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神継者〜カミヲツグモノ〜  作者: ひらたまひろ
サハ戦争
52/107

*この話には際どい描写が出てきます。ご了承ください。

 西暦1517年、1月20日。日本皇国、首都浦塩近郊の大きなホールで、世界的に有名なピアニストの新曲発表会が行われた。


「お集まりいただき、ありがとうございます」


 ステージ上に立ち上品な声色で語るのは、黒いドレスに長い金髪を垂らし、真っ白でシンプルなお面を被った少女である。


 そんな独特な容姿の者など二人もいない。


 言わずもがな、カリナに他ならない。


「昨年よりここ皇国と隣国扶桑国は、意図せぬ戦禍に苛まれました。まだ全く安全とは言えませんが、聞くところによるとあのSHARMAの縄張り争いは終盤に差し掛かったようです。もうすぐ終わると良いですね」


 彼女はそう言ってしばらく間をあけると、「さて、」と前置き、


「扶桑国はSHARMAの縄張り争いに介入してしまったので、これは好機と私は捉えまして、実際に南扶桑群島に赴いてみたんですよ」


 どわわ、と会場が湧いた。理由は明白、SHARMAの生息域である南扶桑群島に赴くなど普通はできないことであるのだから。否、赴いたとしても生きて帰ることなど不可能だからだ。


「あ、誤解の無いように言っておきますが、従軍しただけですよ? 敵勢力のSHARMAの縄張りには踏み入れておりませんので、そんな凄いことをしたわけではありませんよ」


 従軍という言葉に、なんだそう言うことかと納得したような客たちは途端に静かになった。


「そこでですね、私は見てきました。SHARMAの戦争を」


 カリナがそう言うと、ステージのスクリーンが降りてきて映写機が動き出す。


「今回書き下ろした曲は、このSHARMAの縄張り争いに巻き込まれて誰にも看取られずに亡くなった扶桑国の兵隊さんの魂を鎮めることを目的に書きました。この戦争の悲惨さ、SHARMAの恐ろしさなど、それを感じながら聞いてください」


 そしてその曲名を告げる。


「『戦場の精霊』」


 するとステージ上が暗くなり、カリナを照らすスポットライトのみが残る。同時に拍手が起き、その中でカリナがピアノ椅子に座る。


 カリナがピアノを弾き始めると、映写機がとある映像を映し出した。


 そこに映ったのは、SHARMAの艦隊が幌筵島を攻撃している映像であった。


 また、幌筵島要塞からSHARMAの艦隊へ砲撃する人類の姿や、砲撃によって燃え上がるSHARMAの揚陸艦なども映る。


 しかし、曲が進むにつれてSHARMAが要塞に上陸し、無慈悲に人類が狩られる姿も映る。


 そして、曲が終わるときには既に、幌筵島には大連邦協商の旗が閃いていて、扶桑と北端神類の負けを暗示していた。


 ピアノを弾き終わったカリナは、観客に何も言うことなく無言で立ち去った。


《これにて、カリナ様による新作発表会は終了となります。みなさま、お気をつけてお帰りください》


 アナウンスが鳴り、観客席が明るくなる。


 アンコールなど、存在しない。


 なぜならこの曲は、このコンサートは、これ以上戦争を続けてはならないと日本皇国に伝えるためにカリナが催したものだからだ。よってアンコールなどあってはならないのだ。


 高額な金を払って、たった5分の曲と悲惨な映像を見せられた観客は怒るに怒ったが、それはカリナにとって取るに足らない件である。


 他人ひとからなんと言われようとも、彼女の意思はけして揺らがないのだから。




ーーーーー

ーーー




 占守シュムシュ島への攻撃を目前にして、第一艦隊と第五艦隊は占領した幌筵島を拠点として待機する。


 第三艦隊はその隣、温禰古丹島にて待機中にあり、第二艦隊は未だサハ大陸を護る。


 幌筵島の占領が完了してから3日後のこと。異世界扶桑国に対して占守シュムが『最後の応援要請』と題して攻撃命令を出した。


 その具体的な内容は、扶桑艦隊にて樺太島と幌筵島以下占領された千島列島を解放すること。


 扶桑国には、もうまともに動く艦隊は一部隊しか残っていなかったが、SHARMAのこの縄張り争いは既に扶桑国にとって対岸の火事ではなく、当事者の仲間入りを果たしてしまった事態であるため、国防という観点でも、たとえ残る戦艦が少なかろうとも戦わざるを得ないのだった。


 このまま北端神類が滅べば、南方からより過激な神類がやってくる。またその神類は異世界人類との共存を認めぬ存在であり、いつ攻め込まれてもおかしくない状況が生じる。


 扶桑国及びその周辺国家にとっては、何が何でも北端神類(世界北部同盟)に勝ってもらう必要があるのだ。


 よって、占守シュムからの命令に呼応し、扶桑国最後の艦隊が樺太島を目指して出撃する。


 樺太島は協商第二艦隊のみに守られていて、現在戦力が最も少ない地帯となっていた。だからこそ千島列島ではなく樺太島へと進撃したわけだが、その動きをいち早く察知したのは柄江浦に駐屯する千羽舞だった。


 舞は即座に南四連邦の洋介、若菜、政樹に伝達を入れる。最初に反応を示した洋介は、政樹率いる第二艦隊に樺太島で迎え撃たずに、オホーツク海(神類文明ではサハリン海、別名北端の海)に出撃し、サハ列島に近い場所で扶桑艦隊を討つことを命じた。


 政樹はサハ大陸の防衛をガラ空きにするわけにいかないと反発したが、どうせ扶桑の艦隊はもう残り僅かであり、空から撃たれることはあれども海から攻め込まれることはほとんどないとの見解を洋介が述べたことで、2隻の戦艦を港に残して戦艦7隻および護衛艦多数の体勢で出撃。冬至後31日深夜に、温禰古丹島の沖合300kmほどの海域で扶桑艦隊と接敵した。


 サハ戦争最後の大海戦こと、サハリン大海戦の勃発である。


「撃てぇぇ!!」


 砲声が轟き、氷の漂う水面を揺らした。


 主砲が火を噴き、高速で弾を撃ち出す。


 目標の扶桑艦隊に次々と命中するが、それは扶桑も同じこと。協商第二艦隊は、ここに来て苦戦を強いられることになる。


 扶桑艦隊の猛攻を受けて、第二艦隊は7隻の戦艦のうち2隻が撃沈、また3隻が自力航行不能に陥り、最後まで戦い抜いた戦艦は僅か2隻だった。


 そして、自力で航行できなくなった船の中に、巨大戦艦と謳われた『かいたく』も含まれていた。


 機械室が炎上し、いつその火が弾薬庫に飛び火するか分からない状況で、あとは沈むのを待つだけとなっていた。それを憂いた済田政樹は、『空間』の要素を持つ者を招集し、船ごと知床へと転移するよう命じた。


 船は無事に知床に入港し、すぐさま修理に取り掛かった。それ以外の自力で航行可能な船舶は、温禰古丹島まで進み入港した。


 丸一日に渡る撃ち合いの果て、協商側にこれだけ被害が出ているわけだが、対する扶桑国側もこれまた被害が甚大で、侵攻を諦めて国へ撤退しようとしていた。


 しかし、そうは問屋が卸さない。


 東輝洋介は、この隙を逃さなかった。


「第三艦隊に命ずる。直ちに北方の海に出向き、撤退せんとする敵艦隊を悉く沈めよ!」


 温禰古丹島に停泊する、北嶺札穂率いる第三艦隊にそう命令した。第三艦隊は温禰古丹での休養を切り上げてそれに従い、すぐさま満身創痍の扶桑艦隊を見つけると、容赦なく攻撃を浴びせて僅か2時間にて敵艦隊を沈めた。


 この一方的な戦いを、サハリン大海戦追討戦という。


 第三艦隊は温禰古丹島に戻ろうとしたが、ボロボロの状態の第二艦隊が既に入港していたため、やむを得ず隣の幌筵島に寄港した。


 そうして第一、第五艦隊と合流した。


 戦力が着々と、占守島周辺に集まりつつあった。


 決戦はもう、間近に迫っている。




ーーーーー

ーーー




「あ、そうだ。あなたに話があるのだけど」


 神紀4998年、冬至後30日。


 直轄領化した大池の統治状況に関して、イズミとの話し合いを終えた後、廊下ですれ違いざまに明様からそう呼び止められた。


「なんでしょうか?」


 訊くと、明様は僕の目を見て、


「あなた、縁談に興味ないかしら?」


「えっ!?」


 え、縁談……? そ、それって結婚という意味、だよね……?


「縁談、ですか? ぼ、僕まだ13ですけど……」


「実際に結婚するのはまだ先よ。婚約するだけ。一国の臣なんだから、そろそろ次の世代のことを考えておくべきかと思うのよね」


「で、ですが。僕がずっと臣であり続ける保証はありませんよ? ちーにぃもいますし、御厨家、鎌田家も、竜洋さんだっています」


「だからこそよ」


 明様は、鋭い眼差しで僕を射抜いた。


「と、言いますと?」


 僕が尋ねると、明様はひとつため息を吐いた。察しが悪い、面倒。そういう思考が伝わってきて、少しばかり嫌な気持ちになった。


「じゃ訊くけど、御厨と鎌田に日渡の臣が務まると思う?」


 その言葉に、僕は声を詰まらせた。きっと明様は「思わない」と言いたい、結論づけたいのだろうけど、僕の意見としては「臣になってしまえば誰だろうと務まる」と言いたい。実際、僕だってそれらしきことはできている。きっと誰だって、臣という地位につけばそれらしいことはできるはずだ。


「なにか思っていることがあるみたいね」


 明様は僕の顔を見てそう言った。


「ま、いいわ。私の感覚では、御厨と鎌田に日渡の臣は一生務まらないと思うわ。巫女ならまだしもね。だから大志、」


 そこで明様は一拍間をおくと、僕を真っ直ぐ見て、


「日渡という国を残していきたいなら、死ぬ気で今の地位を守りなさいな。磐田家が臣で居られるように努めなさいな」


「それで、縁談ですか」


 僕が言うと、「そうよ」と一言だけ返ってくる。どうしてそうなるのか、よく分からない。


「……はぁ。あんまり分かっていないみたいね」


 明様も気付かれているようで、相変わらず面倒そうに僕を見た。


「結論を言うと、今の磐田家は臣家にしては小さすぎるのよ。いるのは大智と大志の二人だけ。このまま行くと、このあと家が断絶する可能性もある。見方によっては未来がないように見えて、諸外国からも脆弱に見える。また、兎山派の家々にとっても同じことが言えて、磐田家の衰退は萌加による統治の衰退の象徴に思われても仕方ない」


 明様は、「本当はここまで察して欲しかったのだけど」と言いながら僕に説明してくださった。


「つまり、僕が誰かと婚約を取り付けることで、磐田家に未来があることを示すというわけですか?」


「えぇ。現役の臣の婚約となれば、それはもう盛大に周知されるわ。あなたが臣のうちに、できることはしておくべきだと思うのよ」


 なるほど、そういうことか。


 ……とは言うものの、相手がいない。


「状況と意義は理解しましたが、肝心なお相手がおりませんので……」


 そう辞退しようとしたら、明様が首を傾げて、


「何を言うの?」


 と不思議顔。そのまま僕を誘導するかのように僕の背後に視線を飛ばす。


 僕が振り返ると、そこにはイズミが立っていた。


 というより、一緒に廊下を歩いていたから当然なんだけども。


「そんな可愛らしい女の子が身近にいるというのに、どうして相手がいないとか言えるのかしら?」


「えぇえ!?」

「め、明様……!」


 それにはイズミも困惑の様子。普段冷静な彼女にしては珍しくあわあわとして、焦ったような挙動をしていた。


「あ、あの! お言葉ですが、私は今こそ統治区長という地位にありませんが、代々より大池統治区の長の家系に産まれまして、あの地区を任されてきた身です。私が臣家に嫁いだとなれば、国内の統治区長家からの反発は免れないと存じますが……」


 イズミがそう明様に進言すると、


「十分理解しているわ」


 と明様。「だったらどうして……」と僕が切り出すと、それに被せるように明様は続けた。


「そして、これを機に改革に乗り出そうと思うのよ」


 か、改革……?


 この前、4997大変革をしたばかりだというのに。


「改革ですか……?」


 イズミがそう訊くと、明様はひとつ頷いて、


「統治区をなくすのよ。村から直接、神治首脳部に納税させる」


「そんな……! それだと統治区長はどうなるのですか!?」


「そんな焦らないで欲しいのだけど。私だって無策ではないわ。それと、これ以降は落ち着いて話し合いたいから、詳細は午後の会議で伝えるわ」


 そして明様はイズミを見ると、


「あなたも出席しなさいな」


 それだけ言って、そのまま廊下を歩いて行かれた。


 取り残された僕とイズミは、ただただ黙って、しばらくその場に立ち尽くすしかなかった。




 午後になり、会議のために本殿に集まる。


 僕といちかさん、そこに気まずそうに小さく座るイズミを含め、三者で明様を待つ。


「遅くなったわね」


 明様にしては珍しく遅刻である。しかし明様は何事もなかったかのように座ると、


「先ほど、大志とイズミには言ったのだけど、」


 と切り出して、いちかさんに向けて言う。


「統治区制を廃止しようと思うわ」


「えっ!?」


 驚くいちかさんだったが、少し考えてから、


「まぁたしかに、この国の国民は神治首脳部を除けば村長や統治区長のみが肥やしを得ている状況ですからね」


 とどこか納得したように明様に返す。


「それもそうなのだけど、そもそも仕組みとして古いのよ。あの制度って、協定大国を円滑に回すために考案されたものなの」


「つまり、今の国勢に見合わない統治方法ということですか」


 協定大国というと、今からおよそ2500年くらい前の話だと記憶している。


「そうね。特にこの国はお世辞にも大国とは言えない。統治区を置く必要はないわ。村から直接税を徴収しても良いと思うのよ」


 明様の言葉に、いちかさんが「賛成します」と頷く。僕も異論はないけど、不安なことがある。


「あ、あの。お言葉ですが……それだと、統治区長や村長は、どのように生活をしていけば良いのでしょうか……? 税が入ってこないと、私たちは生きていくことさえできなくなってしまいます」


 それはイズミが代弁してくれた。


「そうよね、その不安は当然だと思うわ」


 明様は「分かっているわ」と言ってイズミの不安を取り除く。


「この改革は、税の徴収に限った話じゃなくて、この国の根本を変えるためにやるのよ」


 明様は僕らにそう言った。


 根本を、変える……? 去年もだいぶ根本から変えたようなことをした気がするけど。


「と、いいますと?」


 いちかさんがそれに食い付いた。明様は頷いて、


「まず、全体として『富民とみのたみ』という地位を作るわ。いわゆる富豪よ。これは下神種に限らず上神種も入るわ。で、この地位を持っている家の者が日渡議会に参加することができるようにするの」


「つまり、上神種と下神種による神治ということですか?」


 僕が訊くと、「えぇ」と返ってきた。


「渡海の統治が困難になっている今、神治の根本を見直して、かつての統治区長や村長が自ら神治に参加できるように変えてしまえば、国民からの不満は最小限に抑えられると思うの。現状、国民のことを知らない私たちが国を動かしていることが大きな混乱を招いているのは言うまでもないわ。だから、国民の今を知っている富民が神治に参加するようにしてしまえばいいと考えたのだけど」


 明様の言葉に、僕は考えた。たしかに濱竹も、議会に下神種を取り込むことであの広大な国を動かしている。下神種を議会に含めるようになった理由は、安久斗様を快く思わない統治困難地域の解消にあると聞いたことがある。


 つまり、今の渡海の状況と酷似しているのだ。


 しかし濱竹は、議会に下神種を取り込むだけでは終わっていない。


「たしかに、濱竹の統治方法に倣い、理に適ったものと存じます。ですが、それだけで上手くいくとは到底思いません。濱竹の統治に大きな影響をもたらしているのは……」


 そこまで僕が言うと、


「学校……」


 いちかさんがそう呟いた。僕はそれに頷いた。


「その通りです。学校による教育が大きいでしょう。上神種、下神種問わず初級、中級と学校に行き、生きる術や安久斗様への絶対的な忠誠を叩き込み、叛逆者を作らない仕組みが確立されております。富裕層のみによる神治の参画を推し進めても多少の状況の改善はありましょうが、それ以上に見込めるのは、学校の設立、せめて初級学校のみでも造るのが吉ではないでしょうか?」


 僕が明様に告げると、「鋭いじゃない」と微笑まれる。まるで最初から分かっていたかのような、その答えが出てくるのを待っていたかのような笑みで、少しばかり弄ばれた感じがして嫌な気分になる。


 しかし、そんな僕の心境など関係なく、明様は淡々と仰る。


「富民を設定するのはゆくゆくの話で、何も今すぐに統治区を廃止しようとは思わないわ。ただ、そうね。5000年から施行できたら嬉しいわね。ちょうど節目の年だし、分かりやすいでしょう。その前にやることとして、まずは初級学校の設立よ。子供たちに教育を施し、次の時代を担う世代に賢くなってもらうわ。そのためには学校を建てなきゃいけないのだけど、ひとつひとつ建てていたら時間の無駄よ」


「では、どうされるのですか?」


 いちかさんの質問に、明様は、


「統治区長の邸宅を学校にするのよ」


 とさらりと言った。


「あ、あのあの! 度々申し訳ないのですが、そんなことをされたら私たち統治区長家の者はどこに住めばよろしいのですか? 私の邸宅ならまだしも、ナガノ氏や加茂かも様はお子さんも従者も多く、部屋に余裕なんてございません」


 イズミが明様に意見すると、明様は「そうね」と返し、


「統治区を廃止することや、富民を設置することを見越して、統治区長家には引っ越しをしてもらうわ」


「そんな……!」


 イズミが目を見開いた。僕といちかさんも顔を見合わせる。


「この国を変えるのよ、根本から。だから、土地のあり方も、区画も、何もかもを大きく変えるのよ。統治区長には悪いけど、今の土地から離れてもらう必要があるわ」


 しかし気にせずに明様は語る。そして徐に一枚の紙を取り出して、僕らの前に置いた。それには、日渡の国の地図が載っていた。でも、それは見覚えのない建物や道が書かれていて、まるでこの国であってこの国でないかのように見えた。


