2-52(閑話)『奴の菩提を弔ひて』
占領していた井川神社を井谷軍に奪還された濱竹は、井谷に対し「少しばかり休戦しないか」と提案した。
井谷はそれに応じて、神紀5000年冬至前74日に、濱竹領犬間にて井谷俣治と濱竹安久斗の会談が実現した。
なお、この休戦協定には靜も同意しており、濱竹は統率国として、靜連邦の総意を背負っての出席という扱いになっていた。
「わざわざこんな火種しかない地域に来てくれてありがとな」
犬間に来た俣治に、安久斗はそう伝えた。
「まぁお互い、今の状態で敵国の本土に行くのも気が引けるし、どっちも領有権を主張している犬間ら辺がちょうど良い場所なんじゃねぇか?」
俣治はそう言って笑った。安久斗は「分かってんじゃねぇか」と返し、
「でだ。早速本題に入ろうか」
と切り出した。俣治は真顔で安久斗を見つめた。
安久斗はそんな俣治に言った。
「これから我々靜連邦諸国は、井谷国を完全に滅するべく、井川および上井谷に至るまでその全土に総攻撃を仕掛けるつもりでいる。その際、戦う意志を持たない国民にまで被害が及ぶ事を極力避けたい。だから、国民の避難を推奨し、その期間として7日間の停戦を統率国から提案する」
安久斗の言葉に、俣治は、
「避難させる場合、どこに逃せばいいんだ?」
と質問した。安久斗はそれに対して、
「難民は我が国が引き受け、現状濱竹の占領下に置かれている日渡の渡海地区で保護することとなっている。停戦に応じてくれるのなら、早急に使者を送ろう」
と返した。井谷国は、兎山明が統治するようになった渡海自治領と非常に親しかった。そのため避難先としてはこの上なく良い場所であったが、同時に懸念されることもある。
「おい、いいのか? 渡海に井谷国民なんて入れたら、日渡国内に濱竹に対する一大反発勢力が出来上がるんじゃねぇのか?」
俣治が訊くと、安久斗は鼻で笑って、
「明が今の濱竹に反発するとは思えんし、何よりも萌加が許さない。あいつの決断は、時に著しく無慈悲だ。それに、今の臣は生半可な判断を許さない奴だ。統治に楯突く存在や、自分たちに益をもたらさない者は容赦なく排除するだろう。だから、今の日渡を我々大国はあまりみくびるべきではない」
と見解を述べた。
「そうかよ」
俣治はそう返して、続けて言った。
「ならば受け入れよう。俺も、国民にまで死を強要する気はない。戦う意志のない者は生きて、この先の世界を見てほしいと願っている」
こうして井谷は濱竹からの停戦に応じ、井谷戦争は冬至前73日から66日までの7日間、停戦することになったのだ。
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神紀5000年、冬至前73日。
この日、僕ら日渡上神種と日渡神務局員数名、それと萌加様、明様、耐久様は、安久斗様の指示で井谷国に向かった。
目的は、停戦期間中に井谷国民を渡海に避難させること。僕らが不在の間の日渡の神治は全て、占領国である濱竹が行うということだった。
ほんの数日前までとまるで状況が逆転しているが、正直神治の負担がなくなったため、休暇のような気分になり僕らは非常にのびのびしていた。
とはいえ、井谷国への道のりは楽ではない。武豊から昇竜行政区に入り、ひたすら山を越えていくのだ。
僕らは今回、下神種も多く同行しているため、飛んで移動することができない。そのため、井谷までは丸2日かけて徒歩で向かうのだ。
濱竹から井谷への道は、領土問題を抱える犬間地区を通るため、普段は通行を禁じられている。本来、日渡から井谷に向かう主流な街道といえば、銀谷国から北上し、根々川国を通り抜けて井谷国に至るもので、また別の道としては周知国から細い山道を越えて根々川国に入り、そこから井谷国に向かうというものであったが、戦争の終結まで僕ら日渡勢力は、連邦内の取り決めで濱竹以外の諸外国への入国が制限されたため、仕方なくこの道を通っているのである。
