2-26『何のための支援』
「ね、」
日渡が濱竹に降伏したその日、議事室を出る時に後ろから喜々音が声をかけてきた。
僕が振り返ると、
「よくあおい様に盾付こうと思ったね」
黒皮のブーツをコツリコツリと鳴らしながら近寄って来ながら、そう言ってきた。
「気に食わなかっただけだよ。僕らよりも靜の方が連邦を困難に巻き込んでいるのに、その責任を全部なすりつけようとしてきたことに腹が立ったんだ」
僕がそう返すと、喜々音は「そっか」と言いながら遠慮がちに笑顔を見せた。
久々に会った彼女とは、少し気まずさがある。でも彼女は、まるで僕が抱いているような感情は一切抱いていないように接してくる。
あの日、二度と関わるなと言ったのは彼女の方なのに。
そんな喜々音は、僕の隣にいる湊にふと視線を向けて、そして目が合ったようで、自然な笑顔で一礼をした。
湊も礼を返すが、同時に彼女は僕の左腕に身体を寄せた。小動物のような反応だが、喜々音に対してこのように警戒したような行動を取るなど少し意外であると同時に、湊の中にある思考回路が解るような気がして、僕自身、少し窮屈な、申し訳ない思いになった。
「それで、大智さん」
喜々音が僕の名前を呼んだ。
「ん?」
彼女の表情は依然笑顔のままだったが、その裏から今まで感じたことのないような違和感があって、少し怖かった。
具体的に何がどう違うのか言葉にはできないが、どこか向けられると煩わしく思えるような、面倒事を呼び込みそうな、しかし無下にしたくもないような、複雑な感じだった。
喜々音は僕に、次のように言った。
「以前は、ごめんなさい。私、もうそんなに怒ってないよ」
どういうことか頭で考えている間に、彼女は「じゃ、またね」とだけ言って笑顔で議事室を去っていった。
「あっ、ちょ……!」
そう呼び止めようとするも、僕の左腕がさらにギュッと締め付けられて、そちらに視線を落とすと、上目遣いの湊がそこにいた。
彼女は僕に静かに言った。
「大智さん、少し、お話があります」
……はい。
ーーーーー
ーーー
ー
見せつけられると、胸が苦しくなる。
湊さんは無自覚だろうけど、無意識だろうけど、大智さんの腕に抱きつく仕草というのは、彼女が抱えた恋情が溢れ見えるように思えて、私の胸の中にモヤモヤとした黒い感情が湧いた。
なぜ彼は、私を選んでくれなかったのだろうって、そう思ってしまう。
あのとき、湊さんの後押しをしなければ、身分不相応だと思って諦めなければ、今頃あの位置にいられたのは私だったのに。
萌加様がもう1日早く来てくだされば、「萌加様からのお達しがあるので云々」と湊さんを追い払うこともできただろうに。
……いいえ、それでもきっと、私にはそれができなかっただろう。
だってあの翌日に萌加様が来ても、それを好機だと捉えずに、湊さんの応援をしたんですから。
本来、友達のお願いと永神種からの命令なら、優先すべきは永神種からの命令だ。だからあの時、やろうと思えば萌加様からのお達しを呑んで、湊さんに「やっぱり大智さんはもらいますね」と言うこともできた。
でも、やらなかった。
友達として、それをしてはならないと思ったから。
なんでだろう。あの時やらなかったことによって、今、自分がこんなに苦しんでいるのに。
馬鹿みたいじゃないの。
好きなのにね。
……好きなのにね。
こうして奪われて初めて自覚するんだから、私って愚か。
あぁあ、「奪われて」なんて言葉もまた失礼なのに。別に湊さんは私から大智さんを奪ったわけじゃない。公にできないような関係の持ち方をしていたんだから、悪いのは私なのに、まるで湊さんを悪者のように扱っている。
まったく馬鹿だね、ほんとに。
でも、そう思うくらい、思ってしまうくらい、私にとって彼は優秀な依存先でもあった。
たしかに私の身体しか求めてこないクズだけど、それでも、お互いにとってそれがとことん都合のいい関係だったのも事実なのだ。
彼が私にくれたもの。
一概にそれが何なのか言い表すことは難しいけれど、まとめて言うならそれは『未来』であった。
お兄ちゃんが殺されて、夢も希望も生きる意味も見失った私を助けてくれた。
