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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第七話 温泉街の竜

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激戦の後で

山頂での激闘から数刻後、場所は山の麓近くを流れる渓流のほとりへと移っていた。


川の水は透き通るように澄んでおり、川底の小石まで鮮明に見えるほどだ。

せせらぎの音が心地よく、周囲の木々は穏やかな風に揺れている。

現在、先ほどまでの戦いが嘘のように感じる平和な空気が流れていた。


「いやー、エルセインっつったっけ? 竜の解体手伝ってくれてあんがとな!」


スフィアが、肉の山の前で陽気に礼を言う。

彼の目の前には、あの巨竜が部位ごとに丁寧に解体され、積み上げられている。


エルセインは少し休み、回復した魔力で空間魔法と切断魔法を駆使した。

二十メートルにも及ぶ巨体を宙に浮かせ、風の刃で正確に部位を切り分け、さらに水魔法で血抜きと洗浄まで完璧にこなしたのだ。


積み上げられた肉はどれも鮮度が良く、断面はルビーのように赤く輝いている。

本来なら数日がかりの大仕事だが、魔力を回復させた宮廷魔術師長の手にかかればものの数十分の早業となった。


「いやなに。君たちには命を救われたからね。このくらいはお安い御用だとも」


エルセインは穏やかな笑みを浮かべながら、ローブの袖を払う。

その表情には疲労の色も見られるが、それ以上に安堵感が漂っていた。


「ところで、彼女はいったい……」


エルセインの視線が、少し離れた場所にいるメリアへと向けられる。


川辺に積み上げられた竜の素材。

硬質な鱗、鋭い牙、強靭な爪、そして保存された内臓の一部の前で、メリアは恍惚とした表情を浮かべていた。


「うへへへへ、んふふふふ、うっほほほほ……」


その笑い声は、はっきり言って不気味そのもの。

美しい顔立ちが欲望で歪み、目は金貨の輝きを幻視しているかのように爛々と輝いている。

手には手帳とペンを持ち、何かを猛烈な勢いで計算しているようだ。


「いつものことだから気にしなくていいぞ」


スフィアは、慣れ切った様子で肩をすくめる。

彼らにとって金目の物を前にしたメリアの奇行は日常茶飯事であり、むしろ平常運転という認識だ。

最初は見た時は宇宙を垣間見た猫のような顔をしていたのだが、慣れって怖いですね。


「そ、そうか……」


エルセインは引きつった笑みを浮かべ、隣に立つラファエルへと視線を移す。


「ラファエル? どうしたんだい?」


ラファエルは奇声を上げて笑うメリアを見つめながら深く、そして重いため息を吐いた。


「いや……あれはただの気のせいだったんだな、と思っただけだ」


「……? そうかい?」


エルセインは首を傾げるが、ラファエルの内心までは読み取れない。


死の淵から蘇った直後、薄れゆく意識の中で見た彼女の姿。

逆光に輝く銀髪、心配そうに覗き込む美しい瞳。

それはまさしく天界から舞い降りた慈愛の天使そのものに見えた。


だが、現実はこれだ。

竜の爪を撫でまわしながら「うっひょー! 金貨の山確定!」と叫ぶ守銭奴。

ラファエルの淡い感情は、形になる前に木っ端微塵に粉砕されて川に流れていった。


そしてふと、エルセインの視線がスフィアの背中に吸い寄せられる。


「そういえばスフィア君、その剣だが……」


「ん?」


スフィアがエルセインに向かって振り返る。


彼が背負っている純白の剣。


先ほど戦っている時にちらりと見えた剣身から放たれる静謐なオーラは、エルセインの記憶にある『かつての聖剣』の気配を微かに、しかし確実に想起させるものだったのだ。


ゆえに時間の出来た今、思い切って聞いてみることにした。


「良い剣だろ。頑丈だし斬れ味もいいぜ」


スフィアは自慢げに鼻を鳴らす。


「ちょっと見ても良いかい?」


「おうよ」


スフィアは背中から剣を外し、無造作にエルセインへと手渡した。

エルセインはその純白の剣を受け取り、鞘から少しだけ抜いて剣身を眺める。


陽光を反射して輝く純白の刃。

その輝きは確かに三百年前のあの日、友が振るっていた聖剣アスティオンの輝きに酷似している。


しかし――。


(ふむ……。剣身の材質や輝きは酷似しているが……)


エルセインの眉がわずかに寄る。


(記憶にあるものより、随分と剣身が短いな。それに柄と鍔が違う。あのアスティオンの象徴とも言える紋章が見当たらない)