しかし、濱竹軍が戦車を含む歩兵団を通した影響だろうか、道は思っていたよりも広く、また想像よりも険しくなかった。
宿として使った濱竹国昇竜行政区の水窪(ここは妖精連邦の支配領域とも重なっている地区で、神類と妖精が別々で統治をしている状態にある。僕らは当然ながら神類の集落に入った。)から、戦車が踏み分けたであろう山道をひたすら歩き続け、昼過ぎには犬間を通り抜け、有名な秘境の景勝地“寸又峡”を眺めながら東へ進み、日没直前に井谷国境を通過した。
国境の関所に立ち並ぶ建物のほとんどが焼けていて、残っている建物も砲弾や銃弾で穴が空いたり崩れたりしていて、井谷軍と濱竹軍が酷く抗争したことが分かった。
関所から、井谷軍西部守備隊の付き添いの下で山を降りて、日没から一刻が過ぎた頃、井川神社に到着した。
「ようやく来たか」
僕らが神社の境内に入ると、そこには既に俣治様が出迎えていらっしゃって、そう声をかけてこられた。
「険しい山を2日で越えてきたんだよ? 少しくらい労ってくれてもいいでしょ」
萌加様がそう言葉をお返しになると、俣治様は「ふっ」とひとつ鼻で笑われて、
「悪いが今、そんな余裕はねぇな。停戦期間は無限じゃねぇんだ。限られた時間の中で、最期の戦いに向けて準備をしなければならんのでな」
と告げられると、本殿脇の臣館から閑蔵さんを呼びつけると、僕らを客間へ案内するように命じられた。
僕らは閑蔵さんに連れられて、臣館の客間に移された。
客間は、萌加様が1部屋と、明様と耐久様が共同で1部屋、上神種がまとめて1部屋、そして下神種がまとめて1部屋と、合計4部屋が与えられた。
今夜はこの部屋で夜を明かして、明日の午前に萌加様、明様、耐久様と俣治様の会談が入っている。また午後には疎開をする井谷国民の招集があるので、神々が会談をしている間に上神種と神務局員で受け入れの準備を進めることになっている。
具体的に言えば、境内に何個もテントを建てて、国民が一夜を明かせるように整える仕事だ。
出発は明後日の早朝で、また水窪を経由して日渡に戻ることになっている。
思っていたよりも重労働であるが、頑張るしかない。
今日は早く寝るべきであろう。
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冬至前71日、午前。
私は、萌加と耐久と共に、俣治との会談に臨んだ。
「すまないな。結果論にはなるが、色々と巻き込んでしまった」
俣治は開口一番、私たちにそう謝った。彼の表情には疲れが見えていて、この数日、濱竹から攻め入られたことが相当応えているように察せられた。
「謝らなくていいよ。わたしたちも、わたしたちの意思で靜との対立を選んだわけだし。俣治に巻き込まれたわけじゃないよ」
萌加は俣治にそう声を掛けた。俣治はその言葉に納得を示さずに「それでも同盟国は同盟国だ。お前らには、本当に迷惑をかけた」と言ってきた。
それを言うなら、私にだって井谷と同盟を結んだ責任がある。事実、井海同盟が源流となって日井同盟になったのだから、俣治ひとりがその責任を負う必要はどこにもない。
「わたしたちはわたしたちの意志で支援をしただけだよ。日井同盟には、井谷が戦争になった場合に日渡が何かしなければならないなんて契約はないんだから」
萌加はそう言って、あくまで戦争に介入したのは自分たちの意志であることを伝えた。
日渡がこの戦争に関わって、そして事実上統率国に敗北し、占領されたということに、井谷俣治が一切の責任を感じる必要はどこにもないと、暗に言っているように思えた。
「そうかよ」
俣治は、やけに落ち着いた声でそう言った。彼はきっと、私たちが何をどれだけ言おうとも、全ての現状を自分の責任であると思い続けるのだろうと、その態度から感じた。
