ウラノス伝説
「何事も諦めないことだ。
諦めない限り必ずその努力が報われる時がくる。」
いつの時の言葉だったか。昔聞いた言葉が何故か頭をよぎった。
ーあぁ。あれはお父様とお兄様と湖へ釣りに行った時だったかしら。
あれからリエラはベッドに潜ったまま何をするわけでもなくただ茫然としていた。
そんな時にその言葉を思い出した。
リエラが幼い頃一度父と兄の三人で湖へ釣りに行った時の事だ。
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湖はとても静かで穏やかだった。
水面に浮かぶ枯葉がユラユラと揺れている光景がまるでゆりかごにいる赤ん坊のようだった。
父、私、兄と三人横に並んで釣り糸を垂らして魚が食らうのを待った。
最初は乗り気だった兄が一匹も釣れないのか徐々に飽きだした。
周りに落ちている小石を湖へ投げたり枝を振り回していた。
父は一言も話さずただじっと釣り先のウキを見つめていた。
リエラも兄と同じように釣りの楽しみをまだよく理解出来ないでいたが、父の姿を見て黙って待っていた。
「あーあ。でっかい魚が釣れるって言うから来たのに全然釣れないじゃん!
こんなトコにいるのかよ。」
ついに兄は愚痴を言い出した。城を出る前には両手を広げて、これぐらいの魚を釣って来ると家臣達に豪語し楽しそうにしていた姿はなくなってしまったようだ。
「あぁいるぞ。一度ここで釣ったんだ。」
今まで一度もウキからそらさなかった視線を兄に向けた。
父は子どもと会話する時は必ず子供の目を見て話す。
リエラはその一見厳しく見える視線がいつも見守ってくれている気がしてとても好きだった。
「本当かよ?」
「本当だ。何せお前たちの母さんが釣ったんだからな。」
「お母様が?!」
リエラは目を輝かせた。
「そうだ。若い頃ここへ母さんとよく来て釣りをしたんだ。一度もした事がない母さんに教えたワシより、母さんの方がうまくてな。
よく母さんに、あなたは下手の横好きね。と
からかわれたんだ。」
リエラの母はリエラを産む時に不運にも死んでしまった。
だからリエラは母がどんな人であったのかよく知らない。
姿や顔は肖像画だげでしか知らないしどんな性格でどんな考えを持っていたのか人から昔話を聞いて何となくこんな人なのかと想像するだけだ。
ただその昔話を聞くと心の中から温かくなりすごく満たされるのであった。
この湖が穏やかなのは母の魂が留まっているからかも知れないと思った。
「私もお母様の様に釣ってみせる!」
リエラは竿をギュッと握り直し父と同じようにウキを睨み続けた。
「やっぱこねーじゃん」
様子を見ていた兄が呆れた声で言った。
「くるもん!」
リエラもムキになって言い返した。
半分涙目になっている。
母と同じ大きい魚を釣るんだ。いや、母よりももっと大きい魚を。
そんな時だった。
ポチャン
「あっ!?」
リエラと兄は声を揃えて言った。
それを見ていた父がすかさず二人を止めた。
「待てリエラ!じっくり待つんだ。まだだぞ、まだだぞ…。」
今にも竿を引き上げそうなリエラの体の前に手を出して父がタイミングを見計らっている。
リエラはごくっとツバを飲み込んだ。
ズボッ
竿が一気に引張られた。
「今だ!!」
今度は父が大声をあげた。
リエラは目一杯竿を上に上げようと力をいれた。
しかし、ビクともしない。どうやら相当の大物だ。
「くぅぅぅ。」
リエラの体はみるみる湖へ引き込まれて行く。
それでもリエラは手を離す事はしなかった。
ー母と同じように私も釣ってみせる!
「…みてらんねぇよ。」
リエラの視界にサッと二本の手が竿に伸びるのが見えた。
兄だ!
「リエラ、絶対に離すんじゃねぇぞ。」
「うん!」
今まで引き込まれていた竿がグイッと上を向き始めた。
だが魚も負けてはいない。一度浮かんだ体を再び湖の底へ潜ろうと引っ張ってくる。
もう竿が折れそうだ。
「くそー!なんつー力だ。リエラ、踏ん張れ!!」
「はい!!」
二人は体を反らし全身で力を込めた。
ーもう少し、もう少し!!