「これは、私が提案する都市改革図よ。まず、磐田神社の門前を更地にして、乱立する下神種の家や市場をなくす。そこに、全ての統治区長の邸宅を並べる。それぞれ臣館や巫女館に匹敵する豪華な邸宅を造るわ。そして、その館群の外側を門前町として、市場や宿屋を並べる。ちょうどその位置に濱竹街道があるから、大いに賑わうはずよ。そうしてかつての統治区長家の館を初級学校として使うの。これが主な都市改革よ」


 神社の門前に、館を並べる……


 火でも放たれたら、目も当てられない状況になりそうだ。


「怖いのは火事ですね。かつての統治区長、その頃には富民の館が密集して並ぶとなると、神治を快く思わない民が火を放てば、大惨事になります」


 僕が言うと、「そうならないように努めるのが第一でしょうに」と明様。


「村長の邸宅はどうするのですか?」


 いちかさんの質問に、明様は、


「村長にはそのまま村の長を続けてもらうわ。税を直接集めると言っても、私たちの元に国民全員が運んでくるのは現実味がないもの。ただ、村長は税を徴収できないようにする。彼らの収益は、私たちからの支給にするわ」


「村長にかかる負担が大きすぎませんか?」


 僕は直接疑問を口にした。


「そうかもしれないわね。でも安心なさい、税を納める場所は、磐田神社、御厨神社、福田神社の三箇所に分散するから、近いところに納めていいようにするわ」


 そうは言いますけど……


 何か納得ができない僕だったが、明様がまたも紙を取り出して僕らの前に置き話し出したため、一度考えるのを辞めた。


「官職は今のところ9つ考えていて、臣と巫女を除くと7つ、上から『上官』『下官』『一位』『二位』『三位』『じゅう』『従侍じゅうじ』よ。この官職を、富民に任せる」


 紙には、『神』を頂点とし、上から『臣』『巫女』『上官』『下官』……と官職の名前が並ぶ。それと同時に、分からない言葉が横に並んでいる。


「あの、この『左』、『央』、『右』はなんですか?」


 そう、その紙の『神』の下に書かれた三つの文字が気になる。僕の質問に、


「これは年を表すの。この国では暦が根付いていないでしょう? そこで、三年でひと回りするようにしてみたの」


「ですが、それとこの官職に何の影響があるのですか?」


 いちかさんが尋ねると、


「臣と巫女を、年で固定するのよ」


 と明様。


「年で? どういうことですか?」


 僕が訊くと、


「家庭内試験を廃止して、上神種の臣と巫女を神に次いで絶対的な存在にするのよ」


 明様はそう言った。そして、筆を取るとその紙に書き込んでいく。


 臣の横、左の下に「福田」と書き、巫女の横、左の下に「東河口」と書く。同様にして、臣の横、央の下に「磐田」、巫女の横、央の下に「豊田」、臣の横、右の下に「御厨」、巫女の横、右の下に「鎌田」と、それぞれ書いた。


「央の年は臣を磐田家、巫女を豊田家にする。の年は臣を御厨家、巫女を鎌田家に、の年は臣を福田家、巫女を東河口家が務めるように固定するの。一年周期で臣と巫女が交代するけど、家を固定して上神種家の対立を軽くさせるわ」


「でもこれでは、右の年に批判が出そうですよ」


 いちかさんが不安そうに明様に言った。


「そうね、でもまだ仮の話よ。このあと煮詰めていきましょう」


 明様がそう返される。


「それと、兎山自治領はどうするのですか?」


 僕が訊くと、


「廃止したいわね。私は神治なんてしたくないわ」


 明様があっさりそう言った。これってもしかして……


「明様。お言葉ですが、そのために改革なさるのではないでしょうか?」


 そう尋ねると、明様はキョトンとされて、


「そんなつもりはないわよ? 私は渡海の安定化のために神の代理を務めているわ」


 そう返答された。また、その言葉に「あと」と付け足して、


「大志の婚約に向けての改革でもあるわね」


 と微笑まれた。


「大志くんの、婚約……?」


 それに疑問を浮かべたのはいちかさん。ピクリと反応するイズミ。僕は内心、墓穴を掘ったと後悔した。


 明様はいちかさんの疑問に「ええ、そうよ」とさらりと返され、


「大志には、萌加の権威を示す磐田家の臣として、将来のことを見越して婚約をしてもらおうと考えているわ」


「たしかに、今の磐田家では後が不安ですね。未来がないと思われれば、あたしたち御厨家が何をしでかすか……」


 いちかさんが申し訳なさそうにしながらもそう言った。


「ということで、大志にはそのイズミと婚約をしてもらいたいのよ」


 明様が淡々と仰る。いちかさんが僕とイズミを見て、


「……」


 何か言うでもなく、ただ黙り込んだ。しかし、しばらくしてから、


「なるほど、それで改革ですか。統治区の廃止、税制の改変、門前の見直し、上神種家の役職固定化。たしかにこれだけ事を大きくすれば、薄れますもんね」


 などと呟く。明様はそれに対して、


「裏を返せば、これだけ大事おおごとにしないと、いち統治区長家の下神種が臣家に嫁ぐことが難しい現状があるということよ。特にイズミは大池の一人娘、今やその家唯一の存在。このまま婚約させたならば、取り入ったとか、取り込んだとか、色々言われかねない状況なのよね。改革と同時に嫁がせて大池の家を事実上潰してしまえば、反発も少ないんじゃないかしら」


 と補足する。


「そ、そこまでしなくても、私なんかを臣様に嫁がせなければ、全く改革しなくても良いのではないでしょうか……」


 イズミが本当に申し訳なさそうに明様に告げる。


「たしかにそうなんだけど、今から大志に見合うようなそれなりに格式のある下神種を見繕うのも面倒だし、かと言って上神種家から嫁がせるわけにもいかないし、せっかく同い年で旧知の仲なんだし、大池の血統を残すためにも嫁いでくれないかしら?」


 そんなイズミに、明様はそう言われた。イズミはそわそわしながら俯き、「か、考えさせてくださいませ」と小さく告げた。


 その様子を、いちかさんがただじっと眺めているのが気になった。




ーーーーー

ーーー




 神紀4998年、冬至後35日。


 早朝から、僕らは混乱に見舞われた。


 ブゥゥン、と蜂が飛ぶような音が島中に響き渡り、遠くの空から現れたのは……


「航空機!?」


 そう、無数の航空機の群れが、僕らが拠点としている幌筵島に襲来した。


 そして、航空機は無数の爆弾を落としてきた。


「させるか!」

「結界を張れ!」

「撃ち落とせ!」


 しかし、関東の軍団は慣れているのか、能力で島に爆弾を落とさないように防いでいく。それどころか、航空機に向けて飛び立って行き、直接攻撃を仕掛けて落としていた。


「見ろ、あれが神類この文明が残ってきた理由だ」


 僕らに静かに告げるのは安久斗様だ。


「安久斗様は、あの光景を目にしたことがあるんですか?」


 そう訊くと、


「随分と昔の話だが、空を飛ぶ物体を無我夢中で落としていた時期もあったな」


 そう返ってきた。しかし「永神種なら誰もが通った道だろうよ」と当たり前のことのように言われると、


「神治制が確立する以前の話だがな」


 遠い昔のことである、と誇張された。


「諸君、聞けっ!」


 航空機が去ったあと、僕らの耳に届いたのは、関東統一連邦の盟主、東輝洋介様の言葉だった。


「あの爆撃機を飛ばしたのは、言わずもがな北賊である! 北賊はたった今、我らに直接的な攻撃を仕掛けて来たのだ! 皆、もう既に準備はできているだろう? これより我ら大連邦協商は、北賊の本拠地、占守島に攻勢を仕掛ける!」


「「「うおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」


 大きな雄叫びが上がる。


「おー」


 便乗して僕らもそれなりに声を上げるが、安久斗様と萌加様は声を上げなかった。


 萌加様は冷め切ったような目で盛り上がる関東の軍団を眺めていて、安久斗様はただニヤニヤとしていた。


「やる気になれないわね、まったく」


 そこに靜あおい様が御成となる。その隣には、靜国の臣、静岡呱々邏様と濱竹国の臣、浜松ひくま様の姿があった。


「何でそんなこと言ってんだよ。いよいよ祖神国家へ攻め込むんだぜ? お前が手柄立てりゃ、協商での靜連邦の立ち位置は絶対的なものになるのによ」


 安久斗様はあおい様にそう言うが、


「出来るとでも思うの? 関東との対立を生んでまで手柄を取りたくないわよ。……そもそも一緒に居たくないのだけど」


 あおい様はため息混じりにそう言われる。


「そうかよ」


 安久斗様はそうとだけ返すと、


「あ、ひくまの面倒、ありがとよ」


 そう礼を告げた。


 そういえば、ひくま様はいつからか見なくなったが、靜様のところに居られたということだったのか。年を跨ぐ宴会にも姿が見えなかったから心配だったが、艦隊が違っていたとは思わなかった。


 最初は一緒に居たのに、いつの間に移ったのだろうか。


 安久斗様の言葉に、あおい様は「大したことはしてないわよ」と返されると、


「それよりも、あなたは今回も張り切って攻め込むのかしら?」


 安久斗様にそう尋ねられる。安久斗様は「もちろんそのつもりだ。戦争だからな」と返すと、あおい様は、


「相手は祖神国家よ。おすすめできないわ」


 そう安久斗様に警告をされた。それを聞いた安久斗様は大笑いをして、


「別にシュムを狩ろうとは思わんさ。ま、お前がやると言うなら協力してやらんこともないが、俺が指揮して勝てる相手じゃねぇよ」


「何よその言い方。ムカつくわね」


 あおい様は安久斗様に舌打ちをされた。しかし、


「で、本命は誰を狙うのかしら?」


 と尋ねられると、安久斗様は、


「占守の上神種と、物珍しい異世界の代物だ」


 と答えられた。


「異世界の代物なんて持ち帰れば、協定からなんて言われるか分からないわよ?」


 あおい様の言葉に、


「戦利品だ。文明を取り入れようとしているわけじゃねぇから問題ないだろ」


 安久斗様はそう返されて、


「ま、そういうことだ。お前もやるか?」


 あおい様に尋ねられると、


「遠慮するわ。それよりも下賤な人類を弾いていたほうが楽しそうだもの」


 あおい様はそう仰せになり、僕らの前から去っていった。


「趣味の悪い奴だな」


 去って行かれるあおい様の背中に、安久斗様はひとつ、そう零された。




 そしてその日の昼前に、僕ら協商軍は占守島へ向けて進軍した。


 第一艦隊と第五艦隊が、占守島を南と西より攻めて、要塞に向けて激しい艦砲射撃を行った。


 しかし、同盟側からも無数の砲弾を撃ち込まれ、近づこうにも近づけず、戦局は芳しくなかった。


 このままでは、幌筵島上陸の二の舞になると思われるような、そんな状況だった。それに危機感を持ったのか、南四連邦の夏半若菜様から一時撤退の命令が出た。


 僕らは一度、幌筵島まで撤退した。


「船に乗って上陸を仕掛けるのは現実的ではないな」


「えぇ、そうですね。おそらく関東の神々も気付いていらっしゃると存じますが、それでもなぜ船にこだわるのか理解しかねます」


 安久斗様と東陽さんが話し合う。


「ころん。お前ならどうする?」


「そうですね……」


 話を振られた東陽さんは少し考えて、


「新月の夜に、飛来して強襲を仕掛けます」


「いい考えだ。だが新月は当分先の話だ。この頃は月が煌々と輝いているからな。それまで関東に待てと言っても、奴らは聞き入れぬだろうよ」


 安久斗様はそう返されると、東陽さんは再び考え出し、


「でしたら、吹雪の夜に攻め込むのは如何でしょうか」


 と進言するも、


「吹雪か。確かに敵に発見されにくいだろうが、こちらも敵を発見できんぞ。銃声も閃光も見えない状態でまともに戦えるとは思えん」


 一蹴されてしまった。


 東陽さんも手詰まりか、そこで黙り込んでしまう。それを僕の隣から冷たい目で見つめる喜々音さん。


 それに気付かない安久斗様でもなく、


「喜々音、何か言いたいことがあるなら言え」


 と指名されると、


「……お言葉ですが、」


 と喜々音さんが申し出て、東陽さんの前に割り込んで安久斗様を見る。


「危険な賭けになりますが、捕虜交換を行ってみてはいかがでしょうか?」


「……ほう?」


 安久斗様はそれに対して、ニンマリと笑った。




ーーーーー

ーーー




「政樹、第二艦隊の修復はまだか?」


「迅速にやっておりますが、いかんせん度重なる戦闘によって『かいたく』だけでも治すところ数知れず、目処はまだ立ちません故、しばらく待ってください。焦らせても、手抜きの突貫工事では意味がありません」


「だがそう長くも待ってはいられない。もう占守島は目前、陥落させるには圧倒的な火力を前にねじ伏せるが最善! 第二艦隊の力が必要不可欠だ」


「そうでしょうかね、上陸さえしてしまえばこっちのものです。どうにかして上陸をしてしまえば良いのです。なにも大砲に戦艦をぶつける戦い方に拘る必要はないでしょう?」


「いいや、何としてでも正面突破をせねばならぬ。我々の技術力を見せつけて、その圧倒的な力をもってして、人類文明以上の力を持つ存在だと異世界にまで恐怖を植え付ける必要があろう!」


 第二艦隊が停泊する温禰古丹島を訪れた東輝洋介は済田政樹に早急なる修復を指示するが、政樹はあまり乗り気でなく洋介の言葉に意見する。


 神類には固有の能力がある。しかし、今回の戦争でそれをあまり用いていないことは、もう誰もが知るところだった。


 それは洋介の意図的なものであり、また個人的な、身勝手な都合によって引き起こされた“珍事”であった。


 本来、神類はこのような戦争をしない。


 戦艦に乗ることもなければ、大砲を撃ち合うこともない。


 しかし、目に見える恐怖を掲げる洋介の意向によって、また異世界の常識に則って戦争を遂行する世界北部同盟によって、この人類のような戦争が生じたのだ。


 正直、政樹はそれに終止符を打ちたかった。戦うのにもコストがかかる。弾薬だって、砲弾だってタダではない。


 また、傷ついた艦隊を治すことだって多額の費用がかかるのだ。たった一体の祖神のエゴで、国民の生活を困窮させてまで慣れない戦闘形態で戦争を続行させるのは、そろそろ終わらせなければならないと感じていた。


「洋介、もう十分にその恐怖は異世界に根付いたことでしょう。ですから、もうこの巨大な艦隊で攻め込む必要はありません。戦争を早期に終わらせるためにも、我々が伸び伸びと戦える状態を作り、神類が神類たる所以に則り戦争を運ぶべきです」


 その政樹の言葉に、洋介は顔を顰める。


「十分に根付いた? 笑わせるな、政樹よ。この戦争は、半分異世界との戦争になりかけている。異世界は我々神類の実力をよく知らず、やれ返り血を浴びてはならぬだとか、やれウィルスを持っているだとか、迷信に近き理解の中に我らを置いているのはその目で見ただろう? そんな愚かな人類どもには、同じ土俵に立ってやり、そのやり方に則って戦争を進め、勝利を勝ち取ってこそ強さを示せるのだ。ここで戦法を変えてシュムに勝てども、それ即ち人類文明に対しては敗北したも同然なるぞ。我々が人類文明をも使いこなし、尚且つ神類の頂点に立つ。それをせねば、正しく異世界人類に恐怖を叩き込んだと言えぬだろうが!」


 洋介は怒鳴ると、政樹の胸ぐらを掴んで自身の方へと手繰り寄せると、


「直ちに治せ! 第二艦隊その全艦を、占守島要塞にぶち込めっ!」


 そう言い放って政樹を放り投げると、そのまま荒々しく大股で歩き去っていった。


 政樹はよれた襟を直して、メガネの位置を正すと、胸ポケットから通信機を取り出して夏半若菜に連絡する。


『なによ?』


 急な連絡に、若菜の声はどこか苛立ちを含んでいた。しかし苛立っているのは政樹も同じ。


「東輝洋介の横暴っぷりには、さすがの私も頭に来ましてね」


『私に文句を言わないでよ。それは洋介の責任よ』


「あぁ、文句を言うために連絡をしたんじゃありません」


 切られそうな雰囲気に、政樹は慌てて若菜に言う。若菜は『じゃあ何よ?』とやはり不機嫌そうに返してきた。政樹はフゥッと息を吐いて心を落ち着かせると、


「もし奇想天外な意見を持つ者があなたの周りにいるのでしたら、その者に秘密裏に指揮権を与えて、なんとしてでも占守島に軍を上陸させてほしいのです。もう人類の戦闘方式に則って戦争を遂行するのは辞めです」


