第4話『濱竹へ』
人類反乱。それは、神類文明の誕生からずっと絶えないものだ。人類は世界の覇権を神類に取られて5000年経った今も、まだ世界の覇権を取り返そうと諦めない。反乱が起きる度に鎮圧しても、鎮圧しても、どこからともなく湧いて出てくるのが人類だ。優れた知能、恐ろしい団結力、戦争に懸ける情熱。それらが幾度となく、我々神類を困らせてきた。
僕が生きている間にいつかは近くで起こると思っていた。自国ではないけど、濱竹は西の隣国で友好国だ。国境に大河があるが、歩いて四時間ほどの距離の場所で、両国間を移動する者の数もかなり多い。
それはきっと、人類も同じはずだ。濱竹の反乱に乗じて日渡が混乱していたら、その隙をついてくるに違いない。人類は油断ならない。早くこの混乱を収めないと、日渡にも反乱の波がやってきてしまう。
「おじさん! ここら一帯の下神種を神社に避難させよう。混乱してたら人類の格好の的にされちゃうかもだし。避難誘導に協力してもらえる?」
「あぁ、もちろんだ!」
そうして僕らは、日渡国の神社こと『磐田神社』に避難を始めた。
神社は、今朝方の花菜と僕の戦闘のせいで庭がボロボロだった。兄がまるで戦争だと表現していたが、改めてこの庭を見ると、その表現が適切であることがよく分かる。
しかし、今はそんなことを言っている暇はない。街から避難させた下神種が大量に庭にいるのだ。それこそ、身動きが取れないほどに。
「ちょっ、大智!? この下神種たちはなんなの!?」
花菜が僕のところに駆け寄ってくる。
「その様子だと、まだ知らないみたいだね」
「何が?」
花菜は僕に疑問の目を向けてきた。僕は花菜に言った。
「濱竹で、大規模な人類反乱が起きたらしい」
「はぁ!? ほんとなの!?」
「嘘だってんならこの混乱した下神種たちはなんだってんだ」
「それは……」
花菜は未だ混乱する下神種たちを見て息を呑んだ。どうやら事の重さに気付いたようだ。
「……なんで、こんな時に限って神様と大貴さんはいないのよ!」
吐き捨てるようにそう言う花菜。
「兄さん、出かけてるの?」
「神様探しに行ってる」
なんだそれ。まじで神って無能だな。
一瞬そんなことを考えてしまった。が、その時。
「なんだ、この数の下神種は!」
そこに聞き慣れた声が聞こえた。兄だ。
「大貴さん! 一大事ですっ!」
「どうしたんだ? 徳政令でも求めて国民が神社に押しかけたとか?」
「違いますっ! 濱竹で大規模な人類反乱が起きたそうです!」
「えっ!?」
兄は相当驚いた顔をした。そして花菜に訊く。
「誰からの情報?」
「大智」
そして僕に向けられる目線。……なんだろう、明らかに疑いの眼差しだ。
「本当なのか?」
「らしいよ」
僕はそう答えざるを得ないだろう。実際に見たわけではないし、僕自身、聞いた話なのだから。
「曖昧だが……この混乱、ただ事ではないことに間違いはないだろうね」
兄はそう言って、花菜に告げた。
「本殿で神様と話し合おう。大智の言うことが真実だと仮定して、濱竹の状況確認は神様に頼もう。花菜ちゃんは、必要に応じて濱竹の応援の準備を」
「え、神様帰って来たんですか?」
花菜が兄にそう質問すると、兄は、
「さっき見つけて連れ帰ってきた」
と答える。
神を連れ帰るとか、どういう状況だろう。正直想像つかないが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「それで、花菜ちゃん。頼むよ」
「了解」
そうして、花菜と兄は本殿へと向かっていった。
さて、僕はどうしたものか。
こんな混乱した中に一人放置されても困る。だが、やれることはある。例えば、
「水が欲しい方はこちらまでー!」
というような、避難民の援助などである。
家の中から、未だ飽きずに日渡伝書を読み漁っている弟の大志を引っ張り出してきて、半ば強制的に手伝わせる。水、食料、毛布などなど。色々と用意をした。
そうして日が暮れた頃、僕らは神社の本殿にいた。
もちろん、兄に呼び出されたのだが。
メンバーは、僕と大志、兄、花菜の四人である。
「濱竹での反乱は事実だった。それも、俺が思っていた以上に規模が大きかった。郊外都市が丸々一つ人類に占拠されたそうだ。濱竹軍が出動して、人類と戦闘を繰り広げているみたい」
「濱竹じゃなかったら、国が潰れているかもね……」
僕の言葉にみんなが頷いた。
「でも、なんで濱竹で? あんな超大国でそれほど大きな反乱なんて、何千年に一度の単位じゃない?」