ザパーン
急に引っ張られる力が抜け、その反動でリエラと兄は大空を見上げながら倒れこんだ。
見た事もない大きな魚が空を飛んでいる。
リエラ達はついに釣り上げたのだ。
「おぉ。これはすごい。こいつはひょっとしてこの湖のヌシじゃないのか。」
一部始終をずっと見守っていた父が近づき、釣れた魚から針を抜き持ち上げた。
「ほんとか?俺にも持たせてくれ、親父!」
兄はサッと立ち上がり父の所へ走り、魚を両手に抱えた。
「おぉ!すげー重い。見ろ!リエラ。俺達が釣った魚だぜ!」
リエラも駆け寄る。
まだ魚は元気で体をバタバタと体を降り続けて何とか逃げようとしているみたいだ。
どうやらヌシというのも間違ってはいないのかも知れない。
「お兄様、私にも持たせて!」
リエラは両手を兄の前に広げた。
「駄目だよ。お前にはまだ持てないよ。」
「そんなことないもん!私だって持てるもん。」
「無理だね。何てったってヌシだから重たいんだ、リエラには到底持てないよ。」
「いいから持たせてよ!」
いつもの兄妹喧嘩が始まった。
「こらこら。」
父は優しくそれを止めたて、二人の頭においた。
「いいか、イークンよ、リエラよ。」
父は二人を交互に見ながら言った。
「何事も諦めないことだ。
諦めない限り必ずその努力が報われる時がくる。今回の釣りのようにな。
これからお前達は幾度と辛い困難な出来事に出会うだろう。
それでも諦めず頑張れば必ずいい結果となるのだ。
そしてそんな諦めない人を誰かが見守ってくれているんだ。」
「お母様も??」
リエラは見上げながら聞いた。
「もちろんだ。母さんもいつもリエラの事を見ていてくれているぞ。
リエラは誰よりも頑張る子だからな。」
リエラは魚を釣った喜びを既に忘れ父に褒められた事に胸が一杯になっていた。
父はいつだって褒めてくれる。
兄は困った時はいつも助けてくれる。
リエラはこの家族がとても大好きだった。
「こいつ城に持って帰って美味しいもん作ってもらおうぜ!」
兄は持って来ていたカゴに魚を入れて帰る準備をしていた。
「そうだな。そろそろ引き上げるとしよう。」
こうしてヴェルディオウス家は帰路に着いたのであった。
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ー諦めない事だ。
またリエラの心の中で父が言った。
リエラは怒りにも似た悲しみがこみ上げて来た。
ーもうどうしたらいいのか分からない。あんなに強かったお父様が倒れ、あんなに優しかったお兄様が変貌し、あんなに明るく楽しかった街の人達が沈んでしまっている。そして、今の現状。
誰も助けてくれないなら諦めるしかないじゃない。
あの女性は逃げ出したら命の保証はないと言っていた。
あれは本気だ。躊躇する事なく私を殺すだろう。それぐらいの覚悟が伝わって来たのだ。
体は細身ではあるが、あれは鍛え上げた体。きっと武術も嗜んでいる筈だ。
この屋敷から逃げ出したとなれば、見つかった時点で瞬殺されるのだろう。
ー誰か助けて…
そんな時だった。
ガチャッ
ドアがそうっと開きコソコソと男が一人部屋に入ってきたのだった。
「誰?!」
リエラは咄嗟に尋ねた。
「シーッ!」
男は指を口に当てて静かにと言ってきた。
声があの砂浜で捕まった時に聞いた声に似ている。
きっとこの人がアーサーなのだろう。
「いやーさっきは悪かったな。
まさかこの島にキリ以外に人間がいるとは思わなくてよぉ。
もう体大丈夫なのか?随分ケガしてたから取り敢えず包帯は巻いたけどよ。」
ーえ?!
確かに体のケガしている所に包帯を巻いてくれてはいるが、まさか胸や足もこの人が巻いたの?!
リエラは自分の顔が熱くなるのを感じた。
「ん??まだやっぱ痛むのか?
本に書いてあったように巻いて薬も塗ったんだけどな。」
アーサーはあまりの驚きに言葉を失ったリエラを不思議そうに見つめている。
ーこの人、女性の裸を見て何も恥ずかしくないの?
おまけに猿と間違えて捕まえたり、何て非常識でデリカシーのない人なの?
