合流
砂塵が舞い、岩場に亀裂が走る。
竜の頭部を踏み台にして、二つの影が荒涼とした山地の舞台に降り立った。
もうもうと立ち込める土煙が、山地を吹き抜ける強風によって徐々に晴れていく。
そこに現れたのはあまりにも対照的な、しかし等しく異様な存在感を放つ二人の戦士だ。
一人は純白の剣を担ぎ、流麗な蒼い鎧兜を身にまとった小柄な影。
そしてもう一人は、禍々しい漆黒のフルプレートアーマーに身を包み、巨大な手斧と棍棒を構えた巨躯の影。
まず、その場の全員の視線を釘付けにしたのは後者の巨漢――ブルだ。
彼が身に纏う漆黒の鎧は、ただ黒いだけではない。
光を吸い込むような深淵の黒色をしており、鋭角的なスパイクが肩や膝から突き出し、兜は猛牛の頭蓋を模したかのような威圧的な形状をしている。
全身から漂うオーラは、正義の味方というより地獄の底から這い出てきた処刑人のようだ。
教主ディオスは岩場の上でその目を細める。
予期せぬ乱入者の登場に警戒心を強めながら、その鎧の意匠を記憶の中のデータと照合していた。
(あの鎧の意匠……随分な禍々しさだ。我が教団の者か?)
教団には様々な武装集団が存在する。
末端の構成員まで全てを把握しているわけではない教主ディオスにとって、目の前の巨漢が教団の秘密兵器である可能性は捨てきれなかった。
もしそうであれば、状況は有利に働くだろう。
(しかし、あんな目立つ巨体を私が忘れているだろうか……? いや、あるいは地方の支部が独自に育成した変異体か?)
一方、瀕死のラファエルを抱きかかえるエルセインもまた、絶望的な状況の中で現れたこの異形に注目せざるを得なかった。
(禍々しい鎧だ……あんなものを身に着けている以上、まともな精神の持ち主とは思えない。邪教団所属の増援部隊か?)
エルセインの背筋に冷たいものが走る。
ただでさえ教主ディオスと竜のコンビに圧倒されている状況で、さらに敵が増えたとすれば、もはや勝ち目はない。
(あれ、でも待てよ。あの戦士は今、竜を殴り飛ばしていなかったか?)
エルセインの冷静な分析力が微かな違和感を捉える。
もし教団の者ならば教主ディオスが操る竜を攻撃する理由がない。
仲間割れか、それとも制御不能の狂戦士か。
張り詰めた緊張の中、漆黒の巨漢が大きく息を吸い込んだ。
兜の奥から、ふんすふんすと噴気のような白い息が漏れる。
そしてブルは腹の底から力を込め、山の空気を震わせるほどの大音声で吼え叫んだ。
「僕の時代来たァァァ!! 今こそ竜をぶっ倒して僕のモテ期到来!! 待っててねお姉さぁぁぁああん!!」
……しん、と。
一瞬にして、戦場の空気が凍りついた。
殺意と魔力が渦巻いていた空間に、あまりにも場違いな欲望の叫びが響き渡る。
教主ディオスとエルセイン、敵対する二人の思考がこの瞬間だけは奇跡的なシンクロを見せた。
((うん、あんなアホは教団の者ではないな!))
