃダメだよ、絶対に。上級上神種の意地を見せな」
その瞳は、炎よりも輝いていた。その意思は、きっと熱より熱いだろう。
彼女の心の火が、燃え盛っているのを感じる。
今まで、萌加様がこんなにも頼もしく見えたことがあっただろうか。神としての威厳が今、メラメラと僕を包み込んでいた。
神社が見えてきた。そこには巡様と向かい合うようにがたいの良い男が立っているのが分かる。
何か話をしているようであるが、笑談ではないのは明らかだった。
僕らはその間に割って入るように降り立った。
「留守にしててごめんね。で、誰に用事? 明、それとも私?」
降りるや否や、萌加様は男に言った。視線は男を見ていたが、手で巡様に「神社に下がれ」と指示を出していた。巡様はムッとしながらも本殿へと消えていった。
「両方だ。だが、強いて言うならお前だな」
男はそう返してきた。
「そうだろうね」
萌加様はまるで分かっていたかのようにそう言うと、男に近づいた。萌加様の手には、井谷製の小砲があった。
「国家間の問題にならないことを祈るけど、悪いけど私、今ちょっと腹の虫の居所が悪くてね。穏便に収められないかもしれない」
「そうだろうな」
男はそう言った。
「その口ぶりじゃ、知っているみたいだね」
「もちろんな。詳細も分かるぜ?」
「じゃあ国を挙げての作戦だったんだ」
「近いな、だが惜しい。少し違う」
男と萌加様はそう会話する。その様子からして、相手の男もまた永神種であるのだろう。
「で、用件は? 犯行声明? 宣戦布告?」
萌加様はそう訊く。男は鼻で笑って首を振った。
すると今度はえらく大人しくなって、深く萌加様に頭を下げた。
「すまなかった。俺は、我が国は、正義を気取りすぎた」
萌加様はその言葉に口を結んだ。
そのまましばらく時が流れたが、沈黙を破ったのは男でも萌加様でもなかった。
「あなたが正義と言うのなら、あの子たちがどんな悪を働いたのか説明してちょうだいな。その罪が、惨死に値するか否か、この私が判断してあげるわ」
男の背後、神社の鳥居の方面から声がした。
それはもちろん、兎山明様のものであった。
見ると、明様と湊さん、竜洋の他に、そこには、
「面白くないなぁ、他国の上神種を急襲するなんてさ」
靜するが様がいた。
ーーーーー
ーーー
ー
神紀5000年、冬至後32日。
靜国の静岡神社にて、臨時の連邦最高議会が招集された。
議題はひとつだけだ。日渡国兎山派上神種家襲撃事件について、説明と責任を問うことだ。
事件は30日の暮れ方に発生した。井谷国の臣、井川閑蔵の率いる井谷軍総勢10名が御厨家を襲撃し、御厨夫妻を殺害。その際に抵抗を受けて襲撃者6名が死亡するも、続けて鎌田家を襲撃し次女の美有を除く7名を射殺した。
事実に嘘はないかという質問に対し、閑蔵は「御厨家には娘がいて反撃は彼女によるものだ」と言った。しかし襲撃したことに嘘はないとし、容疑を認めた。
次に、動機の確認が行われた。それについて井谷俣治は答えた。
「以前、4997年の逆元旦にて、昇竜川東岸諸国の神々が当時兎山自治領の設立に反対したのを覚えているか。その際、兎山にて独立の動きがあれば東岸諸国は武力行使をしてでも阻止をしなくてはならないと話していた。俺もその約束に加わったのを覚えているか。また、‘98年に兎山明が日渡の神の座に就いた際、俺と明の話し合いにて兎山国再建の動きがあれば阻止する旨を伝え了承を得ているが、明はこれを覚えているか。事件の日、兎山派は渡海自治領を兎山明の下に独立させようとしていた。我が国は東岸諸国との約束を果たすべく、兎山明の了承のもと兎山派の掃討作戦を決行した」
東岸諸国の神々は呆れたような表情をしたが、約束は覚えていた。もちろん明も俣治との会話を覚えていたため頷いて聞いていた。
これで、問題は兎山派が本当に渡海自治領の独立を目指していたのかに向いた。
しかし、それに対しては兎山明が語ってみせた。
「事実よ。死体に残っていた御霊の残滓が教えてくれたわ。御厨家はたしかに、濱竹の影響力が弱まった今、兎山を復活させるべく、そして、日渡を転覆させるべく事を起こそうとしていた」
なぜ知っていたのか、本当に残滓から得た情報か、兎山明に対して「本当は明が独立を計画していたんじゃないか」という声が上がり出したが、日渡や濱竹、その他西部諸国がそれを否定したことでその説を推す者は消えた。
そして問題はひとつに絞られた。
「兎山の再建のために日渡を転覆させようとした者たちを掃討してくれたことには、多少の感謝を覚えているよ」
日渡萌加はそう言ったものの、次に「でも」と続けて、
「鎌田家は、独立計画に一切関与していなかった。また、鎌田家は今や日渡派の上神種なの。そして殺害された中には、先代の臣の息子で次期日渡国臣候補の鎌田大光が含まれていた。我が国は、この責任を井谷国に問いたい」
