“風歌と風”
風歌のそばに到着した刀矢は、しゃがんで震えている風歌の横に膝をつき、なだめるように語り掛けた。
「風歌。落ち着いて聞いてくれ」
優しい声色に、風歌は涙ぐんだまま顔を向ける。
「まず、謝らせてくれ。俺は、君にアドバイスしてあげられることがあるのに、それをしようとしなかった。手出しをして失敗をして、取り返しのつかないことになるのが怖かったんだ。大牙の命を救う責任を、君一人に押しつけようとしてしまった。すまない。俺も、風歌と一緒にこの重責を背負おう」
刀矢はそう言って深く頭を下げたあと、顔を上げて風歌の肩にそっと手を置いて続けた。
「俺が、初めてここへ来た時、俺も……同じように刀で刺されたんだ」
全員が一斉に刀矢を見る。
刀矢は風歌だけを見て続ける。
「その時、君のお母さんも同じことを迫られた。
美風さんも、取り乱していたよ」
風歌の震えは、いつの間にか止まっていた。風歌は会ったことのない母の話に聞き入っている。
「でもね、美風さんは助けてくれたよ。見事に風を使ってね」
母の名が聞こえる度に、風歌は胸に何か熱いものを感じ、胸に手を当てた。
風歌が落ち着いたのを確認した刀矢は、核心にふれる。
「もしかしたら、風歌にもあるんじゃないか?
風に助けられたことが」
「えっ……」
──風に助けられたこと。
風歌には心当たりがあった。
あれは、小学校に入る前。
新しいランドセルを担いではしゃいでいたら、二階の階段から落ちて足を骨折してしまった。
もう入学式まであと一週間と迫っていたのに、医者からは全治三週間と告げられた。
入院は嫌だと泣いてごねだが、こればかりは仕方ないので、祖母たちは風歌を病室に置いて帰って行く。
夜。泣いて泣いて泣き続けた。
そんな風歌に見かねた看護師が、気分転換にと窓を開けた。
その時の心地いい風の感触は、今でも覚えている。
ひんやりした風が体の周りにまとわりついて、くすぐるように渦を巻いた。
そして、次の瞬間にはもう足の痛みは引き、医者も驚くほどの回復を見せていた。
もっとあった。
中学生の時、受験を明日に控えていたのに、40℃を越える高熱を出してしまった。
ベッドから起き上がることも出来ずに、もう受験も人生も終わりだと思っていた。
その時、祖母が窓を開けて風を入れた。
冬の風は冷たくて、病気の風歌には毒だったハズだが、見る間に熱は下がり、受験にも合格することが出来たのだった。
風歌は、その他にも、風が吹けば気分が晴れたり、風が吹いたおかげで救われたりした出来事を思い出した。
その時、
「うっ……ゲホッ!」
ボタボタボタ──
大牙の口から大量の赤い嘔吐物が飛び出した。
顔面蒼白、目も閉じかけていて、今にも事切れそうだ。
「た、大牙……」
剣助はやりきれない表情で固く拳を握った。
(タイムリミットか)
闇奈は密かに大牙を救出する策を練る。
しかし、助けたところであの怪我ではどのみち死んでしまう。
やはりここは風歌の力が必要だと、闇奈は祈るような気持ちで風歌を見た。
「思い出に浸っている場合ではないぞ。ほらほら、死んでしまうぞ」
四色は風歌を見据えながら、嫌なプレッシャーをかけてくる。
風歌に焦りを与えるその圧力を遮るように、刀矢は四色と風歌の間に割って入り、穏やかに訴えかけた。
「風歌、必ずできるはずだ。『風』に、お願いしてごらん」
「風に……」
風歌は見えない風を見つめた。いつでもどんな時でも自分を包み込んでいた風を。
全身で風を感じた。そこにある力を、全身で探した。
いつも、面倒なことはそれとなく避けてきた。でも、今は逃げるわけにはいかない。
──私がやらなければ、今。
──今、やらなければ。
風歌は決心したように目をつぶると、心の中で語り掛けてみた。
(お願い。大牙を治して)
しかし、風は吹いてこない。
今度は、祈るように手をギュッと握り合わせて強く願った。
(お願い! 大牙を助けて!)