教主ディオスは呆れを含んだ溜息を漏らし、エルセインは脱力感と共に安堵した。
少なくとも、あれは組織立って動く邪悪な存在ではないだろう。
ただのアホで間違いない。
教主ディオスは岩場の上から眼下の二人組に向かって問いかける。
その声には先ほどまでの余裕と威厳に加え、得体の知れない羽虫を見るような侮蔑が混じっていた。
「お前たちは、その……何だ?」
誰、ではなく何、なあたり彼も相当に混乱しているようだ。
さもありなん。
その問いに答えたのは、ブルの足元に立つ小柄な蒼い戦士――スフィアだ。
彼は担いでいた純白の剣をビシッと竜に向け、教主ディオスの方を見ようともせずに言い放つ。
「うるせえ! 今から俺は竜をぶっ殺して肉を食うんだ、邪魔すんな!」
「そして僕はハーレムを築く!」
ブルが間髪入れずに野望を重ねる。
食欲と色欲。
生物としての根源的な欲求を隠そうともしないその態度は、高尚な目的のために動く教主ディオスにとって理解の範疇を超えていた。
なんだこいつら。
「なんなんだお前ら……」
教主ディオスの声に、疲労の色が滲む。
生贄として勇者を狩ろうとしていた崇高な儀式の場が、一気に三流喜劇の舞台へと引きずり下ろされた気分だった。
その時、スフィアの金色の瞳が岩場の上の教主ディオスの姿を捉える。
そして何か重大なことに気づいたように、ハッと目を見開く。
「はっ……! まさかお前は……!」
スフィアの鋭い視線に、教主ディオスは口元を歪めた。
ようやく、己の存在の大きさに気づいたか。
この場の支配者が誰であり、自分たちがどれほど無力な存在であるかを悟ったのだろう。
教主ディオスは黒いローブを風になびかせ、得意げに嘲笑う。
「気付いたか。そう、この強大な竜をこの地に呼び込み、支配しているのは私……」
「てめえ、俺の獲物を横取りする気だな! 肉は渡さねえぞ!」
スフィアが剣を教主に突きつけ、フシャー!と威嚇の唸り声を上げる。
その殺気は本物だ。
獲物を前にした肉食獣が、競争相手に向ける純粋な敵意。
教主ディオスの口元が引きつった。
「……は?」
「とぼけても無駄だぞ! その竜を狙ってるんだろ! 一番美味い部位は俺がもう目ぇ付けてんだ、横からしゃしゃり出てくるんじゃねえ!」
スフィアの頭の中では、この黒いローブの男は「竜肉を狙うライバルの冒険者かなんか」として認識されていた。
――そう、彼はこの竜害が人為的なものだと気付いていないのである。
教主ディオスはあまりの会話の通じなさに、こめかみの血管が切れそうになるのを感じた。
「違うが?」
思わず素の口調で否定してしまう。
自分は竜の肉など求めていない。
魂を求めているのだ。
その言葉を聞いた瞬間、スフィアから放たれていた殺気が霧散した。
「そっか、違うならいいんだ」
スフィアは心底ほっとしたように剣を下ろし、興味を失ったように教主ディオスから視線を外すと再び竜の方へと向き直る。
「なんだ、紛らわしいこと言いやがって。驚かせんなよな」
彼は教主ディオスの「違うが?」を『獲物を横取りする気はない。君に譲るよ』と解釈した。
違う。
そういう意味じゃない。
教主ディオスとエルセインは揃って心の中でツッコミを入れたが、スフィア本人は至って大真面目だ。
彼にとっての脅威とは「強い敵」ではなく「食事を邪魔する敵」なのだから。
教主ディオスのプライドは、ズタズタに引き裂かれていた。
勇者を追い詰め、宮廷魔術師長を絶望させ、邪神竜の復活という大いなる悲願の成就を目前にしていたこの自分が。
どこの馬の骨とも知れぬ猫獣人の小僧に、ただの「食い意地の張ったライバル」扱いをされた挙句、勝手に勘違いを解かれて無視されたのだ。
「……ふざけおって……」
教主ディオスの肩が震える。
黒い魔力が、陽炎のように彼の周囲から立ち上り始めた。
「私をコケにするとどうなるか……その身に刻み込んで、後悔と共に死ぬがいい!」
教主ディオスは両手を大きく広げ、天を仰いだ。
その瞬間、山の空気が一変する。
肌を刺すような静電気が大気を満たし、先ほどまで晴れ間が見えていた空が、急速にどす黒い雲に覆われていく。
「『トゥオーノ・ラアド・トゥルエノ・ユルドゥルム。この地に集え、天なる裁きの雷よ』」
朗々とした詠唱が響き渡る。
それはただの魔法ではない。
複数の雷の言葉を紡ぎ合わせ、魔力の共振を極限まで高める大儀式魔法の詠唱だ。
黒雲の中で、紫色の稲妻が龍のようにのたうつ。
ゴロゴロという重低音が、腹の底に響く。
「『審判の光はここに来たり。悪は滅び、罪は塵、人は灰に成り果てる』」
強大な魔力の高まりに呼応して、大地が小刻みに震え始めた。
エルセインが、血の気の引いた顔で空を見上げる。
「ま、まずい……! あれは戦略級魔法だ! 直撃すれば蒸発するぞ!」
エルセインは必死に障壁を展開しようとするが、消耗した状態ではすぐに魔力障壁は作れない。
この短時間では紙切れ一枚ほどの盾を作るのが精一杯だ。
「『今、慈悲深き死が与えられん』」
教主ディオスの目が眼下のスフィアを見下ろす。
その目には、無礼な虫けらを焼き払うという嗜虐的な喜びが満ちていた。
これこそ、教主ディオスが操る最強クラスの雷魔法。
本来ならば軍隊一つを壊滅させるために用いる、神の怒りの代行。
「『ミョルニル』」
教主ディオスが手を振り下ろした。
スフィアが、ふと空を見上げて間の抜けた声を出す。
「え?」
瞬間。
世界が白一色に染まった。
