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父との約束から一月ほど経った、とある夏の日。エステファニアは父に連れられランドルフ公爵邸を訪ねた。
(すごく大きなお屋敷……)
エステファニアの暮らすカーディナル侯爵邸も家柄相応の立派な屋敷なのだが、ランドルフ公爵邸はそれ以上の規模だった。広大な庭園には温室だけでなく薔薇の迷路もあるのだと父は説明してくれた。
今日という日をずっと待ち望んでいたのに、いざ公爵邸の扉の前に立つと少し緊張してしまう。そんな自分を奮い立たせるように、エステファニアはドレスの裾を握りしめた。
今日着ているお出かけ用の白いドレスは、この日のために母が選んでくれたものだ。腰に結ばれている薄緑のリボンが可愛らしくて、エステファニアも気に入っていた。母曰く、お友達と仲良くなるためには大切なことらしい。
母とモニカは朝から凄い張り切りようだった。母主導のもと、エステファニアはいつもより時間をかけて身支度を整えられた。めかし込んだ姿を見て、父は手放しで褒めてくれたが、そのあとに何故かまたうなだれていた。
(お友達づくりって、本当はこんなに大変なのですね……ですが!)
今日のエステファニアは燃えていた。
男の子は外遊びが好きだと聞いたから、外でも一緒に遊べるように帽子もちゃんと用意した。花飾りのついた白い帽子はエステファニアのお気に入りだ。これがあれば慣れない外遊びだってきっと頑張れる。
家で待つ母も応援してくれた――骨抜きにしておいで、と。
(お母さまの言葉の意味はよく分かりませんでしたが……今日こそは、きっとお友達を!……ヴィンセントさま、お覚悟を!!)
ランドルフ公爵と親しげに挨拶を交わす父の後ろで、エステファニアは一人意気込んだ。
「やあ、エステファニア。しばらく会わないうちに大きくなったね、もうすっかり素敵なお嬢さんだ。私のことは覚えているかな?」
エステファニアと視線を合わせるように少し身をかがめ、ランドルフ公爵は相好を崩した。公爵は眼光が鋭く貫禄のある顔つきで、柔和な印象の父よりも少し年嵩に見えるが、二人は同齢の幼馴染らしい。
「はい!お久しぶりです、ランドルフ公。今年のお誕生日には可愛いお人形をありがとうございました」
「どういたしまして、気に入ってもらえて何よりだ。さあ、今日は私の息子を紹介しよう」
ランドルフ公爵の言葉にうながされ、黒髪の少年が進み出た。
「初めまして、ヴィンセント・ランドルフと申します」
ヴィンセントは父親似だった。だがその容貌からは表情というものがそぎ落とされ、何の感情も読み取れなかった。彼の子供らしからぬ雰囲気にのまれ、エステファニアは思わずたじろいだ。
「は、はじめまして……エステファニア・L・カーディナルです」
「L……?」
エステファニアが名乗ると、ヴィンセントは訝しげに呟いた。アーデンフォレスト王国では長い名前を持つのは王族くらいだ。事情を知らない人は不思議に思うのかもしれない。説明した方がいいのだろうかとエステファニアが迷っていると、父が助け船を出してくれた。
「妻の故郷……クアドラドでは両親の姓を名乗るんだよ、ヴィンセント。全部名乗ると長くなるから略しているんだ」
「ああ、なるほど。よろしく、エステファニア嬢」
「よ、よろしくお願いします」
よろしく、と言った時でさえヴィンセントは笑顔を見せなかった。あまり友好的とはいえない彼の表情に、エステファニアは不安を募らせた。
(ど、どうしましょう……全然笑ってくれないわ……わたくし、何か怒らせてしまったのかしら……)
そんな二人の様子――というよりも息子の態度に、ランドルフ公爵が眉をひそめた。
「ヴィンセント……その顔はもう少し何とかならんのか。相手はお前より年下の女の子だぞ、まったく。エステファニアが怖がっているだろう」
「申し訳ありません、こういう顔なんです。父上に似たので」
「え……あの」
「ヴィンセントは相変わらずだね、昔のヒューを思い出すよ。エスティ、彼はいつもこんな感じだから大丈夫だよ。私もあまり笑顔は見たことがない」
ランドルフ親子の舌戦に困惑し視線を行き来させていると、父がそう言って微笑んだ。ヴィンセントの耳にも父の声が届いたようで、彼は公爵との口論をやめ、エステファニアの顔を覗き込んできた。
「怖がらせたか?」
「い、いえ!……大丈夫、です」
エステファニアがふるふると首を横に振ると、ヴィンセントは少しだけ表情を和らげ、そうか、と呟いた。
そのあとは四人でお茶の時間を楽しんだ。ランドルフ公爵は話し上手で、特に父達の子供時代の冒険譚は聞きごたえがあった。亡き父エリックの朗らかに笑っている姿が目に浮かぶようだった。
しばらくして、公爵が父と二人で話したいことがあると言ったので、その場はお開きになった。続きが聞けなくなってしまい肩を落とすエステファニアに、また遊びに来た時に話すとランドルフ公爵が約束してくれた。公爵から庭園の散策を勧められたエステファニアは、お気に入りの白い帽子をかぶり、ヴィンセントのエスコートで庭園へ向かった。
◇
さて、もう一人の父の話を聞けたことが嬉しくて少し後回しになったが、今日の本命はお友達づくりだ。白い帽子にそっと触れ、エステファニアは決意を新たにする。帽子を見るまで本来の目的を忘れていたことは誰にも内緒だ。
先程はヴィンセントの雰囲気に圧倒されてしまったが、今度こそちゃんと伝えなくては。男の子は髪を引っ張ったり意地悪を言う子もいるとモニカが教えてくれたが、彼は違った。ヴィンセントは笑顔こそなかったものの、エステファニアを気遣ってくれた。だから多分、彼は父の言葉でいうところの『いいやつ』だ。ここで諦めるわけにはいかない。
(ヴィンセントさまは一門の人間ではないですし、きっと大丈夫!……いけます!!)