『第一艦隊? 第五艦隊?』


 若菜からの質問は、どの艦隊に属する者を使うかの質問である。政樹は考えて、返す。


「洋介にバレないためには第五艦隊が良いでしょう。その中に、上手く使えそうな者はおりますかね?」


『さぁ。……探させてみるわ』


「頼みましたよ。洋介の指揮から外れた、独立部隊を結成するのです」


『バレればその部隊に命はないわね』


「えぇ、そうです。ですから……」


 そこまで言うと、政樹は嗤う。対して若菜もくすくすと笑い声を通信機から届けてくる。


『分かったわ、心当たりがあるから任せてちょうだい』


「ありがとうございます」


 そうして通信を終える。


「さて、洋介。もうあなたの好きにはさせませんよ? あなたは少々、身勝手すぎた」


 政樹はそう呟いてなお、その顔に嗤いを灯していた。




ーーーーー

ーーー





「安久斗」


 ガチャリと扉が開いて入ってきたのは、宇治枝の神、恭之助様であった。


「どうした、わざわざ『さらし』まで来るとは珍しいな」


 安久斗様の言葉に、手招きだけ返す恭之助様。安久斗様は席を立ち、恭之助様の招きに従って廊下に出ていかれた。


 そしてしばらくして帰ってくると、


「ころん、喜々音。仕事だ」


 と告げると、東陽さんと喜々音さんを連れて出て再び出て行かれた。


「何かあったのかな?」


 萌加様が疑問の声を口にした。


「さっぱりわかりませんね」


 花菜がそう返す。僕らは何も事情を知ることができないまま、ただただ時間だけが流れていった。




ーーーーー

ーーー





「関東統一連邦所属、南四連邦が祖神、済田政樹と夏半若菜より、俺に独立した指揮権が与えられたとのことだ」


 安久斗は喜々音ところんにそう伝えた。恭之助が安久斗の横で頷く。


「安久斗様に……」


「指揮権が……?」


 喜々音ところんは顔を見合わせて、


「裏がありそうですね」


「危険です、今すぐ辞退するべきでしょう」


 安久斗に対してそう迫った。そんな両者を、安久斗は「まぁ落ち着けよ」とたしなめると、


「確かに危険だ。関東の指揮下から外れるということは、失敗すればその責任すべてを押し付けられるってことだからな」


「分かっているなら……!」


 喜々音がそう言ったのを遮ったのは恭之助だった。


「でも逆に言えばだよ、上手くやれば、思い通りにことを運ぶことができる。関東の言いなりにならず、濱竹が思うままに、戦争を進められる可能性が……!」


「それはない」


 恭之助の甘い言葉に対して断言した安久斗。「なんだよ、せっかく説得に加勢してあげたのにさ」と少し不機嫌な恭之助を鼻で笑うと、


「失敗すれば晒される。だが成功しても手柄を関東に横取りされるのは明白だ。何せ俺は皇神種。攻め込む国家は祖神国家で勝ち目は万に一つも存在しない」


 喜々音ところんは、そんな安久斗を見つめていた。


「不思議そうな表情だな」


「当然ですっ!」


 安久斗に強く出たのは喜々音だ。


「なぜそこまで分かっているのに、あなた様はおやりになるのですか!?」


 その疑問に、安久斗はひとつ大笑いをすると、


「見せつけてやるためさ。そして、得られる利益を誰にも邪魔されずに独占するためだ!」


 そう堂々と告げたのだった。


「おいおい、独り占めは釣れないなぁ安久斗。せめて靜連邦に……いや、この宇治枝にも分けて欲しいものだよ」


 安久斗の言葉に恭之助が言い寄る。それを一瞥した安久斗は「はっ」とひとつ呆れたように漏らすと、


「濱竹の利益は、ゆくゆくは靜連邦の利益となる。濱竹が栄えれば、靜連邦が安定する。独占ではないぞ、しっかりそのうち、連邦に富をもたらすための下準備に過ぎないのだからな」


 そう恭之助に告げ、彼の肩に手を置くと、


「だから、俺に任せておけ。お前は靜のところで、堂々と関東から援助される技術で儲かれ。危ない橋を渡るのこそが野蛮国家の役目だ。全てこの俺に任せておけ」


「……はぁ。そこまで言われちゃしょうがないな」


 恭之助は引き下がった。


「さ、事はあらまし分かったか?」


 安久斗がそう喜々音ところんに問うと、ころんははっきりと頷き、喜々音は面倒臭そうにため息を吐いた。それぞれの反応を見て、安久斗はニタリと笑みを浮かべて頷いた。


「ならばやれ。言いたい事は、言わずとも分かるな?」


「はいっ! 安久斗様の仰せのままに!」

「……安久斗様の仰せのままに」


 そうして喜々音ところんはそれぞれ別方向に廊下を歩いていく。


「“仰せのままに”って。君は何も言っていないのにねぇ……」


 恭之助が呆れたように安久斗を見る。


「そうだな」


 しかし安久斗は、ただずっと不気味な笑みを貼り付けながらそこに立っていた。


「……はぁ。ま、これ以降は邪魔しないから。勝手にやってね。分かっていると思うけど、失敗しても誰も擁護しないから。せいぜい死なないように」


「任せておけ、しぶとさには定評があるんでな」


 安久斗の返しを聞き遂げて、恭之助は去った。


 安久斗はしばらく、廊下で漏れ出てくる笑いを堪えきれずに立ち尽くしていた。




ーーーーー

ーーー




 吹雪の中。


 月もまだ出ぬ闇に紛れて。


 一隻の船が、占守島に接近した。


 神紀4998年冬至後40日のことである。


「喜々音」


「はっ」


 船の中から消える影は、二体の上神種と一体の皇神種。


 無人となった船は、ただただ占守島へ向けて流されていく。


「……? っ!? て、敵襲!!!」

「貧弱な船一隻だと? 舐めるのも大概にしろ!」

「沈めよ!」


 船は要塞の砲撃に遭い、その場で沈められた。


 誰もいないから、被害もクソもあったものではないが。


「おぉおぉ、こりゃまた派手な音ですなぁ。そして無人の船を必死に沈めるとは。笑みが溢れそうですぞ。いやはや、ここまで上手くいくとは。どれもこれも、吹雪と闇を読み切った安久斗様の……」


「将軍様、お話しされている場合ではありません。敵に見つかる前に、片岡神社を目指しましょう」


 占守島に上陸したのは、小松喜々音、中田島砂太郎、そして、


「突っ走るぞ、とっとと話をつけて帰るぞ」


 濱竹安久斗である。


「何奴だっ!?」

「協商軍だっ!」

「おいどうなってる!? どこから湧いた!?」

「上陸されたぞ!!!」


 道中、島の同盟兵に出会ったが、喜々音と砂太郎が倒して捕縛し、神社まで案内させつつ連行した。


「門を開け! 協商より、シュム様に対して使者が送られてきたぞ!」


 その言葉に、門は開かない。それどころか、そう叫んだ兵が銃で撃ち抜かれた。


「仕方ない。喜々音」


「はっ」


 それを見て、濱竹一行は喜々音の能力で強制的に門を突破。神社の本殿に直接乗り込んだ。


「なっ!?」

「どこからだ!?」

「どうなってやがる……!」


 侵入者に対し、神社の中は荒れに荒れた。しかし警備を司る兵はどれも濱竹上神種には届かない。拘束されて、そのままシュムの元へ案内させられるに至った。


「申し訳ありません、シュム様……!」


 そうして占守シュムのいる部屋に入った一行。


 出迎えるのは、もちろん占守シュムだ。


 シュムは拍手で安久斗らを出迎えた。


「あららぁ、見事ねぇ。まさかここまで簡単に辿り着くなんて」


「抜かせ、本気で防衛していなかっただろ。お前の力なら、俺たちがこの島に降りた時点で気付いていたはずだ。なんせこの島は、お前の体の一部だからな」


 安久斗はシュムにそう返した。するとシュムは白を切って、


「あらぁ、なんのことかしら。私の体はここにあるでしょう? 島は島よ、ただの島」


「道化め。その言葉を信じるなら、『地属性』の祖神種が、自分の土地に細工していないとは馬鹿な話もあったもんだな」


「あっははは、なんのことだかさっぱりだわ」


 そんな会話を済ませた安久斗とシュムは、しばらく互いに動かず見つめていたが、安久斗がいきなり跪いたことで事態が動く。


「サハ列島連邦盟主兼世界北部同盟盟主、占守シュム様。我が名は大連邦協商所属、靜連邦が二大統率国の皇神、濱竹安久斗と申す」


「濱竹軍総長、中田島砂太郎」


「濱竹陸軍参謀総長、小松喜々音」


 安久斗に続いて砂太郎と喜々音も跪いた。その光景にシュムは「えぇえ?」と混乱する。


「なになに、協商裏切って仲間になってくれるのぉ?」


 シュムの言葉を流して、安久斗は告げる。


「今回参った用件は、取引の提案です。戦時下において行う、人道的な提案です」


「……ほぅ?」


 それに興味を示すシュム。態度が少し変わる。


「話してみなさい、その提案を。事と次第によっては、考えてあげなくもないわよ」


 安久斗が下手に出てきて、さらに皇神種であったことから、己が晒される可能性が排除されたとシュムは考えたのだ。


 だから、ただの道化から態度を変えて、いち祖神としての態度を示したのだ。


「端的に申しましょう。提案するのは『捕虜交換』です。我ら靜連邦が捕虜としている五千余りの北端神類と引き換えに、貴殿が捕虜としている靜連邦軍を引き取りたく存じます」


「へぇ、なるほどなるほど。捕虜交換ねぇ」


 シュムは安久斗の言葉にニマリと笑うと、


「それって、関東の指示? それとも、靜連邦の判断?」


 と尋ねた。安久斗は、


「靜連邦の、というよりも、私個人の独断にございます。連邦、協商ともに関係ありませんな」


 と返す。それを聞きシュムは大笑いをする。


「あっはははははは! えぇ? なになに、もしかして協商って不仲なのぉ?」


 それに対して安久斗はニタリと悪そうに笑うと、


「まさにそうでございます。不仲も不仲、統率なんぞ取れぬ状況にございます」


 そう断言した。シュムは「まぁ……!」と驚くが、その道化の顔には笑みが漏れている。


「それで、独断で取り入ろうというの? いつ協商が崩れてもおかしくないから」


「あらかたそうでございます。まぁ取り入ると言うよりは、濱竹は人道的なことをしたぞと言えるようにするためでございましょうか」


 安久斗の言葉に、シュムはまた笑う。しかし笑っただけで、特に何か言うわけではなかった。


「……それで、いかがでございましょう? 捕虜交換、応じていただけますか?」


 安久斗が訊くと、シュムは「うーん」と唸ってわざとらしく考えると、


「そうねぇ、応じてみましょうかしら。そちらが用意するのは五千の捕虜と言ったわね」


 と安久斗に返す。


「えぇ、五千余りです」


「内訳は?」


「上神種が1と、他すべて下神種でございます」


「そうかぁ……」


 どこか残念そうなシュム。


「魅力的な提案ではないわねぇ。まさか上神種以上がそれほど少ないだなんて。他にいないのかしら?」


「いるにはいるのですが、深刻な傷を負っていて、我が濱竹の医療機関で眠っております故返却は難しい状況ですな。回復したら、必ず返すと約束いたしましょう」


「あら、治療してくれているのぉ? 回復薬を使わずに?」


「あいにく、捕虜に回復薬を使うなとの東輝洋介から指示がありましてな。こちらとしても使いたいのは山々なのですが……」


「さすが関東ねぇ」


 呼吸するように安久斗は嘘を並べる。シュムは気付いているか気付いていないか、しかし安久斗に会話を合わせている。


「それじゃあ分かったわ、あまり魅力的な提案ではないけれど、交換はするわよ」


 シュムが安久斗に言う。


「本当ですか!? 有難き幸せ」


 安久斗がシュムに返すと、シュムはニンマリ笑いながら、


「世界北部同盟の持つ、靜連邦軍の捕虜300名と交換しましょう」


「嬉しき事にございます……!」


 安久斗はそう言って頭を下げた。シュムは拍子抜けした。五千の捕虜に対して、たった三百の捕虜と交換する不平等すぎるものを、何も疑う事なく受け入れたのだから。


「ちょ、ちょっと。本当にそれでいいのかしら?」


 そうシュムが尋ねた。しかし、これは墓穴だ。安久斗はそれを聞き、頭を下げた状態で悪そうな笑みを浮かべ、姿勢を直すと同時に真顔になり、


「不平等ですな。もしあなた様に悪戯をしたと自覚があるならば、ひとつ簡単な申し出を引き受けていただきましょう」


「なにかしら……?」


 シュムは安久斗に警戒する。安久斗が申し出たことは、


「文明を知る、異世界人類を捕虜に混じって渡してもらいたく存じます。この濱竹、異世界の文明を手にしたいのでございます」


「……おいおい、正気か大連邦協商」


 安久斗の言葉にシュムは度肝を抜かす。しかし一度咳払いをして、


「いいけれど、あなたたちは文明保護協定や大連邦協商に属しているわ。異世界の文明を手にしたら晒されるかもしれないのに、いいの?」


 そう安久斗に訊くと、


「戦利品ですからな。異世界を含んだ地域と戦争をした代償でしょう。それにきっと、関東も中京も、異世界の文明を手にしようと企んでおりましょう。律儀に決められたことを守っていては、生き残ることはできますまい」


 真顔で安久斗はシュムに言う。シュムはその姿勢に感服する。


「ふぅん、面白いことを言うわねぇ。……気に入った」


 シュムはそう言うと、


「なら、三百の捕虜とおよそ三千の異世界文化人を送るわ。これは船の整備士から芸術家まで多岐に渡るジャンルの文化人よ。それを使って、あなたの国を、連邦を豊かにして、あの横暴な関東統一連邦をいつか打ち負かしてほしいわね」


 安久斗にそう告げた。


「ありがとうございます。全て下神種という扱いで受け入れます故、有効的に使わせていただきます」


 安久斗はそうお礼を言って一礼すると、


「では、交渉日時を定めまして、詰めていきましょう」


 とシュムに呼びかける。シュムと安久斗は、捕虜の交換とどのような手順でいつ行うかを決めていった。




ーーーーー

ーーー




「いいか、こればかりは失敗できない。これは濱竹主導で行われる、完全に関東の指揮下から独立した作戦だ!」


 安久斗様は、僕らを集めてそう告げる。


「作戦の説明をします。まずは、安久斗様と喜々音、将軍様で占守島に赴き、祖神占守シュムと捕虜交換の約束を取り付けます。捕虜の交換が実行できる状況になったら第二フェーズに入ります。紗那栗利含む捕虜をシュムに返し、私たちも向こうから捕虜をもらいます。そのまま安久斗様の提案で友好の証として宴を実施し、宴会用に改造した船の上で楽しいひとときを提供します。そうしたら最終フェーズです。お酌を任せるのは栗利と豊田花菜、福田湊の三名で、泥酔した男性を指定した個室へ連れ込んでいただきます。その部屋には喜々音が待機し、空間転移で海の上へ落とします。泥酔した下神種ならば溺れ死ぬのは間違いないです。それで戦力を削いでいきながら、最終目標である臣、片岡を誘い込み、奴の首を掻き切ります。作戦が終わったら、磐田大智の能力で『さらし』に合図を送り、宴会が続く船を沈めます。私たちは喜々音の能力で占守島へと上陸し、島を内部から壊滅させ、砲台を占拠します。以上が今回の作戦です。作戦名を『籠絡の船』とします」


 東陽さんから作戦を知らされた僕らは、その流れを考える。


「あの。これではせっかく返してもらった捕虜が犠牲になるのでは……」


 竜洋さんが安久斗様に訊くと、


「捕虜など捕えられた時点で死んだと考えている。生きているに越したことはないが、戦力として数えてはならんだろう。よって犠牲になっても俺は構わない」


「は、はぁ……」


 竜洋さんは納得できなさそうに返すが、安久斗様も理解してもらおうとは思っていないようで、何も言ってこない。


「船を沈めるのに『さらし』を使うみたいだけど、関東の祖神に許可をとっているの?」


 萌加様からの質問に、安久斗様は、


「歌仙様と恋華様に話を通してある。この作戦を実行する間は、関東からの邪魔は入らない手筈だ」


 とのこと。


「なお、俺たちが上陸して砲台を占拠したのを合図とし、大連邦協商は占守島に総攻撃を仕掛けることになるだろう。幾度も艦砲射撃を敢行するはずだから、俺たちも被弾せぬよう気をつけねばなるまい」


 味方に撃たれる可能性を有しているわけか。これは恐ろしい。


「この作戦で個人にやってもらいたいことは、後々ころんから個別で指示があるはずだ。それに従って動くように」


 安久斗様はそう言うと、僕らに解散の命令を出した。




 それから10日後の、神紀4998年冬至後46日。新月のこの日、『籠絡の船』が決行される。


 昼間に捕虜交換が行われて、紗那が世界北部同盟に返された。


 濱竹には靜連邦軍の捕虜三千余りが戻された。……そんなに捕虜がいたのか。


 そして、安久斗様は占守シュムに宴を提案したそうなのだが……


「断られた」


「「「はい!?」」」


 非常事態、発生。


「『一緒にはできないわよ〜』と言われた」


 左様ですか……


「どうしますか?」


 竜洋さんが訊くと、


「想定内だ。策は講じてある」


 とだけ返ってきた。そして部屋を出て行かれる。


 というか、紗那は捕虜として返してしまったが本当に良かったのだろうか。別れというのは呆気ないものなのかもしれない。まぁ元々敵だし、みんなある程度覚悟はできていたから何も言わないけれど、やはり寂しさを覚えるものだ。


「どうかしましたか?」


 そんな風に物思いに耽っていると、隣から湊さんに話しかけられた。


「ん? いや。紗那、捕虜として送り返されちゃったけど、あれで良かったのかなって」


 そう言うと、湊さんは僕を不思議そうな目で見て、


「栗利ちゃんはもう、私たちの仲間ですよ?」


 と言ってきた。


「……というと?」


 訊き返すと、


「捕虜として送り返されたのではなく、捕虜として偵察に出されたのです。作戦を決行するために、情報を集めてくれているのです」


「そうなの?」


「はい。お酌の話を東陽総長から聞いた際に、栗利ちゃんが日渡軍として数えられていましたのでおそらくは。それに、安久斗様があのどっち付かずの立場の存在を活かさないはずがありませんよ」


 たしかにそうか。捕虜でありながら味方であり、積極的に作戦に参加する紗那を、あの安久斗様が利用しないはずがない。


「だから、あの子は戻ってきますよ」


 その湊さんの言葉に、僕は深く頷いた。


「ところでなんですが、」


 急に湊さんが話を変えて僕に尋ねてきた。


「喜々音ちゃんを見ませんでしたか?」




ーーーーー

ーーー




「よくぞ戻って来たな、同志諸君!」


 濱竹より送り返された捕虜を前に、占守島の臣、片岡はそう告げた。


 しかし、それに対する捕虜の反応は希薄だった。なぜなら、サハ列島連邦の一島一国制度の影響で誰もがこの占守島に愛着がなく、連邦としてのまとまりも、自覚も薄いからである。


