第二章
朝の光が、雪に覆われた村を優しく照らす。
ユキミザトの家々は、昨夜の停電から回復し、煙突から煙が立ち上る。
ユキトの家も、穏やかな朝を迎えていた。
ユキナはベッドでぬいぐるみを抱き、機械の管を気にしながら兄の顔を見上げる。
彼女の頰はまだ少し青白く、昨夜の混乱の余韻が残っていた。
「兄ちゃん、昨夜はすごかったんだね。ニューラ、かっこいいよ……。兄ちゃんも、ポケモンと一緒に戦ったんだよね?」
ユキトは微笑み、ニューラのボールをポケットにしまう。
初めてのポケモン。怖かったはずの存在が、今は心強い味方のように感じる。
だが、心の奥底ではまだ、幼い頃のトラウマが疼いていた。あの山道で見た野生ポケモンの争い。
赤く染まった雪。鋭い爪の記憶が、ふとした瞬間に蘇る。
父のタカヒロは、居間の椅子に座り、脚をさすっていた。
古傷の痛みが、顔に影を落とす。
シノノメは昨夜、村に泊まり、朝食を共にしていた。
ハッサムは外で待機し、雪を払う動作が静かに響く。
鋼の翼が朝陽を反射し、冷たい輝きを放つ。
「ユキト、お前の行動は村を救った。だが、山の異変はこれで終わらない」
シノノメの声は低く、重い。
鋼タイプのジムリーダーとして、トーホク地方の6番目のジムを司る彼は、父の旧友だ。
灰色の瞳が、遠くの山を見据える。
ユキトはコーヒーの湯気を眺めながら、昨夜の鋼の響きを思い出す。
あのボスゴドラの重み。山が生きているように感じた。
父が頷く。
「ボスゴドラのような鋼タイプが、雪山に現れるのは異常だ。昔の鉱山の空洞が崩れ、ポケモンたちが押し出されている……。地方全域で似た報告があるらしいな」
ユキトの胸がざわつく。
村の電力不安定も、山の異変の影響か。ユキナの持病は、寒さと不安定な環境で悪化しやすい。
補助装置の電源が切れれば、命に関わる。診療所の先生も、根本治療には都会の専門施設が必要だと言っていた。
高額な薬や装置。村の貧しさでは、手が届かない。
「全域で……?」
シノノメが続ける。
「ああ。トーホクの山脈全体で、鋼タイプや岩タイプのポケモンが異常移動してる。古い鉱山の崩落が連鎖してるんだ。原因は不明だが、放置すれば村のような小さな集落が危ない。調査が必要だ」
父の顔が曇る。
「俺が巡回を続けるが、脚がこれじゃ……。村の他の者も、経験が浅い。無理をすれば、また転倒するかもな」
ユキトは黙って聞いていた。
父の古傷は、昨日の転倒で悪化している。
巡回を続けても、無理が体を蝕む。
杖に頼る父の姿が、胸を締めつける。ユキナの機械の音が、部屋に響く。
安定している今でさえ、心配だ。
シノノメがユキトに視線を移す。
「ユキト、お前は昨夜、ニューラと協力してボスゴドラに立ち向かった。ポケモンを怖がっていたお前がだ。才能がある」
ユキトは戸惑う。
「俺は……ただ、家族を守りたかっただけです。才能なんて……」
「それでいい。旅に出ろ」
その言葉に、部屋が静まる。
ユキナの目が輝き、父が息を飲む。
ユキトの心臓が早鐘のように鳴った。
旅? 村を離れる? ポケモンと一緒に?