それが周りから見て「助けてくれた」などという大層なものに見えなくても、私にとっては確かに救いだったのだ。
もう3年も経つけれど、兎山戦争が終戦した直後、荒んだ渡海の街を歩いてから海ではしゃいだのを鮮明に覚えている。
あの時、私の心の中で私を苦しめていた枷が、どこかに消えていったような気がした。
その場にいてくれた彼が、それを外す手助けをしてくれたように思っている。
あの時から、きっと私は彼が好きだったのだろう。今思い返せばそんな気がする。
でも、はっきりと感じる転機は大志くんが殺されたあの日なのかもしれない。
唯一の臣家男児となった大智さんが臣を継がなければならなくなったあの日から、彼は道に迷って半狂乱になってしまった。
その時私は、恩を返すべきだと思った。
私を救ってくれた恩を返して、彼をこの苦悶の日々から救わなければならないと思った。
それが、不埒な関係を生み出す直接的なきっかけだったのは明白だ。
同時に、私の恋情を有頂天にさせる要因にもなったのだ。
……あぁ、そっか。
これは業だ。
彼はきっと、私を無意識的に救済したのだろう。渡海事変の時、きっと彼は私を意図的に助けたわけじゃない。彼は、彼の信念と追い求める自由を実現するために行動した結果、副産物的に私を救済したのだ。
対して私は違う。勝手に恩を感じて、その恩を返すことで彼から何かを得ようとしてしまったのだろう。あの時私が得ようとしたものが信頼なのか、依存なのか、それとも身体なのかは分からないけど、とにかく彼から何かしらを得ようとしたんだ。
結果として、私は彼を失った。
ただただ公に向ける善で私まで救済してしまった彼と、私利私欲のために彼を慰めて何も得られなかった私。
そう、これは業だ。
湊さんに盗られてしまったのも、当然のことなのだ。
そう思っても、納得できないけど。
ーーーーー
ーーー
ー
日渡に帰る前に、わたしは浜松神社の人気のない廊下の一画に大智さんを連れてきました。
わたしが思うに、喜々音ちゃんはきっと大智さんのことが好きなんでしょう。
わたしに向けられた笑顔が、どこか怖かったんです。
同時に、大智さんに向けるあのぎこちない笑みが、すごく不自然でした。
彼女は、私が大智さんと一緒になるのを望んでいなかったのでしょう。だから相談した時も、あんなに違和感があったんでしょう。
ですが、それは理解できるとして、今わたしの目の前にいる彼が緊張している理由にはならないと思うのです。
喜々音ちゃんが大智さんのことが好きで、あのような違和感が生じるのは良いのですが、大智さん、あなたはなぜ、こんなにも緊張しているのですか?
もしかして、心当たりがあるのですか?
わたしは、彼は少なくとも喜々音ちゃんから向けられている気持ちに気付いているだろうと勘繰っています。なぜなら、気付いていないのならここまで私に対して緊張しなくても良いはずなのですから。
それともうひとつ。
彼と喜々音ちゃんの間に、何か隠し事があるように思えるんです。
まるでわたしにバレると都合が悪そうな、そんな隠し事を、ふたりはしているように思えます。
だから彼にそれを問い詰めたい思いがあるのですが、同時に知りたくない自分もいます。そして、問い詰めるなんていう大層厳かなことを、わたしにできるはずがなかったのです。
「……あの、大智さん」
わたしは彼を呼び出したものの、未だ話題を切り出せずにいます。
彼は待っていてくれていますが、わたしは一向に、言葉を切り出せそうもないのです。
「申し訳ないのですが、わたし、言おうと思っていたことを言えそうにないんです」
そう言うと、彼は静かに頷いてくれました。
「でも、でも。ひとつだけ、お願いを聞いてくれませんか……?」
「僕にできることなら、なんなりと」
できること、です。
というより、してほしいことなんです。
だから、してください。
わたしはそっと大智さんの胸に頭を埋めました。その状態で顔を上げて、彼の口に自分の口を付けました。
胸が、まるで自分のものでないように思えるくらい高鳴っていて、とても驚いています。
