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甘くない異世界 -お約束無しはきついです-  作者: 大泉正則
第一章 冒険者? なにそれ美味しいの?
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1-6 ブラックベア

「『ブラックベア』だ、逃げろ!」


「逃げるぞ、サトシ。」

 男の叫びを聞いた瞬間に即座に走り出すゴロウと、『ブラックベア』がなんのことか考えてひと呼吸遅れる私。だが、危険に対しては私よりゴロウの方が敏感だ。それ以上考える前に全速でゴロウに続いた。

 ゴロウは安全な薬草採取を中心にしている割に、危険に対する反応が早い。周囲への警戒も常に意識していて、私に薬草の説明をしている最中でも、接近する魔物に聞いてるだけの私より先に気付く。そのゴロウが採取の道具すら放り出して逃げ出したのだ。私にそれ以上逡巡する余地はない。


『ブラックベア』

 それは、いままで遭遇したことも、ズルトの街で出現の話も聞いたことがない魔物。だが、以前に何度か、聞いた覚えがある名前。それがブラックベアだと思い出すのに、数秒かかった。


 ブラックベアはズルトの街に出現したことがあると言われてる魔物の中で、最大で最悪で最凶の魔物だ。討伐リストの最上位に記され、討伐報酬も最高額で小さい成体でも金貨3枚、銀貨にして300枚に上る。もっとも、それだけの金額であってもソロで挑むのに見合った額とは思えないが。


「ぎゃ」

 短い悲鳴とともに重いものが木にぶつけられたような音がした。

 思わず振り返ると、森の中から飛び出してきた黒い巨大な塊が見えた。3人いたはずの鹿狩りの冒険者は、いつの間にか一人しか立っていない。たしか、よく赤毛鹿狩りを行っていたパーティーのリーダーでピートといったか? ただ、彼のパーティーは5人だったはずだ。


「足を止めるな!」

「わかっている。」

 少し振り返りはしたが、全速力から足を緩めてはいない。ピートたち3人のおかげで稼いだ距離だが、まだ十分とは思えない。もっともピートたちが引っ張ってきたブラックベアに私たちは巻き込まれたのであるから、彼らに感謝はしないが。


 ちらりと見たブラックベアは体長3mちょっとで、普通でも4mあると言われるブラックベアの中では小柄な方だろう。だがその大きさでも十分な装備の冒険者を前足の一撃で即死させる攻撃力がある。私たちが戦える相手ではない。


「ぎゃーーー」

 鈍い大きな音とともにピートのものと思われる悲鳴が聞こえた。既に50m以上は離れたと思うが、まだ十分な距離ではない。

 ブラックベアが最凶である所以はその大きさや攻撃力のためではない。やつの恐ろしいところは、常にパーティーで一番弱い相手から襲い掛かり、どれほど逃げても匂いをたどってしつこく最後の一人まで追いかけてくることだ。ピートのパーティーの見かけなかった残り二人も、おそらく既に襲われた後だろう。見かけたすべての人間を殺し尽くしてから、ゆっくりと食事を始めるのだ。


「西に浅い小川があったはずだ。そこで匂いを消さないと追跡を振り切れないぞ。」

 さきほど遭遇する前に駆け出したのだから見落としてくれないだろうか? それにピートがやられる前にだいぶ距離を稼いでいる。これだけ離れれば、あとは匂いを辿るしかないから川で匂いを消せば、大丈夫なんじゃないだろうか?


 そんな期待を裏切るように、小枝を踏み折る大きな音が背後から迫ってきた。


 速い。とても人間が逃げ切れる速度ではなかった。

 恐怖に負けて振り返った目の前には、既にブラックベアの右前足が迫っていた。咄嗟に丸めるように向けた背中を強烈な衝撃が襲った。


 ドンッ。


 悲鳴を上げる暇もなく吹き飛ばされる。だが、幸いなことに背嚢の中の松明と背負った槍の柄、そして安物ながらも鹿の皮でできたソフトレザーがギリギリ熊の爪を防ぎきってくれた。5mほど宙を飛び、そのままボールのように転がされたが上手く木の間を抜けぶつからずに済んだ。ラッキーだ。細い木でもぶち当たっていれば意識を持っていかれていただろう。

 だが、今の一撃で槍の柄は砕かれ、大きく引き裂かれたソフトレザーは防具の体をなしていない。大きく裂けた背嚢からは採取した薬草の一部がこぼれ出る。とても戦える状況ではなかった。


 もはやここまでかと半ば覚悟を決めて顔を上げたが、そこにブラックベアはいなかった。


「くそ、くるなぁ!」

 ブラックベアは私はもう倒したと思って、ゴロウを追いかけたのだ。ゴロウは私が襲われた瞬間も全く足を止めなかったが、それでも追いつけるほどブラックベアの足が圧倒的に速いのだ。

「グアアアアア」

 ベアの吠え声とともに吹き飛ばされたゴロウが目の前に転がってくる。直接木にはぶち当たらなかったが、地面で2回転したところで太い木の幹にぶち当たって止まる。ハードレザーの背中を爪で大きく切り裂かれており、赤い血の雫が宙を舞い、真っ二つになった背嚢の中の薬草がぶちまけられる。

 即死か?

