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神紀4997年、冬至前89日。午前9時20分前後。日渡国磐田神社に、新政渡海國より使者が訪れる。
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見覚えのある子だった。
いや、見覚えがありすぎて、正直驚きを隠せなかった。
「沙苗ちゃん!?」
出迎えたわたしがそう声を上げると、横にいた大智が「知り合いなんですか?」と尋ねてくる。
「知り合いもなにも、渡海の巫女だよ。……まさかあなた、反逆組織の軍門に降ったの?」
わたしが大智にそう答えたあとで、沙苗にそう尋ねる。でも状況はなんとなく察している。幽閉されていたのだから、無理やりやらされているのだろうと。
「……その質問に答えることは、控えさせていただきます」
沙苗はそう言うと、手に持っていた書簡をわたしに差し出した。
「セイアン様からです」
え、だれ?
わたしは明に目配せをしてみる。そんな奴いたっけ?
視線を向けられた明は、わたしにフルフルと首を振った。どうやら同じく、聞き覚えはないようだ。ということは。
「反逆組織のトップから、ということ?」
「……まぁ、はい。あなたがたにとってはその認識で構いません」
あなたがたにとっては、ね。どうやら彼女は、完全に使者になっているようだ。さては脅迫でもされているのだろうか。
でも普通におかしい。上神種である彼女が、下神種であるセイカンだかセキハンだかってやつに負ける、もとい殺されることなんてないはずなのに。
神類は格下が格上を殺すことはできない。それには『核』というものが大きく関わっているのだけど、人類でいう心臓の役割を果たすそれは、格下の輩では貫くことができない。更には首や胴の切断などといった致命傷を与えることも不可能。
いったい、わたしたちを造った人類は、どんな技術を積み込んだというの……?
まぁいいや。とにかく、彼女たち渡海上神種がそのセキハンくんに殺されることは、普通に考えて有り得ないのだ。もちろん、勇に関しては言うまでもないだろう。
わたしは差し出された書簡を手に取った。そこに書いてあった文字は乱雑なもので、文章もかなりめちゃくちゃであった。
『日渡ノ神をそノかん部に告げハ。くん略国家うきぎ山治自りょうと今すじほい止也よ。また、日渡がわレわレノ在存と認メ、ほま竹と鶄にわレわレこをが渡海ノ正当な後けい国でめハこをと伝速く、こレと認メさ也る。』
……意味不明だ、怪文書そのものじゃん。
えーっと、要するにこれは、兎山自治領の廃止と……なんだろ、後半が本当に分かんないな。
「どうしたの?」
目を凝らして硬直するわたしに、明が近づいてきてそう声をかける。そして彼女はわたしの後ろから書簡を覗き込むと、
「えーっと、なになに……『日渡ノ神をそノかん部に告げ』……あー、これきっと『日渡の神とその幹部に告げる』の間違いね」
と呟いた。そしてわたしの背後から離れて元いた場所に戻ろうとした。
そんな彼女の手を、振り向くことなくパッと掴む。
「明、そのまま読み上げて!」
わたしがそう言うと、彼女は「えぇ……」と少し嫌そうに言ったものの、「仕方ないわね、読み上げるから紙ちょうだいな」と言ってわたしに書簡を渡すように言った。
わたしは言われた通りに書簡を手渡す。彼女はジィっとその紙をしばらく見つめてから口を開いた。
「『日渡ノ神をそノかん部に告げハ。くん略国家うきぎ山治自りょうと今すじほい止也よ。また、日渡がわレわレノ在存と認メ、ほま竹と鶄にわレわレこをが渡海ノ正当な後けい国でめハこをと伝速く、こレと認メさ也る。』じゃないかしら?」
なんで読めるのだろうか。わたしには全く理解できないよ。
でも、内容がなかなか気が狂っているように思えるのはわたしだけだろうか。兎山自治領の廃止の要求だけならいざ知らず、反逆組織の存在を認めて、濱竹と靜に伝達し、それを認めさせろだって?
バカなのかな、もしかして。
人に物を頼む態度が成ってないんじゃないの?
「……役目は果たしました。今すぐに返事を求めることはしませんが、明後日の日暮れまでには答えを出してほしいです。良い返事をお待ちしております」
そう言って沙苗は、神社から飛び立とうとした。
「待ちな。もう答えは出したよ」
わたしは真顔を作り、沙苗をそう呼び止めた。
「拝聴致します」
沙苗は飛び立つのをやめてその場に留まり、わたしを正面から見つめた。
わたしは息を吸い込んで、少しばかり心を落ち着かせてから彼女に告げた。
「平和的解決の糸は今、この書簡の内容を以って断たれた。これより我々日渡国は、二大統率国、靜と濱竹の命により、反逆組織新政渡海國を殲滅し、渡海の解放を行う。本日神紀4997年冬至前89日、日渡萌加の名の下に、新政渡海國へ宣戦布告する!」
「…………分かりました。残念です」
そう言った沙苗の目には、涙が浮かんでいた。
「許せとは言わないよ。だけどわたしたちは、靜と濱竹から解放を頼まれているの。この書簡の要求は……さすがに受け入れられないよ」
わたしは彼女にそう告げると、周りにいる日渡上神種と明に対して大声で伝える。
「これより我が国は、戦時体制に移行する! 渡海との国境付近に住まう者どもに至急避難指示を、闘志のある下神種を集い有志の軍を編成せよ!」
「「「はいっ!」」」
上神種は皆わたしにそう返事をして、一斉に行動を開始する。一方、それを見届けるか見届けないか、そのくらいの頃合いに、沙苗がわたしに一礼した後で渡海に向けて飛び立った。
沙苗の礼に、わたしは軽く目を閉じて返した。
「大志っ!」
その直後に、わたしは臣である大志を呼び止める。
「どうされましたか?」
「君には、明と喜々音ちゃんと一緒に攻撃戦略を立ててもらいたいの。お願いできる?」
わたしの言葉に、大志はふわりと微笑んで答える。
「分かりました、国民の避難が終わり次第……」
しかしそこまで言ってから、何か考えて黙る。そしてチラリといちかに視線を送る。
「ん? あ、分かったよ。任せて! 大志くんは戦略の方に集中して!」
いちかは大志から送られた視線に頷き、そう返した。
「ありがとうございます。では、早速取り掛からせていただきます!」
そうして明の元へと駆けていく大志。いちかは走って境内の外へと繋がる長い石段を降りていく。おそらく、渡海の国境を目指すのだろう。
臣と巫女の関係性になってから、二人の心の距離は明らかに詰まっている。あの二人は頭が良くて非常に賢い。相手が何を言いたいのか、相手が何を求めているのかを的確に理解し、群を抜いたコンビネーションを発揮する時がある。
今回がその最たる例ではないだろうか。
「萌加様。僕らは御厨神社に戻ります。渡海が兎山を狙う可能性があるので、小臣と小巫女で警護を……」
大智がわたしにそう申し出てきた。しかしわたしは、彼の言葉を遮って伝える。
「うーん、警護は不要だと思う」
「どうしてですか?」
そう尋ねたのは、大智の横にいた花菜だった。
「あそこは明の御霊術によって常に管理されているの。兎山四禮って呼ばれた、かつての明の側近が御堂に眠っていてね、その御霊が驚くほど強いんだよ。上神種程度じゃ敵わないくらいにね。下手したら皇神種も……いや、始神種くらいでも勝てないかもしれない。そのくらいに強い御霊が眠っているんだよ」
「兎山四禮……」
そう呟いたのは美有だった。彼女は何か思うことがあるのか、唇をギュッと噛み締め、考え込むように俯いた。
そっか、今の今まで忘れていたけどこの子って鎌田家の子か。過激な兎山派の巫女家という印象が未だに抜けないから、兎山復活にそれほど興味を抱いていない美有は、あまり鎌田を連想させないところがある。だから忘れていたけど……
そうだね、鎌田家には巡ちゃんがいたね。
「まぁとにかく、明が倒れでもしない限り、御厨堂は安泰だよ。だから警護は必要ないよ。3人には……そうだね、有志で駆けつけてきてくれる兵隊さんを束ね……」
そこまでわたしが言った時だった。本殿から、大志と喜々音の焦ったような声が聞こえた。
「明様っ!?」
「どうなさいました!? 大丈夫ですか!?」
わたしたちはその声を聞いて、本殿へと駆けつける。するとそこで目にした光景は、
「明っ!? どうしたの? ねぇ、ねぇ!」
戦略立案のために用意された小さな机の横で、苦しそうに倒れる明がいた。近くの床には筆と硯が転がり、墨で床が黒く染まっている。
「明様が急に……」
大志がわたしにそう告げた。その横で、喜々音が明の額に手を当てている。
「……相当な熱です。お休みになられた方がよろしいかと……」
明は息を切らせながら、全身を酷く汗で濡らしていた。
「布団敷いてきます!」
「氷枕をっ!」
大智と花菜がそう言って、それぞれ臣館と巫女館へと消えていく。勝手知ったるフィールドとも呼べる二人からしたら、どこに何があるかくらいは分かっているのだろう。
「……なんで、こんな時に」
わたしは大きな失望を抱えながら、苦しそうな明を覗き込んだ。
「明様、明様! しっかりしてくださいっ!」
そんな美有の声には全く応じない明。おそらくこちらの声は聞こえていない。というか、意識がないのだろう。
「……今までこんなこと、なかったじゃん……」
なんで今日、このタイミングで……
目がジワリと熱くなるのを感じる。負荷をかけすぎてしまったのだろうか、頼りすぎただろうか、無理して神治に参加させたのが良くなかったのだろうか。
そんな罪悪感が巡った後に押し寄せる、猛烈な不安。
明なしで戦争ができるのだろうか、渡海を無事に解放できるのだろうか。
明は貧弱なこの国に於いて、かなり大きな戦力である。この国に、御厨堂の警護に割けるほど人員的余裕はない。そんな時に明さえいてくれれば……いてくれるだけで、御厨堂の警護は果たされたも同義である。
でも、倒れてしまった以上は御厨堂の警護に人員を割かなくてはならない。
そんな余裕なんて、本当にないのに……
援軍が来ないこの戦争に於いて、ちゃんとした軍隊を持たない日渡が戦争をするには、上神種勢力をフルで活用するしか方法がない。幸い、渡海にも正規軍は存在しない。だから勝てると踏んでいたのだけれど、それは明がいてこその勝算だ。
明、目が覚めたら覚えておきなよね……
この病欠は、意外と高く付くよ?
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真っ暗な空間に私は一人、うつ伏せに倒れていた。
頭の中がふわふわして、夢を見ているような心地がしている。
少し離れたところ、距離にしておそらく300メートルと幾許ほどに、一筋の光が見える。
私はそこまで歩いて行くことを決めた。
しかし歩けば歩くほど、なんだかその光は遠ざかっているように思える。一向に近づかないその光と対照的に、背後から声が聞こえた。
「そんなことをして、何になると言うんだ? お前が渡海の神になったところで、この国を安定して治められる保証はどこにもなかろう」
聞き慣れた声に、私は驚いて振り返る。しかし、そこには暗闇が広がるだけだった。
「さぁ、どうだろうな。少なくとも無能な神から有能な神へ変更され、国としての評価は高まるだろうよ」
それに答える、聞き覚えのない声。
「自分のことを有能と言う奴ほど無能なんだがな。それに気付けないとは、やはり貴様にこの地位を譲ることは認められないな」
しかしその言葉に言い返す彼の声。
「いさむ……?」
私は小さく呟いた。
地位を譲る。即ちそれは、彼が神の座を降りるということ。そんなの、私は認めない。
そんな私を置き去りに、2人の会話は進行する。
「はははは! まったくおかしな話だ。能力を封じ込められた貴様に今更何ができると言うのだ? それに既に、臣は殺した。上神種になった俺にとっては、貴様を捻り潰すことなんて造作もないことよ!」
「だからどうした? その権能を用いて皇神種になったのなら、きっと明が黙っていないぞ? お前たちは制圧される。日渡萌加と、兎山明によって必ず、必ず制圧される。夢を見る前に今の現状と、これから起こり得る未来をとくと見つめよ。すると分かるはずだ、今俺を殺すことがどれだけ愚かな行為であるか」
「なんだなんだ、ここに来て命乞いか? 見苦しいにもほどがあるぞ、渡海勇。結局は自分可愛さで、死にたくないだけなのではないか?」
「そうかもしれんな。今死んだなら悔いしか残らんな。俺が死ねば、渡海は後継国も含めて間違いなく滅びる。罪のない国民が死に、国土は焦土となり、地図から渡海の2文字は消え失せる。誰も幸せにならぬ、正に地獄のような未来だ。国を守れなかった悔いこそが、残された国民に対する憐れみこそが、この国の行く末に対する憂いこそが、俺がここで死にたくない理由だ」
待って、どういうこと……?
既に臣を殺した、ですって……?
なんで……なんで下神種が臣を殺せるのよ?