そして同時に、何よりも自分が自分の感情に怯えていました。
こんなことで、喜々音ちゃんに対するモヤモヤは消えません。
それでも、言葉で伝えられないのなら、こうするしかないんです。
わたしが誰よりも彼を愛しているということを、彼に知ってほしかったんです。
いくら喜々音ちゃんでも、直接的なアプローチをしているとは思えません。
彼女には思慮分別があります。だからきっと、他国とはいえ臣である彼に、下級上神種の喜々音ちゃんが誰にも黙って一線を越えるなんて、彼女自身が許せないはずなんです。
だから、これはファーストキス。わたしにとっても、彼にとっても。
そう思いながら、わたしは彼に思いの丈を伝えました。
唇同士が軽く触れただけでしたが、わたしの身体はすっかり熱ってしまいました。
彼も彼で、いきなりのことで驚いたのか、顔を少し赤くしながら「い、いきなりどうしたの?」と尋ねてきました。
「お願いなんです。わたしは、あなたが好きなんです。だからあなたも、わたしを愛してください! もっとわたしを見てください! わたし、本気で好きなんです!」
いまわたしが思っている全てを打ち明けようと思って、言葉を絞り出しました。
「わたし、大智さんの彼女なんです。大智さんの彼女はわたしなんです。だから、大智さんはもっとわたしに色んなことをしてもいいんですよ……? それとも、わたしじゃダメですか……?」
ですが、絞り出しているうちに、どんどん不安になってきてしまいました。
わたしが思い切って言葉にしたあの告白で付き合えましたが、大智さんはきっと、それまでわたしに微塵も興味を持っていなかったと思うのです。成り行きで付き合うことになってしまったものの、結局、わたしのことを心から好きになってくれていないのではないかと……そう思うのです。
ですが、もし本当に、わたしが抱いている感情と彼が抱いている感情が酷く乖離しているなんて事実があって、そしてそれに気づいてしまったのなら……
その時、きっとわたしは、死さえも厭わないような喪失感と、今までの思い上がりに恥ずかしくなって、おかしくなってしまうと思うのです。
そうなってしまうかもしれない危険性を孕んだこの後先を考えていない自分自身の行動に、わたしは怖くなってしまいました。
その恐怖は、徐々に膨れ上がってきました。
そして気付けば、涙になって前面に出てしまったのです。
……泣くつもりなんて、なかったんです。
泣き顔なんて、見せたくなかったのに。
でも溢れ出る涙は堪えることができなくて、彼の前でみっともなく泣いてしまったのでした。
「……湊、」
彼はそんなわたしの名前を呼んで、優しく抱きしめてくれました。
それだけでわたしは、頗る嬉しかったのです。
「ごめん、僕、君の気持ちに真剣に向き合えていなかったのかもしれない」
彼はわたしの耳元でそう言いました。
わたしは彼の胸の中で、小さく首を振りました。そんなことないです、大智さんは、きっと彼なりに、わたしのことを考えてくれていたはずですから。
それを言うなら、謝るのはわたしの方なのです。
憶測だけで嫉妬して、友達である喜々音ちゃんを警戒して、そして今、大智さんを困らせています。
本当に謝るべきは、わたしの方なんです。
ですが、その言葉は出てきませんでした。
「これからは、もっと湊の気持ち、大事にするから」
彼はそうやって言って、わたしの頭を優しく撫でてくれました。
今日は、それだけで満足でした。
わたしたちのペースで行くと、この先に踏み込むのは、きっとずっと後になるんでしょう。
それでもいいのです。
今はこれで……
この大事に抱きしめられている事実だけで、わたしは満足できるのです。
願わくは、これからも時々、こうして抱きしめてほしいけれど……
それはきっと、高望みなのでしょう。
ーーーーー
ーーー
ー
神紀5000年、冬至前79日。
濱竹が井谷戦争に本格参戦を始めたことで、戦局が動き出した。
濱竹は、自国の北端領土である犬間から井谷に侵攻した。
この侵攻で、濱竹陸軍は最新鋭の山岳戦車(濱竹第三級四型戦車)を50両投入した。
