王子戦線復帰
スフィアとブルが竜に向き直り、新たな戦いの幕が上がろうとしていたその背後で、怪我人を抱きかかえた一人の魔術師が呆然していた。
「……なんなんだ、彼らは……」
その呟きは、誰に向けたものでもない。
あまりにも理解の範疇を超えた現象を目の当たりにし、脳の処理が追いつかないが故の、無意識の吐露。
エルセインの瞳には、先ほどの光景が焼き付いている。
いきなり現れた二人の獣人。
蒼い鎧兜を装備した小柄な猫獣人と、邪教団もかくやという禍々しい鎧を身に付けた牛獣人。
彼らは何やらわけの分からないことを言って教主ディオスを怒らせた後、戦略級の雷撃魔法『ミョルニル』の直撃を喰らう。
それを、あの小柄な猫獣人はあろうことか身一つで受け止めた。
いや受け止めたという表現すら生温い。
彼はまるでそよ風を受けたかのように平然としており、焦げ跡ひとつ、煤汚れひとつ付いていなかったのだ。
更には無効化しただけではない。
彼は教主ディオスの放った雷撃をその身に纏い、それをそのまま攻撃力へと転化して叩き返したのだ。
起こっている現象そのものは分かる。
しかし何故そんなことが起こっているのかさっぱりわからない。
(雷の吸収……? いや、反射? 鎧の効果でそんなことが可能なのか?)
その前にいったい彼らは誰なのか。
竜討伐を大々的にやっていた温泉街からやってきた増援だろうか。
そんな思考の迷宮に入り込みかけたエルセインの耳に、切迫した女性の声が飛び込んできた。
「スフィアさーん! ブルさーん! 二人だけで行かないでくださいよー!」
「……?」
エルセインが音のした方角へ視線を向けると、岩場の陰から一人の少女が息を切らせて駆け上がってくるのが見えた。
銀色の髪が風に舞い、整った顔立ちは疲労で紅潮している。
服装は動きやすい旅装だが、仕立ての良さが窺える。
背中には自分の身体ほどもありそうな大きな鞄を背負い、それでもなお軽快な足取りでこちらへ駆け寄ってきていた。
――彼女の名はメリア。
元商人の冒険者である。
彼女はゴーレム馬車を降りた後、爆走した二人のあとを必死で追いかけてきたのだ。
「まったくもう! 荷物運び手伝ってって言ったのに、置いていくなんて酷くないですか!」
メリアは腰に手を当ててぷりぷりと怒りながら、戦場の奥へ視線を走らせる。
「おや。噂に聞く先客さん……」
彼女の視線がエルセインと、彼が抱きかかえる人物に向けられた瞬間。
メリアの表情が一変した。
「……って、そこの人大丈夫ですか!?」
彼女は血相を変えて砂利を蹴立てて走り寄る。
その視線の先には、エルセインの腕の中でぐったりとしているラファエルの姿があった。
背中は無残に引き裂かれ、流れる血は地面に赤い池を作っている。
顔色は土気色で呼吸は浅く、速い。
素人目に見ても、命の灯火が今にも消えようとしているのが分かった。
「ああ、竜にやられたんだ……」
エルセインの声は苦渋に満ちていた。
彼は片手でラファエルの傷口を圧迫し、もう片方の手で杖を握りしめながらも必死に治癒の魔力を送り続けている。
だが、その光は弱々しい。
「すまないが、少しでも治癒ができるものはないだろうか。治癒の魔力を傷口に集中させているんだが、激戦の直後で魔力の集中力が落ちている。今の私の魔力だけでは傷の塞がりが追いつかない……。 少しでも延命できればありがたいのだが……」
宮廷魔術師長としての矜持も、竜としてのプライドもかなぐり捨て、エルセインは目の前の少女に懇願した。
どんなに微力なポーションでもいい。
傷を塞ぐ包帯代わりの布切れでもいい。
何か、この状況を打破するきっかけが欲しかった。
メリアは赤髪の重傷人――ラファエルの惨状を瞬時に観察した。
深い裂傷、大量出血、ショック状態。
並の回復薬では気休めにもならないだろう。
普通の薬草師が作るポーションをかけたところで傷口が少し塞がる程度だ。
(……出し惜しみしてる場合じゃないですね)
メリアは即断した。
彼女は背負っていた鞄を地面に下ろすと手早く留め具を外し、奥底にしまってあった小さな木箱を取り出す。
「任せてください。とっておきを使います!」
メリアが封を解き、いくつかある小瓶から一本を取り出す。
その中には、黄金色に輝く液体が満たされている。
メリアが小瓶の栓を抜いた、その瞬間。
ふわり、と。
鉄錆と土埃の臭いに満ちていた戦場の空気が、一変した。
「……ッ!?」
エルセインが目を見開く。
鼻孔をくすぐったのは清涼で、それでいて濃厚な生命の香り。
森の奥深く、朝露に濡れた新緑のような、あるいは熟した果実のような神秘的な芳香。
この香りには覚えがある。
これは――。
「その魔力の芳香……まさか、ユグドの回復薬か!?」
「ええ」
メリアが取り出したのは、先日訪れた『迷いの森』で手に入れた品だ。
森の奥に住む魔術師ルミナが、別れ際に持たせてくれた特製の回復薬である。
ユグドの果実。
それ自体が高い治癒効果を持つ魔法の果実だがルミナはそれを濃縮し、魔力を調整して効果の高い回復薬として精製していた。
『きっと役に立つよ』と言って旅立つ際に渡されたその薬は、メリアが以前言っていた市場に一本出回るか出回らないかの高位回復薬に匹敵するだろう。
(こんなに早く活躍の機会が来るとは……ルミナさんありがとうございます!)