それに、「上神種になった」って……
………………いや、もうそれだけの話じゃない。認めるしかないじゃない。落ち着くのよ、兎山明。いつまでも過去に囚われてちゃいけないのに……
瞬間、勇たちの声が一切聞こえなくなり、しばらく無音の空間に取り残される。
数秒して、またどこからともなく声が聞こえる。
「はははははは! こいつはいいぜ、侵攻した意味があった! 最っ高の収穫だぜ!」
「そうだな。威虞里の臣の娘、貴様を……」
いやぁぁぁぁぁああああ!!!
なんでよっ! どうして、どうして! どうしてそんなのを聴かせるのよっ!
バカッ! バカッ! やめてよ、やめてよ!
「…………お前だけでも、逃げろ……!」
お父様……! 私、わたしは……!
「周知に行きなさい! ……よかった、あの子を人質として預けておいて……」
お母様……! ねぇ、助けてよ……
「お姉ちゃんっ! 逃げてぇぇぇえ!」
「早く……はやくあの子のところへ……!」
……ねぇみんな、私、どうしたらいいの……?
「お前だけが頼りだ」
「まだ幼いあの子を……勇を、支えてあげて……」
ねぇお父様、お母様……! 行かないで、お願いだから……!
勇を救う方法を……教えて…………
私は……どうしたらいいの……?
暗闇の中、幻聴なのかなんなのか、私の心を乱すには十分すぎるほどの過去を聞いた。
過去は……もう…………捨てたい………………
また無音の空間に放り出されたけれど、なんだか心も身体から放り出されたような感覚に陥っている。
もう、もう嫌だ。なんでよ、なんで……
「……いさむ、様……?」
唐突に、また空間に声が届く。しかしそれは、私のあまり知らない声。
渡海の巫女、東河口沙苗のものだ。
さっき萌加の元に書状を届けた女だが、その時よりも弱ったような声で、細々と呟いている。
「……いさむ、さま……? いさ……む…………さ………………」
だが、その声も次第に遠のいていく。
「まったく、神と言っても呆気ないものだったよ。ひと刺しで終了、はい、ご苦労様ってね。ま、臣の時もそうだったけどな」
呆気ない……?
ひと刺しで終了……?
待ってよ、どういうことなのよ……
もしや貴様、弟を殺したのか?
殺シタノカ?
「神を失えば、その代の臣と巫女は消滅するんだったな。東河口沙苗、貴様もこれでおしまいだな。……ま、もう聞こえてないだろうけど」
許さない、許さない、許さない許さない許さない許さない許さない…………
「さてと、ここからだな。……ふふふ、ふはははは、ふはははははははは! 俺は神に……神になったのだっ!」
神殺し、大罪……!
大罪を犯して、タダで済むと思うなっ!
私の大事な弟を殺して……殺して……殺しやがってっ!
許してたまるかぁぁぁぁぁあああ!
「これより我が渡海国は、侵略国家日渡からの宣戦布告、これに正面より立ち向かい、我が権能を以って始神種日渡萌加を吸収するっ! 渡海国は始神国家となり、未来永劫繁栄すること間違いなしだっ! さぁ皆の者、俺に続け! この、渡海清庵の後に続けっ!」
渡海清庵………!
貴様だけは………………許さない!
「落ち着け、明。お前らしくないぞ」
不意に、声が聞こえた。
顔を上げると、正面に勇が立っていた。
「……いさむ?」
生きて、いたの……?
私は彼に向けて走り出した。そしてその胸に飛び込もうとするも、先ほどの光と同じく彼には永遠に近づけない。
「落ち着けって言ってるだろ? 冷静になって考えろ」
「でもっ!」
勇に……勇に触れたい!
「もう知ってんだろ? 俺がこの世から消えたこと」
「知らないっ! 知らないわよっ!」
「じゃあ教えてやるよ。俺は奴に殺された。核を貫かれ、神権を剥奪され、もう既に死んだ」
彼はゆっくり、私にそう告げた。
知らないよ、そんなこと……
認められないよ……
私の視界は霞んだ。水滴のレンズを通して、焦点が曖昧になっていく。
私は俯き、目を瞑った。
いくつかの水滴が静かに落ちる。
「……ね、知っていろう? 姉ちゃんなら、分かるろう?」
独特な口調、幼い声。そしてとても、懐かしい耳触り。
ハッとして顔を上げると、そこには在りし日の彼が立っていた。
広がる風景も懐かしい。ここは、数千年前の周知国、森神社の本殿か。
「……姉ちゃん、ほんとに行くんろう?」
彼は不安そうに、私を見つめた。月明かりに照らされた彼の横顔は、なにか寂しそうにも見える。
鮮明に覚えている光景だ。懐かしい、本当に。
「大丈夫、帰ってくるよ。お姉ちゃんが仇を取ってくるから、あんたは待っていてちょうだいな」
私は優しく、彼に声をかける。
あの日と全く同じ、その言葉を。
途端、私の頬を何か水滴が垂れた。
それは温かく、そして止まらない。
「悪いとは思っているさ、姉さん。でも俺は、この先も姉さんと一緒にいたいんだ。そのためには、姉さんの力が必要なんだ」
……あぁ、そうだったね。そんな日も、あったね。これはたしかに、今みたいに泣いた日のことだ。
永遠に流れ続ける涙を、あのとき彼はそっと拭ってくれた。
風景も少し変化した。同じ森神社でも、今いるところは館の部屋の中だ。
正面に立つ勇は28歳。歳の差9つの姉弟だったけれど、正面にいる私の姿は16歳。なんとも不思議な現象だろう。
そしてその差は、今なお変わらない。見た目も、年齢も。
「泣かせるつもりはなかったんだ。だけど俺には、その力が……!」
当時の私は、ここで彼を叱責し何かを叫んだ気がする。でも、今の私にはそれはできない。
……もう、分かっているんだ。
目の前でコロコロと容姿を変える彼は、私の幻想なのだと。記憶の切り抜きなのだと。だから彼は、その続きを言わない。当時の私によって遮られた言葉の続きなど、この世に存在しないのだから。
「勇、覚悟はできているのね……?」
「あぁ、もちろんだ」
真っ直ぐと私を射抜くその視線に、やはり懐かしさを感じざるを得ない。
「じゃあ……」
当時と状況はかなり異なる。でも言葉は、使い回せる。
だって、いろいろな記憶を繋げてしまえば良いのだから。
瞬間、周囲の風景がまた変わった。
ここは、御厨堂だ。渡海を独立させる、あの時の記憶。
私は勇に微笑んで告げる。
「さようなら」
そして彼も、それに微笑み返す。
「あぁ、さよならだ」
瞬間、私の目の前から彼が消滅する。私はまた一人、真っ暗な空間に取り残された。
しかし、正面。本当に真正面から、最初に見えた光の筋が迫ってきた。
なす術もなく、私はその光に飲み込まれた。そして……
ーーーーー
ーーー
ー
「……っ!?」
「わぁ!?」
声にならない叫びと共に、明様が飛び起きた。
何の予兆もなかったから、明様の汗を拭っていた喜々音さんが飛び上がるくらいにまで驚き腰を抜かしていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
明様は顔を青白くして、息を切らせている。
「…………」
喜々音さんは、全く動けなくなっている。
「お目覚めになられてよかったです」
少しびっくりしたが、僕は冷静に明様に言葉をかける。
「気分はどうですか?」
そう尋ねた僕に対して、明様は静かに言う。
「……萌加を、呼んで」
「分かりまし……」
「萌加をっ! 早くっ!」
「わぁぁ!?」
いきなり大声出さないでくださいよ!?
ていうか分かったって返事しましたよ?
と、僕も喜々音さんと同じように腰を抜かす。
「わ、わかり、ました」
少し声を上擦らせながら、僕はギクシャクとした動きで部屋を後にする。
直ちに萌加様を呼ばなければ、あの場に残されて未だ動けない喜々音さんが、不憫でならない……
僕が本殿を訪れると、そこには懐かしい人がいた。
「し、下池川卿!?」
「おぉ、これはこれは。ご無沙汰しております大智殿」
「どうして……」
僕が尋ねると、下池川卿はにこやかに答える。
「安久斗様の命により、濱竹から日渡に援軍を出すように仰せつかりました」
濱竹から援軍が?
それは心強いけど……にしてはちょっと遅くないか?
「かなり急いだのですが、熱山国からだとやはり徒歩では遠く、帰路と準備に今日までの時間を要してしまったのです。遅くなって申し訳ありません」
と思っていたら、申し訳なさそうに下池川卿が謝罪する。
「そんなの気にしていないってさっきから言ってるじゃん! 来てくれただけで嬉しいよ」
そう声を掛けるのはもちろん萌加様だ。
そうだ、驚きのあまり忘れかけていた。僕は萌加様に用事があるんだった。
僕は萌加様に話しかけた。
「萌加様、明様が目覚められました。それで、萌加様をお呼びにございます」
「うぇ!? ありがとう! じゃあ明のとこに行くけど、濱竹からの援軍の件は、ちょうどいいから大智に引き継ぐね。あと、喜々音ちゃんもそっちに回ってもらおうかな」
「承知しました」
萌加様から指示をもらい、僕は濱竹の援軍の対応に動こうとしたが、
「あぁそうだ、大智。……これはいけるよ」
すれ違いざまに、萌加様がニタリと笑いながら僕にそう耳打った。
「いける、とは?」
僕が尋ねると、
「そのうち分かるよ」
と悪戯っ子の口調。そして下池川卿に向けて可愛らしく微笑むと、そのまま足早に明様の元へと向かわれた。
いける、か。
それじゃ、頑張らなきゃな。
ーーーーー
ーーー
ー
「勇が……殺されたわ」
「えっ……!?」
明からの言葉に、萌加は言葉を失った。
「なんで、そう言い切れるの?」
「夢を見て、聞いたの。勇と、勇を殺した男の会話を……」
明は無表情で、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「それは事実なの?」
対する萌加は焦ったように尋ねる。
「分からない。分からないけど、限りなく事実に近いと思うわ」
「そんな……どうして? 誰に殺されたの?」
萌加は明にそう問うた。明は少し間を置いて、天井を見つめたままその名を口にする。
「渡海清庵」
「なんでよ、あいつ下神種なんでしょ?」
「えぇ、そうよ」
萌加の疑問にそう告げて、明は萌加をジッと見つめる。
「それじゃ殺されるわけないじゃない! デタラメ言わないでよ!」
見つめ返された萌加は、明に向かってそう怒る。しかし明は表情ひとつ変えることなく小さな声で萌加に告げた。
「デタラメでもないわ」
「でもっ!」
「あいつは……『カミノコ』の権能を保持しているのよ」
「っ!?」
その言葉に、萌加の威勢は失われた。
「……根拠は?」
萌加は静かに明に尋ねた。明はひとつため息を吐くと、
「思い出したくない思い出を思い出すくらいには、懐かしかったからよ」
と答えた。
萌加は首を傾げて、少し不機嫌そうに「意味わかんない」と言葉を発する。
「分からなくていいわ。でも、注意しなさい。皇神種の次は始神種。この国だって、晒される可能性があるってことを」
「くだらないっ! 今のわたしに『負け』の2文字は見えていないよ。絶対に勝つ。勝って解放を成し遂げる以外の未来はどこにもないの!」
萌加は怒鳴った。そして立ち上がり、そのままの勢いで明に告げる。
「わたしは勇が死んだなんて認めないっ! 明、今回ばかりは失望したよ。そんなつまらない夢に惑わされるような弱い存在だったんだね。わたしは必ず勇を助け出す! 渡海を、解放してみせる!」
そしてスタスタと部屋を後にした。
「……あっそ、せいぜい頑張りなさいな」
残された明はそう呟いて、ひとつ寝返りを打った。
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ーーー
ー
「こちらにお上がりください」
濱竹からの援軍は、とりあえず巫女館に入ってもらうことにした。
案内をしていると、トコトコと喜々音さんが近づいてくる。
「明様のご様子は?」
僕の質問に、彼女は無表情のまま返す。
「顔色は悪かったですが、それ以外に変わったところは特に」
「それならよかった。……喜々音さんが理不尽なこと言われてたらどうしようかと心配していたんだ」
「……」
その僕の言葉には、彼女は何も返さなかった。顔は相変わらずの無表情。喜々音さんは本当によく分からない子だ。
「おや、懐かしい顔ですね」
そこに、下池川卿がやって来て喜々音さんを見て言う。
「神務卿……!」
喜々音さんは驚いたような声を上げて、咄嗟に跪いた。
「ご無沙汰しております」
「君こそ、元気そうで安心しました。気持ちの方は整理がつきましたか?」
下池川卿が喜々音さんにそう言葉をかけると、喜々音さんは姿勢を変えることなく答える。
「……正直、まだよく分かりません。かささぎおにぃ……いえ、小林様はなぜ冤罪で殺されなければならなかったのか、なぜ安久斗様はお救いになられなかったのか、私には何も理解できないことばかりです」
