桜桃少女~大庭~
経済的には喫茶店を経営して生きてきた。実際に自分の力で乗り越えてきた部分もあるし、時には人に助けられもした。だから、自分が生きているのは自分以外の誰かのおかげである部分もあるのだと今は思えている。人と話をし、お金を手渡しで貰う。更にその人が知り合いを連れてきてくれる。その人を支えたいと思い、必死に話をする。懸命に主張を受け止める。するとその人の顔に含まれる不安が薄まり、減った分は安堵に入れ替わっていく。人を安心させることが、逆に自分が生きる理由を与えてくれた。
そうして増えた客の一人が、例年より早い梅雨入りのタイミングで教えてくれた。
「震災で亡くなった子どもが禅林寺に埋葬されるそうだよ」
震災、というワードにナイフを首元に突きつけられたような感覚を覚えた。首筋に迫り、ギラリと光る言葉。自分が故郷を離れた頃に比べ、それの持つ重みが自分に負担をかけるのを感じ始めていた。現実という負担だ。多くの命が失われ、直接的な被害はなくとも心を痛める人もいる。他の土地から被災地に行って行動を起こす人までも存在する。それなのに、自分は何も感じず、故郷を捨て東京に出た。そのことが、口に放り込んだ氷砂糖のように融けだしていた。
これはサバイバーズ・ギルドというやつなのだろうか。それに加え、敵兵を目前に武器を捨て逃げ出した兵士のような気持ちも感じた。周囲の人はいたわってくれているが、本当は自分の存在を歓迎してはいないのではないか? 開店当初は実際に冷やかしやからかいを目的にした客もいたし、そういう客の相手をすると流石に心が痛んだ。
生き残った自分は何をすべきか?
東京へ逃げた自分は何をすべきか?
二つの問いが自責の念をかき立てていた所にその知らせが舞い込んだのだ。すぐさま日時を尋ねた。
「6月19日だよ」客は答えた。6月19日。禅林寺。桜桃忌。疑問が二つ浮かんだ。
溢れそうな言葉をせき止めながら問うた。なぜ東京に埋葬されるのか。なぜ桜桃忌の日なのか。
「その答えは一つで済むよ」客は言った。「彼女が太宰の『ヴィヨンの妻』を抱えて、しかも栞と指を『桜桃』のページに挟んで亡くなっていたかららしいよ。しかもたくさんの付箋までつけてあったそうな」
「……なるほど」
客が知っている限りの話を聞くと、どうやら彼女が被災した地区と自分の実家が割に近く、互いに高台にあったため津波には巻き込まれなかったが、古い住宅が多かった分だけ軒並み倒壊してしまったらしい。
その日の営業が終わると、なんだか桜桃忌が待ち遠しいような、それとは反対にその気持ちが不謹慎なのではないかという気持ちも生まれた。自分はそれだけ罪を滅ぼしたかったのかもしれない。