大宴会とトラブル
時刻はすでに夜も深く、酒場の窓の外は真っ暗になっている。
しかし角笛亭の内部は温かな明かりと熱気に包まれていた。
酒場はいつの間にか非常に盛り上がっており、種族やパーティーの垣根を越えて大騒ぎになっていたのだ。
麦酒のジョッキは次々と空になり、カウンターでは女将が忙しそうに新しいジョッキに酒を注いでいる。
テーブルには食べかけの肉料理や野菜料理が散乱し、ソースの染みやパンくずが木目に散らばっていた。
獣人たちの頬は酒で赤く染まり、目は潤んで焦点が定まっていない。
普段の理性や礼儀など、完全にどこかへ飛んでいってしまっていた。
狼獣人は椅子の上に立ち上がって、月に向かって遠吠えするような大声で意味不明な歌を唸っている。
熊獣人は太い腕を振り回しながら踊っており、その度にテーブルが揺れて食器がガチャガチャと音を立てた。
鳥獣人たちは甲高い声でおしゃべりに興じており、時折羽毛が舞い散って幻想的な光景を作り出している。
まさに宴会の最盛期といった様相である。
そんな中、スフィアが突然ガタンと椅子を蹴って立ち上がった。
その金色の瞳は完全に酔いで潤んでおり、足取りが少し怪しい。
明らかに酔いが回っている。
「よおし、ここはひとつ俺が故郷の踊りを見せてやるぜ!」
酔いが回ったスフィアは、よろめきながらもテーブルの上にひょいと飛び乗った。
小さな足がテーブルの上で安定を保とうと微調整を繰り返している。
何ともヘンテコな踊りだ。
小さな手足をくるくると回し、時折バランスを崩しそうになりながらも猫のように「ニャー」と鳴いてリズムを取っている。
足をぺたぺたと踏み鳴らし、長い尻尾をくるくると振り回しながら、意味不明なステップを踏んでいる。
本当にそれは故郷の踊りなのだろうか。
その姿は確かに愛らしいが酔っているせいか踊りとしては相当に怪しく、見ているこちらが心配になるほどふらついていた。
周囲の獣人たちは手を叩いて囃し立てており、スフィアのパフォーマンスに大声で声援を送っている。
「スフィアさん! おひねりあげたいですが、お金は出したくないのでキスでいいですか!」
メリアも相当に酔いが回っているらしく、普段の上品で控えめな様子は完全に消失していた。
頬を真っ赤にして目を潤ませ、スフィアに向かって手をひらひらと振っている。
その仕草は子供のようで、商家のお嬢さんらしい品格など微塵も感じられない。
髪も少し乱れて普段きちんと整えられた服装も崩れている。
「いらねえええええ! くれるなら肉か、せめて金の方くれよ!」
スフィアは踊りながらも即座に拒否した。
その声は裏返っており、叫んだことで踊りのバランスを崩しそうになりながらも小さな手をぶんぶんと振って否定の意思を示している。
「よし、僕もひとつ一発芸を」
酒に酔ったブルはそう言って熊獣人の首に掛けられたタオルを両手で掴み、上下に動かしてみせた。
「井戸」
「ぎゃーはっはっはっは!」
「いいぞー!」
なるほど、首を滑車代わりにして、タオルの端を井戸の汲み桶に見立てているわけだ。
くだらないギャグだが酒場の酔客たちには好評で、一斉に笑い声があがる。
「お嬢ちゃんはなんかねーのか!」
周囲の獣人たちも、拳を振り上げながら次の出し物を期待して声を上げた。
酒場全体が一つの大きな舞台と化しており、誰もが観客であり同時に出演者でもある状況だ。
「そうですね、ブルさん金貨袋から金貨ください!」
メリアは酔いでふらつきながら振り返り、大きな手を広げてブルに懇願した。
その表情は完全に子供のもので、普段の理性的な判断力など全く働いていない。
