中編
「真美ちゃん、助けてええ」
正気になった私は幼馴染である真美ちゃんの家に突撃した。真美ちゃんはすごく嫌そうな顔をしていたけれど、なんだかんだ招き入れてくれた。本当に優しい子。大好き。
「で、どうしたのよ」
私は真美ちゃんの家のくまさんを抱きしめながら床にごろごろと転がる。こうしていると現実と向き合わないでいい気さえする。もちろん、私のそんな様子を不機嫌さを一切隠さないで見つめている真美ちゃんを無下になんてできないから、すぐに起き上がったけども。
「あのねえ……」
ゆっくりと、今日起きたことを話す。私自身あまりにも現実味がなくて把握し切れていなかったからうまく真美ちゃんに伝わったかどうかはわからないけれど、真美ちゃんはときどき相槌を打ちながら私の話を聞いてくれた。
「うん、まあつまるところ、気になってる男子に告白されましたって自慢を私にしに来たわけ?」
「え!? 違う! 違うから! 別に関野くんのこと好きじゃないから!」
私は大慌てで真美ちゃんの言葉を否定する。真美ちゃんの顔は、こいつつまみ出してやろうかぐらいの感情を映し出していて私は思わず真っ青になる。いまつまみ出されるとか、たまったもんじゃない。私は迷える子羊なのに!
「違くないでしょ。妄想に使っててネタだと思ってたって、あんたの脳内どう考えても恋してる女の子みたいだけど」
そうか、真美ちゃんから見るとそう見えるわけか、私。
私は真美ちゃんが持ってきてくれた机の上に置かれている紅茶を一口含むとそれをじっくり味わってから飲み込んだ。紅茶の種類なんてほぼわからないけれど、真美ちゃんの家で飲む紅茶はいつだって優しい味だ。私はそんな風に思いながらカップを机に戻すと、視線を真美ちゃんに移してから口を開いた。
「どっちかというと、オタクがキャラに萌えるみたいな気持ちなんじゃないかと思うわけよ、私の関野くんへの気持ちは。だから純粋な好きじゃなくて、『萌え』なんだと思うの。萌えと恋は近いようで遠い気がしてるわけでつまり私はやっぱり彼のことが好きじゃないんだと思うんだけど……」
関野くんのことは好きか嫌いかで聞かれたから、好きだと答えることができるくらいには好きだ。でもそれが恋愛感情かと問われると、首をかしげるしかない。私は彼のことをかわいいと思うし、彼のことを眺めていると幸せな気分にはなるけれど、やっぱり恋愛感情ではないと思うのだ。
私の言葉を聞いた真美ちゃんは、ううんと声を漏らしてからしばらく考え込む。こうやってなんだかんだ真剣に考えてくれるあたりやはり真美ちゃんは友達思いの人なのだと、うれしくて顔がにやけそうになった。やがて真美ちゃんは考えがまとまったのだろうか。ゆっくりと、言葉を紡ぎ始めた。
「私が思うにね、答えを焦る必要はないと思うよ。あんたは超恋愛初心者なんだから、いますぐに結論を下さないでもいいと思う。まあ関野のことが生理的に無理とかならフってもいいけどさ」
「別に……生理的に嫌いとかはない」
「じゃあ、いいじゃん? 関野もそう急いでないでしょ。だからとりあえず保留にしておきなよ」
確かにすごく焦って答えを出そうとしていた。待たせるのは関野くんに悪いと思ったし、さっさと白黒つけなければとばかり、考えていたのだ。
「うん、……じゃあそうする」
私はつぶやくようにそう告げた。
明日は例の日本史の授業がある。気まずいなあ行きたくないなあとは思うけれど、結局は行って関野くんと顔を合わせることになるのだろう。私はそれが少しだけ憂鬱だった。
**
木曜日の4時間目はいつも通りにやってきた。
私は教室につくといつも通り、半分より後ろ、窓の近くの席を陣取る。空にはぽつりぽつりと雲が浮かんでいるけれど、それでも天気はかなりいい。窓際の席は教室に入ってくる暖かな光を考えると、昼寝には最適だった。