「そこだね……」
大志の疑問に兄が黙り込んだ。
「人類は愚かだけど、馬鹿じゃない。濱竹が連邦屈指の軍事力を誇っていることくらい分かっているはずよ。それでもなぜ、濱竹で反乱を起こしたんだろう」
花菜が顎に手を当てて考え込んだ。
そう、濱竹は超大国だ。この日渡が所属する『靜連邦』の『二大統率国』の一つとなっているほどにまで大きい。面積もだが、軍事力、権力、影響力においてもとても大きいのだ。
「考えられるのは、濱竹での反乱に成功した場合、この連邦全国が動揺して情勢が不安定になるだろうから、その隙を突いて侵略するってこととか?」
大志が考えを述べた。
「あとは、人類の士気の向上にもなるだろうね」
僕が付け足す。
「なるほどな。濱竹で反乱を起こす利点は十分にあったってことか」
兄がそう言うと、花菜が付け足した。
「でも、そうなるためにはこの反乱が成功する必要があります」
ハイリスク・ハイリターンってことか。どうやら人類は、今回の反乱によほど自信があるようだ。濱竹の強大な軍事力にも勝てる自信が。
「失敗に終わりそうだけどな」
そう思っていたところで、兄が付け足した。花菜は頷いているが、僕と大志は分からない。濱竹が今どんな状況にあるのかという情報がないからだ。
僕らの疑問の目に気が付いたのか、兄が教えてくれた。
「濱竹に神様が応援を送ろうか尋ねたところ、向こうの神は笑いながら『大丈夫だ。一週間あれば終わるし、最悪街ごと消し去れば問題ないからな』って言ったそうだ。それを聞いて神様が、『あぁ、じゃあ大丈夫だねー』って気楽に返事して終わったらしい」
……なんだそれ。日渡はこんなに混乱してるのに、当事国の濱竹は全然気に留めてないような物言いだ。
僕が昼間に奔走したのがバカバカしく思えてしまう。
というか、さっきまでの深刻さが今ので全部吹き飛んだんだけど!?
「まぁ、こればかりは人類が愚かだったな。濱竹で反乱を起こしたことが間違いだったんだ」
兄が笑いながらそう言った。
まぁ、そうなのだろうな。あんな超大国に喧嘩を売るのが悪い。
「やっぱり、所詮は人類ってことだね。神類の世が荒れていても、覇権を取り戻すことができなかったんだもん。弱いよね」
大志がそう言って、お茶を飲んだ。
兄はその意見にいい顔はしなかったが、決して否定もしなかった。弱いかどうかは分からないが、覇権を取り戻せなかったのは事実だしなぁ、といったところだろう。
まあ僕には、その覇権どうこうの話を詳しく知っているわけではないので黙り込むことしかできないけど。
「そうだ、大智」
いきなり兄に声をかけられた。僕は兄を見る。
「神治の関与への答えを聞こうか」
そう言われて、僕は思い出した。そうか、そういえば今朝までその話で揉めていたんだった。それすら忘れるほどにまで忙しかったのだ。
だが、もえちゃんとの会話で結論は出ていた。ああいう風に言ってしまった手前、やるしかないだろう。
「参加します」
僕があっさりそう答えると、兄と花菜、そして大志まで目を丸くして僕を見た。
「は? え、お前、ほんとに大智か?」
失礼だ。なんだその反応は。僕をなんだと思っているんだ。
「え、断った方がいいの?」
「いいや、断られたら困るけど……」
花菜が口籠る。そして控えめに僕を見て、
「こうもあっさり了承するとは思ってなくて、その、少し困惑した」
と言った。
なんか、すごく気まずい空気が流れる。沈黙が僕らを襲って、五秒、十秒と経過していく。
「コホン」
咳払いをしたのは兄だった。
「そうか、それは嬉しい。神様の願いだったからなぁ。これで俺たちもうるさく言われなくて済む」
ん? 一瞬本音が聞こえたような。気のせいか。
「さて、大智。神治に参加してくれるってことで、一つ仕事を頼む」
早速か。そう思って兄を見ると、
「濱竹の反乱が収まったら、避難民を連れて濱竹の『浜松神社』へ行ってきて欲しい」
と言われる。
よかった、思ったよりも僕好みの仕事だ。ついでに濱竹観光でもしてくるかな。
「引き受けるよ。神社に届ければいいんだね?」
「そう」
そんなの楽勝だ。やってやろうと心の中で意気込んでいたところに、とんでもない爆弾が落とされることになった。
「その後、濱竹軍総長の中田島将軍と会談をして、人類反乱の様子と具体的な対処、影響などを聞いてきてほしい」
「えっ」
「なにを絶望したような顔をしてるんだ。さては、旅行感覚で行こうとしていたな?」
な、なぜバレた!?