この戦車は、小さなボディで険しく狭い山岳地帯でも機敏に動けるような設計となっているものの、備えられている大砲が従来の第三級戦車よりも大型になり、飛距離、威力ともに改良されたのであった。
特筆すべきものは、普段山地を走行する際は大砲を収納し、狭い場所でも機動性を確保できる点だろう。攻撃する際は大砲をボディから伸ばし、狙いに向けて発砲するのだ。
難点は、その構造の問題で製造コストが嵩むことと、大砲が大きいため重く、沼地や不安定な路盤などは得意としないことであった。
しかし、この山岳戦車50両は、犬間から幾つもの山を越えて、79日の夕方には井谷国の本拠地である井川へと降りてきたのだ。
井川を防衛する井谷軍は少なかった。それもそのはずで、戦争の表舞台は靜国の府中外縁で行われているのだから、井谷に残っている軍隊など僅かなものだったのだ。
日暮れ、井川の街の西の外れで、濱竹陸軍と井谷軍井川警備隊が衝突した。
“第一次井川神社攻防戦”の始まりである。
濱竹陸軍は、第一陣として第三級四型戦車50両を率いてやってきたが、後続で第三級三型戦車を25両と、その後続で第三級二型戦車を25両、それぞれ運んでいた。
そのため、日没後には井川に濱竹の山岳戦車が100両も集まったのだった。
対する井谷軍の井川警備隊は、兵隊規模1000ほどの組織であるが、動かせる戦車は『井谷九八式山岳戦車』20両ほどであり、圧倒的な物量で押してくる濱竹軍に対応できるようなキャパシティは有していなかった。
そのため、交戦したものの抵抗は無意味であると悟りすぐに撤退を始め、井川神社から必要な荷物を持って井谷俣治の命令で7kmほど北にある畑薙神社まで逃げる決断をした。
そうして夜には、井谷国の本拠地である井川神社が濱竹軍によって占領されたのであった。
翌78日、濱竹安久斗が井川神社に主力部隊を率いて入った。
これまで安久斗は完全に各師団に戦略を任せて井川まで向かわせていたが、ここからは中田島砂太郎に全ての軍事統率権が渡されて、陸軍は笠井綴の下で攻撃を仕掛けていくことになる。そしてその作戦を作るのは陸軍参謀本部であり、その責任は小松喜々音に任されていた。
つまるところ、普段通りの統率状況になるわけだが、濱竹軍が本気を出すのはここからということになる。
「昨夜の戦いは、物資の輸送の兼ね合いもあり、圧倒的な物量で敵軍を退けることに成功した。しかし、ここからは各師団が各方面に散り、物量での威圧攻撃は不可能になる。正念場はここからだ! 連邦の存亡は我らの手にかかっている。心して戦地に征け!」
安久斗は兵士をそう鼓舞した。
参謀本部が提示した作戦は、井川から井谷軍が靜に侵攻した時と同じ道を辿って、井谷軍に占領された靜国の集落を解放しつつ府中外縁の戦地に向かうことだった。
つまりは北から降りることで、井谷軍を南にいる靜軍と一緒に挟撃しようという作戦だ。
この作戦を実行するのは濱竹の主力である“一桁”の第1師団、第2師団、第3師団、第4師団、第5師団、第6師団に加えて、まだ訓練を終えてから2、3年ほどの若手が配属される第21師団、第22師団、第23師団、第24師団、第25師団、第26師団が充当された。
井川神社に残って防衛をするのは、第7師団と第8師団、第27師団、第28師団となっている。
このベテランと若手を一緒に行動させるのには、実戦を通して育成させる狙いがある。振り返れば靜も井谷も“油野集落の戦い”の際、若手とベテランを組み合わせた師団で戦っていた。
大連邦協商の恩恵によって技術がもたらされてからまだ僅か2年。靜連邦諸国の軍隊には、その技術を使いこなせるような実戦が足りていない。
そのためこの井谷戦争で、ここぞとばかりに技術の運用を軍隊が正確に覚えられるように指導する体制を整えているということだ。
さて、井谷国境から靜国に侵入した濱竹軍は、78日の昼過ぎに井谷軍が占拠している油野集落に至った。
そしてそこを警備する井谷軍第3守備隊、第4守備隊と接敵し、“油野集落解放戦”が始まった。
連邦で初となる、本格的な山岳戦車VS山岳戦車の戦いとなった。