空を覆う黒雲に宿る雷すべてが、たった一点に向かって収束し解放されたのだ。
鼓膜を破らんばかりの轟音と共に、巨大な光の柱が――まるで神が振り下ろした鉄槌のように、小さな猫獣人に向かって真っ直ぐに落ちてくる。
逃げ場はない。
回避など不可能。
それは、絶対的な「死」の光だった。
――ここで、少しばかり物理と化学の解説をしよう。
「水属性」というものが一般的に電気に弱いとされるのは、この世界において共通する認識である。
水に濡れた状態で電気を受ければ感電して痛い、というのは子供でも知っている常識だ。
しかし、それは「不純物を含んだ水」の話である。
電気というエネルギーは、物質の中を移動する際に「通りやすい道」を探して流れる性質を持つ。
水そのもの――水分子の集合体は、実は電気を通さない絶縁体だ。
電気が水を伝うのは、水の中に溶け込んでいるミネラルやイオンといった不純物が電気の運び手となるからである。
なので、塩分を多く含んだ海水などは極めて電気を通しやすい。
逆に一切の不純物を極限まで取り除いた「純水」と呼ばれる水は、ゴムやガラスと同じく電気を一切通さない絶縁体として振る舞う。
水とは、その純度によって「導体」にも「絶縁体」にもなりうる極端な二面性を持った物質なのだ。
さて、話をスフィアに戻そう。
彼が身につけている蒼鱗の鎧兜。
これはメリアが商業連合で得た莫大な利益とコネクションを注ぎ込み、魔法国メギストスの最新技術と、海竜リヴァイアサンの素材を惜しみなく使って作らせた特注品である。
スフィアは大の水嫌いである。
ゆえに、この鎧には「水場でも快適に動けるように」というコンセプトの元、ありとあらゆる水属性の加護が付与されていた。
その中の一つに、対雷撃用の特殊な防御機構が組み込まれていたことをスフィア自身も詳しくは知らなかっただろう。
この鎧が纏う水の魔力は、目に見えない極薄の被膜となって常に装着者を覆っている。
そして、その被膜は極めて高度に制御された二重構造となっていた。
内側――スフィアの身体に接する層は、一切の不純物を排除した完全なる「純水」の性質を持つ魔力層。
これは電気的抵抗値が無限大に近い、完璧な絶縁体の性質を持つ水の魔力だ。
外側――空気に触れる層は逆に海竜の魔力を帯びた、電気伝導率が極めて高い「海水」の性質を持つ魔力層。
この二重構造が何を意味するか。
外部から受けた雷撃は、抵抗の少ない外側の層を伝って鎧の表面を滑るように流れ、内側の絶縁層によって装着者への侵入を完全に阻まれる。
そして行き場を失った電流は鎧の表面に蓄積されるか、時間とともに空気中に飛散していくか、あるいは足元から地面へと少しずつ逃げていく。
これこそが避雷針ならぬ「避雷水の加護」。
メリアが言っていた「鎧に付けたありったけの水の加護」という言葉は、単なる比喩ではなかったのだ。
彼女の「どうせ作るならありったけの金で最高のものを」と注ぎ込んだ、金に糸目をつけない投資が奇跡的な防御性能を生み出していたのである。
つまり――。
閃光が収まり、土煙が晴れた後。
そこには、キョトンとした顔で突っ立っているスフィアの姿があった。
「?」
焦げてもいない。
痺れてもいない。
ただ、鎧の表面でバチバチと青白い火花が散っているだけだ。
最強の雷魔法を受けたはずの猫獣人は、まるで「今、なんか光ったか?」とでも言いたげな顔で自分の手足を確認している。
――彼は、電撃の類が一切効かない防具を装備していた。
教主ディオスは、その光景を見て思考が停止する。
目が飛び出しそうなほど見開かれ、口はパクパクと開閉を繰り返している。
「ば、馬鹿な……私の最強の攻撃魔法だぞ……? 直撃したはずだ……なぜ、なぜ立っている!?」
ありえない。
あってはならない。
あの魔法は、戦略兵器に等しい威力を持っているはずなのだ。
それを、魔力障壁を展開する素振りすらなかった獣人が、無傷で耐えるなど。
教主ディオスの常識が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
スフィアは、彼の驚愕など知ったことではないとばかりに地面を蹴って走る。
教主ディオスはあまりのショックに茫然自失し、突然自分の側に走り出したスフィアに反応できない。
「え?」
スフィアの姿が教主ディオスの目の前まで迫る。
蒼い鎧が、未だにバチバチと激しい放電現象を起こしながら輝いている。
スフィアは飛びあがって空中で身をひねり、両足を揃えて教主ディオスの胸板めがけて突き出した。
「竜と俺を間違えてんじゃね――――!!」
渾身のドロップキックが、教主ディオスの鳩尾に深々と突き刺さる。
――ここで、もう一つ余談を挟もう。
「避雷水の加護」は外部からの電流を外側の層に受け流し、装着者を守る構造をしている。
しかし、受け流した電気を即座に空気中へ放散させる「アース」のような機能までは完全には備えていない。
通常であれば時間の経過と共に自然放電され、空気中や地面へと電気は逃げていくが、今は状況が違う。
スフィアが受けたのは、教主ディオスが全力で放った最強クラスの雷魔法「ミョルニル」のエネルギー、しかも受けた直後である。
その膨大な電力は行き場を失い、今なおスフィアの鎧の表面で荒れ狂い滞留している。
そして、その帯電したスフィアの足が人体、つまり教主ディオスに接触した瞬間。
溜め込まれていた全ての電気エネルギーが一気に彼の体へと流れ込んだ。
バチバチバチバチバチバチッ!!!!!