「バカ野郎! 神治は仕事だ! 旅行じゃないからな! お前は今度、日渡の正式な使者として濱竹に向かう。日渡という名前を背負って行くんだ! ヘマはできないぞ? 旅行感覚で行くなど言語道断! 観光などしようものなら……」
それから説教は三十分に渡って続いた。
やっぱり、神治に参加するの辞めとけばよかったかな……
少し後悔の念に駆られた瞬間であった。
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ーーー
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時は経って、一週間後。濱竹の人類反乱は、聞いていた通り、一週間で収まった。街に立て篭もった人類は皆殺しにされ、神類の圧倒的な力(と言うか、濱竹の圧倒的な軍事力)を見せつける形で終わった。
反乱が終わったということは、僕が濱竹に旅立つということである。濱竹から避難してきた難民を引き連れて、僕は磐田神社を後にした。
神社を出て一時間半ほど。日渡と濱竹の国境にある大河、昇竜川にたどり着いた。ここは国境なので、普段なら簡易的ではあるが身体検査を受ける。しかし、今日は日渡からの正式な訪問ということで、この検査は免除されている。
僕らは日渡側の『昇竜川東岸関所』を越えて、長さ約1kmの日竹大橋を渡って濱竹側の『昇竜川西岸関所』へと辿り着いた。
濱竹の関所にいる役人に、兄より貰った公務証明書を見せてそこを通り抜ける。僕らは濱竹国へと足を踏み入れた。
濱竹に入ってから二時間ほど。日渡とは一風違った、高層建築が立ち並ぶ濱竹中心部にやってきた。
街の様子は、つい昨日まで人類と戦っていたとは思えないほどにまで落ち着いていたが、それはきっと、反乱のあった場所がここから離れているからであろうと推測できる。濱竹は靜連邦の中でも最大の面積を誇る国であるため、濱竹内部のことであっても遠く離れていたら我関せずの地域も多いのだ。きっと反乱のあった地域では、今も混沌としているのだろうけど、その様子はこの街から伺うことはできない。
市街地を歩くこと30分。大きな鳥居を潜って、僕らは浜松神社の境内に入った。
しかしその神社は、磐田神社とは大きく異なっている。
浜松神社には、磐田神社にあるような自然は全くと言っていいほどない。地面には煉瓦が埋め込まれ、周りは高い金属製の柵で囲まれている。目の前にある、コンクリートでできた角ばった5階建の建物が神社の本殿であり、日渡のオンボロの木造本殿とは次元が違う。
「これはこれは、わざわざご足労ありがとうございます」
煉瓦の敷き詰められた広場で僕に声を掛けたのは、黒い服に身を包んだ眼鏡の男だった。深々と、しかし綺麗に、彼は僕に一礼をした。
歳は初老で、上品な言葉遣いと丁寧な身のこなしから、おそらく臣や巫女の側近といったところだろう。
「わたくし、濱竹神務卿を務めております、下池川山樹と申します。本日は、日渡の使者である磐田様の案内役を安久斗様より詔されましたので、どうぞお気軽にわたくしを使ってくださいませ」
「はぁ、どうも」
僕はギクシャクしながら、軽く頭を下げた。
どうもこういうのは慣れない。というか、未だかつて使者など務めたことがないので、こういう時にどうしたらいいのか全く分からない。
「それと、これは安久斗様からの伝言でございます」
ギクシャクする僕に、下池川卿はこう告げた。
「『難民の受け入れ、感謝する。此度の反乱で国民に犠牲者が出なかったことは、日渡の協力があったからのように思う。こちらの警戒が緩かったが故にこのような混乱を招いてしまったこと、及び我が国民が多大なる迷惑をかけたことに心から謝罪する。萌加にもそう伝えよ。』とのことです」
なんだそれ。まず、安久斗様というのは誰なんだ? そして、萌加とは誰だ? 僕の知らない名前が二つも出てきて、もはや内容の理解をするどころではなかった。
だがまぁ、内容は『難民の受け入れを感謝する』以外特に無さそうなので気にしない。
「安久斗様は、此度の貴国の対応に心から感謝をしておられます。戦後視察さえ無ければ、磐田様に直接感謝の言葉を述べたいと、口惜しそうに仰られておりました」
だから安久斗様って誰なんですか?