すると、変化が起こった。
サワサワサワサワ──
さっきまで静かだった草原に、草と草が擦れ合い、騒めくような音がし始めた。
心地いい、そよ風が吹いている。
そしてその風は、大牙と四色の周りでそよそよと渦を巻き始めていた。
四色はそれを確認すると、ゆっくりと大牙を地面に寝かせ、そっと刀を抜いた。
栓となっていた刀が抜かれたことで、パックリと開いた傷口から大量の血が溢れ出し、草の間を這っていく。
大牙はもう、呼吸をやめていた。
「ま、間に合わなかったんじゃ……」
槍太が縁起でもないことを言い、剣助に睨まれた。
風は、ただくすぐって遊んでいるかのように、横たわる大牙の周りをそよそよとひたすらに渦巻いている。
その効果のほどは、まだ確認も想像も出来ず、一同は固唾を飲んで見守る事しか出来ない。
風歌は祈り続けている。
大牙の顔は相変わらず蒼白で、息を吹き返す様子がない。
やはり、間に合わなかったのか。
誰もがそう思い始めていた。
しかしその矢先、大牙の腹に開いていた穴はみるみる塞がり始める。
「あ、傷が」
璃光子が震えながら治っていく傷を指差す。
傷はもう跡形もなくなっていた。
驚きの光景に、一同は感嘆のため息をつく。
しかし、大牙はまだ目を開けなかった。
「でも、大牙起きないね」
水青が涙ぐんだ。
そこへ、闇奈が来て大牙の胸に耳を当てると、何か納得したように頷き、心臓マッサージをするように手を乗せ、「ハッ!」と気合いを入れた。
すると、
「う、ゴホ! ゴホ!」
激しく咳き込みながら、大牙は息を吹き返した。
まだゼエゼエと苦しそうに呼吸をしているが、意識もあるのが見て取れる。
「おお……大牙ぁ~!」
剣助が嬉し涙を流しながら駆け寄って大牙を抱き起こす。
「あれ、剣助さん?」
大牙は朦朧としながらも、剣助と目を合わせた。
「風歌さん! やりましたね!」
火芽香が風歌の肩を揺さ振ってやると、風歌はようやく目を開けた。
風歌の目に、きちんと息をしている大牙が映る。
──やった!
風歌はどうしても大牙に触れたくなった。
突き動かされたように大牙に走り寄ると、剣助から奪うようにして思い切り抱き締めた。
「よかった! 死んじゃったらどうしようかと思った」
風歌は大牙の肩にたくさんの嬉し涙を落とす。
「えっ、あ、あのぅ」
大牙はドギマギして、抱きつく風歌に戸惑っていた。
大牙を風歌に奪われ、手持ちぶさたになった剣助が闇奈のところへ来て、
「お前、また気功術使ったのか?」
と眉を下げた。
闇奈は首を横に振り、
「いや。軽く心臓マッサージしただけだよ。出血が多かったから、一時的に心臓と肺の動きが悪かっただけだったんだ」
と、まるで簡単な事だとでも言うように答えた。
(闇奈は応急処置もできるのか)
闇奈は剣助の一つ年下だが、自分よりずっと冷静で何でもできる。
剣助は闇奈との実力の差がどんどん開いていくのを感じた。
そこで、刀矢も質問をぶつけてきた。
「闇奈、どうして、俺が大牙と同じ目に遭ったと分かった? 美風さんに助けてもらったことも」
四色を含めた全員が闇奈を見る。だが、風歌だけはまだ大牙を抱きしめて泣いていた。
「別に。勘だよ。お前が当時11歳だったって聞いて、最年少だったんじゃねえかと思ってな。さっきこの爺さん、『最年少は大牙だな』とかって意味深なこと言ってたし。最年少のやつがターゲットにされるんだろ。で、お前が生きてるってことは、風歌のおふくろは成功したんだろと思ってな」
その推理力に全員が感心した。
闇奈はかなり、勘が鋭いのだ。それは実は必然なことなのだが、この真相が分かるのはまだ先だ。
「頼もしい修験者がいて良かったな刀矢」
と、刀矢の肩に手を置いて微笑んだ四色は、続いて風歌と大牙の肩にも手を置く。
「乱暴なやり方ですまない。風歌の治療魔法はすぐにでも役立つものだから、早めに覚えさせておくのが通例なのだ。よく頑張ったな。偉いぞ」
風歌は大牙を抱き締めたまま泣き顔で微笑んだ。
「さて、今後のことを説明する予定だったが、今日はもう遅いから休もうか」
そう言うと、四色は焚火をするために木の枝を拾い集め始めた。
初日からドタバタしてグッタリの一同は、『休む』という一言に深く安堵を覚えた。
色々聞きたい事は山程あるものの、今はもう、とにかく明日でいいと思った。