 片岡は腹が立った。


「おい貴様ら、まさか侵略者どもに洗脳されてはいないか? このサハの地へ帰って来られたことを嬉しく思えよ」


 そう声を掛けるが、やはり反応は希薄である。


 とうとう頭に来て痺れを切らした片岡は、目の前に立つ捕虜の男の腕を掴むと、


「姿勢正せ! 歯食い縛れ!」


 と指示すると、その顔面を引っ叩いた。


「どうした貴様らっ! ここから巻き返しだぞっ! 侵略者に降るというならば斬り捨てるぞ!」


 脅すと、ようやく下神種が「う、うおぉぉぉおおお!!!」「サハ列島連邦万歳!」などと声を上げる。


「そうだ、そうだ。お前らは北端の民としての自覚を持ち、祖国を取り返すのだ! ここ占守島から全てやり直すんだ、手伝え!」


「うおぉぉぉぉぉおおおお!!!」




「楽しそうで何よりねぇ」


 その様子を、社から見下ろすシュム。


「シュム様、この度はあの侵略者、濱竹と交渉していただき、誠にありがたく存じます」


 涙ながらにシュムに感謝する紗那栗利。


「いいのよぉ。あなたは択捉の臣家、無事に帰って来てくれて、本当に嬉しいわぁ」


 シュムは栗利の頭を撫でながらそう声を掛けた。


「聞くところによると、自分の手で家族を殺めるように指示されたそうじゃない。辛かったわねぇ」


「はい……。あの濱竹安久斗には慈悲の心がありません。とにかく惨く、冷酷で、言葉にし難いほどの……」


「もういいわよ、忘れてしまいなさい。思い出させてごめんねぇ」


 そのシュムの言葉に、栗利は泣き噦った。


「さて、これから先どうやって列島・大陸を解放していこうかしらねぇ。扶桑国もこれ以上援軍を出してくれないみたいだし、絶望的な状況にあるのだけど……」


 そうシュムは呟き栗利を見て、


「何か、大連邦協商の弱点とかないかしら?」


 栗利にそう尋ねたのだった。


 栗利は鼻を啜りながら、充血した目でシュムを見て、


「大連邦協商は南四連邦の指示がなければ動くことができず、独断で動いたとバレれば晒されます」


 そう栗利は言う。そしてシュムに向かって、


「それを逆手に取り、私たち捕虜を苦しめたあの邪智暴虐の皇神種、濱竹安久斗を陥れてください! この捕虜交換は、濱竹安久斗の独断だと片岡さんより聞きました。ですので、この交換が南四にバレれば濱竹は晒されます! 盛大に宴か何かを催して、それで……」


「宴ねぇ……」


 紗那の言葉に、シュムは唸る。


「捕虜交換の時にねぇ、それこそ濱竹安久斗から宴会の誘いがあったのよ。友好の証として酒を交わさないかって」


「でしたらちょうど良いではありませんか。向こうがその気なら、誘えばきっと……」


「罠じゃないかと、思っているのよねぇ。捕虜として帰ってきたあなたも同じことを言うんだもん」


「っ!?」


 シュムの言葉に、栗利の鼓動が速くなった。しかし栗利は目に涙を溜めてこう言った。


「あいつと同じ、思考をしていたというのですか……? この私が……あの、あの皇神種と……!」


 そして泣き喚いた。「あらあら」とシュムはため息を吐いて、


「相当なトラウマを持ってしまっているのね、濱竹安久斗に対して。確かにあいつは言っていたわね、捕虜交換は濱竹の独断だと。そして人道的なことをしたと言えるようにしたいと。ということは、宴もその一環なのかしら。罠を仕掛けたら人道的とは言えないものねぇ……」


 シュムは既に、疑心暗鬼のプロセスに入っている。戦争の始まる前から何度も関東統一連邦に欺かれ、文明保護協定を巡っては関西にまで欺かれている。


 だから、他連邦の神を信用することなどできないのであったが、


「濱竹安久斗は皇神種。靜連邦は世界の情勢に疎い。大連邦協商もここにきて不仲と発覚したし、濱竹が抜け駆けしようとしていると示してしまえば何か動きがあるかしら。上手くいけば、靜連邦と関東・中京の対立を招くことができるかもしれないわねぇ」


 そうシュムが呟くと、栗利が、


「そうです! 濱竹安久斗が率いる靜連邦軍は協商の中でも曲者です。ですが、濱竹安久斗の忠実な犬です。指示がなければ動かないし、自ら判断して動けるような頭脳明晰な者はおりません。そんな濱竹軍を大連邦協商から追い出すためにも、濱竹安久斗を宴会で罠にかけて仕舞えば良いのです! そして大連邦協商を内部から崩壊させるのです!」


「なるほどねぇ」


 シュムはその言葉に納得の色を見せたが、頷くだけでそれ以外に何を言うわけでもなかった。


「考えておくわね。濱竹を陥れるチャンスだと判断したら、宴に誘ってみることにするわ。どう誘うかも考えなきゃいけないけどねぇ」


 しばらくしてシュムはそう栗利に返し、彼女を部屋より出すと、一人になった部屋の中で考える。


「……濱竹安久斗を殺してしまったら、大連邦協商はどうなるのかしら?」


 危険な橋だとシュムは直感的に思った。


 その死を以て敵が纏まる可能性もあれば、逆に亀裂が進行する可能性もある。しかし、いずれにせよ今回の戦争のやり方から逸脱する靜連邦軍を無力化できることは揺るがなく、大きなメリットに見えた。


「……ここまできたら、やり方なんて拘っていられないものねぇ」


 シュムはそう呟き悪い笑みを浮かべると、


「悪く思わないでちょうだいね」


 誰もいない虚空にそう吐いた。




ーーーーー

ーーー




 占守シュムが、再び俺のところに捕虜交換の申し出をしてきたのは、最初に捕虜を交換してから3日後の、冬至前49日のことであった。


 濱竹主導で作戦を決行するという話は既に第五艦隊に周知してあり、この捕虜交換に応じる姿勢を俺が見せたところ、歌仙様が輸送船を動かしてくださった。


 また、ついでに「私もついていきたーい!」などと言って共に乗り込まれ、そのまま占守島に向かったのだった。


「あらぁ、まさか歌仙ちゃんもいらっしゃるとはねぇ。随分と久しい気がするわぁ」


「なかなか会わないもんね〜」


 祖神種同士でしばらく能天気な会話が続いてから、シュムより「ところで濱竹さん」と呼ばれ、


「追加で靜連邦軍の捕虜が4名ほど扶桑国から届いたものでねぇ、お返しするわぁ」


 と告げられた。渡された面々に見覚えがなく、その捕虜は異世界人類であると察した。それでも俺は笑みを浮かべ、


「ありがとうございます。こちらは返すものがなくて、どう致したらよいものか分かりませんなぁ。あっはははは」


 と、申し訳ない気持ちを心に思い浮かべながら返しておいた。


 すると、シュムから思いがけない提案が飛んできた。


「この埋め合わせなんだけどねぇ、宴を主催してくれないかしらぁ。捕虜交換をしたくらいの仲なんだし、少しくらい一緒にお酒を交わしたい気分になったのよねぇ」


「ほう、宴ですか」


 一度断られたことを考えると、これがただの宴ではないことは想像に易い。とはいえ、こちらも元より宴を開き臣の殺害を目論む身。相手のことを悪くは言えまい。


「それは是非とも、ご一緒したいものですなぁ」


 俺がそう返すと、シュムがその顔に笑みを浮かべたように見えた。


「ちょっと待ちなよ。戦争中に敵同士が宴だなんて非常識じゃないの?」


 しかしそれを良しとしない歌仙様。


「あらあら、釣れないわねぇ。そんなこと言っていたら、何もかもつまらなくなっちゃうわよ?」


 シュムは歌仙様にそう言うが、


「安久斗、断りな。罠だよ、罠!」


 歌仙様は俺にそう強く迫ってきた。


「まさか。罠だなんて卑怯なこと、シュム殿がなさるわけありますまい」


 俺はそう笑って見せた。歌仙様は「シュムは卑怯だよっ! すごく卑怯! もうやることすること酷いんだからっ!」と俺に言い聞かせるが、当の俺は大笑いした後で、


「シュム殿が卑怯なのであれば、この島に上陸した時点で私たちはとっくに晒されておりますよ」


 と言って受け流す。歌仙様は呆れ返り、俺に何も言わなくなった。


 とはいえ、歌仙様も俺の作戦の概要はご存じで、この宴の提案は作戦の軌道修正が功を奏したものであると思われているはずである。


「ですので歌仙様、宴の際はくれぐれも攻撃をなさらぬよう、南四の祖神様方にも漏れなくお伝えいただけると助かる限りです」


「はぁぁ。アホくさいけど任せてよね。罠に引っかかって晒されても知らないけど」


 完全にご立腹モードを演じられた歌仙様は、そのように俺に返された。


「じゃあ、濱竹さん。最初の提案通り洋上で行いましょう。満月の夜、船の上で優雅に宴会。あぁ、なんとも楽しみだわぁ」


 シュムはそう俺に言う。そして手を降り、


「私はそろそろ行くわねぇ。歌仙ちゃんも、宴の日は攻撃しちゃダメだからねぇ〜」


 そう言いながらその場を去っていった。俺と歌仙様は捕虜を船に積み込んで幌筵島へと帰った。




 その帰路、俺は回収した捕虜の一人を部屋に呼んだ。


「情報を教えろ」


「は。シュムの狙いは宴の席で安久斗様の首を斬ることです」


「だろうな」


 俺に呼ばれた捕虜は、顔面の皮を剥ぎ取り、服を脱ぎ捨てた。


 中からは喜々音が姿を見せる。


「それで、有効な作戦は立てたか?」


「はい。向こうが安久斗様を晒すことを目的とするならば、いっそのこと晒させてみては如何でしょうかと存じます」


「おいそりゃどういう意味だ?」


 わしにしね というのじゃな?


「影武者です。安久斗様、臣様、巫女様の影武者を用意し、シュムにその影武者を殺させます。そして、その死に反応して生命の石が光を失ったと同時に臣と巫女の影武者が倒れ、死を装います」


「死の偽装はバレる可能性がありそうだが?」


「ご安心を。格下は塵一つ残さずに消します故」


「それこそバレそうなものだが」


「いいえ、問題ありません」


 自信満々な喜々音に少し疑問を抱く。「どうしてそう言えるんだ?」と尋ねると、


「安久斗様を殺すことができるのは、北賊の中では残すところ占守シュムのみです。ですので確実にシュムは安久斗様と二人きりになろうとするでしょう。つまり、上神種以下が確実に取り残される状況が作られます。その状況下で、私が全員を凍てつく海の中に転移させます」


 そう返答があった。


「相手に能力の無効化を所持する者がいるやもしれん。実際それで大陸方面はかなり梃子摺ったようだからな。くれぐれも注意せよ」


「もしそうであるようでしたら、真っ先にそいつを消し去りましょう」


「うむ」


 喜々音から作戦を聞き、それで一旦は会話が終わったように見えたが、よく考えたら疑問が一つ出てきた。


「そういえば、その作戦中、俺はどうしたいればいいんだ?」


 そう訊くと、喜々音は言う。


「変装をして、船に紛れ込んでいてください」


「その理由は?」


 大体理解できているが、念のため確認をしてみる。


 曰く、


「その次の作戦が控えております故。私の能力で占守島に転移することができる範囲にいて欲しいのです」


 とのことだった。


 想定通りで、思わず口許が緩んでしまう。


「分かった。ならば基本的な方針は『籠絡の船』より変更はないと見て良いな?」


「はい。お酌も致しますし、下神種を誘惑して不意を突いて殺すことも並行して実施します」


「よかろう、ならば情報を作戦該当者に伝えよ。俺は関東の了承を得ておく」


 それはそう返し、遠ざかる占守島を窓から眺めた。


 さぁ、占守シュムよ。どちらが上手く欺けるかな。




ーーーーー

ーーー




 いやぁ、想定外だったわぁ。まさか歌仙ちゃんが一緒に来るなんて。濱竹安久斗の独断じゃなかったのかしら?


 でも、これで宴の話も歌仙ちゃんに伝えたし、捕虜交換を秘密裏に行っていたことも伝えたし、なんやかんやで濱竹安久斗、窮地なんじゃないのかしらぁ。


 ……そんなはずはないわよねぇ。自ずとため息が出ちゃうわぁ。


 歌仙ちゃんがいたということは、関東が確実に裏で糸を引いていて、濱竹安久斗はそれに操られているだけと見るべきかしら。


 だったら宴会で生かしておいても対立は生じないし、大連邦協商の瓦解には繋がらないわねぇ。


 やっぱり、殺すしかなさそうねぇ。


 でも、殺すにしてもどうしようかしら? 神を殺せば臣と巫女も死ぬから、私が狙うのは濱竹安久斗だけでいいわよねぇ。で、ほかの上神種をどうしようかって話になるけれど、そもそもどれだけ宴に参加するのかしら?


 濱竹が率いる軍の中心格が参加すると予想できるけど、小さな軍だから詳しい情報を得ていないし。大陸方面だったら幾らか分かるのだけどねぇ。ジョンキヤが苦戦していたもの。


 結局、濱竹の率いる軍勢は「強い、強い」と言われるけど、それは戦争の型を破ってきて野蛮な戦い方をするから不意を突いているだけであって、しかも襲うのは基本的に扶桑の人類で、神類に対して何かをしたとはあまり聞かないわよね。


 そのことから考えると、実はあんまり強くないんじゃないかしらと思うのよ。


 きっと片岡だけで手が回る。回ってくれなきゃ困っちゃうわねぇ。


 この国、もう巫女いないしねぇ。


 まさか得撫島の戦いの様子を見に行かせたら、関東の祖神に遭遇してしまうとはねぇ。可哀想な目に遭わせてしまったわ。


 でも、大丈夫よ。片岡がいるもの。


 濱竹の軍勢の上神種如き、片岡にかかれば易いものよ。


 さ、濱竹安久斗。覚悟はできているかしら?


 満月の夜。それがあなたの終焉よ。何も知らないまま、欺かれて死ぬが良いわ。




ーーーーー

ーーー




 神紀4998年冬至後60日。ついに、満月の夜を迎えた。


 今までの激しい戦闘が嘘のように、ここ数日は互いに牽制のみに留められて、戦時下にありながらも緊張緩和の気配が漂っていた。


 それは全て、濱竹安久斗が実行する作戦の影響であり、もう既に大連邦協商全体がその作戦を受け入れていたからである。


 済田政樹と夏半若菜の命令で独立した指揮権を与えられた安久斗だったが、その指揮下に第五艦隊が入り、そこに乗る祖神の説得で第三艦隊と第二艦隊も加わり、二度目の捕虜交換の後で第一艦隊の東輝洋介を説得しに歌仙が訪れたことで、今では大連邦協商の全軍が濱竹の指揮下にあった。


 これは極めて異例なことであるが、これには条件がある。


《作戦名『籠絡の船』を必ず成功させること》


《作戦が終了したら、全軍の指揮権を南四連邦に返上すること》


 南四連邦が提示した条件は以上2つであった。


 宴会が行われる船は、中京統一連邦の揚陸艦である。幌筵島要塞戦でその貧弱さと攻撃能力の無さが露呈し、危険度が極めて低いと協商同盟双方が認める船であったことに目をつけた安久斗は、その船を宴会用に改造し、この宴に使ったのだった。


 同盟との交換で帰ってきた捕虜を詰め込んで幌筵島を出港した船は、30分足らずで占守島の港に入港する。そこでシュムと片岡、そして交換した捕虜を詰め込み、占守島の周辺を周遊する。


 捕虜同士で宴をし、両国の友好関係を示す濱竹と占守。しかしその実、騙し合いが始まった。


 お酌をするのは、豊田花菜と紗那栗利、福田湊が中心で、それ以外にも濱竹と占守の選りすぐりの美女数名が行う。


 しかし、そのお酌はいずれも際どい服装で、肌の透けそうな、というか半分透けているのではないかと思われる薄く白い下着一枚だけを着用して行われた。


 一国の臣家や巫女家であった上神種がそのような服装をすることは物珍しく、栗利と花菜、湊は宴の中で幼いながらに絶大な人気を誇った。




ーーーーー

ーーー




「ほらぁ、磐田。飲みなさいよ、注いであげるからさぁ」


 僕の左腕に胸を押し当てながら、際どい服装の紗那がお酒を注いでくる。


「あ、あの、紗那。僕まだ、お酒飲めないんだけど……」


「気にしない、気にしない。飲んだって死にはしないからさ〜。ほら、飲んではやく気持ちよくなろ?」


 その言葉と共に、並々と注がれていく濁り酒。隣からは紗那の甘い香りが鼻を突いてきて、それに気を取られて視線を向けると、際どくて目を逸らす。


 もう、色々とアウトな気がする。その白い肌が一切隠れることなく見えていて、なんだか頭がクラクラしてくる。


「……あ、あのさ」


 お酒に視線を落としてそう紗那に声をかける。真っ白な濁り酒に映った自分の顔が真っ赤なのが恥ずかしい。


 紗那は「んー?」と返し、覗き込むように僕の視界に入ってきた。待ってその角度は(何とは言わないけど)見えちゃうよ、いや見えてるよ、アウトだよ!?


 いやダメだ、意識するな、意識するな。


 僕は目を瞑り、ひとつ咳払いをしてから紗那に訊く。


「どうして、ずっとくっついてるの?」


 常に腕に伝わる柔らかい暖かさ。小さいが、確かに何かに包み込まれている感覚が嫌でも分かる。


 紗那はその質問に「チッ」と舌打ちして、


「透け透けなんだもん。離れちゃったら全部見えるじゃん……」


 と恥ずかしそうに言った。


「だからと言って僕に抱きつくのはどうかと……」


 抱きつかれる身にもなって欲しい。


「なに、我慢できなくなっちゃうの? あたしに欲情しちゃうの? 歳下に?」


 しかし凄く煽られた。僕、おかしなこと聞いたかな……?


 そんなことを考えていたら、紗那が僕に耳打ちしてきた。


「……だったらさ、しよ? ほら、部屋、あるから」


 その声を聞いた時、一気に緊張したかのように動悸が激しくなり、体が熱くなった。


 ……まるで、自分の体じゃないみたいな気持ちだ。腕や腰が急激に冷たくなるような感覚がして、体が震えた。


「ほら、ね? もう磐田もその気なんじゃないの……?」


 顔を真っ赤にしながら紗那は僕に言ってきた。


 僕は何も返せなかった。何を言うのが正しいのか、全く分からなかった。


 作戦ではどうなっていたっけ? 紗那たちは敵の下神種を誘惑して部屋に連れ込む算段ではなかったのか? なんで僕を、そうやって誘うんだ……?