「まぁいい。今日はとにかく、最悪の事態に備えた話をしておきたい」
俣治はそう言うと、私たちに告げた。
「もし井谷が滅んだら、お前らの国に疎開させた国民は、そのまま日渡の民として受け入れてほしいんだ」
その言葉に、萌加も耐久も目を見開いて黙り込んだ。
「普通それは、戦勝国が判断するような話だと思うけど?」
萌加も耐久も言葉を発さないため、私が俣治に質問すると、
「その判断をなんとか操作してほしいんだ。まぁ操作というと大袈裟だが、なんとか連邦諸国を説得して日渡の民として認めさせてもらいたい」
と彼は言った。
「なんで?」
そう訊いたのは萌加だった。俣治は答えた。
「井谷の国民は、靜にも濱竹にも良い印象を持っていない。これは臣家と巫女家が行なってきた情報統制や教育の賜物さ。おかげで靜や濱竹に行くくらいなら死んでやるとか、レジスタンスとして活動していつか内部から崩壊させてやるとか、そう考える奴が出てきてもおかしくない。というか、現にこの戦争でそうなりつつある」
「もし靜や濱竹の統治下に井谷国民が入れば、確実に悪い方向に話が進みかねないと?」
耐久が確認すると、「そうだ」と俣治は言った。続けて彼は、私たちに言った。
「だが日渡なら国民感情は荒くない。同盟国なのは言うまでもなく、靜に強気な姿勢を見せたこともあったし、短期間だが濱竹を占領したこともある。特に兎山率いる渡海とはここ数年来の付き合いであるし、何よりもあの気難しい臣、井川閑蔵が認める相手だからな。井谷においては神よりも臣と巫女が重視される。殊に井川家は、臣家であることから信仰対象に近い扱いをなされている」
「だから臣がやりたい放題の国家なんだな」
井谷における臣家の影響力について知った耐久がそう呟いたのを、俣治は律儀に拾って返した。
「それが本来の“神治制”の姿だからな」
その言葉に、私は賛同の意を示す。しかし耐久は「時代にそぐわない考えだがな」と呆れている。萌加は何か思うところがあるのか、俯いたまま黙っていた。
神が口を挟めば世界は荒れる。
神が国を直接動かせば、必ず些細なことで戦争が起こる。
今から3年と半年前、日渡の神治制の在り方が変わった。
それまでは兎山を引き継いで、臣と巫女に絶対的な力がある、井谷と同じような形態の国家だったのに、4997大変革で分散神治制が導入され、さらに神が国民に姿を表せるようになり、神治に直接関わることができる、濱竹のような国家形態になった。
その結果かは不明だが、今、私たちを取り巻く環境は物騒な方向に変化し続けていると思う。
世界が変わったのか、私たちが変わったのか。
しかし間違いなく、世界単位で物事が動いていることが明らかだろう。
神が出しゃばる世界は、祖神種、始神種、皇神種といった絶対的な序列の影響を受けるために、恐怖政治からは逃げることができなくなる。そして、誰も逆らえない祖神国家をもとに関係が構築されていく。
一方で神を中心とせず、あくまでも国家の所有物として神が存在する場合、国を動かして、外交をするのは皆等しく上神種になる。神はただの後ろ盾であって、上神種からしたら確実に敵に回せない存在なのだから、たとえ相手がどの国であろうとも容易に戦えない、踏み留まる抑止力になるはずなのだ。
だからこそ、神治制は優れていた。
平和に世界を束ねることができる制度だったはずなのだ。
でも、いつの間にか変わっていた。
戦犯が誰かは不明だが、いち早く出しゃばったうちのひとりに濱竹安久斗が挙げられるだろう。
彼は常識を変えることで、皇神種という劣勢の立場でありながら超大国を築き上げたのだ。
世界の平和を犠牲にして。
「話が逸れたな」
神治制について考えていたら、俣治が話を戻した。