その声はとても暗く、元気や覇気はどこからも感じなかった。
「ふむ、なるほど。でも君は明らかに前へ進んでいるでしょう?」
それでも下池川卿は、喜々音さんに対してそう告げた。
「……前に?」
喜々音さんは驚いたように、下池川卿を見上げた。
「そうです。君は今を生きていて、そして自国ではない日渡のために働いているのです。それはやれと言われてできることではありませんし、とても美徳な行為であるのですよ。少なくとも、濱竹を去ったあの日の君では、そんなことはできなかったでしょう」
「……そうでしょうか?」
下池川卿の言葉に、喜々音さんは疑問そうに語った。
「私は、全く日渡のためを思ってしているわけではありません。それどころか、正直に言わせていただくならば、小林様が亡くなる原因を作った国に貢献したいなど微塵も思っていません。そんな気の持ちようで、前へ進んでいるなどと本当に言えるのでしょうか?」
「では、どうして君は今ここで神治に参加しているのですか?」
「それは……」
下池川卿に疑問をぶつけたものの疑問で返されて、喜々音さんは言葉に詰まった。
「君は自分で思うほど、悪者ではないんですよ。君の行いに助けられた者や、君の出した答えで救われた者も、きっと中にはいるはずです。小松喜々音、一度、周りを見てみたらどうですか? きっと君を支えたいと思う者は、君が思っている以上にたくさんいるはずですよ。そして君の行動が日渡にどんな影響を及ぼしているのか、それも一緒に考えてみてください。そうすればきっと、君は自身が前に進んでいることに気付けるはずです」
下池川卿はそう告げると、喜々音さんから目を逸らして僕に振り向くと、ひとつだけ礼をして僕らの前から姿を消した。
「……大智さん」
その直後、立ち上がった喜々音さんが僕に尋ねた。
「私は、前に進めているの……?」
不安そうな声だった。表情はどこか困惑のような色が見えるが、基本的には信じ難いというような顔だった。
「そうだね、僕から見たら……」
そして僕は少し考える。日渡に預けられたばかりの頃の喜々音さんと、自治領の会議に加わってくれた頃の喜々音さん、そして今の喜々音さんを比較すると、その差は一目瞭然か。
でも、僕の口から言うべきことではないような気がする。さっき下池川卿が言っていたことは、喜々音さん自身が自分の変化に気付けるようになるために必要なことだ。つまり僕から言うのは違う。喜々音さんが、自らの変化に気付けるようになることが大事なんだ。
僕はひとつ首を振って、喜々音さんに微笑んで見せた。
「話しやすくなったよ。まぁでも、慣れただけかもしれないけどね」
「慣れ……?」
僕の言葉に、喜々音さんがそう返した。そしてひとつ、ふわりと笑った。
「私もだいぶ、日渡に慣れてきた」
その笑顔に、僕は驚いた。意外だったからか、それとも予想外の可愛さを急に喰らったからかは分からないが、完全に数秒、見惚れてしまった。
「それはよかったよ」
見惚れたと自覚してから、即座に感情を押し殺して喜々音さんに微笑んだ。彼女は「うん」とだけ頷くと、
「ところで、援軍の数はどの程度ですか?」
といつもの無表情に戻って尋ねてきた。突然の真面目な話に、僕は脳の転換が追いつかずにボヤッとしてしまった。
「えっ……と、あぁ、ざっと……」
「陸兵1000名。といっても、訓練兵と予備兵よ」
僕の言葉を横取りしたのは、ひとりの女性だった。僕はその声に驚いてバッと振り返る。
しかし一番驚いているのは僕ではない。
「笠井長官!?」
喜々音さんが、最も驚いているのだから。
「驚きました。全く気付きませんでしたよ」
僕は綴さんにそう言った。しかし僕は、綴さんが来ていたことは分かっていた。そもそも援軍を率いてきたのが下池川卿と綴さんであり、萌加様の去った後で顔を合わせていたからだ。
綴さんは、僕の言葉に軽く「ごめんなさいね」と笑顔で答えた後、喜々音さんの方を見て言う。
「久しぶりね、喜々音。元気そうじゃない」
「……まぁ、元気です。体調は崩していませんから」
「相変わらず真面目ね。安心したわ」
喜々音さんはどこか懐かしい雰囲気でそう返し、その返しに安心したように綴さんは言葉をかける。
うん、こうして濱竹組と話をしているところを見ると、喜々音さんがだいぶ元に戻ってきたように思える。
「でも、長官自らが日渡のためにいらしてしまって良いのですか? その間の濱竹での公務は……」
「あぁ、それなんだけど……」
喜々音さんがそう綴さんに尋ねると、綴さんは僕と喜々音さんに近く寄るように手招きする。
僕らが耳を寄せると、綴さんは小声で話し出した。
「まだ濱竹上層部にしか知らされていない極秘の情報なんだけど、靜連邦は、近く大きな戦争に参加することになるそうなのよ」
「大きな戦争、ですか?」
僕が多大な興味を持って尋ねると、綴さんはコクリと頷く。
「極秘だったら、黙ってなきゃダメじゃないですか……」
対する喜々音さんは、呆れたような口調でため息を混じらせながら呟く。その言葉に綴さんは「細かいことは気にしない方が生きやすいわよ」と返す。それに対して、喜々音さんは深いため息を吐いた。
「まぁ今回は、その実践訓練を兼ねているって感じかしら。だからこれも、濱竹のため。そして、連邦のため。陸軍長官の仕事の範疇なのよ」
綴さんは僕らにそう告げた。そんな彼女に僕が質問する。
「……ちなみに、戦争の概要は?」
「さすがにそれは教えられない。でも、靜連邦として軍を派遣することになるってことは言っておくわ」
しかし綴さんは教えてくれなかった。流石にそれは極秘情報らしい。
「ってことは、連邦単位の戦争……」
喜々音さんがそう言って考え込む。どこと戦うのかを予想しているのだろうか。
「中京か関東、どちらと徒党を組むのですか?」
すると唐突に、喜々音さんは綴さんに尋ねた。
「詮索はよしなさい、喜々音。そのうち分かることよ。それよりも今は、目先の戦争のことを考えなさい」
そんな喜々音さんを綴さんが一喝する。しかしだったらそんな気になることを教えなければよかったものを。……気にしたら負けか。
「それで、渡海にはどう攻め込むのかしら?」
綴さんがそう僕らに尋ねた。
「戦略はまだ十分には立っていませんが、今のところは戦線を2分割する予定です」
「どう分けるのよ?」
喜々音さんがそう言うと、綴さんが概要を説明するように促す。
「はい。まずは福田神社解放戦線です。こちらは日渡より街道沿いに侵攻するメイン戦線になります。火力重視で、萌加様と大志さん、いちかさんの神、臣、巫女が直々に統率します。軍の編成としては、御厨家の上神種が最大勢力となる予定ですので、地属性の『墓』の権能が中心の攻撃を行います。もうひとつは兎山防衛戦線です。こちらは名前の通り、渡海の侵攻から兎山を防衛する戦線になります。ですが、渡海が攻めて来なかった場合はこちらから侵攻し、渡海との間に小競り合いを発生させる役目を担います。狙いは、渡海側の戦力分散、そして早期殲滅です。こちらは防衛に特化した、明様と美有さん、花菜さんの他に、鎌田家上神種が中心となって作戦を実行します」
喜々音さんがそう語ると、綴さんが質問をした。
「国境の防衛はどうするの? 目を付けている場所以外から攻め込まれたら終わりじゃない。兵力が少ないんだから、山張ってたら総崩れの可能性があるわよ?」
「それは問題ないです。現在、いちかさんの能力で渡海国境全域を封鎖しています。渡海と日渡の国境には高い石壁が聳え立っていて、それを越えない限りは侵攻できません」
「越えてきたらどうするのよ?」
喜々音さんが真面目な声でそう返すと、綴さんがまた質問した。
「いちかさんが罠を張りましたので、『石棺閉鎖』の猛追を受けることになります。あの技を受ければ、高確率で生きては帰れません」
……あの技か。嫌な記憶しかないよ、まったく。
「だいたいは理解したわ。私たちはあなたの指示に従うから、また確定したら教えてちょうだい」
と思っていると、綴さんが喜々音さんにそう告げた。
「分かりました。出陣は現時点の予定では明朝、もしかしたら少し早まって、夜半すぎの暗い時間になるかもしれません」
喜々音さんはそれにそう答えた。
「それまでには戦略を伝えてちょうだいね?」
「もちろんです。夕食までには必ずお伝えします」
そんな会話を交わして、綴さんは僕らの前を後にした。
綴さんを見送った後で、喜々音さんが口を開く。
「大智さん」
「どうしたの?」
僕が返すと、喜々音さんは僕に言った。
「少し、手伝ってもらってもいいですか?」
ーーーーー
ーーー
ー
「私こそが新たなる渡海の神、渡海清庵である! 皆のもの、私のために忠義を尽くすのだ! さて、侵略国家日渡は昨朝、我々に対して宣戦布告を行った。その罪は非常に重く、許されるべき事態ではない。そこで我々は、侵略国家に相応な処罰を下さねばなるまい。これより、北賊日渡を滅ぼす! 日渡へ、そして元凶兎山へ侵攻せよ!」
神紀4997年、冬至前88日。夜半の終わり、暁の序盤の頃合い。福田神社にて渡海清庵は国民を集めて自身の君臨と日渡成敗を宣言した。
しかしあまりに無計画で、後手である。
「清庵様、国境に大きな石が聳え立っているんですが……」
清庵は勇を殺し、臣の息子であった晃と巫女の娘であった沙耶香を形式上の臣と巫女にしたが、未だ幽閉を解いてはいない。そのため、全ての神治を神治未経験の者ですることになったのだが、戦時に取るべき行動や戦略、国民保護活動などを誰も何も知らない。
だからこそ、勇を殺して神社に国民を集めている間に日渡に先手を打たれて、実質既に詰んでしまっているのだが、彼はそんなことを何も知らない。
「弱音を吐くな! そのくらい乗り越えろ」
「し、承知しました」
そして彼は、上神種の強さも、ましては永神種の強さも、何も知らない。
自国民を傷つけたくないという渡海上神種の優しさに助けられて難なく神社を占領したことで、上神種と戦う機会が一切無かったためである。しかし敵国となった日渡は、もちろん渡海国民に容赦などしない。
「いいえ、それはおすすめできません」
唐突に、そんな女の声が響く。
「誰だっ!?」
「貴様、清庵様に楯突くかっ!」
「何を根拠にそんなことを!」
人の集まる神社の境内は、その声に対する罵倒で埋め尽くされた。
「静まれ、群衆よ。さぁ意見した女よ、姿を見せてみよ」
しかし清庵がそう言ったことで、神社は静まった。そして群衆はバッと道を開けるように左右に寄る。女は神社の境内の入り口のほど近くに立っていて、清庵までは一直線の石畳が続く。
その女は小柄で、どこか弱々しく見える。歳は14、5ほどといった感じで、子どもが抜け切らない容姿である。
「ほぉ、その歳で神に物を言うとはなかなかの度胸じゃないか。讃えよう」
「ありがとうございます」
女は抑揚のない声でそう告げる。しかし、頭は下げない。
「うむ。これからはこのような民衆の声を聴きながら神治をせねばならんからな。貴重な意見である。女よ、そなたの名を聞こう」
清庵は少しばかりムッとするが、それをグッと我慢してそう言った。
しかし女は、首を静かに振ってこう言う。
「私なんて、あなた様に教えるほどのものではありません。それよりも、彼の名を覚えておくべきでしょう」
そして彼女は右手を真上に掲げると、叫ぶ。
「今です、大智さんっ!」
それと同時だった。突如として渡海神社の木造りの正門の真上に、ぽっかりと大きく空いた穴が出現し、そこから、真っ直ぐ火柱が降り注いだ。
神社は阿鼻叫喚。小国にしては十分立派と言えるであろう門は、メラメラと炎を噴き上げて燃えている。
「貴様っ! 日渡の上神種かっ!」
清庵は混乱しながら、腰の刀を抜こうとする。しかしその刀は既に腰から抜かれていて、黒く光る鞘だけが残されていた。
「申し遅れました。私は濱竹上神種が一人、小松喜々音と申します。以後、ご存命の限りお見知り置きを」
彼女:小松喜々音は、清庵が抜こうとしていた刀を手に持って微笑む。その微笑みがどれだけ珍しいものかは、濱竹の、そして日渡の神や上神種ならば分かるだろうが、その場の者どもには何も分からない。
「いつの間にっ!?」
清庵は驚き腰を抜かす。喜々音の背後で燃え上がる炎、そこに佇む彼女はまるで……
「悪魔め……! 取り押さえよっ!」
清庵の指示で、周囲にいた戦うために武装して集った民衆が喜々音を襲う。しかし喜々音は、奪った刀で華麗に躱しながら清庵に告げる。
