”それでも、時には逆らうな”
英作が猪勇の愚行に腹を立てている間に、卓郎は淡々とチップの殺害を終わらせていき、ついに火芽香で最後となっていた。
その傍らでは、猪勇の奇行を疑問視する声が上がっていた。
「でもだとしたら、あのデブ馬鹿じゃねぇ? 俺たちがエレシティに行くって知ってて貸すなんて。わざわざ返しに行くようなもんじゃんか~?」
槍太は首を傾げる。それに、風歌がケロッと一言。
「イノシシは忘れっぽいからじゃない?」
それは、完全に猪勇を馬鹿にしている言い草だ。
(ふ、風歌さんって最近どんどん口が悪くなってくような気がする……)
最近の風歌の毒舌が酷くなっていることに、大牙は苦笑いしていた。
「おお。お嬢ちゃんなかなか鋭いねぇ。その通り。猪勇は3教えても4忘れるような奴だった。多分、自分が盗んだことなんて忘れてるに違いねぇ。でもよ、車の事となると違ったんだけどな。とにかく車への情熱が尋常じゃなくてよ。アイツは開発チームに入ってから大変だったんだ。『これは地球の車なんだ~!』って町中言い触らしてよ」
英作はその時の苦労を滲ませて溜め息をつき、やれやれと首を振る。
「なるほど。ヒルドラーでも同じことしたんだろうな」
闇奈は、何故かリンクスが、軽トラの操作は地球のと同じだと知っていた事を思い出した。あの軽トラが地球産であることを、ヒルドラーの人々も知っているのだ。
「じゃあ、車、お返しした方がいいですよね」
火芽香がもっともな事を言ったので、みな惜しい気持ちを抑えて納得した。あの車が無いとヒルドラーに帰る時困ってしまうが、こういう事情なら仕方が無い。
しかし、英作はゆるりと首を振って見せた。
「いや、猪勇にさえ渡さないでくれればお前らにやるよ。これからよく使うんだろ?」
かなり太っ腹な英作に、刀矢は驚く。
「いいのか? 大事な思い出があるんじゃないのか?」
地球での英作は、まさに猪勇を超える程の車オタクだった。「男ならMT車乗りこなすもんだ」と言って、AT車には決して乗らなかった。刀矢がマニュアル運転ができるのも、そんな英作の影響が大きい。刀矢が知っている限り、英作は国産車にこだわっていて、これだと決めた車を永く愛用するふしがあった。そんな英作が何故あんな軽トラに乗っていたのかは疑問だが、いつも車に対して並々ならぬ愛情を注いでいた英作のことだ。それ相応の思い出があるに違いない。
そんな刀矢の気遣いは無用だと言うように、英作はニッと笑って見せる。
「思い出だからって、大事にしまっとくだけが愛情じゃねぇよ。俺の愛車にはトコトン走ってもらいてぇからな。あそうだ。助手席には緑魔導士が乗ったら速く走るそうだぜ」
それに、璃光子は溜め息をついて頷いた。
「知ってる。でも速すぎて怖かったのよね~。でもなんで、魔導士によって走ったり走らなかったりするの?」
その言葉に、英作は初耳だといった顔で首を傾げた。
「へぇ。そんな現象が起きるのか。エレシティには魔導士が少ないからよ。制作中は猪勇か受付の姉ちゃん使って実験してたから、赤と黄が合うことはわかってんだけどな」
それに、今度は火芽香が反応して身を乗り出す。
「え、赤が合うって、本当ですか? 私は赤魔導士のはずなんですけど、変な音がしてダメだったんですが」
英作はまたも首を傾げる。
「そうか? よくわからねぇな。鳴応石のことは猪勇が一番だが。まあ勉強しとくから、そん時の状況詳しく教えてくれ」
そう言うと、英作はデスクからノートパソコンらしき機械を取り出した。
「パソコン。作ったのか?」
次々に登場する文明の利器に、やや呆れ顔の刀矢。
「いや。俺が来た時にはすでにあったぜ。エレシティは電気が伝来してから800年の歴史があるからな。下手すっと地球より進んでたりするかもな」
英作はパソコンを起動させながら笑った。
「それにしても、アシュリシュは本当に不思議な所ですね。古代生物と高度文明が共存してるなんて」
大牙が言うと、英作が呆れたような顔で溜め息をつき、不服そうに呟いた。
「いかにも日本人らしい発想だな」
「えっ?」
思わず聞き返した大牙を、英作は一瞥するとまた溜め息をつく。
「いかにも島国人間らしい、了見の狭い発想だと言ってんだ。考えてもみろ。地球だって、似たようなもんだろ? 毎日たらふく食って、成人病だのコレステロールだの騒いでる国もあれば、毎日食えるか食えねぇか命懸けの国もある。インターネットどころか、インドア(屋内)も知らねぇ子供だっている。格差を認めねぇのは、平等社会で平和ボケの日本人だけだ」
