王子一行と教主の激戦
剣戟の音が、荒涼とした岩場に鋭く響き渡る。
ラファエルが繰り出す剣閃は疾風の如く鋭く、そして重い。
王族として幼少より磨き上げられたその剣技は、達人の域に達していると言って差し支えないだろう。
魔力を纏わせた刃は鋼鉄さえも容易く断ち切る威力を秘め、狙いは正確無比に教主ディオスの急所を捉えているはずだった。
だが――。
「フンッ!」
教主ディオスは、黒いローブを翻しながらその斬撃を紙一重で躱す。
いや、ただ避けているだけではない。
ラファエルの剣が振り下ろされる軌道を読み切り、手首を蛇のように絡め取ると最小限の動きで刃の向きを逸らしているのだ。
ガギィン!
剣が岩肌を削り、火花が散る。
ラファエルの目が見開かれる。
「魔法抜きでもここまで強いのか……!?」
ラファエルの驚愕はもっともだった。
一般的に、魔術師という生き物は遠距離からの高火力殲滅を得意とする反面、近接戦闘においては脆弱であるというのが常識だ。
ましてや、これほどの高位の魔術師であれば肉体の鍛錬など二の次三の次になっているのが通例である。
しかし、目の前の男は違う。
その動きには無駄がなく、体幹は岩のように揺るがない。
重心の移動、足運び、呼吸法。
そのすべてが熟練の武闘家のそれだった。
「ハッ、言ったはずだ、舐めるなとなァ!」
教主ディオスはラファエルの追撃を掌底でいなしながら、嘲るように叫ぶ。
「魔法使いは接近されれば弱いなど、子供でも分かる理屈を放置するわけが無かろう! 貴様らのような脳筋どもに近寄られた時のための、対武器用近接戦闘術程度、心得ておるわァ!」
教主ディオスの拳が、ラファエルの脇腹を狙って突き出される。
ラファエルはとっさに剣の柄でガードするが、その衝撃は予想以上に重い。
「なんてやつだ。ラファエルの身体を盾にしながら戦っている……! 魔法の射線が通らない!」
後方で杖を構えるエルセインが、歯噛みしながら呻く。
教主ディオスが選択した戦術は徹底した超近接戦。
ラファエルの懐深くに潜り込み、常に彼の身体の陰になるように位置取りを調整している。
まるで影のようにラファエルに張り付くその動きは、エルセインからの魔法攻撃を完全に封じていた。
下手に魔法を撃てばラファエルを巻き添えにしてしまう。
今のエルセインには精密な魔力操作を行うだけの余力も残っておらず、広範囲攻撃など論外だ。
結果として、戦況は実質的にラファエルと教主ディオスの一騎打ち状態となっていた。
「シッ!」
教主ディオスの手元が煌めく。
ローブの袖口から滑り出したのは、秘匿性の高い隠密用の短剣。
剣と打ち合い、体勢が崩れたほんの一瞬の隙を突き、ラファエルの喉元を狙って鋭く突き出される。
「くっ……!」
ラファエルは上体を反らして回避するが、切っ先が頬を掠め、一筋の赤い線が走る。
離れようとバックステップを踏めば教主ディオスはまるで吸い付くように距離を詰め、石礫を蹴り上げて視界を塞ぎ、追撃を加えてくる。
魔法が無くとも遠近共に隙が無い。
この男は凄まじい技量の魔法使いであると同時に、手練れの戦士でもあったのだ。
(強い。だが……!)
