列を離れないでください
遠くで警笛の音が聞こえた。
まぶたを開けると、そこは駅のホームだった。ホームにずらっと一列に人が並んでいる。列の一番先は長くて見えない。みんな列車が来るのを待っているのか。俺の立っている位置は、前に三十から四十人ぐらいはいるだろうか。
あれ、俺は何をしてたんだっけ。外が暗いところを見ると、帰宅中だったのだろうか。しかし、こんなに広い駅だっただろうか。整然と人が並ぶ様子も不思議だ。出張で利用する新幹線ならば、こうやって並ぶこともあったかもしれないが、それにしても異様な光景だ。
外は真っ暗だ。ホームはいつもの駅のように思うが、近くのビルの看板の光などが見えない。駅名もきちんと表示されており、いつも朝に通勤で使っている駅のホームだ。頭がぼうっとして記憶が曖昧だった。さっきまで自宅にいたような気がするのだけれど。
誰も喋っていない。前後に並ぶ人々の様子をみるとどうにもおかしい。みんな、立ったまま眠っているというか、呆けているといった様子。列の周囲には駅員が何人も立っている。駅員たちは皆仮面をつけている。鬼の仮面である。その手には、何だかものものしい武器のようなものが握られている。棒の先に金属の枝分かれした突起が付いた武器。いわゆる刺又のような。まるで獄卒のようだ、
恐る恐る駅員に話しかけてみる。
「あの、これってどこ行きの列車待ってるんです」
無言。返事はない。一旦列を離れてみようとしたら、数名の駅員に取り囲まれ、棒状の武器を向けられた。金属の突起は、刺されば怪我だけでは済まない鋭さで、鈍く光っている。
「列を離れないように」
たったそれだけ。俺が理由を問うても、また無言。
そうしてる間に列車が到着した。見たこともない黒い角ばった車両だった。窓の中も暗くて見えない。
黒い扉が勝手に開く。
「順番にな。常世行きは十人か。少ないな」
駅長といった雰囲気の、唯一仮面を着けていない男性が周囲の仮面の男たちに確認している。いやよく見ると女性も混じっているのか。そんなことはいい。仮面のない男性は青白く頬がこけた髑髏のような顔をしている。髑髏そのものと言っても間違ってはいないだろう。低いがよく響く抑揚のない声に対し、部下らしき仮面が答える。
「はい。十人で間違いありません」
これまた抑揚のない、静かな低い声で答える部下。
列の一番前に並ぶ男性に見覚えがあることに気づいた。取引先の課長で、同じ列車によく乗っているのを見かけていた。名前はなんだったか、確かそうだ、大村だ。
「大村隆」
駅長が厚い手帳を見ながら名前を呼ぶ。
すっと前に出る大村さん。目が開いているが、その視線は遠くを見ている。
「間違いないな」
駅長が手帳と大村さんの顔を交互に見比べる。
駅員に誘導され、ふらふらとした足取りで列車に吸い込まれていく。列車の扉の奥は、列車の黒色よりも、ホームの外の暗闇とも異質の暗黒と思えた。
その後も十人ほどの名前が呼ばれる。見知らぬ男女が、列車の中に消えていった。
わけがわからない。そもそもいまは何時で、ここはどこだ。スマートフォンをポケットから取り出そうとするが、手応えがない。そういえば、スーツを着ているのにいつも持ち歩くカバンはない。財布も持っていない。酒を飲み過ぎて店に忘れたのかとゾッとするが、体調的には、酔っている感じはない。そもそも、今日はまっすぐ家に帰ったのではなかったか。少しばかり残業して、まっすぐ家に帰り、一人暮らしのアパートに帰宅。一人分のパスタを作って食べて、風呂に入り、寝る前にネットの動画を見てるうちに時間が過ぎて、多分寝たのでは。そこから先の記憶が飛んでいる。夢、という単語が頭に浮かぶ。明晰夢というやつかもしれない。
「あなた、目が覚めちゃったんですね。珍しい。あなたの順番は今日じゃないから、まだ暫く時間ありますよ。あと、逃げたりされると困りますし、ちゃんと向こうに行けなくなっちゃうとあなたが苦しむことになりますから、大人しく並んでいてくださいね」