これに対し井谷俣治は「日渡からの如何なる要求を呑む用意がある」と発言。賠償内容は後々日渡より通達されることが決まった。
これで最高議会は幕を閉じるかと思われたが、靜はこの事件で、前々より対立していた井谷に圧力をかける決断をした。
「連邦内において緊張度を高めるような武力行使を行い、故意的に10名の殺害を図ったことは統率国として厳しく非難せざるを得ない。よって靜国は、井谷国に対し期限を定めず連邦融資を凍結する。また、逆元旦まで当国とあらゆる貿易を行わないこととする」
靜の決断に中部諸国が呼応するように経済制裁を決定した。また、日渡との和解が成立するまでの期間に限り、東岸諸国も井谷への制裁に参加すると発表した。
井谷はこの一件で連邦での信頼(元来ほとんど無いが)をさらに落とすことになった。
ーーーーー
ーーー
ー
井谷に対して萌加様が要求した賠償は、靜金通貨120億というものだった。
靜金通貨というのが何なのか分からなかったが、どうやらこのような国家間の賠償や神々の取り引きで用いるために連邦内でのみ有効な通貨を靜が作ったとのことだ。
詳しく聞けば、連邦設立当初に靜が通貨を浸透させようと金通貨を大量生産したようだが、国によって物に対する見方の価値が異なって価格を共有できず頓挫したらしい。
それを神々の間での交渉や賠償で用いているとのことだった。
ちなみに、この靜金通貨120億という価格は今回の賠償として妥当らしい。というのも、罪を犯していない上神種一体を無断で殺害した場合に要求される額が12億で、今回は関連死含めて総勢10名が命を落としたため120億となったわけだ。
井谷国はこの要求に素直に応じてくれた。一度に30億ずつの運搬を4回に分けて行い、冬至後67日に完済となった。
これで我が国の貯えが増えて、国庫は史上見ないほどに輝いていた。
しかし、それと引き換えに知り合いの命が消えたのも事実で、喜ばしい話ではないだろう。
賠償が終わったことで、井谷と日渡の2カ国間での和解が成立し、この件は全て片付いたという認識を共有した。
それにより、東岸諸国による井谷への制裁も終了することになったが、靜を中心とした中部諸国による制裁は続けられた。
実はこの件に対し、僕は安久斗様から「手助けは必要か」と尋ねられていた。
しかし、濱竹は現在国内の政策を進めている最中であり、井谷との関係をこれ以上悪化させるのは安久斗様にとっても悪手になることが明白であった。
いちおう濱竹議会に出席している身としては、濱竹と井谷の関係を維持するためにも安久斗様の手を借りるわけにはいかなかった。だから僕は安久斗様の質問に対して丁重に断りを入れた。
花菜は井谷に対して徹底的に抗議するべきだと言って濱竹の支援を欲していたが、明様率いる渡海陣営は僕の判断を支持してくれた。
ちなみに萌加様は、僕の判断を肯定も否定もしなかった。
その結果として、日渡と井谷の関係は悪化するわけでもなく、穏便に事を済ませる至ったのだから、これで良かったのだろう。
殺害された9名の墓は、僕の指示で国を挙げて御厨神社の境内に作った。墓標とは別に設けた石碑には、この悲劇が二度と繰り返されないようにという意味を込めて、事件のあらましを刻んだ。
なお、石碑を建てるに伴って井谷国への告知も行なって、内容に関しての確認もしてもらった。同時に9名の首は井谷国で丁重に葬られていて、石碑にはその首塚の存在や案内も刻まれている。
歴史を繰り返さないと同時に、日渡と井谷が今後も対立せず前へ進めるように。
石碑を作った意味は、それを示すためである。
ところで、明様から気になる情報を得た。
「美有なんだけど、あの子、まだ死んでいないみたいなの」
曰く、魂自体は身体の中に留まっているとのこと。いわゆる昏睡状態というわけだ。
「しばらくはメグがあの子の身体に入って様子を見ることにするわ」
明様は僕らに言った。美有さんの身体には巡様が入り、福田神社で安静にするとのことだった。
巡様は、子孫である鎌田家の者の身体ということもあり、今までで最も過ごしやすい身体だと言っていたが、それでも仮初の器に代わりはなく、1時間足らずで限界が来て離脱を余儀なくされるという。
よって、その身体で遠出をすることはできず、神社で安静にするしかないというわけだ。なかなか面倒な状態であるが、美有さんが回復するのを願ってその身体の維持をお願いするのが吉である。
今後に期待して、このくらいでメモを切り上げよう。
このくらい控えておけば、今年の日渡伝書はそれなりの分量を用意できるだろうからね。
第1章
201『吉凶の判断』
202『仲裁会議』
203『北遠南信事変』
204『妖精連邦構想』
205『昇竜妖精連邦』
206『血溜まりの彼女ら』
207『正義を気取る者』
これにて完結です。
次回から第2章が始まります。
乞うご期待!