「日渡はこれより、武力を以て渡海解放を行います。数は多くありませんが、濱竹からの援軍もありますので侮らないことをおすすめします。命が惜しければ投降を、そうしないならば、せいぜい無駄な抵抗を頑張ってください」
そして横から襲ってきた、彼女の背丈の2倍ほどある大男の首を軽く刀で斬り裂くと、ふわりと空に舞い上がって燃え盛る門を越えた。
「追えっ! あんな化け物、生かしておくな!」
「おーー!」
清庵はもう、正気を失っていた。そしてその声に、渡海の武装した民衆が呼応する。
清庵は武人ではない。
清庵は賢人ではない。
「全軍、進めぇぇぇええ!」
「おーーー!!!」
清庵は、愚者だ。
ーーーーー
ーーー
ー
喜々音さんが立てた作戦は、おおよそ上手くいっているようである。
手伝えって言われて何をさせられるのかとても不安だったのだが、思ったよりも簡単な仕事だった。それは、侵攻の合図となる、いわゆる狼煙を上げることだ。
作戦立案の時点で萌加様から許可は取っていたようで、最初から構想として固まっていたらしい。
喜々音さんの能力を用いて空間を繋ぎ、僕の能力を渡海の福田神社の門にぶつける。そうして神社の門を燃やして、その煙を合図に萌加様たちが侵攻するというものだ。
先ほどの最終戦略会議で、その空間を繋いだ際に全員で福田神社に乗り込むという作戦も上がったが、喜々音さんの能力が何人も輸送できるほど強くないことや、戦争のやり口としてあまりに非常識ということから却下された。
ちなみに提案者はいちかさんである。そして却下したのは明様で、その明様から「また答えに急ぎすぎているわよ」と注意を受けていた。
いちかさんの提案が却下されたことにより、喜々音さんの思い描いた計画から逸脱することなく戦争を進めることになった。
彼女の計画では、福田神社の門を燃やした後で勇様と上神種が幽閉されている場所を目指し、彼女が解放を行う手筈になっている。そしてその後に、勇様と上神種を引き連れて兎山自治領に退避する。それを追って幾らか軍勢が来ると予想されるため、明様と僕、花菜に加えて、鎌田家勢力が撃退する。
その一方で、狼煙を合図に萌加様を中心とする日渡軍と濱竹援軍は、街道より渡海に侵攻する。いちかさんたち御厨家を主軸にした攻撃で立ちはだかる敵を殲滅しながら福田神社を目指す。そして福田神社に攻め込んで、新政渡海國を瓦解させて占領する作戦である。
しかし、明様の情報が正しいとするならば、渡海清庵は既に皇神種になっているようだ。そして、よく分からないが『カミノコ』という権能により、格上の存在を殺めて吸収することができるらしい。だとしたら、渡海清庵を相手取れるのは萌加様だけであるのだが、その萌加様も負ければ吸収されてしまうことになる。
「萌加様が吸収されてしまったら、この国はどうなるんですか?」
「新政渡海國の領土になるわね。それどころか、神が死ぬことでその代の臣と巫女も死ぬのだから、大志といちかも漏れなく道連れよ」
これは、その話を聞いた時に僕がした質問に対する明様の答えである。
つまりこの戦争、この国が滅びる可能性も有しているのだ。……恐ろしい限りだね。
「不安?」
御厨堂からほど近い、渡海国境に聳える大きな石壁の上に腰を下ろし、眼下に広がる渡海の領土をぼんやりと眺めていたら、横に花菜がやってきてそう尋ねてきた。
「まぁね。萌加様が負けるとは思えないけど、万にひとつの可能性も捨て切れないからね」
僕は花菜にそう告げた。自分でも少し深刻な声に思えたくらい、重くて暗いものだった。
「そうよね、私も少し不安。日渡がもし反逆組織の物になってしまったら、解放という名目で、濱竹と靜に蹂躙される可能性が出てくるってことだもん」
「そしたら渡海の二の舞、か」
僕は視線の先で立ち昇る無数の煙を見て呟いた。僕が最初に燃やした神社の門から、火は風に流されて西へと広がり、渡海の市街を激しく炙っていた。それ以外に、少し遠くでは街道に沿って転々と煙が立つ。あれは萌加様たちが戦闘を繰り広げた跡だ。着々と福田神社へと距離を詰めていることが、新たに昇る煙を追っていくことで分かる。
「……渡海よりも悲惨なことになると思う」
ふと、背後から静かな声がした。
「美有さん、いたんですか?」
「今来たところ。少し様子を見ようと思って」
そして花菜の横に腰を下ろして、ふぅっとひとつ可愛らしいため息を吐いた。
「渡海に攻め込んだ勢力は、結局のところ磐田家と御厨家の2つの上神種家に過ぎない。火の権能と、墓の権能。そのたった2つの能力だけで、目の前の戦火が生まれる。でも、靜と濱竹に攻め込まれれば、その権能は数十倍に増える。連邦中から集められる、数え切れないほどの上神種家の権能に晒されて、この国はきっと……」
美有さんは言葉を濁すと、正面に右手を伸ばして、その手のひらをギュッと握って拳を作る。
「想像するだけで悲惨な話ですね」
僕がそう言うと、美有さんが頷く。
「そうならないためにも、勝たなきゃね。というか、萌加様に勝っていただかなくちゃね」
花菜がそう口を開く。僕らはそれに、力強く頷いた。
ーーーーー
ーーー
ー
ガチャンッ!
……ようやく開いた。なんで転移できないんだろう。能力が使えないだなんて、ちょっと読みを誤った。
最終的に力尽くになってしまったけど、蔵の鍵を破壊することに成功し、私は重い鉄製の扉をググッと押した。
キィィ……
動きや立て付けが悪いことから、あまり管理がされていなかったことが容易に想像つく。私が扉を開けたことで、蔵の中に光が射すと、真ん中の柱の周囲に3人の人影を確認することができた。そして近づくと、死角にもう一人いることが確認できた。全員、紐でギュッと縛り付けられている。目と口が隠されていて、幽閉と言うよりか監禁状態である。
……にしてもやっぱり、この蔵は能力が一切使えない。不気味で怖いというのが、正直な感想。
まぁいいか。追手が来る前に手際よく救出しなきゃ。
私は紐を解いて、目と口を覆う布も取る。年齢は若年層。陸軍参謀職にいた頃に、渡海上神種の資料を読んだことがあるからなんとなく名前を知っている。とりあえず、全員の名を呼んでおく。
「福田晃様、福田湊様、東河口沙耶香様、東河口竜洋様に間違いございませんか?」
「誰ですか?」
「説明は後です。とにかく逃げましょう」
私はそう言って、小柄な女の子の手を引いて蔵の外に向けて走り出そうとした。
しかし。
「そこまでだ! 観念しろ」
蔵の出入り口を塞ぐように、十数人の武装下神種が現れる。数に問題はないのだが、現状況下においては私以外武器を所持していない。更に能力が使えないという、よく分からない環境である。守り切れるかは少し不安。
「日渡上神種め、よくも……!」
「濱竹上神種です! 私はあの国の軍門になんて降らない! 一緒にしないでください!」
私が怒鳴ると、正面にいる大男が怒鳴り返す。
「そんなことはどっちでもいい! 日渡だろうが濱竹だろうが、どちらも等しく我らの敵だ!」
「その通りだ」
そして、その声に応えた低く落ち着いた声。
「……っ!?」
「貴様……!」
その男の姿を見て、渡海上神種の表情が険しくなる。
「よくも勇様を……!」
「まぁそう怒るな、上神種のガキども」
最年長の竜洋が2歩ほど前に出て私の横に並んでそう睨みつけるが、その男、渡海清庵はケラケラ笑いながらそう声をかける。
「能力が使えないこの空間では、上神種も皇神種も、皆等しく下等であった。もちろんそれは、この状況におけるお前たちにも言えることだ」
「黙れっ! 父の仇め……!」
威勢よく言うのは、もう一人の男児。名前は福田晃といったはずだ。今は臣……なのか。
「おぉおぉ、威勢がいいことで。でもいつまでその威勢が保つかなっ!」
その途端、猛スピードで清庵が私たちに飛び込んで来る。
私たち5人は全員でそれを回避するが、私以外は縛られていたこともあり足元がおぼつかない。
「やぁぁ!!」
清庵が突っ込んできたと思ったら、今度は流れ込むように武装兵がやってくる。
「こっち!」
私は渡海上神種を無理やり私の背後に回らせて、
「絶対に離れないでくださいねっ!」
と言う。
そして正面より来る兵を、先ほど清庵より奪った刀でバサバサと切り裂いていく。
が、蔵の出口まであと一歩のところで男に刀を受け止められた。
「通さぬぞ」
「なら殺す」
そう告げて、私は男を蹴り飛ばした。
彼は数メートル先まで転がっていき、項垂れる。おそらく気を失ったのだろう。そして私たちは晴れて蔵の外へと足を踏み出すことができた。
「追え!」
蔵の中から清庵の声がするが、もう遅い。
「しつこいっ!」
私はようやく使えるようになった能力を解放する。
「『空間転移』!」
しかし対象は、私たちではない。対象は、突っ込んできた十人足らずの兵士である。
瞬間、私の目の前に真っ黒い穴が現れて、そこに吸い込まれるように兵士たちが消える。
「渡海清庵、あなたにひとつ警告です」
私は権能を解除してから、蔵の中で驚き腰を抜かす清庵に向けて言い放った。
「相手の力量が読めないうちは、思い上がらないことです」
その言葉に、清庵は何も返さなかった。というよりは、想像を超えた力を目の当たりにして未だ驚き止まずという感じの様子だった。
「行きましょう、目指すは兎山自治領です」
私はそんな清庵を蔵に残し、渡海上神種の手を引いて走り出した。
「待って!」
しかし私にそう言ったのは、渡海の臣家の娘、福田湊だった。
私が振り返ると、彼女は大きな蔵の扉に手を掛けて、一生懸命に押していた。
「おいっ、バカ、閉めるなっ!」
中から清庵の声が聞こえる。しかしそれに対して、湊は冷酷だった。
「『波』!」
そう叫んだと同時に、彼女の正面から大量の水が溢れ出る。それは小さくても、綺麗な波を形造り、蔵の中へと流れ込んでいく。
「うぉあぁぁ!?」
中から清庵の情けない声が聞こえた。それと同時に、湊が立て付けの悪い鉄扉をガチャンと閉める。その直後だった。巫女の娘……いや、現在の渡海の巫女の沙耶香がその扉に鎖をぐるぐると巻き付ける。
……いったい、その鎖はどこから出てきたんだろう。
「母の仇っ! そのまま成す術もなく溺れ死ねっ!」
沙耶香がそう叫ぶと、中から籠った声が返ってくる。
「俺が死ねば、臣と巫女も道連れだぞ!」
「望むところよ! この国を貴様なんかに乗っ取られるくらいだったら、私の命なんて安い物じゃない!」
……自分の命は安い物、ですか。
『靜連邦存続のために』云々。
頭が痛い言葉を思い出した。
『致し方のない犠牲』云々。
……そんなの、あるはずない。
「……安くなんてない」
気が付けば私は、そんなことを呟いていた。
「えっ……?」
「安くなんてないっ! 人の命は、そんな安価じゃないんです!」
その言葉に、渡海上神種は全員俯いた。
「私も、そう思う……かも。だけど、だけど……」
そう言ったのは、湊だった。その言葉に続けるように、竜洋が言う。
「それで躊躇えば、渡海はずっと奴の物だ。奴が神になってしまった今、そして晃様が臣に、妹が巫女となってしまった今、我々はその選択をせざるを得ない」
「それでも……!」
私は許せない。安定のために致し方ない犠牲が出ることが。
「いいの、十分安価よ。お兄ちゃんがいるから東河口家が消滅するわけじゃないし、湊ちゃんがいるから福田家も消滅するわけじゃない。権能は引き継がれ、旧渡海の臣家と巫女家という立ち位置は残る。下級上神種にはなっちゃうけどね」
いいや、何かきっと策はあるはず。全員が生き残り、渡海清庵だけを殺す方法が。
考えなさい、小松喜々音。その薄気味悪がられた頭脳を用いて、考えなさい。
もう二度と、私と同じ境遇の人を生み出さないために。
もう二度と、理不尽な理由で死ぬ人が出ないために。
もう二度と、かささぎお兄ちゃんと同じような犠牲を作らないために。
「そういえば」
しかし考えているうちに、渡海上神種の中ではその話題は終わったものになっていたようだ。いきなり晃から話しかけられて、驚く。
「それ『水斬渡海』ですよね?」
え?
私はいきなり分からないことを聞かれて困惑する。
「『水斬渡海』は、この国の臣家に代々伝わる名刀です。なぜあなたがそれを?」
湊にそう言われて、ようやく何のことか理解した。
「さっき私の権能で渡海清庵より奪ったんです。鞘までは奪えなかったんですけどね。切れ味が良くて非常に役立ちました」
私はそう言って、晃に手渡した。これであるべきところに戻ったということなのだろう。
と思った直後。
「……なんのマネですか?」
私は今、晃にその名刀を向けられている。
「お前、どこのどいつだ? 敵か味方かも分からない奴にのうのうと着いていくつもりは微塵もない」
……?