「もってけドロボー!」
ブルも完全に酔っ払っており、普段の気の小さな様子はない。
豪快に金貨を投げ渡すその動作は、まるで大富豪が施しをするかのようだ。
その巨体がふらつきながらも、楽しそうに大きな口を開けて笑っている。
「はいどうも美人怪盗メリアですよろしくお願いします! この金貨を今から一瞬で消してみせます!」
メリアは金貨を高々と掲げて宣言した。
商家出身らしい口上は健在で、酔いながらも人前でのプレゼンテーション能力は失われていない。
その声は酒場全体に響き渡り、獣人たちの注目を一身に集めている。金貨が酒場の明かりを受けてきらりと光った。
「おおー!」
獣人たちの期待に満ちた声が上がった。
手を叩く音、足を踏み鳴らす音、口笛の音などが混じり合って、まさに大道芸を見る観客の反応そのものだ。
「女将さんこの金貨で料理とお酒をありったけお願いします!」
メリアは女将の方を向いて、金貨を差し出した。
「まいどありー」
羊の女将も酔客の勢いに押されて、笑顔で応じる。
金貨はメリアの手から見事に消えて料理に変わった。
「ドヤァ……」
メリアは胸を張り、顎を上げて得意げな表情を浮かべた。
その仕草は完全に酔っぱらいのそれである。
控えめに言って飲みすぎでは?
「そりゃ消えるわ!」
「やるな嬢ちゃん!」
「よーしおひねりだ銅貨一枚もってけ!」
獣人たちの爆笑と喝采が響く中、実際に銅貨が宙を舞う。
キラキラと光る小さな硬貨が酒場の明かりを反射しながらメリアの足元に落ちていく。
「なんだとー! 臨時収入やったぜ!」
メリアは膝をついて銅貨を拾い集めながら大喜びしている。
その姿は完全に子供だ。
喜んで床に這いつくばる元商家のお嬢さんって大丈夫ですかね。
こう、品格とか。
「もっと粘れよもっと頑張れるだろ!」
床にしゃがむメリアの姿にスフィアも踊りながら茶々を入れる。
テーブルの上でバランスを取りながら、小さな手をひらひらと振って危なげに踊っている。
酒場の空気は最高潮に達しており、全員が一体となって騒いでいる。
笑い声、歌声、手拍子、足音が混じり合って、まるで祭りのような騒ぎだ。
そうして酒場全体が一体となって騒ぎまくっている時、入り口の扉が乱暴に開かれた。
その音は酒場の騒音を一瞬で切り裂くように響き、全員が入り口に目を向ける。
楽しげな雰囲気に冷水を浴びせかけられたかのようだ。
入ってきたのは、ガラの悪い人間の冒険者たちが数人。
彼らの顔には明らかに不快そうな表情が浮かんでおり、眉間に深い皺を刻んでいる。
服装も薄汚れており、武器の手入れも行き届いていない。
酒場の楽しげな雰囲気とは正反対の殺伐とした空気を纏っていた。
「何だァ? くっせえな! 獣くせえぜ!」
「人間の街に獣人なんか入り込んでんじゃねーよ!」
チンピラ冒険者たちの差別的な言葉が、酒場の喧騒を一瞬で静寂に変えた。
先ほどまで笑っていた獣人たちの表情が、みるみる険しくなっていく。
楽しげに光っていた目が細くなり、歯を剥き出しにする者もいる。
獣人たちの肩の力が入り、いつでも戦闘に移れる態勢を取り始める。
空気が一気に重くなり、先ほどまでの温かな雰囲気が嘘のように消え去ってしまった。
酒場の明かりさえも、なぜか暗く感じられる。
そんな緊張感の中、メリアが酔いでふらつきながらも立ち上がった。
椅子に手をついて体を支えながらチンピラ冒険者たちの前に歩み出る。
その足取りは確かにおぼつかないが、表情には毅然としたものがあった。
「あのですね。今凄く楽しく飲んでたんですけど? 邪魔するなら出てってもらえます?」
