1-01『再出発』
「また粛清ですか」
日渡国南部に広がる渡海自治領にて、小巫女の福田湊は心配そうに呟いた。
「これで年始から数えて18人目だ。平均すると10日に1人殺されている計算になる」
同じく小臣、東河口竜洋はため息混じりにそう言った。
「今回は神務総長よ。あなたたちも、明日は我が身だと思っておいた方がいいかもしれないわね」
不安を煽るような言葉を投げたのは、渡海自治領の領主、兎山明だ。
「縁起でもないことを言わないでください。大智さんはそんなことをする方ではありません」
湊はそう返したが、竜洋はそれに懐疑的な視線を向けていた。
「だが奴は、せっかく起用した優秀な部下を半年で18人も粛清したんですよ。それでも信用できるんですか?」
そう問うと、湊は「それは……」と言い淀んだ。
「幸い、奴は臣になってから俺たちを遠ざけて、日渡から渡海を切り離した神治形態を確立させたが、同じ国であり俺たちの上司であるのも事実。俺たちだって、いつどんな気を起こして何を言われるか分かったものじゃないですよ」
竜洋の言葉に、湊は俯いた。
「ですが、大智さんはこれでもかというほどに私たち渡海との交流を絶っています。こちらからの報告は萌加様に直々に行いますし、日渡からの連絡は花菜ちゃんが担っておりますし。先日太郎助様が亡くなられたときも書簡のみで臣の悼辞を済ませ、その後に浅瀬を袋石に返還したときも花菜ちゃんに全てを任せていました。私たちから意図的に遠ざかっていて、関わりを持たないようにしているのは明らかです」
「ですが、関わらなければ反感を買わないなんてことはありません。大智にとって都合が悪いことを俺たちが行えば、今の奴には粛清の対象と映るはずですよ」
「そうですが……」
湊と竜洋はそのような会話をする。
「ま、でも湊の言う通り、大智があなたたちを殺すことはあまり考えられないわ。あれだけのことをした御厨家だって、家としては神治から追い出されただけだったもの。下神種化もしなかったし、一族を根絶やしにすることもしなかったわ」
「上神種に危害を加えることは考えにくいということですか?」
「そうね」
竜洋の質問に明は肯定した。
「ですが、兎山派としての連帯責任を鎌田家に押し付けたり、兎山自治領を廃止したりと、家や地域の名に傷をつける決断は下していましたね……」
思い出したように湊が言うと、「あれは仕方ないわよ」と明は言う。曰く、
「光和は靜を敵に回す発言をしたもの。その時点で兎山の印象は地に落ちていたわ。それを放置しておけば、各国からの批判が絶えないはずだもの」
とのこと。しかし明は、この決定を下した大智の葛藤を当時間近で見ていた。
大智はかつて、兎山の汚名返上に奔走したことがある。どうやったら自治領として認められるか、どうしたら連邦諸国から危険視されないかなど、会議を重ねに重ねてようやく自治領設立に漕ぎ着けた。
そんな自治領が、御厨光和という一人の男のせいで再び汚名を被り、しかもその原因が自分の弟を殺されたことに由来していて。
大智は苦労して設立した自治領が泥に塗れて沈んでいく姿を目の当たりにした。そしてその泥を拭うことは許されず、作ったものを壊すことしかできなかった。
その葛藤を、明は当時、領祖として見ていた。
「……重すぎたのかしらね」
思い出して、明は呟いた。その声に湊と竜洋が顔を上げた。どういうことか、その意図が分からないという表情だった。
それを見て明は続けた。
「兎山を廃止する決断を下した頃、大智はよく泣いていたわ。泣きながら怒って、悲しんで。それでひとり、部屋に篭ってしまっていた。今より弱くて、脆かったように思うわね」
うん、と湊と竜洋は頷いた。たしかによく泣いていた。あの頃はまだ交流があったため、その記憶は二人も所持していた。
「でも、兎山自治領を廃止すると決めてからは、見違えるように変わった。強くなったわけじゃないんだろうけど、何ていうのかしら。心がなくなったというべきかしらね」