どういうことなのか……あ。
「……そういえば、名乗ってませんでしたね。申し訳ないです。私は濱竹上神種がひとり、小松喜々音です。今は諸事情あって日渡で厄介になっているので、日渡萌加様の命令に従って、あなたたち渡海上神種の解放に参りました」
そして私は、着込んだ軍服の胸ポケットから濱竹国章の刻まれたバッチを取り出した。
「……!?」
「陸軍さんなの!?」
「すごいかも……」
「この紋章は……参謀職ですか?」
渡海上神種の面々は、どうやら私の名乗りとバッチを見たことで警戒から関心の視線に変わった。刀も下ろして貰えたし、これで万事解決のようである。
あとは計画通りに、兎山自治領まで連れて行くだけ。
「さて皆さん。これより一度、兎山自治領に避難してもらいます。日渡濱竹連合軍がこの神社に着々と迫ってきておりますので、安全な場所へ行きましょう」
「濱竹も……?」
そう尋ねたのは湊だった。
「はい、濱竹も援軍を出しております。少数ですけどね」
「……」
その表情は、非常に悲しみに溢れたものだった。
「……終わり、かも。この社も、この国も。今までやってきた全てのことが、この瞬間に終わるのかも」
「濱竹までも、関与してきてしまったのか」
渡海国は、濱竹に畏怖の念を抱いている。いや、恐怖という言葉の方が似合うのかもしれない。濱竹が関与していると知って、きっと彼女らは、絶望している。
「……行きましょう、時間がありません」
私はクィッと湊の服の袖を軽く引いた。
「……はい」
そうして、福田神社を『空間転移』を使って脱出した。
ーーーーー
ーーー
ー
「あれ、なに?」
いきなり花菜がそう言う。彼女が示す先を目を凝らしてジッと凝視した。
そこには、真っ黒い円形のモヤモヤがかかっていた。
「喜々音さんの能力じゃないの?」
僕がそう言うと、そのモヤから数人の人が飛び出してきた。
武装した下神種のようである。
「反逆組織の面々?」
「みたいね」
美有さんの言葉に花菜が返す。
兵士はみんな一様に困惑している。訳もわからずに転移させられたといった感じだ。
兵士が出てきたモヤは既に消えて、完全に取り残された形になっている。
と、僕は気がついた。
「ねぇ、その奥から大軍が来てない?」
そう、その兵士が現れた南、数十メートル先からゾロゾロと列を成して行進してくる軍団が見えたのだ。
「兎山侵攻軍ってことかな?」
「そのようね」
美有さんの言葉に花菜はそう返すと、「明様に報告してくる」と言って石壁から飛び降りかける。
「行くのか、その先は地獄だぞ?」
「あ……」
そう、僕らが座っている石壁はいちかさんの権能によるものであり、その日渡側のふもとには『石棺閉鎖』が仕掛けてある。僕らだってここから飛び降りれば、張り巡らされている罠に引っ掛かってしまうのだ。
「何か困っているの?」
花菜がどうやって降りるか考えていたら、僕らに話しかける声があった。
「明様! ちょうど良かったです」
その声の主は、明様であった。
「渡海の軍隊が接近中です。どう致しましょう?」
「どうしようかしらね」
明様は僕の言葉にそう言ってから、行進して迫る軍隊を見つめる。そしてその後に街道沿いの無数の煙を見ると、
「もうすぐ萌加たちが福田神社に到着しそうね」
と呟く。そして石壁に腰を下ろす僕らに向けて告げた。
「なるべく早急に殲滅してちょうだい。数はおそらく100程度だと思うから、余裕と言えば余裕でしょう?」
「承知しました。では、手筈通りに」
そう言って、僕と花菜と美有さんは目配せして頷いた。
手筈通りに、と言ったけれど、手筈とは何なのか。それは兎山自治領に帰る途中に決めた僕ら独自の行動計画である。
まず、軍隊と戦うのは僕と花菜。美有さんと鎌田家は、御厨堂に残り明様と避難している領民の護衛を行う。
次に、僕と花菜が戦闘を繰り広げている最中に喜々音さんが兎山自治領に帰還し、渡海上神種を美有さんたちに託してから僕と花菜に合流。
最後に、上神種3人で決着を付ける。
これが、一連の流れである。
「「行って参ります」」
「えぇ。健闘を祈るわ」
僕と花菜が声を揃えて明様にそう言うと、明様は激励の言葉をかけて下さった。
そして僕と花菜は石壁から渡海側に飛び降りて軍隊の前を目指して進んでいく。
「何奴だ?」
軍隊の前に出たとき、鎧を着る堅いの良い男にそう声を掛けられた。
「やぁやぁ、皆さま。遠路はるばるご苦労さまです」
僕はなるべく和かにそう告げてみる。
「貴様ら、日渡上神種か?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
今度は戯けたように花菜が言う。
「いい加減な奴らめ……!」
徐々に相手が苛立ってきていることを実感する。それを見て、僕と花菜は目を合わせてクスクスと笑う。
作戦通りである。今行っているのは盛大な煽り作戦である。相手を感情的にすることで、思考を単純化させることが狙いである。
「さて、まぁ察しているとは思うけど、結論から言うと僕らは日渡上神種です。ですから、既にあなたたちとは敵対していて、戦い始めても良いのですが……」
僕の言葉の続きは花菜が述べた。
「一度、交渉の余地があるか話し合ってみませんか?」
「話し合いだと? はっ、笑わせてくれる。清庵様がお認めにならない侵略国家の奴らと話し合いなどする余地もないだろう」
「その清庵って奴、そんな偉いんですか?」
僕がそう言うと、兵士は怒りを露わにして反発する。
「当たり前だろう! あのお方は神なのだぞ!」
「昨日今日で神になっただけで偉いと言うのですか」
それに対して花菜が冷たい視線を向ける。
「貴様っ、清庵様を愚弄するか!」
「えぇ、しますとも。だって勇様の政策の意図も知らずに神の座を奪っちゃったんでしょ? それじゃただの反乱軍ですよ」
花菜は当たり前でしょと言わんばかりに言葉を述べる。
「きさま……!」
「まぁでも、それ以上の愚者を知っていますけどね」
怒り浸透の兵士に向けて、花菜は言葉を続けた。そして横目で僕を見る。
え、僕が愚者だと言うのかい?
「ほぉ、そこにいる上神種がそれ以上の愚者だと? くぅぅ、内部分裂とはまったくバカな奴らだ……」
「いいえ、清庵という愚者の言うことを信じて疑わず、脳死で崇拝する奴らこそが、清庵以上の愚者なんですよ。おまけに物事を都合よく考えすぎる性質まで兼ね備えているとは。あぁ、これだから愚者の集団は相手したくないんですよ。愚が感染る」
花菜は引っかかったと言わんばかりに頬を緩め、おまけに全力で煽り散らしている。
いやまぁ、うん。僕も騙されたんだけどさ。
……黙っておくか。
「貴様っ! どこまで俺たちをバカにしたら気が済むんだ!」
そう言われて、僕と花菜は顔を見合わせる。そしてひとつ悪者のように笑うと、
「え、だって話し合いの余地がないって言ったのはあなたたちですよね?」
「敵対することが決まってしまったなら、あとはとことん煽るだけでしょう?」
そう言ったところ、どうやら怒りに押し潰されたようで。
「ぐぬぬぅぅ、殺れ、やっちまえ!!!」
「うぉぉぉぉ!」
総勢100名ほどの軍団が、男の指示で僕らに迫ってきた。
「あぁ、そういうのいいから」
花菜がそう言うと、能力で水気の少ない蔦を伸ばすと、自分に向かってくる5人の兵士を縛り上げた。また、それ以外の兵士の足元と胸の高さほどに水気の多い切れにくい蔦を横一文字に張り、これ以上近づけないようにした。また、左右と背後にも同様に蔦を張り、完全に兵士を隔離してしまった。
そして僕の方を見る。水気の少ない蔦にしたのには理由があるのだろう。どうしてか? そんなの決まっていよう。
燃えやすくするためだ。
「『火炎』」
僕は能力を展開して、花菜が縛り上げた兵士を燃やした。しかし火力が弱いためか、じわりじわりとしか燃えず、そして焼かれている兵士はもがき苦しんでいる。
「あぁぁ! あぁぁぁ!」
「助けて、助けてくれぇぇ!」
「水をっ、水をぉぉ!」
その様子は、まさしく地獄絵図だった。見せしめという役割であることは事実だが、あまりに惨く、あまりにグロテスクであった。
……人類を焼くのとは訳が違う。
僕が焼いたのは……同じ神類だ。
この者たちにだって家族がいて、大切な者がいて、この者たちを大切に思っている者もいる。そう思った瞬間、嫌な汗が流れ出た。呼吸が苦しくなった。僕は、僕は……
「落ち着いてください、大智さん。戦争なんてそんなものですよ。何も感情を抱いてはいけません」
唐突に、背後からそんな声がした。その声は、喜々音さんのものであった。
振り返ると、そこに喜々音さんと4名の見知らぬ若者がいた。
彼らを見て、反乱軍の兵士たちが慌てふためく。惨い見せしめを見せられて、もう既に戦意を喪失している者も多くいるが、閉じ込められているために逃げることは叶わない。彼らからは、乾いた言葉が漏れるだけだった。
「渡海上神種……」
「そんな……嘘だろ……」
「上神種が……7体……」
「そんな……勝てるはずがない……」
先ほどの見せしめで、上神種の力が如何程か見せつけられた彼らにとっては、それは絶望的な数であった。全員が武器を捨て、両手を挙げた。
「降参だ。もう、俺たちには勝ち目がねぇよ……」
散々僕と花菜に煽られた男がそう告げて、降伏を申し出た。
こうして兎山防衛戦線は、大した戦闘もせずに勝利を収めた。
ーーーーー
ーーー
ー
「当初の計画と異なってしまい、申し訳ありません」
御厨神社で、喜々音さんが明様に頭を下げた。
「そこまで気にすることではないでしょうに。わざわざ追われて兎山自治領に来るよりも、能力で一瞬に飛んできた方が楽だもの。それに戦闘も少なくて済むから、私としては大助かりよ」
この謝罪は、喜々音さんが当初の計画と異なった動きをしたことへの謝罪である。当初、渡海上神種を引き連れて兎山自治領に来る際に、戦力分散のために新政渡海國の兵士を追って来させる予定であった。しかし喜々音さんは、思ったよりも渡海上神種の救出に手間取ったようで、福田神社から直接能力を用いて移動してきたそうだ。だから、戦力分散はできなかったとのこと。
「で、萌加の負担が増えるわけね。まぁあの子なら、下神種がどれだけ増えたところで何も変わらないと思うけど」
明様がそう言うと、喜々音さんがコクリと頷く。
「それで、渡海の状況はどうだったの? やっぱり勇は……」
「えぇ、残念ながら。明様の夢のお告げの通りでした。ただ、渡海清庵は上神種の力量すらも分からないほどの奴です。この侵攻においても無計画で、ここまで統率が取れているのが奇跡と言っても良いかもしれません。少し戦いましたが、戦力は上神種よりも低く、動きも体が慣れていないようで鈍かったので、渡海上神種が幽閉されていた蔵に幽閉してきました。また、渡海国民は『神だから偉い』という考えであり、勇様であろうとも清庵であろうとも、その個々人への執着はなく、『神』であるから付き従うという考えであるようです」
「アハハ、国民性は変わらないわね……」
喜々音さんの言葉に明様は乾いた笑みで返した。というか、コメントするところそこなのか。清庵を幽閉したことに誰も何も突っ込まないけど、かなり重要なことなんじゃないかな。
そんなことを思っていると、美有さんが口を開いた。
「かつての兎山がその考えだったんですよ。渡海と日渡はその派生ですので、下神種の考え方はたぶん今も変わっていないはずです」
彼女もまた、清庵のことにコメントするわけではなく、渡海の国民性の話の補足をするようだ。
……仕方ない、僕もその波に乗っておこう。
「あぁ、なんか分かります。絶対的な存在で、覆ることが想像できないので、覆したら「おぉ!?」ってなるってことですよね」
「うん、たぶん。それが旧兎山の国民性で、渡海と日渡はそこからの派生だから、きっと未だに残っているのかもしれない。特に渡海は兎山的思想を根強く残している側面があるから、尚更だと思う」
僕と美有さんがそんな会話をすると、明様がため息を吐く。
「崇拝とか、正直鬱陶しくて。もうなんでも良いよって感じで放置してたらそうなっちゃったのよ。私も国民の前に姿を見せないし、神がいることは確かだけど正体不明だから、『神であるから偉い』という思想文化が根付いちゃったみたいね」
そういえば、最近まで萌加様がそうだった。姿を見せない正体不明の存在、神が居るかも怪しいけれど、神であるから偉いという思想。僕が嫌いとする考えであったが、それは兎山時代から残っていた文化だったのか。
「まぁそれは置いておいて、この先どうするの? 全部萌加といちかに任せるのかしら?」
明様の声を聞いて、喜々音さんが机に筆と紙を用意しながら答える。
