“折れてしまった鍵”
《サキ……》
──な……んだ……?
《サキ……》
──誰だ?
《神様……お願いします》
──何言ってるんだ?
《未来なんてなくてもいい》
──待ってくれ
《何もいらないから》
──言うな
《僕に……》
──言わないでくれ!
《僕にサキをください》
──やめろ!
**
「う……っわああああ!」
叫びながら、剣助は飛び起きた。その瞬間、体が浮いた感じがしたのだが、それは落ちているだけだった。
ドスン──
「って!」
剣助は3メートル程の高さの岩から落ち、尻もちをついた。
「いって~。アレ? どうしたんだっけ?」
辺りを見回す。そこには誰もおらず、倒れた木や大きな岩などが雑然と転がっているだけだった。
剣助は痛む頭を抱えて顔を歪めた。
「そうだ、流されて……みんなどうしたんだ?」
津波の記憶を思い出しながら、いつもの習性で背中の剣に手を伸ばした。
そして、はたと止まった。
全身の血が凍り付くような感覚。
──剣がない。
銅家21代の歴史を支えてきたあの伝家の宝刀が、ない。
思い出した。津波で流されたとき、何とかして止まらなければならないと思い、木に剣を刺して踏みとどまろうとして失敗し、誤って岩の割れ目に刺してしまった。水圧で剣はひしゃげて、ついにはボキッと真っ二つに折れたのだった。
あの剣は銅家の全てだ。あれが無くなってしまっては家は存続できない。えらいことになってしまった。
「やべぇ……やべぇぞ」
そして、もう一つヤバイことがあった。
あの剣は、地球へと帰る魔方陣を起動させる鍵なのだ。
剣がないということは、帰れないということだ。
「ウソだろ。ど、どうしよう……」
あまりの絶望さに、剣助はしばらくその場で呆然としていた。しかし、いくら考えてもいい解決策なんて浮かぶわけない。剣助は絶望に折れ、途方に暮れた。
その時、夢の声が頭に響いた。
「さっきの夢……」
ただ男が喋っているだけの、絵のない夢だった。それなのに、ものすごい恐ろしさを感じた。何がそんなに恐ろしいのか、全くわからなかった。
「なんかあの夢、前にも見たことあるような」
剣助は普段寝つきが良く、夢を覚えてることはほとんどないのだが、あの声は聞いたことがあるような気がしていた。
「いや、今はそんなことどうでもいいか。とにかく、みんなと剣を探さなきゃ」
頭を切り換えて立ち上がろうとした時、
「つっ!」
右足に激痛を感じた。見ると、足首は赤紫色で腫れていた。捻挫だ。
「っくそー。ついてねぇな。いや、捻挫で済んでるだけマシか」
自分に言い聞かせて、その辺に転がっている大岩に手をかけ、片足で立ち上がる。
左側を見上げると、高い崖がそびえ立っていた。反対側は低いものの、やはり崖になっている。どうやらすり鉢状の窪地のようだ。どちらかの崖を登らないと、ここからは出られない。
「出れっかな」
口の中の砂を吐き出し、低い方の崖に手をかける。足場になりそうな岩に痛みを堪えて足を乗せようとした時、その岩の下側に、岩に添うようにへばりついてる何かを見つけた。
それはとても見慣れた風貌をしていて、間違いなく人だ。
「槍太?」
ぽつりと呼びかけたが、槍太はピクリとも動かない。
「槍太!」
岩から足を降ろし、岩の下を覗き込もうと体勢を変えようとしたが、あまりに慌ててしまったので転んでしまった。捻挫の足に激痛が走る。
「うあ! いって……そ、槍太!」
這って行き、岩にへばりついている槍太を引き剥がす。
槍太の腹の辺りは、異常なほどぺしゃんこだった。肋骨が全て折れている。息もしてないし、顔色も真っ白だ。
「そんな……槍太! おい! 槍太!」
頬を叩いても揺さ振っても、槍太は動かなかった。
ーー
一方、二人を捜索していた闇奈は、剣の気配をようやく察知出来ていた。
「刀矢! この上に気配を感じるぞ!」
「おお。意外と早かったな。……あの上か?」
刀矢は苦い顔で呟いた。闇奈が指差した先は、まさに断崖絶壁だ。容易には登れないので、とりあえず呼びかけてみることにした。
「お~い! 剣助ー! 槍太ー!」
