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治らない傷

 あの後彼女の悲鳴に駆けつけた先生やその他野次馬たちに囲まれ、彼女が震える指先で私を指差したことで怖い顔をした先生たちに別室に連行、事情を聞かれることとなった。

 ハルトが変な顔をしていたが、あれは何だったのだろう。私と目が合って、何かに驚いたように口を開きーーそこで私は人混みに紛れた。すでに教室から離れた職員室に連れて行かれていたのである。

 別に、良いのに。止めてくれただけで私は嬉しかった。……まあ、彼のことだから、もし何か言うとしても森で聞くことになるだろう。私は彼にここで説明するつもりは初めから無かったし、内容も精査しなければならない。私は桐乃であるがアンダーウッドとして生きているから。



 かれこれ三十分ほど経っただろうか。

 罰は受けるつもりです、と伝えて、先生からの事情聴取は切り上げた。どうやら私の顔色はすこぶる悪そうに見えるらしく、ごめんなさい続きは後日でもいいですか、気分が……。と申し出るとすぐさま家路につけたのだ。出来ることなら毎日この時間に帰りたい。校庭を通り抜ける時、同級生たちの好奇の目に晒されたが、構わず歩みを進めた。いつも通りに歩いた筈が、かなりフラフラしている。覚束ない足元に、どうやら思ったより参っているらしいとぼんやり思った。


 我儘を地で行く彼女にたてついたことを後悔してはいるが、彼女を前後不覚にまで怖がらせた事は全く持って後悔してはいない。寧ろ脅しで済んだことを感謝しろ。……ハルトに。

 ()()()よりかは幾分か落ち着いた苛立ちと悲しみであるが、またじわじわと延焼しているかのような、そんな心地だ。

 一生忘れられない、一生ものの傷が、私にはある。


 わかってほしくはない。同情も要らない。この気持ちは私だけのものだ。その場しのぎな慰めなんて、不愉快でしかないじゃないか。

 だから弁明はしなかった。


 それに、彼女が自分で言っていた名士の娘ならば、板挟みにされる教師陣が不憫だった。私に謝罪の意志が無いのを聞き、あからさまに顔色が悪くなったから。


 (私に重い罰を課すことで、例の名士へのアピールにならないかな)


 個人的には一週間停学がいいと思うのだが、どうだろう。



 * * *



 ツリーハウスのある湖が見えると、途端に涙腺が決壊した。感情のコントロールなぞ知ったことか。もう何もかも疲れた。

 ギャン泣きしてやる。そう思った。そうすれば、少しは気分が晴れるはずだった。


 しかし震える喉で息を吸い込んでも、迫り上がってくる感情はぱきぱきとひび割れるだけだ。

 どんな理由も、所詮は後付けで着飾りで虚勢で偽りでしかなくて。私は(ここ)でかつて与えられた残酷な許しの元で、自壊を促すような本音しか紡げない、何者にもなれないままで、成り損ないの、酷く脆く不完全なままで完成された、唯緩やかな枯死を望むような。

 そんな存在だという事実を忘れたくて、波風の立たない日々を望んだというのに。

 何が悪かったというのだ。災難という言葉では言い切れない痛みを呼び起こさせるほどの罪なのか。そんな筈があるものか。

 彼女にはその自覚がなかったことがまた私を怒らせた。無知とは罪なのだ。知らないこと自体は罪ではなく、知ろうとしないことが罪なのだと人は言う。だが、私にとっては、彼女が前者でも後者でも関係なかった。ただ、許せない、と思う。この怒りが妬みでもあるからこそ。


 「……っ、っく、うっ……」

 

 嗚咽をかみ殺し、手の甲で目尻を繰り返し拭う。


 落ち葉が堆積した柔らかな地面に蹲って、小さく小さくなった。もっともっと小さく身体を畳んで、そうしていつしか小さな粒になって、土と混じって、風に飛ばされ溶けて消えたなら、会える、だろうか? 此処から居なくなれる……だろうか?


 そんな祈りもすぐさま一笑に伏す自分が憎らしかった。空想だと躊躇なく断ぜてしまう自分が。否定するなら、代替案を出せよと思う。建設的なものを。

 

 ……分かっているくせに。もう私に、生み出せるものなど何も無い。


 ひとつめの生を、唯一のものだと盲信して、それでも精一杯生きていたのに。

 私の、何もかもが途中だった。全て奪われて放られて、ただ記憶だけ悪夢のようにはっきり残されて。神か何かが居たのなら、こんなに手酷い裏切りがあっていいのかと、血を吐くまで詰ってやると思った。


 そうして半狂乱になってともすればそのまま狂死しそうな私を拾ったのがじじいだ。

 言葉のわからない気味の悪い幼子を、辛抱強く育ててくれた。

 水も食べ物も大地も植物も、何もかもを怖がる私に、ひとつひとつ、安全なものだと身をもって教えてくれた。

 私の唯一の親代わりになってくれた。私のためと思うことは、何でもしてくれたのだ。本当に、なんでも。


 ……なのに。いや、だからなのか。


 「どうして、っ居なくなった、のよ、じじいのっ……ばかぁ! うらぎりもの……!!」


 (気付いて仕舞えば、もう戻れないと分かっていた)


 それでも、今まで耐えていたはずなのに。


 「一緒にいるって、言ったのに! 嘘吐き! っあああ!!」


 慟哭。

 そんな言葉を、どこか他人事のように思い出していた。


 (こんな感情、知りたくなかった!!)



 今なら、この逸る感情のまま、肋骨の中心に短刀さえ突き立てられるなどと、そんなことばかり考える。


 無様に打たれ弱い身体ではかえって気を失う事も出来ず、私はただただ小さくなって、いっそ暴力的なまでに我が身を食い破る痛みに翻弄されるしかなかった。


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