“水青と水”
「水青。綺麗な水だけを引き上げてみてくれ」
刀矢がそう言っても、水青は困った顔で首を振る。
「急に言われても、どうやったらいいのかわかんないよ」
すると、刀矢は小さな石を池に投げ込んだ。静かだった水面に、水紋が広がっていく。
「あの水の輪を、止めてごらん」
刀矢が自信満々で水青を見る。
水青は相変わらず困り顔だったが、言われた通りに手をかざして、水の揺れが止まるように少し念じてみた。すると、
シン──
一瞬で、池の表面は鏡のように静まり返った。
「おお。すげー」
槍太が気の抜けた歓声をあげる。
「ほらできた。じゃあ、今度は、水が一滴、浮かび上がるように念じてごらん」
刀矢は次の課題を出す。
水青は意外と簡単に出来てしまったことに驚いていたが、性格上、すぐにワクワクしだしたのか乗り気になっていた。楽しそうに手をかざして、再び念じる。
すると、30センチ程の一筋の水柱が、池の上に立ち昇った。その動きは踊るうなぎのようだ。
「おお、すげー!」
槍太が今度は驚きの歓声をあげる。
刀矢は嬉しそうに拍手。
「うまい。もう、一滴どころじゃないな。じゃあ、そのままあのプールへ水を運んでみてくれ」
「おっとっとっと……」
水青は前ならえのように手をピンと伸ばしたまま、体を回転させてプールの方へ向いた。池の水はその動きに合わせて、確かについてくる。
「よっよっよっよっ」
さっきから独特の掛け声を発している。水の動きを微妙な感覚で調整しているのだろう。
そして、
「とう!」
バシャッ──
水青が気合いを入れたと同時に、水がプールへと落ちた。
「おお~! すげーじゃん!」
槍太は感動していた。
しかし、闇奈はプールの中を覗くとため息を一つ。
「でもこれ、けっこうな泥水だぜ」
闇奈は夜中でも見えるので、水が濁っているのも分かるのだ。
「え。そ、そうか~。どうしよ」
水青は手の平を見つめて、また困った顔をしてしまう。
すると、再び刀矢から課題が出された。
「水青。もっと、水の粒子を細かくして持ち上げてごらん。そうすれば、不純物は入らないから」
水青は粒子だとか不純物だとか難しいことは分からなかったが、前向きな性格なのですぐにチャレンジを決める。
「難しそうだけど、やってみる!」
気合いを入れ、水青は再び池に向かうと、手をかざして目をつぶった。そして念じる。
(細かく細かく細かく……とにかく細かく!)
ザザザザザザザ──
池の表面がざわめき始める。いや、それだけではない。
よく見ると、細かい水滴のようなものが空中にたくさん浮かんでいる。むしろ、霧に近い。
その光景に、刀矢は息をのんだ。
「いきなり? ウソだろ」
刀矢は、一発でここまで水を細かくできるとは思ってなかったのだ。
水青は目を開けて刀矢の方を向くと、苦しそうに言った。
「こ、これ、けっこう、重いっていうか……疲れる! これどうすればいいの!?」
刀矢はやや呆けながら、また次の指示を出した。
「あ、じゃあ、とりあえず全部まとめるんだ。それからプールに落としてくれ」
「んん~!」
水青は唸りながら、力を振り絞るように手の平をがっちり合わせた。
すると、その動きに合わせて水滴がどんどんくっついていき、ついには一つの塊になった。
直径2メートル程の巨大な水球となった水が、チャプチャプいいながら池の上に浮かんでいた。
「ふ~! なんか、合わせちゃうと楽みたい」
そう言って水青は、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で水球をクルクル回してみせた。
水青の功労を、闇奈が誉める。
「お~。水青、よくやったな。でもこれ多すぎねぇか? 溢れるぜ」
水青は、それもそうかといった感じで頷く。
「あ、そっか。じゃあ二つに分けようかな。捨てるの勿体ないし。えい!」