酔いが回っているとはいえ、メリアの声には商家のお嬢さんらしい気品と、芯の強さは変わらない。
しかしチンピラ冒険者たちは彼女の言葉など意に介さない。
むしろ、その美しさに目を留めて、下劣な笑みを浮かべ始めた。
「お、なんだよ良い女いるんじゃんか」
「何? 酔ってんの? 俺たちが介抱してやるぜ」
チンピラの一人が、ニヤニヤと笑いながらメリアに近づいてくる。
その手が、メリアの手首を強引に掴む。
その瞬間――。
「失せろ」
低く、氷のように冷たい声が響いた。
スフィアがテーブルから飛び降りて、チンピラ冒険者たちの前に立ちはだかっていた。
先ほどまでの酔っぱらった様子は微塵もなく、その金色の瞳には鋭い光が見える。
小さな身体からは、まるで獣が縄張りを侵された時のような凄まじい殺気が立ち上る。
三角の耳がぴんと立ち、尻尾も警戒心を表すように膨む。
普段の愛らしさなど完全に消し去り、そこには純然たる肉食獣の本能が現れていた。
「何だよ可愛い子猫ちゃんよォ。俺たちはこの子と話があるんだよ。ミルクでも飲んでろよ、なあ」
チンピラ冒険者たちはスフィアの見た目だけを見て完全に侮っていた。
その愛らしい外見が、彼らの警戒心を完全に削いでしまっている。
背の低さや猫らしい特徴を見て、まるで子供か愛玩動物のように扱おうとしていた。
しかし、スフィアの表情は一層険しくなった。
口元が僅かに歪み、鋭い牙が覗いている。
「そいつはうちのパーティーメンバーだ。手ェ放して失せろ」
その声音は氷のように冷たく、低い唸り声のような響き。
怖い顔つきで威嚇しており、もはや先ほどまでの陽気さの欠片もない。
まるで別人のような、いや別の生き物のような迫力を放っている。
チンピラ冒険者の一人が本格的にイラついてきた。
顔を赤らめ、拳を握りしめている。
「おいコラ、クソ猫が生意気な……」
そう言いながら、腰の剣に手をかけて抜き放とうとした――その瞬間。
キィンッ
何かが風を切る音がして、チンピラの手元で鈍い金属音が響いた。
その音は短く、鋭く、まるで硬いものが一瞬で断ち切られたような響き。
そして次の瞬間、抜きかけた剣の剣身の根元が一瞬で叩き折られ、剣身だけがそのまま重力に従って鞘に戻ってしまった。
手元には柄と鍔だけになった剣が残されており、剣身は完全に消失している。
「えっ」
「え……え?」
チンピラ冒険者たちは柄だけの剣と、そこに立っているスフィアを見比べて唖然とした。
口を半開きにして、目を見開いている。
何が起こったのか全く理解できず、現実を受け入れることができないでいる。
しかし、スフィアの尻尾が微かにゆらりと揺れているのを見て、ようやく事態を把握し始める。
あの長い尻尾が、抜き放つ一瞬で剣を叩き折ったのだと。
酒場全体が静寂に包まれた。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、針を落としても聞こえそうなほどの静けさ。
獣人たちも息を呑んで事の成り行きを見守っている。
そこへ、ブルがゆっくりと立ち上がった。
椅子がギシリと軋む音が響き、三メートルを超える巨体が徐々に立ち上がっていく。
その存在感は圧倒的で、チンピラたちの前に立ちはだかるとまるで巨大な壁のようだ。
天井の梁に頭が届きそうなほどの巨躯が酒場の明かりで影を作り、チンピラたちを完全に覆い隠す。
ブルの目は普段の優しさとは正反対の、静かな怒りを湛えている。
「ひ、ひぃ……」
チンピラたちの顔が青ざめた。
足がガクガクと震え、冷や汗が頬を伝っている。
先ほどまでの威勢の良さは完全に消し飛び、ただただ恐怖に支配されていた。