「それなのですが、終戦への最速のシナリオを考えたのでお話し致しますね」
ーーーーー
ーーー
ー
「デンタツ!」
唐突に現れたのは、明様の術で生み出された御霊だった。曰く、兎山防衛戦線は勝利を収め、渡海上神種も無事に保護できたそうだ。また、喜々音ちゃんが渡海清庵を幽閉してきたとのこと。どんだけ強いのよ、濱竹上神種……。
「そっか、勇はもう、いないの……」
情報を聞いた萌加様が肩を落とした。萌加様は勇様が生きていることを信じて、彼を救うことを目的の一つとしていたから、この情報を聞いてかなり落胆された模様。
「……行こう、渡海の解放のために」
それでも萌加様は歩を進めた。
「……渡海清庵、貴様だけは…………許さない」
本当に小さなその呟きを、あたしは聞き逃さなかった。
ーーーーー
ーーー
ー
日渡濱竹連合軍は、何度か新政渡海國軍と小競り合いを繰り返しながら、行軍開始から僅か8時間足らずで福田神社の目前に迫った。
また、兎山防衛戦が終わって少しした頃、兎山方面からも兎山明が進軍を表明し、渡海軍の捕虜を連れて福田神社に向けて進軍した。それは、渡海国民に抵抗することの意味の無さを見せつける行為であり、絶対的な戦力差を誇示する行為であった。
ここまでの戦況から、新政渡海國の勝利は絶望的なものであり、希望も何も抱けるものではないのだが、幸運なことに首謀者の渡海清庵は蔵に閉じ込められているがために戦況を知らず、未だに勝てると信じて疑っていない。
しかし渡海清庵以外の者は、日渡濱竹連合軍を見ると恐怖の念に駆られ、武器を捨てて逃げ出す者も少なくない。この8時間にして渡海国民に植え付けられたトラウマは、誰もが思っている以上に深く酷い有様である。
「日渡国臣、磐田大志だ。最終交渉に応じる気があるならば、そこを退いて道をあけよ」
まだ幼さの残る13歳の臣が、焼け落ちた門の前で、ズラリと並ぶ敵兵の前で言葉を投げる。そして、しかし、と付け加えてからキッと睨みつけ、手には能力で展開した炎で作った剣を携えて、
「交渉に応じず徹底抗戦の構えを見せるならば、皆殺しにする」
その言葉に渡海兵は恐怖して左右に分かれる。綺麗に本殿まで続く道ができると、日渡濱竹連合軍は福田神社に入城した。
福田神社には武装兵がそこそこ居たが、日渡萌加と磐田大志、御厨いちかという日渡国中枢と、笠井綴濱竹陸軍長官と濱竹陸軍兵1000名を前に戦おうなどという猛者はおらず、全員大人しく武器を捨てて両手を挙げた。
「渡海清庵はどこ?」
日渡萌加がひとりの兵士にそう尋ねると、兵士は小さな蔵の前まで案内した。その蔵からは水が漏れ出て、扉には太い鎖が巻き付けられていた。何度か開けようと試みた形跡があるが、全て失敗しているようで、折れた刀や刃こぼれ著しい刀が蔵の周囲に散らばっていた。
「おりゃあ!」
しかし、萌加が足で扉を蹴飛ばして破壊した。鎖諸共扉は吹き飛び、中からは水が溢れ出てきた。
「何者だ?」
中から男の声が聞こえる。萌加はムッと眉間に皺を寄せて、
「お前が渡海清庵か」
「如何にも。それで、何奴だ?」
「日渡萌加。日渡国、神。お前が殺めた渡海勇の、親友だよ」
萌加はそう告げると、清庵に近づこうと蔵の中に入る。しかしそこでハッとして、瞬時に蔵の外に出た。
「……なるほど、能力を封じる蔵ね。それで勇を殺せたわけね」
「そうだ。ロクな抵抗もできずに死んでいった」
「しなかっただけだよ。国民を自分の手で傷つけたくはないもの」
「美化するのは簡単だな。だが実際、ロクな抵抗もできていなかったさ」
「ふーん」
興味なさげに萌加は返す。
「あぁ、そういえば。今後の渡海の在り方なんだけどさ」
萌加は清庵を見ずに、神社の建物群を見渡しながらさも当たり前のように告げる。
「渡海国は取り潰して日渡に全土併合、反乱に参加した国民は皆殺し、国土は全て焼き払って一掃し、焦土にゼロから街を作っていく方針になったから」
「……は?」
「あぁこれ、確定事項ね」
この内容はまだ一切確定していないものであるが、萌加はハッタリをかましているのである。
しかし清庵は、情報の処理が全く追いついていない。そんな彼に、萌加は淡々と話す。
「もちろんだけど、お前は処刑。処刑場所はたぶん昇竜川の河川敷になるかな。お望みなら、濱竹の浜松神社とか、靜の静岡神社で最重要犯罪人と同じように処すこともできるけど、どうする?」
「おいおい、待てよ。なんで勝ち誇った気でいるんだよ? あたかももう戦争が終わっているかのような……」
清庵はそこまで言って、青ざめる。
「終わっているよ?」
萌加は当たり前でしょと言わんばかりの顔で言う。
「だってこの国の臣と巫女、降伏宣言したもん」
「はぁぁぁぁ!?」
清庵は慌てふためいたように言葉を発する。
「神はここにいるんだぞ!? 神はまだ何も言っていないぞ!? なのにどうして、どうして……!」
「きゃはははははは! きゃはは! きゃははははははははははは!」
萌加は腹を抱えて大笑いする。そして蔑んだような目で清庵を見ると、
「知らないようだから教えてあげるけど、神治に於いて神はお飾り。全権を握るのはたいてい臣と巫女なの。降伏宣言も、神が機能不全の時は神に相談なく臣と巫女の独断で決めることができるんだよ。そう、神が機能不全の時はね。お前は幽閉されてたもんね、仕方ないよねぇ」
「クソがぁぁぁああ! クソッ! クソッ! そんなことがあってたまるかぁぁあ!」
「あるんだよ。ね、明」
そう言って、自分の背後にやってきた兎山明を見やる。
「えぇ、そうね。そんな基本も知らないのに神の座を奪うなんて、ほんとに愚か者ね」
その兎山明の後ろに控えるのは、兎山自治領の小臣、小巫女、そして小臣代理、更には渡海上神種までもが勢揃いしている。
日渡勢力、勢揃いである。
「降伏の証拠ならここにある。僕と沙耶香姉ちゃんが日渡に向けて書状を書いて、それが受理された。ちゃんと萌加様のサイン入りだから、もうこの国は負けたんだ」
現在の渡海の臣、福田晃が、件の書状を清庵に見せながらそう言った。
そう、これが小松喜々音の考えた、終戦への最速のシナリオである。
「さ、大人しく投降してもらおうか。反逆組織『新政渡海國』の長であり、この反乱の首謀者、渡海清庵」
少しのドヤ顔をした日渡萌加は、渡海清庵へそう言葉を告げた。
「……侵略国家が。元から渡海を併合することが目的だったんだろ」
「そんなことはないよ。勝手に妄想して、勝手に事を起こしたのはお前でしょ?」
ピリピリと張り詰めた空気。太陽は分厚い黒い雲に覆われて、今にも雨が落ちてきそうな様相であった。
ーーーーー
ーーー
ー
来たばかりで状況は掴めないけれど、萌加様が渡海清庵を追い詰めた後であることは確かなようだ。
いつになく冷たい口調で、萌加様が刺々しく告げたその言葉に、渡海清庵がゆっくりと口を開いた。
「妄想などではない。国民の声を形にしただけだ。兎山は、現在の連邦においてはあまりに不安定な存在。濱竹との仲は悪く、旧領奪還を口実に渡海、そして日渡をも吸収しようとする可能性もある。侵略国家以外の何物でもないだろう、そんな危険な自治領など。況してそんな危険性を孕んだ自治領を作る国家など以っての他だ。兎山、それに日渡がどれだけ信用ならない存在か、どれだけ渡海に害を与える存在か、それを考えて反対した国民の意見に、あいつは当初、耳を貸した。しっかりと聴く姿勢を見せた。書簡を送り、兎山自治領の設立に踏み切らせないように動いた。だがどうだ、気が付けばあっさりとした手のひら返し、設立に反対などせず、あっさりと認めて友好的な関係まで築き上げてきた。それがどれだけ危険で愚かな行為か、渡海国民にとってどれだけ承服できない行為であるか……!」
そこまで言った渡海清庵は、ひとつ自嘲気味に笑った。そして僕らを見渡すと、険しい顔を少しだけ緩めて、ため息混じりに言葉を紡ぐ。
「……いや、そんなのお前ら日渡の連中にゃ分からねぇ話だろうな。渡海のことなど知らぬ世界だろうし、無自覚的な行動だったやもしれんしな。日渡を悪く言うことは何もできない。あぁそうだ、俺は渡海勇を……神様を殺めた以上、神になった以上、現在の渡海の代表であり、あの頃の国民の意見そのものであり……つまりは神様への不満そのものであり、不満が自我を持ったものであり……」
「不満ゆえに、理想を見たと?」
清庵にそう告げたのは大志だった。清庵はどうやら自分の行いを振り返りながら、結局のところの結論を出せずにいたようで、大志の言葉を聞いて曖昧な表情ながらも頷いた。
「理想、かもしれないな。俺が目指していたものは、兎山自治領の廃止だ。それは……たしかに理想か。あぁ、そうだな。理想で間違ってないだろう」
しかし結論に辿り着いたのか、そう言って諦めたように笑った。
「しかし、理想なんて実現するもんじゃないんだな。何にも良いことなんてない。なぁ、兎山明。ひとつ問うが、もし俺が反乱を起こさなかったとしても、侵攻したのか?」
尋ねられた明様が、バカバカしそうに顔を顰めてため息を吐く。
「するわけないでしょ。そもそも、勇にあげた土地をなんで奪い返さなきゃいけないのよ。神治なんてめんどくさいこと、もう二度とやりたくないし」
その答えに、清庵は笑った。
「つまり俺は、この国を護ろうとして滅ぼしたのか」
その声は弱々しかった。その瞳は充血して赤くなり、その肩は小刻みに震えていた。
「そうか、そうか……」
そして噛み締めるように繰り返し呟くと、
「太刀打ちできると思っていた。神になれば、どんな力も手に入ると思っていた。上神種にだって、国民が団結して挑めば勝てると信じていた。だが、神種の差は圧倒的だった。正直、舐めていた。渡海国民一同、それは同じ気持ちだろう」
「実際に戦って神になれば、そんな妄想を起こさなかったでしょうに。こんな蔵を利用したばっかりに思い上がっちゃって。とんだ愚者じゃない」
背筋の凍るような声だった。発したのは明様だが、これほどにまで凍てついた声で、刺のある口調を聞いたことがなかった。
普段から感情の籠らないような話し方をする明様だけど、この発言は特段すごいものだった。感情があるようにも聞こえて、ないようにも聞こえる、そんなものだった。
「それで、負けを認めるの?」
痺れを切らしたのか、それとも飽きたのか、萌加様が食い気味に結論を迫る。
「あぁ、認める。俺はこの国を……滅ぼした」
青褪めた表情、震えた声、落ち着こうとして何度も深く呼吸をする渡海清庵を見て、根っからの悪い奴じゃないんだと、そう思った。
逆に、すごく良い奴なのかもしれない。国を想い、先を憂い、今置かれている状況を打開したいと願い行動できる、そんな者なのかもしれない。
しかし、そのスキルは神の持つべきものではない。そのスキルが求められるのは、おそらく臣だ。
まるで兄がそうであったように。
兄が臣としてあれだけ優秀だと言われた理由は、きっと常に不満の解消を追い求めていたからだろう。
しかし、兄が何をしたかなんていうものは、実はよく知らない。最近やっと兄の代になって書かれた日渡伝書に行き着いたのだが、その内容はひたすらに不満点が書かれたものだった。それを解消できればマルを描き、できなければ次年に持ち越す。そういうスタイルの書き方となっていた。もちろん具体的な解決方法が書いてあるため、内容は今までと変わらず盛りだくさんなのだが、タラタラと出来事が書かれた今までのものとは一線を画していた。
兄の偉大さを知ると共に、兄のことを思い出して辛くなる。それもあって、もしかしたら目の前にいる渡海清庵の考え方が、兄と同じに見えてしまうのかもしれない。実は兄と清庵の考え方は全くの別物かもしれないけれど、頭の中に兄の記憶が強く蘇ってきているから、そう結びつけてしまっているのかもしれない。
「聞け、渡海国民よ!」
清庵が負けを認めたあと、萌加様が本殿に移動して声を張った。それを追って大志といちかさんが清庵を蔵から本殿まで連行し、萌加様の足元に清庵を座らせる。
「我が名は日渡萌加。当国の北方、日渡国の神である! 反逆組織『新政渡海國』の長、渡海清庵は我が日渡国に対し負けを認めた。これにより、日渡と渡海の間で起きた兎山自治領の存在を巡る戦争は幕を閉じた。渡海国は解放され、政体は渡海勇の統治していた頃に形式上戻ることになる」
萌加様はそう言ったものの、浮かない顔で続ける。
「しかし、渡海勇はこの渡海清庵により殺された。日渡国による渡海国の解放は事実上失敗、渡海は神不在により国体が維持できないことが確定している。つまり渡海国はここに滅びることになり、今後は二大統率国に判断を仰ぐことにあるが、ほぼ間違いなく日渡国の領土となるだろう。その際の統治方法は、日渡上神種に渡海上神種を加えた神治幹部で後日話し合う予定である。渡海国民は方針が決まるまで生活を営みながら待機せよ」