「旅……? 俺が?」
シノノメは頷く。
「トーホクのジムリーダーを巡る旅だ。ジムバッジを集め、チャンピオンを目指せ。道中で山の異変を調査できる。俺のジムは6番目だ。他のジムリーダーたちも、異変の情報を共有してる。バッジを集めれば、リーグの支援金が得られる。それでユキナの治療費を賄える」
ユキトの心が揺らぐ。
ユキナの治療のため。専門施設の費用。
支援金があれば、可能だ。だが、すぐに頭を振る。
「俺なんかに……無理だよ。ポケモンがまだ怖いんだ。昨夜だって、運が良かっただけさ。村を離れたら、父さんやユキナはどうなる? 巡回は?」
父が口を開く。
「シノノメが一時的に仲間を手配してくれるそうだ。俺の脚も、安静にすれば少しは良くなる。だが……ユキト、お前の気持ちは分かる」
ユキナが小さな声で言う。
「兄ちゃん……私のため? でも、兄ちゃんが危ない目に遭ったら……」
ユキトはベッドに近づき、妹の手を握る。
「ユキナのためなら、何でもするよ。でも、旅なんて……俺、トレーナーじゃない。ポケモンバトルだって、ろくにやったことないんだ」
シノノメは静かに見守る。
「ユキナの治療は急務だ。村の診療所では限界がある。支援金があれば、都会の施設で根本治療が可能になる。お前ならできる。ニューラがお前を選んだんだ」
ユキトは立ち上がり、窓辺へ。
外の雪景色を眺める。山がそびえ、静かに佇む。
あの山でニューラを助け、ボスゴドラに立ち向かった。怖かった。
でも、守れた。だが、旅は違う。未知の土地、強いトレーナーたち。ポケモンの恐怖が、再び蘇る。
幼い頃の記憶。ズバットの翼音、血の匂い。体が震える。
「考えさせて……。すぐには決められない」
部屋に沈黙が落ちる。
ユキナの機械の音だけが、規則的に響く。
そのとき、玄関のドアがノックされた。
入ってきたのは、ユキトの幼馴染、カナタ。
14歳の少年で、村の学校でいつも隣の席だ。
明るい茶色の髪と、活発な目が特徴的。
肩には、白い体躯のポケモン――ガラルダルマッカが乗っていた。
ユキナが昨日話していたダルマッカだ。
通常のダルマッカは赤い体で炎を操るが、ガラルのすがたは白く、氷の力を宿す珍しいポケモン。
カナタの父が昔、ガラルにいた頃に連れてきたらしい。
「ユキト! 昨夜の停電の件、聞いたよ。すごかったらしいじゃん! ニューラをゲットしたって本当?」
カナタは興奮気味に部屋に入り、ユキトの肩を叩く。
ガラルダルマッカが「ダルマ!」と鳴き、ユキナに挨拶するように転がる。
ユキナが笑う。
カナタの父は、トーホク地方の現役ジムリーダーだ。8番目のジムを司る人物で、村の外れにジムがあるらしいが、詳細はカナタもあまり話さない。
ただ、父の影響でカナタは幼い頃からポケモンバトルに親しみ、経験豊富だ。
村の子供たちの中で、トレーナーとして一番の腕前を持っている。
ユキトは苦笑い。
「まあ、なんとか……。お前こそ、いつものように元気だな」
カナタは椅子に腰掛け、シノノメに軽く頭を下げる。
「シノノメさん、久しぶり。父さんから聞いたよ。山の異変、ジムリーダーたちも気にしてるって。ユキト、旅に出る話が出てるんだろ?」
ユキトは驚く。
「どうして知ってるんだ?」
「村の噂さ。停電の原因が山だって聞いたら、すぐに分かるよ。俺も、そろそろ旅に出ようかと思ってたんだ。バッジ集め、ユキトもやるのか?」
ユキトはため息をつく。
「まだ決められないよ。俺、ポケモン怖いし……バトルだって自信ない」
カナタは笑う。
「それなら、試してみようぜ! 外でバトルだ。ガラルダルマッカとニューラでさ。俺の父さんがいつも言うよ、『バトルは自分を知る鏡だ』って。負けてもいいから、やってみろよ」
シノノメが興味深げに頷く。
「いい機会だ。ユキト、見せてみろ」
ユキトは渋々同意する。
外の雪広場へ移動する。
村の子供たちが少しずつ集まり、好奇の目で見守る。
広場は新雪に覆われ、足を踏み入れるたびにきしむ音が響く。朝陽が雪面をきらめかせ、息が白く舞う。
冷たい風が頰を刺すが、空気は澄んでいて、バトルの舞台にぴったりだ。
父とユキナは窓から見守り、シノノメはハッサムの隣で腕を組む。
カナタが先にポケモンボールを投げる。
「いくぜ、ダルマッカ! 雪の中で輝け!」
白いガラルダルマッカが飛び出し、雪の上に着地すると、体を転がして勢いをつける。
結晶のような青い模様が朝光を反射し、氷のオーラを纏う。
ユキトは深呼吸をし、ボールを握りしめる。
心臓が激しく鳴る。怖い。
でも、ニューラの赤い目が自分を信じている。