明は窓から覗いた白昼の月を眺めながら言う。そしてちょうどいい言葉を思いついたように「あぁ」と言うと、
「考えるのをやめたような気がするわね」
その声に、湊と竜洋は深く共感を示した。
「このまま考えなしに粛清していたら、いつか国民が消え去るな」
竜洋が呟くと、明が肩をすくめて笑う。
「どうかされましたか?」
その笑いに対して湊が尋ねると、明は笑いながら首を振って「ううん」と言うと、
「臣は神に似るのかなって、少し思っただけよ。ほら、萌加もやってたじゃない」
そう笑ったまま言った。
渡海の2人は、なんとも言えない複雑な表情を浮かべていたが、その裏には薄らと不快感が滲んでいた。
ーーーーー
ーーー
ー
「もう何が何だか分からないよ……」
夜、私は神社から逃げ出した。
向かった先は濱竹の北濱中央。その頃には日が昇りかけていて、今から戻っても神治には絶対に間に合わない。
私は役職に就いてから初めて、神治を投げ出した。神様、お母様、ごめんなさい。私は悪い子です。
込み上げてくる罪悪感に心の中で謝罪をしておく。それでも罪悪感は増す一方だったが、この精神で神治に挑めば間違いなく近い将来死んでしまう。
心の疲労が限界を迎えていた。
私が唐突に押しかけた場所は、北濱中央にある小松邸だった。
豪邸、というわけでもないが、一般の家より若干大きなその家は、塀や壁に『叛逆者』『濱竹の恥晒し』『忌み子』などの落書きが多数あった。
そんな不穏な空気の漂う家の門を手で押し開けてみると、意外にも鍵はかかっていなかった。
ギギギと軋む扉を開けた先には、庭で掃除をしていた女の子がいた。
さすがしっかり者。朝早くから行動している。
「花菜さん!?」
頗る驚いたように喜々音ちゃんは私を見た。そして箒を片手に持ったまま駆け寄ってくると、私の頬や額、足、腕、首などを触り、
「……存在してる。幻じゃない」
そう呟く。対して私は、喜々音ちゃんに触れられるや否や堪えきれず涙が込み上げてきた。
どうしてか分からない。でも、心配そうなその顔と声が、私の心を締め付けて、でも同時に温めて、涙が溢れ出してきた。
「ちょっ、どうしたんですか!? な、どうして泣いて……! ちょっと花菜さんっ!」
私は喜々音ちゃんの胸の中に顔を埋めた。
身長や胸などの発育状況は私の方が速く、体勢も少しきつかったけれど、それでも彼女の確かな柔らかさと暖かさを感じ、私はさらに泣けてきた。
「あ、あのあの! まずお家入りましょ? ね?」
喜々音ちゃんは慌てたように私に言う。私は泣きながら頷いた。
そのまま運ばれるように家に入れられると、私はソファに寝かされて、喜々音ちゃんはお茶の用意をしてくれた。
しばらくして落ち着いてきた私は、喜々音ちゃんに事の次第を話すことにした。
「……つまり、大智さんと花菜さんは、腹違いの兄妹だったわけですか」
「うん」
「…………」
喜々音ちゃんは驚いた様子、というよりも冷静に状況を考えて飲み込んでいた。
そして何か思い至ったように私を見ると、
「それじゃ、花菜さんは日渡の臣と巫女の間に産まれたというわけなんですね」
「…………あっ」
盲点だった。え、あ、そうなるのか。私って実の父親が大智の父親ということは、すなわち臣なのか。そして母は言わずもがな巫女で。
「驚きました。そんなこと、なかなかありませんよ……」
真面目な顔で喜々音ちゃんは私を見た。私も驚いた。今の今まで気付いていなかったよ。
「あぁあ、すいません。話を逸らしてしまって」
少し感心に浸っていた喜々音ちゃんだったけど、我に返って私に謝罪した。そんな律儀にしなくていいのに。
私はそれを「いやいいよ」と言って受け取る。
「それで、気持ちの整理がつかないということでしょうか?」
喜々音ちゃんが尋ねてくる。
「おおよそそういったところかな。あとは、なんかもう嫌になっちゃったの」