「しゃ、紗那。作s……」


「しー! こんなところでそんなこと言わない。例えヒソヒソ声でも、誰が聞いているか分からないでしょ?」


 紗那にそう窘められて、僕は彼女に強引に腕を引かれ、席を立たされた。


 そしてそのまま腕に密着した紗那は、僕を引っ張り個室に連れ込んだ。


 そして紗那は、床に寝転がった。その際に僕の腕を強引に引くものだから、体勢を崩して彼女の上に覆い被さるように僕は倒れ込んだ。


 胸と胸が密着する。


 目の前に、紗那の顔があった。


 耳から頬にかけて、真っ赤に染まる紗那。僕を直視できないのか、視線をあちらこちらに彷徨わせていた。


 そして、右手で自分の髪の毛をくるくると弄っている。


 少し息が荒くなっている。


 ……素直に、可愛いと思った。


「……押し倒されちゃった」


「ちがう。こうしたのは君だろ……」


 会話が続かない。でも、なんでか知らないけれど居心地が悪いわけではないのだ。高揚感が押し寄せてきて、その激しい動悸で思考が追いつかないからだろうか。半ば混乱しながらここにいる感じがする。


「……しちゃう?」


「……したいの?」


「…………」


 誰もいない。周囲から隔絶された、完全な個室。同じ船で宴会が行われているなんて思えないし、戦争の最中であるとも思えない。


 同時に、作戦中であることも忘れそうである。


 ただただ紗那と見つめ合う。でもその肌の温もりと柔らかさから離れたくなくて、僕は無意識に覆い被さったまま彼女を抱きしめていた。


「……しちゃったら、作戦が遂行できないね」


 紗那はそう言って微笑んだ。


「もう、作戦なんて忘れそうだよ……」


 僕が言うと、紗那は「むしろ覚えていたんだ。抱きしめてきたから、もう忘れちゃったかと思った」と言ってきた。


「別に忘れたわけじゃない。でも、疑問だらけなんだ」


「疑問?」


「うん」


 紗那は僕の言葉に首を傾げた。その仕草がまた可愛らしくて、より一層離したくなくなる。


 ……いや、ダメだろ磐田大智。


 と、ここに来てようやく自分に言い聞かせられるほどにまで冷静さを取り戻した。僕は紗那を抱きしめる力を少し緩めて深呼吸をすると、


「紗那はどうして、僕を誘惑したの? 作戦じゃ、敵を誘惑するって話だったのに」


 そう尋ねてみた。すると紗那は、


「私は向こうに返された身なの。協商軍が同盟軍にお酌をするなら、同盟軍は協商軍にお酌をするのが筋ってことになってさ。それで私は協商軍にお酌をすることになったんだけど、いざ始まってみると、怖くて。ほら、こんな服装だし。だから、あんまり緊張しない磐田のところでお酌をしているフリに行こうかなって思ったんだけど……」


 そこまで言うと、体をもぞもぞさせながら色っぽい視線を僕に向けてきた。


 僕は多少冷静さを取り戻したとはいえ、未だに動悸は激しいし体が熱い。


 きっとそれは紗那も同じで、今僕らは同じ葛藤を抱いているはずである。


 僕が彼女の上から退かないのも、退けと彼女が言わないのも、全てはこのせいである。


「まさか、こんなに興奮するなんて思わなかったの。ごめん、本当にごめんなさい……」


 紗那はポツリと謝ってきた。


 ……やはり、そうか。


 僕も紗那も興奮しているんだ。


 生まれて初めて、これほどにまで激しい興奮を覚えた。特に、異性に対しての興奮を。僕はそれを認めたくなかったし、そもそも最初は気付いていなかった。


 でも、紗那は認めた。抱いているこの感覚が興奮であるということを。そして、それほどにまで僕らは今、お互いを欲しいと感じてしまっていることを。


「……する?」


 紗那に問われた質問を、僕は返してみた。


 紗那はギュッと口を結び、視線を彷徨わせて、髪をくるくる弄り、顔を真っ赤にしながら黙るが、


「したい……?」


 と尋ねてきた。


 これでは先ほどと何ら変わらない。


 お互い、お互いが欲しくなっているのに、未だに残る僅かな理性が「作戦があるんだぞ」と訴えてきて、更に今まで経験がないことも拍車をかけ、踏ん切りがつかないでいた。


 ……これでは、ダメだ。


 僕はそう思い、名残惜しさとむず痒さを覚えながらも紗那から離れた。


「ぇ……」


 紗那が少し寂しそうな声を上げた。立ち上がってから彼女を見ると、その顔は茹で上がったようにとろんとしていた。


 ……あんな表情を間近で見ていたんだ、そりゃおかしくなるのも無理はない。


 僕は自分にそう言い聞かせてから頬を一発叩くと、


「作戦に移ろう。紗那、君は僕を誘惑できたんだ。自信を持って、同盟軍を誘惑して喜々音さんのところに送りなよ」


 そう告げた。紗那はまだもぞもぞと動いていたが、その後立ち上がって、それでもまだ赤らんだ顔で「……ご褒美」と言ってきた。


「……はい?」


 意味が分からなくて訊き返すと、紗那はムッとしたように頬を膨らめ、ふぅっとため息を吐くと、何か思い切ったような表情をし、て……


「ん……」


 …………えっ?


 唇に柔らかな感触が伝わり、離れていく。


 頬に残った小さな手の温もりと、先ほどと同じくらいの距離にある真っ赤に染まった彼女の顔。


 視線を逸らし、


「……これ、頭金だから。戦争終わったら、その……。最後まで、してよね」


 消えそうな声でそう呟いた彼女は、


 パチンッ!


 僕の頬を一発思い切り叩いてから「バカ。ヘタレ」と残して部屋を出て行った。


 …………どうしろと言うんだよ。


 ……どうすれば良かったんだよ。


 てか、痛いな。




ーーーーー

ーーー




「な、なぁ。人がいるけどいいのかい……?」


「いいじゃない、見せつけながらするのも」


「……ほ、本当にしてもいいんだね?」


 ちょろい。


 正直、こんな簡単に釣れるとは思っていなかった。


 透けたような服を着て、胸を押し当てながらお酒を注ぎ、少しおしゃべりしただけで、個室に連れ込めるなんて。


 ……まぁ、少し耐えることは多いけど。胸やお尻を触られるのとか、息の臭さとか、その他諸々。


 それでも、このあとこの連中を待つのが死だと思うと面白くて、少し楽しくなってくる。


「ほら、いいよ」


 私はそう言って、服を脱いだ。ひらりとひとつ、薄い布が落ちていく。


「おぉお……!」


 食い入るように男が見たその瞬間。


「『空間転移テレポーテーション』」


 その部屋にいた喜々音ちゃんがゲートを開いて、男を冷たい海の上に転移させた。


「うわぁあ―――!?」


 落としてすぐにゲートを閉じるため、叫び声は最初の僅かな時間だけしか聞こえない。


 にしても、外と繋がるからゲートが開く瞬間が寒くて仕方ない。こちとら裸なんだぞ、まったく。


「お疲れ様です」


 喜々音ちゃんからそう声をかけられた。


「うん、お疲れ」


 私が返すと、


「花菜さんは思い切ったことをしてくれるので、とても楽です」


 喜々音さんがそう言って微笑みかけてくる。


「他二人は違うの?」


 そう尋ねると、


「栗利さんはなんかずっと上の空って感じで、あんまり敵の気持ちを掴めないんですよ。ですので私が強引に引き離して海に投げますし、大変です。湊さんに至っては、恥ずかしがってしまって相手に押し倒される始末。これまた私が引き剥がして海に捨てますので、疲れるんですよ」


 と喜々音ちゃんが言う。


「まぁ恥ずかしいのはよく分かるわよ。この服、着ていても着ていなくても同じくらいの薄さだもん」


 そう言って私は足元に落ちた服を拾って羽織る。


 乳房や乳首、お腹やお尻の線、陰部。全てが透けている。


 本当、この服を作った奴は何を考えているのか分からない。


「喜々音ちゃんも着てみる?」


「ご冗談が上手いですね」


 チッ。


 絶対嫌だという意志を感じる。


 まぁいいや。彼女がいないと下神種殺せないし、それぞれの役目があるからね。


「ま、私はそろそろ次のターゲットを……」


 そう言ったとき、喜々音ちゃんが首から掛けていた生命の石の灯が消えたのが分かった。


「始まりましたね」


 喜々音ちゃんがそう言う。私たちは顔を見合わせて頷いた。


 そして部屋を荒々しく飛び出し、宴会が行われる部屋へ赴く。


 すると、そこには臣様と巫女様が倒れており、大智と竜洋さん、紗那栗利が生存確認をしていて、首を静かに横に振っていたところだった。


 喜々音ちゃんが歯軋りをして、手に力を込めた。そして涙を目に溜め、「うわあぁぁあああ!!!!」と叫んだ。


「図りましたね、北賊めっ! 安久斗様を騙し討つなんて……!」


 泣きながら喜々音ちゃんはそう言うと、同盟軍の下神種たちをまとめて転移させた。


「許さないっ! 許さないっ!」


 迫真の演技で、下神種を葬る。


「そう言うけど、君たちも随分と勝手にこちらの兵を殺してくれていたみたいじゃないか。ねぇ、空間使いのお嬢ちゃん」


 その場にいた唯一の敵の上神種、ターゲットである臣が、湊ちゃんを抱えたまま喜々音ちゃんに言ってきた。


 しかし彼は、誰かにお酒を薦められて何杯も飲んだのか、ろくに呂律も回らないほどの酔っ払いだった。


 臣は自分の前にある膳を蹴り飛ばしながら立ち上がり、湊ちゃんを抱きかかえて私たちに抜刀した。


「くっ……!」


 竜洋さんが歯軋りをするのが分かった。


「おいおい、いいのかぁ? お前らが俺を殺そうと言うんなら、俺はこの女、殺すぞぉ?」


 臣、その名を片岡と言うらしい。これがフルネームと言うのだから不思議なものだ。祖神国家の臣であるため、最新の注意を払う必要がある。


 しかし、湊ちゃんが危険な状況にあることも見て分かる。臣の顔が赤いのは、きっとお酒だけのせいではないはずだ。ほら、その証拠に左手で湊ちゃんの胸を触っているじゃない。


 湊ちゃんからは恐怖が伝わってくるが、同時に徐々に顔がふやけているように見えた。


「あ、あのあの……! わ、私のこと、なんて……ん、あぁ……ど、どうでもいいのでっ! こ、攻撃……きゃうっ!?」


「おいおい黙れよ小娘が。お前は気持ちいいことだけを考えて、余計な口を挟むんじゃねぇよ。興が醒めちまうだろ?」


「ふぇえ……? そ、そんな…………」


 ……なんか、私まで変な気になりそうなんだけど。くそ、可愛いな福田湊……!


 じゃなくて、これはまずい状況だ。


 一刻も早く湊ちゃんを救出しないと、彼女の尊厳が危ない。また、安久斗様(影武者)を殺したシュムがこちらまで来るのは時間の問題か。シュムが来てからじゃ勝ち目がない。それまでにケリをつけなくては。


 と、思っていたら。


「くだらない。手を出すくらいなら警戒しろっ!」


「ぐはぁ!?」


 いつの間にか喜々音ちゃんが転移して臣の背後に回り込むと、回し蹴りをかましてから湊ちゃんを救出した。


 そして転移して私たちの方に戻ってきた。


「このふしだら臣めっ!」


 それを確認すると同時、竜洋さんが抜刀して臣に襲いかかった。


 それに大智も続く。


 臣はバランスを崩していたが、竜洋さんと大智の攻撃を刀で受け流すと、


「女を抱いて何が悪い! 宴会とはそういう場だ! 抱かぬお前らの方が体裁だけを意識した呆気者うつけものだろうが!」


 そう言いながら、竜洋さんに刀を振り下ろした。


「ぐあぁああ!?」


「竜洋っ!?」


 竜洋さんは胸から腹にかけて斬りつけられて、床に倒れた。そこに喜々音ちゃんの腕から湊ちゃんが飛び出して駆け寄った。


「あっ、ちょっと湊さん……!」


 喜々音ちゃんが制止するが、彼女は止まることはなかった。そして臣の前に立つと、


「よくも竜洋を……! 私に対する仕打ちは許せても、これは許せないかも……!」


 そう言って、大智の腰から刀を鞘ごと抜き取った。


「あ、ちょっ、勝手に……!」


「借ります!」


「えぇえ……」


 大智の言葉に、報告すればいいんでしょと言わんばかりに言い放ち、刀を手に取って臣と対峙した。


「ふん、そんな格好で俺と戦うか? 負ければどうなるか分かっているだろうな?」


「なんでもいいですよ、そんなの。私は大切な従者を傷つけたあなたがただどうしようもなく許せないだけですから」


 臣は湊ちゃんの言葉を聞いて笑うと、


「くだらないなぁ」


 そう告げてから能力を発動する。


「邪魔だ、どけ」


「うおあ!?」


 大きな木の根に大智と竜洋さんが弾き飛ばされた途端、湊ちゃんと臣を取り囲むように土が落ちて高い壁が出来上がる。


 その中は見えない。が、良くないことが起きようとしていることは明白だった。


「くっ……!」


「諦めろ。そう簡単に解けんぞぉ、その蔦は。さぁ、俺のために尽くせ!」


「あっ、だめ……! だめだめ、やだ、いやだ……!」


 湊ちゃんの悲鳴に近い声が耳に届く。


「……湊、様」


 ぴくり、と竜洋さんが動く。部屋には湊ちゃんの聲と音が漂っていた。


「ふはははは、そう、そうだ。気持ち良かろう? な、いいだろう?」


 臣の声が聞こえる。その間に私たちはなんとかしてその能力でできた壁を壊そうとするも、うまくいかない。これが祖神国家の臣の力……!


「さぁ、今度はお前が俺を気持ちよくする番だ」


「や、やだ……! いやぁ!」


 湊ちゃんの悲鳴が届く。臣が憎い。なんだよ、変態野郎めっ!


「……まずいな」


 ふと、そんな言葉が聞こえた。それは下神種に化けていた安久斗様の声だった。


 安久斗様、と声をかけようとして、辞めた。そういえば安久斗様は死んだことになっているんだった。


 と、次の瞬間。私はものすごく気味の悪い気配を感じ取った。


 否、私だけじゃない。そこにいた全員がそのおどろおどろしい雰囲気を感じ、土の壁へと視線と警戒心を向けていた。


「……おいおい、嘘だろ」


 土壁の中が光り輝き、湊ちゃんの嬌声が響き渡った。それを見て、想定外と言わんばかりの安久斗様。珍しくその顔に焦りが見えて、大声で、


「萌加っ! 来い!」


 そう虚空に叫んだ。


「何が起きたのですか……?」


 大智が安久斗様に尋ねると、


「湊が『カミノコ』だったってことだ」


「それって……」


 『カミノコ』。その名称は、何度か明様から聞いたことがある。でも詳しいことはあまり知らない。


 私たちの反応を見て、安久斗様は「……知らんか」と言う。


「簡単なことしか存じ上げません。たしかひとつ格上の相手を殺すことができる権能、ですよね?」


 私がそう答えたら、「あぁ」と返ってきた。


「だが、詳しいことを言うならば、」


 そう安久斗様は捕捉される。


「『カミノコ』は限られた女子が持つ力であり、性交をして初めて発現する。性交をすると、やった相手にもその権能が付与される。つまり……」


「片岡に『下剋上』の権能が付与されたんですね」


 喜々音ちゃんがそう返すと、安久斗様は頷かれる。


「これで、この臣と戦えば俺も晒される可能性が出てきた。俺が奴に晒されれば、奴は皇神種になる。どこぞの渡海清庵のようにな。だから……」


 安久斗様がそう言うと同時に、船に赤い筋が飛来してきた。


 萌加様である。


「萌加、占守の臣が湊を犯して『カミノコ』を手にした。言いたいことは分かるな?」


「分からないけど許せないから殺す!」


「よし、やれ」


 そんな会話が繰り広げられる。そして萌加様は炎で剣を生成すると、目の前にある土の壁を焼き崩して、性交する臣を掴み、無理やり湊ちゃんから引き剥がすと、その首に剣を振り下ろそうとして……


「……喜々音さん」


「はい、分かっております」


 竜洋さんの声に喜々音ちゃんが頷いて、


「『空間転移テレポーテーション』」


 竜洋さんを転移させた。そして竜洋さんは臣の背後に転移してきて、


「俺が、殺す……!」


 萌加様に言ったか、自分に言い聞かせたか分からないが、掠れた声でそう言うと、臣の背中を斬りつけた。


「ぐあぁあ!?」


 倒れた臣は、能力を発動して竜洋さんを狙うも、それは萌加様が許さない。


 片岡の能力で生成される岩や木々を萌加様がその権能をもってしてことごとく破壊する。


「竜洋、任せたよ」


 萌加様の言葉に竜洋さんは頷くと、


「許さんぞ、片岡。お前は、渡海清庵よりも、許さんっ!」


 そう言って、傷を負った体に鞭を打つように炎と岩、木が入り混じる間を駆け抜けて、片岡の首を掻き切った。


 その直後。


 ドカン、と大きな音が響き、壁が剥がれ落ちた。隣の部屋から道化が登場する。択捉イテュルと似ていることから、これがサハ列島連邦の盟主、占守シュムなのだろう。


「図ったな、ネズミめがっ!」


 道化はそう言いながら私たちに対して幾つもの岩や石を飛ばしてきた。


 地属性の祖神種か。私の上位互換。相性が悪い。


 でも生憎、戦うつもりは微塵もない。


「お前こそ、俺のこと殺すつもりだったじゃねぇか。ま、結果はご愁傷様だがな」


 彼に対して安久斗様がそう煽ると、「引くぞ」と私たちに合図した。


「させないぞ、葬ってやる!」


 占守シュムは私たちにそう言うが、萌加様がひとつ大きな火柱を放ち、それを合図に喜々音ちゃんがゲートを開いて転移する。


 転移した先は、占守島の神社の中だった。


「ほれ、着ろ」


 安久斗様から服が渡されて、私たちはようやくあのほぼ裸の状態から解放された。


 私たちが服に手をかけた瞬間、遠くから砲声が一発轟いた。


「今のは……?」


 栗利ちゃんが尋ねると、


「『さらし』の砲撃だ。あの揚陸艦を沈めたんだ。まぁこれでシュムが死ぬとは思えんから、子供騙しのようなもんだがな」


 と安久斗様。満月の中、海の上から火が上がる。


 揚陸艦が轟沈しているのだ。


「さ、やるぞ。次に目指すは砲台と港の占拠だ。喜々音、頼むぞ」


「安久斗様の仰せのままに」


 作戦を確認した私たちは、まだ敵の手中にある神社から転移して砲台の真上にやってきた。そして、各々が能力をふんだんに使って奇襲をしかけた。


 そこからは今までも何度か経験した通りのことをしていく。


 大智とペアを組み、私が蔦で飛び回って大智が攻撃をする。


 そうして砲台をひとつずつ地道に落としていく。


 が、安久斗様は面倒くさくなったのか、


「萌加、任せた」


「えぇえ……」


 全て萌加様に任せてしまうらしい。


 私たちは強制的に喜々音さんのゲートに落とされて、再び神社に戻ってきた。


 その次の瞬間。


 視界左側から、巨大な火柱が猛スピードで伸びてきた。眩しさと熱さで叫びたくなるがグッと我慢する。


 こういうとき、大智は私たちより反応が薄い。おそらく自分の権能と同じだから、私たちに比べたら感じるものが少ないのかもしれない。


 数秒して、火柱が消えた。私たちが砲台上空に再びやってくると、沿岸部の土や砲台は赤く溶けて海に流れ、綺麗に円柱型に抉り取られていた。


「全軍、総攻撃を開始せよっ!」


 安久斗様が通信機を片手にそう命令すると、対岸の幌筵島から続々と船が姿を現した。


「お前ら、面白おもしれぇと思わねぇか? これが今まで敵が見てきた風景なんだぜ? あの量の軍艦が島から現れて、取り囲まれるんだ。北賊もよく肝冷やさずに耐えてるってもんだ」