「これが最後だ。失せろ」
スフィアの声は静かだったが、そこには有無を言わさぬ威圧感が込められていた。
その小さな身体から発せられる迫力は体格差など関係ない。
まるで肉食獣を怒らせたかのような迫力が肌に突き刺さる。
チンピラたちは慌ててメリアから手を放し、互いにぶつかりながら尻餅をついて酒場から逃げ出していった。
その様子は滑稽なほど慌てふためいており、転びそうになりながらも必死に扉に向かって這うように移動している。
威勢の良さはどこにもなく、ただただ命からがら逃げ出そうとするだけの姿だ。
扉が勢いよく閉まり、チンピラたちの足音が遠ざかっていく。
静寂が一瞬酒場を支配した後――。
「よくやったぞー!」
「嬢ちゃん勇気あるなあ!」
「スフィアちゃんかっこいい!」
「ブルちゃんも頼もしいねえ!」
獣人たちから爆発的な歓声と称賛が巻き起こった。
手を叩く音、足を踏み鳴らす音、口笛の音、喝采の声が酒場中に響き渡る。
先ほどまでの緊張感が一気に解けて、むしろ以前よりも盛り上がりを見せていた。
スフィアとブルを囲んで獣人たちが肩を叩いたり背中を叩いたりして賞賛している。
メリアは二人を見上げて心から頼もしく思った。
今日出会ったばかりの仲間たちが自分のために立ち上がってくれた。
その事実が胸の奥を温かくし、目の奥が熱くなってくる。
こんな仲間に出会えたことの幸せを、しみじみと感じていた。
「ありがとうございます……」
メリアの声は少し震えていたが、それは感動によるものだ。
その声にスフィアとブルは照れくさそうに頭を掻く。
そして酒場は再び大騒ぎとなり、今度は三人の武勇伝も加わって、さらに盛り上がりを見せていた。
夜は更に深く更けていく――。
◆◆◆◆
翌日の昼近く、角笛亭の客室では三人が二日酔いでダウンしていた。
部屋の中は薄暗く、カーテンが閉め切られている。
窓の隙間から漏れ出る陽光が、三人の惨状を容赦なく照らし出していた。
部屋の空気は重く、昨夜の酒の匂いがまだ残っている。
「うー……頭痛い……」
メリアは枕に顔を埋めたまま呻いている。
いつもの銀髪は寝癖でぼさぼさになり、普段の品のある様子など微塵もない。
時折、頭を抱えるようにして布団の中で身を捩っている。
「頭の中で太鼓叩かれてるみてえ……」
スフィアは小さく丸まって、布団を頭からかぶっている。
その小さな身体は布団の中で震えており、時折「うにゃ……」という情けない鳴き声を漏らしていた。
昨日の勇ましさなど一片も感じられない。
「うう……なんで僕の頭はこんなに重いんだ……」
ブルは巨体を横たえたまま、大きな手で頭を押さえている。
その巨躯が布団からはみ出しており、足が布団の外に投げ出されている。
時折、牛らしい「うー」という唸り声を上げていた。
昨夜の記憶は断片的にしか残っておらず、三人とも自分たちが何をしていたのかよく覚えていない。
踊ったこと、金貨を使ったこと、何かトラブルがあったこと、そんな曖昧な記憶が頭の中で混じり合っている。
ただ、酒場で大騒ぎをしたということだけは確かだった。
「……もうしばらくは飲まない」
メリアの声は布団に籠もって聞こえにくい。
「……でもここ最近は毎晩賑やかなんだよな」
スフィアの返事も同様にくぐもっている。
「……また二日酔いになりそう」
ブルの声は諦めに満ちていた。
こうして、スフィア、メリア、ブルの三人による冒険者パーティーの第一歩は、派手な二日酔いとともに幕を開けたのだった――。
第二話から第四話は毎日2エピソードずつ更新していきます。
7時と18時にそれぞれ投稿予定。




