“懺悔”
「今だ早く!」
密月を倒す事に成功した剣助たちは、痛々しく曲がった闇奈の体を持ち上げて走った。
「こっちに!」
風歌が手を挙げ、闇奈が到着したと同時に治療を始める。
曲がっていた骨はミシミシと音を立てて正しい方向に矯正されていき、傷もじわじわとふさがっていく。
そのあまりに痛々しい光景を、火芽香と水青は苦悶の表情で見守っていた。
やがて、青かった闇奈の顔は徐々に色味を増していき、呼吸も安定していった。
それを見届けると、風歌はすぐさま刀矢の治療に取り掛かる。
その手際の良さは、たったこの二日間で培われたものだ。
『人を助ける』という使命感に支配された時、人は、想像以上に強くなるらしい。風歌は、それを身をもって体感していた。
一方、ロイダは特に密月を心配する素振りもなく、ただ璃光子を見つめていた。
璃光子も、じっとロイダを見つめていた。闇奈を取り戻した今、もう我慢することはない。
──聞いてもいいだろうか? 祖母のこと、母のこと。教えてくれるだろうか? もしこれで、戦うことになってしまったら、自分は出来るのだろうか? 肉親と戦うことが……。
などと、考えが右往左往していた。それは、顔に表れていたのかもしれない。
じっと険しい顔をしていたロイダが、急に優しいような悲しいような顔つきになった。
「光紗江の、孫か。私、の……。すまない。お前をこの運命から救ってやることはできない。歯車は、もう止められないほど回り始めてしまったようだ。無力な私を許してくれ」
今にも泣き出しそうな、どんよりとした哀しい声。
その急激な変貌に、皆は信じられないといった顔をしている。しかし、璃光子だけは噛み締めるように聞いていた。
「どうして、お婆ちゃんとお母さんを捨てたの?」
子供らしく顔をクシャッとさせて、涙を溜めながらそう問う璃光子に、ロイダは切なげな眼差しを送り、小さく首を振った。
「私は、光紗江を愛していなかったわけではない。生まれてくる子供をこの手に抱くことも、私は望んでやまなかった」
ここまで話したところで、ロイダは四色の方を見る。
四色は、ロイダをじっと監視するように見ていたが、やがて諦めたように視線を落とした。四色も、ロイダと璃光子の気持ちをくんで真相を話す覚悟を決めたようだ。
その反応を確認したロイダは、また璃光子と目を合わせたが、口を開くと同時に少し斜め上に視線を逸らしてしまった。
「私たちは、いわゆる政略結婚のようなもので、拒否することは許されなかった。光紗江は懐妊を確認すると、すぐに地球に帰ると言い出した。止めたが、無駄だった。地球に帰ることは伝統で義務づけられていたからだ。それに……光紗江は地球に好きな男がいて、私のことは嫌いだったようだ」
ロイダは、璃光子の斜め上を見つめて話していて、璃光子と目を合わそうとしない。この人は相当傷ついたんだと、璃光子にはすぐにわかった。
「私は、王に問い詰めた。何の為にこんなことをしなければならないのかと。すると、王は逆に聞いてきた。『お前は、彼女を手放したくないのか?』と」
今度は視線を斜め下へと落として、続ける。
「私が頷くと、王は嘲笑うように言ったのだ。『お前たちは私の目的の為のただの駒にすぎん。無駄な感情は持つな』とな」
悔しさが蘇ったのか、ロイダはグッと拳を握り締めた。
「私も光紗江も、王のくだらん目的の為に人生を奪われた。私なんかよりずっと、光紗江の方が代償が大きかったはずだ。あの若さで、母になることを強いられ、逆らうことは許されず、生まれてくる子供に殺されるのかもしれないのだから」
その最後の言葉に、女たちは反応した。
「殺されるってどういうこと?」
璃光子が食い付くように聞くと、ロイダは重々しく答えた。
「魔導士の出産は、ほとんど賭けなのだ。何しろ、自分より強い魔力を持った子供を生むと、母体が耐え切れずに崩壊してしまうからな」
それは、女たちの間に衝撃を走らせた。
