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“銅家”

「ひめか、ひめか。着いたよ」


 肩を揺さぶられる感覚と、少し焦ったように呼ぶ声に、火芽香はハッと目を覚ました。


「え……!」


 しまった寝てしまったのかと、慌てて車内の時計を見ると、もう夜の九時をまわっている。ここまで来るのに、五時間近くかかっている。これは隣県など通り越しているようだが、一体どこまで来ているのか。見当もつかない。


「行こう。みんな待ってるから」


 寝起きの火芽香を気遣ってか、叔父が手を差しのべる。従順にその手を取り、言われるままに車から降りて寝惚け眼を擦りながらすっかり夜となった周辺を見回す。

 そこには、寺院の入り口を思わせるような、見上げるほど大きな見事な(かし)の門があった。その右側の支柱には表札が埋め込まれている。白い石に刻まれている黒い行書に目を凝らすと、それは──『銅』という、たった一文字だった。


「どう……?」


 火芽香が微睡み(まどろみ)の残る頭でそれを読み上げると、


「『あかがね』って読むんだよ」


 叔父が車にドアロックをかけながら正しい読み方を教えてくれた。


 ──苗字が違うということは、父方の親戚か?


 火芽香は、母と死に別れてるだけではなく、父にも会ったことはない。どこの誰なのかも、生きているのかもわからない。中学生の時にこっそり見た戸籍謄本では、火芽香は母の“私生児”となっていた。つまり、母はシングルマザーで、戸籍上にも父は存在しないということだ。

 祖母や叔父などがいつも傍にいてくれたので、寂しさを感じたことはなかったが、父への憧れはずっと抱いていた。


 ──もしかしたら、父に会わせてもらえるのか?


 まさかそんなわけはないと、頭は冷めている。だが、今まで影すらもなかった父の消息。それのカケラでもあるのでは? と考えるだけで、心は勝手に踊りだす。

 火芽香はもう一度表札を見上げた。『銅』──アカガネ。父がいるかもしれない家。

 急速に高鳴り始めた胸に手を当て、小刻みに震えだした足を進めて、火芽香は『銅家(あかがねけ)の門』を────『運命の門』をくぐり抜けた。


--


 家の中は迷路のようだった。入ってまだほんの一分だが、もうすでに玄関がどこにあったかわからない。銅家(あかがねけ)の女中に案内されるまま、長い廊下を歩き、いくつもの階段を上がったり下がったりして、やっと着いたその部屋には……誰もいなかった。


「叔父さん、みんな待ってるって?」


 火芽香ががっかりしたような怒ったような表情で聞くと、叔父は突然苦悩の表情を浮かべて搾り出すような声で話し始めた。


「ひめか……君は、今から行かないといけないところがあるんだ」


「どこですか?」


 意味深なことを言われたのに、火芽香は自分でも驚くほど冷静に聞き返している。寝起きなせいなのか、あまりにも拍子抜けしたせいなのか分からないが、とにかく落ち着いている。

 叔父は更に辛そうに俯いて、小さく首を振った。


「僕にもわからない。でも、ずっと前から決まっていたことなんだ。姉さんも……君のお母さんも行ったところなんだ。おばあちゃんもだ。だから、心配ない。二人ともちゃんと帰ってきたし──」


 不自然なほど説明的に喋る叔父に、火芽香はなぜか苛立った。期待を裏切られたからかもしれない。


「とにかく、その場所はどうやって行くんですか?」


 強い口調で、遮るように言った。叔父に対してこんなに強く出たのは初めてと言ってもいい。

 そんな火芽香の態度に、叔父は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに悲しそうな顔をして、


「この……更に奥の部屋へ行くんだ。そうすれば、連れていってくれるはずだ」


 部屋の奥を弱々しく指差した。そこには、一間ほどの(ふすま)がある。


「わかりました」


 父に会えるわけではなかったと知って、少し自棄(やけ)になっていたのかもしれない。火芽香は冷淡な口調でそれだけ言うと、ツカツカと部屋に入り、躊躇うこと無く奥の襖へ手を掛けた。


「ひめちゃん!」


 唐突に、叔父が叫んだ。火芽香は少しハッとする。そういえば、今日の叔父は自分をこう呼ばなかった。小さい頃から、ずっとこう呼ばれていたのに。

 火芽香が静かに振り向くと、叔父は今にも泣きそうな顔をしている。いつも軽そうな叔父からは想像のつかない顔だ。


「気を付けて……絶対帰ってこいよ。兄さんも、おばあちゃんも、僕もみんな待ってるから。ひめちゃんの家族は、僕たちだけなんだから」


 いつになく真剣な叔父を、火芽香はすぐに茶化したくなる。人に心配されていると思うと、無意識に平気なふりをしてしまうのは癖だ。


「心配ないって言ったのは叔父さんですよ。私は英語も得意ですから、どこに行っても大丈夫です」


 その言葉を聞くと、叔父は諦めたように軽く頷いてそれ以上は何も言わなかった。

 叔父が見守り態勢に入ったのを確認した火芽香は、再び襖に向き直ると、ゆっくりと引き手に手を掛け、一つ息を飲み、そっと開けた。

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