私が言うと、喜々音ちゃんは「そうですか」と一言だけ。それは真剣な声だった。
「それで、花菜さんはどうしたいのですか?」
その声のまま、そう問われた。
「えっ?」
私はその質問に言葉を詰まらせた。
「だから、どうしたいんですか?」
「どうって……」
どうしたいのか私にも分からないし、そもそも私はどうかしたかったのだろうか。それが分からない。
そんな私の様子を見て、「特に考えていなかった、というよりも、漠然と嫌になってしまったわけですか」と喜々音ちゃんが言う。
私はそれに頷いた。
「でしたら、今後どのようにしたいか、今から一緒に考えませんか?」
喜々音ちゃんからの提案。
今後どうしたいか、か。どうしたいんだろう、私。
俯いた私を見た喜々音ちゃんは、ひと口お茶を飲むと、
「私も一時期、路頭に迷いました。でもその時に手を差し伸べてくれたのは花菜さんたちでした。何かに打ち込める環境をくれました。自分の行く先、前に何があるのか見つめる術をくれました。私はそれに救われました。おかげで前へ進むことができましたから」
その言葉を聞いて、一瞬何のことか分からなかったが、思い当たる節を記憶の中から引き摺り出して合点がいって腑に落ちた。
同時に言葉に説得力が増して、私はその提案を受ける勇気が湧いた。
だから「よろしくお願いします」と頭を下げた。
喜々音ちゃんは「そんなに改まらなくても……」と苦笑いを浮かべながらも、私と一緒に考え始めてくれた。
そして、私たちが出した結論は…………
ーーーーー
ーーー
ー
「大智!」
神紀4999年、夏至後6日。
僕は背後から花菜に名前を呼ばれた。こいつは昨日神治をサボってどこかに逃亡していたみたいだが、帰ってきてから悪そびれるわけでもなく神様と話をして、以降ものすごく上機嫌となっていた。
まるで昔の花菜のようだ。
「……なに?」
対して僕は、花菜に冷たい視線を向けながら低い声で言う。普段なら少し怯む様子を見せる花菜だが、今日は怯むどころか笑顔で僕の肩に腕を回してきた。
そして肩を組むような姿勢になって、ニタリと笑いながら言ってきた。
「福田神社へ行こうよ」
「は? なんで?」
「なんでも。強いて言うなら領内視察って感じかな。湊ちゃんや竜洋さんからも現状を聞かないとだし」
「だったら花菜ひとりで行けよ。僕は行かない」
冷たく突き放すように言い放ち、僕はその手を振り解いた。いつもなら寂しそうに、そして悲しそうに呆然と突っ立つ花菜だが、今日は違う。
「えー、連れないなぁ。一緒に行こうよ、渡海!」
「やだって言ってるだろ。行っても聞くことも話すこともない」
やけにしつこく食い下がってくる花菜を僕は必死で冷たくあしらった。
しかしどれだけ冷たくしても、彼女は人懐っこい笑みを浮かべながら僕についてきた。
……まるで、弟が死んだ直後のような光景だ。僕を元気づけるために、彼女はたくさん話しかけてきてくれていたっけ。
僕の脳内に、ふと今いる自分の状況が客観的に浮かび上がった。
――僕はどうして、花菜に冷たくしているのだろう。
――どうして差し伸べられた手を振り払っているのだろう。
――そんな態度を取って、誰かが幸せになるだろうか。
――その態度は本当に正しいだろうか。
脳内で、そのような言葉がぐるぐると巡る。昔は心が沈み、余裕もなく、周囲の声や雑踏が耳障りに思えた。
脳内はただでさえ阿鼻叫喚だったし、目を閉じれば鮮明に血生臭い風景が思い起こされるような状況で、毎日が地獄絵図だった。ろくに眠れないし、休まらない。だから気付けば、冷たく酷い当たり方をみんなにしていて、半年もの間ずっと迷惑をかけていたから、萌加様と太郎助様に相談をして渡海と日渡を完全に切り離す政策をした。
花菜も遠ざけようとしたが、彼女はずっと一緒にいてくれた。でもそれが僕にとっては迷惑に映ることもあり、強く当たることも少なくなかったと思う。