 安久斗様は私たちにそう言った。


 たしかに、この風景は恐怖である。私たちは味方であると分かっているから安心していられるが、もしこれが敵だったら溜まったものじゃない。


「これで、この戦争もおしまいだ。砲台の占拠は面倒だったから消してしまったが、無力化できたという点においては同じだ」


 安久斗様がそう言うと、2体の神類が空を飛んでこちらにやってきた。


「濱竹安久斗、作戦はどうだ?」


 来たのは、南四連邦の祖神、東輝洋介様と夏半若菜様だった。


「順調ですぞ。臣の首はこの通り取りました故、残るのは占守シュムのみにございます」


「ならば、お前の作戦は終わりということで良いか?」


 そう問われた安久斗様は、少し考えた様子で、


「港の占拠と砲台の完全な無力化はできておりませんが、これで上陸できる位置が確保されたため、終了と言っても過言ではないでしょう」


 と答えると、洋介様は「うむ」と頷き、


「上出来だ、祖神国家の臣を狩るとは見事なものだな。戦争が終わったら何かしらの褒賞を与えよう」


 そう安久斗様に告げて、


「任務、ご苦労であった。あとは俺たち関東に任せて、船に戻り待機せよ」


 と命令する。


「はっ」


 安久斗様はそう返すと、喜々音ちゃんに「行くぞ」と指示を出した。


 私たちは転移して占守島を去った。転移した先は、戦艦『さらし』の甲板だった。


 これを以て、作戦名『籠絡の船』が全て終了したのだった。




ーーーーー

ーーー




「ねぇ、スズちゃん」


 親友のいちかは、迷ったような表情で私の部屋に来ていた。


「どうしたの?」


 訊くと彼女は、顔を少し赤らめながら、


「もしもさ、好きな人が誰かと婚約するって言ったら、どうする?」


 などと私に訊いてきた。一体何の話をしているのか分からないけれど、この文脈から察するに、いちかには好きな人がいて、その人が誰かと婚約を交わしたということだろう。


 そして、自分がどうしていいのか分からなくなって、私を訪ねてきたというところだろう。


 いちかに好きな人か……


 好きな人、かぁ。


 婚約の話が舞い込むほどの、身分が高い存在。もうその時点で、あらかた予想はついた。


「磐田の臣くんのこと?」


「へっ!?」


 分かりやすい。真っ赤っかにして動揺するなんてさ。ほんと、可愛い子。


 しかしそれと同時に、磐田の臣くんに対して少しだけ嫉妬心が湧く。いちかの心を奪っていくだなんて。


 私はひとつため息を吐いた。


「どうせそんなところだろうと思ったよ」


「ちょっと、まだあたし何も言っていないよ!?」


「目は口ほどに物を言うのよ、いちか?」


「うぅ……」


 ほら、視線を彷徨わせているじゃないの。


「それで、あの子が誰と婚約するんだって?」


 そう訊くと、小さな声で、


「まだ計画段階だけど、明様は大池統治区長のイズミって子との婚約を望まれているそうなの」


 と返ってくる。大池というと、渡海との境の街道沿いの統治区。日渡の米所だったかしら。


「そうなのね」


 私はそう返してから「でも、」と置いて、思っていることを言ってみる。


「統治区長っていっても下神種じゃない。臣とじゃ釣り合わないわよ?」


 その言葉に、いちかは複雑そうな表情をした。


「あたしもそう思うの。でも明様は、それを解消するために統治区長に『富民』という称号を与えて、箔を付けてから大志くんと婚約させようとされているの」


 え、そこまでするの?


 正直な感想はそんなところだった。明様は、磐田大志と大池イズミをそこまでしてくっつけたい理由を持っていらっしゃるのだろうか。


「あたし、それが悔しいのかもしれない」


 いちかは自分の気持ちが分からないみたいだ。口を一文字いちもんじに結び、どこか怒ったようにそう吐いていた。


「たしかに、身分としてはいちかのほうが釣り合いが取れるもんね」


 私はそう返すけれども、内心はモヤモヤしていた。なんだろう、言葉に表せない嫌な気持ちが立ち込めている。


「ねぇ、スズちゃん」


 そんな私に、いちかは尋ねてくる。


「あたし、どうしたらいいのかな……?」


 ……。


 その言葉は、いま私が最も訊かれたくなかった問いだった。


 どうしたらいい?


 そんなの、なんで私に訊くの?


「どうしたら、ねぇ……」


 私はそう静かに呟いた。どうしてこんなにモヤモヤするのか分からないけど、とても嫌な気分だ。


 幼い頃から、私の背中を追いかけるようにしてついてきたいちか。お互いに小さかったけど、私にとっては美有よりも近い妹のように思っていた。


 ……そう、いたんだ。


 今は、それよりもなんか遠い気がする。


 ……遠いのかな?


 家族のようで、家族じゃない。本当の家族は鎌田家という括りがあって、いちかは残念なことにそこにいない。


 ……残念? なんか、それは違う気がする。


「……スズちゃん?」


 黙り込んだ私を不思議に思ったのか、いちかが可愛らしい仕草で覗き込んできた。その姿を見て、私は目を逸らした。


 いちかは、かわいい。妹よりも、妹のように思えた存在だった。でも、妹がそんなに可愛いわけがないし、私の妹は美有だけだし。


 美有には可愛げがない。無愛想、無口、何を考えているのか分からない不思議ちゃん。口下手で不器用だけど、記憶力だけはいい。だから家庭内代表になれる。それが私の妹だ。


 じゃあ、いちかはなんなの?


 こんなに可愛い、愛想が良くて、無愛想な私の妹とも仲良く付き合ってくれるこの天使のような子は、いったい私の何だというの……?


 そしてどうして、気づけばこの子のことばっかり気にしているの?


 私は私に問いかけ続けて、そこから出てきた答えをシカトし続けている。


 そんなことはないって、そう信じていたくて。


「……ねぇ、スズちゃん」


 覗き込んだまま固まったいちかだったけど、私が何も言わないから遂に彼女から口を開き、


「あたし、あたしの好きにしていいのかな?」


 そう問いかけてきた。


「…………」


 私は何も、答えなかった。


 御厨いちかは、しばらく私を見たまま動きを止めていた。


 その間、私の思考には常にいちかに対する自身の想いを問うては答えて、それを否定しては肯定して、そしてまた否定して、を繰り返していた。


 数十秒の後、私はこの問答に決着を付けることにした。


 もう、考えたくもない。


「……自分の中で答えが出てるんならさ、もうそれでいいんじゃないかな」


 そう自分自身に言い聞かせて、私は立ち上がった。


 諦めだ、認めなくちゃいけないよね。


 私、鎌田涼菜は……


「スズちゃん……! ありがとっ、大好きっ!」


「ちょっ、いちか!?」


 急にいちかに抱きしめられた。


 どうして、そんな言葉をかけるのよ。


 大好きなんて言わないでよ。


 ……嬉しくなっちゃうんだからさ。


 にやけようとする頬を全力で引き締めて笑顔を取り繕い、私は愛しく思うその幼馴染を見た。


 彼女は浮かない顔よりも、ずっとこういう笑顔の方が似合う。


 美しい、綺麗。本当に、ずっと私の側にいてほしいくらいに。


 ……そういえば、いちかの悩みはどうなったのかな?


 なんか清々しい顔しているけど、解決できたのかな?


 ごめんね、嫉妬に耽ったあまりにちゃんと相談に乗ってあげられなくて。


「また困ったらなんでも言ってよ。できる限り力になるから」


 そう声をかけると、いちかは強く頷いてくれた。


 そしてその眩しい笑顔をばら撒きながら、


「あたし、神社戻るね! 話聞いてくれてありがと!」


 そう言って駆け足で去っていった。


 私の心との決着はついた。今度はいちかの心を軽くしてあげなくちゃ。


 私は気を引き締めた。


 次にいちかが相談に来るその日までに、彼女の心を磐田の臣から離す方法を考えておかないと。


 そうよ、全ては日渡の、明様のために。


 明様の政策が失敗しないためにも、いちかにはあの臣から手を引いてもらわないといけない。


 大丈夫だよ、いちか。寂しくはさせない。


 私があなたをもらってあげるからね。




ーーーーー

ーーー




「大志くん」


 日が落ちて、周囲が暗くなり始めた頃合いに、珍しくいちかさんが臣館を訪れてきた。


「どうかしましたか?」


 僕が訊くと、彼女は少しだけぎこちない様子で「あっ、えっと……。あはは、いや、ちょっと話したくなっちゃってさ……」と言う。


 今までも雑談をすることは多々あったけど、こんなふうに名前を呼ばれてから始まった試しは一度もない。


「えっと……。言いたいことがあったら、忖度せずに言ってくださいね?」


 だからそうやって聞いてみたけど、いちかさんは慌てたように首を振って、


「あぁ違う違う、ほんとになんでもないの、うん」


 と言う。余計に怪しくなってきた。


 いちかさんは、僕が訝しんだのが分かったのか、少しだけ肩を強張らせて俯いてしまった。本当に言い出しにくそうな雰囲気が漂ってくる。


 ……え? 僕なにかやらかしましたか……?


 だんだんと不安が込み上げてきて、僕の背筋を冷たい汗が滴った。


 と、その直後。


「あっ、あのさっ!」


 いちかさんが何かを決したかのように声を上げて立ち上がった。


「はっ、はいっ」


 僕はそう返しいちかさんを見上げた。彼女はそのまま畳の上を歩いて僕のすぐ前まで近づくと、


「大志くんは、婚約の件、どう思っているの?」


 少し威圧的に僕に訊いてきた。


 今まで一度もこんな態度で話しかけられたことはなかったから少し戸惑いを覚えたが、訊かれた質問には返すのが臣の務めであるため落ち着いて返す。


「急だとは思いましたけど、磐田の血筋を残すには大事なことだと思いますし、統治区制の見直しもこの機に進めるのは理にかなっていると思っています。明様がこの国を思って神治してくださっていることを痛感して、本当に……」


「そうじゃない、そうじゃないの。明様の……あたしの機嫌を窺わないでいいから、大志くんの思っていることをそのまま言って」


 ……え?


 返答の途中で遮られてしまい、僕は戸惑う。それに、珍しい。明様の意見に賛同することを求めてこないなんて。


 とは言っても、本心であることに変わりはない。


「本心ですよ、全部。たしかにいちかさんと話している手前、少し明様の政策を讃えるような内容を意識していましたけど、それでも血統を残して跡取りがちゃんといる、磐田家の安定性を示すことは重要だと思っています」


 そう返すと、いちかさんは「そっか」と小さな声で言ってきた。


「それさ、大志くんじゃなきゃダメなのかな? 大智くんじゃ、ダメなのかな?」


 いちかさんは俯いたままそう尋ねてきた。そしてハッと顔を上げて、


「あっ、いや、あの。大志くんが結婚することに反対しているんじゃなくてさ。磐田の血筋を残すだけなら大智くんでも大丈夫なんじゃないかって思って……」


 僕に気を遣ってか、何かを全力で弁解していた。何を弁解しているのかよく分からないけど。


「ダメじゃないんだろうけど、ちーにぃは嫌がるんじゃないかな」


 僕はそういちかさんに返した。


「で、でも、大智くんだって男の子でしょ? 好きな子の一人や二人いるだろうし、興味がないって決めつけるのは……」


 いちかさんはそう言う。ちーにぃの恋愛観は理解していないから何とも言えないけど、いちかさんは勘違いしている。


「そうじゃなくてですね、ちーにぃが嫌がるのは、臣になることです。結婚して血統を残すことじゃなくて、その前段階の臣になることを拒絶するはずです。ですので、ちーにぃの血統を残したところであの人が臣にならない以上意味がないんです。あ、いや。意味がないと言うか、あまり他国から重要視されないというか、磐田家の安定性を示せないというか。そういう感じです」


 僕が返すと、いちかさんは「……たしかに」と呟いていた。


「だから大志くんが結婚するの?」


「それが自然だと思いますけど」


 訊かれて返すと、いちかさんは頷きながら僕に近づいてきた。


「それじゃ大志くんはさ、磐田家の血が残せればいいって考えているんだよね?」


 僕の肩を掴むと、いちかさんはそう言ってきた。


 妙に顔が近くて、なんだか胸が熱くなってきた。


「あの、えっと……」


「そう、なんでしょ?」


 いちかさんは僕を壁まで追い詰めると、その手に力を込めた。そしてそのまま、僕に跨ってきた。


「あ、あの、いちかさん……?」


 怖くなってきた。いちかさんが、いちかさんじゃないみたい。


「ねぇ、大志くん」


 跨ったいちかさんは、僕と胸を重ね合わせるように正面から這うと、


「下神種なんかの血を混ぜるより、あたしの血、残してよ」


 そう言いながら、僕の口を塞いできた。


 驚く僕。いちかさんはそんな僕の手を掴んで、その胸についたたわわな房に誘導した。


「……あたし、大志くんを下神種に取られたくないの。だから、先に作っちゃおうよ」


「あ、あの……、それだと明様の計画に……」


「いいの、そんなの。統治区制を廃止するのなんて、婚約と関係なくできるでしょ? それに最終的に決断されるのは明様じゃなくて、あたしたち臣と巫女でしょ? なんとでもなるじゃない、そんなの」


 赤らんだ頬、潤んだ瞳、顔にかかる吐息は熱く、伝わる動悸は速かった。


「……いちか、さん」


 僕は、もう訳が分からなくなった。


 善悪の見境がつくのか、自分でも分からなくなっていた。


「大志くん……」


 見つめ合った僕ら。


 僕は、手に伝わる柔らかな感触を貪ることに躊躇いを持たなくなっていた。


 いちかさんは、その度に僕の上で震えた。


 その夜、いちかさんが巫女館に帰ることはなかった。そして僕も、臣館から出ることはなかった。


 僕は、生まれて初めて羽目を外した。


 理性が醒めた時は、もう日が登ろうとしていた。


 腕の中、同じ布団の中で、何も着ないまま幸せそうに寝息を立てるいちかさんを見て、僕はどうしてか、笑っていた。




 笑ってしまったのだった。




ーーーーー

ーーー




「起きなさいっ!」


 びっくりしたのはあたしだけかと思ったら、向かいに座っていた大志くんも慌てていた。


 そんなあたしたちを見て、明様は呆れたようにため息を吐かれた。


「あなたたち最近寝不足なのかしら、これで何度目? 昨日、一昨日、その前と。毎日のように私が話している間に寝ているじゃない」


 明様は珍しく怒っていらっしゃった。


「申し訳ありません。先日二人で夜更かししてしまいまして、その頃から生活規則が戻らず……」


 大志くんが明様に頭を下げた。


「そればっかりじゃない。昨日、あなた私になんて言って謝ったか言えるかしら?」


「全く同じ理由でございます」


「ええ、そうよ。で、そのあと私になんて言ったか言えるわよね?」


「……必ず明日までに規則を戻します、と」


「よく覚えていたわね! 褒めてあげるわ。すごーい」


 満面の笑みで明様が大志くんを褒める。


 しかし褒められた大志くんはより一層深く頭を下げた。


「バカじゃないの、あなたたち。いい加減にしなさいな。今日の会議は中止よ、これ以上話すことはないっ! 帰って寝なさい、さっさと! 寝ろっ!」


 明様はそう私たちに怒鳴ると、私たちを残して帰ってしまった。


 残された私と大志くんは、


「……さすがにそろそろ」


「まずいかもしれないよね」


 そう顔を見合わせて困ったように笑った。そしてそのまま解散となり、あたしたちはそのまま臣館に行き……


 気付いたら朝になってしまっていた。


 結局、昨日も一昨日もその前も、あの日から八日ほどずっとこんな調子だ。


 ダメだって分かっているのに、お互いに自制が効かなくなってしまう。


 でも、好きな人と一緒にいられて私は非常に嬉しいし求められている幸せも感じられる。


 それが癖になってしまって、毎晩のように一緒に過ごしている。


 日を追うごとに大志くんからぎこちなさが消えて、お互いに没頭していくだけになっていった。


 それも相まって、もう戻れない領域まできていた。


 そしてまたも明様に怒られて、二日間神治が停滞する結果になった。




 それで終わればよかったのにって、後から悔やんでも仕方ないんだけどさ。




ーーーーー

ーーー




「メグちゃん、どうしたらいい?」


「アカリちゃん…………」


 誰かの泣き声を聞いた。薄暗い御堂の中から、啜り泣く声と会話。


 ここは御厨堂。


 私たち、兎山の民にとっては神聖な場所。


 そんな御堂に立ち入るだなんて、無礼でしかない。私は御堂の目と鼻の先にある家に戻り、代々伝わる名刀を握りしめて御堂に向かった。


 そして戸に手をかけて、思いっきり引いた。


 建て付けの悪い戸はギギギギと音を立てながら開く。


「ここは御厨堂だっ! 関係のない者は去れっ!」


 それと同時に、私は名刀を抜いて中にいた者を威嚇した。


 しかし、名刀は一瞬にして私の手から消えていた。


 気がついたら、先ほどまで確かにいた影が消えていた。


「えっ!?」


 慌てる私。


「こんにちは、子孫ちゃん」


 そこに降りかかる、幼なげな声。周囲を見渡すと、先ほどの建て付けの悪い戸の横に、私が先ほどまで握っていた名刀を持って、裸のまま明様が座っていた。


「めっ、明様!? どうかされました……」


 そこまで言って、私は気がついた。明様の、あの特徴的な赤い目が、驚くほど美しい青色になっていることに。


「……どちら様ですか?」


 私は警戒しながらそう訊いた。武器が盗られた今、私には攻撃手段がない。


 鎌田の能力は『霊魂』。御霊術によって生み出され、御霊術と併用しなければ使えない能力なのだ。つまり、明様と共にいなければ使えない力なのだ。


「あなたは、鎌田の子よね?」


 私の質問には答えないで、正体不明の女は私に訊いてきた。


「そうですけど……」


 そう答えると、驚くべき答えが返ってきた。


「じゃあ、間違いなく私の名前を知っているはずよ。兎山四禮の『一の禮』だよ」


「っ!? 巡様……!?」


「そう。鎌田の祖、鎌田巡とは私のことよ」


 なんと、目の前にいたのは明様の身体に憑依した鎌田巡様だったのだ。


 かつて、明様に仕えた四体の上神種、兎山四禮。その一の禮で、私たち鎌田家の祖となったのが、この巡様である。


 ……そうか、それで名刀が。


「はい、じゃこれ返すから。今日は大人しく家に帰りなよ」


 そう言って名刀を渡された。この名刀は、伝説によると巡様の霊が宿っているらしく、そのため御霊術とでなければ能力が使えない私たちでも名刀さえ持っていれば能力が発動できるということらしい。


