“許されない罪を背負うこと”
女たちは、トイレスペースを探して歩いていた。
「よし。ここにしよう」
闇奈は、和式便器のような窪地を見つけて立ち止まった。かなり最適な場所だ。
「終わった後はちゃんと砂かけとけよ」
と言って、璃光子にスコップ代わりに太めで丈夫な木の枝を渡す。
(猫じゃないんだから)
と璃光子は苦笑いしながらも、枝を受け取って窪地に足を踏み入れた。
その時、唯一の光源となっていた月が雲に隠れてしまった。
辺りは漆黒になる。
「ちょ、ちょっとヤバイ、暗くて何にも見えないよ」
恐る恐る少しずつ足を出す璃光子。
「あ、そうか。みんなは見えないのか。悪かったな」
闇奈はそう言うと、璃光子の手を取って誘導を始める。
「すごーい! 闇奈は見えるの?」
水青が暗闇の中に明るい声を響かせる。
実は、闇奈には秘密があった。
気持ち悪がられるので、あまり知られたくない秘密だったが、水青の声の明瞭さに躊躇いが消えていく。
それに、ここは不思議な惑星アシュリシュで、ここにいる皆も不思議な力があるようだ。
今なら暴露するのは怖くない。
「ああ。小さい頃から、どんなに暗くても見えるんだ」
「ホント? 闇奈って便利よね~。気功は使えるし、目もいいなんて。うらやましい~」
聞きようによっては失礼なセリフだが、璃光子に悪気はないらしく、明るい声で言った。
しかし、闇奈は別な意味で驚いていた。
──うらやましい。
それは、誰に対しても自分がずっと心の中で言い続けてきた言葉だ。
闇奈は、特殊な名前と能力に苦労した経験が山ほどある。
強くなることだけが救いだった毎日。誰よりも強くなれば、こんな自分も正当化できるような気がしていた。
初めてうらやましいなんて言われて、どうしたらいいかわからずに、闇奈は明後日の方を向いてしまう。
すると、焚き火の傍に座る二人の男女の姿が目に入る。
剣助と火芽香だ。
(もしかしたら、ひめが何か話しているかもしれないな)
闇奈はそーっと近づいてみることにした。
「あ、あれ? 闇奈!? ちょっとー! 置いてかないで~!」
急に手を離された璃光子は大騒ぎ。
闇奈は慌てて戻ると、璃光子の口を押さえてシーッと人差し指を口に当てた。
「どうしたの!?」
何も見えず、状況が読めない水青と風歌も驚いた様子だ。
「シーッ! そこに剣助とひめがいる!」
それを聞いて、みな口を押さえて息を止めた。
闇奈は皆にこっそり様子を見に行く旨を伝えると、足音を立てないように剣助と火芽香の方へと歩を進める。
実際にはかなり距離はあるのだが、しんとした夜の草原では音が響きやすい。慎重に進まなければならない。
「よし、こっちだ。静かにな」
水青はスパイにでもなった気分でワクワクしながらついて行った。
ーー
「そうか。そんなことがあったのか……」
剣助は、火芽香の横で体育座りをしながら切なそうに小さく頷いた。
火芽香の話は痛々しくて、聞いている方も落ち込む程だ。
「彼はずっと私を責めていたのに、私はそれに気付こうともしないで。いつも目をつぶってばかりいたんです。……最低です私」
火芽香は辛いはずなのに、涙を見せない。まだ、気丈に振る舞おうと頑張っていたのだ。
かける言葉が見つからなくて、剣助はただ俯くばかりだった。
「本当は、死んでお詫びしないといけないのに」
と、自嘲するように力なく微笑む火芽香。
その言葉に、剣助は奮い立った。
「君は、火芽香は自分を責めてるかもしれないけど、俺は、絶対責めないからな!」
意味のわからない発言を真剣な目で言った。
火芽香のキョトンとした顔に、自分が変なことを言ったことに気付いて、慌てて言葉を続ける。
「いや、だから。だから、俺は、許すよ。誰がなんと言おうと、俺は、許す……よ?」