そう呆れながら放たれた英作の言葉に、日本人は唖然とした。
『成人病』や『インターネット』という言葉は流行り始めたばかりであまり馴染みはなかったが、胸に迫るものは十分にあった。
(さすがS大。語るわね)
璃光子は英作に感心の眼差しを送る。S大は、わりと高学歴と言われる大学なのだ。その大学の卒業生である英作と刀矢は、それなりの学力があるということだ。
「よし。起動完了だ。じゃあ、教えてくれ」
英作は何事も無かったかのようにキーボードに手を置いて、火芽香に事の詳細を求める。
火芽香は、赤魔導士である自分ではエンジンが悲鳴を上げて駄目だったこと、青魔導士である水青ではあまり速く走れなかったこと、そして、黒魔導士である闇奈ではエンジンすらかからなかったことを説明した。
とその時、部屋のドアが勢いよく開き、ハゲオヤジが顔を覗かせた。
「理事! 超合金チームのボブさんから伝言です! 準備しとくからいつでもカモンと!」
ハゲオヤジは境目の無いおでこの汗を拭いながら入ってくる。どうやら走ったらしい。
「おお。早かったな。卓郎、案内してやれ」
「はい。では行きましょう」
卓郎に促され、全員が部屋を出ようとした時、
「刀矢」
何故か、英作が呼び止めた。
「うん?」
振り返り、眉を上げる刀矢。
英作はしばし刀矢の顔を確認するように見た後、
「会えてよかったぜ。お前に会えて、ホントによかった」
と言って懐かしそうに微笑んだ。
「なんだよ。お前らしくないな」
英作に似合わない言動に、刀矢は気持ち悪そうな顔をしている。しかし、英作はいつになく真剣な顔をして刀矢をじっと見ている。
「刀矢。お前がここに来た理由……聞いてもいいか?」
「ああ、いいけど」
らしくない英作の態度に戸惑いながらも、刀矢はアシュリシュに来るに至った事情を説明した。
英作はそれを聞き終えると、表情を隠すように軽く俯く。
「護衛衆ねぇ。そんな伝統守ってる家があるなんてな。……遣り甲斐はあるか?」
「ん、まあ、そこそこ」
正直、今回はトラブル続きでしんどい刀矢は曖昧に頷く。
「まぁ、後悔しねぇようにやってくれよな。後悔だけはしねぇように……」
英作は顔を伏せたまま、何故だか少し切なそうに言う。
そんな英作を、全員が不思議そうに見る。
すると英作はそんな空気を壊すように、パッと顔を上げてニッと笑って見せると、明るい声で言った。
「ボブが待ってる。引き止めて悪かった。じゃあ、行ってこい」
「ん? あ、ああ……」
刀矢は英作が気がかりだったが、今は超合金技師を待たせるわけにはいかないと、皆と一緒に部屋を出て行った。
部屋には英作一人になり、途端に静寂が訪れる。部屋の隅にあるバッテリーが稼動するぶーんという音がかすかに響いた。虚無感さえ漂う静か過ぎる空間で、英作は放心したように刀矢が去っていったドアを見つめていた。
そして、ある日に思いを馳せる。
(1997年……か。そうだったな。その翌年だったな。刀矢、お前が──)
英作は悔しそうに、目を伏せる。
(お前が、いきなり遺影になっちまったのは)
グッと拳を握り、キュッと口を結んだ。
(そうだったんだな。お前、ここで死んでたんだな。こんな事してるから……死ぬ羽目になったんだな)
大きく息を吐いて、先ほど刀矢に偉そうに語った自分の声を思い出す。地球に帰ったら、ワームホールに巻き込まれる前に英作たちを救うと言った刀矢に、自分は時空に影響を与えるのは良くないからやめろと語った。
(時間には逆うな──か。そうだろうな。それが賢明だろうな)
間違っているとは、思わない。己の都合の為に、世界の理を乱すわけにはいかないのだ。でも──
(だけど、やりきれねぇな。でも、何も言えねぇな……)
激しい感情が、心の中を駆け巡っていた。──友を見殺しにしなければならない──それは、理屈では分かっていても、容易に受け止められるものではなかった。救いたい。死なせたくない。それでも──
(刀矢。わりぃな。俺と一緒に、運命を受け入れてくれ。世界の理を守るために……)
あの日──1999年。ワームホールに出会った日。
英作は卓郎を連れて、刀矢の一周忌に訪れていた。そして、その帰りだったのだ。ワームホールに巻き込まれたのは。
偶然と呼ぶには、あまりにも数奇な運命。だが、これも決して偶然ではなかったのだった。
英作がなぜワームホールに巻き込まれる羽目になったのかは、アシュリシュ編が終わった後の地球編に書いてあります。そこが本当のラストでクライマックスとなっているんですが。いや~……先が長いですね(^^;