しかし、刀矢の声はただ虚しくこだましただけだった。
「やっぱり、行ってみるしかないか」
ロッククライミングの経験は無いが、登ってみるしかない。軽装になる為に刀を置き、刀矢は崖に手をかけた。
と、その時。視界の端に、闇奈がポーンと飛んでいくのが見えた。気功弾を利用した跳躍技だ。
「!?」
それを初めて見た全員は驚いた。これは恐竜の頭の上に登った時にも使ったのだが、お披露目するのは初めてだ。
闇奈は岩肌に着地すると、上手に足場を選んで気配がより強い方へと移動する。
「なんか、この岩が怪しいな」
直径2メートルほどの大岩を覗き込む。すると、岩の割れ目に挟まっている物を見つけた。
「え、これまさか……」
闇奈は緊張した。剣が折れ、その主はいない。思ったより危険な状況であることを、はっきりと悟った。
闇奈は崖下に向かって慌てて叫ぶ。
「刀矢! 早く探せ! 私はもう少しこの辺りを探すから、もっとアッチ! 行ってみてくれ!」
「わ、わかった。気を付けろよ」
闇奈のただ事ではない様子に、皆の動きはスピードアップした。
(やべえ早く、早く探さねえと。こんなことなら、夜から探しときゃよかった)
のんびり服を選んだり、不謹慎に笑ってしまったことを改めて後悔した。
「ん! んん~……ってぇ!」
闇奈は岩の隙間から剣を引き抜いた。柄のない剣を引き抜くには、刃を握るしかなかった。
思いっきり刃を握った為、手の平から血が流れていく。
「おい。お前の持ち主はどこにいるんだ? 教えてくれよ」
闇奈は血で濁っていく刃を見つめて、呟くように問い掛けた。剣に話し掛けるなんて滑稽だが、闇奈にとってはこの剣は何か自分に近い気配があるので、つい擬人的に考えてしまうのだ。
しかし次の瞬間、奇跡的に思いが通じた。闇奈の頭の中にビジョンが広がったのだ。
勢いよく流れる水。浮いたり沈んだりしてコロコロ変わる視界。
そして、止まった。
しかし、ボキッと何かが折れた感触がして、再び流された。
そして、そのビジョンが行き着いた先は──
「あそこか!」
闇奈はずっと斜め下にある窪地に向かった。
ーー
一方、剣助は動かない槍太を必死で揺さぶっていた。
「槍太……っ槍太、ウソだろ……」
今は、治療魔法が使える風歌もいない。気功術が使える闇奈もいない。
こんな状況で槍太が瀕死の状態であることを把握したところで、どうすることもできない。剣助は怖くて脈が取れなかった。
傷だらけで泥だらけの槍太の顔は、とても青白くて、触ると冷たかった。
(まさか死……)
そんな考えがよぎった瞬間、体がガタガタ震えだした。
「ど、どうすれば……どうすれば……。そうだ、闇奈が、やってたみたいに……」
大牙の息を吹き返させた時の闇奈を思い出し、剣助は心臓マッサージをしようと槍太の胸に手を乗せた。
しかし、
グニョ──
肋骨を全て砕いたそれは、もはや人間の体の感触ではなかった。剣助の手は、ゴム風船のような槍太の胸にあっさりめり込んだ。
恐ろしい感触に怯え、慌てて手を離し、震える両手を握り合わせる。
(そんな……ウソだ。俺、何もできない。俺は……)
剣助は半分言い訳をするように、自分の無力さに打ちのめされていた。
その時、
「剣助!」
崖の上から声が聞こえた。
剣助が潤んだ瞳で見上げると、それは闇奈だった。
「あ、闇奈……?」
一瞬、現実味を感じなかった剣助だが、そこに確かに本物の闇奈がいると理解した途端、泣きそうな顔になって叫んだ。
「闇奈! 槍太が!」
闇奈はすぐ飛び降りてふわっと着地した。すかさず槍太の首や口に手を当てる。
闇奈の表情は一瞬にして曇った。
その光景を見ても、剣助はただ呆然と座っていた。
闇奈は慌てて槍太の胸に手を当てた。
(骨はダメだ。内蔵が破裂してる? まさか心臓は!?)
闇奈は弾かれたように槍太の胸に耳を当てる。が、心臓は動いていなかった。
耳を当てたまま大きく目を見開いた闇奈は、何かに引っ張られるようにすーっと上体を起こした。その目は、呆然と遠くを見つめている。
──死んでる。
剣助も、ただ呆然と闇奈の横顔を見つめていた。