「とにかくだ。終戦後の連邦の治安を考えるなら、確実に井谷国民を日渡に移すべきだ。きっとこの地は濱竹か靜の支配下に置かれる。そこに井谷国民が居れば居るほど、その統治は難しくなる。火種が増えるだけなんだ」
だから国民は日渡がなるべく多く抱えるべきだ、と彼は主張した。
それに対して萌加は、
「考えておくよ。でも、あまり期待はしないでね」
と返した。
「やはり靜に歯向かうのは怖いか?」
俣治がそう萌加に訊くと、萌加は苦笑いを浮かべながら「それもあるけど……」と前置きすると、少し言いづらそうにして、
「誰だって、自分の国を強大なレジスタンス勢力の巣窟になんてしたくないと思わない?」
と俣治に問いかけたのだった。
そうね、それを聞いて思ったことを一言で表しましょう。
萌加らしいわね。
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テントの設置を終えた僕らは、井谷国の神治首脳部の面々と一堂に会して昼食を食べた。
井谷国は集中神治制の国ではあるものの、神務局と軍統括機関を統合したような“国営団”という組織が存在する。この国営団は、国民の有志によって成り立っているとされるが、その実情は井川一族、畑薙一族の分家や親族が大元をなしているとのことだった。
中には、その生家に関わらず、臣や巫女を狂信的に崇拝する国民も加盟しているようであるが、それらのことを踏まえてみても、あまり心象はよろしくない。
食事会の中でも、僕ら日渡を「靜の犬」や「片田舎の弱小国家」というように思っている者が大半のようで、特に日渡の神務局員の下神種に対しては無視や軽くあしらう場面があった。
いくら元の血筋が上神種だからといっても、一国の官僚級の相手を見下す態度を見せて良い理由にはならない。
そう、これが国営団という組織であり、この国を真に担う機関であり、実体なのだ。
この組織があるということこそが、今まで井谷が連邦中から相手にされてこなかった(即ち連邦中が相手にしたくなかった)強い理由なのだろう。
僕は初めて知ったこの実態に、井谷国に対して少しばかり失望した。
明様や萌加様は、おそらくこの組織のことをご存知だったであろうが、その存在を今まで僕らに隠していたのだろう。
僕らが国営団を知ってしまったら、真の井谷国を知ってしまったら、良い印象を抱きにくくなってしまう可能性を恐れられたのだろう。
それは、同盟国としては非常によくない事態だから。
何かやりきれない思いを抱えたまま食事会を終えて、神社に疎開する国民が集まり始める前に、僕ら日渡神治首脳部は、俣治様と臣の閑蔵さん、巫女の鏡子さんと共に、国葬墓地に向かった。
国葬墓地というのは、歴代の臣と巫女、また下野始神種が葬られている墓地である。井谷国には俣治様の他にかつて2名の神がいたと聞いている。その神々も埋葬されているような場所に、僕らはひとり1つ花束を抱えてやって来た。
なぜか。
それは、ここに日渡と関係がある者が埋葬されているからである。
「こうして来ると、複雑な気持ちになるわ」
そう呟かれた明様は、大きく盛られた首塚を前にして、膝をついて、丁寧に花束を置かれた。
「左から、御厨翔、御厨こずえ、御厨いちか、鎌田大光、鎌田鈴菜、鎌田秀治郎、鎌田宏、鎌田和紗、鎌田淳太郎だ。あの節は本当に済まなかった」
花束を置く明様に向けて、俣治様がそう仰った。
そう、ここには年始に井谷国によって殺害された、日渡上神種の御厨家と鎌田家の首が葬られているのだ。
日渡上神種6名と、領主、領祖、神の計9名が、手に持った花束をひとりひとつの首塚に置いた。
左から、明様、湊、花菜、僕、司さん、耐久様、壱さん、竜洋、萌加様の順で並び、それぞれが花を手向けた。
僕は、2歳を目前にしてこの世を去った、実の甥である大光を弔う。
彼は将来、僕に代わって臣になり得る存在だった。僕もそのつもりでいた。でも、それは叶わずに殺されてしまった。
