2-29『世を正す者』
神紀5000年、冬至前61日、未明。
濱竹安久斗および浜松ひくま、三ヶ日おなが率いる濱竹近衛師団は、その数およそ200に加えて塩見岳の戦いより生還した主力部隊300を足した計500の軍勢で、間ノ岳東俣神社へ向けて畑薙を出立した。
サハで開発を進めた戦車と装甲車を用いて、沢を遡上しながら進む。
その結果、徒歩で丸一日近くかかる距離を3時間で移動すると、最新鋭の濱竹兵器(三型戦車、第七世代小砲など)を構えて上井谷神社を包囲した。
濱竹安久斗が装甲車より降りて、上井谷神社の大門の前に立った。
井谷軍は無数の銃口を安久斗に向けるが、発砲することはなかった。
「皇国濱竹の神、濱竹安久斗であるっ! この不毛な戦闘に終止符を打つべく、井谷俣治と話をしたい! 既に井谷国は我が軍の前に為す術を持たず、勝敗は決したり! 抵抗せずに、今ここで開門するならば、以後一切の戦闘を停止しよう。しかし抵抗するならば、この門を、この擁壁を、そしてこの神社の全ての建物を、三型戦車の性能試験の標的として活用し、抵抗する貴様ら井谷兵を卑しき人類と同じような存在と見做し、この第七世代小砲にて駆除することを宣言する! さぁ、選べ。開門か、壊滅か。俺はお前らの決断に従うし、その意思を尊重する。井谷ならば、賢い判断に至ると信じているぞ。以上!」
安久斗はそう言うと、数歩だけ後方に下がると、装甲車に戻ることはせずに門を見上げ続けて、井谷軍の決断を待った。
数分が経過して後、門が大きな音を立てて開いた。
安久斗の目の前、門を挟んだ向こうに、井谷俣治が立っていた。
「約束だ、今回こそは守れよ? 俺たちは門を開けた。これ以降の戦闘は、約束違反になるぞ」
俣治は、安久斗の背後にずらりと並ぶ武装兵を見つつ、そう言った。
安久斗はそんな俣治を残念そうな目で見ると、
「“約束”などという、いかにも破るためだけにあるような薄っぺらい言葉で表されるなんて心外だな」
とため息混じりに言った。
「なんだと?」
俣治はそんな安久斗を睨みつける。安久斗もまた、俣治を睨み返して、しばらく両者による無言の応酬が続いたものの、
「……まぁいい。本来なら攻撃したいところだが、今回ばかりはお前の言う“約束”とやらを守ってやろう」
安久斗がそう言って折れて、侵攻軍に武器を下ろすように伝えた。
侵攻軍は銃や戦車の主砲を下ろし、臨戦態勢を解除した。
「入れ」
俣治は安久斗にそう言って、侵攻軍の上井谷神社の入社を認めた。
これによって、上井谷神社は侵攻軍に無血占領された。
ーーーーー
ーーー
ー
安久斗と俺は、上井谷神社の広間にて会談をするに至った。
俺は巫女の畑薙鏡子を後ろに従えて、安久斗は臣の浜松ひくまと、巫女の三ヶ日おなを従えている。
最初に安久斗は、俺にひとつの首桶を差し出してきた。
「言わずとも分かるだろう。最後に見てやれ」
俺はその首桶の蓋を開けて覗き込んだ。
塩漬けにされた、見慣れた顔があった。
「うぅ……」
後ろで鏡子が顔を押さえて泣き出した。
井川閑蔵。紛れもなく、我が国の臣の首だった。
「死亡は昨日の時点で確認している。繋がりが絶たれたからな。とはいえ、こんなに傷だらけになるまで戦いやがって。何もせずとも同じ結果になっただろうに、どうしてこいつは自分が傷つく方向へと走ったのだかな」
俺はそう溢すが、理由は分かる。最後に精一杯の抵抗を示したかったという、ただそれだけである。
当然、井谷としては誇らしい。そうしてくれた方が、連邦屈指の軍事国家の最後に相応しいだろうからな。