井谷軍が油野集落に持ち込んでいた戦車は、旧型に当たる『井谷九〇式山岳戦車』20両と、その改良版の『井谷九二式山岳戦車』30両、また最新型の『井谷九八式山岳戦車』10両の計60両であった。
そして、歩兵が使っている銃火器は、主に『井谷九五式弾撃』と『井谷九八式弾撃』であったが、中には日渡から輸出された『濱竹第一級六型小砲第二世代』も混ざっていた。
一方、濱竹が持ってきた兵器は『濱竹第三級二型戦車』20両、『濱竹第三級三型戦車』20両、『濱竹第三級四型戦車』40両の合計80両だった。
また、歩兵の装備は全て『濱竹第一級七型小砲第一世代』で統一されていた。この七型小砲は、日渡から井谷に輸出された六型の次の型式であり、改良型ではなく、サハや異世界の技術を組み込んで開発された全く別の新しい銃であった。
両軍が激しく集落の西1kmほどのところでぶつかり、戦車同士の交戦が行われた。
濱竹軍の二型戦車は、さほど動きが機敏ではなく、この戦いにおいては最も古い型式であったため、井谷軍から格好の標的とされたが、対して四型戦車は最も新しい形式で、動きも機敏な上威力も桁違いであったため、井谷の戦車を一撃で爆発四散させるほどの戦果を上げた。
結局、その並外れた火力に押されるように井谷軍がジリジリと敗走し、油野集落は濱竹によって解放されることになった。
この解放戦は翌77日の早朝まで続き、終えてみると60両あった井谷軍の山岳戦車が8両(内訳:九〇式1両、九二式2両、九八式5両)にまで減っていた。
もちろん、その激戦で濱竹軍も無傷では居られず、二型戦車が20両全て自走不能に追い込まれ、三型戦車が20両から3両に数を減らしたが、四型戦車は40両のうち36両が生き残ったのだった。
濱竹軍は、油野集落の防衛として三型戦車3両と第26師団を置いて南下を進めた。
ーーーーー
ーーー
ー
「井川神社が陥ちただと!?」
靜国の府中外縁にて靜軍と交戦する井谷軍に、悲報が飛び込んできたのは、ちょうど油野集落が濱竹によって陥落したのと同じくらいの冬至前77日早朝だった。
井谷国臣の井川閑蔵は、その報告を聞いて焦り出す。
「くそッ、ここからが正念場だというのに……! 靜をここまで追い詰めたんだ、ここから更に攻勢を強めて一気に畳み込みたいところだったのに!」
幸い、俣治は難を逃れて畑薙に逃げたとのことだったため安心しているが、濱竹軍のその後の動きが気になるところでもある。
俣治を追って上井谷へと向かうのか、それとも南下して来るのか。
南下して来るのであれば、井谷軍は挟撃されることになり、さらに本国との補給路も完全に絶たれることになり劣勢に転じざるを得なくなる。
とはいえ濱竹軍が上井谷へと向かうのなら、井川を奪還するべく軍の主力を北に向ける必要があるため、これ以上靜を追い込むことは限りなく難しくなってくる。
日渡が降伏して、これ以上の支援は見込めない。親しい甲信連邦もこの戦争ばかりは手助けをしてくれる気配を見せてこないため、おそらく靜の味方をする南四の顔色を伺っているのだろう。
そうなれば、靜を潰すなら今一気に仕掛けなければ、もう金輪際機会はなくなってしまうだろうと閑蔵は考えた。
そこで閑蔵は、井谷軍には井川神社が占領されたことを伏せて、今持てる全ての兵力を挙げて靜に激しい攻勢を仕掛けることを命じた。
ここで役に立ったのは、日渡から支援してもらった濱竹製の平地戦車や銃剣、刀などであった。
開戦からおよそ20日。府中外縁に陣を置いてからは実に15日経つ。
四六時中撃ち合っているわけではないし、井谷も靜も、相手が侵攻してきたら迎え撃つ程度の攻撃を繰り返していたが、強制参戦命令が発動してからは靜軍(というか靜連邦軍)の攻撃に勢いが付いてきて、防衛するのがやっとの状態になっていた。
井谷も一度、濱竹の平地戦車を使って大規模な攻勢を仕掛けたが、それは清水港から戦艦『勇敢』が猛烈な艦砲射撃を敢行してきて、再び押し戻されてしまった。
井川が占領されたのなら、本国からの武器補給は難しくなるだろう。となれば今ある武器だけで靜軍に挑まなければならない。