無理もない。


この剣は、かつて子供だったスフィアが「長すぎて使いにくい」という理由で剣身を削って短くし「ボロボロで汚い」という理由で柄と鍔を汎用品に総取り換えした状態なのだ。


そして、ここにはもう一つエルセイン側の致命的な認識不足があった。

彼は長き時を生きる竜であり、宮廷魔術師長という魔法のスペシャリストではあるが、剣という物理的な道具に関しては素人である。


剣とは剣身こそが本体であり、柄や鍔といった外装、拵えは消耗品であって取り換えが利くもの、という剣士ならば当たり前の常識が彼には欠けていた。


ゆえに柄が違い、長さが違うこの剣を「聖剣そのもの」だとは認識できなかったのである。


「この剣はどこで?」


エルセインは念のため、入手経路を尋ねた。

もしここで「遺跡の祭壇で見つけた」と言われれば確信に至ったかもしれない。


しかしここで、スフィアの致命的な説明下手が響いてきた。


「んっと……拾ったんだ」


この猫さんは、説明において肝心な箇所を省略する悪癖があったのだ。

彼の中では「遺跡を探検して最奥の祭壇まで行って苦労して手に入れた」という過程が、説明の面倒くささゆえに「拾った」の一言に圧縮されていた。


「拾った?」


「うん、村の近くで」


「村の近くで……」


エルセインがオウム返しに呟く。


少なくとも常識的に考えて、村の近くの遺跡に潜り、魔獣を倒し、封印された祭壇に安置されていた剣を戦利品として持ち帰る行為を、普通は「村の近くで拾った」とは形容しない。

それは「道端で綺麗な石を拾った」というニュアンスの言葉だ。


だが、そのあたりの言語的なフォローができるメリアは今は離れた場所で竜素材の山に夢中になっており、ブルは一生懸命に火熾しをしている最中だ。

現在ツッコミ役は不在である。


よって、エルセインはその言葉を額面通りに受け取ってしまった。


(村の近くで拾ったということは、平野や森の中で力尽きた冒険者の遺留品……か? 純白の剣というのも探せばあるものだしな。素材が似ているのは偶然か)


聖剣アスティオンは、厳重な封印と結界によって守られていたはずだ。

それが村の近くに無造作に落ちているはずがない。

エルセインの理性的な判断が、目の前に転がっている真実を否定した。


彼は剣を鞘に納めるとスフィアに返却する、してしまう。


「そうか、良い剣だね。大事にすると良い」


「おう!」


スフィアは嬉しそうに剣を受け取り、再び背中に背負う。


かくして、エルセインは目の前のそれが己が探し求めている『聖剣アスティオン』そのものでありながら、スフィアの改造と説明不足、そして自身の知識不足による勘違いのコンボによって、それを見逃してしまうのであった。


「兄さん、簡易かまどの準備できたよ」


ブルの野太い声が響く。

彼は手頃な大きさの石を器用に積み上げ、即席の焚火台を作り上げていた。

中には既に薪が組まれ、赤々とした炎が燃え上がっている。


「おお。早速始めるか。あんたらもどうだ?」


スフィアが、ラファエルとエルセインに声をかける。


「どうだって……何がだ?」


ラファエルが訝しげに聞き返す。


「竜を食うんだよ。ここで」


「ここで!?」


ラファエルの声が裏返る。

さっきまで命のやり取りをしていた相手を、その場のノリで食べるというのか。

しかも、こんな野外で。


「ここで解体したのはそういう理由かい? 街に戻ってからでもよかったんじゃ」


エルセインも呆れたように尋ねる。

普通なら街の解体所に持ち込み、しかるべき処理をしてから流通させるのが筋だろう。


「それじゃ取り分減っちゃうじゃん。どこを食うか事前に決めてたから、それがいっぱい食えないのは嫌だ」


スフィアはきっぱりと言い切った。


以前リヴァイアサンを討伐した際は、海上という環境ゆえにその場での解体が不可能だった。

そのため商業連合に持ち込み、解体ショーとして公開することで宴となり利益を得たが、自分が一番食べたかった部位を独占することはできなかった。

メリアの交渉でかなりの量を確保できたとはいえ、やはり全部自分のものという感覚とは違う。


騒がしくて賑やかで、あれはあれで楽しかったが今回は腹いっぱい食いたい部分を食ってから街に卸したい。


今回は海ではなく山中。

良い感じに開けた場所がある。

血を洗う水もある。


そして何より、超一流の解体職人エルセインがいる。

この好機を逃す手はない。


スフィアは腰のポーチから、布切れを取り出した。

彼が以前メリアを助けた時のワイバーン討伐の際にも使用していた、あれだ。


「その布は?」


ラファエルが興味深そうに覗き込む。


「『鉄のスクロール』だ。まあ見てな」


スフィアが布の紋章に触れると、カシャン! という金属音と共に、引き伸ばされた布が一瞬で硬質な鉄板へと変化した。

彼はそれを慣れた手つきで石のかまどの上に設置する。


「なるほど、これは便利だな……野外でも鉄板焼きができるのか」


ラファエルは感心したように頷く。

王族としての教育には野営の知識も含まれているが、これほど実用的な魔法道具は知らなかった。

まあ王族が野外の調理法を知る必要はないので省略されたのだろう。


これがあれば野外の調理もずいぶん楽になる。

冒険者ならではの知恵といったところか。


「そうそう。いいだろ」


スフィアは得意げに笑うと、解体したばかりの竜肉を鉄板の上に並べ始めた。


ジュウウウウウ……!