「お前の臣は、俺のところの軍総長と相打ちになったと聞く。砂太郎を追い込めるほどの実力があるならば、それは誇るべきことだろうし、現に俺は、井川閑蔵の奮闘を讃えたい。もちろん、その閑蔵と渡り合った中田島砂太郎も共に讃えるがな」
安久斗は、首桶を覗き込む俺にそう声をかけてきた。
驚いた。まさか安久斗が俺を気遣うような言葉を掛けてくるなどとは。
もう、俺たちに戦意がないことを見抜いている故の発言で、それは同情に似た何かだろうが、それでも言われれば嬉しい。自国の臣を、幼き頃から見てきた閑蔵を、決して讃えられないような極悪非道の体制を敷いた奴を、そのように讃えてくれることは、今の俺にとって何よりも嬉しいことのように思えた。
「正直な、俺はもう二度とこいつの顔を拝めないと思っていた」
それだから、少し調子に乗ったのかもしれない。俺は安久斗に、性にも合わず本音を打ち明けてしまった。
「昨日、閑蔵との繋がりが消えたあの瞬間、その亡骸はきっと濱竹か靜に確保され、二度と俺が目にすることはできないと思っていた。だから今、こうして会えただけでも、俺はどうしようもなく嬉しいのだ」
その言葉に、濱竹の臣が涙していた。鏡子は未だ号泣状態にある。俺も少しばかり、目が潤んできた。
「なに、井谷の戦意を喪失させるためにはちょうど良い手土産だと思っただけだ。この国で恐ろしいくらいに崇拝されている臣が殺されたとなりゃ、士気が一気に下がるだろう?」
安久斗はそう言うが、それが本音だとは思えなかった。
安久斗なりの照れ隠しのような発言だろう。
「最後に見ることができて良かった。あとはお前らに託す。どうしようもなく乱暴な臣だったが、どうか丁寧に扱ってくれ」
俺は安久斗にそう言って、桶を返した。
「靜次第なところもあるが、少なくとも俺はそのつもりでいる」
安久斗はそう言いながら桶を手にした。
そしてそれを巫女に渡す。巫女は安久斗から桶を受け取ると、自分の座る隣へと丁寧に置いた。
濱竹の巫女というと、これまた閑蔵のように気難しい奴なのだが、あいつもそのような扱いができるのだな。
少なくとも閑蔵には不可能だろうから、感心してしまう。
「それで、これから先のことだが……」
安久斗は俺を見て、少し言いづらそうに目を逸らした。
察するに、これは俺の処罰に関する話だろう。
「覚悟の上だ。気にすることなく話せ」
俺は安久斗にそう言った。安久斗はその言葉に曖昧に頷いて、「あぁ」とだけ返してきた。
そして、逸らした目を再び俺に向けて、
「まず、俺は今から井谷国に対し、正式に降伏勧告を出す。これを受け入れるならば、戦争はこれで終わりだ。受け入れないのならば継続だ。ただし継続を選んだ場合、統率国は手段を選ばずにお前らを残らず消す。それだけだ」
と言った。
当然ながら、継続する意味がないため、俺は降伏を選択する。
「いいや、継続なんて馬鹿なことはしないさ。俺の負けだ」
安久斗はその言葉に頷くが、相変わらず顔は晴れない。
「そうしたら、次だ。俺はお前を濱竹本国へと移送する。そこで降伏文書への調印を行い、その後指示があり次第お前を靜に引き渡す。なお、巫女は濱竹にて処刑、お前は靜にて処刑となった。本来は臣も巫女と共に処刑する予定だったのだが、そこは少しズレてしまった」
そして安久斗は、著しく申し訳なさそうな表情をした。
その目は俺ではなく、その後ろの鏡子を見ていた。
……あぁ、そうか。奴のその表情は、鏡子を想ってのものだったのか。
鏡子は泣いていた。
それはもう、酷く泣いていた。
「俺は、井谷という国の実態に詳しくないが、この国が元来の神治制の姿を大事にしていることは理解している。そうであるならば、巫女には何の権限もないはずなのに、何の罪もないはずなのに、俺たちは、殺さなければならないのだ」
