ジャマイカサウンド史 ~ アルトン・エリスとロックステディ篇
コクソン・ドットとデューク・リードらから始まったジャマイカ人初のオリジナルソングのレコーディングは、スカサウンドというブームを国内で巻き起こす。
スカはジャマイカだけに留まらず、当時宗主国であったイギリスまで届く人気を博す。
スカはハットリズムが「スキャッスキャッスキャッ…」という音を出すことからスカと呼ばれる。
60年代も中期に入るとスカを代表するバンド「スカタライツ」も解散。
同時にスカサウンドもブームを終えた。
同じく60年代中期にスカに代わる新しいジャンルの音楽がジャマイカで誕生する。
それは従来の早いテンポのスカよりも、ゆったりとしたリズムを特徴とした「ロックステディ」である。
「ロックステディ」は、〝けだるく、落ち着いて(ステディ)ダンスを踊る〟という意味合いから名づけられたという。
そもそも「スカ」から「ロックステディ」へブームが移行した理由は、66年ジャマイカへ熱波が襲い、「あまりの暑さのためスカの早いリズムに(自分たちのダンスが)ついていけない」とか「スカの音が熱さの為うっとおしい」「ミュージシャン側からも暑さのためスピードダウンした演奏にさせて欲しい」という要望があったなど、様々な説がある。(ホントのところはよく分からない)
「ロックステディ」で有名なアーティストは、ケン・ブース、ホレス・アンディ、デルロイ・ウィルソン....等。
中でも特に代表的なミュージシャンというと、何といっても〝ミスター・ソウル・オブ・ジャマイカ〟の称号を持つ「アルトン・エリス」である。
「ロックステディ」を語る上で彼の話をしなければならない。
「アルトン・エリス」は1938年、ジャマイカ・キングストンで生まれる。
歌手、ソングライター、音楽プロデューサー、レーベル経営者。
ジャマイカのロックステディを確立した第一人者として、「ゴッドファーザー・オブ・ロックステディ」と呼ばれる。
またジャマイカにおけるR&Bの第一人者でもあることから「ミスター・ソウル・オブ・ジャマイカ」とも呼ばれた。
エリスは59年にエディ・パーキンスとのデュオ「アルトン&エディ」で、コクソン・ドットのスタジオ・ワンからデビュー。「ミュリエル」などがヒット曲し、順調だったが、61年にコンビを解消する。
その後、デューク・リードに誘われて、トレジャー・アイルから「アルトン・エリス&ザ・フレイムス」で65年スカの「ダンス・クラッシャー」で大ヒット。
ブームがスカから「ロックステディ」に代わると、今度は路線変更し「ロックステディ(曲名)」でヒットを飛ばす。
※「ロックステディ」というジャンルをここまで広めた影の功労者はデューク・リードと言えるかも知れない。
67年になると、再びコクソンのスタジオ・ワン・レーベルに戻り、ラヴ・ソング路線に転向。
ジャマイカ産のR&Bやソウルを多く歌い、ヒットさせ「ミスター・ソウル・オブ・ジャマイカ」と呼ばれるようになる。
75年になるとイギリス・ロンドンへ移住し、レコーディングビジネスを手掛け始める。
あの「ジャネット・ケイ」を見出だし、プロディースしたのも、実はアルトン・エリスなのである。
94年にはジャマイカ名誉勲章を受賞。
2006年にはインターナショナル・レゲエ・アンド・ワールドミュージック・アワード殿堂 入りを果たす。
ブームを巻き起こした「ロックステディ」というジャンルであったが、意外と短命に終わる。
60年代後半から70年代にかけて、ジャマイカサウンドは革命的な変化を遂げるようになる。
そう、レゲエの誕生である。
レゲエの誕生、ダブの発明、DJの出現…。
以上については次章にて書かせていただくことにする。
… つづく