弟の大志が殺されて以来、僕がやってきた行動は、もとより大光に臣を継がせるが故に起こせたものばかりだった。恐怖による支配、横暴で、罷り通らない粛清の数々。それらも全て、僕が近い将来、臣から退くことが確定していたからできたことだった。
でも、その代わりとなり得る大光が死んで、僕は当面、臣を続けざるを得なくなった。そして、磐田家の臣の血筋は、僕のものしか残らなくなってしまった。
ねぇ、大光。まだ幼子の君にこんな話をするべきではないんだけど、僕はね、願わくは君の、もっと言えば君の父に当たる大志の血筋が残って欲しかったんだよ。
善政を敷いた磐田大志という先代の臣は、僕にとって自慢の弟だった。きっと君も、このまま数十年生きていくことができたのなら、彼を自慢の父として尊敬することができたはずなんだ。
そのくらい、この日渡にとっての転換期を生み出した偉大な臣の血統を、僕はそれこそ神に勝るとも劣らないような系譜として残したかったんだ。
だからね、大光。
君は僕の自慢の弟の息子、日渡随一の誇り高き臣の血筋を持った、かけがえのない甥っ子なんだよ。
何もしてあげられなかったけど、何も話せなかったけど、そして、もう話すこともできないけど、僕は君のことを忘れないよ。
安らかに眠れ。
僕の大事な甥っ子よ。
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隣にいる大智は、長い間、大光に手を合わせていた。
私はそれを横目に見たあとで、自分が塚に置いた、横たわる花束に視線を移した。
この塚の下に、あの子がいるなんて。
それが事実だと、信じられずにいる。
私が、彼女との思い出で最も記憶に焼き付いているのは、小林かささぎの処刑の夜のこと。
あの夜、彼女は私たち日渡派を馬鹿にした。「かささぎが死んで償うのだから、私たちも彼を許して終わりにしろ」と、何も事情を知らないまま口を出した。
正直、第一印象は最悪だった。
大喧嘩になって、殺し合って、でもお互いに殺せなくて。結局は大智と美有ちゃんの仲介で事が収まったけれど、私はいつまでも、御厨いちかという女を許せなかった。
だけど、あの日。首のない彼女の遺体を見た日。私は強烈な憎悪に見舞われた。
許せなかった。いちかを殺した連中が、その首を荷物のように持ち去った連中が、心の底から憎かった。
何故なのかは、私自身分からない。でも、本当に憎くて仕方がなかった。
いちかと私は、きっとお互い上手くやれないと感じる溝があったと思う。だけど同時に、お互いにしか抱かれない特別な感情もあった。
一緒にいて心地が良かったわけではない。
とはいえ、一緒にいるのが嫌だったわけでもない。
私たちは、お互いにお互いを唯一無二の位置につけていて、それは他の誰にも代えられない存在となっていたように思える。
ライバル、なんて言い方は少し違うんだけど、限りなくそれに近かったように感じる。
……ちょっと怖いことを言うのなら、私は心の奥底で、彼女を殺したかったのかもしれない。
彼女を殺せるのは私だけなんだって、そういう謎の理論すら持っていたかもしれない。
でも、殺せないことも分かっていた。
だから、先に死んだのが、そして私以外の誰かに殺されたのが、たまらなく悔しくて恨めしかったのかもしれない。
こうして振り返ると、私は、認めたくないけれど、認めざるを得ないひとつの感情を抱いていたんだろう。
御厨いちかという女のことを、欠かせない仲間として認めていたんだ、って。
残念ながら、彼女の笑顔は思い出せないけど、その声は、未だによく覚えている。
生前は耳に鬱陶しく焼き付いていたそれも、今となっては、また聞きたいと願ってしまうものに思えている。
その言葉を紡いだ顔は、今、私が置いた花の下にあるんだね。
……また、笑顔を見せて。
みんな待っているから。