リエラは男性に裸を見られた羞恥心が次第に怒りになり、アーサーを睨みつけた。
背はそれなりに高く黒いボサボサの髪が腰まで伸びている。見た目は同い年位に見える。
特徴的なモノは瞳だ。瞳も髪と同じく真っ黒で見つめていると吸い込まれてしまいそうだ。
リエラの怒りは収まる事なくリエラには珍しくぶっきら棒に答えた。
「どうもありがとう。心配しないで。
ところで何か用かしら。」
明らかに尖った物言いをしたにも関わらずアーサーは気にせず笑った。
「シシシシシ。」
変わった笑い方をする人だ。
アーサーは何か企んでいるかのような顔だ。
そしてその顔を急にリエラの顔に近づけてきた。
リエラはアーサーの瞳に目を奪われドキッとした。
しかし直ぐに我に返り自分から身を引いた。
アーサーはそれでもリエラの顔を近づけて尋ねてきた。
「さっきキリと喧嘩してたの部屋の外から聞いてたんだ。
な?!俺が力貸してやろうか??」
リエラは思いがけない発言にキョトンとした。
彼は事の大きさを理解しているのだろうか。
たかが一人の青年がどうこうできる話ではないのだ。
「ありがとう。
でもあなただけじゃ何にもならないわ。
気持ちは嬉しいけどもう仕方ないのよ…。」
「なぜた?」
「なぜって、あなたね!」
リエラはアーサーの態度に更に苛立たしさを感じていた。
「話聞いてたんでしょ?!
私の国は政府と民の間で緊迫状態。
いつ崩壊してもおかしくないの。
それを回避するための起死回生を狙ってここまでやってきたけど、この辺鄙な島には何もないらしいし、ましてや帰る事すら許されない状況。
例えあなた一人私の国へ行けたとしても、何も知らないあなたに何ができるっていうの?!
もうどうする事も出来ないのよ!!」
いつのまにかまたリエラは涙を流していた。
この虚しさを止める事ができないのだ。
アーサーもいつのまにか笑顔が消え真剣な顔になっていた。
「…じゃぁお前は諦めんのかよ。」
「え?」
アーサーは少し静かに言った。
「そうやってウジウジ泣いてただ時間が解決してくれるのをこの島で待ってりゃそれでいいのかよ。
いつしか事が収まって、それを風の噂で聞いてあー良かったって思えんのかよ!
そんなんでいいのかよ!!」
アーサーの言葉にリエラはムキになった。
「これでいい訳ないでしょ?!
今だって国が元に戻る事を願ってる。
お父様もよくなってお兄様も昔のように優しくなってまた笑い合える日々がくる事を願ってる。
こんな島今すぐにでも飛び出して国に帰りたいわよ?!」
「じゃぁ簡単に諦めるんじゃねぇよ!!!」
アーサーの一喝にリエラはハッとした。
どこかで聞いた事のあるセリフだ。
リエラは何も言い返せず下を向いた。
そうしてる間にアーサーは何やらゴソゴソと背中に隠してあったものを取り出して言った。
「お前、ウラノス伝説知ってるか??」
「ウラノス伝説?
昔魔王が現れ人が支配されようとした時に、それを哀れんだ神様が魔王をやっつけた話よね?