閑蔵は、『井谷九八式山岳戦車』に『濱竹第四級二型大砲』を2門付けた改造戦車を30両造ると、『濱竹第一級六型小砲第二世代』に『濱竹第一級六型銃剣』を取り付けた銃剣を歩兵に配り、静岡神社に向けて最後の攻勢を仕掛けた。
戦車の砲撃と大砲で防衛陣地を築いた敵を薙ぎ倒し、ゲリラ兵対策のために街を破壊しながら侵攻する。
この日、清水港に戦艦は停泊していなかった。靜軍はこの改造戦車と井谷軍の歩兵に対抗できず、崩れた防衛線から井谷軍の侵入を完全に許してしまった。
なぜ靜連邦の全戦力を集めた靜軍が弱いのだろうか。
理由は簡単だ、皆こんな戦争のために死にたくないからである。
靜からの強制参戦命令など受け取りたくなかったのだが、祖神種からの命令だから渋々軍が派遣されているのだ。
だから士気は低く、本気で靜の府中を守ろうとしている兵士は、それこそ正真正銘の靜軍しかいないと言えるのだった。
だから弱いのだ。井谷の攻勢に応じれないのだ。
これには流石の靜の三大神も驚きを隠せず、文明の力だけではなく神である自らも赴かねばならないかと案じたほどだったが、この戦況を一気に覆す軍隊が、この77日の午後に靜国府中にやって来たのだった。
そう、濱竹軍である。
彼らは関西と中京の輸送船を最大限に活用して靜国の清水港までやってくると、そこから上陸し、攻撃を受ける府中までやって来た。
そして、サハ大陸で性能試験をしたばかりの最新平地戦車『濱竹第二級五型戦車』100両と、『濱竹第一級七型小砲第一世代』と『濱竹第一級七型銃剣』を備えて、井谷軍に対峙したのだ。
この濱竹軍の登場によって、この攻防戦は、言ってしまえば濱竹の旧型兵器VS新型兵器の戦いになったのだった。
当然、武器の欠点は世代が新しくなれば改善されていく。
濱竹の技術は旧型兵器でも十分強いのだが、最新兵器となればその欠点を補えるように改良されていて、旧型兵器に勝ち目はないと言っても過言ではない状態になるのだった。
そして実際に、それが起こったのだ。
軍隊は、自国の兵器のことならばどの軍隊よりも詳しいのだ。だから濱竹軍も、井谷軍が使っている戦車の後ろに付いた大砲も、銃剣も、全てにおいて利点と欠点を把握していた。
大砲は、一発の威力は非常に強いが装填に時間がかかる。平地戦車であれば、装填している間に攻撃が可能であるため、大砲を搭載した井谷軍の山岳戦車を破壊することは容易かった。
そして六型銃剣は、まず重い。そのため接近戦になったとき、使用者は機敏な動きができなくなる。
次に、リロード速度が遅く装填数が少ない。また装填のギミックも異なっていて、六型は少し時間がかかる。飛距離にも違いがあるため、撃ち合いになった場合、より遠くから、素早く、たくさんの弾を打ち込める七型の方が有利になるのだった。
こうして、濱竹軍の到着により、井谷軍は急に劣勢を強いられることになった。
それを見て靜軍も、また他の国々の軍隊も安心したか、急に攻勢を強めて、井谷軍を一気に袋叩きにしたのだった。
防衛線は崩れた。
井谷軍は、府中への攻撃を完全に諦めて、井川奪還に向けて攻撃をする方向で作戦を練り直すのだった。
しかし撤退する最中、井谷軍は当然ながら、南下してくる濱竹軍と接することになる。
閑蔵は、その可能性を考慮して、撤退する時に根々川国内を通過して井谷川を遡上するように井川へと戻ったのだった。
この撤退で、井谷国は濱竹軍との接敵を回避できたものの、靜国の占領地を完全に失い、戦争は一気に敗戦色が強くなった。
なお道中で通過した根々川国だが、千鶴が軍事通行を黙認したため一切戦闘が起きなかった。
ーーーーー
ーーー
ー
冬至前75日、朝。
濱竹に占領されたままの日渡であったが、占領なんて名目上のものに他ならなくて、僕らは当たり前の毎日を送っていた。
そういえば、靜連邦加盟国で唯一井谷戦争に出兵していない国になっているらしい。
正確に言えば、井谷側で参戦していた扱いだったようだが、実際に兵を送ったわけでもなければ、濱竹に占領された際も一切の戦闘が生じずに全て終わっているため、参戦しつつも兵士を動かしていないということらしい。
それは最早参戦していると言えるのだろうか?