メリアは内心でルミナに感謝しつつ、真剣な眼差しでラファエルを見下ろす。
「傷が深すぎて、普通に飲ませるだけじゃ間に合わないかもしれません。直接かけますね」
「しかし、これほどの貴重品を……!」
エルセインが躊躇するのも無理はない。
ユグドの果実は近年ほとんど出回らない貴重な果実だ。
見ず知らずの他人に、しかも全量使い切るなど正気の沙汰ではない。
だが、メリアはそんなこと知ったことではない。
相手がどこの誰か知らずとも、彼女は死にかけている人を放って金を選ぶような根性はしていないのだ。
「傷が深いので一本全部使います。押し売りのようですみませんが、後で代金請求しますね。こちらとしても貴重品なので」
その言葉に、エルセインはハッとした。
彼女は恩を売るわけでも、見返りを求めない聖女を気取るわけでもない。
「商売」という形をとることで、エルセインに心理的な負担をかけさせないようにしているのだと悟る。
なんと高潔な人物なのだろう。
――実際は緊急時にそこまで考えてはいないのだが。
元々貰いものであるということもあり、メリアは言葉通り緊急時だけど貴重品だし金は払ってもらおう程度にしか考えていない。
「……ああ、もちろんだ! 後で言い値でいくらでも払う!」
「あ、いえ。元々貰いものですし、緊急時なんでそこまで高額にはしませんけど……」
「すごく律義な人だなぁ」と思いつつメリアは苦笑しながら、小瓶をラファエルの背中へと傾けた。
とぷ、とぷ、と。
黄金色の液体が無残に裂けた傷口へと注がれる。
瞬間。
カッ! と眩い光が傷口から溢れ出した。
「うおっ……」
エルセインが思わず目を細める。
光は傷口を包み込み、見る間に肉を盛り上げ、血管を繋ぎ、皮膚を再生させていく。
ボロボロに砕けていた鎧の隙間から見えていた惨たらしい傷跡が、光が収まると同時に、跡形もなく消え去っていた。
ただ、白くなめらかな肌がそこにあるだけだ。
それだけではない。
失血により蒼白だったラファエルの頬に、瞬く間に赤みが差していく。
浅かった呼吸は深く力強いものへと変わり、苦痛に歪んでいた眉間の皺が解けていく。
「うわ、流石は高位回復薬。物凄い効き目ですね……」
メリア自身も、その効果には驚きを隠せない様子だった。
ルミナが作ったジュースを飲んだ時、スフィアやブルの傷が癒えたのは見ていたが瀕死の重傷を一瞬で完治させるとは。
「いや、ここまでのものは私も初めて見る……一体誰が作ったんだ……?」
作ったのは光の精霊竜『聖竜ルミナス』。
言うなれば、お前の上位存在である。
そうしてほどなく、ラファエルの口から小さな呻き声が漏れた。
長い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開かれる。
「う……ん……」
薄ぼんやりとした視界に最初に飛び込んできたのは、逆光の中に浮かぶ銀髪の少女の姿。
心配そうに覗き込むその顔は美しく、後光のように陽の光を背負っている。
死の淵を彷徨っていたラファエルの意識は、まだ夢現の境にある。
激痛が消え、身体が羽のように軽い。
そして目の前には美しい少女。
「……天使……?」
ラファエルは夢見心地で呟いた。
ここは天国なのだろうか。
自分は死んで、美しい天界の使いが迎えに来たのだろうか。
ああ、しかしこれほど美しい天使ならば連れていかれるのも――。
「ラファエル! 気が付いたか!」
その声に、ラファエルの意識が急速に覚醒する。
見慣れた親友であり旅の師である男の顔が、視界の端から割り込んできた。
「……エルセイン? 俺は……生きているのか……?」
ラファエルは自分の身体を見下ろす。
背中に手を回してみるが、痛みはない。
出血の感覚もなく、肉体には力が満ちている。
信じられない。
あれだけの傷を負って、助かったというのか。
そこまで認識して、ラファエルはハッとしたように慌てて上半身を起こした。
「竜とあいつは!?」
そうだ。
まだ終わっていない。
自分たちは敗北し、教主ディオスと竜に追い詰められていたはずだ。
寝ている場合ではない。
「あいつ?」
メリアが首を傾げる。
いったい誰のことだろう。
メリアが来る前に教主ディオスは離れた岩場に吹っ飛んでいたので、彼女が彼を知る由は無い。
「ラファエル。あっちを見てくれ」
エルセインが顎で戦場の一角をしゃくった。
ラファエルは警戒しながら、その方向へと視線を向ける。
そして、絶句した。
「……な……?」
そこでは、信じがたい光景が繰り広げられていた。