「ぐああああああああ!!!???」
ドロップキックの物理的な衝撃に加え、自らが放った魔法と同等に近い電撃が教主ディオスの全身を駆け巡る。
黒いローブが焼け焦げ、身体中の筋肉が強制的に収縮し、悲鳴すらも電圧の音にかき消される。
教主ディオスの身体は、まるで雷に打たれた鳥のように錐揉み回転しながら吹き飛ばされた。
そのまま放物線を描き、遠く離れた岩場へと弾丸のような速度で突っ込んでいく。
ズドォォォォン!!!
岩盤が砕け、砂塵が舞い上がる。
教主ディオスは岩場にめり込んだまま、ピクリとも動かなくなった。
白目を剥き、口からは煙を吐いている。
完全に気絶するほどのダメージを負って沈黙した。
スフィアは空中で一回転し、華麗に着地を決める。
鎧に残っていた電気は攻撃の瞬間にすべて放出しきったようで、今は静かに蒼い輝きを取り戻していた。
「ったくよー。狙う対象間違えるとか魔法ヘタクソかよ……」
スフィアは肩を回しながら、呆れたように呟く。
彼は自分が何をしたのか正確には理解していない。
ただ「なんか相手が凄い派手に吹っ飛んだ」くらいの認識である。
そこへ、地響きを立ててブルが駆け寄ってきた。
「兄さん、大丈夫!? いきなりあんな凄い雷が落ちたから心配したよ!」
「おう、平気だぜ。なんか知らんが全然効かなかったわ。メリアが買ってくれた鎧のおかげかもな」
「すごいね、この鎧。やっぱり高かっただけあるよ」
二人がのんきに会話をしているとブルがふと、岩場の陰にいる二人の人影に気づいた。
「あれ? でも兄さん、あっちにも二人いるよ?」
ブルが指差した先には、瀕死のラファエルを抱きかかえ、信じられないものを見たという顔でこちらを凝視しているエルセインの姿があった。
「おん?」
スフィアも視線を向ける。
白髪の魔術師と、大怪我をしてぐったりしている赤髪の剣士。
そして、遠くの岩場に頭から突っ込んで気絶している黒ローブの男。
宿の店員の話では、討伐に向かったのは「二人」のはずだ。
しかし、現場にはどう見ても三人いる。
「……計算が合わねえな」
「一人多いね」
スフィアは腕を組み、首を傾げる。
「あの吹っ飛んだ黒いのが討伐隊の一人か? いや、それにしては竜と一緒にいたしな……」
「あそこで倒れてる赤髪の人と、抱えてる白髪の人で二人だよね。じゃあ、あの黒い人は?」
「……誰だろ?」
スフィアとブルは顔を見合わせ、不思議そうに首をひねる。
彼らにとって、この状況は謎だらけだった。
なぜ温泉地に竜がいるのか。
なぜ黒い男がいたのか。
なぜあの二人はボロボロなのか。
しかしそんなことより――。
「ま、いっか。とりあえず竜を狩るぞ!」
「そうだね! よーし、ぶっ倒して褒めてもらうぞ!」
細かいことは気にしない。
それが彼らの流儀だった。
目の前に巨大な竜がいて、それが倒すべき相手であることだけは間違いないのだから。
混乱の極みにある戦場に、二つの欲望の嵐が再び吹き荒れようとしていた――。
ハチャメチャが押し寄せてくる。