などと思っていると、新聞が届いていたので眺めてみる。
……ふむふむ、『井谷が靜の領土を完全放棄して敗走』、か。
曰く、一度攻勢を仕掛けたものの、靜軍の猛攻に遭って撤退を余儀なくされたと。
それも、濱竹軍を中心とした編成だったらしい。
この新聞を萌加様に手渡したところ、
「これさ、濱竹の技術の凄さを物語ってるよね」
と仰られて、少し意味が分からずぼんやりしていたら、
「だって井谷が濱竹の技術を手にしたとき、確か防衛線を破って府中に攻め入ったんでしょ? で、今回は靜が濱竹を味方に付けて戦ったら井谷に勝ったんでしょ? 十数日も膠着していたのに、濱竹が参戦した途端にこれだよ。凄すぎない?」
と理由を述べられたため、あぁそういうことかと理解した。
しかしその瞬間、僕と萌加様はお互いに顔を見合わせて、ハッとした。
「ね、これ……」
「えぇ、可能性がゼロとは言い切れませんよ……」
おそらく萌加様と僕が思っていることは同じだろう。
だからすぐさま、萌加様は福田神社から明様をお連れになったのだ。
「明、はっきりさせておきたいんだけど、あなた、どっちの味方だったの?」
明様にそうお尋ねになった萌加様。明様は「そうねぇ、」と仰ると、
「どっちでもなかったわよ。もっと言えば、どっちが勝っても生き残れることが私たちの勝利条件なんだから、どっちが勝っても大丈夫なようにしておいただけよ」
と述べられたのだ。
「それで、濱竹製の武器を……」
花菜がそう呟いた。
そう、僕と萌加様が思い至ったことは、濱竹製の武器があまりに勝敗を分けていることから、それを輸出する決断を下した明様が最初から何かを企てておられたのではないかということだったのだ。
「ま、濱竹の武器といってもただの武器じゃないわよ」
明様がそう仰ると、萌加様がお尋ねになった。
「在庫が余っていたって言ってたね。それを井谷に渡したんでしょ?」
「そうよ」
萌加様のお言葉にそう返された明様だったが、
「でも、なんで在庫がそんなにたくさんあったのかしら。濱竹の主力部隊は外に出ているのに、武器がたくさん余っているなんてちょっと不自然じゃない?」
と僕らに問いかけられた。
「……型落ちだから持っていかなかった。新しい物ができる、もしくはできていたから、古いのをわざわざ持っていく必要がなかったんだと思います」
僕が考えを述べると、
「それでも訓練用とかに使えるはずよ。もっと根本的な問題があったんでしょう」
と明様が仰った。
「根本的、ですか?」
花菜が訊くと、「そう」と明様が返され、
「主力部隊は然る事乍ら、訓練兵にも与えられないような兵器は、とてもじゃないけど実戦に向かない欠陥品だった可能性が高いって思ったの」
と仰せになったのだ。
「じゃあ、井谷への支援って……」
花菜が疑問を口にしたところ明様は、
「支援だったわよ? 実際、井谷はその濱竹の兵器を使って靜を追い込んだわ。軍事大国にとって、使い勝手が悪い武器であっても上手く運用できてしまうんでしょう。それが井谷って国なんだろうと思っていたし。それで靜に勝てたのなら晴れて戦勝国、御の字じゃない」
そう仰ってから、「でも、」と言葉を紡がれて、
「濱竹安久斗が使いにくい武器を許さない性格だってことも知っているの。だったら必ず安久斗は欠点を克服した、現状完璧とされる武器を作って持ってくるはずなのよ。そうしたら、濱竹の旧型兵器と新型兵器がぶつかり合って、当然新型が勝つことになると思うのよね。だから安久斗が戻ってきたら、井谷に勝ち目がなくなることも想像に易かった」
と述べられた。さらに続けて、
「そうなったとき、私たちは敗戦国になるでしょう? でも、少しでも戦況を有利にする手助けをしていたとなれば、話は別よね。裏切ったとまではいかなくても、限りなくそれに近い行為をしたと戦勝国のどこかが認めれば、国の滅亡は免れるはずよ。だから井谷に敢えて濱竹の自称欠陥兵器を与えることで、勝っても負けてもどうにでもなる可能性に賭けたのよ」
