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君は陽炎

作者: 木立 皐月

ゆらゆらと僕の視界を揺らしながら、君はいつも危うげだ。




「どんな魚が好き?」

先程まで向かいの席で本を読んでいた筈の彼女が顔を上げ、唐突にそう言った。静かな図書館の中。そっと響いて僕の前でぽとりと落ちるだけの声で。

魚、と返すように呟くと、そう、魚、とまた返ってくる。こちらを見つめる冷めた目はそれこそ深い海みたいだ。手に持っている本の背表紙を指先でトントン、と鳴らしてみる。考えてますよ、の合図。彼女の深海の目を盗み見る。音を鳴らした指先を追う視線に、なんだか勝った気分になる。トントン、とまた鳴らすと、深海の目がこちらを向いた。催促するように。

「君はどうなんだ。」

あっ、ずるい、と声をあげる。僕は催促するように彼女の目を見つめた。

「私はクラゲかなあ。」

それは魚じゃない。言わないことにした。

「女の子だね。確かにクラゲは綺麗だ。」

ありきたりな答え。少し面白くない。

つまらないと思っているでしょう。悪戯に笑って彼女はそう言う。確かにそうだけれど、言い当てられるとなんだか後ろめたくて誤魔化すように読んでもいないページを1枚捲った。

「クラゲって、目も耳もないでしょ。」

僕は何も言わない。

「曖昧な姿で、細い触手を絡ませながら漂って。真っ暗闇で、底抜けに静かな場所で。そんな場所で、きっと感情なんて生まれないから。」

うっとりと思いを馳せるように話を続ける彼女は少しだけ滑稽だ。伏せた瞼に光が射すと、長い睫毛がちらちらと光を拒んだ。いつの間にか日が傾いていた。

「残念、目があるクラゲは沢山いるよ。」

え、と僕が知っている彼女の声より高い音が聞こえた。上げられた顔がほんの僅かに染まる。西日でよく見えないことにしておこう。

スピーカーから流れる静かな音楽。曲名は知らない。切ない旋律。閉館の時間だ。




「どんな魚が好き?」

再び彼女が問う。空の端に太陽の気配だけ残っている。街灯の少ないこの道で、彼女の影が頼りない。

少しの間考えるふりをする。顎に手をあててみたり。ありきたり。滑稽な僕を、見つめながら彼女はゆらゆら歩く。危うい。彼女はいつだってそうだ。

「鯨。」

彼女は何かを耐えるように笑みを零す。

「男の子ね。確かに鯨は地球で1番大きい。」

あやすようにそう言う。足取りが心なしか軽くなる。つまらないなんて思ってないよ。彼女が僕の先を越して言った。

「鯨って、世界一五月蝿いって言われてるんだ。言葉を持っているんだよ。大きな体で、それよりももっと大きな海を途方もなく泳ぐんだ。言葉と一緒にね。」

彼女が何かを言いたげにこちらを伺っている。何を言おうとしているのかは分かる。

「鯨って、」

言いかける、まだ言わせない。

「世界一五月蝿いなら、クラゲにだって少しは聞こえるかもしれないだろ。僕の声まで聞こえないクラゲなんて不幸だ。」

頼りない彼女の輪郭をとらえながら丁寧に口にする。確実に彼女まで届くように。僕の前を歩く足が一瞬動きを緩める。表情はよく分からない。夜の足音がもうそこまで来ていた。

「…鯨って、魚じゃないよ。」

誤魔化すように明るい声色。そんなのが聞きたかったわけじゃない。ちかちかと壊れかけていた街灯が唐突に辺りを照らす。確かになる筈の彼女の輪郭が、光に揺れて掠れる。辛うじて下手な笑顔が見えた。彼女は笑っていた。




君は陽炎

(君は影ろふ)

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