ラファエルは焦燥を押し殺し、冷静に相手の動きを観察する。
教主ディオスの動きは確かに洗練されているが、その顔には焦りの色が滲み始めている。
魔力が枯渇し、体力も限界に近いはずだ。
この近接戦闘も時間稼ぎの一環に過ぎない。
ならば、勝機はこちらにある。
ラファエルは呼吸を整え、覚悟を決める。
教主ディオスが放った牽制の右拳。
ラファエルはそれを剣で受けるのではなく、あえてノーガードで身を晒した。
「何っ!?」
教主ディオスの拳がラファエルの肩口を捉える。
鈍い衝撃が走るが、ラファエルは踏ん張らなかった。
むしろその衝撃を利用し、自ら後方へと大きく跳躍する。
肉を切らせて骨を断つ――否、距離を稼ぐための捨て身の策。
勢いのままに後退し、教主ディオスとの間に決定的な距離が生まれる。
ラファエルという盾を失った教主の姿が、完全に射線上に晒された。
「しまっ……」
教主ディオスが舌打ちをするのと同時、待ち構えていたエルセインの杖が火を吹く。
「よし! 今だ、『ファイアランス』!」
残存魔力を振り絞って編み上げられた炎の槍。
全盛期の威力には程遠いが、それでも直撃すれば人間一人を戦闘不能にするには十分な熱量を持って教主へと向かう。
回避は間に合わない。
防御魔法を展開する魔力もない。
絶体絶命のタイミング。
「チィッ……! 小賢しいわァ!」
教主ディオスは懐から素早く何かを取り出し、迫りくる炎の槍に向かって投げつけた。
それは青白く輝く結晶石――氷の魔石。
カァン!
魔石が炎の槍と衝突し、砕け散る。
解放された冷気が爆発的な水蒸気を生み出し、視界を一瞬にして白く覆い尽くした。
ジュワァァァァァ……!
「煙幕か!」
ラファエルが剣を構え直す。
蒸気が晴れていく中、教主ディオスの姿は既にそこにはなかった。
素早く近くの岩場の陰へと身を隠したのだ。
「魔石まで持っているのか。戦術の引き出しが多いな……」
ラファエルが油断なく周囲を警戒しながら呟く。
――魔石。
あらかじめ魔法を封じ込めておき、魔力消費なしで発動できる使い捨てのアイテムだ。
高価で貴重な品なうえ、石の耐久性を超える強い魔法は込められない。
それをこの土壇場で躊躇なく切ってきた。
「とはいえ、流石に手も尽きてきただろう。虎の子の消耗品を使うようになったからね」
エルセインが冷静に分析する。
魔術師が魔石に頼るというのは、自身の魔力が尽きた証左でもある。
追い詰められているのは間違いない。
一方、岩場の陰に身を潜めた教主ディオスは荒い息を整えながら奥歯を噛みしめていた。
(くそ、あんなやつら……! 万全であれば敵ではないものを……!)
屈辱に震える手で、懐のポーチを探る。
指先に触れる硬い感触は、残りわずか。
緊急用に残していた魔石の数は片手で数えるほどしかない。
これでは、あの二人を同時に相手取るのは不可能だ。
(打つ手なしか……? いや、まだだ。まだ終わらせん)
教主ディオスの脳裏に、ある一つの計画が浮かぶ。
それはプライドの高い彼にとって、認めたくない敗北に近い手段だった。
だが、このまま捕まり教団の情報を吐かされるよりはマシだ。
(こうなったら最後の手段を使うほかないか……!)
教主ディオスが悲壮な決意を固めた、その時。
バリバリバリッ!
頭上の岩盤が、雷撃によって粉砕された。
エルセインが教主ディオスの隠れている場所を特定し、攻撃を仕掛けてきたのだ。
「ぐっ!」
降り注ぐ瓦礫を避けながら、教主ディオスは開けた場所へと飛び出す。
土煙が晴れると、そこには剣を構えたラファエルと杖を向けたエルセインが待ち構えていた。
「チェックメイトだ」
エルセインが静かに告げる。
教主ディオスは乱れた呼吸を整え、二人を睨みつけながら口元を歪めた。
その笑みは追い詰められた者のそれではなく、切り札を隠し持った勝負師の不敵なものだった。
「こうなったら、本当に最後の奥の手だ」
「まだあるのか……!?」
ラファエルが警戒を強める。
先ほどの魔石のような奇策か、それとも隠し武器か。
「ハッタリだ。もう打つ手は残されていないはずだ!」
エルセインが断言する。
魔力も尽き、道具も尽きた。
これ以上、何ができるというのか。
「そうかな? お前たち、私が何のためにここに来たか忘れていないか?」
教主ディオスの言葉に、ラファエルとエルセインは一瞬戸惑う。
何のために?