それはつまり、自分達が母親を死なせてしまったことになるからだ。
みるみる思い詰めたように表情が変化していく女たちを見て、ロイダはハッと口を押さえた。出産のリスクの話をするには、間が悪かったようだと気づいたのだ。
「まさか、全員か? 皆、母親を上回ったというのか? ……やはり、お前たちが『完成』なのかもしれん」
その意味深な発言に、女たちが顔を上げた、その時。
「う……」
小さく呻いて、闇奈が意識を取り戻した。『気』の消費もあってか、目を覚ましてもまだ辛そうだ。
「闇奈さん!」
傍にいた火芽香が抱き起こし、額を撫で上げて顔色に気を配る。
闇奈は疲れ切った表情で辺りを見回し、そしてあるものが目に映ると、目を見開いて起き上がった。
「ミツキ」
そういきなり呟いたかと思ったら、闇奈は重い体を引きずり、背中から血を溢れさせて倒れている密月へと、這って向かっていく。
「密月……密月!」
まるで親友か恋人の元へ駆け付ける時のように、何度も名を呼ぶその光景は、すごく不思議だった。
自分を痛め付けたはずの相手に寄っていくのだ。
しかも這ってまで。
「あ、闇奈どうして」
意味不明な行動をする幼なじみの気持ちが理解出来なくて、剣助は立ち尽くしていた。
全員が不可解そうに見ている中、密月に到着した闇奈は、すかさず脈をみる。密月は、まだかろうじて生きていた。
闇奈はひどく慌てて振り向くと、すがるように叫んだ。
「風歌! 頼む! コイツを治療してくれ!」
予想だにしない事を言われた風歌は、目を丸くした。
「な、何言ってんだコイツは敵だぞ」
やっと仕留めた猛獣を治療されては困ると、剣助が闇奈を羽交い締めにして密月から引き離す。
闇奈はそれを振り切って、激しく首を振った。
「ダメだ! 死んじゃダメなんだ! 言わないといけないことがあるんだ……。頼む! 責任は私がとるから」
「責任って、一体どうとるつもりだ? そんなこと、許せるわけないだろう」
刀矢も怒った顔でたしなめる。
しかし、闇奈の必死な様子を見ていた火芽香は、闇奈には何か思うところがあるんだと思い、風歌に言う。
「闇奈さんは、意味もなくこんなこと言う人とは思えません。風歌さん、治療してあげてください」
途端、剣助の動揺はピークに達する。
「な! ひ、火芽香まで何言ってんだ!」
男たちからしたら、そんなの勇敢を通り越してクレイジーだとしか思えない。
風歌は、しばらく黙って俯いていたが、やがて決心したように顔を上げると、目をつぶって念じ始めた。
すぐに風が螺旋を描き、密月を取り巻く。
そうなるともう止めようが無くなってしまう男たちは、緊張で強ばりながらその過程を見ていた。
少しして風が止み、密月が目を開けた。
「密月!」
声を掛け、闇奈が抱き起こす。
密月は何が何だかわからないといった顔で辺りを見回していた。
闇奈は密月を支えながら座らせると、少し後ろに下がり、真向かいに正座して地面に両手をついた。
「密月、すまない! お前の仲間を殺してしまった……本当にすまない」
唐突な謝罪に驚き、密月は黙って闇奈を見ていた。他の皆も、同様だった。
「殺すつもりは、正直なかった。でも怒りに任せて。それで死なせてしまった。……言い訳はしない。逃げもしない。好きなだけ殴ってくれ」
『無血革命』。闇奈だって、そんな甘いことを考えてるわけではない。でも、不必要な殺生をした自分が、どうしても許せなかったのだ。
「そうかよ」
密月はやけに無感動に一言そう呟くと、闇奈の胸倉を掴んで立ち上がった。
そして、力一杯顔を殴り付けた。
デッドボールが当たったような鈍い音と共に、勢いよく地面に横倒れる闇奈。
護衛衆の男たちは、反射的にそれぞれ自身の武器に手をかけた。
しかし、無言で起き上がり、正座して二発目を待つ闇奈の姿を見て、手出しは出来ないとグッと堪えた。
闇奈の頬は、切れて血が出ている。
密月はその傷を狙うように、また顔を殴った。