そう告げた後で、思い出したように付け足した。
「それともうひとつ、反逆組織『新政渡海國』に加盟していた全員は、連邦の規定に従って処分する。なお、逃げ出せないように罰が決まるまで渡海国境は閉鎖する。大人しく待つように」
その声に、渡海国民の顔に陰りが生じた。それもそうだろう、ここにいる渡海国民は皆、新政渡海國の面々なのだから。
しかし、それでも萌加様の言葉に頭を下げて、ひとつ「はっ」とだけ返事をした。
「じゃ、わたしたちは行こうか」
話し終わると、いつもの調子で萌加様が僕らに告げる。そして清庵の腕を掴んで立たせると、ついて来るように促して福田神社を後にする。
なお、渡海上神種たちも日渡に連れて行き、今後の処理を一緒に行うことになる。その間の渡海の統治は、方針が定かになるまでは占領した日渡が行うことになっているらしい。つまりは臣と巫女の負担が増えるだけである。
ご苦労様です。
ーーーーー
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神紀4997年、冬至前83日。靜国より連邦全加盟国にひとつの通達が入った。
『[西部]日渡・渡海「兎山戦争」の終結に関する告』という見出しの文章に記されていた内容は以下の通りである。
1、無神状態の渡海地域は国として存続することはできないため、日渡国に併合する。
2、当戦争の処理に二大統率国が関与することはせず、渡海解放を行なった日渡国が全権を持つものとする。
3、但し、連邦の安定を脅かした渡海清庵の罪は甚だ重く、許されざるものであるが故に、靜国にて短期投獄の後、濱竹国で刑を実行する。
4、この通告を以て、兎山戦争の終結とする。尚、これ以降に行なわれる日渡国による戦後処理は、日渡国内の問題であり、他国がこれに干渉することは一切認めない。
ーーーーー
ーーー
ー
「あんなに頑張って解放したってのに、労いの一言もないのはどうして!? あおいも安久斗も、わたしに全部任せきりにしておいて、お疲れ様の一言もないだなんて。清庵の身柄を渡しに行った時も神務卿に全部任せてわたしに会ってくれなかったしさ! 諸々の対応が酷すぎるでしょ!」
占領下にある福田神社の廊下をわざとらしく音を立てながら、先ほど届いた書簡を振り回して、萌加様は僕に愚痴る。
「落ち着いてくださいよ。靜も濱竹も、神社の中がすごく忙しなかった様子でしたし、きっと何か大きなことを抱えていらっしゃるんですよ。それに今は、四の五の言わずにこの渡海の後処理に全力を注ぎましょう。何しろ統率国の命令ですから」
「そんなこと、大志に言われるまでもなく分かっているよ! だから今ここにいるじゃん。でもさ、それでもさ、なんかもう……あー! なんなのほんとにぃぃ!」
僕の言葉にそう返し、萌加様は自分の頭をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
と、そのとき。
「萌加様」
ひとりの女の子が萌加様の前に立って声を掛けた。
「お? どうしたの、沙耶香?」
萌加様は頭を掻き乱すのを停止して、しかしその姿勢を維持したまま、目の前にいる沙耶香さんに返事をした。
「私たちの処分って、どうなるんですか?」
顔色ひとつ変えないまま、沙耶香さんはそう尋ねた。
「どうしようね。君と晃くんを助けたいとは思っているんだけど、渡海清庵を処刑すると必然的に君たちは死んでしまうんだよね。じゃあ清庵を生かしておこうかって話になるんだけど、あおいやするがはきっとそれを許さないだろうし……」
萌加様は困った表情を浮かべてそう返した。
「あ、いえ。そうではなくて。どのタイミングで殺されるのかなと思いまして」
しかし沙耶香さんは、首を振りながら萌加様に言った。
「うぇっ!? あ、え? 君は……その、死ぬことに異を唱えるつもりはないの?」
「ありませんよ、そんなもの。統率国の決定に歯向かおうなどという命知らずではありませんので。それに、私と晃くんの命のために、母と鋼様の、そして勇様の仇を生かすなど以ての外です。命を捨てることなど、甘んじて受け入れますよ」
はっきりと、そんな言葉を述べた沙耶香さんの目に、一切の澱みは無かったように見えた。
「……強いね、君は。本当に強い」
萌加様は驚いたように彼女を見ると、そっと彼女の頭に手を乗せて撫でた。
撫で終わると、僕に視線を向けて言う。
「大志、決めた。今回の反乱に参加した渡海国民に、一切の処罰を与えることを認めない」
「え、それってどういう……」
あんなに皆殺しを豪語していたのに、どういう風の吹き回しだろうか。そう考えたのも束の間、自分の中で答えが出たが、それを言う間も無く萌加様が答えを告げた。
「臣と巫女が、全責任を背負って死ぬことで済ませる」
「どうせ死んでしまうなら、という考えですか?」
僕が訊ねると、萌加様は「それもあるけど」と言い、言葉を続けた。
「彼女たちの決意が、美談になればいいなって思って。お節介かもしれないし、意に介さず臣と巫女になってしまっただけなのにこんな責任を負わせるのは道理的でないことは知っているよ。でも、それでもさ、何もしない臣と巫女より、国民の命を救った臣と巫女の方が、語り継がれる存在になるんじゃないかって思うの」
そう語った萌加様に、沙耶香さんが頭を下げた。
「ありがとうございます。私の質問の意味を汲んでくださり、とっても感謝です」
「ん? なんのこと?」
そんな感謝の言葉に、萌加様は小首を傾げながら返す。沙耶香さんはそれを見て、
「美談になれると、嬉しいですね」
と微笑みながら言った。そしてまたひとつ礼をすると、僕らの前から足速に去っていった。
最後の彼女の声は、少しばかり震えていた。
「……美談になる確証なんて、どこにもないけどね」
萌加様が小さくそう呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。
ーーーーー
ーーー
ー
占領下の渡海は混沌を極めていた。
僕が街道を歩くだけで、道ゆく人は皆視線を逸らし、足速に通り過ぎていく。
「この、侵略者!」
そう罵られて、小さい子に石を投げつけられることもある。それを母親と思われる女性が涙声で一喝し、恐怖の混じった目で僕を見て頭を下げてくる。
もちろん、一人に限ったことではない。
「人殺し!」
「父の仇!」
「兄を返せ!」
そんな言葉は、もう最近では聞き飽きたくらいに聞く。そして石ならまだしも、たまに刃物で襲われる時さえある。
日渡の渡海統治は、現段階では失敗しているとしか言いようがないだろう。
そんな中で、萌加様が声明を発表した。それは、『渡海国民に非を問わずに、臣と巫女の命で全てを済ませる』という内容だった。
「いくらなんでも甘すぎます! それに、晃さんと沙耶香さんには何の罪もないんですよ!? それなのに罪を償ってもらうって、あまりに理不尽じゃないですか!?」
「そうですよ! 清庵に親を殺されて、無理やり臣と巫女にさせられて、挙句萌加様にまで罪を被せられたとなれば、成仏できるかも分かりません!」
反対するのは、いちかさんと花菜だった。珍しく二人の意見が合致しているが、萌加様に腕を組んだままため息を吐かれてしまった。
「これは沙耶香からの願いなんだよ。わたしだってそれくらい分かっているし、渡海の統治だって上手くいっていないことも知っているよ。みんなが国民から酷いことをされていることも聞いているし、渡海国民を根絶やしにしてやろうかなと本気で考えたんだよ」
萌加様はそう言うと、渡海上神種の面々を見て言う。
「やっぱり嫌ですって言うなら今のうちだよ? 今ならまだ間に合うから」
「いいえ、決めましたので」
「はい。僕も覚悟はできています」
しかし沙耶香さんと晃くんの意志は硬かった。
「という感じで、頑ななんだよね」
萌加様は殺したくないのか、いちかさんと花菜にそう言って力無く微笑んだ。
「……あの」
そう口を開いたのは、福田湊さんだった。
「私は、晃にも沙耶香にも、死んでほしくない……かも。晃は大事な弟だし、沙耶香だって親友だし……」
そう言う彼女は少し泣きそうな顔をしていた。
「それでも、渡海清庵を生かしておくわけにはいかないでしょ? だからさ、私たちはいずれ死ななきゃいけないの」
「そうだよ、お姉ちゃん。僕も沙耶香姉ちゃんも、納得しているんだからさ」
しかし、湊さんは当事者の二人からそんな言葉をかけられてしまう。
「でも……」
「でもじゃない! それじゃ湊ちゃんは、渡海国民が全員根絶やしにされてもいいの? その上で私と晃くんがいなくなっても、それでもいいの?」
「…………」
その言葉で、湊さんは黙った。ギュッと唇を結んで、涙が落ちるのを必死に我慢していた。
「勇様だって、それはお望みにならないと思うよ」
晃くんがそう告げると、湊さんはひとつ頷いた。
「そう……かも、しれない。勇様は、国民想いだったもん」
そうしてギュッと目を閉じると、彼女の目からは涙が落ちた。
「萌加様、なるべく早く日程を決めて、私たちを処刑してください。そして渡海に、幸せをもたらしてください!」
沙耶香さんがそう萌加様に言うと、萌加様は頷いて、
「じゃあ早速、日にちを決めよっか。みんな、それでいい? というか、そういうことだから。これ、確定事項ね」
と強く言った。
結論を言うと、悲惨なものだった。
あれから4日後に、晃くんと沙耶香さんの処刑が行われた。小林氏と同様に、昇竜川の河川敷に櫓を組んで、萌加様が下から焼却した訳なのだが、それが渡海国民にとっては絶望を植え付けることになり、統治は更に困難なものになった。
形式上、これで全てが終わったため、渡海の国境閉鎖は終わったのだが、土地を捨てて袋石や濱竹に逃げる者が非常に多く、渡海難民と呼ばれる西部諸国の社会現象を起こしてしまった。
しかし、日渡が悪政を敷いているわけでもないために、濱竹は渡海難民を救済しないことを宣言し、それに続いて西部諸国も宣言、さらに連邦全体で難民を受け入れない方針に定まった。そのため逃げた人々が日渡に強制送還されたのだが、自殺や非行が目立つようになり、治安は著しく悪化した。
処刑から10日ほどが経った、冬至前70日。事件は起こった。
日渡の磐田神社に、渡海難民の過激派が押し寄せて、境内に火を放ったのだ。
これによる怪我人や死者はいなかったが、臣館が半焼する被害が出た。
境内にいた大志といちかさん、そして萌加様が対応して、犯人を全員捉えたが、萌加様はこれに激怒し、見せしめとして翌日に浜辺で全員を焼却処分した。
更に、渡海地区に住まう者に対して『そんなに不満があるなら、義勇団を編成しわたしを倒してみろ』と触れを出し、日時と場所を指定した。そしてその3日後に、萌加様VS渡海義勇団の戦闘が行われた。
結果、渡海に住まう7割ほどが義勇団に参加し、萌加様と戦ったのだが、萌加様は瞬時に全員を焼き殺し、義勇団は根絶やしにされた。渡海地区に残った3割の者のうち、8割は自殺や逃亡を図り、最終的に萌加様の前に跪いて日渡国民として忠誠を誓ったのは、元の渡海国の人口の僅か1割にも満たなかった。
これ以降、渡海で日渡に対する反乱はなくなった。しかし、萌加様が行ったこの一連の行為は虐殺であるという声が連邦内よりちらほらと上がり、日渡の国家としての印象はあまり良くないものへと転じていた。
それでも、あおい様と安久斗様が「統治困難の場合における見せしめの範疇にある」という声明を発表したことにより、注意勧告のみで許された。
「許されるわけないでしょ!? 神様が自国民を虐殺してどうするの!?」
声を上げて怒るのは、明様だ。
「じゃあ明だったらどうしたの? あのまま放置しておけば、確実にこの国は統治できない。だから反乱分子を取り除く。それのどこが悪いの?」
対する萌加様は、さらりとそう訊いた。
「なにその考え方……! 統治が上手くいかないからってなんでも力でねじ伏せればいいわけないでしょう!? それをやっているのは靜くらいよ!」
明様はそう言うが、直後にハッと気付いたような表情をする。そして、ため息を吐きながら口を開いた。
「そういえば、あなたの育ての親は靜だったわね。なるほど、それなら納得だわ。あなたが普段穏やかで優しくて、今まで戦争をしたことがないから分からなかったけど、根本にある考え方はまるで靜と変わらないのね……」
呆れたと言わんばかりの口調。それに対して萌加様は首を傾げた。
