オープニングフェイズ シーン1 目覚めし獣
<シーンプレイヤー 深沢 巧>
登場者:深沢 巧
<侵食率上昇 1D → 5 (侵食率39%)>
その日は胸がすくような雲一つない美しい夕焼けであった。
西の空へ向かうにつれ快晴の青い空はオレンジ色へと染まっていく。
その光景を校門前のバス停に立つ深沢 巧は呆然と眺めていた。
巧はいわゆる今時の無気力な若者であり、青春とは縁の無い日々を過ごしていた。
耳へわずかに届くグラウンドの喧騒は、運動音痴だから言い訳して避けてきた。
道を一本挟んだ向こう側にあるはずの図書室で勉学に励む姿は、受験勉強で尻に火がついてからで十分だと思っている。
隣で一歩距離を置き同じようにバスを待つ新入生らしきカップルなんかは、生まれ持ったこの厳つい顔とサボり癖のお陰で猫川高校で一、二を争う不良だと思われている巧にとって縁の無いものだと自認している。
ただ、無作為に日常を貪っていてもいいではないか、後何十年も生きるのだし――。
「お疲れー。 たくみん」
拍子が抜けるほど明るく屈託の無い声に巧はため息をつきながらも振り返った。
耳を隠すほどのショートボブの髪型と、幼さの残る大きな目、何か悪巧みを思いついたかのように弧を描く口元、そしてそれらの調和が取れクラスメイトからは可愛いと言われる顔つき。
巧にとって貴重な腐れ縁と言える存在の、間中宮子であった。
「相変わらず人生楽しくないって顔してるねー。 笑顔だよ笑顔」
こっちの心情も知らずにズケズケと言葉を発する宮子。
彼女に惚れている男は、このデリカシーの無さが逆に距離感を感じさせないと、褒めていたが、到底そうは思えない。
「帰り道にアホな女に絡まれたんだ。 そりゃあ、テンションは下がるわ」
ほんの少しだけ巧は嘲笑した。
宮子も僅かにムッと顔をしかめたが、すぐに表情を戻し話を切り替える。
「そういえばさ、駅前に新しいラーメン屋できたよね」
「何系?」
「醤油だったはず」
「んじゃ、今度機会があったら行ってみるか」
「いやいや、いつ行くか、今でしょ。」
宮子の語尾を強調した物言いに、巧は噴出す。
今度は嫌味な気持ちが含まれていない、純粋な笑いだ。
「それじゃ、今から食いに行くか」
巧の返答に宮子は満足げに腕組みをしながら頷いた。
そんな日常の一ページをさえぎる様にバスの特徴的なディーゼルエンジンの音が聞こえてきた。
ふとそちらの方へ目をやると”猫川駅”と行き先表示を出したバスが低速でこちらに近づいてくるのが見て取れた。
そして、車線の向い側の歩道に猫川高校の制服を着た人影も視界の端に捕らえた。
その人影はリレーのバトンのような筒を持っており、停車しようとこちら側へ寄ってきたバスの影に隠れる寸前に、人影は筒を持った手を振りかぶった。
巧はその人影と宮子の射線を防ぐように移動した。
理屈ではなく、本能であの人影の異常さを感じ取ったからだ。
次の瞬間、蹂躙するように炸裂音と爆風が、巧を襲った。
あの、筒は爆弾だったのか、何故―――
その何故の答えを巧は出すことができなかった。
眼前に思考を止めるには十分すぎるほど非現実的な光景が、自分の身長よりも高く舞い、そして重力に引かれてこちらへやってくるバスが映っていたからだ。
体の全体にかかる膨大な荷重を最後に巧の意識は混濁した。
色が無い、音も無い、重力も無い、温度もない、味もない、五感で感じられるものが何一つ無い空間にぼんやりとただ巧は浮かんでいた。
ああ、俺は死んだのか。
自分の死を思うことでしか自己の存在を確認することができなかった。
恐らく宮子も死んだのだろう。
そう考えると、存在するのかどうかはわからないが自分の頭がカッと熱くなってくる。
あの時、俺が気づいていれば、あの時、俺がもっと動けていれば。
俺にもっと力があれば。
そう考えた瞬間、蚊の鳴くような音が聞こえた。
音源の位置を確かめようとする巧の脳内にもう一度音が響いた。
「力が欲しい?」
今度ははっきりと語句を認識できるほどの音量だった。
そうだ、力が欲しい。力があれば、俺も宮子も死なずに済んだ。
「なら、これを差し上げましょう。 あなたが求める力です」
急に目の前に”それ”は現れた。
宝石だろうか、鈍く光を放つ”それ”はスッと巧の右腕に入り込んだ。
その刹那、痛みが巧を襲う。
喉の奥底からうめき声を上げるが、何ものでもごまかせない痛みが、巧を襲う。
強大で、強烈で、純粋な痛みが巧を襲う。
そして、台風のようにその痛みが過ぎ去ったとき、再び頭の中に声が響いた。
「おめでとう、あなたは適合しました。 それこそ、王になるための証」
何を言っているんだ。 適合って、王っていったい何なんだ。
「それでは目覚めましょう。 内なる獣、ハインド・ビースト」
突然、巧の体を熱気が襲った。
熱気の原因は、巧から10m先の車道で横転し炎上しているバスであった。
奇妙なことに横転したバスはくの字に折れ曲がり、フロントガラスとリアガラスが巧の方へ向いている。
くの字の支点にあたる部分は圧倒的な力により蹂躙され、紙を丸めたように歪んでいた。
「宮子は?」
混濁した意識を振り払い、背後に目をやる。
そこには糸の切れた操り人形のように全身の力が抜け、歩道に倒れこんでいた宮子の姿であった。
彼女を抱きかかえようと右手を差し出した巧は見てしまった。
闇よりも黒い外殻を纏い、鋭い鉤爪が生えた異様なまでに肥大化した右腕を見てしまった。
指を動かすよう脳から指令を与えれば、鉤爪がその通りに動く。
疑う余地もなく、それは自分の右腕であった。
「何なんだよこれは……」
ひしゃげたバス、異形の右腕、ゆっくりとだが断片的な現実のピースが噛みあっていく。
「あれをやったのは俺なのか……」
そうポツリと呟いた後、再び巧の意識は離れていった。