年始から僕は厳しい統治をし、荒んだ気持ちや怒りを粛清という形で表に出した。気付けば僕は、すっかり悪の形相をしていた。
しかし、無意識とはいえ自分が招いた事態で、方向転換もできなかったため、心が回復してきてからも悪を演じ続けた。
しかし同時に、花菜がどんどん傷ついていくことに気付く余裕も生じ、僕の心はさらに苦しくなっていった。
今だってそうだ。花菜の誘いを断るのは、本当に辛い。
「あーそう、行かないのね」
僕が断り続けていたら、今度は少し怒った様子で花菜が言う。胸を裂くような悲しみが襲ったが、僕はそれを押しこらえて「行かないって言っているだろ」と言った。
「いいよ、どうせそんなもんだろうと思っていたからさ」
しかし、花菜は僕の予想に反してケケと笑っていた。
「あーあ、なんて可哀想な大智くん。これが時間稼ぎだとも知らずに」
そして今度は煽ってきた。なんだよいきなり。
「時間稼ぎ?」
僕は疑問符を頭に浮かべながら尋ねた。すると花菜は大きく頷くと、
「来なよ、神様が待ってる」
とだけ告げて先に本殿の方へ消えていった。
神様なんて言われちゃ、断っちゃダメだ。僕は完全に何かに陥れられたと肝を冷やしながら本殿に向かった。
本殿に着くと、そこには懐かしい面々が揃っていた。
玉座に萌加様。その右隣に兎山明様。明様の隣から順に、渡海自治領小臣の東河口竜洋、小巫女の福田湊。萌加様の左隣がひとつ空いていて、その空席の隣に巫女の豊田花菜が。さらにその横に鎌田美有が座っている。
……いったいどういうことだ? 今日は何か集まりがあるだなんて聞いていないし、そもそもとして渡海とは関わりを極力絶っている状況にある。
「お、来たね」
僕の顔を見るや否や、萌加様が笑われた。
「随分と待たせやがって」
その裏で竜洋が文句を言ってきた。美有さんも頷いていて、少し不機嫌なのが伝わってきた。
「いや、聞いてない。今日ここにみんなが来るなんて聞いてないし、許可もしてないよ」
僕が言うと、
「へぇ、臣になってべらぼうに偉くなったつもり? 所詮臣のくせに」
鼻で笑いながら明様が僕を睨みながら言われた。その言葉に深く頷くのは萌加様だった。
「そうだよ。許可をしたのはわたし。正真正銘、この国の神からの許可だよ。というより、集めたのもわたしだし、来なかったら命令違反になって処刑なんだよ?」
そりゃ神様に敵うわけないけど、この面々との接触は避ける方向で国を運営しようと約束していたじゃないか。その約束が一方的に破られたことに腹が立つ。
「大智さん」
苛立ちの最中にあった僕に、湊さんからの声が届いた。その声を無視しようかと思ったが、あまりに真面目な声だったということと目が合ってしまったことで無視はできなかった。
そのまま彼女の言葉を待った。
「もう、やめませんか? いくら渡海が自治領だといっても、私たちは国ではありません。国家の運営機関から切り離されてしまうと不都合も多いですし、なにしろ連携が取りにくくて国の発展にも寄与できません」
湊さんはそこで区切るが、僕は何も言わなかった。おそらく彼女は僕が何か言ってくると踏んで区切ったのだろうが、正直言い返すよりも腹の虫の居所を安定させることのほうが僕にとって重要事項で、言い返してしまうと事態が悪転しそうだと思われた。
僕から言葉がないことを見て、湊さんはひとつため息を吐くと、
「みんな、誰もバラバラになりたいと望んでいませんよ。これ以上遠く離れてしまい、お互いに憎しみ合う前に、もう一度ひとつになりませんか?」
そう提案してきた。
その言葉には、全員の視線が乗っかっていた。まるで僕に何を言って聞かせるか示し合わせていたかのような雰囲気だ。
……くそっ。
「もう一度ひとつに? いいのかい? そうなると僕の粛清範囲が渡海にまで及ぶけど」
未だに腹が立っていて、僕は意地悪く言い放った。その言葉に真っ先に反応したのは竜洋だった。