話しかけてきたのは駅長らしき人。もう駅長と呼ぶことにしよう。
「これはなんなんだ。どこにいくんだ」
「お答えできないこともないですが、知らない方がよいですよ。何となく予想がつくとは思いますが」
駅長は相手にしてくれるつもりもないようで。それを黙って見つめていると、列車が再び動き出した。
行先の表示は、常世、とこよ。あの世ってことか。さっきも常世行きは十人と言っていた。
十人だけが列車で出発した後、次の列車が入ってきた。先ほどと同じように黒い車体だが、禍々しい捻くれた形状だ。
「今回は二人か、こっちも少ないな」
「駅長、気をつけてくださいよ。こないだ別の駅で同姓同名で取り違えたって」
「ちゃんと見てるよ。顔に生年月日、罪状も、ちゃんと見れば間違えようがないんだ」
「それが心配なんですよ」
やりとりをする髑髏の駅長と副長らしき仮面の男。結局、一人の老人と、若い男性が列車に乗り込んでいった。車体側面の行先表示は、地獄とある。単純にして強烈な単語。つまりはそういうことなのか。
「なあ、俺は死んだのか。ここからあの世に行くってことなのか」
「まだ死んではいないですよ。死期が近づいた方から駅に来てもらって魂が旅立つ準備をさせてもらっています。見えないと思いますが、魂の緒はまだ切れていませんからね。死ぬのは、今日、旅立った方だけですよ。昔と違って人が多すぎて一人一人迎えに行くのはたいへんですからね。昔は寿命を蝋燭で管理してたりしたんですが、駅に集めておく方式で、かなり確実かつ効率的に仕事ができるようになりました」
「駅長、喋りすぎでは」
「別に喋っちゃ駄目ってわけじゃあないでしょ。私、昔から好きなんですよ。最後に助かろうとする人間の姿。交渉にのって寿命伸ばしたりもしたなあ」
「つまり、あんたらは死神ってやつなのか」
「そうも呼ばれますね」
「教えてくれ、俺の命はどれぐらいなんだ」
「正確には教えられないんですが、そうですね、この駅には葬送列車、葬送列車と呼んでいますが、こいつはこの駅には週に一回ごとに回ってきます。今日は少なめな方ですかねえ」
数えたが、おれの前には二十八人。少し年寄りが多いようにも思うが老若男女区別なくという感じだ。元気そうなスーツ姿の青年がいれば、入院していると思われる水色の患者衣の中年女性もいる、和装に朱塗りの杖の老爺は堂々たる佇まいだし、いかにも体調が悪そうな痩せこけた老婆は死期が近いと感じさせた。前から順番に週に十五人が連れて行かれると仮定すれば俺は再来週までの命ということか。全く現実感が湧かない。そもそもここが夢なのではないか。
「おれがもし列車に乗らないよう抵抗したらどうなるんだ」
「ちゃんと死神の管理下にないと、死後の魂は迷ってしまいます。生まれ変わることもできずに、苦しむことになりますよ」
「まだ死にたくねえんだよ。なんとかなんねえのか」
「昔はね、寿命を蝋燭で管理してたころは、こうやって死神と話ができた人間には交渉するチャンスがありましたがね。他人の寿命の蝋燭を継ぎ足したりてましたが、あまりいい結果になることはなかったですね。それに管理が大変なんですよ」
寿命を蝋燭で管理するというのは、あれだ、昔話にあるやつだ。死神に寿命を伸ばしてもらうために、他人の寿命の蝋燭を拝借するっていう。
「今は無理なのか。蝋燭がなくても乗る列車を変更するとか。列の後ろに移動すりゃいいんだろ」
後ろを睨みつけるが、皆惚けた顔をしているだけだ。だいたい、これだけの数が並んでいると、離れている奴らの顔は見えない。
列を抜けようとすると、駅員に棒を突きつけられて、止められる。
「残念ですが、列を抜けることは出来かねます」
「何なんだ、おかしいだろ、突然、死期が近いってなんだよ」
「そろそろ、時間切れですよ。まあ、人間いつかは死ぬものですから、受け入れるのも良いと思いますよ」
駅長が嬉しそうに話すのを聞きながら、もっと詳しい話を訊こうとするが、目が回り出す。世界がぐにゃりと歪み、気づくと布団の中にいた。