 いや、まだ気絶しただけで生きていそうだ。


 私を助けに戻ってきた?

 いや、ブラックベアに回り込まれ、追い込まれるように私のところに吹き飛ばされただけだ。同じく餌食にするなら、ばらばらよりも二匹まとまってたほうが楽だ。


 どちらにせよ、ここにブラックベアが戻ってくる。


 ここままでは確実に二人共殺される。

 何か武器はないか?

 鉈? 近接用に購入したが、結局魔物相手に使ったことはなく、枯れ枝を集める為や薮を切り裂いて進むのにしか使ったことがない。

 短剣? 鉈以上にありえない。リーチが短すぎる上に倒した獲物を解体するのにしか使ったことがない。

 ゴロウの腰にある長剣を見た。今ここにある武器では、一番攻撃力はある。だが、それでブラックベアを倒せるのはよほどの達人だけだろうし、私は一度も振ったことすらない。


 その時、地面にばら蒔かれたゴロウの荷物の中にあった小いさな袋が目に入った。


 それは料理の味が薄すぎたときやそれに合う味の料理だった時にゴロウが大切そうにふりかけて真っ赤にしていた香辛料の袋。私は辛党ではなかったので頼んでみたことはないが、恐らく少し分けてくれといっても断られたであろうほど大切にしていた高価なもの。


 私はその袋を拾うと、私たちを追い詰めたと思って余裕を見せながら現れたブラックベアの鼻先に叩きつけた。


「ギャン」

 不意を打たれて鼻先に広がった真っ赤な唐辛子の粉を思い切り鼻で吸い込んだブラックベアが子犬のような悲鳴を上げた。ひるんだところに腰の小袋に入れてあった甘露毒草をまとめて叩きつけ、ついでにその汁が染みた手袋をブラックベアの顔面に投げつけた。


 予想もしなかった反撃にブラックベアがのたうち回る。

 その隙に気絶したゴロウを一気に肩に担ぎ、大きく裂けた背嚢を掴み、全力で駆け出す。


 西へ。


 一時的に唐辛子で鼻をやられたといっても、回復すればまた匂いを辿って追いかけてくる。小川で匂いを断ち切らないといけない。はじめの一撃で体中が軋むように痛いが、無我夢中で走る。

 やっとのことで森が切れ、小川が見える。濡れるのも構わず一気に川に入り、そのまま下流に向かって川の中を走る。どうせこの川は深くても膝にまで達しない程度だ。


 20mほど下って一度対岸へ上がり、茂みに身を隠す。

 ブラックベアの追跡を振り切るにはもう少し川の中を行きたいところだが、一度ゴロウの手当をしなければいけない。背中をブラックベアの爪で大きく引き裂かれ、四本の爪あとから血が噴き出している。

 私はゴロウの傷口に治癒薬をぶっかけ、止血薬を染みこませた布を傷口にあてがって包帯できつく巻く。

「うぅ、サトシ…」

 包帯を巻く痛みでゴロウが気付いた。痛いかもしれないが止血のためにはきつくきつく巻かなければいけない。あてがった布と包帯があっという間に真っ赤に染まる。なかなか血が止まらない。

「サトシ…俺を置いていけ…俺は足でまといだ…」

「あのブラックベアの足の速さじゃ追われたら一人でも二人でも変わらないさ。」

「だが、俺はもう助かりそうにない…」

「いいから、黙っておけ。」

 私はゴロウの口に残りの治癒薬を突っ込んで黙らせると、背中にゴロウをおんぶしてまた川の中を下った。上流の方に行けば街道があったが、開けた場所でブラックベアに追いつかれたらなすすべはないし、そのために一度戻るのはゴメンだった。


 森の中を突っ切るように全力で走る。


 音を立てないようになどとは考えない。ほかの魔物との遭遇の可能性も気にしない。ともかく、1mでも遠くブラックベアから離れ、一刻でも早く街へ。ゴロウの出血が止まらない。

「すまない、サトシ。こんな俺のために…」

「気にするな、ゴロウ。絶対に死なせないぞ。二人で生き残ろう!」

「いままで大したことも教えていないのに上前をはね、儲かりもしないつまらない薬草採取に突き合わせてすまなかった…」

「大したことなんかじゃない。言葉もほかのことも教えてもらわなければ生きていけなかった。薬草採取も少額ではあったが安全に稼ぐ立派な稼ぎ方だったさ。くそっ、変なフラグを立てるんじゃない!」