今度会えるのはずっと後だろうけど、その時は、僻みあいながらも言葉を交わそう。
それまでは、大志くんと、大光と、幸せに笑っていてよね。
私たちのことなんて気にしなくていいから。
いずれ集まろう。神じゃないんだから、みんな割とすぐそっちに逝くからさ。
それまで、待っててよね。
ーーーーー
ーーー
ー
冬至前70日。疎開する井谷国民を率いて、日渡の連中は井谷から去っていった。
それを眺めながら、俺はどうも今までに感じたことのない寂しさを覚えていた。
国民のほとんどが消えていったからだろうか、それともあの騒々しい日渡の連中が帰ったからだろうか。
強烈な寂しさは、誰か話し相手を欲していて、しょうがないから本殿から出て神社の裏手に回った。
そこにある、苔むした2つの墓石の前に屈んだ。
井川接岨と、畑薙田代。俺と共に、かつてこの井谷の地を治めた友よ。少し話し相手になってくれよ。
訊くが、俺はお前らとの思い出が詰まったこの井谷の地を守れたと言えるだろうか。
既に敗戦の色は濃い。この地はまた、かつてと同じように蹂躙されるだろう。
「最初に仕掛けたのはお前だろってか?」
接岨にそう言われた気がして、俺は思わず呟きながら笑ってしまった。
「馬鹿を言え、俺はこの連邦を守りたいだけだ」
そんな言葉を溢してみると、
「どの口が言うか、か。そう見えるのも仕方ないな」
今度は田代に言われた気がした。
だが、お前らにだけは伝えておきたい。俺の本音を、お前らだけは知っていてほしい。
「俺はな、本気で靜連邦を守りたいんだ」
墓石から、視線を空に移した。
空には秋の雲が薄くたなびいていて、涼しい風が心地よく流れていた。
木々が騒めく。それが妙に安心を与えてくれていた。
思い返せば、井谷という地は、連邦制が発足したばかりの270年前、3体の祖神種が取り合う場所となっていた。
あの頃、山奈と永井と靜が、それぞれの連邦に俺を勧誘していた。
古くから交流がある山奈や永井と共に連邦を築くことが、俺にとって望ましかったが、靜にとってはそれが脅威で、国境を接する大国が他連邦に加わるのを防ぐために接近して来た。
靜と俺は、当時から非常に仲が悪かったが、山奈や永井を味方にしないまま争えば確実に生き残れない相手であったため、俺も波風を立てようとしなかった。
そして、3体の祖神種がそれぞれ井谷の地に唾をつけ始め、遂には祖神種による話し合いで井谷の所有権を決めることになった。
俺は、靜連邦にだけは入りたくなかった。接岨を、田代を殺したあいつらとなんぞ、一緒にいてたまるかと思った。
それに、靜連邦には俺を裏切った濱竹もいるのだ。入りたいなどと思えるはずもないだろう。
しかし、その話し合いの末、井谷を獲得したのは靜連邦だった。
俺に拒否権は与えられず、気づけば靜連邦の一員としてそこにいた。
また、当時の臣と巫女が波風を立てたがらない奴らだったため、靜に従順な態度を示していて、井谷国としても「靜連邦に入ったからには大国として貢献してやる」というスタンスだった。
結果、連邦の軍事を積極的に担って、北方の守護に力を注いだ。
連邦が発足してから100年くらいが経ったろうか、その頃は既に早々に山奈と永井は連邦同士を合併させて甲信連邦などと名乗っていたが、その甲信連邦が関東連邦に敗北して、関東統一連邦が誕生することになった。
世界初の統一連邦は、その内部を南四、北三、甲信の3つに隔て、同時に祖神種のみが国を持てるよう定めた“祖神種絶対主義”なるものが登場した。
特例として、南四の祖神種に従順で群を抜いて頭が切れる者のみ祖神種でなくても国を持てるようにされたようだが、甲信連邦の中では安陵という小国だけがそれに該当し、あとは等しく祖神国家に統合され、神々は処分された。
それを見て俺は、靜連邦で生きていることに言い表せない安堵を感じた。