その戦いに疲れた神様は疲れを癒すために星を作りそこで眠りについた。その星こそがあの昼夜問わず光続けるウラノス、神々が住まう星。
このウラノス伝説?」
“神々が住まう星“とは、この世界シネレーヴの遥か上空に位置し常に輝き続けている星だ。
“神々が住まう星“は人々の生活の上で様々な役割をもっており、テオス神教では神の化身とし崇めている。
また航海術では海路の起点となり、海上で迷っても“神々が住まう星“はを頼りにしている。
中にはあの星には昔の文明の隠し財産が死ぬまでに使えきれないほどあるとか、エルフの不老不死の薬があるとか様々な憶測が飛び交い今ではあの星を手に入れる事即ちこの世界の全てを手に入れる事ができると誰もが夢を見ている。
あらゆる人があらゆる国が研究や実験を繰り返しあの星を掴むため天を仰ぎ見ているのであった。
「俺はそのウラノス伝説を信じてんだ。
これを見てくれ。」
アーサーは先ほど背中から取り出した何かをリエラの前に出した。
リエラはそのものに目を向けた。
形は刀の形をしているがどう見てもそれが何かを物語るようなモノではない。
刀身は錆びている以前に藻みたいなモノそのほとんどを覆っており、柄ににいたっては今にも切れそうな布切れが乱雑に巻かれてその後はだらしなく長く垂れている。
「ただの古い刀にしか見えないけど…」
「もっとよく見ろよ。ココだよ、ココ。」
アーサーは刀身を指差した。
何か文字が書かれている。
リエラはその文字に目を近づけた。
どうやら現代文字で書かれているわけではないようだ。
古代文明に使われていた古代文字。
リエラは昔教わった古代文字の知識を思い出し読んでみた。
「プ…ルー…トゥ…。プルートゥ。
プルートゥってどういう意味?」
リエラは読む事はできるが古代語の意味までは知らなかった。
「実はウラノス伝説にはその続きがあるんだ。
魔王を倒し“神々が住まう星“へ行く前に神様はまた魔王が現れてもいいように一つの剣エクスカリバーを人に授けたんだ。
この剣であらゆる悪と戦いなさい。それでも敵わないならこの剣を“神々が住まう星“へかざし私を起こしに“神々が住まう星“へ来なさい。さすればまたあなた達を救ってあげましょう。と神様が言ったらしい。
神様からもらったエクスカリバーは確かに凄まじい力を秘めていたが、その余りにも強大な力を恐れ、
人は光の剣と闇の剣に分けたんだと。
その闇の剣がこいつだ。」
「根拠は?」
「プルートゥは古代語で闇と言う意味なんだぜ。本にそう書いてあった。」
リエラはもう一度ボロボロの剣を見つめた。
「にわかに信じられないわ。
伝説の剣が存在するなんて…。」
でももしこれが本当なら納得できる事が多々ある。
ー全てはこの剣だったのだ。
あの女性がこの島から出させないと頑なに言っていたのも、
島に結界術をかけたのも理由は分からないけどこの剣の存在を世間に知らせないため。
私が求めて“トリトン”が導いてくれたのもこの剣の力なんだわ。
「だから簡単に諦めるんじゃねぇよ。
諦めたらそこで終わりなんだぜ。」
考え込んでいるリエラにアーサーは優しく言った。
父と同じだ。
リエラはそう感じ、ただ泣いて諦めていた自分を恥じた。
「…ねぇ。
その剣を貸してくれる?
その剣の力があればイオニアを救えるかもしれない。」
「剣だけじゃねぇぜ。
俺だってお前の力になってやるよ。
困ってる女性を助けるのが男の生き方だって本に書いてあったからな!!」
「フフフ。」
リエラはこの島に来て初めて笑った。
アーサーもそれにつられてシシシと笑った。
「あなたっていつもどんな本読んでるの?」
「“野生の草100選”だろ?
それに“モンスターの調理法”に、“すぐ使える家庭の医学”、“精霊と向き合う”、“男と女と酒と涙”っていう本もあったな。
この屋敷にある本はぜーんぶ読んだぜ。」
ーおもしろい人。
リエラはまた笑いがこみ上げて来た。
「見かけによらず勉強家なのね。」
「見かけによらずって失礼な。」
「フフフ。ごめんなさい。
でもあなたのおかげで何か勇気湧いて来たわ。
私はリエラ。あなたは?」
「俺はアーサー。よろしくな。」
アーサーはまたシシシと笑って右手を前に差し出した。
リエラも右手を出しギュッと握手を交わした。
「ええ。よろしくね。」
「そうと決まれば、早速出発だ。
キリに見つかったら晩飯抜きどころで済まねぇからな。」
アーサーはリエラの手を引っ張ってリエラの体を起こした。
「そうね。急ぎましょう。」
伝説の剣。
決して信じきれるモノではないが絶望の底にいたリエラには救いの光になった。
それだけではない。
アーサーの存在がリエラには心強く思えた。
ーもしかしたら、“トリトン”は剣ではなくこの人に会わせるために…。
リエラはアーサーを見つめた。
明るさは十分だがどこか抜けていてボサボサ頭が似合っている。
ーまさかね。
リエラは独りでクスッと笑うと身支度を始めた。
ーもう諦めたりしない。
だって見守ってくれる人がいるのだもの。
この人だけじゃない。
お父様もお母様もいつも見守ってくれていること忘れてたわ。
リエラの目はこの島へ降りた時と同じ希望の目に戻っていた。