そこで初めて、安久斗は胸の内を吐露した。
あぁ、その通りだ。この国の巫女とは、神を鎮めるための舞の奉納者、そしてまた、神と国民を繋ぐ神託者に過ぎない。
巫女は、俺が国民に伝えたいことを俺の代わりに話し、また国民の声を俺に届ける役割を持つ。
国政に関しては臣が最大権力を有し、巫女が収集した国民の状況を整理して、その時に応じた最善の政策を行う。
そこに、神は関与しない。
神は、臣の出した方針に従って動き、国を目指すべき姿へと持っていく役割を担う。
臣が描いた理想の国へと導くのが神の役割であって、それを支えて国民感情を調整するのが巫女の仕事なのである。
神治制の初期の姿とは正しくこれであり、神があまりに強大な力を持ってしまっては世界が崩壊してしまうために、その体制は厳格に守らねばならないとされたのだ。
だから、俺はそれを守っている。
よって、この国は臣の権限が強く、巫女の権限が弱い。
「……仕方のないことです。私は、誇り高き、井谷国の巫女ですから。井谷国と共に、死ぬことができて……それはもう、本望なのですよ」
泣きながら、鏡子はそう言った。
そこに誰かがすぐに何かを言うことはできなかったが、言葉を咀嚼して、気持ちを理解しようとして、そして言葉を掛けた奴がいた。
「国を誇れることは、素晴らしいことよ。そして、自身が支えるべき主君と共にこの世を去れることは、私たち巫女にとって、これ以上ない幸せよね」
三ヶ日おなであった。
「おなさん……」
鏡子は泣き腫らした目でおなを見た。
おなも、鏡子を見つめていた。
正直、鏡子の忠誠心は決して高いとは言えない。小さい頃から大人しく、奥手で、何をするにも3個上の閑蔵に馬鹿にされて、まるで自我というものを蔑ろにされてきたように思える。
それでも仕事はサボらずにやっていたし、閑蔵のことも兄のように思っていたようで、それなりに慕っていたように見える。
下手したら、俺に対する忠義よりも閑蔵に対する忠義の方が高かったのではないかと思う。
本が好きで、何もない日はずっと本を読んで過ごしている印象だ。
本当に、ただ大人しい奴だった。
濱竹の巫女とは、聞く限りでは真逆なように思えるが、それでも濱竹の巫女は、彼女のことを理解してくれたようだ。
鏡子は、今までで一番嬉しそうに笑った。
「はい。これ以上なく、栄誉なことです」
無理に言っているわけではない。それが本心であると、その笑顔が語っていた。
俺は目頭が熱くなった。
「……ならば、よかった」
安久斗も、少し震えた声でそう言った。
こうして我が井谷国は、二大統率国に降伏をし、41日に渡る井谷戦争は終焉を迎えたのだった。
ーーーーー
ーーー
ー
井谷俣治は、濱竹安久斗に対して、国宝である剣『始井土神剣』を手渡した。
国宝は、その国を治める神が保有する剣のことを指し、その剣は所有者の核を埋め込むことによって完全体となる。
つまり、所有者である神が生きている以上、その剣は完全体になることはなく、逆に神がこの剣で貫かれて滅びるその瞬間に、完全体へと進化するのである。
それを他国の相手に渡すということは、自分の命を相手に委ねるということを意味する。
それ即ち、降伏を意味する。
「お願いがある」
俣治は剣を渡す時、安久斗にそう切り出した。安久斗は黙って俣治を見た。
俣治は言う。
「この剣を、靜には渡さないでくれ。俺は靜に降伏したのではない。お前に降伏したのだ。俺は、お前にならこの剣を委ねて良いと思っている。だから、この剣はお前に託したい」
安久斗はそれを聞いて、困ったような表情を浮かべた。
「それでは、この剣が完全体となることはないぞ」
「それでいい」
安久斗の言葉に、間髪入れずに俣治が言った。