水青が気合いを入れると、水球が真っ二つに割れて、またそれぞれ球状になって浮いた。
(すごい。こんな短時間でここまで使いこなすなんて)
想像以上の結果に、刀矢は愕然としていた。
「で? お湯にするには?」
闇奈は刀矢に問いかけたが、刀矢は水球を見つめたまま呆けていて動かない。
「おい、刀矢」
呆然としている刀矢を闇奈がつつく。
刀矢はハッとして、
「あ、ああ、お湯にするには炎が必要だ。多分できちゃうんだろうな……火芽香も」
火芽香を見ながら気の抜けたように言った。
途端、火芽香は緊張。同級生を死なせたことがある火芽香は、火を操るということに抵抗がある。しかし、そんな過去があることを知らない刀矢は微笑むと、地面にあった枯れ葉を拾い上げた。
「きっとすぐ出来ると思う。まず、この枯れ葉。これを温めようと念じてごらん」
そう言って火芽香に手渡す。
その瞬間。枯れ葉は、火芽香の手の平に乗った途端に燃え尽きて消えた。
あまりの寸劇に、しばし放心する刀矢。
「じゃ、じゃあ、その辺に、焚き火の要領で火を起こしてくれ。……小さくでいいぞ」
あまりの順調さに、複雑な思いがする刀矢だった。
しかし、火芽香は踏ん切りがつかずにいた。手の平を見つめたまま固まっている。
昨夜盗み聞きした女たちはその心中を察していたが、直接聞いたわけではないので何も言えない。
すると、唯一の理解者である剣助が微笑んで言った。
「火芽香。ここはアシュリシュだ。大丈夫だよ。火を使ったって、誰も傷つかないよ」
『誰も傷つかない』
その言葉に、火芽香はハッとする。それを実現させるには、自分次第だということに気付いたからだ。
あの時──同級生を死に至らしめた時、自分は魔法のことを知らなかった。自分に火を操る能力があるなんて思わなかったのだ。
あの犠牲は“無知”が原因だ。
自分がきちんとこの能力について知り、制御していれば、あんなことにはならなかった。
もう誰も傷つけたくないのなら、ただ怖いからと逃げるだけではダメだ。
己の力を熟知し、完璧に制御しなければ。
「……はい」
火芽香は決心して、誰もいない地面の一点に集中してみた。
ジリジリ──
地面からすぐに煙が出始め、
──シュボッ!
そして、発火。
所要時間はわずか30秒だった。
「……」
もはや、刀矢からは何も言葉が出なくなっていた。当代は本当に、強すぎる。これじゃ護衛衆なんて無用の長物だ。
自分の存在意義がちょっと薄れたような気がして、気が滅入る刀矢だった。
闇奈は、割りとあっさり火への恐怖を乗り越えた火芽香に驚いていた。しかし、昨夜剣助と抱き合っていたことを思い出し、なるほどなと納得した。
──まったく剣助は大した奴だ。
あれ程の心の傷も見事に中和してしまうのだから、剣助の持って生まれた癒し能力はすごい。
この幼馴染みは小さい頃から何も変わっていないんだと、闇奈はホッとしていた。
水青は出来上がった焚き火の上に水球をかざし、時々回してかき混ぜる。そうしておよそ15分ほどで、適温のお湯はできあがった。
「それー!」
水青がウキウキしながらプールにお湯を注ぐ。辺りに湯気が立ちこめた。
「やったー! お風呂お風呂!」
璃光子がやっと被り物を取ってプールをのぞき込む。
「よかったね璃光子! 思う存分洗って!」
水青は涙ぐんでいる。なぜ泣いているのか謎だ。
「じゃあ、女から入るだろ? 俺らはずっと向こうに行ってるから」
剣助が軽く手を振って歩いていく。当然他の男たちも続いたが、密月だけは動かない。結局刀矢に引きずられるように連れていかれた。
「じゃあ入ろっ!」
一番楽しみにしていた璃光子が嬉しそうに言うと、女たちは浮き足立って衣服を脱ぎ始めた。
暗いせいか、恥ずかしさはあまり感じなかった。