同時に、靜連邦を絶対に統一連邦の手に落としてはならないと、独立を守り抜かなければならないと、そう思うようになった。
例え自分の命が無くなろうとも、靜連邦だけは守らねばならない。
だから、靜や濱竹が関東に接近しようものなら容赦なく批判して、関東が連邦の内政に入り込もうとしたならそれを阻止するべく軍を動かした。
また、祖神種絶対主義を定着させたくないという思いもある。名目上は独立を保った連邦であろうとも、中身が関東統一連邦では意味がないのだ。
それらを阻止しようとした結果として、今こうして戦争になってしまったのだが、それでも微塵も後悔はないのだ。
濱竹が帰って来て、祖神種絶対主義の阻止に繋がっただろうし、関東が靜連邦から徐々に撤退しているのも事実である。
靜の売国行為は到底許せるものではない。
俺は、靜連邦に入ったことで今を生きられている。俺以外の連中も、それに気付いてほしい。
だからこそ、俺たちが少しでも長く生きられるように、その独立を保ち続けてほしいのだ。
例え俺が死んだとしても、靜連邦が関東統一連邦にならないように、二度と売国行為などに及ばないように、統率国にはきちんと連邦を、加盟国を守ってほしいのだ。
ま、こんなこと、連中には言えねぇけどな。
あとは戦って散るだけだ。
連邦の叛逆者として悪名を残そうが、この連邦が残るのなら、俺はなんでもいい。
誰が不器用な奴だって?
「はっ、言ってろ」
接岨も田代も、俺を馬鹿にしすぎだろ。
まぁいい。愚痴は近々、ちゃんと伝えるさ。
どうせ、もうすぐ会えるからな。
酒くらい用意しとけよ。
「そんな贅沢品どこにもねぇってか?」
おいおい、何を言ってやがる。
ないなら作れ。
「……作れねぇのか?」
しゃーねぇな、持ってってやるよ。
俺は瓢箪に入れた水を、2つの墓石の上からかけた。
飲みかけの水を頭にかけるな、と怒られた気がした。
はぁ、水が飲めるだけ感謝しろよ。
まったく。自然と笑みが溢れちまうくらい面倒な連中だな。
ーーーーー
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昇竜川の、河口からおよそ5kmほどの位置、日渡と濱竹を結ぶ日竹大橋の北500mほどの右岸の河原に、作られておよそ3年の石碑が立っている。
碑の表には『小林かささぎ燃刑の地』と刻まれ、裏には以下のような記述がある。
『四九九七年夏至前十二日未明、日渡国臣磐田大貴が殺害され、科者として当時の濱竹北濱行政区長の小林かささぎの名が上る。連邦裁判で死刑が告げられたかささぎは、夏至後卅八日の夕暮に日渡萌加神によってこの地で焼却され、24年の生涯に幕を下ろした。しかし生前、我らが安久斗神も認めるほどの才気を持ち合わせたかささぎは、処刑を以て歴史より忘却されるには余りに惜しい者であるため、この碑は彼の存在を後世に知らしめるべく、濱竹国および日渡国の共同出資にてこの地に建てる。
神紀四九九七年冬至前吉日
日渡国臣磐田大志 濱竹国臣浜松ひくま』
今日、神紀5000年冬至前69日、この石碑の前に軍服を着た大柄の男の姿があった。
その名を中田島砂太郎という。
「お前の墓は存在しないからな、せめてこの碑を墓代わりにせねばならん」
砂太郎は碑に話しかけた。当然、碑は何も言わないが、それでも砂太郎は独り言とは思えない声音で語りかけた。
「なぁ、かささぎ。お前が死んでから、随分と物騒な世の中になっちまったんだぜ?」
砂太郎は、4997年以降に起きた数々の出来事を思い返しながら話す。
「あのとき起きた人類反乱も相当不可思議なものだったが、その年の秋には渡海が滅んで、その年の冬には関東と中京と一緒になって北端と戦争してんだ。信じられるか?」
「信じられませんね」
砂太郎の言葉に、声が降りかかった。