「粛清をすることが、臣の仕事なのか?」
……違う。それは臣の仕事じゃない。僕はそれを理解していたが、この半年そうやってきてしまったため引くことは許されない。だから堂々と言う。
「そうだよ」
その言葉に対して、花菜は怒りの視線を向け、湊さんは悲しそうに俯き、美有さんは無表情のまま僕を見ていた。
竜洋にはこっ酷く怒られることを覚悟して放った発言だったが、その反応は予想外のものだった。
「ならやれば良かろう。お前がそう言うなら、渡海の民だって幹部だって、俺たち首脳部だって粛清すれば良かろう。渡海も国域の一部。それが国の臣の仕事なんなら、その手を渡海にまで及ばせてもなんらおかしくなかろう」
「えっ? あ、いや、何を……? もう一度考えろよ、僕は優秀な幹部でも殺すぞ、渡海の統治に貢献している者も、躊躇わず殺すぞ? 渡海でも恐怖による支配が幕を開けて、風評被害や非難の眼差しがそっちにも向くぞ?」
僕は予期しない反応に焦った。だからそう言葉を告げたが、言っているうちに僕自身が醜く思えた。
つくづく臣の仕事とはかけ離れた、悪政も良いところだ。最初は意図的でなかったとはいえ、それが分かった上で今なお続けているのがアホ臭く思えた。
そんな言葉でも、竜洋は頷き、
「それがお前の仕事なのだろう、ならばやれば良い」
と返してくる。
「…………」
僕はもう、言い返せなかった。いいや、言い返そうと思えば言い返せたけれど、これ以上本心から離れた言葉を並べても醜さが増すだけだと分かったから言えなかった。
そんな時に、湊さんが小さな声で言った。
「もう、やめましょう。本当は大智さんだって、こんな統治を望んでいないんじゃないですか?」
その言葉は、今の僕にとって救いのように思えた。
みんなの視線が僕に向いているのが分かった。ここで湊さんの手を取り、かつて突き放した渡海との関係を改善するか、冷たくあしらって今まで以上に関係を悪化させ、二度と戻れないような関係になるか。
今後を賭けた選択を握らされているのを理解した。
意地を張っていても仕方ないのだろう。
心が荒んでいたあの頃の統治形態を継続しても、これ以上良いことはないだろう。
もう充分見せしめもしたし、国民の萌加様への崇拝度も上がった。理想的な国家を目指す上で必要な地盤はもう育った。
それなら、次の段階に進んでも良いのだろう。
次にやることは言わずもがな、国家統一だ。
「……うん、やめよう」
僕はみんなに、久しぶりに本心を打ち明かすことにした。
呟きに近かった、そんな小さく短い言葉だったが、みんなの表情が明るくなった。
その顔は、本当に久しぶりに見た気がする。いつ以来だろう? 僕の精神が滅入る前から見ていないとしたら、一年と少しだろうか。
今まで当たり前に見ていた表情が戻ってきたと同時に、この期間ずっとみんなに無理を強いていたことに対する罪悪感が僕の背中を刺した。
「ごめん」
気付いたら僕は謝っていた。それは紛れもなく本心からの謝罪だった。
今までみたいに、何を言って、どのように演じるかを考えてから出した言葉じゃない。久しぶりに直感で言葉を発していた。
「まったく、ほんとだよ」
真っ先にそう声を上げたのは花菜だった。
「大智の暴走を抑えるのがどれだけしんどかったか」
たしかに、こいつには物凄い迷惑をかけた。僕がどれだけ冷たく接しても、幼馴染として支えてくれて。花菜だって弟のように思っていた大志を失って辛かっただろうに、自分のことよりも僕の精神を優先してくれた。
感謝しても仕切れないけれど、その言葉を述べるのは照れ臭くてやめた。
「でも、本当によかったです。これで断られたらどうしようかと思っていました。もう一緒に神治をすることを諦めなくてはならないとも思いましたし、怖かったです」
湊さんがそう言う。