邪神竜の復活、そのための生贄、そして――。
二人の顔が、同時にはっとした表情になる。
「そう! 私には、あの強大な『竜』の暴走という最後の手段があるのだ!」
教主ディオスが両手を広げ、高らかに宣言する。
本来ならば倒された竜の魂と集めた生贄の魂を回収して捧げ、完全な形で邪神竜ヴァルノスを復活させる計画だった。
だが、今はそんな悠長なことは言っていられない。
不完全でもいい。
制御不能でもいい。
ここで竜を強制的に暴走させれば、その圧倒的な破壊力でこの場の全員を始末できる。
「ここで暴走させれば街に被害は出せないうえに、任意暴走では暴走の爆発力に乏しいが……計画が費え、私がここで朽ちるよりはマシというもの!」
「しまった!」
ラファエルが叫ぶ。
竜の相手をしていたあの獣人二人はどうなった?
戦況に気を取られ、彼らの様子を確認していなかった。
「よせ! それをすれば貴様もタダでは済まんぞ!」
エルセインの制止も、教主ディオスの耳には届かない。
「もう遅い! 全てを灰燼に帰せ! 『竜よ、暴走し全てを破壊せよ!』」
教主ディオスが高笑いと共に、竜に対する強制暴走の呪言を叫んだ。
竜の精神に植え付けた楔を爆発させ、理性を完全に焼き切る自爆スイッチ。
――しかし。
「ハハハハハ! ……ハハ。……ん?」
教主ディオスの高笑いが、虚しく空に響くのみ。
何も起きない。
地響きも、咆哮も、爆発的な魔力の膨張も。
静寂だけが、そこにあった。
ラファエルとエルセインは身構えたまま竜の方を向き、そして困惑したような表情を浮かべている。
その視線の先には、教主ディオスが予想していた暴れ狂う破壊神の姿はなかった。
「竜?」
教主ディオスが恐る恐る、少し離れた場所にいるはずの竜に目を向ける。
そこには無残な姿で大地に倒れ伏し、ピクリとも動かない巨竜の姿があった。
白目を剥き、舌をだらりと垂らし、完全に沈黙している。
暴走どころか、呼吸すら怪しいほどの完全なるノックアウト状態だ。
そして、その巨体の前を二つの影が意気揚々と歩いてくるのが見えた。
「よう! 竜はぶっ倒したぜ! いやー、あんだけデカいと肉も食い放題だな!」
蒼い鎧の猫獣人――スフィアが純白の剣を肩に担ぎ、満面の笑みで手を振っている。
その顔には、これからの食事への期待感が溢れていた。
「これで僕も温泉街のお姉さんにモテモテだあ! 英雄って呼ばれちゃうかな? どうかな?」
その隣で漆黒の重鎧を纏った牛獣人の巨漢――ブルが、兜を外して爽やかな笑顔を見せている。
その顔には、ただただ不純な動機への希望が輝いている。
本当に爽やかだろうか、その笑顔。
二人の背後にはボコボコにされ、解体寸前まで追い込まれた竜の哀れな姿。
暴走する生命力など、欠片も残されていなかったのだ。
ラファエルが、呆然と呟く。
「……倒しちゃったのか? 二人だけで?」
宮廷魔術師長と王子が二人がかりでも苦戦した相手を。
たった二人で、しかもこの短時間で。
「まーな。意外とタフいだけで大したことなかったぜ」
スフィアは事もなげに言う。
彼にとっては、硬くて切りにくい肉塊程度の認識だったらしい。
ブルが同意するように頷く。
「水の中に潜るリヴァイアサンとか、致死毒吐いてくるヒュドラに比べるとね。陸の上で殴り合ってくれるだけ、すごく素直な相手だったよ」
彼の基準では海中に引きずり込む海竜や、再生する毒竜に比べれば、物理で殴ってくるだけの竜は与し易い部類に入るようだった。
まあ搦め手を使ってこない、ただのパワータイプならやりようはあるのである。
吐いてくる炎も予備動作大きいし。
「リヴァイアサン? ヒュドラ? ……君たち、本当にどういう素性の持ち主なんだ?」
エルセインが、頭を抱えるようにして呻く。
かなり強力な竜種の名が、まるで近所の野良犬の話でもするかのようにポンポンと飛び出してくる。
彼らの常識は、何かがおかしい。
教主ディオスは、口をあんぐりと開けたまま石像のように固まっていた。
理解できなかった。
理解したくなかった。
自分の最強の竜が。
最後の希望が。
あんなふざけた連中に、こうも容易く処理されたという現実を。
教主ディオスは震える手で、懐に残っていた最後の魔石を取り出した。
それは攻撃用ではなく、逃走用の切り札。
本来は竜を暴走させた時に、自分だけ逃げるために持ってきていた物。
パリン!