「ニューラ……頼むよ。お願いだ」
赤黒い体躯のニューラが現れ、低く唸る。
ピンクの羽飾りが風に揺れ、爪が雪を軽く掻く。
村人たちが息を飲む。
「ユキトの初めてのバトルだぜ!」「カナタは強いけど、がんばれよ!」
カナタが笑顔で叫ぶ。
「ルールはシンプル、1対1のフルバトル! 準備OK? いくぜ! ダルマッカ、こおりのパンチ!」
ガラルダルマッカが雪を蹴り、拳に冷気を集中させる。
白く輝く氷の拳が、ユキトに向かって突進。
空気が凍るような冷気が広がり、地面の雪が舞い上がる。
ユキトの喉が乾く。指示を出す声が震えそうになる。
「避けろ、ニューラ! つめとぎで反撃!」
ニューラの体が影のように素早く動き、氷拳を紙一重でかわす。
爪を雪に擦りつけ、キンキンと金属音のような研ぎ澄ましの音を立てる。
爪が鋭く輝き、攻撃力が上がる気配が伝わる。
村の子供が「おお、速い!」と叫ぶ。
カナタは動じない。
「やるじゃん! ダルマッカ、ゆきなだれ!」
ガラルダルマッカが体を低く構え、雪を巻き上げて回転。
雪崩のような氷の波がニューラを飲み込もうとする。
地面が震え、白い奔流が迫る。
心拍が上がる。
「ニューラ、ジャンプ! 上からつららばり!」
ニューラが跳躍し、雪崩を飛び越える。
空中で息を吐き、鋭い氷の針を連続で生成。
ツラツラと無数のつららがダルマッカに降り注ぐ。
ダルマッカは転がって一部を避けるが、数本が体を貫き、雪に赤い傷跡を残す。
ダルマッカが痛みに唸り、息を荒げる。
「いいぞ、ニューラ!」
ユキトの声に力がこもる。初めての興奮。
怖さが、熱に変わる。
カナタの目が輝く。
「熱くなってきたな! ダルマッカ、ふるいたてる! 耐えろ!」
ダルマッカが体を震わせ、雪を払いながら立ち上がる。
体力が回復し、攻撃力が上がるオーラが立ち上る。
続けてカナタの指示。
「今だ、こおりのキバ!」
ダルマッカの口が開き、氷の牙を剥く。
低く飛び込み、ニューラの脇腹を噛みつく。
冷気が体に染み込み、ニューラが悲鳴のような唸りを上げる。ユキトは歯を食いしばる。
「ニューラ、かみつく! 離れろ!」
ニューラが反撃の牙を立て、ダルマッカを弾き飛ばす。
両者とも息を荒げ、雪に爪痕を残す。
いい勝負。村人たちがどよめく。
「ユキト、意外とやるじゃん!」「カナタも本気だぜ!」
カナタがニヤリと笑う。
「やるじゃん、ユキト! でも、ここまでだ。ダルマッカ、ほのおのうず!」
突然、ダルマッカの口から橙色の炎の渦が噴き出す。
氷タイプなのに、ほのお技?
ユキトの知識が追いつかない。
「え、ガラルダルマッカがほのお技!? 氷タイプなのに……どうして!?」
炎の渦が雪を溶かし、蒸気を上げながらニューラを包む。
熱と冷気の対比が爆発し、周囲の雪が一瞬で溶ける。
ニューラは爪を振り回して抵抗するが、炎の渦に絡め取られ、体力が急速に削られる。
ユキトは叫ぶ。
「ニューラ、耐えろ! つめとぎの爪で切り裂け!」
ニューラの爪が炎を掻き分け、一瞬ダルマッカに迫るが、渦の熱が爪を鈍らせる。
ついに膝をつき、倒れる。バトル終了。ユキトの負け。
村人たちが拍手する。
「いい勝負だったぞ! ユキト、初めてにしては上出来だ!」
「あのほのおのうず、びっくりしたぜ!」
カナタが手を差し出す。
「負けたけど、ユキト。お前、強いよ。ポケモン怖がってるなんて嘘みたいだ。
あのほのおのうず、わざマシンで覚えさせたんだ。タイプ一致じゃないけど、意表突けるだろ?
旅に出ろよ。俺も追いかける形でジム巡るさ。競い合おうぜ! バッジ集めて、ユキナちゃんの治療費稼ごう」
ユキトは息を切らし、ニューラを抱き上げる。
バトルの興奮が、恐怖を少し溶かした。
ガラルダルマッカの意外な技に驚いたが、それがバトルの面白さか。
カナタの言葉が、心に響く。ユキナのため。父のため。村のため。
家に戻り、ユキトはシノノメに視線を向ける。
「シノノメさん……俺、旅に出ます。ユキナのために、強くなります」
シノノメは頷き、微笑む。
「いい目だ。ハッサムのような鋼の意志だな。最初のジムは、隣町の草タイプだ。道中で、異変の兆しを探せ。俺が連絡網を繋ぐ」
外の雪が、朝陽にきらめく。
ユキトはリュックを背負う。
家族とカナタに見送られ、村の外れへ。
雪道が続き、遠くの山々が呼ぶようにそびえる。
ユキトはニューラのボールを握りしめ、歩みを進める。
恐怖はまだ残るが、守るための力が芽生えていた。
カナタの笑顔が背中を押し、旅の始まり。
山の謎は、追々解き明かされる。
ポケモンの絆が、ユキトを変えていく。