「あおいが直接教えてくれたってわけでもないけど、対処法として最善なのは根本を絶つことだっていうのは確かに靜から学んだことだよ。でも、それだからどうしたの? 濱竹も戦争後はそうしていたし、靜だって今、連邦の統治でそうしている。どこが間違っているというの?」
明様はもう、何かを言う気がなくなったようで、頭を抱えて俯いてしまった。
しばらく黙っていた明様だったが、少しすると姿勢はそのままにして僕に告げた。
「大智、あなたは福田神社に行きなさい。こうなってしまった以上、あの神社を拠点に渡海を再興させなさいな」
「分かりました。でも、なんで僕が……?」
「あなたは本来、小臣でも小巫女でもないでしょう? なんの役職にも就いていなくて、なおかつ日渡上神種なんだから、日渡統治の格好も示せるわ。こうなった以上、日渡主導でやるしかないもの。元渡海上神種の二人と協力しながら、再興に努めなさい」
疑問に対する答えは以上のようなものだった。
「分かりました。それでは、すぐに支度をしますね」
僕が言うと、明様は「ついでに喜々音とニャノも連れて行きなさいな」と付け足した。
こうして僕は、住処を御厨神社から福田神社に移すことになった。産まれてから2度目の引っ越しである。
僕は、喜々音さんとニャノさんと共に福田神社にやってきた。僕らが焼いた門は撤去されずに放置されていて、境内も当時のままほぼ手付かずの状態であった。
渡海上神種の生き残りは、臣の家系の福田湊さんと、巫女の家系の東河口竜洋さんの二人だけであった。二人とも今は臣館で暮らしていて、たくさんの部屋の片付けをしているようであった。
「皆さんは、巫女館で暮らしてくれると助かるかも」
湊さんにそう言われて、僕らは巫女館で暮らすことになった。
その巫女館は、物がたくさん散らかっていた。
「悪いな、妹は片付けが苦手だったから」
竜洋さんがそう言いながら、今や必要なくなった沙耶香さんの所持物を袋に詰めていく。その顔は無表情であるが、いくつか手に持つとピクリと眉を動かす物があった。きっとそれは、沙耶香さんとの思い出の物なのだろう。
それを見た喜々音さんが、首から下げた懐中時計を握りしめた。そしてそれをジッと見つめると、
「私たちはしばらく街を歩いて回ります。ここを統治するのに何が必要か、少し考えるべきだと思うので」
と竜洋さんに告げて、僕とニャノさんについて来るように視線を向けた。
僕らが巫女館を後にしようと玄関で靴を履いていると、竜洋さんが鼻を啜る音が聞こえてきた。
喜々音さんは、非常に気遣いができる子である。
僕らが歩く街は、ゴーストタウンと言うべきほどにまで人がいなかった。空き家ばかりが立ち並び、市場には放置されて腐った食べ物がたくさん取り残されていた。
残っている人々も、まるで目が死んでいた。焦点の合わない瞳で僕らを一瞥すると、避けるように離れていく。決して近づいてなど来ない。
「正直、ここまでだとは思っていませんでした」
ふと、喜々音さんが僕に言った。
「なにが?」
「戦争の悲惨さです」
瞬時に返答があった。
「私、濱竹陸軍参謀総長を勤めていたのに、何も知らなかったんだなって思いました」
喜々音さんは、遠くに並ぶ松林を見て指を差した。
「あれを越えたら、海なんですよね」
「そうだね」
「でも、ここからは海が見えないし、波の音も聞こえない。あの先に何があるかなんて、存在を知らなければ皆目見当もつかないと思うんです」
「うん」
喜々音さんはそう言って、松林の方へと足を進めた。
「あれは、私の戦争に対する見解と同じ。ここから見る海が、私の『戦争』への認識」
そう言うが、海など何も見えない。
「つまり、何も知らなかったと?」
「そうです。何にも知らなかった。分かっていなかったんです。参謀総長だったのに」
その言葉の重みは、きっと僕が思う以上のものなのだろう。いくつもの命を、自分の考えた作戦ひとつで奪うことになる役職。それが、参謀というものだ。
「私が立てた作戦で、渡海の人々は苦しみました。何人も犠牲になりました。結果、戦争が終わっても恨みが残り、命が奪われ、今のこの状況があるんです」
松林に向かうまでの道にある田畑は、成長しすぎた作物が狩られることなく残っている。
近くからは異臭も漂っているが、これはおそらく死体の臭いだ。
きっと、自殺者のものだろう。
僕と喜々音さんは、話しながら松林を抜けていく。ニャノさんは、先ほどの死体の埋葬をすると言って臭いを辿って歩いて行った。
「大智さん。私は自分で、私が前に進んでいると思えました」
松林を歩きながら、喜々音さんは僕にそう言った。
「この前の、神務卿との会話の答えだね」
僕が言うと、彼女はコクリと頷いた。
「かささぎお兄ちゃんを殺したのは、間違いなくこの国。日渡は、安久斗様たちが思っている以上に残酷な国だって、そう思っています。だけど、そんな国のために戦略を練って、そんな国のために戦って。私はいったいどうしてしまったんだって、なんでそんな国に尽くしているんだって、昔の私が今の私に問いかけているんです」
喜々音さんはそう言うと、「少し口が悪かったかもしれないですね」と笑った。
「でも、そうしたい自分がいるんです。明様や萌加様、花菜さんや美有さん、そして大智さんと関わって、なんだか楽しくなった。侵略国家という汚名をどう晴らそうかって話して、解決まであと一歩のところで全てが崩れて、今度はゼロから違うことをして。これって、その時はイライラするけど楽しいことですよね」
彼女は小さな松ぼっくりを拾い、それを真上に軽く投げて、手で取って、また投げて……を繰り返しながらそう言った。
しかし、ある程度それをすると、投げたらそれを手で取ることをせずに砂地に落とすと、足でパキッと踏み潰した。
「お兄ちゃんが死んだことは強く心に傷を与えたけど、それがなかったら、この楽しさには気がつかなかった。同様に、戦争の悲惨さも知らないし、戦争に対する認識も改めようとしなかった」
そう言った直後、松林を抜けて視界が開けた。
そこに広がるのは、どこまでも青く続く大海原だった。
「なんで前に進めたって思ったかといいますと、私は今、この渡海を再興させたいって思えているんです。それが、自分の中で笑っちゃうくらいに不思議なんです」
彼女はそう言うと、砂浜を駆けて大海原に向けて叫ぶ。
「お兄ちゃーーん! 私、今、すっごく楽しいよーー! ずっとずっと頑張るから、見ててねーー!」
その声は明るくて、とても喜々音さんのものとは思えなかった。そしてその姿は無邪気で、可愛げがあって、とても落ち着く光景であった。
僕も喜々音さんの背中を追って、波打ち際まで近寄ると、波が僕らに向かって寄せて来た。
「うわぁ!?」
「きゃっ、冷たい!」
足が浸かり、二人で声を上げた。それが面白くて、二人で顔を見合わせて笑った。
「大智さん、ほい!」
喜々音さんが手で水を掬うと、僕に向けてかけて来た。
「あぁ!? うあ、痛い! 目に入った!」
「ふふっ。塩水は痛いから、目を守らなきゃダメですよ〜」
「それを最初に言ってくれよな!」
そう言いながら、僕も喜々音さんに水をかけた。
「きゃっ、冷たっ! ねぇ寒いよぉ!」
「あははは!」
正直、喜々音さんとこんなにも距離を詰めて遊ぶなどと思っていなかった。でも、それがとても楽しかった。このところ、非常に心が痛むことばかり目にしてきたがために、この時間を幸せそのものに感じていた。
そんな遊びを何時間もしていたために、太陽は西に傾きはじめていた。
途中からニャノさんも浜辺に座って、僕らの様子をニコニコと見ていた。彼女はどこまで経っても付き添い人らしく、一切僕らに混じろうとはしなかった。
「ここにいたのですね」
ふと、そんな声が聞こえた。
そこにいたのは、湊さんと竜洋さんだった。
「すみません、つい遊んでしまいました」
喜々音さんがそう言うと、「気にしないでいいですよ」と湊さんが微笑んだ。
「帰りが遅いから、湊様と探しに出たんだ。そろそろ夕食にしようと思っているんだが、何か食べたいものはあるか?」
そう竜洋さんに尋ねられて、少し考える。
「渡海に伝わる料理ってないんですか?」
喜々音さんがそう言うと、竜洋さんと湊さんが顔を見合わせて首を傾げる。
「特に聞いたことはない……かも。でも、家庭料理くらいなら、作れるかも」
「湊様が厨房に立たれる必要はありませんよ! 料理は俺の担当ですので」
湊さんの言葉に、竜洋さんが言った。それに対して、湊さんがムゥと拗ねる。
「いつまでも臣家の子ども扱いはやめてほしいかも。たしかに竜洋とは8つも離れていますし、小さく見えるかもしれませんけど……」
そう言って、プイッと拗ねてしまう。
「……分かりました。では、本日は湊様にお任せ致します」
竜洋さんはその仕草に折れたのか、そう言って湊さんに料理権を渡した。
どうやら渡海では、上神種の主従関係があったようだ。国家制度は日渡よりも厳格であったのかもしれない。
「では、神社に行きましょう」
湊さんにそう言われて、僕と喜々音さん、ニャノさんは浜辺を離れようとした。
そのとき。
「……待って、あれ、なに……?」
喜々音さんが僕の手を掴んで止まった。手を引かれるような形になり僕は止まって、喜々音さんが指差す方を見た。
喜々音さんが指を差しているのは、東の海の方だった。そこに見えるのは、無数の巨大な黒い影だった。
「……なんでしょう?」
ニャノさんが目を凝らす。
「んん? ……見覚えないな。船か?」
「船にしては、大きすぎる……かも」
竜洋さんと湊さんも分からず、ただずっとそれを見ていたが、どうやら近づいて来ているようである。だんだんと大きくなったそれは、はっきりと船だと分かった。
しかし。
「なんだ、あれ……」
「信じられないかも……」
「見たことないな、あんなの」
僕らの口からは、そんな言葉が溢れた。その姿は異様なまでに大きく、そして大きく聳え立ち黒い煙を吐き出す煙突と、無数の突き出た巨大な鉄砲のような筒がある。
「喜々音様……」
「えぇ、分かっています。でも…………」
濱竹勢は、硬直していた。ニャノさんの表情は険しく、喜々音さんの顔からは血の気がなくなっていた。
「あんなの、次元が違うじゃない…………」
喜々音さんの口からそんな声が漏れると同時に、彼女は尻餅をついた。
「だ、大丈夫?」
僕が彼女に手を差し伸べると、コクコクと頷いて、
「腰が抜けちゃって……」
と言った。
「あれはなんなの?」
僕が尋ねると、彼女は答えた。
「戦うための船、通称戦艦。でもあれは、異次元の大きさ……」
彼女の手を取って立ち上がらせて、西へと去りゆく戦艦を見た。
数は、大きな船が4隻と、小さな船が8艘ほど。隊列を成して進んでいた。
「『近く、大きな戦争が起こる』……」
喜々音さんがそう言葉を口にした。
「綴さんの……?」
「うん。きっと、あれが関係している……」
喜々音さんはそう言って、見えなくなるまで西の海を見続けた。
夕陽が沈むのが先か、船が見えなくなるのが先か。結局どちらが先だったかは分からないが、僕らが浜を後にしたのは日がすっかりと落ちてからのことだった。
靜連邦に、大きな戦争の波が打ち寄せていた。
皆さんどうも、作者のひらたまひろです。毎日多忙ですが辛うじて生きています。
さて、約2ヶ月ぶりの投稿です。初の上下方式、そして初の分散投稿となりましたが、かなりお待たせをしてしまった感が拭えなくて申し訳ないです。
また、物語が非常に長いっ!
これだったら普通に〇〇話、××話として投稿するべきだったかなという反省もあります。
ですが、次の話も懲りずに上下方式で製作すると決めたのでそうします。また時間がかかると思いますが、気長にお待ちいただけると幸いです。
では、次編予告でお別れです。
さようなら〜。
2022.09.17 0:26
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次編予告
「目指すはサハ、北端の地だ!」
舞台は世界の北端へ。
真冬の大陸・列島に挑む。
「背後を突かれては困るからな」
「丸腰でいいの? 言っとくけど私たち、野蛮国家の集まりよ?」
見栄と意地、祖神種国家の威厳を示せ。
「その名は、『大連邦協商』だ!」
「大連邦協商、ばんざーい!」
世界を巻き込む、前代未聞の大協商。
波に揉まれる靜連邦の行方は……
「夏半若菜を奪還する!」
「悪いけど、そんな協商滅んでもらうわよ?」
正義は何処だ?
取り戻すために、守るために、手に入れるために、生き延びるために。
「サハ戦争だ」
神継者〜カミヲツグモノ〜
サハ戦争、乞うご期待!