彼女も花菜とは違う形で色々と支えてくれていたと思う。冷たく突き放し、関わるなと言い放ったあの日から、悲しそうな表情を浮かべながらも僕の気持ちを尊重してくれていた。現に今の今まで一切の関わりを絶ってくれていながらも、花菜や神様とは密に連携を取っていて、同時に渡海の統治に勤しんでくれていた。
おかげさまで、併合当時は大いに荒れていた渡海は見る影もなく、今は安定した情勢が続いている。難民として各国に散らばっていた民たちもちらほらと戻ってきて、かつての賑わいが戻りつつあった。
それは紛れもなく、彼女の温厚で優しい性格が産んだものだろう。
「で、お前の言った臣の仕事とやらはどうなんだ? 続けるのか?」
そう尋ねてきたのは竜洋だった。
彼とは仲良くなってすぐの決別となった。あっさりとした性格のように見えて、意外にも食い下がってくる奴で、最初は突き放しても言い返してきて、口論の末殴り合いになったこともある。
しかし、年始に渡海自治領が設立されると、彼は自治領の神治を司る小臣になり、多忙のせいもあるのか僕から遠ざかっていき、今までのような関わり合いもなくなった。
今思うと、プツリと僕との関わりが切れたのは、湊さんの助言があったのかもしれない。かつて渡海国の臣家に仕え、長女の湊さんの用心棒を務めた竜洋は、歳は湊さんの方が下であっても仕える対象として見ている面がある。今は竜洋が小臣で湊さんが小巫女と、若干立場が入れ替わったように思える状況なのだが、おそらく彼は湊さんに接する態度や気持ちを変えていないはずだ。
よって彼からしたら湊さんは絶対に近い存在で、少しの助言でも傾くことがある。よく言えば自制心が働く優秀な奴だが、悪く言えば従順だ。
そんな彼からの質問に、僕は「どうしようかなぁ」と返して迷った。
「やめるべきよ! そんなことをしても何にもならないでしょ」
花菜が言ってくる。湊さんも頷いているが、
「でもいきなり方針転換するのも混乱のもとだよ。ここまでこの形式で統治をしてきたんだから、国民はこの支配に慣れているわけだしさ」
僕は自分の意見を述べた。これは今まで僕が演じてきた理由でもある。心の荒んでいた頃にやっていた統治方法を変えられなかった理由だ。
「それに、今いきなり変えれば、これまで殺された18人が報われなさすぎる。遺族からの反発は免れないぞ」
竜洋が僕の意見を擁護した。珍しいように思えるが、そうでもない。彼は従順なだけで、自分の意見は強く持っている。それを表に出すときは出すし、隠すときは隠す。そういう奴だ。
だからよく僕と喧嘩したわけだけど。
「だったら、渡海との交流を再開すると同時に、渡海の発言力を大きくしたらどうだろう」
静かな声がした。今まで黙っていた美有さんが口を開いたのだ。
僕の弟で、先代の臣だった大志を殺した御厨光和という奴がいるが、彼が属していたのは旧兎山国の臣家、御厨家。過激思想の兎山国再興を目指し、この国を掻き乱した御厨家を僕は神治から降ろし、兎山自治領も廃止にした。それと共に、かつて兎山国の巫女家を務め、同じ兎山派に属する鎌田家も神治の参加を停止した。
美有さんは、その鎌田家の代表だ。
いちおう鎌田家は神治参加の停止処分であるため、降ろされてはいない。奏上権という神治に対して意見を述べられる権利も有しているし、家庭内代表も決める。ただ役職に就かないだけで、日渡上神種としての権利を剥奪されたわけではない。
前々からあまり話さないし、何を考えているのかも分からないような謎の多い彼女であるが、意見を言うときは割とスパッと言う印象がある。今回もそんな感じだろう。
「というと?」
僕が訊くと、
「渡海の小臣、小巫女の政策で、日渡の雰囲気を変えていく。大智くんの発言力を徐々に弱めていって、理不尽な粛清や恐怖支配をだんだん緩和していくの」
と返ってきた。
「大智さんに批判が向きそう……かも」
その意見を聞いて湊さんが懸念を口にした。