剣助は自分のボキャブラリーの無さにガッカリした。後半なんて、自分でも何が言いたいのかわかんなくなったぐらいだ。
しかし、奇跡的にその言葉は火芽香の心に染み込んだ。
──『許す』。
今、そう言ってるのは剣助であって、あの男子生徒ではない。
そう。許されるわけないのだ。いくら自覚なくやってしまったことだとしても。
しかし、何をしても許されないからといって、何も出来ないからといって、このまま何もしなくていいわけじゃない。
何をしても済む問題ではないが、どうしても言わなければならない言葉がある──
火芽香は為すべきことが決まって、ずっと張っていた糸が切れたような感じがした。
「いや、その、何ていうかな。つまり……」
剣助はまだ自分の発言に納得がいかないらしく、適切な言葉を探して頭脳フル回転中だ。
その時、
「ごめんなさい」
ふいに、火芽香がつぶやいた。
「え!? なななんで」
自分のせいで謝らせてしまったと、剣助は慌てた。
しかし火芽香は空に浮かぶ地球を仰ぎ、
「ごめんなさい。あなたを死なせたのは私です。
本当にごめんなさい……本当にごめんなさい!」
思い切り大きな声で叫んだ。
そのまま火芽香は真っ黒な空に向かって何度も何度も謝り続け、瞳からは沢山の涙が浮かんでは流れていった。
「火芽香……」
剣助は、その姿を遣り切れない思いで見守っていた。
その一部始終を木の影に隠れて見ていた闇奈たちも、心を傷めていた。
火芽香の境遇は驚きで、同情してしまう。
風歌と水青はもらい泣き。
璃光子はもう見ていられないといった感じで目を逸らした。
そして闇奈は、この時初めて自分達の境遇に嫌悪感を抱いた。
どうして、こんな思いをしてまでこの能力を磨かなければならないのか?
自分達に、その選択の余地を与えなかった親族さえも、憎らしくなってくるのだった。
ーー
剣助は、空を仰いでひたすら叫ぶ火芽香の横顔を見ながら想像していた。
彼女は──彼女達は、『実は魔法使いでした』。なんて、こんなバカみたいな真実を突然突き付けられて、どんな気持ちだっただろうか?
逃げ場を与えられず、考える猶予も与えられず、ただ『伝統』という名のもとに従うしかなかった自分の運命。
それに直面しても、誰に当り散らすでもなく、途方に暮れる事もなく、懸命に乗り越えようとしていて。
自分なんかより、きっとずっと辛い思いをしてきて、この先もきっともっと辛い思いをするんだと思ったら、何だか火芽香が今にも壊れるような気がしてきた。
剣助は無意識に腕を伸ばして火芽香を抱き締めていた。
「もういいよ。もう大丈夫だから……もうやめろ」
その腕は強く、声にも重みがあった。
火芽香は剣助に受け止めてもらえたことで、ダムが決壊したように感情が溢れてきた。
ずっと抑えて、ずっと見ないようにしてきた、感情。
本当は叫びたかった。
毎日毎日、不安だった。
自分の中に何かがあるんじゃないかって、ずっとずっと怖かった。
でもそれは叫べなかった。
叫んでしまえば、全てが壊れると思った。家族が、友達が、自分が。ずっと優等生としてやってきて、努力して築き上げた、それなりに楽しくて、居心地の良かった日常が。
失いたくなかった。
怖かった。
誰にも言えなかった。
嫌われたくなかった。
だけどきっと、自分が一番、自分に怯えていたんだ。
そして、恐れていた自分の中の脅威は、真実だった。
それなのに、この人はそんな自分を抱き留めてくれる。
初めて、優しさに甘えたいと思った。それを許してくれる。
この人なら。
──ごめんなさい。赦してください。今だけ。
火芽香も強く抱きつくと、剣助の胸に顔を押し当てて、わんわん子供のように泣き続けた。