と思ったが、今更それを訊くのも野暮な気がして、
「そんなそんな、直接なんて畏れ多いです。僕ら日渡は、友好国として当然のことをしたまでですので」
と言うことだけに留めておいた。
おそらく安久斗様というのは臣のことだろう。その正体がもし臣でなかったとしても、身分が高いことに変わりはないだろう。
ここまで思って、ふと背後がやけに静かだなと思って後ろを向いた。
僕の後ろには、煉瓦敷きの広場が広がるだけであった。
僕が引き連れてきた避難民が、誰一人としていなくなっていたのだ。
「あれ?」
そんな声が僕の口から漏れた。
「あぁ、難民たちですか」
下池川卿が、あっけらかんとして僕に告げる。
「磐田様と話している間に、こちらの担当者がお引き取りしました。これからはこちらにお任せください」
あ、そうですか。
……せめて一言くらいあってもよかったんじゃないか? 引き連れて来たの、僕だし。
「さて、磐田様。そろそろ会談のお時間となります。わたくしについてきて下さいませ」
そう思っていた僕に、下池川卿はさらりと告げて、コンクリート造りの本殿に向かって歩いていく。
「あ、はい。分かりました」
僕はそれだけ言って、彼の背中を追った。
コンクリート造りの巨大な建物の中に入ると、まず目の前に広々とした空間が広がる。その空間は、5階建ての建物の天井から吹き抜けていて、とても開放的であった。
その正面に、立派すぎだと思うほどの大階段がある。踊り場までは建物の中央に位置しているものの、踊り場から上は左右にそれぞれ分かれている。石膏でできた手すりには細かな装飾がされていて、濱竹の技術力の高さを象徴していた。
そんな階段を、下池川卿はスタスタと上がっていく。もちろん僕もそれに続くが、立派すぎて、そこを歩くだけで躊躇いに似た何かを感じた。
僕らは3階へ上がった。下池川卿に続いて廊下を歩くが、意識は右手側に広がる立派な部屋のドア……ではなく、左手側に広がる手すりと吹き抜けにいっていた。
1階から5階の天井まで吹き抜けているので、もちろん3階などの途中の階は、上も下も吹き抜けている。左手側の眼下にはエントランスが広がり、上はやはり吹き抜けである。こんな建物、日渡には存在しない。物珍しさと美しさから、僕の目は釘付けになっていた。
そんな風によそ見をしていたから、正面を歩いていた下池川卿が立ち止まったことに気付かず、追突をしてしまった。
「あっ、ごめんなさい」
「いえいえ、大丈夫でございます。わたくしも何も言わずに立ち止まって申し訳ございません。こちらでございます」
下池川卿がそう言って、右手側に広がる豪華な扉を示した。そして3回ノックをすると、
「将軍様、お連れしました」
と声をかける。
「入れ」
中から低い声がした。
「では磐田様」
下池川卿が扉に手を掛けて、ゆっくりとその戸を開けた。
僕の初めての会談が始まろうとしていた。
下池川山樹:57歳 身長174cm