 ゴロウの声がどんどん弱々しく小さくなっていく。ゴロウは上着の隠しから小さな鍵を取り出すと、肩ごしに俺に渡そうとしてきた。

「これは宿にあるチェストの鍵、暗証番号は2525、ニコニコさ。」

 私は落とさないようにとその鍵を受け取った。

 私たちのような冒険者は街に家を持たずに宿屋だけを拠点に活動してるものが少なくない。だが、すべての荷物を常に持ち歩くこともできないので、長期間宿の部屋を借りて鍵と暗証番号がかかったチェストを置かせてもらうことができた。その冒険者が戻ってこなくても3ヶ月はそのチェストを保管する義務があり、親族やパーティーメンバーが鍵と暗証番号を持って引取りに来た場合に遺品を渡すようになっている。

「必ず、この鍵を突き返して暗証番号を変更させてやるからな!」


 私はゴロウを背負って一刻も早くズルトの街へと急ぐ。一刻でも早く、街へ街へ街へ…。


「ブラックベアが出た。重傷者がいるんだ。病院、いや、医者、治療院はどこにある?」

 門をくぐるなり、脇にある衛兵の詰所に駆け込んだ。いままで治癒薬で治るような傷しか負ったことがないので、医者の場所がわからない。

「おちつけ! まずはブラックベアの情報だ!」

「くそっ、地図はあるか?」

 変な問答をするよりさっさとブラックベアのことを教えたほうが早いだろうと判断する。

「街の東、赤毛鹿の狩場の南側、街道から200mちょっと入ったこの辺りで遭遇した。ここから西の小川まで走り、下流に少し下ってから森を突っ切って戻ってきた。匂いを見失っててくれれば、赤毛鹿の狩場と小川の間を探し回ってるかもしれない。」

「なるほど、街道を避けてくれて助かった。ブラックベアが街道に出ていたらどれだけの人が巻き込まれたかわからない。それにしてもよく逃げ切れたな。」

「いろいろラッキーだったのさ。いや、遭遇した時点でアンラッキーだったな。ピートのやつがトレインしてきやがったせいだが、他にも赤毛鹿狩りのパーティーが巻き込まれているかもな。」

「そいつは、明らかにアンラッキーだな。」

 衛兵隊長は、私と私が背負っているゴロウへと気の毒そうな目を向けた。

「それより治療院の場所だ。どこにある?」

「街の東側に医者がまとまって住んでいる区画があり、領主の館のところにも治療院がある。それとクリストス教の教会でも治療院をやっている。」

「教会の治療院だ。」

「ならば、街の西のこの辺りだ。しかし、その背中のやつはもう…」

「ありがとう、急ぐよ。」

 フラフラと歩き出した私を衛兵隊長は軽く押しとどめた。

「おい、今すぐ動かせるに荷馬車はないか! こいつを教会まで運んでやってくれ。大至急だ!」

 私は衛兵隊長が言いたいことは半分分かっていたが、大至急と言ってくれたことに感謝した。

「ブラックベアの詳細な目撃情報に感謝する。すぐに討伐隊を組織するが、あんたは…」

「ありがとう、でも私には無理さ。私は逃げることしかできなかったのでね。」

 私は弱々しく笑うと、引き出された荷馬車にゴロウを横たえ、その横に座り込んだ。


 街に入る手前から、もうゴロウは返事をしなくなっていた。


 門をくぐる頃には、体が冷たくなり始めていた。


 だが、私は荷馬車が教会に着くなりゴロウを背負い直し、疲労困憊の体を引きずって教会に駆け込んだ。

「治療をお願いしたい。重傷なんだ。」

 対応した司祭はしかし、横の方に併設されている治療院に向かおうとした私を押しとどめた。

「残念ながら、その方はもう神の身許に召されています。」

「だから、その神に頼みに来たんじゃないか。復活の魔法はないのか? まだ大して時間は経ってないはずだ。この異世界には魔法があるんだろう?」

「残念ながら、そのようなものはありません。アンデッドになるのもそのものが生き返るわけではないのです。一度失われた命が戻ってくることは、ありえません。」


「くそっ、転生はあるのに、復活はないのかよ。」

 私は絶望に包まれながら、教会の屋根の上の十字架を見つめた。

 いままでの厳しさから考えれば、そんな予感はしていた。


 この厳しい異世界に復活なんてものはなかった。


作:吾郎君、お疲れ様(ーλー)

神:お早い退場ですね?

作:元々そういう予定でしたから

ゴロウ:俺の屍を越えて…

作:おっと、そのセリフはNGですw

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