と仰ったのだ。
僕らは言葉を失った。
まさか最初から、こうなることを想定して支援されていたとは……
「これで、私たちの扱いがどうなるのかは分からないけど、少なくとも濱竹にとっては実戦形式で武器の新旧比較を行うことができただろうし、靜にとっては救われただろうし、統率国に恩を売ることができたと思っているわ。それを二大統率国が実際に認めてくれるかどうかは置いておいて、私の作戦は全て終わったわ。あとは濱竹の占領下で敗戦国らしく大人しくしておくだけよ」
大人しくする、つまりは何もしないということ。それ即ち、戦わないということ。
連邦中が戦争をしている中、僕らだけ戦わずに日常を謳歌する。
こうなることも、明様は見越されていたのだろうか。
結果的に、明様が独断で行なった支援によって、僕らは今すごく楽をしている、得をしていることは理解できた。
どこまで読んでおられるのか、その計り知れない頭脳が怖くなった。
「支援をするなら、何のためにするのかを考えなきゃいけないの。同盟国のため? 戦争を終わらせるため? 連邦のため? 私はそんなことよりも、自国が滅びないようにするべきだと思うの。周りの国の動きを見ながら慎重に、でも、大胆にね」
明様は笑いながらそう仰った。
「何のための支援、ねぇ」
「そう。他国を支援して自国が滅んだら元も子もないじゃない。その塩梅を考えなきゃいけないわ」
萌加様のお言葉に明様がそうお返しになった。
心なしか、萌加様も少し明様に恐れ慄いているように見受けられた。
戦争は続く。
優勢と劣勢が入れ替わっただけで、まだ終わっていない。
新聞には、先日濱竹が占拠した井川神社が井谷国に奪還されたと書いてあった。
井谷は衰えたわけではない。
確かに靜の平野部では劣勢となったが、依然として山間部では強い力を持っている。
今後、この戦争がどう転んでいくか分からないけれど、どちらにせよ、将来の戦勝国にとって有利となる支援をした日渡は、これ以上関与する必要はないだろう。
戦争は、参戦した時点で負けなのだろう。
全ての戦いが、第三者である明様の掌の上で繰り広げられているように思えて、僕はそう思ったのだった。
この話の主な戦闘
“第一次井川神社攻防戦”
神紀5000年冬至前79日日暮れ〜夜
(濱竹陸軍第21〜28師団+『濱竹第三級四型戦車』50両、『濱竹第三級三型戦車』25両、『濱竹第三級二型戦車』25両VS井谷軍井川警備隊+『井谷九八式山岳戦車』20両)
→井谷軍、太刀打ちできず井川神社を引き渡して北へ敗走
“油野集落解放戦”
神紀5000年冬至前78日昼〜77日早朝
(濱竹陸軍第1〜6、21〜26師団+『濱竹第三級二型戦車』20両、『濱竹第三級三型戦車』20両、『濱竹第三級四型戦車』40両VS井谷軍第3、第4守備隊+『井谷九〇式山岳戦車』20両、『井谷九二式山岳戦車』30両、『井谷九八式山岳戦車』10両)
→濱竹軍の勝利、井谷軍は油野集落を捨てて敗走
“第二次靜国府中攻勢”
神紀5000年冬至前77日朝〜夕方
(井谷軍主力部隊(第1〜10、31〜40師団)+『井谷九八式山岳戦車(魔改造Ver.)』30両VS靜連邦諸国(主に濱竹陸軍)+『濱竹第二級六型戦車』100両)
→自国の軍事装備を熟知した濱竹軍が無双。井谷軍は靜国占領地を全て捨てて根々川を通って撤退。靜国は全ての領土において井谷国から解放された。
“第二次井川神社攻防戦”
神紀5000年冬至前76日夕方
(井谷軍主力部隊(第1〜10、31〜40師団+井谷軍山岳武装隊)+『井谷九八式山岳戦車(魔改造Ver.含む)』25両VS濱竹陸軍主力部隊(第7、8、27、28師団)+『濱竹第三級二型戦車』5両、『濱竹第三級三型戦車』5両、『濱竹第三級四型戦車』10両)
→濱竹が戦略的撤退で井川を井谷軍に明け渡す。そこまで大きな戦いは生じなかったが、お互いの砲撃により戦車数台の損壊と死傷者数名を出した。