教主ディオスが魔石を握り砕くと、空間が歪み、彼の姿が陽炎のように揺らぎ始めた。
「しまった! 転移の魔石!?」
エルセインが叫ぶ。
転移魔法は高度な術式だが、魔石に封じられたものであれば一瞬で発動する。
もはや妨害は間に合わない。
「逃げるのか!?」
ラファエルが剣を構えて踏み込むが、教主ディオスの身体は既に半透明になりつつあった。
「ああ、逃げるとも! 計画が全て水の泡になり、余力もない以上、逃げるほかない……!」
教主ディオスの声が歪んだ空間の中から響く。
その顔には敗北の悔しさと、底知れぬ怨念が張り付いていた。
「だが覚えておけ! この屈辱、忘れんぞ貴様ら……! 我らは決して滅びぬ! いずれ必ずや貴様ら全員を地獄に送って――」
典型的な捨て台詞を吐き、姿を消そうとしたその瞬間。
「待て! てめえに聞きたいことがある!」
スフィアが、大声を上げて教主ディオスの方へ駆け出した。
教主ディオスの姿が完全に消える直前。
その必死な呼び止めに、教主は思わず反応してしまった。
最後に命乞いでもするつもりか、あるいは呪いの言葉でも吐くつもりか。
「……なんだ?」
空間の歪み越しに教主ディオスが問う。
スフィアは真剣な表情で消えゆく彼に向かって叫んだ。
「お前さ、塩コショウ持ってない? 宿に忘れてきちゃってさ、竜の肉焼くのに味付けがねえと困るんだよ」
――時が、止まった。
ラファエルも、エルセインも、そして消えかけていた教主ディオスも。
全員が動きを止めた。
決死の戦いの最後に。
邪悪な教団の首領に対する最後の言葉が。
調味料の無心。
教主ディオスの顔が怒りと困惑で真っ赤に染まった。
歪みゆく空間の中で、彼の表情筋が限界まで引きつる。
「知るかァ!!!」
教主ディオスの絶叫が残響となって響き渡り――次の瞬間、彼の姿は完全にかき消えた。
転移は完了し、あとには静寂だけが残される。
「なんだよ、怒ることねーじゃん。感じ悪いなー」
スフィアは不満そうに口を尖らせ、頭の後ろで手を組んだ。
本気で塩コショウが欲しかったらしい。
「そうだねー。ケチだねー」
ブルもまた残念そうに同意する。
彼らにとって邪悪な教主ディオスは「調味料をくれないケチな人」でしかなかったようだ。
というか、そもそも誰でしょうねあの人。
なんでここにいたの?
ラファエルは剣を鞘に納め、深いため息をついた。
緊張の糸が切れ、どっと疲れが押し寄せてくる。
「……えーと、とりあえず竜討伐お疲れ様……で、いいのか……?」
問いかけられたエルセインは、遠い空を見上げながら力なく答えた。
「私に聞かれてもなあ……」
三百年を生きた竜の知恵をもってしても、この結末を正しく評価する言葉は見つからない。
ただ一つ確かなことは、温泉街イドラを脅かしていた危機は去り、邪教団の計画は阻止されたということだ。
あまりにも締まらない結末で。
山に吹く風が土煙を運び去っていく。
ひとまずの激戦は、これで終了となったのだった――。
マイペース。