「ギャアアアアッ!」
教主ディオスの魔法で強化され、ラファエルたちを圧倒していたはずの巨大な竜が悲鳴を上げていたのだ。
「舐めんなオラァッ! 良い感じに解体してやらァ!」
小柄な猫獣人の剣士――スフィアが、竜の背中を駆け上がりながら叫んでいる。
彼は竜が振り回す尾や爪を紙一重で躱し、あろうことか竜の鱗に何度も純白の剣を突き立てて、まるで解体を試みているかのように斬りつけている。
「ブモォォォォ! ここで竜を倒せば僕のモテ期が来る!!」
そして地上では巨大なミノタウロス――ブルが、竜の前足を真正面から受け止めていた。
漆黒の重鎧が軋む音を立てるが、彼は一歩も引かない。
それどころか竜の爪を棍棒で打ち返し、スフィアが動きやすいように逆に竜の体勢を崩させている。
「……彼らは?」
ラファエルは、目の前の光景が現実なのか疑わしかった。
あの絶望的な強さを誇った竜が、二人の乱入者に翻弄されている。
しかも叫んでいる内容がちょっと俗っぽい。
緊張感など欠片もない。
「私もよくわからないが、たぶん竜討伐の増援だろう」
エルセインが遠い目で答えた。
増援にしてはあまりにも異質すぎる。
だが、彼らが竜を圧倒しているのは紛れもない事実だった。
「ええ。ウチの自慢のメンバーです」
メリアが誇らしげに胸を張った。
まるで可愛い弟たちを紹介する姉のような表情だ。
「自慢の……メンバー?」
ラファエルはまじまじとメリアを見た。
この可憐な少女が、あの怪物じみた二人組の仲間だというのか。
メリアは立ち上がり、パンパンと服の埃を払うと再び大きな鞄を持ち上げた。
「さて、治療も済みましたし。私は非戦闘員なので竜に最後の一発かましてから退避しますね」
「最後の一発?」
「そちらも病み上がりでしょうし気を付けて! あと危ないのでこっちを見ないでくださいね! 目が潰れますよ!」
メリアはそう言い残すと、ラファエルたちから少し離れた場所へと移動していく。
そして、鞄の中から何やら物騒な形状をした筒状の物体や、ガラス瓶を組み合わせた装置を取り出し、手際よく組み立て始めた。
「ああ……ありがとう、今回のお礼はまたあとで!」
エルセインがメリアの背中に向かって声をかけると、彼女は振り返らずに片手を上げて応える。
メリアは、着々と準備を進めている。
持ち込んだ機材で何かを狙い定めているようだ。
「……何をする気だ?」
「わからない。だが、彼女の言う通りにしていた方が良さそうだ」
ラファエルの問いにエルセインは首を振り、そしてエルセインは視線をラファエルに戻す。
「さてラファエル、動けるか?」
「ああ。嘘のように身体が軽い。問題なさそうだ」
ラファエルは剣を拾い上げ、立ち上がった。
身体の調子はもう全快だ。
いや、以前よりも調子が良いかもしれない。
「なら、やるべきことをやろう。教主はもうボロボロで動けない。彼らが竜と戦っている今のうちに、教主を捕らえるぞ!」
エルセインの言葉に、ラファエルは眉をひそめた。
「……ん? ボロボロ? 教主が?」
ラファエルの記憶にある教主ディオスは空中に浮遊し、余裕の笑みを浮かべて強力な魔法を放ってくる底知れない強敵だった。
それがボロボロとは、どういうことか。
「ちょっと待ってくれエルセイン。なんで教主がボロボロなんだ? 俺が気絶している間に何があった?」
ラファエルの問いに、エルセインは言葉に詰まった。
何があったか。
それを説明するのは、非常に困難だった。
「それは私が聞きたいんだよなあ……」
エルセインは深い深いため息をつく。
空から降ってきた巨大な雷を無効化し、雷を纏ったまま蹴りを入れた猫獣人。
エルセインの知る物理法則も魔法理論も無視したあの光景を、どう説明すればいいのか。
「猫が雷を纏ってドロップキックしたら教主が吹っ飛んだ」などと言っても、気絶明けのラファエルが信じるとは思えない。
「一部始終を見ていたが、とても一言で説明できる状況じゃないんだ。私にも何が何だかわからない部分が多い」
「エルセインが見てわからないことなんてあるのか?」
「君はあの光景を見ていないからなあ……」
エルセインは苦笑いを浮かべると、教主ディオスが吹き飛んでいった岩場の方角を指差した。
「とにかく、行こう。竜の相手は一旦彼らに任せておけばいい。今の我々がすべきは元凶を確保し、その後に彼らとともに竜を倒してこの騒動を終わらせることだ」
「ああ、そうだな」
ラファエルは頷き、エルセインと共に歩き出した――。