 そしてその刀が巡様の霊であるというならば、巡様の意思で操ることができるということである。だから私の手から名刀が消えたのだろう。


「分かりました。それでは、さようなら」


 私は伝説の先祖に会えて高鳴っている胸を落ち着かせながらそう返し、家に戻ろうとしたところ、


「待ちなさいな」


 正面から赤い御霊が現れて、私に語った。


 聞く限り、明様の声だった。


「明様ですか?」


 尋ねると、


「そうよ。身体を巡に貸してしまっているからこんな状態で申し訳ないんだけど、お使いを頼んで良いかしら?」


 そう訊かれた。


「はい、喜んで」


 私は引き受けた。すると明様から予想だにしないことを頼まれた。


「今夜、磐田神社の臣館と巫女館へ行ってくれないかしら? 連日二人が寝不足で、そろそろ神治に支障が出始めそうなの。でも私、神代理だからあの館には無闇に立ち入れなくて」


「様子を探れば良いのですか?」


「えぇ。お願いできるかしら?」


 私はそれに頷いた。


 にしても、そうだった。神は緊急時以外で臣館と巫女館に立ち入ってはならないんだった。なんでかは知らないけど、おそらくは身分の差が云々といったところか。


「緊急時ってことにして立ち入ってしまえばいいじゃんって言ったんだけどね、明は聞かなくて。真面目だよねぇ」


 そう嘆くのは巡様である。


「うるさいっ!」


 明様はそう怒って、巡様の傍までふよふよと飛んでいった。


 私はそれを見届けて、家に帰るのだった。


 この時、引き受けない選択肢があったのか、私は今になっても分からない。でもやめておけばよかったのかもしれない。




 ……とも、言い切れないのが嫌なところなの。




ーーーーー

ーーー




 毎日、この調子ではよくないと分かっていながらも、初めて経験したこの快楽から逃れることはできず、僕はずっといちかさんを欲しがっていた。


 こんな状況になっていることが戦争に出ているちーにぃや花菜姉ちゃんに知られたら間違いなく怒られるはずだ。合わせる顔もなくなるかもしれない。


 でも、どうしても抜け出せない。溺れてしまって、沼に嵌ってしまった。


 こうなってしまったからには、誰にもバレるわけにはいかない。僕はいつからか、そう思うようになっていた。


 そして、ここが臣館であるが故にバレないと慢心していた。


 しかし、それは甘かった。


 無言で扉が開いた。否、無言だったのかは分からない。しかし物音がして気がつき、僕といちかさんは驚きながらその方向を見た。


 そこには、扉を開け放った状態で硬直した……いいや、硬直ではない。涙を流しながら、唇を噛み締めて悔しそうに、悲しそうに、そして怒ったようにこちらを睨んでいた涼菜さんがいた。


「スズちゃん……!? ち、違うのこれは……!」


 いちかさんが涼菜さんに弁解しようとしたが、この状況を見られてから弁解するには無理がある。涼菜さんは口を開いたいちかさんを悲しそうな目で見た後で僕を睨んできた。そしてそのまま僕に近づいてきて……


 パチンッ!


 左の頬を思い切り叩かれた。泣きながら、「バカッ!」と怒鳴りながら、涼菜さんは僕を叩いた。


 頬が、今までに感じたことのないくらいに痛かった。


 なんで僕が叩かれなきゃならないのか理解ができず、僕は数秒叩かれた姿勢のまま動けなかった。しかし、どれだけ考えても叩かれた意味が分からなかった。


 いちかさんと関係を持ったから? ―――否、僕から迫ったわけじゃない。言うなら僕は被害者だ。


 いちかさんが悲しんだのだろうか? ―――否、お互いにこの状況を好んでいた。


 ……やはり分からない。そして、バカと言ったきり涼菜さんは泣き崩れてしまったため、彼女から理由を語ってくれることもなかった。


 僕は次第に腹が立ってきた。なぜだろうか。この状況を邪魔されたからか、それとも訳の分からない言いがかりを付けられて叩かれたからだろうか。いずれにせよ、この鎌田涼菜という者に対し怒りが沸々と湧いた。


 しかし、正直に言ってしまうのなら、僕は以前、御厨の家で涼菜さんと話して以来、彼女の風貌に見惚れていた。容姿だけで見るなら、日渡上神種の中で最も好みだった。


 僕の中で、何かが切れる音がした。


 ……もう、今更我慢する必要なんてない。いちかさんとは戻れない関係性になってしまったし、涼菜さんにも見られてしまったし。だったら、この状況における最善の策は……




 涼菜さんとも、戻れなくなってしまえばいい。




 僕はその結論に行き着くや否や、泣き崩れた涼菜さんの肩を掴んだ。そしてそのまま畳の上に押し倒した。


「ふぇ……? え、ねぇ! ちょっとっ! バカッ!」


 彼女は激しく抵抗したが、僕は無我夢中で彼女の身包みを剥がした。


 そうして彼女までも勢いで食してしまったが、最初は呆然と見ていただけのいちかさんが途中から混じってきて、この夜は騒然としたものとなった。


 不思議なことに、いちかさんが混じってからは涼菜さんが抵抗することはなく、むしろ自らその快楽を求めるようになり、積極的にいちかさんに絡みにいっていた。


 そして何故か、それは僕に見せつけるように行われた。どこか悔しくて、その怒りを涼菜さんに向けてみたり、逆に涼菜さんに見せつけるようにいちかさんへと向けてみたりした。


 その様子を側から見たら、ろくでなしの集まりだっただろう。


 言わずもがな、次の日は3人ともろくに立っていられるほどの体力もなかった。


 幸か不幸か、神治は明様が体調を崩された影響で、その日の集まりはなくなった。




ーーーーー

ーーー




 その乱交の様子は、偵察用の御霊によって御厨堂に中継されていた。兎山明は、全ての兎山四禮を召喚してその状況を見ながら緊急で会議を開くことにした。


「もう、私はどうしたらいいのか分からない」


 明は涙ながらにそう告げた。


「でもさ、磐田家の好色事件は今に始まったことじゃないじゃん」


 明の言葉に返したのは一の禮、鎌田巡である。彼女はそう言うと、向かいに座っていた少女に視線を飛ばした。


「……なによ。磐田だと言ってもわたし関係ない。悪いのはわたしの子孫たちであって、わたしではない」


 視線を向けられた少女は強めの語気で返した。彼女の名は磐田いわた兎斗音ととね。三の禮であり、その苗字の通り磐田家の始祖である。しかしかつては稗原ひえばら兎斗音といい、兎山四禮にはその名で刻まれる。


「先代の臣も妖精との恋で揉め事を起こして殺害されて、先々代は言わずもがなの好色漢。その前だって下神種含めておよそ五十前後の者と関係を持って、その前も……」


「よく覚えていますよね、そんなの。総じてろくでなしなんですから、それでいいじゃないですか」


 兎斗音に対する巡の言及の最中、心底くだらなさそうに口を開いたのは、二の禮、新貝しんがい琴理ことりである。兎山四禮に組み込まれているが、忠誠心は兎山明よりもその弟、渡海勇に強くあり、渡海が分離独立した際にそちらに付き従い兎山を去った。


 そんな彼女は渡海独立の際に福田の号を名乗った。つまり彼女は、旧渡海臣家である福田家の始祖である。


「ろくでなしなんて失礼じゃないの? あれでも日渡の臣家の一族よ?」


 それに意見をするのは、四の禮、東脇ひがしわき沙穂子さほこだ。東脇家は、今の豊田家の源流である。


「臣家とかどうでもいいじゃないの。臣家は立場上偉いかもしれないけど、人間性が伴っていなければ尊敬に値しないじゃない。沙穂子ちゃんはあんなふしだら臣を尊敬できるの?」


 それに意見する巡。


「まぁできるよ、日渡になってからの政策は間違っていなかっただろうし」


 それを跳ね返した沙穂子だったが、


「自分の子孫、何人も犯されながらよく言えますよね」


「うぐっ」


 琴理にそう言われて言葉に詰まった。


「今のあの子も危ないかも。大志あのこ、桁が外れると見境なく襲うみたいだし。やっぱり臣になるには幼すぎた」


 兎斗音がそう付け足す。沙穂子は「うーん」と唸って、


「磐田家って、なんでああも酷いの?」


 と兎斗音に尋ねた。


「知らない。わたし関係ないもん」


 兎斗音はそう言ってそっぽを向いた。


「あのさ、磐田の話はいいのよ。この状況をどうするか、話し合って欲しいの」


 そこに口を開くは兎山四禮を統括するかつての始神、兎山明。本名、




 御厨あかり




 かつて威虞里いぐりという国の臣家、御厨の長女として生まれ、実弟に渡海勇がいる。臣家の娘でありながらも街歩きを好み、神治に関心を示さず、国の下神種たちと遊ぶことを楽しみとしていた。特に歳の近かった下神種、メグル、コトリ、トトネ、サホコとは親友と呼べる関係性にあった。


 そう、彼女は本来、上神種なのだ。関係ないとしている協定周知の秘密兵器『御厨あかり』そのものであり、御霊術を確立した存在。御厨家は紛う事なき彼女の血族である。そんな彼女が始神種となった理由はただひとつ。


 彼女が『カミノコ』であったからだ。


 彼女の半生は、今となっては謎に包まれている。しかしここにいる兎山四禮は、今やその全てを知る貴重な存在となっていた。


「……そうだよね、ごめん」


 明にとって、この『乱交』という状況を見るのはあまりに辛いことであった。かつての、忘れようにも忘れられない記憶が蘇ってくる恐ろしいものである。


「臣と巫女があの有り様では神治が成り立たない。強制的にいちかを実家に戻してから両者に謹慎を言い渡すのがいいと思う」


 兎斗音がそう言うと、


「でもその間の神治はどうするんですか? 神治は臣と巫女がするものです。代理を立てずにその掟を破るわけにはいきません。生憎、今は戦時下にあって代理を立てることが難しいように思えますが」


 琴理が意見をした。


「御厨の誰かと鎌田の誰かにやってもらうのは?」


「断固反対です。それでは兎山の神治です、他国からどのように見られるか少しは考えてよ」


 巡が言うと、沙穂子が言った。


「ではこれはどうでしょう。私たち兎山四禮が代わりに神治をする。それぞれの家の始祖に当たる私たちが統治をすれば、他国の目も心配ないのではないでしょうか?」


 琴理の解決案に、兎斗音、巡、沙穂子はそれぞれ、


「でも兎山四禮の知名度を考えてみなよ。西部諸国だけだよ、知られているの」


「しかも好印象はない。明の側近だから根本は反濱竹主義だし」


「なんなら私たち、御霊術で具現化されてここにいるだけだから、明が操っているっていう見られ方が主流だしね。一種の幻像だし」


 と反発した。


「……はぁ」


 明はその話し合いを見て大きくため息を吐くと、術を解除して、四禮全員と偵察用の御霊からの映像を消した。


「……なによ、なんでこんなに困んなきゃいけないのよ」


 明はひとり、暗い御堂の中で泣いた。


「……萌加、早く帰ってきて。おねがい」


 御厨あかりは強くなんかない。


 本当はとても弱いのだ。




 神紀4998年、冬至後40日。件の騒動の翌日、兎山明は磐田大志と御厨いちかを御厨堂に召集した。


「あなたたちが、お互いにお互いをどう思って、どうなりたいと望んでいるか、私には分からない。それにそこに何か言うつもりはないわ」


 明はそう前置きをしてから、「だけど、」と強い口調で言った後に続けて、


「神治に影響を及ぼしてまで、夜な夜なふしだらな行為に及んでいるのは許されない。あなたたちには、一国を担っているという自覚がないのかしら?」


 そう叱った。「ごめんなさい」と謝る大志といちかに、明は更に強い口調で告げる。


「これ以上神治に影響が出続けるなら、濱竹議会で私の名で不信任決議を採択するつもりよ」


 大志といちかはその言葉に衝撃を受けるが、すぐに自身らが招いた事の深刻さを悟って「申し訳ありませんでした」と再び謝罪した。


 それを聞いた明はひとつ大きなため息を吐いて、


「普段なら許すところだけど、今回はそうもいかないわよ」


 と冷たく言い放ち、御霊を召喚して紙に替えると、それを大志といちかの前に置いた。


 そこには整った字で、


『磐田大志と御厨いちかに、15日の謹慎を言い渡す。磐田大志は臣館にて、御厨いちかは御厨家にて、それぞれ罪と自身を見つめて反省せよ。』


 と書かれていた。


「この通りだから。今日から冬至後55日の15日間、あなたたちは指定された場所から動かないこと。その間の神治は全て私がやるわ。そこに責任を感じようが罪悪感を抱こうが、あなたたちは私を手伝いに来てはならない。その罪を認め、自覚して、罪悪感と向き合い続けなさい。以上よ」


 明はそれだけ言うと、大志といちかを帰宅させた。


 暗い御厨堂の中で、明はまたも大きなため息を吐くと、


「……とは言ったものの、何から始めたら良いのかしら」


 と悩み、しかし悩んでいても何も始まらないことも知っているため、彼女は思いついたことをすぐ行動に移した。


 明が向かった先は、井谷国の井川神社だった。


「何だ、こんな辺境に来る気はないとか言っておきながら急に来るじゃねぇか」


 井谷俣治は、明を応接室に招いてそう言った。


「上手くいかないものよね、世の中」


 俣治の言葉を無視したように明がそう言う。俣治は何か起きたと察して「何があったんだ?」と尋ねた。


 それに対して、明は「誰にも言わないと約束しなさい」と告げる。俣治は笑い、「言う相手なんてやしない」と自嘲気味に返す。


 すると明は、正直に全てを語った。


 聞いた俣治は、


「そんな深刻なことか? どんな国でも、そういう事件は数年に一度起きているだろ」


 と返す。


「そうかもしれないけど、それでも何か嫌だったのよ」


 明の言葉に、俣治は「そうかよ」と返してから続けた。


「『カミノコ』も大変だな」


 その言葉に、明はムッとして俣治を睨んだが、事実その記憶を抱えているがために自身が過剰に反応してしまっていることに気づきため息を吐いた。


「お前がどんなことをされて、どうして今ここに存在しているのかは知らねぇけどよ、酷いことたくさんされてきたんだろ? 『カミノコ』なんて碌な神生じんせいを歩めねぇからな」


 俣治はお茶を注ぎながらそう言う。明は俯いて、静かに頷いた。俣治はその仕草を見たが、気付かなかったふりをした。


「まぁ俺から言えることはひとつだけだ」


 俣治はお茶を手に持ちながらそう言う。それを聞いて顔を上げた明に、笑いかけながら告げた。


「気にすることはない、そんなことは頻繁にあることだ。もしその中に『カミノコ』がいると言うなら話は別だが、聞く感じでは『カミノコ』の特徴を有する者はいない。自由にさせておけば良かろう」


「でも神治に影響が出ているのよ?」


「ならばそれを罪として問いかけろ。淫らな行為に及んだことを罪とするのではなく、神治を停滞させたことを罪として問え。お前が今奴らに問うていることは、神治を停滞させたことよりも寧ろ性交したことにあるだろう? 逆だ、逆。性交したことよりも寧ろ神治を停滞させたことを問え。じゃなけりゃ、臣も巫女も、今後性交することを躊躇って跡取りができないかもしれないぞ?」


 それを聞いて、明はハッとした。自身がやろうとしていた政策において、磐田家を臣家として安定させるために大志を婚約させるというものがあった。しかしこの件で、もしも大志が性交をすることを恐れるようになってしまったら、自身の計画に支障が出るかもしれないと気付いたのだ。


「ま、お前の言い方じゃどっちに対して怒っているのか曖昧ではあったから罪状を書き換えることはしなくて良いだろうけどよ、謹慎が解けたらちゃんと臣と巫女に伝えておくんだな。性交に怒ったのではない、と。しっかり言わねぇと、家が消えるかも知れねぇからな」


 俣治はそう言うとお茶を飲んだ。


「ありがとう」


 明はそう言って、


「帰るわ」


 井川神社を去っていった。


「あっ、おい待てよ! 渡海難民について話が……」


 俣治には、明に話すことがあった。労働力として預かった難民がよく働いていることと、そのおかげでダム建設が捗っていること、しかし難工事によって数名の死傷者が出たことや、日渡よりも井谷に定住したいと願う者が出ていることなど、明との間で話し合わなければならないことが多々あるのだ。


 せっかく会ったのだから話をしておこうと思っていた俣治だったが、明は話すことだけ話すと俣治の話なんて聞こうともせずにさっさと帰ってしまった。


「……ま、忙しいだろうからな。何せ神治を全部ひとりでやろうなどと言うのだ。とんだ馬鹿野郎だぜ、まったく」


 俣治は、飲み干された二つのお茶を片付けながら、そう呟いて笑うのだった。




ーーーーー

ーーー




「撃てぇぇぇぇ!!!」


 これでもかと言うほどに、もう既に日渡萌加によって無力化された占守島要塞に砲撃を浴びせて、大連邦協商は冬至後61日未明、占守島に強襲上陸を果たした。


 第一、第二、第三、第五艦隊のほぼ全兵力が投入され、更にはサハ大陸方面から北三や中京の大規模な陸兵力も参戦させ、いよいよ占守島の陥落に向けて戦闘が開始された。


 濱竹安久斗が行った作戦『籠絡の船』によって結果的に海に放り出された占守シュムであったが、自身の持ち得るすべての権能を駆使して占守神社に帰ってきていた。


「大連邦協商め……!」


 シュムは心の底から憎く思っていた。しかし彼は衣堆ジョンキヤのように諦めることはなく、この状況に置かれてもまだ勝機を見出そうとしていた。


 彼には秘策があった。


「片岡に準備させていたアレを頼るしかないわね。進捗状況を聞く前に殺されてしまったから、今どうなっているのか分からないけど」


 シュムは、臣も巫女も失い、今や彼の身ひとつでこの島の行く末を担っている。否、島どころではない。連邦の神々も全員殺され、同盟を結んだ大陸の神々も協商に捕えられるか殺されるかされているため、この北端サハの命運をたった一体で握っているのだ。