「だが、それではお前の核は消えてしまうぞ。いいのか?」
「あぁ、それでいいのだ」
安久斗は歯を食い縛った。
核を国宝に入れると、その核は剣の中で生き続けることができる。そして、使用者が呼び出せば、その神の力を少しばかり借りることができるようになる。その時だけ、核から意識が蘇り、少しの時間だがこの世へと舞い戻ることができるのだ。
かつてサハ戦争で、渡海勇を封印した『皇渡水神剣』を利用して、磐田大智が皇神種の力を一時的に借用したり、日渡萌加の暴走を抑えたりしたことがあったが、それは単にあの中に渡海勇の核が封じられているからである。
もし靜が、俣治を処刑する際に、この『始井土神剣』を用いれば、俣治の核はこの剣に納められ、有事の際に俣治を一時的に呼び出すことが可能になるが、このまま靜に剣が渡らなければ、処刑の際に核は分散し、文字通り俣治は帰らぬ存在になってしまうのだ。
「俺はな、俺の力が靜に使われるくらいなら、剣になんぞ入りたくもないのだ」
安久斗は、俣治の言葉に何も返さず、その剣をただ受け取った。
「だから、剣はお前が持っていろ。俺の核が入っていなくとも、井谷を滅ぼしたという証にくらいはなるだろう。俺は、お前が持っていてくれるなら嬉しいぞ」
それを聞いて、安久斗はゆっくり、小刻みに頷いた。まるで言葉をひとつひとつ噛み砕くかのように。
「分かった。残念だが、お前の意思を尊重しよう」
そう返して、安久斗は剣を丁寧に腰に刺した。
そして、俣治と鏡子を連れて上井谷神社を後にした。
俣治は、装甲車の窓から、徐々に離れていく神社を名残惜しそうに眺めていた。
その目から、涙が流れ出ていることを全員が知っていたが、指摘するような野暮な連中は誰もいなかった。
濱竹安久斗が井谷国を陥落させて本国へと帰還したのは、その翌日、冬至前60日の夜であった。
途中で根々川、銀谷、崖川、袋石、日渡の街中を通り抜けてきたが、その濱竹軍の大量の戦車と装甲車の列に、どの国の国民も驚いている様子であった。
しかし、いよいよ戦争が終わったのかという安堵も溢れていて、拍手や歓声が湧いたのだった。
濱竹本国では、安久斗の帰還に合わせて戦勝記念の式典が行われ、俣治の降伏文書調印もその式典の最中に行われた。
俣治は、なんとも居心地の悪さを覚え、日記に次のように残した。
『濱竹という国は、何度来ても馴染みづらく、その狂信的な国民は誰ひとりとして我ら他者を迎え入れてはくれない。今回、敗者としてこの地に入ったが、いつもよりは歓迎されているように思え、それが「濱竹安久斗に負けた者」という肩書きがあってこそのものであるため、心底忌まわしく思う。この国の民にとって、我々は見せ物でしかない。降伏文書の調印などというものは、普通に考えて公衆の面前で行うものではないだろう。敗者に選択権など存在しないが、この国に長く滞在することなど御免被る。さっさと靜に運べ。そしてさっさと処刑せよ。見せ物でいるくらいならば、まだ靜の劣悪な地下牢の方が居心地が良いのではないだろうか。』
その翌日、そんな俣治に、靜に移送するまでの間の仮住まいを提示してきた。
濱竹に入ったのが夜だったため、この日は浜松神社で夜を明かしたが、これからしばらく滞在することになるため、それなりの場所に置いておく必要があると安久斗は提案した。
そして、安久斗に連れられるがまま、俣治と鏡子がやって来た場所は……
ーーーーー
ーーー
ー
「ねぇ! だからここは濱竹の流刑場じゃないんだけど!?」
僕と花菜が買い出しを終えて神社の石段を登っていると、何やら境内で萌加様がどなたかと話されているように聞こえた。
濱竹の流刑場……?