いいなあ、寝たいなあ。気持ちいいなあ。
私はそんなことを考えながらぼんやりと視線をグラウンドに移す。グラウンドではおそらく1つ下の学年と思われる生徒たちがいまから陸上でもやるのか倉庫へと小走りで向かっていた。
「須賀さん」
ぼんやりとしていた私の意識が一気に引き戻される。私は驚いてその声の方に顔を向けた。
「おはよう」
目があった瞬間、私の視界に入り込んでいた彼はにっこりと笑って見せる。人の好さそうな笑みだと、いつもそう思う。彼はいつも目じりを下げてふんわりと微笑むのだ。私はそんな笑い方が、嫌いではない。妄想ではいつもその笑みを浮かべさせていたくらいには、嫌いではないのだ。
「おは、よう」
そうぎこちなく返すと彼はゆっくりと私の隣に腰を下ろした。
本当は今日は避けられるのではないか、避けてくれるのではないかと思っていたのだ。私も彼に告白されて気まずいけれど、彼はもっと気まずいはずだ。昨日だって逃げるように教室から去って行ったくらいだ。私とはなるべく顔を合わせたくないに違いない。そう思っていたのに、彼は今日も今日とて、私に微笑みながら挨拶をしてきた。私はそのことが少し意外だった。私の妄想の中の彼は、気まずそうなぎこちない笑みを浮かべて、私から数個離れた席に座る人だった。けれど、現実は違った。現実の彼は、私の想像よりもずっと逞しい人のようだ。
「今日は、昼寝日和だねえ」
関野くんは窓の外を眺めながらそう言った。ああ、私もまったく同じことを思っていたなと小さく笑うと彼は不思議そうな顔で私のことを見つめてくるから私は取り繕うように、言葉をこぼした。
「うん、そうだね。日差しが暖かくて、眠くなってきちゃった」
「あーあ。芝センの授業じゃなかったら寝てたのにな」
なんて言いながら、関野くんは大きな欠伸をした。あまり寝ていないのだろうか。うっすらとだけど、目の下にクマができているようだった。私は思わずそれを見て見ないフリを、した。
「芝田先生きびしいもんね。寝たらチョーク飛んできそう」
「実際飛んできたことあるらしいから、気を付けた方がいいよ」
「え、そうなの」
「うん。先輩が言ってた。寝てたらチョーク投げられたって」
彼は何か言葉を紡ぎ足そうとしたけれど、その声は教室に入ってきた先生の声にかき消される。私は彼の方に向けていた体を黒板へと向ける。彼もまた、私と同じように姿勢を正した。何が言いたかったのか、気にならなかったわけではない。でも、彼が少しだけ困った顔をした気がしたから、聞かないほうがいいのかもしれないとは、思った。
だって。だってね。
まあ彼が仮に月並みなセリフではあるけれど、「返事はいつでもいいから」と言ったとしよう。それは正直私にとっても考える時間がいただけるという点ではうれしいことだから、いいとしようじゃない。でも、違うかもしれない。彼がもし、「やっぱり昨日のはなかったことにして」と言い出したらどうしようか。そう言ったら言ったで、了解です、なしにしよう! って言えると昨日までは思っていたけれど、なぜだろうか。たぶん今日の私はそう言えない。
私はずっと妄想の中の彼に萌えていて、現実の関野くんはネタをくれる存在くらいにしか思っていなかったはずだった。でも、やっぱり違うのだ。私の妄想の彼と、現実の彼は。妄想の彼のことは好きだ。萌える。というか、私が作り出した虚像なのだから私の都合のいいように作られていて、好きにならないわけがない。じゃあ現実の彼はどうか。私の作り出した虚像とは違うわけだが、どうなのだろう。
好きなのか嫌いなのか、よくわからない。でも、これだけは言えそうだ。私は彼のことを、好きになりたいと、少しだけ思い始めたらしい。