 シュムは、この島に見切りを付けた。


 そもそも、幌筵島が陥落した時点である程度の見切りを付けていた。


 だから、着々と準備を進めていたのだ。


 逃げるための準備を。


「この島は任せたわよ。私がここにいるものだと、奴らに思わせておきなさい。なるべく長く耐えるのよ!」


 シュムは島を守る軍にそう告げると、空を飛んで海峡の反対側、異世界扶桑の勘察加半島に向かった。


 彼は扶桑に自身の新たな拠点となるような神社を造っていた。そこに逃げ込み、扶桑国の支援を受けることとしたのだった。


 扶桑もその支援に協力すると約束を交わしていたのだが、


「できぬ」


「……はい?」


「じゃからな、支援はできぬ。断らせてもらおう」


 扶桑国の首相、野沢吉郎は議事堂へ挨拶に来たシュムにそう告げた。


「話が違うじゃないの!」


 シュムは激昂した。しかし野沢は引かなかった。


「散々支援はしたじゃろう? お陰様でこの国は干上がり、軍隊は壊滅し、物価は上昇し、おまけに柄江浦がSHARMAに占拠された。それもこれも、全てお前さんに加担したからじゃ。もうこれ以上、SHARMAの縄張り争いには加担せん。皇国からの支援も打ち切られたしのぉ。それにな、今年は選挙があるんじゃ。お前さんには分からん話やもしれんが、わしが国民からの支持を得続けるためにも、国民の生活にも多大な影響を及ぼしているこの戦争から、なるべく早く手を引かねばなるまい」


 シュムは頭の中で、この下等生物を殺しても良いのだろうかと考えていた。それくらいに頭にきていたが、殺してしまえばどう足掻いても扶桑から支援を得ることはできず、協商に太刀打ちすることが絶望的になるのが目に見えていた。


「そこをなんとか支援してもらえないかしらぁ?」


 シュムはそう頼んでみたが、「難しいのぉ」と野沢は言う。


 この会話を以て、シュムは平和的に交渉することを断念した。


 シュムにはまだ、作戦があった。


 それは、神類だからできること。


「なら、仕方ないわねぇ」


 そう言ってから、シュムは野沢の胸ぐらを掴み、


「俺が力尽くで、この扶桑国を俺のモノにするだけだ」


 そう言ってニタリと笑った。そして野沢を死なない程度に痛めつけ、その2時間後に開かれた国会で野沢の代わりに登壇すると、議事堂を物理的に閉鎖して議員全員を人質とし、国民に占守シュムが扶桑の新たな頂点であり神であることを宣言した。


 神類文明の常識に則り、占守シュムは呆気なく異世界扶桑国を新たなる自分の国としたのだった。


 それが西暦1517年2月23日……否、神紀4998年冬至後62日の出来事である。


 その頃、占守島は完膚なきまでに破壊されて、壊滅状態にあった。そして晩には大連邦協商が占守島の占領を宣言し、異世界扶桑を手中に収めた占守シュムを捕えるために異世界へ出撃しようとしていた。


 しかし、やはり異世界へ侵攻することは神類にとってのタブーであり、異世界へは行ってはならないという暗黙の了解も重なって、協商内で話がまとまらなかった。


 シュムを取り逃すわけにはいかないが、異世界を知らなすぎるからまずは情報を集めるべきだ、とか、異世界の国を支配下に置けば異世界国家が許さないはずであり異世界に任せておくのが良い、とか、シュムを危険視した異世界国家と共闘して情報を集めながら戦うべきだ、とか、そういう意見が上がった。


 そして、これに対して意見をするのは協商に限った話ではなかった。


 文明保護協定に加盟する、世界各地の神々からも意見が出始める。


 桜咲メグは「これ以上異世界に戦火を広げるのは望ましくない」とし、占守島の陥落を以て世界の解放が為されたと見るべきだと主張した。


 それより西、かつての山陽統一連邦の盟主、今は関西統一連邦所属の山陽連邦の祖神、岡地おかじ大元だいげんは「我々は異世界を知らない。そこに攻め入るのなら、まずは異世界を充分に知ることが求められる」と主張し、協商軍に出撃を待つことを要求した。


 対して、九州統一連邦に所属する長狭ながさ連邦の祖神、長狭稲佐(いなさ)は「我々長狭は異世界の情報を提供することができる。今こそ世界一丸となって占守シュムを捕まえに出るべきだ」と主張した。しかし、それに際して長狭は自軍を参戦させることと、関東に対して高額な情報提供代を求めた。


 世界がまとまらない中、異世界ではシュムの思い通りに事が運んでいた。


 扶桑国がシュムに占領されたことを受け、世界各国はその解放を銘打って、なんと南扶桑群島、つまりは神類が住まう日本列島へと報復戦争を始めたのだ。


 異世界人類にとっては、SHARMAはSHARMAなのだ。その中でどんな対立が起きているのかも知らなければ、知るつもりもない。


 ShumuというSHARMAが扶桑国を占領した。どうやらそれ以前にも、MaiというSHARMAが柄江浦を占領していたようだ。そういう情報から、全てSHARMAが悪いとし、その矛先をシュム個人ではなく全神類に向けたのだった。


 そして、大規模な報復攻撃が開始されようとしたのだが、それを阻止したたった一人の少女がいた。


 カリナである。


 彼女は異世界人類が行った南扶桑群島への攻撃を、たった一人で全て跳ね除けたのだった。


 爆撃機も、ミサイルも、最新鋭の大量殺戮が可能な爆弾も、全て跳ね返し、それを撃ち放ったそれぞれの人類国家に「お土産」として送り届けたのだった。


 被害は著しいものだった。


 そして、その犯行声明を扶桑国の回線を借りて全世界に流した。


ーーーーーーーーーー


 あなたたちのやろうとしたことは、人ではないからといって、罪のない、話の通じるかもしれない相手をなぶろうというものです。


 あなたたちが持つ力は凄まじいでしょう? その身をもって分かったことでしょう。そんなものを撃ち込まれたら、いくらSHARMAでも一溜まりもないでしょう。


 ですが、SHARMAを侮ってはいけません。奴らは人間ではありません。ですが確実に人間では勝てません。そして、この被害を上回る報復をされます。何せ奴らは生物兵器ですからね。


 今の攻撃であなたたち人類国家は壊滅的な被害を被ったことでしょうけれど、この程度ではまだまだSHARMAには勝てませんし、それほど大きな影響を与えるわけでもありません。世の中には、触れてしまってはならない領域があります。それは通称『異世界』と呼ばれ、私たちの住む世界とは切り離されています。


 しかし、切り離されていることには意味があります。意味もなく切り離されているのではないのです。ではなぜ、SHARMAの住む世界と我々人類の住まう世界は切り離されているのでしょうか。


 答えは簡単です。次元が違うからです。共存ができないくらいに、持てる全てに格差があるからです。


 人類がどれだけ優れた殺傷兵器を作ったとしても、それはSHARMAには有効打とならないでしょう。もし世界が分けられていなかったら、この文明はありません。


 扶桑国が乗っ取られた早さを見たでしょう? 一国を乗っ取るのに、僅か数時間しかかからないのです。それも、一体で。そんなのが、あの列島には数多沸いているのです。そして、あれら同士でおよそ半年もの間争い続けているのです。それがどれだけ高度なものか、あなたたちには分からないのですか?


 人類国家は人類国家のことだけを考え、くれぐれもSHARMAに手を出さないことです。


 それが、あなたたちが生き残るために最も重要なことです。


 これを受けて、私を世界の敵と認定しても構いませんが、言っておきますが私にはSHARMAですら敵いませんので、もし殺り合おうと思うのでありましたら、それ相応の覚悟をしておいてください。


 先ほどのように……いいえ、先ほど以上の被害が出るのは確定事項ですので。


 以上、『創造神』カリナからの犯行声明でした。


ーーーーーーーーーー


 これを受け、人類国家は緊急で会合を開く。世界にとって緊急事態であることは明らかであったが、先ほどのカリナの「お土産」は扶桑に近い先進国ほど痛手を負うものであり、無傷な大国というのは扶桑と仲の悪い国ばかりであった。


 これにより、日本皇国をはじめとした東洋の大国は世界的な地位を弱めていく。そして世界は、西洋を中心にたちまち不安定になっていく。


 興味関心が扶桑から外れたのは一瞬だった。


 これはシュムにとっては想定外であり、カリナに邪魔をされたことになる。もちろん、これはカリナが望んだ結果であり、彼女にとっては全てつつが無く進んだのだ。


 実質これで、扶桑国は世界から孤立し、シュムが統治しているということもあり神類文明の一端を担っているといえる状況に持って来られた。


 カリナはその情報を、柄江浦を占領する千羽舞と、そこに停泊する第二艦隊の指揮官、済田政樹に渡した。


 政樹がなぜ柄江浦にいるかというと、いつでもシュムを攻撃できるように東輝洋介が柄江浦を次の軍事拠点にしようと提案して移動を命じられたからだ。


 しかし、洋介が思っていたように物事は進まず、大連邦協商や文明保護協定から足止めを喰らってしまった。だから政樹は暇を持て余していたわけだが、この柄江浦の状況は以前とは訳が違っていた。


 柄江浦に住んでいた住民は皆、無慈悲に舞に殺されているが、シュムが国を支配してからは柄江浦に国民が避難してくるようになっていたのだ。


 皆、国を解放するために、シュムと対立するSHARMAである舞を頼って集まったのだ。


「絶好の機会です。ここは既に、神類文明となりました。北端異世界を神類にとって反発のないものとするためには、あなたたちが英雄となって、この国を解放するのが望ましいでしょう。そうすることで、神類は簡単に異世界に拠点を持つことができるようになります」


 カリナは舞と政樹にそう告げた。するかしないかはあなたたち次第だけど、と付け足して、彼女はその場を去った。


 舞と政樹は、扶桑国の人類に問う。


「この国を私たちが解放すれば、この土地にはSHARMAが住まうことになる。それでも頼むか?」


 と。


「あなたたち人類がシュムに立ち向かえば、この国は人類のものになるのに。それでも頼むか?」


 と。


 群衆は皆、「頼らざるを得ないんだ!」と声を上げる。致し方ないことだ、と。


「でしたら、こうしましょう」


 政樹は嗤い、人類に投げかけた。


「共にシュムの元へ行くのです。私たちはあくまで、人類によって担ぎ上げられた大将だと、そうするのです。それなら、この国は人類が解放したことになります」


 それに対し舞は嫌な顔をしたが、政樹が「都合よく利用するためには、友好的な関係の方が対立を生まなくていいのですよ。深く介入する方が余程面倒です」と政樹に言いくるめられ、この案に乗った。


 そうして、冬至後68日。扶桑国奪還部隊と称して扶桑国民が立ち上がる。その頂点に立つのは、千羽舞と済田政樹であった。


 彼らは軍艦に乗り、翌69日にシュムが占領する首都の勘察来に降り立った。そして議事堂を破壊しながらシュムを探した。


 そして、最も大きな議場でシュムを見つけた。


「こんなにも事を大きくして。あなたはいったい何を考えているのですか?」


 政樹はシュムに問い詰めた。


「あなたたちこそ、しつこいわよぉ。人類が蜂起したといっていたので特に構えていなかったら、まさか祖神種が二体も来るなんて。どうしたのかしら、人類文明を排斥するとか言っておきながら、人類に染まってしまったのかしらぁ?」


「うるさい! 全てはあんたが蒔いた種よ。人類はあなたによる支配を望んでいない。神類も、異世界に出ることを望まない。あなたはその全てを壊したの。だから私たちと人類の間で利害が一致してこうなったの。あんたという祖神種に挑むために」


 煽るシュム。それに舞が返した。


「占守シュム。あなた、降伏しなさい。もう国はない。連邦もない。あなたと共闘した扶桑国もない。戦争を継続する価値もない。大人しく降伏しなさい。今、無血で降伏するなら、あなたを生かす判断をしましょう。ですが、抵抗するなら確実に晒します。人類の法で裁き、人類国家の長として」


 政樹は、戦うならなんとシュムを人類と同格に扱うと宣言したのだ。


 これは神類にとって、何よりの侮辱である。


「あんた、命に執着があるみたいじゃない。そんなに逃げるんだから当然よね。だったら、今からでも私たちに降りなさい。遅くはないわ、関東統一連邦の下で北端の栄華を築くというなら、まだ間に合うわ」


 舞もシュムにそう言葉をかけた。


 シュムは、


「……はぁ。負けたわね、これは負けよ」


 意外にも、あっさりと折れた。


 理由はひとつである。


「ご苦労様です。扶桑国の解放、達成ですね。よかった、よかった。戦闘になったら私だって面倒ですからね」


 政樹と舞の背後から、お面を付けた少女が歩いてきたのが見えたからだ。


「占守シュム。異世界に手を出すのは禁忌です。いくらなんでもやりすぎです。あなたは占領した扶桑国のために何かをしましたか? していないでしょう。上に立つなら、民を思う政治をしてください。そうしたら、私だって多少は見過ごしました。ですがあなたがここに居続けることは、神類の評判を下げることにつながると判断し、私はあなたを元の世界に戻すべく扶桑国民の肩を持ちます。事には限度があります。それは戦争であっても同じです。あなたは今回、最後の最後でその限度を超えました」


 そう言って、シュムの手を縛った。


「群衆の前に行きましょう。議事堂の解放を宣言してください」


 カリナは舞と政樹に指示を出した。指示を受け、舞と政樹は群衆の前で解放を宣言した。


 これから扶桑国では、国を解放したMaiとMasakiという二人の英雄がいたと語られることになる。


 その正体がSHARMAであることは伏せられた上で、伝説となっていくのだった。




ーーーーー

ーーー




『《サハ戦争》終戦

 大連邦協商の勝利!

 冬至後69日、世界北部同盟の拠点、占守島の占守神社にて、占守シュムが大連邦協商に向けて降伏宣言を発表した。これによって、昨年冬至前58日より始まったサハ戦争は大連邦協商の勝利で終結した。今後、大連邦協商は戦勝国会議を行い、北端の在り方や戦犯である占守シュムと衣堆ジョンキヤの処遇について決めていく。』


 堂々と、全国各新聞社の記事の一面を飾るのは、もちろんサハ戦争の終結についてであった。


 シュムは、関東統一連邦第二艦隊によって異世界から本拠地の占守島に送り届けられ、そこでサハ列島連邦及び世界北部同盟の降伏宣言を行った。


 大連邦協商は占守シュムの宣言を受け取り、サハ戦争の終戦を宣言した。


 占守島には大連邦協商旗やそれを形成する九つの連邦旗のみならず、文明保護協定の紋章やそれに加盟する全連邦旗が掲げられ、狭い島の上にびっしりと戦車や大砲が並び、島を取り囲む海にはこれでもかというほどに軍艦がひしめいていた。


 戦いにより、島の形は大きく変わり、島の上に存在した神社をはじめとする建造物は見る影もなく焼け落ちていた。


 長い長い、凄惨な戦いが、今ここに、この場所で終わった。


 しかし、大連邦協商にとって本当に厄介な問題は、この先の『戦勝国会議』なのであった。

 みなさん、お久しぶりです。というよりも、前回の挨拶の続きを考慮すれば明けましておめでとうございます、ですかね。ひらたまひろです。サハ戦争・壬をお読みくださりありがとうございます!


 ついにサハ戦争も、残すところあと1話(予定)となりました。1年半かけてここまでの超大作を書くことができて、そして『サハ戦争』に終わりが見えてきて、なんだか感動しております。

 今回の話は際どく下品に感じられる場面が多くあり、苦手な方がいらっしゃいましたら申し訳ない限りです。なるべくそのようなシーンは1話のうちにまとめた方が良いかと思いまして、この話で『カミノコ』の件を書こうと決めました。また、明の本名と御厨あかりについても同様に、『カミノコ』ついでに書くことと致しました。本当はもっと引っ張る予定だったのですが、あまり引っ張りすぎても興が醒めてしまうのではないかと言い聞k((考えまして、この話でカミングアウトしました。


 さて、余談になりますが、この話の冒頭で『戦場の精霊』という曲が出てきたと思いますが、覚えていらっしゃるでしょうか。それをYouTubeで公開しますので、みなさん興味がございましたら「ひらたまひろ」で検索をかけてチャンネルを探してみていただきたく存じます。既にYouTubeチャンネルを作りまして、適当な動画を投稿しております。『戦場の精霊』の動画内では、主に日本皇国の内情を中心に本編で登場しなかった事情が含まれておりますので、更にカミツグの世界へのめり込みたいと思われましたら、是非遊びにいらしてください!


《自作曲》戦場の精霊 (神継者〜カミヲツグモノ〜)

https://youtu.be/nulKiUqnxWc

(お手数ですが、リンクをコピーして検索してください)


 YouTubeチャンネルでは、今後もこのようにカミツグ内で映像として補足が必要だと感じた場合に動画を投稿する予定です。また、カミツグに関する裏話や解説も投稿していきたいと考えておりますので、情報を見逃したくない方はチャンネル登録をしていただけると便利かと存じます。

 それ以外にも、どうでもいい動画をあげておりますので、カミツグ作者がどんな奴なのか興味がある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。


 告知が多くなりましたが、この辺りで失礼しようかなと思います。

 それではみなさん、また次回、いよいよ『サハ戦争』最終回、第10話目『癸』でお会い致しましょう!


2024.02.07 ひらたまひろ

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えっっっっっっっ江戸(えど) は、東京の旧称であり(以下略)。作者様がどう思っているかは分かりませんが私はこういうの大好きなので、すすんで読んでしまってましたね笑。えっっっなのはいいんですがコレそれ以…
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