その言葉に引っ掛かりを覚えながら石段を登り切ると、そこには萌加様の他に、安久斗様と、井谷俣治様、そして見知らぬ……いや、どこかで見たことがある女性がいらっしゃった。
「お、帰ったか。悪いがこいつら、少し預かっててくれ。じゃあな」
安久斗様は僕らを見るや否や、すぐにそう仰って空へと消えていかれた。
「あっ、ちょっと安久斗!? ねぇ! ねぇってば!」
萌加様は、そんな安久斗様に抗議なさろうとするが、それも叶わない。
「……えっと」
僕はこの状況を知るべく、とりあえず萌加様と俣治様、そして女性を交互に拝見した。
「安久斗のやつ、諸事情あって濱竹に置いておけないから、俣治と鏡子ちゃんを預かってくれって言ってきたの」
「そ、そうですか」
井谷戦争は、井谷の降伏によって昨日正式に終戦した。その神、俣治様と……
あっ、そうだ、思い出した。井谷国の巫女、畑薙鏡子さんだ。
「でも、預かると言ってもどうするんですか? 失礼ですが、お二方ともに連邦の叛逆者、処刑が確定しているような犯罪者ですよ? 留め置くにしても、自由にさせるわけにはいきませんよ」
花菜が萌加様に意見をした。
「そうなんだよね。安久斗からは『国から出さなければ自由にさせて良いぞ。今や日渡自体が俺の管理下にあって、鳥籠みてぇなもんだからな』って言われてるけど……」
萌加様はそう仰った。
鳥籠って。
「お前らも大概酷い扱いされてんよな。どうだ、もう一回叛逆してみねぇか?」
俣治様は冗談っぽく笑いながらそう仰った。
「冗談にならないからやめてよ」
それに笑えるような萌加様ではないようだった。
「ま、俺たちはお前らの指示に従うから勝手に決めてくれ」
俣治様はそう仰ると、磐田神社の境内を見て回られた。
「勝手に決めろって言われてもねぇ……」
萌加様はそんな俣治様をご覧じながら、困ったように呟かれた。
「とりあえず、明様と耐久様たちを召集しませんか? 僕らだけでは決めかねる問題かと」
僕がそう提案すると、萌加様は「そうだね」と頷かれた。そして、
「ちょっと呼んでくるから、その間に俣治と鏡子ちゃんの部屋を用意しておいて。臣館と巫女館でいいと思う」
と僕らにご命令された。
「分かりました」
「承知しました」
僕と花菜はそう答えて、館にお二方をご案内した。
その後、神治首脳部全員で話し合った結果、住まいは磐田神社の臣館と巫女館で決定したが、お二方の能力の使用を禁止することと、日中は渡海の福田神社までお遣いに出ることを義務づけた。
お遣いの内容は、その日によって明様が決定なさることになったが、果たしてどんなことになるのか不明である。
その決定を俣治様と鏡子さんにお伝えしたところ、両名とも快く受け入れて下さった。
なお、逃亡できないように、この国にいる限りは明様の御霊が見張りをするそうだ。
そして翌日、冬至前58日。
なぜか僕も明様に呼び出されて、俣治様と鏡子さんと共に福田神社にやってきた。
するとそこには、無数の民衆が集まっていた。
「ま、俣治様だっ!」
「巫女様っ!」
「巫女姫様っ!」
「俣治様!!!」
「井谷国、ばんざーーい!!!」
「ばんざーーーーい!!!」
集められた民衆は声を上げた。
泣きながら、まるで信じていた神を崇めるかのように、額を地面に擦り付けていた。
これらは全て、井谷国から避難してきた難民である。
「お前ら……」
俣治様もまた涙ぐみながら、
「すまなかった。俺は、我らが故郷を滅ぼしてしまった……」
深々と頭を下げて謝った。
鏡子さんも、大泣きしながら頭を下げていた。
「顔を上げてくださいっ!」
「井谷は不滅だっ!」
「我らは奮闘しただろうが!」
「そうだ、そうだ!」
民衆は、俣治様と鏡子さんに温かな声を送っていた。
全員が泣いている。
それほどにまで、国民に愛された神だったのだろう。
「さて、それで今日は、俣治に井谷国の歴史や、これから元井谷国民であるあなたたちに託す想いを語ってもらおうと思うわ」
放置しておけば、いつまで経っても事態が収集しないだろう。なので明様がそう切り出して、この会の目的について話してくださった。