出掛けに母も言っていた――狙った獲物は逃がしてはならない、と。
母の教えを胸に掲げ、エステファニアは燃えていた。
ランドルフ公爵邸の庭園は広大で、幾何学模様に整えられた生垣が荘厳な雰囲気を醸し出していた。あまり遠くまで行くと疲れてしまうから、とヴィンセントは庭園の東側から中央付近までを案内してくれた。
彼に手を引かれながら、エステファニアは庭園の小路をゆっくりと進んだ。花壇の前でエステファニアが足を止めると、その度にヴィンセントが花の名前を教えてくれた。低い生垣で囲われた花壇は、落ち着いた色合いの草花で彩られ、エステファニアの目を喜ばせた。
「楽しいか? エステファニア嬢」
「はい、ヴィンセントさま!」
「そうか、なら良かった」
そこで二人の会話は途切れてしまった。
静閑な庭園に二人きりだと、何だか沈黙が気になってしまう。
先程までは侍女モニカがそれとなく間を取り持ってくれたが、彼女は公爵家の使用人に呼ばれ一旦屋敷へ戻ってしまった。自分で頑張らなくては、とエステファニアは必死に話題を探した。
「……えっと、ヴィンセントさまも……お花、お好きですか?」
「いや、特には」
「え」
想定外の返事に、エステファニアは言葉を失った。ヴィンセントは物知りで花の名前を沢山知っていた。だから彼も花が好きだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
(た、大変です!つまらない女はだめってお母さまに言われていたのに……わたくし今、つまらない女です!!)
「で、では……何か他の事をして遊びますか?わたくし、お外でも一緒に遊べます!」
エステファニアがおろおろと慌てはじめると、ヴィンセントは不思議そうに目を瞬かせた。
「君は楽しいのだろう?」
「ですが……」
「私も退屈はしていない。ここに花を見に来るのは母が生きていた頃以来だから……少し、懐かしい」
「ご、ごめんなさ――」
「ああ、別に君が謝ることじゃない。元々長く患っていてな、持った方なんだ」
「でも……大好きな人に会えないのは、悲しいです」
切なげに目を伏せたエステファニアに、ヴィンセントは淡々とした口調で言い添えた。
「本当に平気なんだ、もう慣れている。ここに来なくなったのも遊び場が変わっただけだ……今日みたいに、ここは客人を案内することもあるから」
傍らの花壇に目を落とし、ヴィンセントは続けた。
「よくこの辺りで母が散歩していてな。私もそれに付き合っていた」
「お花の名前……もしかしてお母さまから?」
「ああ、ここは母の好きな花が多くてな……もう結構経つんだが、意外と覚えているものだな」
母の想い出を語るヴィンセントの声には、どこか温かさが滲んでいた。
「わたくし、嬉しかったです。ヴィンセントさまにお花の名前を教えていただけて」
そう言ってエステファニアが頬を緩めると、ヴィンセントは微かに目元を和らげ、手を差し出した。
「……今日は陽射しが強いから、もう少し見たら中に戻るぞ」
「はい!」
そのあとも二人で花を見て歩いた。時折、ヴィンセントが花の名を教えてくれた。エステファニアも少しだけ、病死した父エリックの話をした。家族以外の人に話すのは初めてだった。言葉がつかえることもあったが、ヴィンセントは静かに聞いてくれた。亡き父を想うと、いつもは悲しくなることが多いのだが、この時は優しい気持ちで満たされていた。
いつの間にか二人は庭の西側に差し掛かろうとしていた。
その時エステファニアの目に留まったのは、ドレスの裾が広がったような可愛らしい形の花だった。
「…………この紫のお花……凄く綺麗ですね」
エステファニアは思わず足を止めた。一本の茎に鈴なりに咲いたその花は、モニカの瞳のようにとても綺麗な紫色をしていた。
(モニカにも見せてあげたかったな……)
風に揺れる花を見つめながら、この場に彼女がいないことを残念に思っていると、ヴィンセントが声をかけてきた。
「エステファニア嬢……そんなにこの花が気に入ったのか?」
「あ、いえ」
何でもないという意味を込め、エステファニアは首をゆるく横に振り、ヴィンセントに笑いかけた。
「……少しここで待っていてくれ」
一瞬だけ紫の花に視線を向け、ヴィンセントはそう言った。エステファニアが頷くと、彼は生垣へ近づいていき、その奥に控えていた庭師と話しはじめた。
その光景をぼんやりと眺めながらヴィンセントを待っていると、視界の隅で何かが揺らめくのを感じた。気になって目で追いかけると――
そこには一匹の美しい蝶が、少女を誘うようにひらひらと舞っていた。
「待たせて悪かった…………エステファニア嬢?」
庭師との相談を終え、ヴィンセントが振り返った時には、エステファニアの姿は既になかった。
ブックマークありがとうございました!
前回までとの差が激しくて驚かれるかもしれませんが
実は本来のエステファニアちゃんはこんな感じの子でした。