肉が熱された鉄板に触れた瞬間、食欲をそそる音が森に響き渡る。

まずは脂の乗った赤身からだ。

竜の脂が溶け出し、それが熱で焦げる匂いが、あたり一面に立ち込める。


そこにラファエルたちから借り受けた塩コショウをパパっと振りかけていく。

彼らも旅の身の上、最低限の調味料は持っていた。


濃厚で、野性的で、それでいてどこか甘やかな匂いが漂う。

上質な牛肉をさらに濃縮したような、力強い肉の香り。


「うっ……」


その匂いを嗅いだ瞬間、エルセインが口元を押さえて顔をしかめた。


「すまない。私は遠慮させてもらいたい。ちょっと離れるよ」


彼の顔色は青ざめており、本当に気分が悪そうだ。


それも無理はない。

彼は人の姿をしているとはいえ、その本質は竜である。

同族が焼かれる匂いというのは生理的な嫌悪感をもよおすものなのだろう。


「? どうしたんだ?」


事情を知らないスフィアが、不思議そうに首を傾げる。

こんなに美味そうな匂いなのに、なぜ顔をしかめるのか理解できないといった様子だ。


「あー、彼はちょっと……そう、竜肉に嫌な思い出があるらしくてね」


ラファエルが慌ててフォローを入れる。

まさか「彼は竜だから共食いになる」とは言えない。


「ふーん? 竜肉美味いのにな。もったいねえ」


スフィアは納得したようなしていないような顔で、肉をひっくり返す。

こんがりとした焼き目がつき、さらに芳醇な香りが広がる。


「あ、僕もエルセインさんと一緒にいいですか。僕も肉食べないもんで」


ブルが申し訳なさそうに手を挙げる。

草食のミノタウロスにとって肉の焼ける匂いは別に拷問ではないものの、食欲をそそるものではない。


「ああ、君は草食だったね。じゃあ二人でそのあたりをぶらつこう。何か目的でもあれば良いんだが……」


エルセインは渡りに船とばかりに頷く。

この場から離れられるなら、何でもよかった。


「どんぐりでも集めます? アク抜きすると美味しいですよ」


「どんぐり、どんぐりか……」


エルセインは遠い目をした。

宮廷魔術師長たる自分が山奥で巨漢の牛獣人とどんぐり拾い。

なんともシュールな光景だが、肉の匂いを嗅ぎ続けるよりは全然マシだ。


「悪くない。行こうか」


「はい。あっちの木の下あたりにありそうです」


二人はそんな長閑な会話をしながら、川辺を離れて木々の方へと歩いていった。


巨漢の牛獣人と風になびく白いローブ。

奇妙な取り合わせの二人が、どんぐりを求めて消えていく。


残されたのは肉を焼くスフィアと、それを見つめるラファエル。

そして遠くで奇声を上げ続けるメリアだけだ。


「ラファエルは食うよな?」


スフィアが、期待に満ちた目でラファエルを見上げる。


美味しいものは誰かと共有したい。

それがスフィアの信条だ。


一人で食べるのも良いが「美味いな」「ああ、美味いな」と言い合える相手がいれば食事は何倍も楽しくなる。


ラファエルは、少し迷った末に頷いた。


「……そうだな。ご相伴させてもらおうか」


彼自身も竜の肉という未知の食材には興味があった。

それに、命の恩人であるスフィアの誘いを無下にはできない。


「おう! たっぷりあるからな!」


スフィアは嬉しそうに、さらに肉を追加で鉄板に乗せ始めた。

ジュワァァァッ! という音が、さらに大きく響く。


ラファエルは木々の方へと消えていった親友の背中を思い浮かべ、心の中でそっと手を合わせた。


(すまんな、エルセイン)


親友の同族を食べるという罪悪感。

しかし、それ以上に鼻腔をくすぐる暴力的なまでの美味の予感。

ラファエルは複雑な心境を抱えつつも、スフィアから渡された小皿を受け取った。


二人の前で、竜の肉が極上の焼き加減へと変わっていく。

表面はカリッと、中はジューシーに。

滴る脂が炭火で弾け、煙となって食欲を煽る。


「さあ、食おうぜ!」


スフィアの号令と共に山の中での奇妙な、しかし贅沢な宴が始まろうとしていた――。

聖剣ニアミス。

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