当然、石碑が喋るわけもなく、しかもその声は女のもので、砂太郎の背後から降り注いだのだった。
砂太郎は驚いて振り返ると、そこには軍服姿のちんちくりん少女が立っていた。
「なんだ、お前か。脅かすなよ」
砂太郎は少女にそう言った。少女は何も言わないまま少し前に出て、砂太郎の隣に並んで石碑を仰いだ。
その少女の名を、小松喜々音という。
「お前もかささぎに挨拶か?」
砂太郎が訊くと、喜々音は小さく頷いた。
「そうか」
砂太郎はそう返し、喜々音と共に碑を仰いだ。
喜々音は砂太郎と会話をするつもりはない様子だったため、砂太郎も執拗に構わないで、互いに黙って碑を見つめていた。
そのまま数十秒、否、何分か経過しただろうか、石碑の前で佇み続けていた二者だったが、先に沈黙を破ったのは喜々音だった。
「ところで、将軍様は小林様に何を話されたんですか?」
その質問に、砂太郎は「色々あるが」と言ってから、
「一番伝えたかったのは、今から戦地に赴くぞということだな」
と喜々音に告げた。その言葉に、喜々音は砂太郎を見ると小さく微笑んで、
「私もです」
そう返した。
「空から見ていてほしいとまでは言いませんけど、どうか私たちの作戦が上手くいきますようにと、そうお願いしました」
喜々音がそう言ったら、砂太郎はゲラゲラと大笑いして、
「なんだ、それではまるで、かささぎが神にでもなったかのようではないか」
と言った。喜々音はそれにムスッとした表情を浮かべると、
「死んでしまえば神みたいなものでしょうに」
と呟いた。
「まぁ確かに、神よりも身近で、もっと親身になって聞いてくれるやもしれんな」
拗ねる喜々音に砂太郎はそう言って、
「聞き入れてくれるといいな」
と笑いながら言った。
喜々音はひとつだけ頷いただけだった。
「それとお前、この前言ってた好きな奴の話、こいつにしなくていいのか?」
「なっ……!?」
ニヤつきながら砂太郎が訊くと、喜々音は珍しく動揺して、赤面しながら砂太郎を叩いた。
「馬鹿なんですかっ! 言えるわけないですよ! これから戦争だってときにそんなこと言ってもいられませんし、何よりも別にもう好きでもなんでもないんですからっ! 大智さんはもう湊さんと仲良く……」
砂太郎を叩きながら早口でそう言った喜々音だったが、そこまで言って「あっ……」と小さく言葉を溢す。
対する砂太郎は、より一層ニヤリと笑んでいた。
「ほぉ、相手はあいつだったのか」
砂太郎は揶揄いを兼ねてそう漏らすが、何か思い立ったのか「待てよ」と呟くと、ジッと喜々音を見つめた。
喜々音の顔には、恥ずかしさよりも絶望感が前面に出ていた。
そして砂太郎は気付いた。
「お前……磐田の次男坊ということは、臣ではないか!」
「うぅ……」
喜々音は小さくなって涙を流した。
「だって、だって。臣になる前からだったんですよ。まさかあいつがそんなに早く臣になるなんて思わないじゃないですか!」
その言葉に、砂太郎は「ふむ」と唸った。
しかし、喜々音の言葉は嘘であった。彼女が関係を持ったのは、大智が臣になってからのことである。
とはいえ、砂太郎にそれを見抜くだけの判断材料があるはずもなく、彼女の主張を受け入れると、
「まぁいい、関係を持ってしまったことは今更どうしようもない事実だからな」
と喜々音に言って、
「だが、これが周りに知れれば問題となることは明白だ。俺たちだけの隠し事とするぞ。俺もこれ以上は詮索しない。お前も、この件は胸の内に秘めておけ」
そう告げた。
喜々音は「無理やり聞いたくせに」と少し不服そうだったが、溢したのは自分の失態であったため、それ以上の反抗は見せなかった。
「かささぎ、お前もだ! いいな?」
砂太郎は石碑に向かってそう言った。
もちろん石碑は何も言わないが、その突飛な行動に、少しだけ喜々音の心は慰められて、まだ乾かない涙の上から、笑みが溢れ出たのだった。