「たしかにな。今まで恐怖で縛りつけた大智を悪く言う声は増えるだろう。下手したら臣から引き摺り下ろされるかもな」
竜洋もそう言う。
「でも、そうなったらその時はその時だよ。どうせ僕は繋ぎでしかない」
しかし僕はそう言って笑った。その声に心配そうな表情を浮かべる面々。
「繋ぎだと? もしかして本当にあいつに任せるのか?」
竜洋が不安そうに言ってきた。
「うん」
それに頷く僕。
「正気か? 奴は御厨の血を引くぞ? それなのに臣にさせるのか?」
「僕よりはマシでしょ? 神治をやりたくなくて逃げ回って、でもやらなきゃいけなくなって、やってみたら粛清ばかりの恐怖政権。僕が汚れれば汚れるほど、次の臣への期待は大きくなるし、そんな大層なことをしなくても支持されるようになる」
僕がこの統治方法を続けてきた理由の中に、このようなものも少しは含まれる。というよりは、この考えで気持ちを保ってきた。
所詮繋ぎでしかない。僕が悪政を敷けば敷くほど、いずれ来る彼の政権を引き立てる素になる。そう思って無理をしてきた。
ところで、その彼だが、
「たしかに、先代の臣と巫女の間に産まれていれば、期待値は大きいでしょう。それに磐田の血もしっかり引いていますし、母親であるいちかさんも日渡のために善政を敷いておりましたから、国民からの支持も厚いでしょう」
湊さんが言った通り、先代の臣、すなわち僕の弟の子どもである。つい最近産まれたばかりの赤ん坊であるが、彼も磐田の血を引く歴とした次の臣候補である。
しかし、その母親が御厨家のいちかさんなのが竜洋が懸念したことだ。いちかさんは大志と神治をしていく中で恋仲になり、最初に掲げていた兎山再興を諦めて日渡のために尽くしてくれた方だ。
しかし御厨家からしたらあまり良い話ではなく、彼女は勘当されて今は鎌田家に身を寄せて子育てをしている。
ちなみに彼女は、大志を殺した光和の妹である。
大志が殺された理由は、いちかさんとの間に子どもを儲けたからである。
しばらく沈黙があり、各々考えを巡らせていたようだったが、
「……きっと最初から、その覚悟はできていたんだよね」
花菜がそう呟いて顔を上げ、
「本人がそう言うなら、やってみようよ。次の臣ももういるし、その子の後ろ盾もあるし! 臣一強の統治を終わらせよう!」
そう声を上げた。
「はい」
湊さんが返事をした。
「うん」
美有さんが頷いた。
しばらく考えていた竜洋だったが、僕の顔を見て、
「本当にいいな? 引き摺り下ろされても」
そう確認してきた。
「いいよ」
僕はそうはっきり言った。
「ならば良い。やろう」
竜洋がそう言って頷いた。
「じゃあ、決まり! 神様!」
花菜はそう言って萌加様を見た。僕らの話し合いを黙って見ていた萌加様が頷く。同時に、これまた黙って見ていた明様がどこからともなく紙を取り出し、萌加様に手渡した。
萌加様はそれを読み上げた。
「これより日渡萌加の名の下に、我が国は国家をより強固なものとするべく渡海自治領との交流を今まで以上に盛んに行い、密に連携を取り、議会の参画や国家運営に対する発言を認めることとする。なお、渡海自治領の小臣と小巫女に臣と巫女同様の権限を与え、役職上神種の優劣は4997大変革の頃と同様のものに戻す」
これが、僕らが再出発をする合図となった。
日渡は変わる。悪政から善政へ変わるために、徐々に徐々に進んでいく。
この半年間で確立した支配を変えるために、これから十年弱に渡って政策が取られるのだと思うと、僕がやらかした失態は非常に大きいのかもしれない。
でも、僕は失態とは思わない。これで僕は実質お役御免が確定したのだ。ずっと追い求めた自由が、もう手の届く範囲に来ていると思い、少しばかり嬉しくもあった。
長くキツい戦いが始まるのか、それとも終わったのか。僕にはまだ分からないが、とりあえず一区切りではないだろうか。
僕らは新たな一歩を踏み出し、この国の発展のために動き出した。