つまるところ、これは『講演会』ということだろうか。
「なお、多少の言論の規制は行わせてもらうわ。連邦に叛逆する意思を植え付けないことと、他国を見下すような発言は認めないわ」
明様は、俣治様にそう注意された。
「あぁ、分かっている」
俣治様はそう仰ると、井谷国民に向けて国の設立から連邦加盟のあたりまでをざっくりお話しされた。
中でも印象的だったのは、
「安久斗とは、奴がまだ遠淡濱竹と名乗っている頃からの知り合いで、ただ仲が悪かっただけではないのだ。昔は共に富田山を獲ろうとして、バカやってた時代もあったんだ」
と懐かしそうに語られたところだった。
反靜・反濱竹思想に染められている井谷国民は、その言葉に心底驚かされたようで、皆目を見開いてポカンとしていた。
そして、靜連邦に加盟することになった辺りから、俣治様は細かくお話なされた。
「そうして井谷は、元来仲が良かった山奈や永井に入ることはできず、接岨と田代を殺した靜の下に入ることになった。だが、蓋を開けてみれば、山奈と永井は関東に吸収され、おそらく俺は、あの時甲信に入っていれば今頃関東の中でただの下野始神種として暮らしていただろう。もしかしたら、既に晒されていたかもしれない。俺はその時、なんとしても靜連邦の独立を守らねばならないと思った。三分の一の確率で生き残ることができたんだ。奇跡と言っても過言ではなかろう。この時ほど、俺は靜に感謝したことはない」
そんな過去があったのか、と驚くばかりである。
そして俣治様は、胸に秘めている意思を国民に伝えた。
「俺は、靜連邦が関東や中京の手に落ちるのを見たくない。特に関東にだけは屈してはならない。連邦の独立が保てなくなれば、靜以外の全ての国家が、その長い歴史に幕を閉じることになる。それではダメだろう。靜は祖神種だから、その辺りの危機感が異常に薄いように思えてならないのだ。だから売国じみた行為にだって走るし、連邦加盟国家を蔑ろにするような行動も平気で取る。思えば渡海事変も、今回の井谷戦争も、あれだけの惨事に至ったのは靜が関東の顔色を伺いすぎていたからではないか! それではいずれ連邦は崩壊する。関東統一連邦に吸収される。それは防がねばならない。そのために、俺は立ち上がったんだ。この腐り切った連邦社会を正すために、俺は戦争をしたんだ!」
靜の批判が入っていたけれど、それを明様がお止めになることはなかった。おそらく明様も、何か思われることがあったのだろう。
「お前らに、命をかけて戦ってほしいとは言わない。何なら、命は大事にしてほしい。戦争以外の何か別の方法で、この世の中を正す者になってほしいと願っている。できるならば、日渡や濱竹には、連邦社会を守り、俺が目指したような、祖神種第一主義から世界が解放されるように動いてほしいと思っている。そのために、民であるお前たちには、しっかりその土地の義務に従い、その神に尽くし、今守るべき国を愛して、精一杯楽しみながら生きていってほしい。それが、今あるべき正しい世の姿だと思うからな」
俣治様はそう仰って、お話を終わられた。
世を正す者になれ。
僕らに何かできることはあるのだろうか。
今まで何か、俣治様のように、大きな志を持ってやってきたことはあっただろうか。
思い返してみると、いつも自分が目先のことばかりを見て行動してきたように思えてならない。
俣治様の意思を受け継ぐのは、井谷国民だけの使命ではないだろう。その同盟国であった僕らもまた、俣治様の意思を受け継ぐ使命がある気がする。
少なくとも、今の発言を聞いてしまったからには、僕はじっくり考えようと思う。
目先のことだけじゃなくて、もっと今後のことについても。
この国がより良くなるために。そしてまた、この国が生き残るために。
井谷戦争の敗戦国は、井谷だけじゃないのだから。
井谷戦争
最終章
225『靜連邦のために』
226『何のための支援』
252『奴の菩提を弔ひて』
227『井谷軍最後の抵抗』
228『塩見岳の戦い』
229『世を正す者』
これにて終了。
次回、幕引。230話をお楽しみに。