闇奈は悲鳴を上げることも無く、またすぐに起き上がって正座。
密月は殴る。
闇奈は起き上がる。
こんなことを、10回ほど繰り返していた。
一同は、闇奈が地面に打ち付けられる度にビクッと肩を震わせながら、その様子を痛々しい思いで見つめていた。
今すぐ止めろと叫びたいが、みるみる腫れていく顔をグッと上げ、必死に耐えている闇奈を見ていると、その誠意を貫かせてあげなければ。という気持ちが湧いてくる。闇奈を信じて、見守る事しか出来なかった。
火芽香は、闇奈はやはりすごい人だと思った。
自分なんか同級生を殺しても、ただ謝るまでに7年もかかったのに。
11発目に差し掛かったとき、密月は闇奈の襟を掴みながら、ポソリと問い掛けた。
「お前を殺せば、俺は気が晴れるのか?」
目には、悲しみが滲み始めている。
もう腫れ過ぎで目が開かない闇奈には、密月の悲しい目を見ることが出来ない。
それでも、闇奈は切れた唇から、慰めるような優しい言葉をこぼした。
「多分……晴れない。私には、お前の気を晴らしてやることはできない。どんなに殴ってもらっても……二人を生き返らせることはできない。忘れさせてやることもできない。ごめん……ごめんな」
その言葉に、密月は悔しそうに目をつぶって唇を噛み、俯いて闇奈から目を逸らした。
そしてそのまま顔を上げずに、拳だけヤケクソに振り上げて、また殴り倒した。
(もういいだろ、クソ)
剣助は、武器の柄を握っている手の平から汗が滴れていくのを感じながら、ギュッと唇を結んだ。
血を吐き、起き上がろうとする闇奈。
しかし密月は、闇奈の肩を手で押さえ、それを制止した。
闇奈は不思議に思いながら顔を上げ、肩に置かれている手が密月のものだと分かると、恐る恐る呟いた。
「密月……」
しかし、密月から返事はない。代わりに、震えた吐息の音が、僅かに聞こえた。
密月は、声を殺して泣いていた。
「俺は、本当はわかっていたんだ。お前は、ただ逃げようとしただけで。俺たちを攻撃するのは当たり前なんだ。それに、俺は負けた。ソレだけなんだって」
涙でぼやけた景色の中に、屈託なく懐いてきたガルとパウの姿が浮かんだ。思い出の中の二人は、とても楽しそうに笑っていた。
密月の言葉の間に、嗚咽が混じり始める。
「本当は……俺が悪いんだって……あいつらを守るのは、俺の役目だった。それが、俺だけが生き残った。それが……一番悪いんだって」
急に泣き始めた猛獣は、まるでびしょ濡れの捨て猫のように物悲しくて。
その拍子抜けにも程がある光景に、みな唖然としていた。
その時、沈黙を守っていたロイダが口を開いた。
「いつだったかガルとパウは、お前の為なら死んでもいいと言っていた。自分たちを拾って育ててくれた密月は男の中の男だとか。本望だった、とは月並みな言葉だな」
ロイダは面倒臭そうに息を吐くが、慰めようとしている意志は十分伝わる。
密月は目線を落としたまま黙って聞いていた。さっき、『純血だからって自分だけ偉いと思ってる』だとか、『月の血が混じってる俺を蔑んでいる』などと不満をぶつけた相手に、こんな風に慰められるなんて、胸が痛む。
密月は片膝を立ててしゃがみ、膝の上に拳と額を乗せて、呟くように言った。
「アンナ。お前が、男ならよかったんだ。生まれも育ちもアシュリシュの、普通の男。それなら、諦めがついたのに」
その言葉に、ロイダが捕捉するように理解を示した。
「そうか、密月。五色に負けたのが悔しかったのか。五色の息の掛かった修験者に負けたのが」
密月はそう言われて、自分が本当に憎むべき相手を再認識する。
そして、もう原型を留めていない闇奈の頬に、まさしく腫れ物に触れるように、そっと手を当てて、
「すまねぇ。痛かったよな。緑魔導士の姉ちゃん、治療してくれないか?」
と言って泣きはらした目で風歌を見る。
じっと手を握り合わせ、祈るように見守っていた風歌は、大きな安堵の溜め息を吐き、闇奈の元へと走った。




